第2章 傘もささずに(4)
もうここまでくれば結果は見えているのである。
慎平は、みどりの魅力に、一度負けた。
みどりに折れて、絵画教室を見学することにした。
そのかわり、慎平は、将の事は無視すると決めたのであった。
だってなんとも薄気味が悪いんだもの。その発するオーラが。発言も今のところ意味不明だし。
「彼は教室に入るんだ」
将は言った。
ほらまた!
俺は入室はするけど、入学はしない!
「あぁ、そうなの!? じゃあ仲間じゃん、問題なし」
みどりちゃんも。泣くよ、俺。
「そういえばキミ、名前なんていうんですか?」
仕方ない、答えるか。
「慎平」
「慎平君かあ」
「うん」
「……上の名前は?」
「慎平」
「えっ? 慎平君、キミの苗字を訊いてるんだけど」
「だから慎平でいいじゃん」
「……えー……、まっ、いいか、そのうち教えてもらうということで。とりあえず問題ないし」
「そうそう」
慎平は溜め息をついた。
「どうしたのお? 入学初日じゃん、最初が肝心。元気にいこうよ」
「だから俺はここに入るわけじゃないんだってば」
「えっ?」
少しの間の沈黙。慎平にはその空気が重く感じられた。
みどりは将に目配せしている。今の慎平の言葉の真意を知りたいのだろう。
しかし将は言葉を発しない。
「うーん……なんだかわからないけど、こうしよう! 慎平君、あなたは今日は教室を見学しようよ、やっぱり。折角ここにいるんだし。で、気に入ったら入学するってのはどう?」
たぶんこの将ってヤツがいる限り入学はないと思うけどな……と、慎平は考えていた。けれども、
「いいよ、それで。それより雨がヒドイしさ、早くその教室ってのに入ろう」
慎平は腹をくくってそう答えた。
「ああ、そう? わかった。じゃあ案内しますね」
「ようやく決心したか」
みどりのあとに、将が言葉を続けた。
慎平は将の一言にムカッときたが、そろそろ将の発言には耐性が出来つつあるようで、すぐに頭を切り替えることができた。もう相手にしねえ。
「みどりちゃん、でいいかな。なんで傘さしてないの? 濡れちゃうじゃん」
「あー……将さんまだ来ないか見にきただけだったから、軒先から出ないと思ってたし、要らないかなって」
「みどり、タオル」
将は自分の背負っていたカバンからハンディタオルを取り出して、みどりの頭を軽く拭いた。
「貸しといてやる」
「ありがとう……」
みどりは将の顔をチラッと盗み見たあと、視線を落として頭をクシャッと拭いた。
将はレインコートを脱いで、バサバサと水気を切った後、意外と几帳面に畳んでいる。
「2階だよね? この階段急だなあ!」
慎平が思わず言うと、
「でしょ? 雨降ってるし、滑るから、気を付けて上ってね」
とみどり。
「そういえば今年ここで転んだやつがいたな」
将が思い出して言う。
「ついこの間でしょ?」
みどりが続けると、
「この急勾配で転ぶって殺人的だなあ」
慎平が感想を言い、
「幸い打ち身くらいで済んだみたいだよ」
みどりがその話題を締めた。
3人はそれから黙ってアパート2階への階段を上り、2階へ到達すると右手2つ目のドアの前に進んだ。
「ここが『ピコタン絵画教室』の入り口ですよ」
みどりが説明する。
「その呼び名まだ改めてなかったのか」
「愛奈さんが決めた名前だからね、ここが潰れるか、先生と愛奈さんが離婚するまで変わらないと思うよ」
するとその瞬間、教室のドアが中から開いた。
「みどりちゃん!?」
そう言ったのは、このピコタン絵画教室の先生の奥さん、雑務を任されている、愛奈さんだ。
「あぁ愛奈さん」
みどりは、直前の会話を聞かれていたのかが内心気になって、心臓がドキドキと高鳴っていた。
愛奈はそんなことは意に介さず、
「将君、見つかったんだね。……そちらは?」
言葉を続けた。
「入学希望者」
将がいきなりそんなことを言った。
当然慎平は内心穏やかではない。
しかし将の発言は無視することに決めた慎平は、その言葉のあとを取り繕うこともしなかった。