おっちーの鉛筆カミカミ

演劇モノづくり大好きおっちーのブログです
いろいろ活動してます
そのうち、みなさんにお目にかかれたらうれしいです

今日、思った事

2012年11月15日 20時06分35秒 | コラム・批評・エッセイ
本日は、人がなぜ生きるかについて問いたいと思うわけで。
なあんてのは大嘘でし。
でも、私が今人生をやってく上で、大きな転換点となるような考え方を思い立った日でありました。
そんな大袈裟な話ではないのですが、私は、今まで人のコミュニケーションを、自分から見て放射線状に張った関係しか考えていなかった。
要は演劇用語でいうところの、縦のコミュニケーションしか考えてこなかったわけなんです。
自分と、相手。私と、彼。私と、先生。私と、あなた。
人は集まると、自分中心の時間なんてほとんどないわけです。
だから、第三者同士のコミュニケーションを、円滑にする、というか、応援する、というか、とにかく活性化し、楽しいものにする為には自分はどう心掛ければよいか。
どういう発言をし、態度をとっていれば、その自分のいる場が和やかで楽しく、また機能的(?)なものとなるか。

ある集団において自分の存在が適当なものであるために、いろいろ考えました。
そのための要素、挙げていきませう。

○まず、自分が穏やかな平和な幸せな気持ちである
○その集団の構成要員が、なるたけ多くの割合で、穏やかで平和で幸せな気持ちである
○その集団が集まっている存在理由は何か、そのために集団が機能しているか

まず思い付いたのがその辺りでした。
(3つ目を思い付いたのがミソだったかな)
これを一人の人間が果たそうったって無理な話なんですわな、そりゃあ。
一人の人間が居るか居ないかでそのへんが変わったら、そら凄いですう。
歴史上に名を残す人物になるでしょう。
でも、少しでもそのあたりに近付いていきたいと頑張りたいわけです。
話を進めましょうか。
ひとまず、私が関わっている集団といえば。
一つは、いわずもがな仕事場です。
もう一つ、福祉施設のフリースペースでの人間関係。

仕事場はあ~、難しいので後回し。
という訳で福祉施設の集会所における、人間関係を円満に進めるにはどう心掛けたらよいか。
そのあたりを考えていこうかな。
おう、その前に、なぜ私がそんなことを考え始めたか。
そこから話しを進めていこうか。
集団の中に、気になる人がいたわけです。
その人は、あまり幸せそうに見えなかった。
全くもっておせっかいな話ではありますが、私はその人を楽しませてやりたかった。
ある時、その人と2人っきりになりました。
その時は、その方を楽しませようと、躍起になってはしゃぎました。
で、その時はその方、楽しそうに笑ってました。
ああ、良かったなと。
思った訳なんです。
で、集会所に人が入ってきた。
すると、暫くしてその人の表情が変わった。
その時思った訳です。
ああ、これは、この場所をその人にとって、楽しい、居心地の良い場所にしないと、その人は「幸せ」になれない。
その為には、この場所の構成員全員にとって、この場所を楽しくて居心地の良い場所にしなければならん、のだと。
構成員のコミュニケーションがまさに網目状に、円滑に繋がり、活性化し、その場所が楽しく心地良い空気になる。
それを目指したいと思ったのです。
私は今まで、幸せにする、ひとりの人を探してきました。
でも、私はその人を見付けてしまった。
ちゃんちゃん。
終わり。
ってわけにはいかなかったわけなんです。汗
そこからも人生は延々と続くのです。
一人の人を幸せにする使命を帯びながら、それを叶える努力をしながら、やはりどんどん生まれてくる自分の好きな人達を、やはり少しでも幸せにしたい、という欲求は底を尽きることがなく、むしろ溢れ溢れ溢れ、人の形では処理しきれないばかりにならんとしとるのです。
一人の人を幸せに、本当の意味で二人が幸せになるためには、なんと、考えられる限りの人が幸せになってくれないと、それは果たせない!ということに気付いちゃったわけなんですな。
わあ、キリがない。
とも思うわけです。
でも、それをやっていくのが人生じゃないかと。
想いを果たしていくのが、描いたものを実現していくのが、それが私の生きる道。
そんな格好良いことでも言っとらんとやっとらんないのです。
つづく。

本日思うに

2012年11月14日 20時58分57秒 | コラム・批評・エッセイ
頑張ろうと思うんですが。
なかなかきかない。
社会のことを知るのが大事なのかな。
情報社会と申します。
情報を多く仕入れた者の、勝ち、なのかな。
それも生きた情報なんでしょうな。
死に体の情報じゃ、駄目なんでしょうな。
そして大切なのは、懸命に生きること。
大それたことを言っとるようですが、皆していることであります。
ただ、幸せにそれを行うためには、自分を知ることなんでしょう。
そして、自分らしく、というと語弊もあるのですが、自分が求める生き方を、懸命に模索する、とでも言いますか。
自分を見付けて、自分と対話し、自分に正直に、驕らず、謙虚に、しなやかに、自然に、力まず、でもサボらず、生きる、と。
そういえば森光子さん亡くなったそうで。
驚きました。お歳を伺ったら、大往生なんですが、なんか、自分の親戚のばあ様が亡くなったかのようなショックで。
お隣の古くから見知ったばあちゃんとか。
いやいやいや。人はいつか亡くなります。
人じゃないものになるのですなあ。
なんと言いますか。ご冥福をお祈りします。
穏やかに亡くなられたならば、個人的にはよかったか、とか思うわけです。
人は社会の中で揉まれると、どうしても変化するわけです。
そのままの、生まれたまんまの自分じゃ生きていけないわけです。
それを人は成長する、と呼ぶ人もあるようです。
でも、明らかに生きる事をサボったり、億劫になったり、傲慢になったりした結果の変化を見受けられる方もあるわけなんですな。
それは成長したとは、呼べません。
常に自分をモニタリングしないといけない。
第三者の目で、自分を見る。
それには手っ取り早いのは、他人と本気で対話することです。
嘘偽り無い本音で、ひとと話すことです。
そうすると相手が見えると同時に、自分の有りのままの姿も浮かんでくる。
そしたら、大抵は恥ずかしくなります。
俺ってこんな風に見えてるか。
他人様に、こんな醜態を晒しているのか。と。
だから、少しはマシになろうと思うのです。
そんなことの繰り返しでやって参りました。
もちろん私、自分を見失ったことありますし、どうしようもない醜態を世間様に見せたこともありますわ。それは。
でも、私は今の自分が、許せないか許せるかというと、まあ許せる範囲におるのです。
でも、出来れば、明日の自分は、今日よりマシでありたいと願う。
そしてずっとそうありたいと願うのです。
まあ昨日と今日がトントンな時もあります。人間だもの。
でも、二歩下がったら、三歩進みたいというのが、人情じゃねえでしょうか。
頑張らないでダラダラ生きるより、頑張ってしゃきしゃき、それは疲れるにしても自然体ですわりすわりとやっていきたい。
気分良く、心地良くやっていきたいのです。
ずっとね。
私には相方がおります。
だからあヤツと、ずっと、つかず離れずと、おざなりにもならず、切磋琢磨し合いながら、まあ疲れない程度にですが、やっていきたいですなあ。
相方とおると、自分が見えてくる。
自分の虚像でなく真の像が、なんとなく見えてくるんですな。
そうして、方向修正をします。
自分の生きる道の、向かう方を少しずつ、ずらしたり、戻したりして、遊んでます。
いやいや遊んではいないか。一所懸命に生きております。
奴なしの人生は考えられません。
奴もそう思っとるといいなあと。
こんな究極に公の場でのたもうてるわけなんです。
そういえば、言葉について、今日思ったことがあったな。
言葉は、万能じゃありません。
言葉で、すべてを伝えられると思ったら、大間違いです。
行間という言葉がありますな。
時々、この人は言ってることはすべて正しい、間違ったこと言っていないのに、どっか違う、って人がいる。
これは、多くの場合、行間を含めて喋っていないのです。
言い直すと、行間に意味を込めて、魂を込めて?、喋っていない。
良い論文は、言葉の間に含んだ魂が、正しい、ということが多い。
私、論文の評価はしたことないのであやっしい見解ではありますが、言葉だけが正しい論文は、あまり魅力を感じません。
ですから、今例に挙げたのは論文ですが、小説だろうが、詩だろうが、クリエイティブなものは、形そのものでなく、その影に魅力を映す。とでも言いましょうか。
よく、余韻という言葉がありますよね。
あれは、正に言葉等々形のあるものの残した、「影」の味わいなんですよね。
ただ今、論文を例に挙げたのは間違いだったかもしれないな。
学問と、クリエイトは分野が違うのかもしれない。
でも私は、人の形作るものとして、同等に扱いたい、という野望を持っているんですね。
実は、政治も、マスコミも、経済社会も商売も、同じ視点から、見渡したい。
人の作りしもの、をすべて一つの視点から論じたいと思ってるんです。
エンタテイメント、ってのはそのキッカケになる視点かもしれない。
人の作りしもの、エンタテイメント、パフォーマンス、、、面白いのでは?
まあ、頑張りますわ。

もっしょもしょもしょ

2012年11月13日 21時27分44秒 | 詩集・つれづれ
もそもそもそもそ
飯を食ってみる
もそもそもそもそ
それから振り返ってみる
何が残っているのか
食い残しはないか
食い倒れはないか
一緒に飛び込むくらいの覚悟で
意外と第三者同士は分かりあっていない
あなたとわたしほど
わかりあってはいない
だから心配するな
その時映る心の景色を
そのままこの地に映してみよう
心配するな
あなたほどは
みな分かっていない
だから心配するな
もっしょりもっしょり

やっとこドッコイショ

2012年11月11日 22時19分46秒 | 詩集・つれづれ
キョンキョンピーピー
お腹が鳴ってる

危険信号だ

さあ急げ

どこだどこだ
あっちかこっちか
うっふんなんかに
負けるもんか

どっこい
どっこい
うんとこしょ

あなたとわたしで
よいとこどっこい
こらしょのしょ

心から
おめでとう

大人になれたね

傷を知ったね

痛みを
こらえたね

心から
お祝いするよ

今ならそれが出来る
信じられるよね
ほら空に月が

やっとこれたね
ドッコイショ

にょんにょにょーん

ネムイ

2012年11月11日 22時03分07秒 | 詩集・つれづれ
朝眠い
夜眠い
昼ご飯食べたあとで眠い

社会に見捨てられた僕?
どうやって生きていけばよいのか
先は見えない

人を通した目でしか、
自分を、社会を見ることが出来ない

疲れているのかな
休息が必要なのかな

でも
成長するって
なんだったんだろ

自分にとって
どうなることが
成長なんだろ

人から成長したねと言われた時
僕はどんな顔をしていたんだろう

ガムシャラに生きた結果が
成長だったら
幸福だったら
どんなに素晴らしいことだろう

社会は
そんなに都合よくできてはいない
でも
努力する人を殺すほど
情けなく出来てはいない

信じたい

でも
少しずつなら
簡単に人を殺すのが
社会だ

神さま私には

2012年11月10日 22時27分30秒 | 詩集・つれづれ
心から友と呼べる者がいない
縁者はいる
心を開ける者がいない
私は何処へ向かえばよいのか
それを訊く術が無い
私には何も見えない
私の見えるものしか見えない
ひとの心が見えない
真意を知りたい
だけど
本音は誰も
晒してはくれない
だから寂しいのだ
たった独りで
生きている気がするのだ
心に描くものを
信じればよいのに

うふらうふら

2012年11月09日 13時19分20秒 | 詩集・つれづれ
うふらうふら
笑ってみた。
にやにや
囁いてみた。
心からの笑い
一生懸命の鼓動
思い立ったら即行動



私はいま立ち上がる
誰にも見られていなくても
私だけの力で
立ち上がる
心は身体の敵なの味方なの
自分を盛り上げることが
大切なの。
さあ心開いて
心と心の距離を保って
恐ろしいことは
幸せと思った時
そこで人生は終わらない
いつまでも続いてゆく
人生との付き合いは
続く
楽しいことを探して
生きてゆけたらいい

とにかく毎日投稿を続けてみる

2012年11月07日 21時08分58秒 | 詩集・つれづれ
野球
バスケット
ソフトボール
バトミントン

心から昇る湯気
躍起になる誓い

そこから旅立って
今はち切れそうな思いを胸に
そう旅に出よう

横から出てる湧き出るサマリ
ニシンならそれらしく
西から旅立とう

よっとほっとそっと
あなたのことが好きです

今、何も考えられない程
あなたのことを考えます
無心とは一心
やっと
あなたのことを真正面から見据えた
きっと今がはじまり
心から
体から
立ち昇るものは

香り

そっとかいでみた
あなたの涙の匂い
なにも感じなかった
私の血に温度はないの?
心に、あたたかみは無いの
さあ、男と女の違い
そこで旅に出る
一生分からない答えは
実は生まれた一瞬で出ている
その答えは
私が生まれたこと
あなたが生まれたこと
世界があること
それだけでいい
それだけでいい
ワタシハイマココニイル
そっと
かいでみた
地球の匂い
世界の匂い
私にはわかるのかも知れない
何が正しくて
何がおかしいのか
世界がわかることを
私は正確に知ることができる
その資格を放棄していただけなのかも
わたしも
あなたも
ゆっくりと息をして
気持ちのまま活動をして
かたちのないものをそっと大事にして
ほら生きてみよう
生きるままに
生きてみようよ
動物植物
大人子供
生きるもの命のないもの
宿るもの宿らないもの
宿るままに
言葉を
息を
軌道を
道を
気の欠片を
少し残すことを感じつつ
心を描いてみよう
あなたの見るものは
あたりまえだけど全てではない
そんな夢のある結末
でも全てを感じることはできる
そんな夢のある物語
夢のある世界
そこに生きよう
私は
いろんなことを知りたい
感じたい
見たい
触れたい
聴きたい
味わいたい
それだけ
心が豊かになると思うから
私だけが世界のすべてではない
でも私は世界に向かって生きる
その為には
私を知り、真実を知らねばならない
きっと、本当のことはどこかにある
そして、どこにでもある
気付くこと
あるものを感じること
幸せを見付けること
私も、あなたも、
どこにでもいるのだ。
だから安心して欲しい
私の答えは、
世界のどの粒の中にも
存在している
だからあなたの中にも

あとは程度問題なのだと思う。
きっと私もあなたも、答えを知っている。
知らない振りをしているのだ。
あとは、時間を掛けることだ。
焦らないことだ。
焦れば、真実は逃げてゆく。
あなたの言葉の中にも、誰の言葉の中にも、真実が存在している。
あとは感じる心を身に付けることなのだ。
別に宗教を開きたいわけではない。
悟りを得たいわけでもない。
人の体で、人の心のまま、世界と寄り添いたいだけだ。
穏やかな心のままで、生活をし、死んでゆきたいだけだ。

世の中には、雑音を発する人がいる。
要らない音を奏でる人がいる。
そういう人をどうするかが今の課題だ。
彼らの奏でる音の中にも、真実はある。
だから、殺すわけにもいかない。
犯罪者になることはわけもない。
しかし、世界は、殺し合うことをどう思うのだろう。
戦争や内紛やテロは、世界の中でどう位置付ければよいのだろう。
やはり、悲しいことは生みたくない。
けれどそれが世界の生み出すものなら、
受け入れなければならないのだろうか。
良くなっていくことが、世界の望むことなのだろうか。
悲しみを減らしていくことは、世界の意思に沿うのだろうか。
私には、生きること、生き続けることでしか、答えを示せない。
世界の意思を生きることで表現すること。
それが私の使命。
そうは思うけれど、そんな事がひとりの人間でしかない私に、できるのだろうか。
でもやらなければならない。
そしてそんなことを思う同志が増えれば、もしかしたら、世界は劇的に変化を迎えるのかも。
やっぱり私は宗教でも開きたいのかと、第三者から見たときに思ってしまう。
でも私は、私でしかない。
私は、私以外のものになれない。
私の作る道の上でしか、歩むことができない。
そう腹をくくるしかない。

最近のおっちー20121106

2012年11月06日 22時20分42秒 | 日々つれづれ
 仕事のペースを一時的に落とさせて頂いてます。
 1日5時間勤務。
 時給なのに、こんなんで食えるのかっ!?って話ですが、体調第一。体壊しちゃ元も子もないっす。

 ひたすら毎日のライフサイクルを整えています。
 とりあえずよくわからんが疲れ易いので、それが治るまで、休むべし、休むべし、休むべし。

 クリエイター系の活動としては、RPGを作っています。Windows上で動くやつです。
 もちろん、1から作るわけではなく、作成ソフトを使って作っています。なかなか面白いです。ひと段落したら、WEB上でダウンロードできる状態にしようと思っています。

 あと、舞台照明の仕事は少しずつ減らそうとしてはいるのですが、まだあります^^。
 ひとつが、アラアラライブというシリーズ公演のお仕事。
 もう一つが、E-Quest Company という劇団のお仕事。

 アラアラライブは、12月より照明担当が一人増え、その方に次第に引き継いでいく感じでこれから進めます。

 E-Quest Companyは、12月のアタマ、第1週の木金土日に本番で、カナダの戯曲、『ハイ・ライフ』をやります。
 EQCは、俳優の演技法(メソッド)がユニークな劇団です。是非一度劇場まで足を運んでいただき、作品をご覧になることをお勧めします。
 なんか過激な脚本らしいですね、ハイ・ライフ。まだ読んでないのですが。

 もちろん照明も頑張ります。
 アラライも、EQCも、是非是非観に来ていただけると、とても嬉しいのです。よろしくお願いします。

 あとはそうそう、最近バンドを組みまして。
 3人で、私Vo.&カホン、あとの2人はエレキギター、アコギorキーボード&Vo.って感じです。
 10月に発表会があって、小田和正さんの『言葉にならない』とYUIの『It's happy line』を演奏しました。
 これからは、絢香の『おかえり』とスピッツの『ロビンソン』が、バンドの練習課題曲になってます。
 こちらも頑張りまーす。

 ってところで、そろそろ寝ようかな。
 おやすみなさい。

わたしは生きたい

2012年11月04日 00時33分15秒 | 詩集・つれづれ
心が躍った。
躍動と書いて「タマシイチル」と読む。
命の際限が短いなら、人はなにを望むか。
さあ果ては見えるか。
そらの果ては、どこにあるのか。
よろこぶことが幸せなら、そこに果ては一体あるのか。
つまりは、果てる事が即ち終わるならそこがゴールか。
人の瞳は動かないものを映さないと聞く。
ならば動かないものは、見えないものはそこにはないのか。
五感が全てなのか。感覚は気のせいなのか。総ては言葉になおるのか。
論が、世界の理を語れるのか。
私は生きた道で語りたい。
だから映したものを、残さねばならない。
人は分かるには、身に付けないとならない。
言葉だけでは頭だけのもの。
学びは体験を通じて体現となる。
人は傷付くことで、優しいということを学ぶ。
優しさは、すなわち老いである。
老いを伴わぬ優は、嘘を含む。
嘘は世界に背く。
なだらかに生きるなら、心のまま。
感情は、ひとへの理解の鍵。
人を分かること、生を分かること、活を分かること、間を分かること。
私は気持ちと意志の狭間で苦しんでいる。
分かったと思うほど、分かっていないということを分かる。
死ぬ間際に、そうかと納得できるか。
わたしは息をするように、決断と活動をする。
私は、なにも分かっていない。
毎日、その事ばかりを思い知る。
どう生きるかより大きい、悩みをたずさえて、やっていこう。
私は今、生きている。
まだ、死んでいない。
ならば、息をしよう。