団塊シニアのひとりごと

定年退職して14年目になりました、定年後の生活で
日々感じたことを伝えたいと思ってます。

人間は矛盾を抱えて生きている

2021年10月21日 | 生き方

どんな人間でも外に見せる自分ともう一人の自分を持っている、

自分だけしか知らない自分の素顔、学校、会社、上司、同僚、

部下、サークル仲間、同級生、家族、近所、それぞれ違った自

がいるはずである。

 

人間は誰でも心の中に闇を抱えている、ただ多くの人は闇を心

の奥底に隠して生きている、日々平穏に波風を立てないで過ご

には思ってることをそのまま伝えることがいいとは限らない

 

実際人間は矛盾にみちた存在、今日はイエスでも明日はノー、

本当はノーなのにイエスという、それはノーといって嫌われた

くないから、そうして生きていくのが人間、常に矛盾を抱えな

がら誰もが生きている。


不幸に襲われた時の心構え

2021年10月20日 | 生き方

地震もそうだが病気も大丈夫と思ったとき不意に背中を切りつけ

てくる、人生の不幸は思いもしない時に襲ってくるものだ、人間

は悲しみや辛さ、不幸に直面したとき自分の心をどうコントロー

ルするか心構えが必要な気がする、いざというとき精神的ダメー

ジを少なくする心を養っておくことは大切である。

 

私の場合は不幸や苦しみは自分一人に起こってるのではない、ど

んな痛い目にあっても、あの時の苦しさや辛さに比べればどうと

いうことはないと思うようにしている。

 

だからどんな苦しみや辛さもプラスに転化しようとする意欲があ

る限り必ず糧になるし乗り越えれると信じたいし、そういう心

で生きることこそ大切だと思っている。

 


駅の発車メロディーに思うこと

2021年10月19日 | 音楽

先日新聞の投稿記事に「盛岡駅今後も」というタイトルでJR盛

岡駅の新幹線発車メロデイ―として小田和正さんの「ダイジョ

ウブ」が2年前から流されてることが紹介されてた、盛岡は私

の故郷で実家に帰省したとき駅で流れてたので記憶に新しい、

この曲はNHKの朝ドラ「どんど晴れ」の主題歌でもあった。

 

また私が住んでる仙台市ではJR仙台駅の新幹線ホームでは発車

メロデイーとして地元のシンガーソングライターのさとう宗幸

さんの「青葉城恋歌」が流れ、街を離れる人を見送る曲として

長い間親しまれてる、演奏は地元の仙台フィルハーモニー管弦

楽団が手がけてる、仙台七夕祭りの会場では毎年「青葉城恋歌」

が流れてることでも知れ渡っており、街に寄り添う名曲である。

 

 

そして私が今から30年前転勤先の山形県酒田市の酒田駅での

発車メロディー60年代の名曲「夜明けのうた」酒田市出身の

岸洋子さんが歌ってヒットした曲である、羽越本線の特急「い

なほ」「日本海」が通過するときに流れたことでいまだにその

時の駅の風景を鮮明に記憶している、真冬のプラットホームで

列車を待ってる人がこの「夜明けのうた」を口ずさんでるのが

印象的で発車メロデイ―というとなぜか「夜明けのうた」を思

い出す。


大往生について考える

2021年10月18日 | 

人間は必ず死ぬ、死なないわけにはいかない、平均寿命より若い

場合は「まだ若いのに」平均寿命ぐらいの場合、まだ若いのに

は言わない、かといって「ちょうどいい死に頃ですね」も失礼な

気がする、「もう少し長く生きていただきかった」というのが無

難だし礼儀だろう。

 

例えば90歳以上で亡くなった場合、一般的には大往生という

だろう、しかし人工呼吸器をつけられて無理に長生きしてる

大往生だろうか?死を迎える時に、生まれてきてよかった、生き

てきてよかったと思いながら死ぬことができるだろうか?本来は

そう思って死ぬことこそ大往生なのだろう。

 

私は平均寿命まで生きなくても最期の瞬間まで、持病を抱えてい

たとしても要介護状態にならないで日常性を保って暮らしていけ

ること、それこそ大往生ではないかと思っている。

 


親の年金をあてにする子供たち

2021年10月17日 | 年金

子供が親を追い越して当たり前、結婚するまでは親が面倒を見る、

いずれ子供は親元を離れ、自立する、正社員になるのが当たり前

というのが私たち団塊の世代の常識であった。

 

しかし現実はどうだろうか?親の収入を上回ってる団塊ジュニア

は2割程度しかいないと言われてる、確かに非正規が4割を占め

る時代であればやむを得ないのかもしれない、それよりも働かな

いで親のお金で暮らす子供達、人間関係を作る努力をしなくても

何とか暮らすことができる、いわゆるひきこもりの人間が増えて

るという現実。

 

先日終末期医療に関するTVの報道番組で延命治療について医師の

ショッキングな実態についての発言があった、本人が延命治療を

希望しなくても子供が許さない、「なんとしても生きて欲しい」

それはあくまでも経済的な問題だという。

 

親の年金で一家が暮らしてて親が亡くなった場合配偶者がいれば

遺族年金が出るが、もしいなければ収入が途絶える、だから延命

治療をしないとクレームが出る、生きてる限り高額医療費を使え

ば実費は知れてる、残額は家族が生活費に使えるわけだ、なんと

もやりきれない話だけど、これが現実、だから親が亡くなっても

届けず年金を受給してるケースが後を絶たないのかもしれない。

 

 


ピンチを乗り越えていけると信じたい

2021年10月16日 | 生き方

人間の幸せなんてささやかなもの、過去の栄光とか成功した思い

出は、もちろん大切である、しかし長い人生において窮地に陥る

ことが何度か必ずやってくる。

 

なぜ悪条件ばかり重なるのだろうか、平穏に過ぎれば、それに越

したことはないけれど、そうは上手く運ばないのが人生、そんな

とき大切なのは辛さや悲しさを長く引きずらない、ただそれだけ

で人生の楽しみの時間が増えるような気がする。

 

 そして過去の楽しかったことを、よく記憶しておいて、いつもそ

の実感とともに生きるつもりだ、そうすることで、なんとかピン

チを乗り越えていけると私は信じたい。

 


昨日のブログそして今日のブログ

2021年10月15日 | ブログ

どんな人が自分のブログを読んでくれてるのだろうか?毎日読んで

くれる人、通りすがりの人、最後まで読んでくれなくても訪問して

くれることはありがたいものである。

 

昨日のブログそして今日のブログ、今のところ書きたいことがある

らいいものの、どこかで書くネタが枯渇するかもしれない、その

時は一休みすればいい、そして再開すればいい、私自身色んな人の

ブログを訪問することで多様な趣味や生活感に触れることができ、

その人のイメージが膨らみ全体像が浮かんでくるのは新鮮である。

 

ブログから見える人間模様、きっと誰かが見てくれる、そんな思い

を抱きながら、私自身自分と向き合いながら、昨日のブログそして

今日のブログと楽しみながら続けたいと思っている。

 


もしもあの時を考えるとき

2021年10月14日 | 生き方

人は常に選択を迫られる、そこで悩むときもある、悩んだあげく

決断する、決断というのは難しい、学校、職業、結婚、重大な決

断がどういう形になるのか正直見当がつかない、実際人生の未来

なんか誰にも見えない。

 

 

もしも違う学校を受験していたら、もしもあの時違う職業に就

ていたら、もしもあの時違う人と結婚していたら、もしもあの時、

時々そんなことを考えることがある。

 

 

ひとつひとつの決断、決心、それが人生を変えていくことは間違

いない、ただ選んだら選んだとうりにやるしかない、現実の我々

の人生は今ここにある、引き返すわけにはいかない、決断したら

ただ進むしかないのが人生かもしれない。

 


他人が持ってるから欲しくなる心理

2021年10月13日 | 生き方

「人間の欲望は他者の欲望である」といったのはフランスの精神分

析家、ラカンの言葉である、他人が持ってるからこそ欲しくなる、

あまりに遠くの人にはうらやましいと思わず、近い人に強い羨望

を抱く。

 

同じものを手に入れれば今より幸せになれるのではないかという

幻想から生まれる感情、しかし手にいれた途端、熱情から覚めて

しまうもの、しょせんは一時的な感情である。

 

例えばどうしてあの人にあって私にないのか、恵まれた境遇、何

不自由ない暮らし、こんな経験は誰にも経験があるはずである、

こんな不公平感とどう向き合うか、そんなときその人が自分から

かを取ったわけでもない、要はいい意味で諦めることが大切、

て今いる場所でやるべきことをできる限りやっていくしかな

い、そんな切替が大切だと私は思っている。

 


人生の宝さがしを求めて

2021年10月12日 | 生き方

高齢になっても世の中に大きな影響力を持つ人もいれば、市井で

静かに生きる人もいる、私などはどっちかというと後者である、

そのかわり退職してからはなんでもできる自由を得ていることは

間違いない。

 

一日一つでも愉快と思えることがればそれでよしと思う、なけれ

ば次の日に期待しよう、人間老いてきて必要なことは今日もやる

ことがあるということ、そういう意味では誰もが自分の考えで自

分なりの老後を生きているような気がする。

 

人間それぞれ違う、同じ景色を見て何も感じない人もいればそこ

に宝を発見する人もいる、生きていくうえで宝さがしは大切、今

まで気づかなかったものに感動するかもしれない、そのわくわく

感こそ宝そのもの、人生の宝さがし、あきらめずに求めて生きて

いこうと思っている。