頑張ろうと思うんですが。
なかなかきかない。
社会のことを知るのが大事なのかな。
情報社会と申します。
情報を多く仕入れた者の、勝ち、なのかな。
それも生きた情報なんでしょうな。
死に体の情報じゃ、駄目なんでしょうな。
そして大切なのは、懸命に生きること。
大それたことを言っとるようですが、皆していることであります。
ただ、幸せにそれを行うためには、自分を知ることなんでしょう。
そして、自分らしく、というと語弊もあるのですが、自分が求める生き方を、懸命に模索する、とでも言いますか。
自分を見付けて、自分と対話し、自分に正直に、驕らず、謙虚に、しなやかに、自然に、力まず、でもサボらず、生きる、と。
そういえば森光子さん亡くなったそうで。
驚きました。お歳を伺ったら、大往生なんですが、なんか、自分の親戚のばあ様が亡くなったかのようなショックで。
お隣の古くから見知ったばあちゃんとか。
いやいやいや。人はいつか亡くなります。
人じゃないものになるのですなあ。
なんと言いますか。ご冥福をお祈りします。
穏やかに亡くなられたならば、個人的にはよかったか、とか思うわけです。
人は社会の中で揉まれると、どうしても変化するわけです。
そのままの、生まれたまんまの自分じゃ生きていけないわけです。
それを人は成長する、と呼ぶ人もあるようです。
でも、明らかに生きる事をサボったり、億劫になったり、傲慢になったりした結果の変化を見受けられる方もあるわけなんですな。
それは成長したとは、呼べません。
常に自分をモニタリングしないといけない。
第三者の目で、自分を見る。
それには手っ取り早いのは、他人と本気で対話することです。
嘘偽り無い本音で、ひとと話すことです。
そうすると相手が見えると同時に、自分の有りのままの姿も浮かんでくる。
そしたら、大抵は恥ずかしくなります。
俺ってこんな風に見えてるか。
他人様に、こんな醜態を晒しているのか。と。
だから、少しはマシになろうと思うのです。
そんなことの繰り返しでやって参りました。
もちろん私、自分を見失ったことありますし、どうしようもない醜態を世間様に見せたこともありますわ。それは。
でも、私は今の自分が、許せないか許せるかというと、まあ許せる範囲におるのです。
でも、出来れば、明日の自分は、今日よりマシでありたいと願う。
そしてずっとそうありたいと願うのです。
まあ昨日と今日がトントンな時もあります。人間だもの。
でも、二歩下がったら、三歩進みたいというのが、人情じゃねえでしょうか。
頑張らないでダラダラ生きるより、頑張ってしゃきしゃき、それは疲れるにしても自然体ですわりすわりとやっていきたい。
気分良く、心地良くやっていきたいのです。
ずっとね。
私には相方がおります。
だからあヤツと、ずっと、つかず離れずと、おざなりにもならず、切磋琢磨し合いながら、まあ疲れない程度にですが、やっていきたいですなあ。
相方とおると、自分が見えてくる。
自分の虚像でなく真の像が、なんとなく見えてくるんですな。
そうして、方向修正をします。
自分の生きる道の、向かう方を少しずつ、ずらしたり、戻したりして、遊んでます。
いやいや遊んではいないか。一所懸命に生きております。
奴なしの人生は考えられません。
奴もそう思っとるといいなあと。
こんな究極に公の場でのたもうてるわけなんです。
そういえば、言葉について、今日思ったことがあったな。
言葉は、万能じゃありません。
言葉で、すべてを伝えられると思ったら、大間違いです。
行間という言葉がありますな。
時々、この人は言ってることはすべて正しい、間違ったこと言っていないのに、どっか違う、って人がいる。
これは、多くの場合、行間を含めて喋っていないのです。
言い直すと、行間に意味を込めて、魂を込めて?、喋っていない。
良い論文は、言葉の間に含んだ魂が、正しい、ということが多い。
私、論文の評価はしたことないのであやっしい見解ではありますが、言葉だけが正しい論文は、あまり魅力を感じません。
ですから、今例に挙げたのは論文ですが、小説だろうが、詩だろうが、クリエイティブなものは、形そのものでなく、その影に魅力を映す。とでも言いましょうか。
よく、余韻という言葉がありますよね。
あれは、正に言葉等々形のあるものの残した、「影」の味わいなんですよね。
ただ今、論文を例に挙げたのは間違いだったかもしれないな。
学問と、クリエイトは分野が違うのかもしれない。
でも私は、人の形作るものとして、同等に扱いたい、という野望を持っているんですね。
実は、政治も、マスコミも、経済社会も商売も、同じ視点から、見渡したい。
人の作りしもの、をすべて一つの視点から論じたいと思ってるんです。
エンタテイメント、ってのはそのキッカケになる視点かもしれない。
人の作りしもの、エンタテイメント、パフォーマンス、、、面白いのでは?
まあ、頑張りますわ。
なかなかきかない。
社会のことを知るのが大事なのかな。
情報社会と申します。
情報を多く仕入れた者の、勝ち、なのかな。
それも生きた情報なんでしょうな。
死に体の情報じゃ、駄目なんでしょうな。
そして大切なのは、懸命に生きること。
大それたことを言っとるようですが、皆していることであります。
ただ、幸せにそれを行うためには、自分を知ることなんでしょう。
そして、自分らしく、というと語弊もあるのですが、自分が求める生き方を、懸命に模索する、とでも言いますか。
自分を見付けて、自分と対話し、自分に正直に、驕らず、謙虚に、しなやかに、自然に、力まず、でもサボらず、生きる、と。
そういえば森光子さん亡くなったそうで。
驚きました。お歳を伺ったら、大往生なんですが、なんか、自分の親戚のばあ様が亡くなったかのようなショックで。
お隣の古くから見知ったばあちゃんとか。
いやいやいや。人はいつか亡くなります。
人じゃないものになるのですなあ。
なんと言いますか。ご冥福をお祈りします。
穏やかに亡くなられたならば、個人的にはよかったか、とか思うわけです。
人は社会の中で揉まれると、どうしても変化するわけです。
そのままの、生まれたまんまの自分じゃ生きていけないわけです。
それを人は成長する、と呼ぶ人もあるようです。
でも、明らかに生きる事をサボったり、億劫になったり、傲慢になったりした結果の変化を見受けられる方もあるわけなんですな。
それは成長したとは、呼べません。
常に自分をモニタリングしないといけない。
第三者の目で、自分を見る。
それには手っ取り早いのは、他人と本気で対話することです。
嘘偽り無い本音で、ひとと話すことです。
そうすると相手が見えると同時に、自分の有りのままの姿も浮かんでくる。
そしたら、大抵は恥ずかしくなります。
俺ってこんな風に見えてるか。
他人様に、こんな醜態を晒しているのか。と。
だから、少しはマシになろうと思うのです。
そんなことの繰り返しでやって参りました。
もちろん私、自分を見失ったことありますし、どうしようもない醜態を世間様に見せたこともありますわ。それは。
でも、私は今の自分が、許せないか許せるかというと、まあ許せる範囲におるのです。
でも、出来れば、明日の自分は、今日よりマシでありたいと願う。
そしてずっとそうありたいと願うのです。
まあ昨日と今日がトントンな時もあります。人間だもの。
でも、二歩下がったら、三歩進みたいというのが、人情じゃねえでしょうか。
頑張らないでダラダラ生きるより、頑張ってしゃきしゃき、それは疲れるにしても自然体ですわりすわりとやっていきたい。
気分良く、心地良くやっていきたいのです。
ずっとね。
私には相方がおります。
だからあヤツと、ずっと、つかず離れずと、おざなりにもならず、切磋琢磨し合いながら、まあ疲れない程度にですが、やっていきたいですなあ。
相方とおると、自分が見えてくる。
自分の虚像でなく真の像が、なんとなく見えてくるんですな。
そうして、方向修正をします。
自分の生きる道の、向かう方を少しずつ、ずらしたり、戻したりして、遊んでます。
いやいや遊んではいないか。一所懸命に生きております。
奴なしの人生は考えられません。
奴もそう思っとるといいなあと。
こんな究極に公の場でのたもうてるわけなんです。
そういえば、言葉について、今日思ったことがあったな。
言葉は、万能じゃありません。
言葉で、すべてを伝えられると思ったら、大間違いです。
行間という言葉がありますな。
時々、この人は言ってることはすべて正しい、間違ったこと言っていないのに、どっか違う、って人がいる。
これは、多くの場合、行間を含めて喋っていないのです。
言い直すと、行間に意味を込めて、魂を込めて?、喋っていない。
良い論文は、言葉の間に含んだ魂が、正しい、ということが多い。
私、論文の評価はしたことないのであやっしい見解ではありますが、言葉だけが正しい論文は、あまり魅力を感じません。
ですから、今例に挙げたのは論文ですが、小説だろうが、詩だろうが、クリエイティブなものは、形そのものでなく、その影に魅力を映す。とでも言いましょうか。
よく、余韻という言葉がありますよね。
あれは、正に言葉等々形のあるものの残した、「影」の味わいなんですよね。
ただ今、論文を例に挙げたのは間違いだったかもしれないな。
学問と、クリエイトは分野が違うのかもしれない。
でも私は、人の形作るものとして、同等に扱いたい、という野望を持っているんですね。
実は、政治も、マスコミも、経済社会も商売も、同じ視点から、見渡したい。
人の作りしもの、をすべて一つの視点から論じたいと思ってるんです。
エンタテイメント、ってのはそのキッカケになる視点かもしれない。
人の作りしもの、エンタテイメント、パフォーマンス、、、面白いのでは?
まあ、頑張りますわ。