江戸の退屈御家人

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歴史を旅する  河越夜戦

2012年04月08日 09時05分17秒 | Weblog
4月7日 大学の同期生たち30数名と春の川越ハイク。午後1時に集合し桜を見て3時間歩いて宴会しようという趣向。

我輩は川越でなく「河越」へ 歴史を旅する観点から、朝早くから一人現地を歩く。

河越夜戦とは1546年天文15年、河越城にこもる3千の後北条方軍に8万の兵で囲こみ城の奪還を狙った上杉憲政関東管領・扇谷上杉朝定・足利春氏古河公方の連合軍に対し、外から応援に駆け付けた8千の北条氏綱軍が夜間に城の内外から奇襲して、圧勝した。連合軍側の死傷者は1万3千から1万6千といわれる。

この結果、北条氏が関東一円を制覇する形となり、一方、扇谷上杉家は滅亡。関東管領の山内上杉家は段々没落、ついには越後上杉家の重臣長尾景虎に家督を譲って上杉謙信が関東管領となるように、関東も明白に戦国時代に入り室町時代体制が終わる。古河公方も北条氏の影響下に置かれる。

我輩は、この河越夜戦の激戦地だった河越城のすぐ近くの「東明寺」を訪問。この戦いは別名「東明寺口の戦い」ともいわれる。東明寺は小江戸川越の蔵造りの街並みや時の鐘などの一角の少し先、川越城の本丸御殿の北西約500m、新河岸川に囲まれたところにあり、今はほんの小さな時宗の寺だが、当時はこの一帯を領地とする大寺域、門前町があったと。

江戸時代の川越親藩の時代や、その後の近代化の中で、室町時代末期の歴史遺跡は何も残っていない。いまはこの東明寺の境内に「河越夜戦跡」の石碑1つのみ。

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