おっちーの鉛筆カミカミ

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近年のTUBEについて考えたとき―多くの人が一つのものを創るということとは?―僕の拙い演劇論。

2008年01月27日 20時56分37秒 | コラム・批評・エッセイ
 野田秀樹という方がいます。
 この方について、「野田秀樹は理想だよねー」と僕の演劇仲間が話していたことがありました。
 その話に僕も基本的に賛成です。
 では、野田秀樹さんは、どういう具合に「理想」なのか。
 「演劇」という多人数の人間が関わってひとつのものを創る、その場所を作るやり方が彼は非常にうまいのです。
 それでは場所の空気とは、どのように作られるものなのでしょうか。
 やはり、そこを司る一人のひとが作る比重が非常に重いのがほとんどの場合です。
 野田秀樹さんは、場を「乱す」のがうまいのです。
 彼は自分から率先して、現場で「遊び」ます。そこを司る「長」でありながら、自ら遊び回ってしまうのです。
 その場にいる役者(スタッフも?)たちはそれを見て自分も努力して遊ぼうとします。そしてだんだん楽しくなってきて、「遊ぶ」ということの本当の意味を身を持って感じ取るのだと思います。
 遊びを観せるのは勇気が要ります。
 真面目な方が、批判を受けにくいからです。
 演劇は、遊ばないと面白くありません。できた結果として、それを観にきた観客も一緒になって遊んだ気分になるというのが、理想です。

 僕の過去の話をします。
 僕は、休学2年を合わせて9年間、大学に在籍しました。
 その間ずっと演劇をやっていたわけではない―最後の二年半くらいは、病気のリハビリをしながら授業に通っていた―のですが、かなり濃い演劇経験を積ませていただきました。
 そこで学んだこと。
 自ら率先して動くことは大切です。
 そして、「下の者」のやっていることに自分から「入り込む」ことも重要なことだと思っています。
 仕事という名を借りて、一緒に「遊んで」しまうのです。
 そうすると、みなが生き生きとしてきます。自らの意思で考え、アイデアを出し、成し遂げる楽しさを得るために頑張ります。
 これは演劇の世界に限ったことではとどまらない話のようにも思えます。
 一つ言えるのは、人は周りを見ながら、自分の行動を選択していく、ということです。
 人はとりあえずとして、自分の「上」に当たる人の行動をまねしようとします。だからいちばん「上」の人間はそれらの焦点になるわけで、その行動が注目されるもの―重要なもの―になるわけです。リーダーの存在いかんで、そのチームが成功するかどうかを左右しかねないのです。
 それは形の上での「トップ」だけを頂点とするという意味を持ちません。
 みなが一目置く存在であれば、それは大きなものになるわけです。
 人間の集まりですから、その形成にはいろんな経緯があるでしょう。
 それでいいのです。ひとのやること。それに王道はありません。
 戦って戦って、楽しんで、苦しんで、泣いて、笑って、少しずつ、獲得し続けるものです。
 失うこともあるでしょう。けれども本当に失ってはいません。人間は偉大です。ひとは皆神なのかもしれません。素直になれば。
 もう一度言います。人は獲得し続けると思います。

 今日はありがとうございました。
 これからもよろしくお願いします。
 ではでは。