不適切な表現に該当する恐れがある内容を一部非表示にしています

狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

恥さらしの沖縄2大紙、麻生氏発言を「ナチス礼賛」だって

2013-08-04 08:39:12 | ★パンドラの箱訴訟

 よろしかったら人気blogランキングへ クリックお願いします

 本日の話題

(1)オスプレイ狂騒曲・・・野嵩ゲートの老害活動家

(2)「パンドラ訴訟」

(3)ヒトラーの手口

 

■オスプレイ狂騒曲

今朝の沖縄タイムスは合計5面を使って「オスプレイ追加配備」で大発狂である。

60年安保闘争では国会周辺で安保粉砕を叫ぶ学生と警察官の衝突があった。

平成の安保闘争の主役は、学生たちではない。 

革命闘争の夢敗れた老害活動家たちが、普天間基地の野嵩ゲートで、「オスプレイ配備阻止」や「米軍基地撤去」を叫んで警察官に立ち向かっている。 革命の夢破れた老害活動家が革命ごっこのつもりか。

今朝の沖縄タイムスは、内外の識者を総動員して火に油を注ぐような扇動記事を書いているが、警察官のボタンを引きちぎって逮捕された暴徒もいたようだ。

ちなみに筆者は野嵩に住んでいるが、オスプレイの騒音など一度も聞いたことはない。むしろ街を騒がせているのは老外活動家たちの叫び声であり、近隣の大迷惑である。

芥川賞作家の目取真俊氏も野嵩ゲートに座り込みし、警官にゴボウ抜きされた模様。

⇒目取真氏のブログオスプレイ追加配備への抗議行動

沖縄では決して報道されることのない「賛成派」の集会

 ⇒「オスプレイ必要」賛成集会


 <米軍の垂直離着陸輸送機MV22オスプレイ第2陣が米海兵隊岩国基地(岩国市)に陸揚げされたのに合わせ、オスプレイの必要性を訴える集会が2日、岩国市山手町1丁目の市民会館前であった。>

■「パンドラ訴訟」

高裁敗訴を受けて琉球新報の対応はどうなるかとのコメントがあったが、この手の裁判は賠償金額の多寡に関わらず最高裁までなだれ込むものと相場が決まっている。

執筆作家と新聞社の原稿料の契約で行き違いがあり、原稿料の多寡を争う裁判なら、琉球新報としても高裁判決に必ずしも納得できなくとも請求額を支払って問題の決着を計る場合がある。

争点が金銭の多寡というある意味下世話の争いのため、むしろ納得できなくとも支払って上告断念した方が、敗訴した琉球新報の方が潔いとという印象を読者に与えるからだ。

事実そのようにこの裁判の本質を誤解している県民は多い。

昨晩は高校時代の同級生の月に一度の飲み会だったが、このニュースを沖縄2紙のベタ記事で知った友人1人は、この裁判のことを「金銭闘争」で勝訴したものと完全に誤解していた。

そこで今後の琉球新報の対応について検証してみると、こうなる。

(1)型どおり上告し最終的には2審判決が確定する。

(2)上告を断念し、請求額を支払うが報道はせず、この裁判そのものが県民の記憶から消えるのを待つ。 

(3)そしてこの裁判について聞かれたら「判決には満足できないが、大した金額ではないので早期決着を計った」などと、裁判の本質を金銭問題に矮小化する・

(4)上告し、高裁審議に差し戻し。 (最高裁判事が発狂でもしない限り、ありえない)

あくまでも相手のあることだから筆者の推測に過ぎないが、確信をもって上告を断念を予測する。

最高裁で琉球新報の「言論弾圧」確定すると、いくら地元メディアが団結し隠蔽工作を図っても一瞬にして全国ニュースになってしまうからだ。

これでは新聞社としての面子が潰れるだけに止まらず、場合によっては経営の屋台骨を揺るがす大問題に発展してしまう。

確信をもって断言する。

琉球新報は上告を断念する!

上告期限は8月12日である。

 

■ヒトラーの手口

突然ですが、現代文の大意把握の問題です。(中学生レベル)

問題

次の文を(読んで問いに答えよ。

護憲と叫んでいれば平和が来ると思っているのは大間違いだし、改憲できても『世の中すべて円満に』と、全然違う。改憲は単なる手段だ。目的は国家の安全と安寧と国土、我々の生命、財産の保全、国家の誇り。狂騒、狂乱のなかで決めてほしくない。落ち着いて、我々を取りまく環境は何なのか、この状況をよく見てください、という世論の上に憲法改正は成し遂げるべきだ。そうしないと間違ったものになりかねない。

 ヒトラーは民主主義によって、議会で多数を握って出てきた。いかにも軍事力で(政権を)とったように思われる。
全然違う。ヒトラーは選挙で選ばれた。ドイツ国民はヒトラーを選んだ。ワイマール憲法という当時欧州で最も進んだ憲法下にヒトラーが出てきた。常に、憲法はよくてもそういうことはありうる。

 今回の憲法の話も狂騒のなかでやってほしくない。靖国神社も静かに参拝すべきだ。お国のために命を投げ出してくれた人に敬意と感謝の念を払わない方がおかしい。いつからか騒ぎになった。騒がれたら中国も騒がざるをえない。韓国も騒ぎますよ。だから静かにやろうや、と。

憲法はある日気づいたら、ワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に変わっていたんですよ。だれも気づかないで変わった。あの手口に学んだらどうかね。わーわー騒がないで。本当にみんないい憲法と、みんな納得してあの憲法変わっているからね。ぼくは民主主義を否定するつもりはまったくありませんが、私どもは重ねていいますが、喧噪(けんそう)のなかで決めてほしくない。

               ★

問い1

この文の大意は次のうちのどれが正しいか。

(1)ナチの手法はすばらしいので学ぶべきだ。

(2)ナチの手口を反面教師として学ぶべきだ。

正解⇒(2)

信じられないことだが、ほとんどの新聞記者は(1)を正解にした。 まさか本当に誤読するほど記者の読解力がないとは思わない。 

どうせ読者は記者のミスリードでどうにでもできるという傲慢な気持ちが確信犯的に誤読したのだ。

中学生レベルの読解力があれば、麻生氏はナチスを礼賛しているわけではなく否定しており、喧騒の中で議論しても無意味で、国民にとって重要な憲法改正は冷静に熟慮を重ねて行わなければ、例え良い憲法であっても一歩間違えればヒトラーの台頭でナチス誕生した危険性を警告している・・・と理解できるはず。

「手口を学んだら」という言葉を取り上げ鬼に首を取ったように「ヒトラー礼賛」と攻撃するが、そもそも「手口」とは犯罪など悪い行動を説明する場合の否定的表現であり「手口」を礼賛と理解するのであれば、記者の国語力は中学生以下ということになる。

問いの文で「反面教師として」の文言を挿入したが、麻生氏は講演の全体の流れから「反面教師として」は聴衆全体の共通の理解として省略したのだろう。 当日の講演会の様子を産経抄がこう伝えている。

< ▼討論者の一人として参加した麻生氏は「(憲法改正は)喧噪(けんそう)の中で決めないでほしい」と改正積極派が多い聴衆に向かって何度も繰り返している。「ナチス発言」も彼特有の皮肉な口調で語られ、場内に笑いも起きたという。ある傍聴者は、「ナチスをたたえているようにはとても聞こえなかった」と話す。

 ▼朝日新聞などが、シンポジウム翌日に一行も報じていないのが何よりの証拠である。(8月3日)>

 歪曲した読解力で全国にその名を馳せる琉球新報と沖縄タイムスの沖縄2大紙が、揃って社説で「歪曲読解力」を披瀝し、ここぞとばかりに麻生バッシングの社説で大発狂しているは爆笑ものである。

沖縄タイムス
社説[麻生氏発言]国際常識がなさ過ぎる
2013年8月2日 09時10分

 <こんな非常識な発言をする政治家が、政権中枢を担っているのか。そんな思いでニュースに接した人も少なくないのではないか。

 麻生太郎副総理兼財務相が7月29日の都内での講演で、日本の憲法改正をめぐり、こう言及したという。「ドイツのワイマール憲法はいつの間にか変わっていた。誰も気がつかない間に変わった。あの手口を学んだらどうか」。戦前ドイツのナチス政権時代のやり方を見習え、との趣旨の発言としか捉えられない。

 琉球新報社説
麻生氏「ナチス」発言 看過できない重大問題だ2013年8月1日

 <麻生太郎副総理兼財務相が講演で、憲法改正をめぐり戦前ドイツのナチス政権時代に言及する中で「ドイツのワイマール憲法はいつの間にか変わっていた。誰も気がつかない間に変わった。あの手口を学んだらどうか」と述べた。
  当時、世界で最も民主的で先進的といわれたワイマール憲法を現在の日本国憲法になぞらえて、改憲の必要性を説く中で出た言葉である。
  麻生発言の向こう側に、ワイマール憲法破壊後に戦争に突き進んだナチス政権と、憲法を改正して国防軍創設などを目指す自民党、安倍政権の姿勢が重なって見えると言ったら言い過ぎだろうか。

誤読で火付け役になった共同通信も恥ずかしいが、ろくに検証もせず付和雷同した琉球新報、沖縄タイムスはもっと恥ずかしい。

沖縄の言論界を牛耳る2大紙がこの体たらくでは、県民として恥ずかしい限りだが、弁護士を自称するこのお方もこの程度の読解力である。

あぁ、恥ずかしい。

照屋寛徳ブログ⇒麻生副総理の「ナチス」発言を糾す

 麻生副総理の「ナチス発言」については、即座に中国、韓国、ドイツから強い批判が上がった。国内でも同様である。
 麻生副総理は、昨日になって発言を撤回したが、形式的である。撤回して許される発言ではない。

 麻生副総理には、大臣として、いや政治家として資格はない。即刻辞任すべきだ。

同じ弁護士でも「布令弁護士」と本物の弁護士では読解力の差は歴然。

橋下氏、麻生氏発言を擁護「ちょっと行き過ぎたブラックジョーク」

読解力のない布令弁護士の照屋氏は「ナチスの手口」を「ナチス礼賛」と理解したが、読解力のある橋下氏は麻生氏の「ナチスの手口」発言を、【反面教師】と捉えている

念のため反面教師の意味をネット辞書で調べてみるとこう説明されている。

<悪い面の見本で、それを見るとそうなってはいけないと教えられる人や事例のこと。それを見ることで、反省の材料となるような人や事例。その言行が、そうしてはいけないという反対の面から、人を教育するのに役立つのでいう。>

最後にこの問題の火付け役となった共同通信の先輩記者である青山繁晴さんの怒りの声を是非傾聴して下さい。

【必見動画】⇒麻生ナチス発言、共同・朝日新聞のデタラメ報道に激怒!青山繁晴

 

【おまけ】

オスプレイ:公務妨害疑い男性逮捕

沖縄タイムス 2013年8月4日

 県警は3日、オスプレイ追加配備に対する抗議行動をしていた50代の男性が、警察官の胸ぐらをつかみ制服のボタンを引きちぎるなどしたとして公務執行妨害容疑で現行犯逮捕した。弁護士によると男性は「不当な逮捕だ」などと話している。市民運動への弾圧として大規模弁護団の結...

» 続きを読

沖縄紙が決して報道しない写真です。

警察官のシャツを引きちぎる暴徒。

手登根 安則さんの写真

【動画オスプレイ追加配備で・・・普天間基地前では抗議行動(13/08/03)

 

【緊急放送】ニコ生放送「沖縄の真実」ゲスト:狼魔人日記管理者・江崎孝 パンドラの箱、福岡高裁。勝利

 

人気blogランキングへ クリックお願いします

 

『沖縄に内なる民主主義はあるか』定価:1735円(税・送料込み)

季刊誌「かみつく」創刊号紹介HP
価格 1420円(税・送料込み)

「かみつくⅡ」定価:1735円(税・送料込み)

ネットから御注文を受け付けています。
ezaki0222@ybb.ne.jp
※↑↑こちらまで住所氏名と電話番号を御連絡いただければ、受注当日か翌日までに発送いたします
<送金方法等詳細はここ>

「かみつくⅡ 」の目次
「かみつく」の内容紹介
「沖縄に内なる民主主義はあるか」の内容紹

 

コメント (15)

「パンドラ訴訟」判決文の全文公開とオスプレイ狂騒曲

2013-08-03 06:43:37 | ★パンドラの箱訴訟

 よろしかったら人気blogランキングへ クリックお願いします

 

■本日の話題

(1)オスプレイ狂騒曲

(2)「パンドラ訴訟」高裁判決文の公開

 

昨夜、ニコ生テレビに出演し、地元沖縄でさえほとんど知られていない「パンドラ訴訟」の高裁勝訴と、高裁判決の持つ意義について解説した。

世界日報を除く各メディアが団結し、メディアの横暴に鉄槌を加えたこの画期的判決を「報道しない自由」に徹している。

沖縄県民でさえこの裁判を知るものが少ないのは残念である。

放送の終了間際に、オスプレイ配備についてメディアが伝えない「不都合な真実」を話した。

今朝の沖縄タイムスでも、一面、社会面、社説などを総動員し、「オスプレイの追加配備」を大々的に非難している。

読者は「米国でさえも飛行禁止の欠陥機オスプレイを前回に続いて追加配備する」という新聞の印象操作に騙される。

久々の発狂報道は、怒り狂うプロ市民の姿を派手に報道している。

これではプロ市民でなくとも怒りの連鎖を起しそうになるが、実際は「欠陥機をむやみに追加配備」しているわけではない。

周知のとおり、オスプレイの沖縄配備は旧型機CH46の機種更新に過ぎない。

従来普天間基地には2つのヘリ部隊が存在し、それぞれ12機で構成するので、合計24機のヘリが配備されていた。

したがって前回の12機配備に続く今回配備予定の12機は、あくまでもCH46型24機の補充に過ぎない。

では新聞は何故「追加」ではなく「補充」と正しい報道をしないか。

実は目立たぬアリバイ報道はやっている。

今朝の沖縄タイムスは、「追加配備反対」の派手な見出しに」隠れるようなベタ記事で報道している。

「部隊の補充」 防衛省

記事は小野寺防衛大臣の「米側として部隊の補充ということで、淡々と行われていると思う」という談話を紹介しているが、ほとんどの県民は(県議でさえも)補充ではなく新たな追加配備と誤解している。

読者は沖縄2紙の術中に見事に嵌まってしまっている。

その証拠に、こんな見出しも。

追加配備に抗議

県議会が検討へ

               ☆

オスプレイに関してはこんな面白い記事も ・・・。

【悲報】「オスプレイよりも、マスコミが迷惑」 報道ヘリがうるさいと苦情殺到

1 : チキンウィングフェースロック(北海道):2013/08/01(木) 13:40:17.95 ID:lvXdWrBl0

士 ?@aoumigamekun
【岩国】苦情の9割が報道ヘリ騒音 住民から「朝から報道のヘリがうるさい」という苦情が寄せられ、「オスプレイ陸揚げはどうでもいいから報道ヘリをなんとかしてほしい」「ヘリコプターの騒音が仕事に支障を来している」との内容もあった。

001_BQivD5FCEAEe573

https://twitter.com/aoumigamekun/status/362732251361996800

 

4 : リバースネックブリーカー(山口県):2013/08/01(木) 13:42:41.81 ID:kMUV7mIG0
オスプレイが墜落事故起こしたことあるから反対運動か起こってるんだろ
マスコミのヘリが墜落したわけじゃないんだからガマンしろよ
本当に日本は恥ずかしい国になった




7 : アキレス腱固め(東京都):2013/08/01(木) 13:44:57.41 ID:J+/S6xX/0
>>4
マスコミのヘリだって何回も墜落事故起こしてるぞ




8 : オリンピック予選スラム(埼玉県):2013/08/01(木) 13:46:35.71 ID:QqJOfvVV0
>>4 (´・ω・`)



9 : 男色ドライバー(鹿児島県):2013/08/01(木) 13:46:44.38 ID:jmfgxlhQ0
>>4
この間もマスコミの人間が墜落して死んでたじゃねーか




28 : クロスヒールホールド(茸):2013/08/01(木) 13:56:10.88 ID:aL9RUXhj0
>>4
流石山口




31 : ファイヤーボールスプラッシュ(千葉県):2013/08/01(木) 13:58:28.35 ID:5+lukx/F0
>>4
オスプレイの墜落事故?
通常のヘリよりはるかに安全ですがwww




5 : ストレッチプラム(チベット自治区):2013/08/01(木) 13:42:51.60 ID:HhLZ89so0
ゴミだなぁw
過去には被災地でもヘリの音で救助の邪魔したよね




14 : ジャンピングDDT(関東・甲信越):2013/08/01(木) 13:48:51.44 ID:ibnBegh70
マスゴミのヘリをオスプレイにしたら解決だな



18 : バズソーキック(関西・東海):2013/08/01(木) 13:49:54.47 ID:ZQyzjPxeO
狭い空域で取材している、
マスゴミのヘリ墜落の危険性は?




20 : アイアンフィンガーフロムヘル(家):2013/08/01(木) 13:51:18.92 ID:FbecTPr20
日本のマスコミが日本人にとってどういう存在か、象徴的な事象だなこれ



27 : リキラリアット(東日本):2013/08/01(木) 13:55:33.73 ID:2rJn6ivi0
真実を伝えるためだ
愚民どもは少し我慢しろ




30 : ファイヤーボールスプラッシュ(千葉県):2013/08/01(木) 13:57:21.79 ID:5+lukx/F0
大変ごもっともな意見でwww



32 : アキレス腱固め(関東・甲信越):2013/08/01(木) 13:59:50.58 ID:Sgt/rne8O
マスコミのヘリは正義感で動いてます



34 : サソリ固め(九州地方):2013/08/01(木) 14:07:42.14 ID:h8gR82VQO
マスゴミはこの報道はしません



87 : 16文キック(関東・甲信越):2013/08/01(木) 20:33:03.84 ID:T8ehZ2ccO
>>34
これ。




40 : ウエスタンラリアット(やわらか銀行):2013/08/01(木) 14:52:57.67 ID:q4Crv/YH0
クソワロタwww
マスコミ自滅してるやないか
少し考えればわかることだろ




42 : ジャンピングエルボーアタック(関東地方):2013/08/01(木) 14:56:18.25 ID:t89syWDzO
マスゴミwww



44 : シャイニングウィザード(愛媛県):2013/08/01(木) 14:58:26.66 ID:kURm1BebP
騒音に加えて報道ヘリのほうが墜落率高いからなw



47 : ジャンピングパワーボム(愛知県):2013/08/01(木) 15:01:37.26 ID:KjdqCihq0
国民の知る権利のためやから(震え声)



49 : アンクルホールド(チベット自治区):2013/08/01(木) 15:03:05.63 ID:K3N7WfKM0
つか、上空からの撮影は必要なのかという。



52 : スターダストプレス(関東・甲信越):2013/08/01(木) 15:08:26.39 ID:vmY1YoOqO
>>49
本当は軍用機のカッコイいカットを撮りたい




54 : 垂直落下式DDT(西日本):2013/08/01(木) 15:14:46.10 ID:0m5s/i04P
>>49
上空からでないと駐機エリアは撮影できないからねぇ。
民航再開したけどターミナルからは軍エリアは見えないようにしてあるし。




59 : ヒップアタック(東京都):2013/08/01(木) 15:32:32.38 ID:a1+0C8wE0
国民の知る権利の為に取材するけど
報道しない自由があるので報道しません^^




60 : 河津落とし(三重県):2013/08/01(木) 15:40:15.75 ID:gtun/qfW0
オスプレイをどうでもよくさせるほど邪魔なのかw



104 : パロスペシャル(庭):2013/08/02(金) 09:23:19.35 ID:QCLMARt40
>>1
これはどこの新聞?

                  

各メディアはメディアの横暴への鉄槌を意味する「パンドラ訴訟」の高裁判決判を隠蔽しようと必死である。

多少とも脛に傷のある同業者としては、明日はわが身に火の粉が降りかかることを恐れてのことだろう。

判決文の全文を公開します。

通常はわかりにくい判決文だが、今回の高裁判決は一目瞭然で、特に昨日公開した控訴理由書と併せて読めば、この裁判の全貌が誰でもわかる。

ひと言でいえ、被告琉球新報の主張はことごとく退けられた、ということである。

 

 

人気blogランキングへ クリックお願いします

 

『沖縄に内なる民主主義はあるか』定価:1735円(税・送料込み)

季刊誌「かみつく」創刊号紹介HP
価格 1420円(税・送料込み)

「かみつくⅡ」定価:1735円(税・送料込み)

ネットから御注文を受け付けています。
ezaki0222@ybb.ne.jp
※↑↑こちらまで住所氏名と電話番号を御連絡いただければ、受注当日か翌日までに発送いたします
<送金方法等詳細はここ>

「かみつくⅡ 」の目次
「かみつく」の内容紹介
「沖縄に内なる民主主義はあるか」の内容紹

 

コメント (5)

「控訴理由書」を全文公開、「パンドラ訴訟」

2013-08-02 07:04:04 | ★パンドラの箱訴訟

   よろしかったら人気blogランキングへ クリックお願いします

 

何度でも繰り返すが「パンドラ訴訟」の高裁判決は、次の点で画期的である。

(1)梅澤、赤松両隊長の名誉回復を果たした、

(2)新聞による言論支配(封殺)に風穴を明けた

こここまでは理解できるが、それでも裁判の詳細が今ひとつ飲み込めない、という読者が多い。

 「事件」の概略はこうだ。

2007年、ドキュメンタリー作家上原正稔氏が執筆する琉球新報に長期連載中の沖縄戦記「パンドラの箱が開く時」が、慶良間編、最終回と二度にわたり(計5回分の原稿が)琉球新報により掲載拒否された。

同連載は、核心部分の慶良間編と最終回が欠落したまま終了した。

これを不服とする上原氏が2011年、琉球新報を相手取って「言論封殺」の訴訟をした。

 

第一審で、琉球新報は、慶良間編の掲載拒否の理由は「二重掲載だから」、最終回は「新味のない焼き直しだから」と合理性のない主張をした。

181回にもわたる長期連載の中で琉球新報が掲載拒否をした「慶良間編」と「最終回」の2箇所は、いずれも「集団自決は軍命ではなかった」と明確に記述された部分に限られている。

つまり掲載拒否された原稿はいずれも、上原氏が訴えたかったいわばこの連載の最重要部分だ。

琉球新報の意図が、「集団自決は軍命ではなかった」という沖縄戦の真実を、読者の目から隠蔽することにあったことは、誰の眼にも明らかだった。

(1)「2重掲載」の破綻

琉球新報は後付理由で上原氏の過去の著述に、慶良間に上陸した米兵・シアレス伍長の手紙が引用されていることを指して「2重掲載」と主張した。

だが、これは手紙という一次資料の引用であり、ドキュメンタリー作家が同じ資料の引用を禁止されることは、弁護士が同じ法令の条文を引用禁止されるに等しいほど理不尽な主張である。

そもそも琉球新報は、上原氏が翻訳した英文のシアレス伍長の手紙を「上原氏自身の文章」と勘違いしていた。

自分たちの勘違いに気付かず「2重掲載」と主張したが、原告側弁護士に「資料の引用」と指摘され、被告側証人が絶句するというお粗末な場面もあった。 

追い詰められた琉球新報は「引用文が長すぎる」などと本来の主張(2重掲載)とは異なる発言をする混乱振りであった。 

結局「2重掲載」という理由は、徳永弁護士の鋭い証人尋問で木っ端微塵に粉砕されてしまった。

だが、第一審では途中で裁判長が交代するという不運もあって、新たに担当した井上直哉裁判長は、琉球新報側の瑕疵だらけの主張を全面的に認め、上原氏に敗訴の判決を下した。

当然上原氏は控訴した。

上原氏や応援団は、控訴審の裁判長が特に優秀でなくとも、普通の判断力さえあれば、一審の審議記録だけで充分勝訴できると判断した。

だが、念には念を入れ、二審では「新味のない焼き直し」だとして削除された最終回に反撃の焦点を当て、必勝の作戦を立てた。

(2)「新味のない焼き直し」の破綻

作品の評価は読む人により異なる。

「新味のない焼き直し」とは琉球新報側の恣意的判断である。

外部作家の作品を一編集者の勝手な価値判断で、全文削除することは前代未聞である。

しかも最重要部分の「最終回」の全文を、である。

これを以って最終回の掲載拒否の理由としては不可と判断した琉球新報は、後付で、「(最終回の原稿は)「沖縄ショウダウン」(上原正稔著)の紹介であり「担当者が連載執筆契約の内容が初出の資料を用いた新連載である」と主張した。

にもかかわらず上原氏が同様の原稿を書いてきたため、書き直すように依頼したが、拒否されたため掲載を拒否したと主張した。 

「新出の資料による執筆契約」など存在せず、担当者の前泊記者がついた真っ赤な嘘であった。

その根拠と主張した「前泊メモ」なるものは。日付その他に整合性を欠き、普通の判断力さえあれば、これが後で作成したデタラメなメモであることは一目瞭然だが、一審の井上裁判長はこれを鵜呑みにし琉球新報を勝訴にした。 だが、第二審では「前泊メモ」はは全面的に否定された。

百歩譲って第二審の今泉裁判長が、最終回(181回)を読んで、琉球新報と同じく「新味のない焼き直し」と判断したとしよう。

しかし、今泉裁判長が常識人である限り、それはあくまで個人の恣意的判断であり、新聞社が掲載中の長期連載記事の最終回を全面削除する理由にはならない、と判断するだろう。

今泉裁判長は、原告側の徳永弁護士が渾身の気迫で書き上げた「控訴理由書」を冷静に検証し、一審判決をすべて否定し、原告の全面勝訴の判決を下した。

今泉裁判長は常識のみならず、優れた資質の裁判官であると「判決文」の明快な論点の指摘を読んで、いまさらながら理解した。

徳永弁護士が書いた「控訴理由書」を読めばこの裁判の問題点が自ずと浮き上がってくる。

長い文章ではあるが読者の理解の一助として、「控訴理由書」を全文公開する。

 

 

 

 

 

人気blogランキングへ クリックお願いします

 

『沖縄に内なる民主主義はあるか』定価:1735円(税・送料込み)

季刊誌「かみつく」創刊号紹介HP
価格 1420円(税・送料込み)

「かみつくⅡ」定価:1735円(税・送料込み)

ネットから御注文を受け付けています。
ezaki0222@ybb.ne.jp
※↑↑こちらまで住所氏名と電話番号を御連絡いただければ、受注当日か翌日までに発送いたします
<送金方法等詳細はここ>

「かみつくⅡ 」の目次
「かみつく」の内容紹介
「沖縄に内なる民主主義はあるか」の内容紹

コメント

高裁判決、集団自決「軍命説」の誤り立証-原告の上原氏

2013-08-01 07:16:46 | ★パンドラの箱訴訟

  よろしかったら人気blogランキングへ クリックお願いします

世界日報 2013年7月30日

連載契約違反を認定、

琉球新報に賠償命令-福岡高裁那覇支部

 
連載が掲載拒否されたとしてドキュメンタリー作家上原正稔氏(70)が琉球新報社に約1000万円の損害賠償を求めた訴訟の控訴審判決で、福岡高裁那覇支部は29日、原告の請求を棄却した一審判決(那覇地裁)を覆し、琉球新報社の契約違反を認め、105万4000円の支払いを命じた。
 上原氏は2007年5月から琉球新報の夕刊で沖縄戦に関する連載「パンドラの箱を開ける時」を執筆。慶良間諸島の集団自決の真相に迫る部分について琉球新報は「従前の原稿の焼き直し」として書き直しを求めたが、上原さんは拒否し、08年8月、連載を打ち切った。

 今泉秀和裁判長は判決文で「初出の資料のみに基づいて連載するとまでは記載されておらず、合理的な理由もなく掲載を一方的に拒否したと認めるほかない」とした。

               ☆

■逆転勝訴の解説(2)

29日の高裁判決は、これまで沖縄の言論空間を支配してきた新聞社の言論封殺に対し、司法がノーを突きつけた。

この全国的にも新聞史上画期的な判決であるにもかかわらず、沖縄2紙はベタ記事でこの判決の矮小化に必死である。

産経新聞でさえ沖縄メディアの閉鎖的村社会に同調し、この画期的判決の矮小化に協力した。

産経は、那覇支局の事務所を琉球新報社屋に間借りしている気兼ねからか、この重大ニュースを黙殺している有様だ。

したがって沖縄の言論界を揺るがす重大判決を、ほとんどの県民が知らない。

これも沖縄メディアの一種の情報操作であり、今のところ彼らの思惑通りに動いているのは残念である。

沖縄に支局を有する全国紙の中で世界日報のみが「パンドラ訴訟」に関わる沖縄戦の真相解明に力を入れてきたことは原告上原さんも賞賛するとおりである。

高裁判決前の連載特集「貶められた日本兵」シリーズも、同紙の沖縄戦に対する熱心な報道姿勢の現れである。

今回の高裁判決の報道も7月31日の「沖縄のページ」で大きなスペースを割いて、この判決の持つ意義について詳細に報道している。

「パンドラ・・訴訟」の意味がよく理解できない方に対しては、記事そのものが絶好の解説書になるので下記に全文紹介する。

           ☆

世界日報 2013年7月31日

「パンドラの箱訴訟」控訴審 被告・琉球新報社が敗訴

「言論空間のゆがみ」に歯止めか

集団自決「軍命説」の誤り立証-原告の上原氏

 那覇市在住のドキュメンタリー作家の上原正稔氏が、琉球新報の夕刊に連載していた「パンドラの箱を開ける時」(「パンドラの箱」)の掲載を一方的に拒否され、琉球新報社に対して損害賠償などを求めた裁判で福岡高裁那覇支部は29日、一審の判決を変更し、原告の主張を認める判決を下した。一人の作家が沖縄の新聞社を相手取り勝訴したのは初めてのケース。これにより沖縄戦をめぐる地元マスコミの「言論空間のゆがみ」に歯止めが掛けられるのでないかとの期待が高まっている。

(那覇支局・竹林春夫、豊田 剛)

 「1 原判決を次の通り変更する。 被控訴人(琉球新報社)は、控訴人に対し、105万4千円およびこれに対する平成23年2月5日から支払済まで年5分の割合による金員を支払え」

 29日午後1時10分、那覇市にある福岡高裁那覇支部の今泉秀和裁判長が判決文を読み上げると、詰めかけた控訴人側の支援者約20人はお互いに顔を見合わせ、ガッツポーズをとった。控訴審で被控訴人の琉球新報社が敗訴を喫した歴史的な瞬間だった。

 判決文では、「合理的な理由もなく控訴人の執筆した慶良間編の掲載を一方的に拒否したと認めるほかなく、このことは被控訴人の『パンドラの箱を開ける時』に係る連載執筆契約の義務に違反し、債務不履行に該当するものと言わざるを得ない」と断じた。

 また、最終回が「新味のない焼き直し的な」ものとして掲載拒否されたことについては、「苦し紛れの弁解に過ぎない」と指摘。控訴審は、琉球新報社の掲載拒否に対する上原氏の訴えを全面的に認め、琉球新報社に対し、掲載拒否した6回分の原稿料5万4千円と100万円の慰謝料の計105万4千円の支払いを命じた。

 「パンドラの箱」は2007年5月25日から琉球新報夕刊で始まった。連載が開始する2カ月前には、文科省が高校歴史教科書の検定意見で、沖縄戦で行われた集団自決事件に関し「軍の命令」という記述の削除を求めたことについて、琉球新報など沖縄のメディアが強く反発、「軍命説」を強調する論調を展開していた。

 掲載を拒否された原稿の副題は「慶良間で何が起きたのか」で、慶良間諸島の当時隊長だった梅澤裕氏が集団自決の命令を出していないことを証明する内容だった。このため、原告側は「言論封殺」だと指摘して、平成23年1月に「パンドラの箱」連載拒否訴訟を起こしていた。

 昨年の11月20日、那覇地裁の井上直哉裁判長は原告敗訴を言い渡した。判決文では、「原稿が従前書いた物の二重掲載の部分があると考えることはやむを得ないもの」として掲載拒否の琉球新報社側の正当性を認め、被告の主張を全面的に受け入れた内容だった。

 ところが、控訴審では一審判決が完全に覆された。

 控訴人代理弁護士の徳永信一氏は、「正当な主張が正当に認められただけ。しかし、完全アウェーの環境の沖縄で勝てたことに値打ちがある」と勝利宣言。「連載ドキュメンタリーを新聞社が恣意(しい)的に掲載しないことを認めない意味でも画期的な判決」と評価。琉球新報社が「編集権」の問題とすることを最後まで避けたことが琉球新報にとって逆に不利に働いたとの見方を示した

 沖縄メディアの報道姿勢について徳永氏は、「いまだに沖縄の人々は軍が(自決)命令を出したと思っているが、メディアの報道姿勢に問題がある。県民が『本当の意見は新聞に書いてあることと違うのではないか』と気付くようになれば意義がある」と語った。また「上原さんと同じような目に遭った人は沖縄にたくさんいるのではないか」とも

 被控訴側の琉球新報社が最高裁に上告するかどうか今のところ未定。

 29日午後、県庁の記者クラブで開かれた記者会見で上原氏は、「歴史の扉が開かれた。一人の作家が集団自決の真実を伝えようとするのを琉球新報が潰そうとし、一人の作家が勝訴した。これは沖縄の新聞史上かつてなかったことだ」と判決の意義を訴えた。

 上原氏は続けて語った。

 「琉球新報、沖縄タイムスをはじめとする互いにかばい合うメディアと作家、学者、文化人などと自称する人たちが『軍の命令によって集団自決が始まった』と主張するのは大変な間違いで、これこそが犯罪であることを裁判が立証した。慶良間諸島で集団自決を命じ悪徳軍人とされてきた梅澤裕さんと赤松嘉次さん(故人)の汚名を晴らすために『真実』を唯一の武器として戦ってきた

 判決後、上原氏は梅澤裕氏と赤松氏の弟秀一氏に電話で報告した。上原氏によると、梅澤氏は、「(名誉回復は)もう諦めかけていた。涙が出るほどうれしい」と話したという。

 梅澤氏と赤松秀一氏が作家の大江健三郎氏と岩波書店を相手取った名誉毀損(きそん)などの「集団自決冤罪(えんざい)訴訟」で平成23年4月の最高裁で確定した高裁判決は、原告の訴えを退け、大江氏と岩波書店を免責した。だが同判決も、肝心の「二人の隊長が集団自決を直接住民に命令したか否か」について「真実性の証明があるとはいえない」としていた。

 この結果、大江健三郎氏の『沖縄ノート』にある記述――「罪の巨塊」「ペテン」「戦争犯罪者」「者」「アイヒマン」などといった憎悪的表現――によって汚辱されてきた梅澤、赤松両隊長の名誉は部分的に回復されていたが、敗訴という事実は
重く残った。それだけに今回の控訴審の勝訴は大きな意義がある。

 「これで2人の汚名を晴らすことができた」と勝訴をかみしめた上原氏。「もう琉球新報と沖縄タイムスには書かない」と言い捨てた。

              ☆

>琉球新報、沖縄タイムスをはじめとする互いにかばい合うメディアと作家、学者、文化人などと自称する人たちが『軍の命令によって集団自決が始まった』と主張するのは大変な間違いで、これこそが犯罪であることを裁判が立証した。

高裁判決は「集団自決に軍命はなかった」と鋭く指摘した上原氏の原稿を掲載拒否した琉球新報に対し、合理的理由はない、と断じたものである。

これまで琉球新報と徒党を組んで「集団自決は隊長命令によるもの」と主張してきた沖縄タイムスや学者、文化人たちも同罪ということができる。

だが不都合な場合は沈黙で応えるのが常套手段の彼ら反日サヨク複合体は、「人の噂も75日」を信じて、暫くは黙殺戦術を続けるだろう。

>慶良間諸島で集団自決を命じ悪徳軍人とされてきた梅澤裕さんと赤松嘉次さん(故人)の汚名を晴らすために『真実』を唯一の武器として戦ってきた

 これで梅澤さんと赤松さんの汚名は晴らされ、両隊長の名誉は完全に回復することが出来たのである。

 

 

 

■各紙の報道

 

 

 

■世界日報

 

 

 

 

 
【おまけ】

八重山日報 2013年7月30日

自衛隊配備で一騎打ち 告示まで1週間 外間、崎原氏 「天王山」に突入へ 与那国町長選

 任期満了に伴う与那国町長選は6日の告示まで1週間に迫った。3期目を目指す現職の外間守吉氏(63)=自民公認=と新人で与那国改革会議議長の崎原正吉氏(65)の一騎打ちがほぼ確定。国が進める与那国島への陸上自衛隊沿岸監視部隊配備の是非が最大の争点になる。自衛隊配備に向け、国と町は6月、町有地の賃貸仮契約を締結。今後、2015年度の配備完了に向けた作業が本格化するかどうかは町長選の結果しだいと見られており、配備推進派と反対派による「天王山」になる。投開票は11日。

 外間氏は自衛隊配備をめぐる「迷惑料」発言で一時、出馬が危ぶまれたが、発言を撤回し、町有地の賃貸仮契約を締結したことで、配備計画を再び軌道に乗せた。外間氏に反発していた八重山防衛協会の支持も取りつけ、自民党公認を得てオール保守の体制を構築した。

 ▼全文は「新聞オンライン.com」で
http://www.shimbun-online.com/latest/yaeyamanippo.html

              ☆

自衛隊の与那国配備に関しても、これに反対する沖縄メディアの策略報道のため、危うく保守委勢力が分断される危機に瀕した。

今回は辛うじて保守候補の統一を見ることが出来たので、順調に行けば外間候補が当選するだろう。

与那国では直近の参院選で、自民党公認候補の安里氏が490票獲得したのに対し、当選した糸数候補は僅か149票の得票数で、保守系候補の圧勝であった。

まさか新聞に媚びる自民党県連がここでもしゃしゃり出てきて「自衛隊配備反対!」などとトチ狂わないといいのだが・・・。

ちなみに八重山教科書問題で有名を馳せた慶田盛竹富町教育長が君臨する竹富町の参院選比例区の支持政党は自公が圧勝している。

実際は竹富町も保守の島だった。

新聞報道と実際がこれほど違う例は沖縄では特に珍しいことではない。

沖縄2紙は一切読まないのが得策。

やむ得ず読む場合は、

眉に唾して読むべきである。

人気blogランキングへ クリックお願いします

 

『沖縄に内なる民主主義はあるか』定価:1735円(税・送料込み)

季刊誌「かみつく」創刊号紹介HP
価格 1420円(税・送料込み)

「かみつくⅡ」定価:1735円(税・送料込み)

ネットから御注文を受け付けています。
ezaki0222@ybb.ne.jp
※↑↑こちらまで住所氏名と電話番号を御連絡いただければ、受注当日か翌日までに発送いたします
<送金方法等詳細はここ>

「かみつくⅡ 」の目次
「かみつく」の内容紹介
「沖縄に内なる民主主義はあるか」の内容紹

コメント (6)

祝!逆転勝訴!「パンドラ訴訟」で琉球新報に鉄槌!

2013-07-30 08:02:37 | ★パンドラの箱訴訟

よろしかったら人気blogランキングへ クリックお願いします

7月29日午後1時10分。

三人の高裁裁判官が着席した。

詰め掛けた傍聴人の耳目が、今泉裁判長の口元に集中した。

瞬時の緊張と静寂が法廷を支配した。

裁判長判決文を読み上げた。

「原判決を次のとおり変更する」

その瞬間、傍聴席の中からガッツポーズ見られた。

裁判長の判決文朗読は続いた。

「被控訴人(被告・琉球新報)は、控訴人(原告・上原正稔)に対し、105万4000円及びこれ対する平成23年2月5日から支払い済みまで年5分の割合による金員を支払え」

無言のガッツポーズが、「ヤッタ!」の歓声に変わった。

徒手空拳で琉球新報の言論封殺に立ち向かった上原正稔さんの逆転勝訴である。

ということは琉球新報の全面敗訴である。

 支援者の皆様に深く御礼申しあげます。

皆様の温かいご支援の賜物と上原正稔に代わって感謝申し上げます。

 

■逆転勝訴の画期的意義

沖縄の言論空間は異論を許さぬ「全体主義」であるといわれて久しい。

琉球新報、沖縄タイムスという2大紙を頂点に、学会、教育界から出版界にいたるまで網の目のように張られた思想統制に逆らうものは村八分の仕打ちを受けるのが常だった。

沖縄2大紙の影響力を恐れるのは、言論界のみならず政界も同じだ。

先日の参院選でも自民県連は、新聞の論調に平伏した。

政府の「辺野古移設」に逆らって「県外移設」と主張し支援者の反発を買ったのが記憶に新しい。

傲慢不遜な琉球新報は、上原正稔という人物を軽く見るという大愚を犯した。

絶対権力者の気に入らない記事は他の識者同様に唯々諾々と平伏すと考えた。

希代の奇人上原正稔氏は琉球新報の書き換え要求を頑としてはねつけた。

渇しても盗泉の水は呑まず、という上原氏の信念からだ。

上原さんは琉球新報との戦いを法廷に持ち込み、勝訴した。

巨大組織の琉球新報の驕れる脳天に鉄槌を下したのだ。

では、沖縄の言論界を支配する琉球新報の全面敗訴を今朝の沖縄タイムスはどのように報じたか。

社会面トップを飾る「市民ら野嵩ゲートで抗議」、「『普天間』の金網怒りの灯火煌々」の派手な記事の下に隠れるようなベタ記事が・・・。


連載契約違反を一部認定 琉球新報に賠償命令

 沖縄タイムス 2013年7月29日 18時56分

 連載を一部掲載しなかったのは契約違反だとして、ドキュメンタリー作家上原正稔さん(70)が琉球新報社に約1千万円の損害賠償を求めた訴訟の控訴審判決で、福岡高裁那覇支部は29日、原告の請求を棄却した一審那覇地裁判決を変更、琉球新報社の契約違反を一部認め、約100万円の支払いを命じた。

 判決によると、上原さんは2007年5月から琉球新報の夕刊で沖縄戦を取り上げた連載を執筆。同社は一部の原稿に新味がないとして書き直しを求めたが、上原さんは拒否し、同社は08年8月、連載を打ち切った。

 琉球新報社は契約について「初出の資料を用いた連載をするという内容」と主張したが、判決理由で今泉秀和裁判長は「初出の資料のみに基づいて連載するとまでは記載されていない」とした。(共同通信)

                ☆

沖縄タイムスは地元紙が「言論封殺」で裁判所に鉄槌を下されるという重大ニュースを、共同配信でお茶を濁している。

沖縄タイムスにはも、はや地元の重大ニュースを自力で報道する気力も能力もない。

単なる紙くずであることを自ら証明したような記事である。

>同社は一部の原稿に新味がないとして書き直しを求めたが、上原さんは拒否し

琉球新報が「新味がない」として全面削除を要求した部分は、集団自決の核心の部分だ。

琉球新報が問題にした箇所は、「沖縄戦の集団自決は日本軍の強要による」という琉球新報の主張に逆らい「軍命はなかった」と記述された部分だけに限られている。

琉球新報の主張する「新味がない」などの削除理由は、「軍命があった」と書いていないことが、新報社方針と合わなかったからであり、この連載の読者な誰でも気がつく事実である。

琉球新報の報道は確認していないが、おそらく沖縄タイムス同様ベタ記事で誤魔化して、この判決の持つ重要な意味を矮小化しようとするだろう。

判決の持つ意味

(1)沖縄紙が独占的に支配していた言論空間の一角に大きな風穴が開いた。

(2)梅澤。赤松両隊長の汚名が完全に回復された。

「慶良間諸島でおきた「集団自決」は梅澤、赤松両隊長の命令による」という通説は、大江・岩波集団自決訴訟では立証出来ず、梅澤、赤松両隊長の汚名は回復されたが、必ずしも満足できるものではなかった。

訴訟の「名誉毀損」「損害賠償」請求では敗訴したため、沖縄2紙の印象操作により「裁判で軍命令があったことが確定した」などと誤解する人も多かった。

今回の高裁判決では、上原さんの原稿が掲載拒否されたのは、181回の連載中「慶良間で何が起きたか」の章(5回分)と、181回目の最終回の2度であり、いずれも「集団自決に軍命はなかった」と明記した部分に限られている。

判決文では一度目の「慶良間で何が起きたか」(慶良間編)を削除した琉球新報の理由を次のように否定している。

「被控訴人(琉球新報】は、なんら合理的理由もなく控訴人(上原正稔)の執筆した慶良間編の掲載を一方的に拒否したと認めるほかはなく、このことは、被控訴人(琉球新報)の『パンドラの箱を開ける時に係る連載執筆契約の義務に違反し、債務不履行に該当するといわざるを得ない。 これに反する被控訴人の主張は採用することが出来ない」

さらに判決は最終回の掲載拒否については、こう判断している。

「被控訴人(琉球新報)が第181回の原稿について控訴人(上原正捻)に書き換えを求め、控訴人(上原)がこれに応じなかったという理由だけでこれを掲載しなかったことに何ら合理的な理由は見当たらず、これも、被控訴人(新報)の『パンドラの箱が箱を開ける時』に係る連載執筆契約の義務に違反し、債務不履行に該当するものと思わざるを得ない。 これに反する被控訴人(新報)の主張は採用することが出来ない」

 

この裁判の意義については、途中からこの裁判を知った人達には理解しにくいと思われるので、これから数回にわたり解説記事を連載の予定である。

 

【おまけ】

人物探訪: 昭和天皇を護った二人のキリスト者(下)

 天皇を処刑して、共産革命を引きおこそうと
するソ連の野望にフェラーズは立ち向かった。
■■■■ H17.04.03 ■■ 32,900 Copies ■■ 1,541,034 Views■

■1.マッカーサーへの意見書■

 フェラーズは、天皇が帰られた後に、執務室に閉じこもり、
マッカーサーへの意見書の仕上げに没頭した。意見書の原稿を
書き上げると、すぐに恵泉女学園の河井のもとに届けさせた。
河井からの意見をもとに修正し、再度チェックを受けてOKを
貰ったのが10月1日。翌日、フェラーズは完成した意見書を
マッカーサーに提出した。二人の合作と言ってよい。

 意見書では、冒頭で「彼らの天皇は、祖先の美徳を伝える民
族の生ける象徴である」と、ハーンから継承した天皇観から説
き始め、次に今回の戦争に関しては、「天皇が自ら起こしたも
のではないことを立証しうる」と述べた。続いて、

 大衆は、裕仁に対して格別に敬慕の念を抱いている。彼
らは、天皇がみずから直接に国民に語りかけることによっ
て、天皇はかつて例がないほど彼らにとって身近になると
感じている。和を求める詔書は、彼らの心を喜びで満たし
た。彼らは天皇がけっして傀儡などでないことを知ってい
る。また、天皇を存置しても、彼らが選びうる最も自由主
義的な政府の樹立を妨げることはないと考えている。
[1,p225]

 最後の一節は、軍国主義を復活させないためには、天皇制を
廃止する必要がある、という連合国内の意見に釘を刺したもの
である。

■2.戦争裁判で天皇を裁けば■

 無血侵攻を果たすにさいして、われわれは天皇の尽力を
要求した。天皇の命令により、700万人の兵士が武器を
放棄し、すみやかに動員解除されつつある。天皇の措置に
よって何万何十万もの米国人の死傷が避けられ、戦争は予
定よりもはるかに早く終結した。

 フェラーズは同様の文章を家族の手紙にも書いており、この
部分はまさに彼の実感そのままである。

 したがって、天皇を大いに利用したにもかかわらず、戦
争裁判のかどにより彼を裁くならば、それは、日本国民の
目には背信に等しいものであろう。それのみならず、日本
国民は、ポツダム宣言にあらまし示されたとおりの無条件
降伏とは、天皇を含む国家統治機構の存続を意味するもの
と考えている。

 もしも天皇が戦争犯罪のかどにより裁判に付されるなら
ば、統治機構は崩壊し、全国民的反乱が避けられないであ
ろう。国民は、それ以外の屈辱ならばいかなる屈辱にも非
を鳴らすことなく耐えるであろう。

 後半は河井道の「陛下が殺されるようなことがあったら、血
なまぐさい反乱が起きるに違いありません」とフェラーズに語っ
た言葉に基づくもののようだ。

 そして「それ以外の屈辱ならばいかなる屈辱にも耐えるであ
ろう」とは、「堪へ難きを堪へ忍ひ難きを忍ひ以て万世の爲に
太平を開かむと欲す」という終戦の詔勅を思わせる。これも終
戦の詔勅に関して、「天皇の父親らしい戒めに対して、国民は
孝心を明らかにして従順に従ったのであった」と語った河井の
思いが反映しているのだろう。

 フェラーズの意見書には、河井を通じて、当時の日本国民の
天皇への「敬慕の念」が注ぎ込まれていた。

■3.「相互の尊敬と信頼と理解」■

 彼らは武装解除されているにせよ、混乱と流血が起こる
であろう。何万人もの民事行政官とともに大規模な派遣軍
を必要とするであろう。占領期間は延長され、そうなれば、
日本国民を疎隔してしまうことになろう。

 米国の長期的利益のためには、相互の尊敬と信頼と理解
にもとづいて東洋諸国との友好関係を保つことが必要であ
る。結局のところ、日本に永続的な敵意を抱かせないこと
が国家的に最も重要である。

 意見書はこう結ばれた。「相互の尊敬と信頼と理解」という
言葉には、初めて来日した時に「日本は魅惑的で美しい。神秘
に満ちた心温まる国だ」と感じて、河井らとの交友を築いてき
たフェラーズの体験が窺われる。そうした友好関係こそ「米国
の長期的利益」となる、というのがフェラーズの信条であった。

■4.「ソ連は、日本に革命が起きることを望んでいる」■

 2日おいて、10月4日にフェラーズは第2の覚え書きを提
出した。

 ソ連は、日本に革命が起きることを望んでいる。我が国
(アメリカ)の政策は、革命を期待しているかのようだ。
革命には、天皇の排除が最も有効なのである。[2,p89]

 当時、ソ連の共産党機関誌「プラウダ」は激しい天皇制批判
を繰り返していた。また日本共産党も「戦争犯罪人追求人民大
会」を開き、1600人にのぼる戦犯リストの冒頭に昭和天皇を挙
げていた。

 天皇が戦犯裁判で処刑となり、国中に反乱が起きれば、それ
が共産革命の引き金になり、日本を共産陣営に追い込む結果と
なりかねない。フェラーズは危機感を募らせていた。

 10月2日、皇族の梨本宮守正元帥が、そして6日には元首
相・近衛文麿、天皇側近の内大臣・木戸幸一と、皇族と側近に
まで逮捕の手が伸びていた。

■5.マッカーサーの回答■

 11月29日、アメリカの統合参謀本部は、マッカーサーに
対して指令を伝えた。

 裕仁は、戦争犯罪人として逮捕・裁判・処罰を免れては
いないというのが米国政府の態度である。天皇抜きでも占
領が満足すべき形で進行しうると思われる時点で、天皇裁
判問題が提起されるものと考えてよかろう。[2,90]

 米国政府は天皇訴追を十分ありうるものとして、マッカーサ
ーに判断に必要な証拠の収集を命じた。この回答として、翌昭
和21(1946)年1月25日、陸軍参謀総長アイゼンハワーあて
に電報が送られた。

 過去十年間に、程度はさまざまであるにせよ、天皇が日
本帝国の政治上の諸決定に関与したことを示す同人の正確
な行動については、明白確実な証拠は何も発見されていな
い。

と始まるこの回答で、まず大日本帝国憲法はヨーロッパの立憲
君主制と同じ原則に則っており、内閣が行った政治的決定を天
皇は裁可するだけで、拒否する権限はなかった事が説明されて
いる。

 昭和天皇は立憲君主の立場をよくわきまえ、可能なかぎ
りその原則に従って行動した天皇だった。帝国議会の議決
を裁可しなかった例は一度もなかったし、国務大臣の補弼
(ほひつ)を俟(ま)たずに大権を行使する独断政治を強
行したこともなかった。

 つけ加えれば、日米開戦までの過程で戦争を避けるため
に、自らの立場で可能な範囲で軍部や内閣に意見を述べて
いる。昭和天皇は決して好戦主義者ではなかった。外交交
渉を優先させることで、なんとか戦争を回避しようと努力
した。

 最後の一節には、また河井道の影響が窺われる。河井はフェ
ラーズに勅語や御製を示して、天皇の平和を求めるお気持ちを
伝えていた。恐らくは、開戦前の御前会議で昭和天皇が「四方
の海みなはらから(同胞)と思ふ世になど波風の立ち騒ぐらむ」
との明治天皇御製を示されて、再度の外交交渉を求められた事
もその中にあっただろう。

■6.「あれはカワイ・ミチから授かったものだ」■

 続いて、回答書では天皇を訴追した場合に、「日本国民の間
に必ずや大騒乱を惹き起こし」、そのような事態に対処するに
は、百万の軍隊と数十万の行政官が必要となる、としている。
主張の内容は、フェラーズの覚え書きをそのまま引き写したも
のである。

 マッカーサーはフェラーズの覚え書きを机の左の引き出しの
一番上に入れ、しばしば取り出しては読んでいた。フェラーズ
は後に語っている。

 私はあの覚書の内容について自信が持てなかった。あれ
はカワイ・ミチから授かったものだ。彼女は実に偉大な女
性だった。彼女が私を助けてくれた、彼女は知らないだろ
うが、マッカーサーの天皇に対する態度に、彼女は大きな
影響を及ぼしたと思う。[1,p228]

 このマッカーサーの回答書で、米政府の天皇不起訴の方針は
固まった。

■7.東条の覚悟■

 米国はこれで固まったが、ソ連は強硬に天皇訴追を要求して
いた。3月2日から東京に終結した連合国各国の国際検察局に
よる被告人選定作業が始まった。

 フェラーズはこの時期、天皇の無罪を立証すべくあらゆる手
を尽くした。3月6日、終戦時の海軍大臣・米内光政を総司令
部に呼んで、こう言った。

 ・・・ソ連は全世界の共産主義化を狙って、日本の天皇
制とマッカーサーの存在を邪魔にしている。アメリカ国内
でも上層部に天皇を戦犯として裁くべきだとの主張が相当
ある。

 その対策としては、天皇が何ら罪のないことを日本側が
立証してくれることが最も好都合だ。そのためには近々開
始される裁判が最善の機会だと思う。この裁判で東条に全
責任を負わせるようにすることだ。

 そこで、東条に次のことをいわせてもらいたい。開戦前
の御前会議において、たとえ陛下が反対されても、自分は
強引に戦争にまでもっていく腹をすでに決めていたと。
[1,p266]

 米内は「まったく同感です」と賛同し、獄中の東条に弁護人
を通じてフェラーズの意を伝えた。東条は答えた。

 そんなことは心配ないと、米内君にいってくれ。おれが
恥を忍んで生きているのも、この一点があればこそだ。

 東条は東京裁判において、大東亜戦争は自衛戦であり国際法
に違反していないこと、また開戦の決定は内閣の責任であり、
昭和天皇が拒否権を行使されることは、憲法上も、慣行上もな
かったことを堂々と述べた。[a,b]

■8.「昭和天皇独白録」とバイニング夫人■

 フェラーズはさらに次々と手を打っていった。第2の手は昭
和天皇ご自身に直接語っていただくことだった。風邪を引いて
寝込まれていた昭和天皇に、戦争への関わりと思いを語っても
らい、寺崎英成ら側近たちが記録した。この記録は44年後に
発見されて「昭和天皇独白録」としてセンセーションを起こし
た。その英語版がフェラーズの残した文庫から発見された。

 この文書がどのように使われたのかは分かっていない。ただ、
天皇不起訴という決定に対して米世論が反発した場合、あるい
は天皇が証人喚問された場合には、この文書が使われただろう。
[2,p149]

 フェラーズがもう一つ打った手は、皇太子にアメリカ人女性
の家庭教師をつけることだった。それによって欧米の世論を軟
化させようというのが、狙いだった。フェラーズが選んだエリ
ザベス・バイニング夫人は、彼と同じクエーカー教徒であり、
また夫人の児童文学者としての才能と評判を彼はよく知ってい
た。

 バイニング夫人は4年間、皇太子の家庭教師を務め、帰国後
の1952年に著した『皇太子の窓』はアメリカでベストセラーと
なり、皇室に対するアメリカ人のイメージを変えるのに大きな
役割を果たした。

■9.「天皇陛下を戦犯より救出したる大恩人」■

 東京裁判開廷から2ヶ月過ぎた昭和21(1946)年7月、フェ
ラーズは陸軍を退役して帰国の途についた。その際に、次のよ
うな手紙を、天皇の側近・寺崎英成に書き送った。

 あなたの有能な上司、すなわち天皇陛下に次に会うとき、
私の気持ちをぜひ伝えてください。私が日本を去るのは、
私が日本にいるよりもアメリカに帰った方が、日米両国の
相互理解の増進により多くの貢献ができると確信したから
です。天皇陛下に心からの敬意を払っています。[1,p273]

 フェラーズはこの言葉通り、帰国後は全米各地を回って極東
問題やソ連についての講演を行い、雑誌に記事を投稿した。
『リーダーズ・ダイジェスト』1947年7月号には、『降伏のた
めに戦った天皇裕仁』と題して、昭和天皇を讃えた。その中で
はソ連が東洋における支配的地位を狙って、日本からの和平斡
旋の依頼を握りつぶして、戦争を長引かせ、自らに最も好都合
な時に対日戦を始めた事を指摘した。

 1950年2月、ソ連は突如として天皇を細菌化学戦争の計画立
案に関わった罪で「追加戦犯」として、国際軍事法廷で裁くこ
とをアメリカに求めた。しかし米国は解決済みの問題として、
これを黙殺した。

 昭和46(1971)年2月、日本政府はフェラーズに対して、勲
二等瑞宝章を贈った。その申請書にはこう書かれていた。

 ボナー・フェラーズ准将は・・・連合国軍総司令部に於
ける唯一の親日将校として天皇陛下を戦犯より救出したる
大恩人である。[1,p190]
(文責:伊勢雅臣)

 

 

人気blogランキングへ クリックお願いします

 

 『パンドラ訴訟』の高裁判決は、7月29日に下されます。

 

■カンパ協力のお願い■
琉球新報の言論封殺に戦いを挑んでいる上原正稔さんの訴訟へのカンパ協力は支援団体の三善会へお願いしております。
------------------------------------------
ゆうちょ銀行からの振込の場合
【金融機関】ゆうちょ銀行
【口座番号】記号:17010 口座番号:10347971
【名  義】サンゼンカイ.
------------------------------------------
ゆうちょ銀行以外の金融機関からの振込の場合
【金融機関】ゆうちょ銀行
【店  名】七〇八(読み:ナナゼロハチ)
【店  番】708
【口座番号】普通:1034797
【名  義】サンゼンカイ

 

人気blogランキングへ クリックお願いします

『沖縄に内なる民主主義はあるか』定価:1735円(税・送料込み)

季刊誌「かみつく」創刊号紹介HP
価格 1420円(税・送料込み)

「かみつくⅡ」定価:1735円(税・送料込み)

ネットから御注文を受け付けています。
ezaki0222@ybb.ne.jp
※↑↑こちらまで住所氏名と電話番号を御連絡いただければ、受注当日か翌日までに発送いたします
<送金方法等詳細はここ>

「かみつくⅡ 」の目次
「かみつく」の内容紹介
「沖縄に内なる民主主義はあるか」の内容紹

 

コメント (13)

「終戦のエンペラー」を見て涙した

2013-07-29 07:01:22 | ★パンドラの箱訴訟

よろしかったら人気blogランキングへ クリックお願いします

 

本日(29日)午後1時10分、福岡高裁那覇支部に於いて、「パンドラの箱掲載拒否訴訟」の高裁判決が下されます。 

判決後の記者会見は、午後2時10分、県庁記者クラブに於いて行われます。

当初予定しておりました報告会は、午後3時に変更させて頂きます。

会場は、奥武山護国神社社務所2階会議室で御座います。

ご出席頂けますようご案内申し上げます。

お問合せ 090‐9780―7272 ニシコリまで

 

映画「終戦のエンペラー」 トミー・リー・ジョーンズ、マ元帥に魅了され

2013.7.26 08:03 
 
「終戦のエンペラー」から

「終戦のエンペラー」から

 

 ■復興へ奮闘

 終戦直後の日本を舞台に、日本人の精神性を描いた物語がハリウッド映画になった。27日に全国公開される「終戦のエンペラー」(ピーター・ウェーバー監督)は、連合国軍最高司令官のダグラス・マッカーサー元帥から真の戦争責任者を探すよう命じられた米国人准将の活躍を中心に、壮大な歴史秘話がつづられる。来日したマッカーサー役のトミー・リー・ジョーンズ(66)は「マッカーサーが戦後の日本の復興のために奮闘した姿にひかれた」と、この作品の魅力を語った。(藤井克郎)

 ジョーンズの取材は、マッカーサーが昭和天皇と対面し、有名な写真が撮られた東京都港区のアメリカ大使館で行われた。映画にも描かれた歴史的な空間について、「とても居心地のいい場所だね」と話す。

 日本を占領したGHQ(連合国軍総司令部)が戦争責任者を訴追する中、真の責任者を探すよう命じられたボナー・フェラーズ准将(マシュー・フォックス)が日本の政治家や皇室関係者らと接触しながら困難な任務を遂行していく。フェラーズは実在の人物だが、歴史秘話と並行して日本人女性との恋模様も描かれており、がれきだらけの東京を再現した映像などとともに見応えのある大作になっている。日本人役では初音映莉子(31)、西田敏行(65)、桃井かおり(62)らが出演している。

   日本の文化、とりわけ日本人の精神性や天皇に対する特別な感覚にまで踏み込んでおり、会見に出席した西田は「アメリカの方が書いた脚本なのに、なんて日本人の心をぐっとつかんでくれたんだとの思いが強かった」と驚いたほど。缶コーヒーのCMに出演し、以前から日本文化には造詣の深いジョーンズは「マッカーサーも日本文化の重要性は分かっていた。もし京都が空襲で焼け野原になっていたり、天皇を裁判にかけようとしたりしていたら、日本社会は崩壊してしまっていただろう。私も日本の文化は貴重なものだと考えている」と言う。

 この映画はもともと、「ラストサムライ」(2003年)などでキャスティングディレクターを務めたプロデューサーの奈良橋陽子さん(66)の企画から生まれた。知己を頼ってハリウッドで活躍するスタッフが集結、撮影前に徹底した調査が重ねられ、日本文化の神髄に触れる作品に仕上がった。「現在も世界各地で紛争が絶えないが、交戦国同士の文化的な理解が十分でないからテロへとつながっていく。最初に文化交流があれば理解になる。それが今の日米の友好関係に結びついている」と奈良橋さんは強調する。

 「マッカーサーが日本を理解しようと尽力した部分が、この映画ではよく描かれている」と指摘するジョーンズも、奈良橋さんの考えに同調する。「文化の違いを乗り越えることで得られるものは大きい」とうなずいた。

                                    ☆

「終戦のエンペラー」を見た。

主人公のフェラーズ准将の日本人の恋人探しを重点を置いて、若い観客の獲得を狙ったようだが、観客のほとんどは中高年であり、ラブロマンの要素よりも、史実の解明に重点を置いたほうが作品に更なる重みをを与えたという感じた。(歳のせいなのか)

したがって元恋人の親戚夫婦として登場する芸達者の西田敏行や桃井かおりの熱演が、空回りしていた。

従来のハリウッド製戦争映画に見られるような「大日本帝国は世界侵略を狙う悪の帝国」といった決め付けがなく、中村雅俊扮する近衛文麿に「東京裁判」の批判をさせてみたり、昭和天皇の描き方にも一定の配慮が見られた。

特に正装の昭和天皇がマッカーサーを訪問し、ラフな普段着のマッカーサーに対し、『すべての決定と行動に対する全責任を負うものとして、私自身をあなたに代表する諸国の裁決に委ねるためおたずねした』(マッカーサー回想記)と、たどたどしい英語で話すシーンには、連れ合い共々も思わず涙した。

この映画は、敵国である米国製の映画にしては、以前に見た「パールハーバー」のように日本人対する偏見は抑えた表現に徹しており、少なくとも最近の沖縄2紙のように、日本軍に対する憎悪を煽るような表現は見られなかったのは、救いである。(⇒フライング・タイガース アメリカの「卑劣なだまし討ち」

戦後間もなく米軍に占領され外交権も剥奪された日本で、昭和天皇が独自の外交を行った。

歴史の事実はこうだ。

昭和20年(1945年)9月27日敗戦直後、第一回目の昭和天皇とGHQマッカーサー司令官の会見が行われた。

場所は赤坂の米大使館。

藤田侍従長、石渡宮相、フェラーズ准将らは隣室で控え、会見に立ち会ったのは通訳をつとめた奥村勝蔵外務参事官だけで37分つづいた。(映画ではフェラーズ准将がドアの隙間から昭和天皇の「自分が全責任を負う」というお言葉を聞いたという設定になっている)。

マッカーサーは当初、昭和天皇が戦争犯罪者として起訴されないよう懇願するのではないかと予想していた。

だが、昭和天皇の口からは全く予想外の言葉が飛び出してきた。

同行した侍従長の回想ではこうなっている。

「敗戦に至った戦争の、いろいろの責任が追及されているが、責任はすべて私にある。文武百官は私の任命する所だから、彼等に責任はない。私の一身はどうなろうと構わない。私はあなたにお委ねする。この上は、どうか国民が生活に困らぬよう、連合国の援助をお願いしたい」

奥村通訳の会見録には上記の責任発言が記載されていない。 東京裁判を控えて発言の重要性から削除したようである。

マッカーサーは、昭和天皇が別の会見で皇室財産を差し出すので食糧を緊急輸入して国民を飢餓から救ってくれと申し出たのを聞き「私は初めて神のごとき帝王を見た」と感動している。

欧米の歴史から考えると王や皇帝などは私服を肥やすものと相場が決まっており、特に敗戦時の国王、皇帝などは先ず財産を持って他国へ亡命するか、さもなくば命乞いをするのが相場と考えていた。 マッカーサーが感動したのも無理もないことである。

昭和天皇が大使館に到着したとき、迎えに出なかったマッカーサーは、会談が終わると昭和天皇をお見送りした。

その時のマッカーサーの様子を側近のフォービアン・バワーズは「我々が玄関のホールに戻った時、元帥ははた目にみてもわかるほど感動していた。私は、彼が怒り以外の感情を外に出したのを見たことがなかった。その彼が、今ほとんど劇的ともいえる様子で感動していた」と証言している。

この映画製作される6年前、同じ題材を書いたメルマガがあるので、それを紹介する。


 人物探訪: 昭和天皇を護った二人のキリスト者(上)

 占領軍司令部の中でフェラーズはただ一人、昭和天皇
を戦犯裁判から護らねばならないと考えていた。
■■■■ H17.03.27 ■■ 32,937 Copies ■■ 1,531,628 Views■

■1.「ミチ・カワイという女性を探して欲しい」■

 昭和20(1945)年8月30日、厚木飛行場に着陸した飛行機
から、マッカーサーがコーンパイプをくわえてタラップを降り
た。続く幕僚たちの中に49歳のボナー・フェラーズ准将がい
た。

 一行は車を連ねて横浜のホテル・ニューグランドに投宿した。
フェラーズはさっそくホテル側に、「東京にいるミチ・カワイ
という女性を探して欲しい」と頼んだ。すると意外なことに、
支配人の中山武夫が「ミチ・カワイ」を知っているという。中
山は以前、商社の米国駐在員としてニューヨークに長く暮らし
たことがあり、その英語力を買われて、占領軍の応接役のマネ
ジャーとして雇われ、今日が出社初日だった。

 不思議な縁に驚きながら「ミチ・カワイとはどういう知り合
いかね」とフェラーズが尋ねると、中山は「十年ほど前に河井
先生がニューヨークで講演をなさった時に、私の女房がお世話
をさせていただきました」と答えた。河井は無事で、恵泉女学
園を経営しているという。

 フェラーズが早速、手紙を河井あてに届けさせたのは9月3
日。この日はちょうど恵泉女学園の2学期の始業式で、河井は
学校にいた。まるで天が後押ししているようなとんとん拍子で
ある。河井はすぐに英文の返事をよこした。

 あの恐ろしい戦争の日々、私たちは何度、あなたのこと
をうわさし合ったことでしょう。あなたがご無事でご活躍
の様子を知って、こんなに嬉しいことはありません。

 あなたにお目にかかりたいのはやまやまですが、お願い
ですから、いましばらく私たちに会いに来ないでください。
私たちはいまは、ただただ疲れきって、たとえお目にかかっ
ても、あなたを喜ばせるような姿をお見せできません。
[1,p11]

■2.「天皇裕仁はルーズベルト以上の戦争犯罪人ではない」■

 しかし、フェラーズにとっては、そんな悠長な事を言っては
いられなかった。やがて始まるであろう戦犯裁判で、彼は昭和
天皇を護らねばならないと考えていたからだ。それは極めて困
難な仕事だった。

 アメリカのある世論調査では、天皇を死刑にすべきだという
意見が33%を占め、それを含めて70%が何らかの処分を求
めていた。さらにオーストラリアとソ連が強く天皇訴追を主張
していた。マッカーサー司令部の中でも、フェラーズ以外の全
員が天皇を起訴すべきだと考えていた。

 その中で、ただ一人、フェラーズは「天皇裕仁はルーズベル
ト以上の戦争犯罪人ではない」と信じていた。家族への手紙で
は、こう書いたこともある。

 きょうまで私はルーズベルト大統領がアメリカ国民を戦
争に巻き込まないように努力した行動をひとつも見いだす
ことができない。そうではなくて逆にあらゆる施策がまっ
すぐ戦争に向けてリードされた。[1,p195]

 これは当時の共和党系の人びとの共通認識だったと言える。
[a,b,c]

 しかし、フェラーズはさらに天皇と日本国民の関係について
深い洞察を持っており、そこから日本のためにも、またアメリ
カのためにも天皇を戦争犯罪者として裁くようなことがあって
はならない、と考えていた。そのために協力してくれる日本人
として河井道を探していたのである。

■3.「教育とはまずよき人間になるために学ぶことです」■

 河井道とボナー・フェラーズが初めて会ったのは、大正11
(1922)年4月、東京においてであった。河井は44歳、フェラ
ーズは26歳。陸軍中尉だったフェラーズは、赴任地のマニラ
から休暇を利用して、初めて日本を訪れたのだった。

 おりしも桜が満開で、「日本は魅惑的で美しい。神秘に満ち
た心温まる国だ」とフェラーズは記している。そこで出会った
何人かの日本人の一人に河井道がいた。「ミチ・カワイは傑出
している」というのが、彼の印象だった。

 明治24(1891)年、14歳の河井道は札幌のミッションスク
ール、スミス塾の5年生だった年に、隣接する札幌農学校(現
在の北海道大学)の教授を務めていた新渡戸稲造が出張授業に
来るようになった。やがて河井は毎週土曜日の夜に新渡戸の自
宅に食事に呼ばれ、その後、新渡戸が英語で口述する日記を筆
記するようになった。河井は新渡戸を終世の師と仰ぐ。新渡戸
はよくこう説いた。

 あなた方は良妻賢母となる前に、一人のよい人間となら
なければ困る。教育とはまずよき人間になるために学ぶこ
とです。[1,p40]

 明治31(1898)年、病気療養のために妻の故国・米国に渡る
新渡戸に同道する形で、21歳の河井はアメリカに渡り、奨学
金を得て、ブリンマー女子大に学んだ。帰国後、女子英学塾
(現在の津田塾大学)の教授となり、英語、歴史、購読を受け
持った。同時に、日本YWCAの設立に奔走し、初代総幹事と
なった。その関係で、32歳から1年半も欧米を回った。

 こうして当時の日本人女性としては異例の経歴と行動力を持っ
た河井に、フェラーズは出会ったのである。「ミチ・カワイは
傑出している」と思ったのも当然である。

■4.ラフカディオ・ハーンに導かれて■

 日本に魅惑され、もっと理解を深めたいと思ったフェラーズ
は、ラフカディオ・ハーン[d]の著作を見つけた。その後、数
年で「ハーンの本はすべて読んだ」というほど魅了された。フェ
ラーズは日本を再訪した際には、ハーンの未亡人を訪れ、遺児
の面倒まで見るようになる。

 フェラーズは後にアメリカ陸軍きっての日本通となり、各種
の論文や報告書を書くが、その一つ、対日戦のテキストとして
広く読まれた「日本兵の心理」ではおおよそ次のように述べて
いる。まさにハーンの日本観に基づいた見解である。

 日本人は祖先は神であると考える。死者に対する尊敬や
親に対する孝道が日本人の特色である。

 欧米では天皇は現人神としてゴッド・エンペラーなどと訳さ
れおり、「人間をゴッドのように崇める狂信」として反感や警
戒心を与えていた。フェラーズは「ゴッド」と日本の「カミ」
とは違うことに気がついていた。そこから天皇についても、こ
う理解した。

 天皇は権威の象徴である。明治時代以前は天皇は実際に
は国を治めていなかった。最強の武家が天皇の上にいて国
を統治していた。各武家は天皇を自らの味方につけようと
戦った。だがたとえどの武家が天皇を味方につけようとも、
国民が最大の敬意を払うのは天皇であり、天皇以上に国民
から愛着を持たれる者はこの国には存在しない。[1,p49]

 太平洋戦争中、フェラーズは対日心理作戦の責任者となる。
そして日本国民に空からビラを撒く作戦を展開するが、そのビ
ラの一つにはこんな文句があった。

 今日4月29日は御目出度い天長節であります。・・・
戦争の責任者である軍首脳者はこの陛下の御誕生日の日に
戦捷(せんしょう、戦勝)を御報告申し上げる事も出来ず、
むしろ自身の無能の暴露を恐れてゐるのでせう。軍首脳部
は果たして何時まで陛下を欺(あざむ)き奉る事が出来る
でせうか。[1,p144]

 国民の天皇への敬意を尊重しつつ、軍首脳部を攻撃するビラ
は、その戦意を挫く上で多大の効果があった、と東条英機・首
相も認めている。

■5.日米戦争を避けるために■

 河井は昭和4(1929)年4月に恵泉女学園を創設した。米国留
学までした河井は当時の女性としては傑出した存在だったが、
「女が少しばかり学問に励んだからといって家事ができないな
どというのは恥です」と、学生寮では炊事、洗濯からトイレ掃
除、風呂焚きまで教えた。教室の窓ガラスを生徒と一緒にせっ
せと磨き、雑巾を拭いた後が残ると見苦しいと叱って、やり直
しを命じた。

 第一期生を送り出した昭和9(1934)年4月7日、一通の手紙
がアメリカから届いた。アメリカ・キリスト教連合婦人会から、
「私たちの国の戦争の風説に反対するために、あなたのメッセ
ージが必要です」との講演の依頼だった。アメリカでの日系移
民排斥や日本の満洲事変をきっかけに、日米関係は険悪になり
つつあった。

 師の新渡戸稲造は2年前に渡米して、全米で約百回の講演を
こなした。昭和天皇からもじきじきに、両国の和解に骨折って
貰いたい、とも依頼された。新渡戸は知人にこう語っている。

 本当に陛下は御立派な方だよ。私心なんかこれほどもお
ありにならない。そういう陛下を戴いている日本は本当に
幸せなんだ。[1,p100]

 しかし、新渡戸は前年の昭和8年10月にカナダのビクトリ
アで客死していた。師の志を継ぐべく、河井は8月から12月
までの4ヶ月間で全米60余の都市を回り、約2百回の講演を
行った。この際に、ニューヨークで世話をしたのが、冒頭、横
浜のホテル・ニューグランド支配人の中山武夫夫妻だった。

 カンザス市ではエリート養成学校・陸軍指揮幕僚大学に学ん
でいたフェラーズが河井を迎え、二人は時の過ぎるのを忘れて
語り合った。河井はこの時のフェラーズの態度を「実に公平な
議論をして、自国の反省すべき点」を語り、日本兵士の忠誠に
敬意を表した、と回想している。

「公平な議論」とは、ルーズベルト大統領が大恐慌以来の経済
的危機を避けるために、さまざまな挑発をしかけている、とい
うフェラーズの認識である。

■6.皇室への敬愛■

 戦争が始まると、河井はよく生徒たちに「この戦争は間違っ
ている」と語り、憲兵隊に呼び出された事もあった。軍や文部
省から御真影(両陛下のお写真)を校内に掲げるよう要請があっ
たが、「校舎があまりにお粗末すぎて、大切なお写真をお預か
りするにふさわしい部屋も安全な場所もありません」と、言葉
巧みに逃げた。

 しかし宮城遙拝では、頭を上げるのが早い、と生徒たちを叱っ
たりしている。キリスト教徒として、天皇をゴッドのように礼
拝はしないが、国民としての心からの敬意は払う、というのが、
河井の立場だった。

 終戦の日に玉音放送を聞いた時の思いを、後にこう自伝に書
いている。

 この未曾有の国家的危機に際して、・・・「大道を誤り、
信義を世界に失う如き」を戒めよという天皇の父親らしい
戒めに対して、国民は孝心を明らかにして従順に従ったの
であった。天皇に対する代々の忠誠心は、塵や埃のように
一吹の風にあえなく散ってしまいはしない。[1,p179]

■7.「私がいの一番に死にます」■

 7百万の日本兵が降伏したなんて、まるで奇跡のようだ。
日本を占領するために、どれだけの日米の兵士、民間人の
命が犠牲になったか考えてみて欲しい。[1,p209]

と、フェラーズは家族への手紙に書いているが、天皇の玉音放
送で7百万の将兵がただちに矛を収め、整然と武装解除されつ
つある姿を見て[e]、フェラーズは「国民が最大の敬意を払う
のは天皇」という自分の洞察が正しいという確信を深めた。

 9月11日、東条英機ら39人が逮捕された。天皇を護るた
めに早く手を打たねばならない。9月23日、来日3週間目に
ようやくフェラーズは河井道と再会できた。

「仮にの話ですが、もし天皇を処刑するということになったら、
あなたはどう思いますか」と聞くフェラーズに、河井は答えた。

 日本人はそのような事態を決して受け入れないでしょう。
もし陛下の身にそういうことが起これば、私がいの一番に
死にます。・・・もし、陛下が殺されるようなことがあっ
たら、血なまぐさい反乱が起きるに違いありません。

 フェラーズは、玉音放送後の整然たる降伏と武装解除を目の
当たりにし、さらにこの河井の言葉を聞いて、腹を固めた。も
し天皇を処刑したら、日本国内は血なまぐさい反乱で収拾がつ
かなくなる。占領統治を円滑に進める最善の方法は、天皇を罰
することではなく、逆にその力を借りることである。

 フェラーズは、マッカーサーに天皇の処遇に関する意見書を
早急にまとめるので、ぜひ力を貸して欲しい、と河井に頼んだ。

■8.「陛下にお目にかかれて光栄です」■

 4日後、その天皇の姿がフェラーズの目の前にあった。9月
27日午前10時、昭和天皇が米国大使館にマッカーサーを訪
ねたのだった。出迎えたフェラーズに、天皇はトップハットを
とり、日本語で「お会いできてうれしい」と挨拶しながら軽く
お辞儀をして、手を差し出した。フェラーズは天皇の手を握り、
英語で「陛下にお目にかかれて光栄です」と答えた。

 後のマッカーサーの証言では、この会見で昭和天皇は「戦争
の全責任をとる」と発言して、彼の心を揺すぶった[e]。天皇
は深く覚悟されて会見に臨まれたのだが、アメリカ大使館で最
初に出迎えたフェラーズの応対は、そのお気持ちをなごませた。
天皇は後にフェラーズに次のようなお言葉を伝えられている。

 あなたが温かく迎えてくださったときから、私はマッカ
ーサー元帥との関係がうまくいくだろうと思いました。

 昭和天皇は、この「温かく迎えた」相手がアメリカ陸軍きっ
ての親日家、知日家である事など予想だにされなかっただろう。
まして、彼が天皇ご自身を戦犯裁判から救わねばならないとの
覚悟を内心に秘めていたとは。
(文責:伊勢雅臣)


 

人気blogランキングへ クリックお願いします

 

 『パンドラ訴訟』の高裁判決は、7月29日に下されます。

 

■カンパ協力のお願い■
琉球新報の言論封殺に戦いを挑んでいる上原正稔さんの訴訟へのカンパ協力は支援団体の三善会へお願いしております。
------------------------------------------
ゆうちょ銀行からの振込の場合
【金融機関】ゆうちょ銀行
【口座番号】記号:17010 口座番号:10347971
【名  義】サンゼンカイ.
------------------------------------------
ゆうちょ銀行以外の金融機関からの振込の場合
【金融機関】ゆうちょ銀行
【店  名】七〇八(読み:ナナゼロハチ)
【店  番】708
【口座番号】普通:1034797
【名  義】サンゼンカイ

 

人気blogランキングへ クリックお願いします

『沖縄に内なる民主主義はあるか』定価:1735円(税・送料込み)

季刊誌「かみつく」創刊号紹介HP
価格 1420円(税・送料込み)

「かみつくⅡ」定価:1735円(税・送料込み)

ネットから御注文を受け付けています。
ezaki0222@ybb.ne.jp
※↑↑こちらまで住所氏名と電話番号を御連絡いただければ、受注当日か翌日までに発送いたします
<送金方法等詳細はここ>

「かみつくⅡ 」の目次
「かみつく」の内容紹介
「沖縄に内なる民主主義はあるか」の内容紹

 

コメント (3)

「パンドラ訴訟」梅澤、赤松両隊長の名誉回復を

2013-07-28 07:46:13 | ★パンドラの箱訴訟
  •  

よろしかったら人気blogランキングへ クリックお願いします

 

■世界日報 7月15日掲載

【連載】貶められた旧日本兵-「援護法」に隠された沖縄戦の真実 (8)
「パンドラ訴訟」/
梅澤、赤松両隊長の名誉回復を

 近年、沖縄戦関連で三つの裁判が行われ、そのうち一つは係争中である。
 既に最高裁判決が出た「大江健三郎・岩波書店沖縄戦裁判」(大江・岩波訴訟)と「沖縄靖国合祀取消訴訟」、それに福岡高裁那覇支部で係争中の「パンドラの箱連載掲載拒否訴訟」(以後、「パンドラ訴訟」)である。

 三つの訴訟はそれぞれ原告と被告、そして表面上の訴因は違っているが、実質の争点が沖縄戦をめぐる認識であり、さらに論点を絞ると「沖縄戦と援護法の関係」になるという共通項を持つ。

 「大江・岩波集団自決訴訟」は最高裁判断で原告側の座間味島元戦隊長の梅澤裕氏や渡嘉敷島戦隊長の故赤松嘉次氏の弟、秀一氏が敗訴した。一方、最大の争点である「集団自決の軍命」については被告側は立証することができなかった。

 2012年6月15日、「沖縄靖国合祀訴訟」で原告側である遺族の敗訴が確定した。この裁判は沖縄戦などで亡くなった戦没者の遺族5人が「家族を靖国神社に無断でまつられ、肉親を自由に追悼する権利を侵害された」と主張して、靖国神社のほか、神社に戦没者の名前を提供した国に、合祀の取り消しと慰謝料の支払いを求めたもの。

 原告のリーダーである金城実氏は、父親の戦死を「犬死に」と罵ったが、援護金を返納してから訴訟に踏み切るのが筋だった。

 他の原告は、避難壕の外で死を迎えた主婦や2歳の幼児らの遺族らだが、援護法適用のため「準軍属」とされ、合祀された経緯があった。

 「パンドラ訴訟」は、琉球新報夕刊に2007年5月から掲載中の連載「パンドラの箱を開ける時」が急きょ中断したことに対して筆者の上原正稔氏が損害賠償を求めているもの。未掲載の部分は、米軍兵士の手記に基づき、慶良間諸島における集団自決の真相を解明するもので、両隊長の名誉回復に向けてのメッセージでもあった。

 沖縄戦史の捏造(ねつぞう)は軍命を必須条件とする援護法適用により生み出された悲劇であり、その一番の被害者が「軍命で住民を自決させた極悪人」という汚名を着せられた梅澤、赤松両隊長ということになる。

 上原氏は2011年1月、提訴時の記者会見の席で、梅澤、赤松両隊長に沖縄県民を代表して謝罪。「存在しない軍命令」で援護金を受給した沖縄人の複雑な心境を代弁した。

 しかし、沖縄のメディアはまるで申し合わせたように提訴の事実を黙殺し続けている。沖縄県民でさえ、この裁判のことを知る者はほとんどいないのが現状だ。両隊長の実質的な名誉回復こそが歪められた沖縄戦史を是正する第一歩ではなかろうか。

 上原氏は提訴に際し次のように述べている。

 <最終稿(181回目)で、赤松さんと梅澤さんは集団自決を命じておらず、それは援護法の適用外の住民が援護金を貰うために嘘の報告を出し、そのために赤松さんと梅澤さんをスケープゴートにしたのだ、という旨の原稿を出したら、(琉球)新報はその最終稿をボツにするという前代未聞の暴挙に出た

 7月29日、「パンドラ訴訟」の高裁判決が下される。

(「沖縄戦の真実」取材班)

=終わり=

                              ☆

>原告のリーダーである金城実氏は、父親の戦死を「犬死に」と罵ったが、援護金を返納してから訴訟に踏み切るのが筋だった

金城実氏が父親の援護金で、金のかかる京都の美術大学を出た事はよく知られているが、佐野眞一氏の取材に応じて援護金のことをこう述べている。

「わずかな金と、靖国の「英霊」に祀られるという美名で、沖縄戦の実態が隠蔽される。 ここには、日本による沖縄の歴史の捏造という深刻な問題をはらんでいる」

金城実氏は「わずかな金」と言うが、戦後産業らしい産業もない沖縄で、沖縄に支払われた莫大な額の援護金が沖縄経済に貢献したことは、援護法を「歴史捏造の政府の悪意」と受け止める石原昌家氏でさえも認めていることだ。

その石原氏は援護法に関し、2008年の慰霊の日(6月23日)の琉球新報で、記者のインタビューにこう答えている。

ーー「集団自決」はどう捏造されたか。

自決という言葉は軍人などが自殺する意味。援護法では日本軍の命令などにより家族らが殺し合ったことを「集団自決」とすることにより国との雇用関係が生まれたことにして軍事行動ととらえている。 その軍事行動は「積極的戦闘協力のために戦闘員の邪魔にならないよう崇高なる犠牲的精神で自らの命を絶った」という意味だ。 日本軍による「壕追い出し」は、「壕提供」「強制集団死」ではなく「集団自決」でないと援護法の対象にならない。国のいう「集団自決」とは無残な死、無念の死ではなく、崇高なる死、尊厳死、殉国死、名誉の死、一般住民には絶対使えない言葉だ。

「援護法」に関する公的資料は受給者のプライバシーに関わる部分が多いため、筆者のような一般人には入手が困難なものが多い。

その点、援護法の研究者を自認する石原氏は入手困難な資料を独占的に入手し、一般人の目が届かないのを良いことに、勝手な解釈をして、これを新聞等に発表してきた。 

「反戦平和」のイデオロギーに支えられた石原氏の解釈に資料を以って反論するのは困難とされてきた。

今回の世界日報掲載の【連載】貶められた旧日本兵-「援護法」に隠された沖縄戦の真実」は、石原氏の悪意に満ちた解釈が、間違いであることを立証した。

そもそも石原氏の論調によると「集団自決」という文言そのものも、政府が歴捏造のため考え出したような印象だが、筆者の知る限り「集団自決」という文言を初めて使ったのは『鉄の暴風』の執筆者大田良博氏のはずである。

>国のいう「集団自決」とは無残な死、無念の死ではなく、崇高なる死、尊厳死、殉国死、名誉の死、一般住民には絶対使えない言葉だ

言葉のマジックに騙されそうになる。

確かに集団「自決」という文言を一般住民に使うのは違和感を感じる向きもあるが、国は受給のための現認書(申請書)に「崇高なる死、尊厳死、殉国死、名誉の死、」のどの記入を要求しておらず、「隊長命令による」の記入を要求しているだけだ。

いずれにせよ、悲惨な沖縄戦を体験した沖縄住民に「後世格別の配慮を」と叫んだ大田中将の意志を継いだ厚生省が「拡大解釈」してまで受給対象を広げようとした「善意」を、石原氏ら反日サヨク勢力の解釈によると、全てが「悪意」に満ちた日本政府への怨念へと変化していく。

石原氏のインタビュー記事を掲載した琉球新報は、これまでに「援護法は政府の歴史捏造の手段である」という趣旨の石原氏論文を数多く掲載し、悪意に満ちた解釈にお墨付きを与えている。

その琉球新報を相手取って訴えた上原正稔氏の「パンドラ訴訟」の高裁判決が明日下される。

 

【おまけ】

156【沖縄タイムス】市民団体「非常識、勘違いしている」 沖縄防衛局、抗議に来た市民にトイレを貸さず押し問答に

1そーきそばΦ ★2013/07/27(土) 11:29:33.04 ID:???0
【嘉手納】米軍普天間飛行場野嵩ゲートのフェンス設置に抗議するため市民団体などが
26日に沖縄防衛局を訪れた際、
参加者が局内トイレの使用を認められず、
20分ほど押し問答になる場面があった。

この日は、市民団体や労組、一般市民ら約50人が集まった。
中に入れるのは代表8人だけだったため、ほかの参加者は入り口付近で待機。

女性数人が局内のトイレを借りようとしたが職員に断られ、近くの施設のトイレを使うよう
求められた。市民団体側が繰り返し抗議し、最終的には使用が認められた。

市民団体側は「あまりにも非常識。自分たちが沖縄を支配していると
勘違いしているのではないか」と批判している。

header_logo

沖縄タイムス 7月27日(土)10時14分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130727-00000005-okinawat-oki


2名無しさん@13周年2013/07/27(土) 11:30:16.34 ID:Ym7/XJT8P
などと、意味不明の供述を繰り返しており、警察は余罪を追及しています。


3名無しさん@13周年2013/07/27(土) 11:30:22.70 ID:yHOpVXfkP
何様だよ


4名無しさん@13周年2013/07/27(土) 11:30:22.60 ID:lMc/5XRS0
テロリストに貸すトイレはありません


6名無しさん@13周年2013/07/27(土) 11:30:48.33 ID:v7DGsPlz0
何されるか分からないからだろ


10名無しさん@13周年2013/07/27(土) 11:31:18.31 ID:dVO9FnM40
どっちが非常識だよ。



14名無しさん@13周年2013/07/27(土) 11:31:35.71 ID:UbnuPytr0
抗議に行ってトイレを借りたいとかwwwwwwwww


28名無しさん@13周年2013/07/27(土) 11:32:58.67 ID:eVu8PByH0
トイレを理由に入って何をするかわからないからだろ。


29名無しさん@13周年2013/07/27(土) 11:33:04.59 ID:chrLjUHz0
中に入れたら何されるかわかんねーもんな


31名無しさん@13周年2013/07/27(土) 11:33:22.26 ID:Az0OKb/20
機密防衛上、当然の処置だろww


17名無しさん@13周年2013/07/27(土) 11:32:02.19 ID:p90brvO5O
抗議してる時間で近くの施設のトイレに行けたろ…


18名無しさん@恐縮です2013/07/27(土) 11:32:10.36 ID:eGyybKkc0
だって爆弾やカメラ設置されたら大変じゃん
真面目な話



20名無しさん@13周年2013/07/27(土) 11:32:15.69 ID:iB/f5Juo0
>>1
破壊工作員を入れてトイレを利用させるとかあり得ませんから

 
 ・・・続きを読む・・・

          ☆
 
押しかけたプロ市民約50人を全員基地内に入れると大混乱が起きるのは火を見るより明らか。
 
そこで代表8人だけを招きいれたことは特に問題はない。
 
その代表の1人がトイレを断られたのなら、沖縄タイムスが、騒ぐように米軍側に問題がある。
 
だが、記事から判断する限りトイレ借用を言い出したのは、基地外で待機すべき残りのプロ市民たちだ。
 
彼らは、これまでも連日同基地ゲートで抗議行動を続行しており、その際は近隣のスーパーコンビニなどのトイレを利用しており、目と鼻の先には宜野湾市役所のトイレだってある。
 
それどころか、ゲートの金網近くの草むらには湯気の立つ人糞の痕跡さえある。
 
近隣のトイレ事情を熟知したプロ市民が徒党を組んで抗議先の米軍にトイレ借用を申し出たら、混乱を避けるため拒否されて当然である。
 
プロ市民側の非常識な抗議をそのまま掲載する沖縄タイムスが反日サヨクの機関紙であることを又しても証明してくれた。

人気blogランキングへ クリックお願いします

 

 『パンドラ訴訟』の高裁判決は、7月29日に下されます。

 

■カンパ協力のお願い■
琉球新報の言論封殺に戦いを挑んでいる上原正稔さんの訴訟へのカンパ協力は支援団体の三善会へお願いしております。
------------------------------------------
ゆうちょ銀行からの振込の場合
【金融機関】ゆうちょ銀行
【口座番号】記号:17010 口座番号:10347971
【名  義】サンゼンカイ.
------------------------------------------
ゆうちょ銀行以外の金融機関からの振込の場合
【金融機関】ゆうちょ銀行
【店  名】七〇八(読み:ナナゼロハチ)
【店  番】708
【口座番号】普通:1034797
【名  義】サンゼンカイ

 

人気blogランキングへ クリックお願いします

『沖縄に内なる民主主義はあるか』定価:1735円(税・送料込み)

季刊誌「かみつく」創刊号紹介HP
価格 1420円(税・送料込み)

「かみつくⅡ」定価:1735円(税・送料込み)

ネットから御注文を受け付けています。
ezaki0222@ybb.ne.jp
※↑↑こちらまで住所氏名と電話番号を御連絡いただければ、受注当日か翌日までに発送いたします
<送金方法等詳細はここ>

「かみつくⅡ 」の目次
「かみつく」の内容紹介
「沖縄に内なる民主主義はあるか」の内容紹

 

コメント (2)

続・昭和天皇と沖縄、空手の普及

2013-07-24 07:16:53 | ★パンドラの箱訴訟

   人気blogランキングへ クリックお願いします

 参院選は、自民党県連と自民党本部との政策の捩れのため、糸数慶子氏の「反戦平和」に惜敗した。

「八重山教科書問題」を報じる、八重山毎日や沖縄2大紙を見る限り、八重山地区は反日サヨクの島の印象を全国に撒き散らした。

ところが実際は、八重山地区では安里候補が圧勝していた。

新聞が報じる民意がいかにデタラメかがわかる、参院選の結果だった。

■八重山日報 2013年7月22日

八重山攻防は安里氏 1万票超、自公底堅く

 参院選の八重山攻防では安里政晃氏が1万632票を獲得し圧勝。安里氏の議席奪取は実現しなかったが、八重山で自公選挙協力体制の底堅さを改めて見せつけ、8月の与那国町長選、来春の石垣市長選に向けて弾みをつけた。

 安里氏は福祉の現場で働いてきた実績や、母親が石垣市出身であることをアピールし、アベノミクスを活用した景気回復を第一に訴えて浸透を図った。比例区で公明が擁立した河野義博氏(35)とのセット戦術で、自公の組織票を生かした選挙戦を展開した。▼全文は「新聞オンライン.com」で
http://www.shimbun-online.com/latest/yaeyamanippo.html

参院選では革新系現職の糸数慶子氏が…

 参院選では革新系現職の糸数慶子氏が当選したが、八重山では自公の安里政晃氏が勝利。衆参の「ねじれ」は解消されたが、選挙結果では沖縄本島と八重山の「ねじれ」が出現した◆理由はいろいろと考えられるが、第一に、八重山の現状は革新に対して自公が優位という選挙力学が挙げられる。昔から「八重山は保守と革新が半々で、公明がついたほうが勝つ」という俗説があった。当たらずといえども遠からず、というところか◆選挙戦終盤に安倍首相が石垣入りした効果も大きかった。首相が本島を訪問するのは珍しくないが、八重山には復帰後初だ。離島住民の中には、首相を直接見る機会は一生に一度だという人もいる。投票率は5割を切る低迷ぶりだったが、何とか前回参院選を上回ったのは、首相の来島効果かも知れない◆いずれにせよ糸数氏が勝利者になった。米軍基地に対し、より徹底して「ノー」を突きつける姿勢が本島の有権者に評価されたようだ◆安里氏は自民公認にもかかわらず、党本部の意向にさからって普天間飛行場の県外移設を掲げたが、有権者の信頼を得られなかった。そればかりか、普天間移設が選挙戦で争点にならないという弊害も生んだそもそもの選挙戦略にボタンの掛け違いがあったのではないか。

 
            ☆

 昨日のエントリーで、説明不足の点があったので補足する。

>政府は主権が日本にあることを根拠に、着々と援護法の沖縄住民への適用の布石を開始する。

>講和発効の1952年6月、政府は総理府内に南方連絡事務所が設置し、同時に沖縄には那覇日本政府南方連絡事務所(南連)が設置された。

 那覇日本政府南方連絡事務所(南連)が設置される前に、「援護法」制定の動きが沖縄に伝わるや、それに呼応したかたちで年2月 、「琉球遺家族会」(沖縄遺族連合会に改称)を結成し、ただちに日本政府へ「沖縄の遺家族にも援護金を支給されたし」という陳情を行った。

 ところが、当時沖縄は米軍の統治下にあり、「援護法」の沖縄住民への適用には米軍の協力が不可欠だった。

■「南援」と「南連」

厚生省側と沖縄側の要請を受け、連合国軍司令部は、沖縄と奄美に日本政府南方連絡事務所の設置を、日本政府に要請しており 、そ
れをうけて7月1日には「総理府南方連絡事務局」が設置され、これを「南援」と略称された。、

一方、現地付属機関として那覇日本政府南方連絡事務所が設置され、「南連」と略称された。

そして8月には初代南連援護係として斉藤元之事務官が赴任して、月には市町村職員に援護事務講習を実施している。(沖縄県生活福祉部援護課編『沖縄の援護のあゆみ』)

                 ☆

■昭和天皇と空手

昭和天皇と沖縄に関するエピソードをもう一つ紹介する。

沖縄の空手は裕仁親王が1921年、沖縄を訪問した頃は、秘伝とされ本土ではその存在はほとんど知られることはなかった。

裕仁親王は沖縄滞在中、空手の演武を見学され、実演をした富名腰義珍(後の船越義珍)が、後に空手の本土普及の先駆者となるわけだから、その時の演武が、空手の全国普及には昭和天皇が大きく関わったいたことは間違いのない事実である。

 その辺の経緯を富名腰義珍と「空手二十箇條」について(1)から抜粋引用する。

大正10年(1921)3月、時の皇太子殿下(後の昭和天皇)が巡洋艦「香取」に乗船されヨーロッパ外遊に向かう途上、沖縄那覇港に寄港された。この時、首里城正殿において沖縄第一中学校、沖縄師範学校の生徒による空手演武をご覧になり、この演武の指揮を船越が取った。「香取」の艦長は沖縄県出身の漢那憲和少将で、漢那艦長の発案した行事だったとしても、皇太子殿下へのご供覧は、政府と軍上層部の許可なくして実現不可能な時代である。その時の海軍大臣八代六郎大将は、既に空手に対する識見があり理解をもっていたことが後日知られているから、海軍大臣の後押しがあって実現したのかもしれない。演武後、漢那艦長は『本土は極めて武道の盛んなところだから、本土への紹介をするようにしてはどうか』と、船越にアドバイスしたと言われている。 (富名腰義珍師(1868~1957)、後に船越と改姓)

本格的な指導は、富名腰義珍(後の船越義珍)らが本土へ渡った大正以降である。1922年(大正11年)5月、文部省主催の第一回体育展覧会において、富名腰は唐手の型や組手の写真を二幅の掛け軸にまとめてパネル展示を行った。この展示がきっかけで、翌6月、富名腰は嘉納治五郎に招待され、講道館で嘉納治五郎をはじめ200名を超える柔道有段者を前にして、唐手の演武と解説を行った。富名腰はそのまま東京に留まり、唐手の指導に当たることになった.

               ☆

1929年(昭和4年)、船越義珍が師範を務めていた慶應義塾大学唐手研究会が般若心経の「空」の概念から唐手を空手に改めると発表したのをきっかけに、本土では空手表記が急速に広まった。

本土で活躍する空手の大家が一堂に会した写真。左から、遠山寛賢(修道館)、大塚博紀和道流)、下田武(船越高弟)、船越義珍松濤館流)、本部朝基本部流)、摩文仁賢和糸東流)、仲宗根源和(空手研究社)、平信賢(保存振興会)。東京、1930年代。

 

■「切りは離さない」努力をした日本政府

沖縄メディアは講和条約により、沖縄を米国に、意図的に「切り離した」と政府を批判し、その根拠を「天皇メッセージ」にもとめる論調である。

ところが吉田茂率いる日本政府は沖縄を本土から「切り離さない」ように最大の努力をしたことは日本外交史上の歴史的事実となっている。

雑誌『WILL』(2013年8月号)に、坂元一也大阪大学大学院教授が寄稿した「日本の主権回復と沖縄」と題する論文を書いている。

それによると、日本が主権回復をしたサンフランシスコ講和条約の締結交渉の際に、沖縄を本土から「切り離さない」努力をした人物は吉田茂首相であり、昭和天皇であった指摘しているので、該当部分を引用する。

<(沖縄の)本土からの「切り離し」についていえば、吉田茂率いる日本政府が、主権回復に際して最も努力したことの一つは、まさに沖縄を日本から「切り離さない」ことだった。 ここで少し、政府の努力について見ておきたい。 その努力は沖縄の「潜在主権」が日本に残るという形で実を結んだが、これは決して容易にいられた成果ではないし、小さな成果でもなかった。

主権回復の三年前の1948年3月、マッカーサーは、イギリスの新聞社の取材に応え、講和後、アメリカは日本を同盟国として利用する考えはない。 戦争が起こったら場合に日本に望むのは、日本が「中立を維持すること」だけだ。 日本の役割は「太平洋のスイス」になることだ、と述べたという。 

マッカーサーの発言は、当時の日本国民は「アルプスの少女ハイジ」のイメージから、スイスを非武装中立の国と錯覚し、多くの非武装中立論者を感激させた。

だが、スイスがハリネズミのように武装した武装中立国だったため「太平洋のスイス」という話はいつしか消え去って行った。

マッカーサーが日本が「太平洋のスイス」になることを望んだ根拠を、坂元教授はこう説明している。

マッカーサーは、アメリカがその沖縄を領有して要塞化し、そこに強力な空軍力を置けば、日本の安全を守るために、わざわざ日本の国土に軍事力を置く必要はない。だから日本は中立でも構わない、と考えたのである。
私はかつての非武装中立が沖縄の将来を詳(つまび)
らかにしない。 だが、もし日本が講和時に日米安保でなく非武装中立を選択していたら、沖縄の主権は確実に放棄させられていたはずである。

私は、沖縄の戦略的価値を重視するマッカーサーのような考え方と、沖縄の主権を日本に残すということが矛盾しないこと、それをアピールして、沖縄の主権喪失をなんとか防ごうとする意図が、吉田と同様、天皇にもあったと見てよい。>

 昭和天皇は米国に対し「天皇メッセージ」と言う形で、(1)沖縄住民の主権の確保、(2)沖縄の分離ではなく期限付き租借、(3)本土と同じ教育制度の継続(文部省教科書の使用)、(4)本土と沖縄の経済関係の維持(援護法の優先的適用など)、を米国側に認めさせた。

これは紛れもない歴史の事実だ。

そもそも「天皇メッセージ」とは、1979年、進藤栄一・筑波大学助教授(当時)が米国の公文書館から「マッカーサー元帥のための覚書」を発掘し、雑誌『世界』で発表したもの。 

同覚書には、宮内府御用掛かり寺崎英成がGHQ政府顧問ウイリアム・シーボルトを訪れ、天皇からのメッセージを伝えたと記されている。これがいわゆる「天皇メッセージ」とされるもので、概略こう述べられている。

「天皇の顧問、寺崎英成氏が、沖縄の将来に関する考えを私に伝える目的で、時日をあらかじめ約束したうえで訪ねてきた。 寺崎氏は、米国が沖縄その他の琉球諸島の軍事占領を継続するよう天皇が希望していると、言明した。(略)さらに天皇は、沖縄(および必要とされる他の諸島)に対する米国の軍事占領は、日本が主権を残したままの長期租借ー25年ないし50年、あるいはそれ以上ーの擬制(フィクション)にもとづいてなされるべきだと考えている」

沖縄に流布する大きな誤解の一つだが、沖縄保守系の論客の中にも「天皇メッセージ」とは天皇自ら「沖縄を延命のためアメリカに売り渡す」と書いた文書が米公文書館から発見された、と誤解する人が多い。 

だが、実際は「天皇の密書」が存在するわけではない。

寺崎が昭和天皇の会話の中から沖縄についての陛下の「思い」を斟酌してシーボルトに伝え、それがシーボルトの手紙という形でワシントンに伝えられたのだ。

「天皇メッセージ」の重要ポイントである「潜在主権」、つまり日本の主権を残したまま米国に統治を委任することを、親子の場合に例えると、子(沖縄)を育てる経済力のない親(日本)が金持ち(米国)に、戸籍はそのまま残して一時里子に出したようなものであり、戸籍を移籍する養子縁組(米国領にすること)とは根本的に異なる。

当時世界一の経済力を誇る米国の統治下にあった沖縄では、食糧不足で喘ぐ祖国日本では食すること出来ない米国産の豊富な食料供給の恩恵に浴した。 その名残の一つがランチョンミート文化であり、戦前の沖縄にはなかったビーフステーキやハンバーガーなど現在も続く牛肉文化の繁栄である。

 ■「日本国への帰国を証明する」・・・パスポートに押されたゴムスタンプ

米軍統治下の沖縄で1952年の講和発効の日を経験した者は、「潜在主権」という言葉を一度は耳にした経験があるだろう。だがその意味を身を以って体験した者は少ない。 沖縄出身の筆者がまだ10代の頃体験したエピソードを披露する。

少年(筆者)が進学のため沖縄を後にし祖国日本の「出入国・通関」に足を踏み入れたときのことだ。携行していた「パスポート(日本旅行証明書)」を通関に差し出したとき、審査官は学生服姿の筆者を見て微笑みながら声をかけてくれた。 

「進学のため?」

「はい、そうです」

審査官は高校の制服制帽姿の少年に終始優しく対応した。審査官はパスポートにゴムスタンプを押し、署名しながらこう言った。

「しっかり勉強しなさいよ」

「はい」

口下手の少年は審査官の優しい対応と励ましの声に、心の中で「ありがとう」とつぶやいたが、それを口に出して言うことができなかった。

後で、パスポートに押されたスタンプを見て、感動がこみ上げてきた。

 「そうだったのだ」。 「これが潜在主権の意味だったのだ」。

スタンプには「日本国への帰国を証明する」と記され審査官の署名がされていた。

少年は、「日本国への入国」ではなく「帰国」という文字に感動したのだ。 

まだ復帰していない祖国は「帰国を証明する」という形で少年を迎えてくれたのだ。

それまでの認識では米国の統治下にあるので、沖縄人は日本国民ではないという疑念さえ持っていた。

ところが学校では「沖縄の潜在主権は日本にある」と聞かされていた。

そのせいなのか、沖縄で戦後教育を受けた少年は、小学、中学、高校と文部省教科書で教育を受けていたが、そのことには何の矛盾も感じていなかった。

少年は、「潜在主権」の意味がよく理解できないまま祖国日本に上陸し、通関手続きで「日本国への帰国を証明する」という審査官の署名つきスタンプを見て初めて「潜在主権」の意味を身を以って実感したのであった。

だが、その「潜在主権」という文言が、昭和天皇の「天皇親政」で生まれた「天皇メッセージ」の成果であることを、少年はその時知る由もなかった。 半世紀以上前の日本の税関での記憶である。

 大田実海軍少将が沖縄県民に残した「善意」は昭和天皇、吉田首相そして厚生省へと 「善意のバトン」として受け継がれたのである。

【おまけ】

学徒が兵士と認められるまでに語られた国会答弁です。 

昭和30年07月04日衆議院「海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会」でも山下(春)委員から次のように言及されている。

沖縄の鉄血勤皇隊あるいはその通信隊等の、沖縄の学徒を召集いたしまして軍隊に使いましたその多くの者が死没いたしております。そこで、援護局といたしましては、これの援護の手は差し伸べておられることは了承しておるのでありますが、考えてみますると、この人たちは、兵隊であったという――私非常にまだたくさん持っておりますが、兵隊であったという実績がたくさん残っておるのであります。これがなぜ恩給法に行かなかったかというと、十七才未満であるからでありますが、その十七才未満でも、これはりっぱに軍服を着せまして、特にその当時の記事を見ますると、知念弘という人はこれは十五才であります。十六才はここに六、七名書いてありますが、死没後二階級特進して上等兵に進級しておるのであります。そういう点から考えますと、これはどうしてもただ援護だけでこれを処理いたしますことはどうもむずかしいように考えられるのでありますが、今日終戦後これらの人々は靖国神社に祭られることもなく、あるいはまた沖縄は日本に帰属したいと島民全体がこいねがっておるにもかかわらず、このこともかなわないというような気の毒な状態にあります。これらの人々を特にできれば現在の恩給法の中に認めていただきたいのであります。これが恩給法に認められない理由は、今は死滅したものでありますが、兵役法の中に十七才以上となっておるからだそうであります。(…)

 

人気blogランキングへ クリックお願いします

 

 『パンドラ訴訟』の高裁判決は、7月29日に下されます。

 ※訴訟の性格上、原告、被告どちらが勝訴しても上告が予測されます。

■カンパ協力のお願い■
琉球新報の言論封殺に戦いを挑んでいる上原正稔さんの訴訟へのカンパ協力は支援団体の三善会へお願いしております。
------------------------------------------
ゆうちょ銀行からの振込の場合
【金融機関】ゆうちょ銀行
【口座番号】記号:17010 口座番号:10347971
【名  義】サンゼンカイ.
------------------------------------------
ゆうちょ銀行以外の金融機関からの振込の場合
【金融機関】ゆうちょ銀行
【店  名】七〇八(読み:ナナゼロハチ)
【店  番】708
【口座番号】普通:1034797
【名  義】サンゼンカイ

人気blogランキングへ クリックお願いします

『沖縄に内なる民主主義はあるか』定価:1735円(税・送料込み)

季刊誌「かみつく」創刊号紹介HP
価格 1420円(税・送料込み)

「かみつくⅡ」定価:1735円(税・送料込み)

ネットから御注文を受け付けています。
ezaki0222@ybb.ne.jp
※↑↑こちらまで住所氏名と電話番号を御連絡いただければ、受注当日か翌日までに発送いたします
<送金方法等詳細はここ>

「かみつくⅡ 」の目次
「かみつく」の内容紹介
「沖縄に内なる民主主義はあるか」の内容紹

コメント (5)

昭和天皇と沖縄

2013-07-23 07:48:10 | ★パンドラの箱訴訟

 人気blogランキングへ クリックお願いします

 

「昭和天皇と沖縄の関係」と問われれば、生前一度も訪問したことのない沖縄。

訪問を希望したが、適わなかった沖縄・・・という程度の認識の県民は多いだろう。

だが、昭和天皇が青春時代、沖縄を訪問され、県人でさえも好き嫌いのある「沖縄料理」に舌鼓を打たれたことを知る県民は少ない。


「4・28屈辱の日」と関連し「天皇メッセージ」という文言がしばしば新聞に登場した。

新聞は、さすがに「天皇メッセージ」のことをサヨクブログが主張するように、「天皇が命乞いのため沖縄を米国に売り渡してした」などとは断定はしていない。

だが、いかにも意味ありげに「天皇メッセージ」を繰り返し報じ、お得意の印象操作に終始している。

ところが4月15日付の沖縄タイムスが社説で「天皇メッセージ」を取り上げ「昭和天皇糾弾」の第一歩を踏み込んできた。

彼らの究極の目的が、「32年テーゼ」による「天皇制の廃止」であることは言うまでもない。

沖縄タイムスの「検証4・28 政府式典と天皇 政治利用の疑いが強い」と題する社説の該当部分をこうだ。

昭和天皇は戦後、全国各地を巡幸し、戦後巡幸が一段落した後も、国体や全国植樹祭などの行事に出席するため各県を訪問した。 だが激しい地上戦の舞台となり米軍政下に置かれた沖縄には、戦後一度も足を運んでいない。 1975年初訪米の際、「米国より先に沖縄にいくことはできないか」との意向を周辺に漏らしたといわれるが、沖縄には反対論が根強く、実現しなかった。 87年に開かれた第42回国民体育大会(海邦国体)への出席も、病気のため急きょ取りやめになった。 戦争責任の問題も、米国による沖縄の長期占領のを進言した「天皇メッセージ」の問題も、ついに本人の口から語られることはなかった。 昭和天皇の晩年の歌が残っている。
「思わざる病となりぬ 沖縄を訪ねて果たさむ つとめありきを」>

>戦争責任の問題も、米国による沖縄の長期占領のを進言した「天皇メッセージ」の問題も、

この文言に沖縄タイムスの昭和天皇糾弾の本音が垣間見えるが、同紙の昭和天皇糾弾の意図は2012年11月の記事にも既に表れていた。

屋良朝笛知事(故人)に日記の発掘を報道しているが、得体の知れぬ「識者」の意見として昭和天皇が「沖縄に犠牲を強いたという負い目」などと、強引に決め付けているのが目立つ。

「訪米前に沖縄行けぬか」 昭和天皇、側近に問う  

 

 屋良朝苗氏の日記=沖縄県公文書館

 昭和天皇が1975年の初訪米を前に「米国より先に沖縄県に行くことはできないか」との意向を側近に示していたことが13日、分かった。沖縄県公文書館が今年9月に公開した当時の屋良朝苗知事(故人)の日記に、宇佐美毅宮内庁長官(当時)の話として記されていた。

 昭和天皇は47年9月、連合国軍総司令部(GHQ)に米軍の沖縄占領継続を求めた「天皇メッセージ」を伝え、その後の米軍の沖縄駐留に影響を与えたとされる。識者は「沖縄に犠牲を強いたという負い目が、訪問に強い意欲を持った背景にある」と分析。当時の昭和天皇の沖縄に対する思いを伝える貴重な記録として注目されそうだ。 2012/11/13 19:55 【共同通信】

            ☆

昭和天皇の沖縄に対する思いが深く、皇太子時代を除き、生前一度も訪問できなかった沖縄に、米国訪問前に沖縄ご訪問のお気持ちがあったことは理解できるとしても、「天皇メッセージ」のため「沖縄に犠牲を強いた負い目が訪問に強い背景にある」などのコメントは、サヨク識者の勝手な妄想に過ぎない。

昭和天皇が皇太子時代、ヨーロッパ旅行の折、沖縄を訪問したことを想い出し、多感な青春時代の想い出の詰まった沖縄に天皇在位中一度もご訪問できなかったことを心残りに思ったのが真実だろう。

 ■援護法と天皇メッセージ

1946年、戦前からの「軍人恩給法」がGHQの覚書により廃止される。 

そしてサンフランシスコ講和条約が成立した1951年、「援護法」が成立する。 

これは講和条約締結が見込まれていたため、講和発効と同時に、援護法の施行を考えたからだ。

日本政府は、当時既に米軍統治下にあった沖縄を、講和条約締結時に、なんとか日本から「切り離さない」ように努力をしたのだが・・・。 

沖縄の反日サヨク勢力は、講和発効の日を、日本が沖縄を米国に売り渡した屈辱の日と呼ぶ。

今年の4月、政府が講和条約発効の日を記念する式典を挙行すると発表するや、沖縄メディアが一斉に反発し、「4・28屈辱の日」と叫んで講和条約を批判した。

同時に昭和天皇が「国体護持のため沖縄を米国に売り渡した」などと喧伝し、「天皇メッセージ」を批判する識者の主張が紙面に躍った。 

沖縄紙が「屈辱の日」として批判する講和条約発効の1952年は、実は沖縄中が祖国復帰の気運が近づいた喜びで沸きあがった年であった。

政府は主権が日本にあることを根拠に、着々と援護法の沖縄住民への適用の布石を開始する。

講和発効の1952年6月、政府は総理府内に南方連絡事務所が設置し、同時に沖縄には那覇日本政府南方連絡事務所(南連)が設置された。 

「天皇メッセージ」に示された通り、日本の主権が残ったまま米国の統治下にあった沖縄。 

沖縄に潜在主権がなければ援護法の沖縄への適用は困難を極め、現在適用されているように「拡大解釈」してまでの大ア甘な適用は不可能だったであろう

政府(厚生省)は、日本の主権の及ぶ沖縄に「援護法」を適用させるのは当然と考え、南連の協力の下、米国民政府(米軍政府)と「援護法」適用の交渉を開始する。 

つまり当時の沖縄に日本の主権が及んでいたからこそ、援護法の沖縄住民への適用交渉が、講和発効と前後していち早く援護法関連の業務が開始されたのだ。

講和発効で日本が独立国となり沖縄の祖国復帰が間近だとの機運があった1953年から、当時の琉球遺族連合会の日本政府に対する援護法適用の折衝も活発になる。

 ■「潜在主権」と「天皇メッセージ」

なぜ援護法の沖縄への適用が大甘になったのか

「援護法」を「裏手引書」まで作成し、沖縄住民にだけ大甘な適用をした理由は、「県民に対し後世特別のご高配を」と結んだ大田実少将電文を知る世論の同情もあってのことと考えられる。

勿論「援護法」の成立・適用に関わった多くの官民関係者の努力を見落とすわけには行かない。

厚生省の担当官・比嘉新英や琉球政府社会局長として援護業務に携わった山川泰邦氏、そして座間味村役場の援護係・宮村幸延らが「お役所仕事」の枠を乗り越えて努力したことや、遺族会幹部の方々の努力も見逃すことは出来ない。 

同時に「沖縄病」に取り付かれた茅誠司東大総長ら当時の知識人たちの沖縄への同情心も彼らの行動を後押しした。

大田少将の電文を国(厚生省)が受けついて、「後世特別の配慮」をしたことは理解できるが、厚生省の独断でこれほどの事が可能なはずはない。 

大田少将と厚生省の間にその「善意のリレー」をした人物が介在した。

これに関連し援護法適用の根拠となる「潜在主権」について努力した2人の人物がいる書いた。

昭和天皇と吉田茂首相のことだ。

尊王主義者で「臣茂」と自称した吉田茂氏については後述するとして、昭和天皇と沖縄の関係について述べてみる。

■大田実中将の「電文」と昭和天皇

繰り返すが「援護法」の沖縄への適用について、忘れてはならないのが沖縄の「潜在主権」にこだわった「天皇メッセージ」の存在である。

もとより1979年に公表された「天皇メッセージ」の存在を、1950年当時の関係者が知るはずもなかった。 

ただ昭和天皇が大田少将の電文を読んだ可能性は充分考えられる。

理由は昭和天皇が20歳の皇太子時代、ヨーロッパ旅行時の船旅の第一歩を印されたのが沖縄であり、その沖縄が米軍の銃弾に蹂躙されたことを大田少将の電文で知り心を痛めたことも想像に難くないからだ。

人間誰しも多感な青春時代に訪れた土地は想い出が深く心に刻まれるもの。

ましてや長い船旅のお召し艦の艦長が沖縄出身の漢那憲和少将とあれば、皇太子時代の昭和天皇が沖縄のことを特に身近な土地と考えてもおかしくはない。

裕仁親王は沖縄訪問を大変喜ばれ、外遊の日を記念して、毎年三月三日、当時の漢那少将を始め関係者を宮中に招いて午餐会を催したという。

お召し艦「香取」が宮古列島沖を航行中、艦の甲板上に飛び魚が躍り込んできた。

それから46年後の1967(昭和42)年、宮中新年歌会始で、昭和天皇は皇太子時代沖縄で見た飛び魚を回想し和歌を詠まれただ。

「わが船にとびあがりこし飛魚をさきはひとしき海を航きつつ」(「さきはひ」は幸いの意味)

昭和天皇は青春時代に訪問された沖縄のことをしっかり心に刻んでおられたのだ。御製碑は宮古神社に建立されている。

■昭和天皇と「沖縄料理」

皇太子(裕仁親王)の沖縄訪問時、特筆すべきエピソードがある。

最近の沖縄ブームで、沖縄ソバやゴーヤーチャンプルーが全国区になったが、それでも「エラブ海蛇」を食する人は極めて少ない。

裕仁親王は沖縄県民でさえ好き嫌いの激しい沖縄特産の「エラブ海蛇」に興味を示され、沖縄出身の漢那艦長に食べてみたいと所望された。

艦長は、「エラブ海蛇」を取り寄せて食卓に供した。

裕仁親王は「たいへんおいしかった」と漢那艦長に告げている。


県人でさえ好き嫌いの激しい
「エラブ海蛇料理」

エラブ海蛇は「エラブ汁」として調理されるのが一般的な沖縄料理だが、昨日は土用丑の日で、ウナギ高騰の折、エラブ海蛇を「エラブ汁」にするより、串で刺して炭火で炙り「蒲焼」にした方が、一般的な料理になると思うのだが、どうだろうか。

 

 ここまで縷々と青春時代の昭和天皇と沖縄の関係について書いたのは、終戦直後の1947年の時点で、昭和天皇が当時既に米軍統治下にあった沖縄の将来について心を痛めていた事実を明らかにしたいからだ。 

米軍は沖縄を「信託統治」により、将来は米国の自治領にしようと目論んでいた。

つづく

 

人気blogランキングへ クリックお願いします

 

 『パンドラ訴訟』の高裁判決は、7月29日に下されます。

 ※訴訟の性格上、原告、被告どちらが勝訴しても上告が予測されます。

■カンパ協力のお願い■
琉球新報の言論封殺に戦いを挑んでいる上原正稔さんの訴訟へのカンパ協力は支援団体の三善会へお願いしております。
------------------------------------------
ゆうちょ銀行からの振込の場合
【金融機関】ゆうちょ銀行
【口座番号】記号:17010 口座番号:10347971
【名  義】サンゼンカイ.
------------------------------------------
ゆうちょ銀行以外の金融機関からの振込の場合
【金融機関】ゆうちょ銀行
【店  名】七〇八(読み:ナナゼロハチ)
【店  番】708
【口座番号】普通:1034797
【名  義】サンゼンカイ

人気blogランキングへ クリックお願いします

『沖縄に内なる民主主義はあるか』定価:1735円(税・送料込み)

季刊誌「かみつく」創刊号紹介HP
価格 1420円(税・送料込み)

「かみつくⅡ」定価:1735円(税・送料込み)

ネットから御注文を受け付けています。
ezaki0222@ybb.ne.jp
※↑↑こちらまで住所氏名と電話番号を御連絡いただければ、受注当日か翌日までに発送いたします
<送金方法等詳細はここ>

「かみつくⅡ 」の目次
「かみつく」の内容紹介
「沖縄に内なる民主主義はあるか」の内容紹

コメント (4)

貶められた日本兵、捏造された公的刊行物

2013-07-22 07:13:26 | ★パンドラの箱訴訟

 よろしかったら人気blogランキングへ クリックお願いします 

 

糸数慶子氏が当選した。

早速今朝の沖縄タイムスの見出しは、これ。

糸数氏3選

沖縄の民意受け止めよ

沖縄タイムスが言う「民意」とはおそらく「県外移設」「米軍基地撤去」だろうが、比例区で当選した儀間光男氏が掲げる「辺野古移設」も民意ではないのか。

安里氏の選対事務所のテレビ中継で、安里夫婦が詰め掛けた支援者に向かって「力が足りなかった」と深々と詫びる姿が映し出された。

だが、思ったほどの悔しさは感じなかった、 それより画面にチョロチョロ映っていたW翁長の方こそ詫びるべきだと考えたからだ。

今回の敗因は自民党県連にあると考え怒りがこみ上げた。

比例区で「辺野古移設」を訴えた儀間光男候補の当選のニュースを聞いて、ますますW翁長への怒りがこみ上げてきた。

「県外移設」は「オール沖縄」の「県民の総意」などとデタラメを叫んで県民を混乱させた自民党県連の責任は重い。

儀間光男氏が比例区で「辺野古移設」を掲げ当選したという事実は、翁長那覇市長らが言う「県外移設」が「県民の総意」が真っ赤な嘘であることの証明である。

当然,W翁長を筆頭に県連幹部は切腹の必要がアル。

W翁長が腹を切る姿を想像すると、安里氏が負けた悔しさも中くらいになった。

くやしさも 中くらいなり おなが(翁長)切り 

                   ★

さて、「パンドラ訴訟」の高裁判決の日がいよいよ一週間後に迫った。

しばらく休止していた上原さんのブログが更新し始めたので紹介する。

Xdayのカウントダウン・・・あと8日

2013-07-21 09:16:14 | 告知

今、このブログを見ている者は皆、昨年の暮れぼくが一フィート運動解散記者会見の席に乗り込んで、福地曠昭新崎盛暉石川元平まよなかしんやら人間のクズどもがぼくが創り上げた一フィート運動乗っ取って潰してしまったことを暴露したことを知っているに違いない。その場面はインターネットで動画で公開したのであっという間に全世界に広がったが、記者会見現場に押し寄せていた20数人の記者らは誰一人それを報道しなかったことも知っているはずだ。これが今の表向きのマスコミの実態だ。「沖縄をダメににした百人」はまだ半分も真実を伝えてきれていない。つまり、まだまだ続くのだが、今日はぼくが「集団自決」とどのように関わってきたのか伝えよう。
ぼくは84年4月アメリカに出張し、一フィート運動のフィルム12本を入手し、5月に那覇市民会館で大々的に上映会を催したが、ぼくがアメリカで入手したのは単にフィルムだけでなかった。戦時中の新聞やG2戦時資料も大量に入手していた。ぼくが一フィートを乗っ取られた具体的な経緯は後に「沖縄をダメにした百人」に記すことにするが、乗っ取られてからぼくはその資料を沖縄タイムスの編集長に見せると、ぜひ沖縄タイムスで連載してくれということになった。
ぼくは85年冒頭から「沖縄戦日誌」というタイトルで連載を開始した。その中でニューヨークタイムズの伝える渡嘉敷の集団自決の目撃証言がぼくと「集団自決」の関わりの始まりだった。第77歩兵師団のアレクサンダー・ロバーツ軍曹が伝える「集団自決の目撃証言」は実に衝撃的なものだった。だが、ぼくがその時、気付かなかったことがある。「救出されて食事を取っている住民の中にこれも救出された数人の日本兵が入ってくると、住民は怒って彼らをなぐり殺そうとした」というのだ。後になって分かったのだが、実は”日本兵”とは”防衛隊員”であり、アメリカ兵は日本兵と防衛隊員の区別がつかず、記事は「Japanese soldiers」と記していたので、ぼくはそのまま「日本兵」と訳してしまったのだ。後に判明したところでは渡嘉敷島には70名の防衛隊員がいたのだ。また、そのニューヨークタイムズの記事にはジョン・エバンス伍長の腕に抱かれた小っちゃな少女はその時は全く知らなかったが、その後「赤松嘉次戦隊長は集団自決命令を出していない。実に立派な人だ。」とぼくに教えてくれた渡嘉敷の金城武則さんの奥さんだったのだ。金城武則さんは渡嘉敷島の集団自決についてその全容を知る唯一の信頼できる証人だ。金城武則さんも裁判でぼくが勝利するXデーには心から喜んでくれるだろう。


貶められた旧日本兵─『援護法』に隠された真実3」は狼魔人日記で詳しく説明されています。


              ☆

世界日報に連載された『「援護法」に隠された沖縄戦の真実』シリーズは、援護法を拡大解釈して沖縄住民に適用させようとする国側の「善意」に目をつけた反日左翼勢力の陰謀を暴くことが目的である。

遺族が、国の指導に従って方便として記入した「軍命」を、あたかも「残虐な日本兵」が実際に軍命で壕を追い出したり、軍命で集団自決を命令したなどと歪曲して報道されてきた。これらの歪曲・捏造された沖縄戦史を正すことにアル。

日本兵を貶めるためには聞き取り調査を捏造してまで、歴史を歪曲した例を、過去記事から紹介する。

                 ☆

集団自決、捏造された公的刊行物

沖縄縄戦を記した出版物が、一般刊行物から公的刊行物にいたるまで、虚偽の記述にあふれている事を再三指摘してきた。

 市中に出回っている雑多の出版物に記載してある証言より、公的刊行物にある証言の方が正しいと考える人は多い。

ところが一般的に信憑性があるといわれる公的刊行物が歪曲と捏造に満ちているというのだ。

沖縄戦を綴った公的出版物の編纂・監修に、安仁屋沖国大教授やその弟子の宮城晴美氏といった(大江・岩波手段自決訴訟の)被告側応援団が加わっており、意図的に証言を歪曲・捏造していた事実が判明しているのだ。

集団自決訴訟の第2弾ともいえる「パンドラの箱掲載拒否訴訟」では、公的刊行物を歪曲・編集した左翼学者の犯罪も白日の下に晒らされることになるだろう。

日本兵と米兵を入れ替えた捏造の沖縄戦史

「残虐非道の日本兵」と「人道精神に満ちたアメリカ兵」というイデオロギーを強調するあまり、聞き取りした執筆者の主観で想像を交えた作文をした例は珍しくない。

だが、「日本兵」と「アメリカ兵」そのものを、意図的に入れ替えて「残虐非道な日本兵」を作り上げた例は前代未聞である。

証言者が「(残虐行為をしたのは)アメリカ兵」であると二度も念を押したにもかかわらず、元琉球新報の記者の取材者は、公的刊行物である『那覇市史』に「残虐非道の日本兵」として記録しているのだ。

ことほどさように沖縄で発刊されている沖縄戦史はすべて眉につばして読む必要がある。

                           *

 沖縄県文化協会会長の星雅彦氏は、県の依頼を受けて県内の知識人として初めて、『鉄の暴風』の著者よりも早い時期に、集団自決の行われた座間味、渡嘉敷両村の現地取材をした人物である。

沖縄の文芸誌『うらそえ文藝』(15号)が、同誌編集長星雅彦氏の執筆による「『集団自決』 その真相を墓場まで」と題する論文でこの公的刊行物の捏造記事を紹介している。

例えば、次のような氏独特の婉曲な表現で、従来の沖縄戦史を批判し、集団自決の核心に迫っている。(引用文の太字強調は引用者)

《隊長命令や軍命の有無について考えてみる。 すると思い付くことは、根拠がないのに当然あるかのような形を示し得るスタイルで、うまく誤魔化している場合があるということだ。また根拠や理由は不明瞭でも当然起きた筈だと言うような、妥当性の範疇の推量でもって真実性を想像させ得る背景もある。 たとえば軍命令の有無が裁判で争点になっていようとも、その背景や根本問題に真摯にむきあっていると受け取られることによって、賛同が得られる場合もある。 そしてそれらの間隙に、「捏造」が挿入され得るのである。

公的刊行物の記述に疑念を持った星氏は、その中から御存命の証言者を精力的に追跡調査し、改めてその証言を採録した。

そして公的刊行物と実際の証言との矛盾点を指摘している。 

ということは、ほとんどの証言者が、自分の証言が捏造されている事実を知らないままに長年過ごしてきたことになる。 

そして今回の星氏の指摘によって初めてその事実を知ったというから驚きである。

本文中の「避難壕の自決とその謎」という章から例を挙げてみる。

《去年(2009年)12月中旬に、筆者は那覇市の繁多川図書館で同地在住の知念勇(76歳)からミー壕(新壕)にまつわる話を聴かせてもらった。 そのいろいろ含みのある話の中には驚くべき事実が隠されていた。》

このような書き出しで始まるこの章には、当時国民学校6年生であった知念勇さんが、学校の授業はほとんどない毎日を壕掘り狩り出された様子が記されている。

そして昭和19年のいわゆる10・10空襲の時、警察署員と一緒に住民が逃げ込んだ壕に日本軍の将校が現れ、この壕は軍が使用するから民間人は移動せよと命ぜられた話を次のように記している。

《将校たちが去ったあと、壕内は打ちひしがれたように悄然となったが、それでも住民たちの多くは、身の回りの品をまとめはじめた。 署長代理は「今出て行くと危険だから、様子を見てから署員の誘導に従ってください」と告げた。
数時間後にはミー壕から次々と住民は出て行き、民間人は具志堅夫婦とその息子の古康さんと勇さん(証言者・引用者注)と父親の五名が残った。(略)

突然、歩哨が駆け込んで来た。 とすぐ、那覇署員たちは移動し始めた。 その後、日本軍も間もなく撤退して出て行った。 米軍が押し寄せてくる予報があったのだろう。 小一時間後に、数人の米兵がどかどかと入ってきた。 彼らはすぐ合図しあって、具志堅古康さんと勇さんの父親を黙って引っぱって壕から外へ連れ出した。 
一人の米兵は残って勇さんたちを見張っていたかと思うと、2、3分もたたぬうちにカービン銃の音がバラバラと外から聞こえた。 すぐに米兵が立ち去った後、少し間をおいて勇さんたちは父親たちを探しに外へ出た。 一面瓦礫の空間には人影らしきものは見当たらず誰もいなかった。 勇さんの父親は50歳くらいで一般住民の姿をしていたが、古康さんの父親は軍服を着ていたからまぎれもなく日本兵に見られたのだろう。 二人は抵抗しようとしたのか分からないが、何かトラブルで射殺されたに違いない。 連れていかれた二人はその後永久に姿を見せなかった
・・・年老いた知念さんの話はここまでである。》

■日本兵と米兵を故意に入れ替える悪質な歴史捏造■

この面談の後、星氏は公的史料である『那覇市史」に掲載された知念さんの聞き取り調査の記述に明らかな作為的捏造部分を発見し、確認のため再度知念さんに面談することになる。

その驚きに満ちた経緯を上記文に続けてを星氏はこう記述している。

《ところが、筆者は『那覇市史 資料編弟3巻7』の中に「子どもと沖縄 繁多川の警察壕で」と題して知念勇さんの手記が載っているのを見つけた。 「《前略》父親はある日突然日本兵に連れ出された。 父親が連れ出された後、2、3発の銃声がしたが、父と共に連れ出された20歳くらいの青年と共に、再び壕には帰ってこなかった(後略)」(410頁)と記されている。 末尾に採話者「嘉手川重喜」とある。 筆者の知人であるがすでに鬼籍の人である。 
後日、再び知念勇さんに会って確かめてみた。 「自分も不思議に思っている。なぜ、米兵に連れ出されたということを、取材する人に2度も3度も言ったのに、どうして日本兵に入れ替わったのだろう?」と本人はいぶかしがるのであった。》

この部分を読んだ時、星氏が昨年、雑誌『正論』12月号に寄稿した『「鉄の暴風」はGHQの宣撫工作だった』と題する論文の次のくだりを、とっさに連想した。

沖縄戦の証言者がほとんど物故された現在、知念勇さんの例のようにご存命の方に証言を再確認して公的刊行物の意識的捏造を発見するのは奇跡に近い。

もし星氏の再調査が遅きに失し、不幸にして知念さんがなくなられていたら「知念さんの父親ら二人が、日本兵に壕から連れ出され射殺された」ということが、歴史の真実として刻まれることになる。

危うく沖縄タイムスが目論む「残虐非道な日本兵」の捏造の歴史に新たな頁が加わるところであった。

星氏はさらに、集団自決の史料として研究者なら一度は目を通したはずの『座間味村史』下巻の「村民の戦争体験記」を取り上げ、そこに記された20数名の体験記を「それらすべては伝聞であるが、隊長命令があったと記された証言が多い」として、各証言者の動きを検証している。 ここでその内容は省略するが、沖縄で集団自決を研究するに当たり異論を述べることが、いかに困難であるかを自分の経験を基に次のように述べて、論を結んでいる。

《ここで、沖縄の新聞を代表する世相を端的に言えば、沖縄では一般的に、二人の隊長の命令によって、集団自決が決行され、惨たらしく多数の住民が犠牲になったという見解だ。 それでは、もっともらしいが、よく考えると奇々怪々にさえ思えてくる。 今や軍命に意を唱えて探求すると、変人扱いされるか、他人の傷跡を暴く悪趣味に過ぎないと批判されるのだろう。 しかし沖縄戦の真実は、隠蔽されない限り、見えてこないのであろうし、そのような視線にこそ重要な意味があるような気がしてならない。(了)》

星氏は、沖縄で沖縄紙を代表する論壇に異論を唱えることは「変人扱い」と婉曲な表現に止めているが、昨年の5月に『うらしえ文芸』14号で沖縄タイムスと琉球新報を真っ向から批判して以来、それまで両紙から定期的にあった原稿依頼も全く途絶えたと聞く。 これは同時に沖縄二紙に反旗を翻した上原正稔氏についても同じことが言える。

全体主義の沖縄で軍命に異論を唱えるのは変人扱いされるに止まらず、文筆で糧を求める人にとっては死活に関わる大問題でもあるのだ。

集団自決といえば沖縄タイムスやサヨク出版社の高文研や岩波書店によって発刊された本しか読まない人々にとって、星氏の今回の論文は是非とも一読を薦めたい最新の「集団自決研究」の書である。

■安仁屋教授の歴史捏造■

《私が同書に疑問を持つようになったのは、県資料編纂所が刊行する『沖縄県史第九巻 沖縄戦記録ー』の執筆のため、北谷村から南部・中部の集落を回って聞き取り調査をしたことがきっかけだった。

あれは確か1970年の暮れのことだった。 私は県資料編纂所の職員のAとBの訪問を受けた。 Aは私の書いた原稿について「なぜ日本兵の善行などを書き入れるのか」と詰問してきたのである。 取材は各区長の家に集まってもらい、これを記録するという形で行った。 取材は私一人ではなく資料編纂所の名嘉正八郎と一緒であった。 

この取材で日本兵が住民を助ける話も幾つか出たので「そういうものも記録すべきだと思った」とだけ答えた。 県資料編纂所のA職員は県史編纂時の検閲の役割りを担っていたことになる。

因みにAはマルクス主義で、一つのイデオロギーに全ての物事をはめて判断しようとする傾向があったのだ。
この取材を通して私は『鉄の暴風』は、日本軍を「悪」とするために創作された、ノンフィクションを巧みに交えた推理小説風読み物ではないかと考えるようになった。
 そこには日本軍部と国民、また日本軍と沖縄住民を二極に分離させ対立させる仕掛けが巧みに織り込まれているのである。 まさしく江藤淳が『閉ざされた言語空間』で指摘したように、日本と米国の戦いを、日本の「軍国主義者」と「国民」との戦いにすり替えようとする米軍の底意が秘められているのである。(190~191頁)》

これについて筆者はA氏の正体を続々・星氏が『鉄の暴風』を批判!県資料編纂所職員の正体のなかで次のように暴露しておいた。

1970年の暮れに星氏を訪問し、氏が提出した原稿に「なぜ日本兵の善行など書き入れるのか」と詰問したマルクス主義者の県資料編纂所のA職員のことである。

ご本人の星氏は「A氏はまだ元気で沖縄で活躍されている方なので・・・」と実名を語るのを憚っておられるが、沖縄は狭いところで調べればすぐ正体はばれるもの。

1970年当時に県資料編纂所の職員であり、しかもこのような過激な発言で星氏に詰問する人物は自ずと限られてくる。

安仁屋政昭沖国大名誉教授は、沖国大の前は1967年から5年間、沖縄県資料編纂所の職員であり、そのマルクス主義的発言は現在も衰えてはいない。

なお、安仁屋教授は「集団自決」訴訟の被告側応援団の理論的中心人物であり、宮城晴美氏の恩師であることは夙に知られたことである。

その後、星氏が聞き取りした「日本兵の善行」は、安仁屋氏により「沖縄県史」から削除された。

                        ◇

【おまけ】

繁多川の新壕でも威張っていたのは、警察だった」

以下は琉球新報に掲載された知念 勇さん証言

[23 たった一人の生還(6)]昼は壕、夜食料探し

“収穫”たたり、地雷踏む

  昼は壕内に隠れ、夜は食料探し、時には浜辺で語らう瀬底正賢さんらの共同生活が1カ月余たった7月下旬のことだ。海岸を中心に求めていた食料も、そのころには戦闘もなくなったこともあり、かなり遠くまで行っていた。米軍のキャンプからの“戦果”や近くの畑からの“収穫”があり、食料事情もよくなっていた。

 その日も6人でイモ畑まで出かけ、袋に詰められるだけの“収穫”を得た。瀬底さんは月に照らされたみんなの顔に白い歯が浮かんでいたことを今でも覚えている。だが、“収穫”が大きなことが不幸につながった。重いので帰りは近道を選んだ。そこは敗残兵が出没するということで地雷が埋められている。

 地雷に知識のあるという知念1等兵が先端になった。「次に私、当間、上前、夫婦連れと続いた」。10メートル間隔で進むことにした。慎重にしばらく進んだ瞬間、ものすごい爆発音。瀬底さんがおぼえているのはそこまでだ。

 爆風で5メートルほど吹っ飛ばされ意識を失った。知念1等兵は即死、肉片しか残らなかった。夫婦連れの女性の方も死んだ。腹わたがはみ出していたという。

 意識不明の瀬底さんを左足に傷を負った学友が30メートル余の断がいを背負って下まで運んでくれた。「当間嗣冠が背負ったが、今見ても1人で上り下りするのも難しい場所を、よく運んでくれたと感謝している」。

 その当間さんも、地雷で受けた左足の傷がもとで亡くなる。死ぬ間際は顔が硬直、言葉もでない。体全体がけいれんする。けいれんを全員で押さえることぐらいしかできなかった。「生き残れば遺骨は渡してやるから」と瀬底さんが話しかけた時、目が安心した表情に変わったように思えた。

 遺体は米軍の毛布で二重三重に包み、壕内の割れ目に葬った。瀬底さんはすぐに、移動が割と自由だったCP(民警)を志願、遺骨を親元に手渡した。それとともにCPもやめてしまった。

 具志堅という工業生も8月上旬ごろ亡くなった。共同生活が始まって間もなく、傷を受けた腹部を三角布で巻き、さ迷っているのを瀬底さんが見つけ、一緒に行動するようになった。

 「140センチぐらいと小さく、目がパッチリしてかわいかった。首里の人で言葉もはっきりしており、親せきに議員だったか偉い人がいると話していた」。

 小さな工業生は「子どもと思って米軍は撃たない」と昼間から水くみに走った。しかし、3度目の昼間の水くみの時、丘の上の機関銃から狙われた。波打ち際に少年は倒れ、沖へ沖へとさらわれていく死体を目の前に見ながら、だれも壕から出ることはできなかった。瀬底さんは工業学校の戦没者名簿から具志堅という名を探してみたが見つからない。

   ◇   ◇

 瀬底さんらが捕虜になったのは終戦からかなりたった10月3日だ。6月下旬の司令部壕の落盤で負傷した上前寛市さんも、かなり弱っていた。瀬底さんも地雷に吹き飛ばされた時、30カ所に大小の傷を負い元気はなかった。

 南部の収容所に着いた時、元警察署長だった責任者に「上前君は弱っており、早く医者に見せてもらいたい」とたのんだ。だが、返って来た言葉は「学徒兵でも陸軍2等兵は陸軍2等兵。そんな言い訳は聞けない」と断られ、トラックで屋嘉収容所に運ばれた。2、3日して上前さんは傷口が悪化、死亡した。

 「軍部とともに威張り、私たちを戦場へ駆り立てていた警察幹部が、そのころには米軍の下で威張っている。たった1人生き残った学友も彼が奪った。今でも彼に対して怒り、うらみは消えない」―純心であるがゆえに、戦場での犠牲も大きかった学徒だけに、変わり身の早い大人たちの身勝手さは許せなかった。

(「戦禍を掘る」取材班) 1984年12月19日掲載

 

人気blogランキングへ クリックお願いします

 

 『パンドラ訴訟』の高裁判決は、7月29日に下されます。

 

■カンパ協力のお願い■
琉球新報の言論封殺に戦いを挑んでいる上原正稔さんの訴訟へのカンパ協力は支援団体の三善会へお願いしております。
------------------------------------------
ゆうちょ銀行からの振込の場合
【金融機関】ゆうちょ銀行
【口座番号】記号:17010 口座番号:10347971
【名  義】サンゼンカイ.
------------------------------------------
ゆうちょ銀行以外の金融機関からの振込の場合
【金融機関】ゆうちょ銀行
【店  名】七〇八(読み:ナナゼロハチ)
【店  番】708
【口座番号】普通:1034797
【名  義】サンゼンカイ

 

 

 

人気blogランキングへ クリックお願いします

 

 

 

『沖縄に内なる民主主義はあるか』定価:1735円(税・送料込み)

季刊誌「かみつく」創刊号紹介HP
価格 1420円(税・送料込み)

「かみつくⅡ」定価:1735円(税・送料込み)

ネットから御注文を受け付けています。
ezaki0222@ybb.ne.jp
※↑↑こちらまで住所氏名と電話番号を御連絡いただければ、受注当日か翌日までに発送いたします
<送金方法等詳細はここ>

「かみつくⅡ 」の目次
「かみつく」の内容紹介
「沖縄に内なる民主主義はあるか」の内容紹

 

コメント (17)

安倍首相が訴えられる!ブーメラン男に、

2013-07-17 07:12:04 | ★パンドラの箱訴訟

  よろしかったら人気blogランキングへ クリックお願いします 

オバマ米大統領の演説を米国民が、星条旗の小旗を持って聴いても、SPにとがめられることはない・・・と思う。

昨日安倍首相が沖縄入りし、那覇市内で演説をした。 

安倍首相を応援する知人が、日の丸の小旗を掲げながら演説を聴いていたら、不審人物と間違えられ、SPに誰何されたとのこと。

日本国の総理大臣の演説を国旗を持って聴いたら不審人物に見える・・・日本はやはり、普通の国ではない。

それにしても、SPもご苦労さんです。

以下は、日の丸の小旗の「不審人物」の手記です。

平和通りを通ってパレットへ行きました。物々しい警備にも関わらず、一体誰が来るのか平和通りの人々は誰も知らない。安倍総理が来られて握手して貰いました。一人日の丸小旗は目立ちすぎ?安倍総理も戸惑った表情だったような?「日本を、沖縄をお願いします」と言いたかったのに何も言えず。偶然会って「安倍総理が来るよ」と教えたご婦人は私の日の丸小旗に「準備いいね」と笑顔でした。帰りにも「握手したよ。して貰った?」と嬉しそうに声をかけてくれ、安倍総理を追っかけていきました。
パレット久茂地前まで歩く。
那覇市議候補者の弁士が短く話す。仲井真知事も来られて、「こんなに集まったのは初めて」と述べる。県庁前広場ギッシリ。パレット久茂地前広場ギッシリ。5時半頃安倍総理到着。携帯動画を撮りながら時々日の丸小旗をふる。一人だけ。違和感。SPがさっきから後ろに張り付いているのがわかる。安倍総理演説途中そのSPが近づき言う。

SP「さっきから日の丸をふっているのは何故?」
仰天して私「えっ!駄目なんですか?」

SP「安倍総理のファンという事で…」

私「そうです。ここは日本国です。日本国の総理が来られて日の丸をふるのが駄目なんですか」

SP何かいえ大丈夫ですみたいな事を言い去る。

とてもショック!意味が分からない。交差点の向こうには「NOオスプレイ」の薄汚い連中がわいていた。3人位(笑)注意するのは向こうじゃないの?
一人浮いている状態で更にSPに意味不明な質問をされ奇妙な気持ちになるが安倍総理の沖縄上げ演説に余計に日の丸をふったりして…。演説が終わってお帰りの際、皆さんと握手しながら通り過ぎる時、前列の方々と握手しながら目が合いました。笑顔で「ああどうも」とお声をかけていただきました。またしても何も言えず微かに「お願いします」と言ったきり、ただただ頷くだけでした。安倍総理は去っていきました。沢山の人々に送られて。

宜野湾まで行こうと思っていたのですが
混乱した頭と暑さで少し疲れたので帰って来ました。行ってもまた、浮くだろうなぁと思い…。
日の丸はみんなと一緒にふるのが楽しい。何か悲しくなってきました。疲れたので少し寝ます。

追記:汚長那覇市長はきていませんでした。那覇市議選挙の候補者もいたのに。これないのか?、来たくないのか?。宜野湾コンベンションにはくるのでしょうか?だとしても随分お偉いですね?県知事よりも日本国の総理よりも。

 

倍首相は参院選直前に、憲法9条改正の必要性を明言した。

これまでの選挙戦でも憲法改正の発議要件を緩和する96条改正を憲法の争点としてきたが、いよいよ「9条改正」という本丸に切り込んだ格好だ。 筆者は当初から、憲法の争点は堂々と「9条改正」にすべき、と考えていたが、安倍首相も終に覚悟を決めた様子だ。

「平和憲法」を金科玉条のように奉る沖縄メディアが、発狂しまくると思ったら、やはり昨日16日の沖縄タイムスの一面トップはこれだ。

そして、今朝の沖縄タイムスは、選挙特集記事で、こんな見出しが・・・。

改憲阻止へ 動き再び

活動停滞の「九条の会」

そして社会面の左トップは「2013年参院選をー争点をかんがえる憲法」という連載記事で、こんな大見出し。

奪われたふるさと

「軍国」再来気がかり

記事は戦争体験者の、日本軍に酷い目にあったという「うらみつらみ」を書き並べている。

「2013年参院選・・・」のタイトルがなければ、戦争体験特集と勘違いする内容だ。

安倍首相の「憲法改正」に投票したら、戦争が始まるという印象操作なのだろう。

こんな見え透いた手を使うとは、沖縄タイムスは読者を舐めきっている。

その安倍首相が菅直人元首相に「名誉毀損」で訴えられたという。

菅元首相が安倍首相を提訴 原発事故めぐり「メルマガで中傷記事」

2013.7.16 14:59

 
安倍晋三首相のメールマガジンの内容について削除を求め提訴、記者会見する菅直人元首相=16日午後、衆院第1議員会館(酒巻俊介撮影)

安倍晋三首相のメールマガジンの内容について削除を求め提訴、記者会見する菅直人元首相=16日午後、衆院第1議員会館(酒巻俊介撮影)【拡大】

 民主党の菅直人元首相は16日、国会内で記者会見し、東京電力福島第1原発事故をめぐり、安倍晋三首相が「菅総理の海水注入指示はでっち上げ」と題したメールマガジンを配信し、現在もネット上で掲載しているのは名誉毀損(きそん)だとして、安倍首相に対し、該当するメールマガジンの削除と謝罪を求め提訴したことを発表した。

 安倍首相のメールマガジンは平成23年5月20日付配信。首相は「東電はマニュアル通り淡水が切れた後、海水を注入しようと考えており、実行した。しかし、やっと始まった海水注入を止めたのは、何と菅総理その人だった」と記載。その上で「海水注入を菅総理の英断とのウソを側近は新聞・テレビにばらまいた」としている。

 菅氏は「内容は全くの虚偽の情報に基づく。私の名誉を著しく傷つける中傷記事だ」と述べた。

             ☆

現役の首相が二代前の首相に訴えられるというは、前代未聞だ。

この話しを聞いた瞬間二つの事が脳裏を過った。

先ず一つ目は、同じバカでも「自分で頭がいいと勘違いしているバカほど始末に終えないものはない」ということ。 鳩山、菅と偏差値の高い学校を出た総理大臣のバカ振りを見れば誰でも納得だろう。

もう一つは、この裁判は百に一つも菅元首相に勝ち目はない、ということ。 

なぜなら、菅氏には「毀損すべき名誉」など存在しないと思うから。

 

そもそも安倍首相が問題の発言をしたのは、震災直後の2011年5月。

それを今頃になって提訴したのは、現場を一番知る人物の吉田所長がなくなるのを見計らって「死人に口なし」を狙ったのではないか。

 

安倍がメルマガを配信したのは 2011年5月20日
1

菅がそのメルマガに怒って提訴したのが 2013年7月16日
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/130716/stt13071614480001-n1.htm

それに、菅元首相が原発事故処理で、不始末を仕出かしたことは、既に教科書にも出ていることであり、提訴するなら教科書も一緒に提訴すべきではないのか。

山川の歴史教科書、菅直人政権「震災処理の不手際もあって総辞職」と“認定”

 


菅元首相【拡大】

 民主党の菅直人元首相が、高校の歴史教科書で“ダメ首相”と認定された。来春から高校生が使う教科書に、東日本大震災や福島第1原発事故への対応の不手際で内閣総辞職に追い込まれた-との記述があるのだ。菅氏は在任時、口癖のように「俺は歴史に名を残したいんだ」と語っていたというが、トホホな形で願望がかなってしまった。

 菅内閣を取り上げたのは、歴史教科書のシェアトップを誇る山川出版社の「日本史A」と「新日本史」。先月末、文科省の検定で合格となった。

 日本史Aには「震災処理の不手際もあって菅内閣は同年(=2011年)8月に総辞職に追い込まれ(た)」とある。新日本史は「菅内閣は、原発事故による放射能汚染の情報を十分に国民に開示しなかったことや、震災からの復興計画の立案と実行が遅れたことから、国民の批判を浴びて倒れた」と厳しい。

 震災後、20もの「本部」や「会議」を設置して指揮系統を混乱させたり、生半可な知識を持ち出して原発事故の現場に介入するなどして「史上最低の宰相」と呼ばれた菅氏の内閣を、教科書的に淡々と記述している。

 菅内閣の部分は担当していないが、日本史Aの執筆陣の1人である東京大学の加藤陽子教授(日本近現代政治史)は「政府事故調や国会事故調も指摘したように、(1)十分な設備や装備がなかった緊急対策拠点の現状(2)責任を負うべき閣僚を中心とした事故対策本部を設置できなかった(3)事故に関する同時的な記録を残す姿勢がなかった-などの事実を受けて、そのような表現がとられたのだろう」と語った。

 ただ、「菅内閣が他の内閣と比べて不適切な処理をおこなった、という意味ではない」ともフォローした。

 文科省によると、山川出版社は12年度の日本史教科書販売数で、計50万冊とシェアトップ。今後、他の教科書にも同じ記述がなされれば、全国の高校生が「菅内閣=震災・原発事故対応で失敗した」という歴史観を吸収し次世代に語り継ぐことになる。

 今回の歴史的評価について、菅事務所は「教科書の記述については承知しておりません」とコメントした。

■関連記事
 ⇒【視線】“不手際”で教科書に載った菅直人元首相 政

                     ☆

全国の高校生が「菅内閣=震災・原発事故対応で失敗した」という歴史観を吸収し次世代に語り継ぐことになる。

これで菅氏は震災・原発事故で失敗した歴史上の人物として次世代に語り継ぐことになる。(爆)

おそらく、このくだりを書いた執筆者は、あまりの「ブーメラン男」に涙を流しながら書いたのだろう。(勿論笑い過ぎの涙)

菅氏の原発事故の不手際については「吉田元所長死去で菅元首相、ネット上で大暴走」に詳述されているが、裁判では彼が、キレ菅の本性を表し、どのようにどなり散らし、でたらめな危機管理をしたかが関係者の証言で明らかになるはず。

その意味でこの裁判は、国民にとっては絶好の情報公開で、知る権利のチャンスかもしれない。

絶滅危惧種の仲間入りの一歩手前の民主党。

元総理の提訴は「窮すれば通じる」というより「貧すれば鈍する」のお諺がお似合いである。

【会議映像公開】菅直人首相が本店に乗り込んだ!東電役員らにはモザイク…-産経フォト

             ☆

 

                       

■世界日報 7月15日掲載

【連載】貶められた旧日本兵-「援護法」に隠された沖縄戦の真実 (8)
「パンドラ訴訟」/
梅澤、赤松両隊長の名誉回復を

 近年、沖縄戦関連で三つの裁判が行われ、そのうち一つは係争中である。
 既に最高裁判決が出た「大江健三郎・岩波書店沖縄戦裁判」(大江・岩波訴訟)と「沖縄靖国合祀取消訴訟」、それに福岡高裁那覇支部で係争中の「パンドラの箱連載掲載拒否訴訟」(以後、「パンドラ訴訟」)である。

 三つの訴訟はそれぞれ原告と被告、そして表面上の訴因は違っているが、実質の争点が沖縄戦をめぐる認識であり、さらに論点を絞ると「沖縄戦と援護法の関係」になるという共通項を持つ。

 「大江・岩波集団自決訴訟」は最高裁判断で原告側の座間味島元戦隊長の梅澤裕氏や渡嘉敷島戦隊長の故赤松嘉次氏の弟、秀一氏が敗訴した。一方、最大の争点である「集団自決の軍命」については被告側は立証することができなかった。

 2012年6月15日、「沖縄靖国合祀訴訟」で原告側である遺族の敗訴が確定した。この裁判は沖縄戦などで亡くなった戦没者の遺族5人が「家族を靖国神社に無断でまつられ、肉親を自由に追悼する権利を侵害された」と主張して、靖国神社のほか、神社に戦没者の名前を提供した国に、合祀の取り消しと慰謝料の支払いを求めたもの。

 原告のリーダーである金城実氏は、父親の戦死を「犬死に」と罵ったが、援護金を返納してから訴訟に踏み切るのが筋だった。

 他の原告は、避難壕の外で死を迎えた主婦や2歳の幼児らの遺族らだが、援護法適用のため「準軍属」とされ、合祀された経緯があった。

 「パンドラ訴訟」は、琉球新報夕刊に2007年5月から掲載中の連載「パンドラの箱を開ける時」が急きょ中断したことに対して筆者の上原正稔氏が損害賠償を求めているもの。未掲載の部分は、米軍兵士の手記に基づき、慶良間諸島における集団自決の真相を解明するもので、両隊長の名誉回復に向けてのメッセージでもあった。

 沖縄戦史の捏造(ねつぞう)は軍命を必須条件とする援護法適用により生み出された悲劇であり、その一番の被害者が「軍命で住民を自決させた極悪人」という汚名を着せられた梅澤、赤松両隊長ということになる。

 上原氏は2011年1月、提訴時の記者会見の席で、梅澤、赤松両隊長に沖縄県民を代表して謝罪。「存在しない軍命令」で援護金を受給した沖縄人の複雑な心境を代弁した。

 しかし、沖縄のメディアはまるで申し合わせたように提訴の事実を黙殺し続けている。沖縄県民でさえ、この裁判のことを知る者はほとんどいないのが現状だ。両隊長の実質的な名誉回復こそが歪められた沖縄戦史を是正する第一歩ではなかろうか。

 上原氏は提訴に際し次のように述べている。

 <最終稿(181回目)で、赤松さんと梅澤さんは集団自決を命じておらず、それは援護法の適用外の住民が援護金を貰うために嘘の報告を出し、そのために赤松さんと梅澤さんをスケープゴートにしたのだ、という旨の原稿を出したら、(琉球)新報はその最終稿をボツにするという前代未聞の暴挙に出た

 7月29日、「パンドラ訴訟」の高裁判決が下される。

(「沖縄戦の真実」取材班)

=終わり=

                 ☆

 沖縄メディアが報じる「残虐非道な日本兵」による「壕の追い出し」について、沖縄メディアが決して報じることのない証言を、昨日に引き続き紹介する。

■2、中曽根源良元警部(沖縄戦当時警防課課僚)の証言

「沖縄県警察史」平成5年3月 第二巻 711頁〜712頁 

  知念半島が安全地帯になるということで、その方向に住民を誘導した。住民は「友軍が負ける事は無い。友軍と一緒にいた方が安全だ」という事で友軍と一緒に南下する者が多かった。

 その頃から米軍は、非戦闘員・住民にビラを撒いた。米軍のビラには、安全地帯とそこに行く方法が指示されていた。道は、どこを通りなさい。昼間行動しない。手を挙げて、男は裸になりなさい等と色々親切に書かれていた。

 このビラを本島に信じて、その通りに行動した人たちは効果的に良かったと思う。

 警察は、住民を知念方面に誘導しょうとするが、うまくいかなかった。

住民誘導が上手く行かなかった理由は、米軍側最高司令官のバクナー中将の戦死のせいだといわれている。

日本軍沖縄守備隊と激烈な戦闘を展開した連合軍最高指揮官のバクナー中将が、6月18日喜屋武半島真栄里の高台の前線において海兵隊視察中に戦死した。

司令官の戦死により報復の念に燃える米軍は、投降を呼びかけてもそれに応じなければ一転して、容赦無い攻撃を続けた。

馬乗り、催涙ガス、黄燐弾、手榴弾、火焔放射等による攻撃が多く、時にはガソリンを流して火を放つなどもしている。また、三和地区では、国吉、真栄里が米軍の無差別攻撃を受けている。 

 

■3、 池原徳英 (沖縄戦当時 宮里徳英 警察特別行動隊員警部補)の証言

 「沖縄戦・敵中突破 -沖縄警察別動隊の記録-」 (新沖縄文学20号1971年7月 沖縄タイムス社)157頁 

辻町方面に派遣された小隊等は、大きな自然壕に避難していた千名以上の市民に誘導しようとしたが、応じなかったので、抜刀して壕外に追い出し、隊員が一糸乱れぬ統制下の下に、冷静な行動で、郊外に避難させた。

 

■4、壕の追い出しという山川氏の証言

 1971年11月号 潮 「生き残った沖縄県民100人の証言」

 繁多川の壕には島田知事はじめ、那覇署の本部員、真和志村の玉城村長は職員とその家族など百数十名がこもっていた。

 5月10日ころ、球部隊のある中隊から那覇署に対し、作戦上の必要といって繁多川の洞窟を明け渡すように要求される。

 翌朝「真和志村長は何処だ!真和志村長はいるか」とどなる大声で、皆いっせいに飛おきた・・略・役場職員とその家族およそ70人を、那覇署員が手分けして誘導し、壕を探すことにした。こうしてこの人々は、50日間住み慣れた繁多川の洞窟をあとにした。・・・ 略・・彼等を誘導した警官たちの報告によると「途中で砲弾や機銃をうけ、幾人かが倒れ、また幾人かが傷つき、そのうえ行く先々のどの壕も、どの墓も負傷兵や避難民がいっぱいで中に入れてもえらえず、ついに散り散りになった」という。玉城村長も夫婦二人きりになって、転々と避難をつづけていたが負傷して死んでいったといわれる。《那覇市史 2-6(八)島尻郡旧真和志村戦争記28~29頁》

  

■ 《球部隊の壕の退去勧告は、避難勧告であった可能性が高いと判断できる記録》

 ①1993年3月22日発行 沖縄県警察史 第2巻(昭和前編)によると、

  5月12日、荒井警察部長は警察特別行動隊を編成し出発させる。その頃、戦線の切迫に伴って那覇警察署は繁多川の壕から真玉橋に移動した、と記されている。

 ②2003年4月25日発行 沖縄の島守 によると、4月24日 日本軍防御第二線が米軍によって突破された為、第32軍司令部は島田知事に「首里・那覇地区の非戦闘員は即刻立ち退き、29日ころまでに南部地区に非難せよ」と下令、島田知事は27日に南部の市町村長・署長会議を招集。

 5月4日黎明、日本軍防御第三線を死守する為、日本軍は総攻撃をかけるが、失敗。戦線はさらに押し下げられ首里周辺に危機が迫った。

 ③防衛省 沖縄戦の記録より 

 4月22日、第32軍司令部は、第24師団と独立混成第44旅団(島尻在)の北方陣地(首里付近)への転用を決心した。(前田高地以西は第62師団、以東は第24師団)この時独立混成旅団も北進を命ぜられた旅団司令部は識名にあった。独立混成第15連隊が真和志村一帯に展開する(28日から29日)第1大隊は松川付近、第2大隊は壷屋付近に展開。即ち、真和志村一帯は、独立44旅団が陣地を占領して、近く激戦が予想される地域である。

 

             ★

 

 『パンドラ訴訟』の高裁判決は、7月29日に下されます。

■カンパ協力のお願い■
琉球新報の言論封殺に戦いを挑んでいる上原正稔さんの訴訟へのカンパ協力は支援団体の三善会へお願いしております。
------------------------------------------
ゆうちょ銀行からの振込の場合
【金融機関】ゆうちょ銀行
【口座番号】記号:17010 口座番号:10347971
【名  義】サンゼンカイ.
------------------------------------------
ゆうちょ銀行以外の金融機関からの振込の場合
【金融機関】ゆうちょ銀行
【店  名】七〇八(読み:ナナゼロハチ)
【店  番】708
【口座番号】普通:1034797
【名  義】サンゼンカイ

 

人気blogランキングへ クリックお願いします

 

 『正論』7月号は、沖縄特集第2弾です

 

筆者も寄稿しました。

 

月刊正論2013年7月号6月1日発売 定価740円

 

 

沖縄異常事態 第二弾

 

重大資料発掘!

 

地元メディア反日偏向報道の淵源

 

ジャーナリスト 井上和彦

 

緊急報告!

 

尖閣領海で中国公船に包囲された緊迫の6時間

 

八重山日報編集長 仲新城誠

 

【新連載】対中最前線 国境の島からの報告①

 

中国領海侵犯と教科書採択事件の深い関係

 

仲新城誠

 

ついに牙を剥き出した中国-沖縄併呑計画の先兵は誰だ

 

 琉球独立論の空虚

 

 ジャーナリスト 大高未貴

 

「天皇メッセージ」の悪用に反駁せよ

 

ライター・ブログ「狼魔人日記」管理人 江崎孝

 

人気blogランキングへ クリックお願いします

 

『沖縄に内なる民主主義はあるか』定価:1735円(税・送料込み)

季刊誌「かみつく」創刊号紹介HP
価格 1420円(税・送料込み)

「かみつくⅡ」定価:1735円(税・送料込み)

ネットから御注文を受け付けています。
ezaki0222@ybb.ne.jp
※↑↑こちらまで住所氏名と電話番号を御連絡いただければ、受注当日か翌日までに発送いたします
<送金方法等詳細はここ>

「かみつくⅡ 」の目次
「かみつく」の内容紹介
「沖縄に内なる民主主義はあるか」の内容紹

沖縄戦「集団自決」の謎と真実
秦 郁彦
PHP研究所

このアイテムの詳細を見る
コメント (4)

日本嫌い急増?中韓+沖縄?

2013-07-15 08:14:54 | ★パンドラの箱訴訟

  よろしかったら人気blogランキングへ クリックお願いします

櫻井よしこ氏は、在日中韓の学生とのテレビ討論会で、学生たちが「日本はアジアでは嫌われている」と連発したことに対し「あななたのおっしゃるアジアって、何処の国事かしら」と聞き返し、日本を嫌っているのは中韓だけということを視聴者に知らしめた。

「あなたのおっしゃるアジアって、どこの国のことかしら?」

TasiaD80.jpg

アジアの国とは中韓しかないという前提で「日本はアジアの嫌われ者」と主張する識者が、沖縄には多い。

沖縄の識者の思考構造は在日中韓学生と同じであることがわかる。

反日教育をしている中韓で、日本嫌いが多くても当然である。

その一方で日本では、教科書に中韓朝に都合の悪いことは書かない「近隣諸国条項」採用という世にも不思議な配慮をする国。

その結果がこれだ。

「日本嫌い」急増 中韓、歴史問題背景か

琉球新報 2013年7月12日 
 
 【ワシントン共同】米調査機関ピュー・リサーチ・センターがアジア各国で実施した世論調査で、日本に好感を持っていないと答えた人が中国と韓国で大半を占め、両国で「日本嫌い」が急増していることが15日分かった。歴史や領土をめぐる問題が背景にあるとみられる。
 日本に「非常に悪い印象を持っている」と答えた人は中国で74%、韓国で38%。2008年の前回調査と比べ、中国で40ポイント、韓国で25ポイントも増えた。「あまり良くない」印象があるとの回答と合わせると、中国で90%、韓国で77%に達した。
(共同通信)

                              ☆

櫻井よしこ氏が指摘して以来、さすがに「アジアの国は日本嫌い」と書く新聞は見なくなった。

アジアにたくさんの親日国家がある。 

福沢諭吉の指摘にしたがって、無理して、中国や朝鮮半島と付き合う必要などない。


 

今回のアンケート調査から見えてくる「真実」は、「反日感情」は、民族が原因ではなく、反日教育が原因ということ。

中国人は、台湾はもとより、シンガポールやマレーシアにも数多く暮らしている。 

ましてや、香港に至っては、中国領にもかかわらず、反日より親日が多いのは、香港では、中国本土とは違い、反日教育がなされていないからだ。 

はっきり言えることは、世界の国々の中で日本への反日教育を行っているのは、中国と韓国・北朝鮮だけ。

従がって、日本に憎悪を剥き出しにする国は、中国・韓国・北朝鮮の特亜三国、つまり「近隣諸国条項」の対象国に限られるという皮肉な結果になる。

  
   2012年11月6日 アウンコンサルティング株式会社http://www.auncon.co.jp/corporate/2012/110602.html


おっと、忘れる所だが、日本でありながら反日教育をしている県がある。

反日サヨクの巣窟である沖縄県教育委員会と沖教組が、教育界を支配すする沖縄だ。

従がって日本に憎悪を剥き出しにする国は、特亜三国+「沖縄の反日サヨク複合体」ということになる。

そう、沖縄の「平和教育」とは、沖縄防衛戦で戦死した将兵のことを「残虐非道な日本軍」として罵倒することこと、である。

 ■世界日報 2013年7月14日掲載

 【連載】貶められた旧日本兵-「援護法」に隠された沖縄戦の真実 (6)
 座間味村の援護係/
「隊長命自決の申請」を謝罪


  沖縄戦における座間味村の民間人の犠牲者は358人で、そのうち少なくとも300人が集団自決したとされている。
座間味村の遺族会長であり、当時の援護係として「座間味戦記」を取りまとめた宮村幸延(戦後、宮里より改姓)という人がいる。座間味島の守備隊長を務めた梅澤裕氏らがノーベル賞作家の大江健三郎氏と岩波裁判を相手取った「大江・岩波集団自決訴訟」では被告側に立って証言した人物だ。

  終戦を福岡で迎えた幸延氏は、故郷の座間味村に帰ると、長男の盛秀を含む男兄弟4人のうち3人が戦死したことを知る。しかも、助役を務め兵事主任を兼任していた盛秀は集団自決を先導した張本人と噂されていた。宮城晴美著「母の遺したもの」(高文研)によると、宮里助役は梅澤隊長に自決用の爆薬を求めた村の有力者の一人。村役場に常備されていた銃と銃弾帯を常に携帯し、16歳以上の若者で組織された民間防衛隊の隊長を務め、軍人より軍人らしい民間人と言われていたという。

  座間味村役所の援護係となった幸延氏は、補償申請の書類を遺族に代わって書き、厚生省援護局へ郵送した。ところが、書類が全部送り返されてきた。

  業を煮やした幸延氏は、厚生省との直談判のため何度も上京をした。その結果、0歳児を含め6歳未満も、昭和38年以降、準軍属として確定する。座間味村役所は昭和41年、幸延氏を功労者として表彰した。

  昭和56年、幸延氏は座間味村の慰霊祭の日、梅澤氏と鉢合わせた。援護金申請書に「隊長命令による自決」と記入し、多額の給付金受給の手続きをした張本人が、梅澤隊長の姿を見て動揺したことは想像に難くない。

  その当時、梅澤氏は、マスコミにより「慶良間島で住民に自決命令を出した残虐非道の隊長」との汚名を着せられ、家族崩壊の危機にあったと伝えられている。「せめて家族にだけも汚名を晴らしたい」と考えた梅澤氏は、援護法の真実を記した「詫び状」を幸延氏に要求した。

  梅澤氏の許可なく「隊長命令による」と書いた罪意識にさいなまれた幸延氏は、言われた通り自筆押印の「詫び状」を昭和62年3月28日付で書いて梅澤氏に手渡した。

  この「詫び状」が後になって「大江・岩波集団自決訴訟」の原告側の証拠資料として提出された。

  通常、民事裁判で争われる事例では、契約の「有効」か「無効」かを争う場合が多い。本人が自筆押印した書類があれば、極めて有力な証拠となる。

  「詫び状」が援護金の受給申請業務に影響を与えることを恐れた幸延氏は、当初「梅澤氏が勝手に書いた偽物」などと強弁したが、筆跡鑑定で本人の自筆と鑑定された。

  しかし、大阪地裁は平成20年(2008年)、「梅澤氏に無理やり泥酔させられて書いたため記憶がない」という幸延氏の弁解を受け入れて「詫び状」の有効性を否定した。裁判官がこのような判断を下した理由の一つは、ノーベル賞受賞を最高のブランドとする日本の裁判官のノーベル賞作家への配慮」にあると現代史家の秦郁彦氏は指摘している。

(「沖縄戦の真実」取材班)

                 ☆

【おまけ】

ネットから拾ったアジアの識者の日本に対するコメント。

1 ラジャー・ダト・ノンチック


かつて日本人は清らかで美しかった。

かつて日本人は親切でこころ豊かだった。

アジアの国の誰にでも自分のことのように一生懸命つくしてくれた。

何千万人もの人のなかには少しは変な人もいたし、おこりんぼやわがままな人もいた。

自分の考えをおしつけていばってばかりいる人だっていなかったわけじゃない。

でも、その頃の日本人はそんな少しのいやなことや不愉快さを越えて、おおらかでまじめで希望に満ちて明るかった。

戦後の日本人は自分たち日本人のことを悪者だと思い込まされた。

学校もジャーナリズムもそうだとしか教えなかったから、まじめに自分たちの父祖や先輩は悪いことばかりした、残酷無情なひどい人たちだったと思っているようだ。

だから、アジアの国に行ったらひたすらペコペコあやまって、私たちはそんなことはいたしませんと言えばよいと思っている。

そのくせ、経済力がついてきて技術が向上してくると、自分の国や自分までがえらいと思うようになってきて、うわべや口先では済まなかった悪かったと言いながら、ひとりよがりの自分本位のえらそうな態度をする。

そんな今の日本人が心配だ。

本当にどうなっちまったんだろう、日本人はそんなはずじゃなかったのに。

本当の日本人を知っているわたしたちは、今はいつも歯がゆくてくやしい思いがする。

自分のことや自分の会社の利益ばかり考えて、こせこせと身勝手な行動ばかりしているヒョロヒョロの日本人は、これが本当の日本人なのだろうか。

自分たちだけで集まっては、自分たちだけの楽しみやぜいたくにふけりながら、自分がお世話になって住んでいる、自分の会社が仕事をしているその国と国民のことをさげすんだ眼で見たりバカにしたりする。

こんなひとたちと本当に仲良くしてゆけるだろうか。

どうして、どうして日本人はこんなになってしまったんだ。



2 シャフィー(元マレーシア外務大臣)

とくに私が惜しいと思うのは、日本くらいアジアのために尽くした国はないのに、それを日本の政治家が否定することだ。
責任感をもった政治家だったら、次のように言うだろう。

「その頃、アジア諸国はほとんど欧米の植民地になっていて、独立国はないに等しかった。日本軍は、その欧米の勢力を追い払ったのだ。それに対して、ゲリラやテロで歯向かってきたら、治安を守るために弾圧するのは当然でないか。諸君らは何十年何百年にわたって彼らからどんなひどい仕打ちを受けたか忘れたのか?日本軍が進撃した時にはあんなに歓呼して迎えながら、負けたら自分のことは棚に上げて責任をすべて日本にかぶせてしまう。そのアジア人のことなかれ主義が、欧米の植民地から脱却できなかった原因ではないか。」





3 許文龍

戦前の日本の台湾統治に対し謝罪する必要などありません。
戦後の日本政府は、深い絆を持ちながら世界で一番の親日国家である台湾を見捨てました。
謝罪すべきはむしろ戦後の日本外交です。




4 蔡焜燦


どうぞ心に留めていただきたい。
“日本”は、あなた方現代の日本人だけのものではない、我々“元日本人”のものでもあることを。
私は、台湾にやってくる日本人に説く。

「自分の国を愛しなさい」

と。
自分の国をも愛せない人が、どうして他人や他の国の人々を愛せるだろうか。
自らの祖先を敬い、親兄弟を愛し、そして、そうした人々が幸せに暮らす祖国を愛してこそ、世界の人々を愛せるのだ。・・・

どうぞ台湾に日本の正しい歴史を学び、自身と誇りを取り戻していただきたい。
そして誇りある日本がアジア地域の安定と平和を担う真のリーダーたらんことを願う。

日本人よ胸を張りなさい!



5 金美齢

ぜひ、皆さんも歴史的に、伝統的に持っていた日本人の徳目、日本人の素晴らしさを再評価して、それをなんとか次の世代に伝えてゆくという仕事に、日本人ひとり一人が参加してほしいのです。
それが台湾のためなのです。
日本がちゃんとしていなければ、台湾は、存在できない。
日本と台湾は運命共同体だと考えています。・・・

日本は、責任をもってこの地域のリーダーであるというその使命を果たしてほしい。
日本以外にはないのです。
覇権主義国家の中国にこの地域のリーダーシップをとってもらっては皆が迷惑するのです。
ですから皆さん、“覚悟”を決めて、この地域のリーダーを担えるような国をつくり上げていってください。




6 オランダのアムステルダム市長(後に国務大臣)

あなた方日本は、先の大戦で敗れて勝ち、勝ったオランダは大敗しました。
というのも、その後日本は世界1、2を争う経済大国になったのに対して、私たちオランダは戦後、貧乏国になってしまったのです。
戦前はアジアに、本国の36倍の植民地インドネシアがあり、石油等の資源産物で、本国は英耀栄華をきわめていました。

それらを全て失ってしまったからです。
日本はアジア各地で侵略戦争をして申し訳なかったとペコペコ謝罪していますが、これは間違いです。
あなた方こそ、血を流して東亜民族を解放し、人類最高のよいことをしたのです。
本当は私ども白人が悪いのです。
日本は敗戦しましたが、東亜の解放は実現しました。
日本軍は戦勝国の全てをアジアから追放しました。
その結果、アジア諸民族は各々独立を達成しました。
日本の功績は偉大です。
血を流して戦ったあなた方こそ最高の功労者です。
自分を蔑むのを止めて、堂々と胸を張って、その誇りを取り戻すべきです。


【おまけ】2
沖縄紙で日本への怨念を吐き散らすだけでは満足できず、他県の地元紙でも、日本のことを「植民地主義者」「侵略者」などと日本への憎悪を剥き出しにする沖縄の識者の例。
 
こんな駄文を有難げに掲載する新聞も新聞だが・・・。
 

 

沖縄慰霊の日】 「この40年は無意識の植民地主義者や侵略者としてのヤマトンチュ(日本人)の姿があらわになった日々です」

【東奥日報】<天地人>
■「慰霊の日」は、沖縄の今を考える日でもある。  第2次世界大戦末期、沖縄に「鉄の雨」が降り注いだ。住民を巻き込んだ地上戦は3カ月続き、軍民合わせて二十数万人が命を落とした。1945年6月23日の沖縄戦終結から67年。きょう沖縄は犠牲者を追悼する「慰霊の日」を迎えた。

 現地には本県戦没者の碑「みちのくの塔」も立つ。昨年の「慰霊の日」に、本県遺族会の23人が糸満市での平和祈願慰霊大行進と追悼式に参列した。その一人は「追悼の世代交代が進んでも、沖縄の人々にはいまだに強い思い入れがあります」と振り返る。

 6月23日は戦後史で忘れられない日だ。沖縄戦終結から15年後、60年のこの日、改定された日米安全保障条約と日米地位協定が発効した。本土復帰からことしで40年。米軍基地が圧倒的な存在として残る沖縄の今は事実上、この日から始まったのだ。

 「この40年は、無意識の植民地主義者や侵略者としてのヤマトンチュ(日本人)の姿があらわになった日々です」。先月、沖縄出身の詩人高良勉(たからべん)さんは本紙朝刊につづった。痛烈な問いかけである。迷走する基地問題、米軍機の墜落事故や米兵による犯罪など、沖縄の痛みと真正面から向き合ってきたか、と。……… (2012年6月23日)<記事全文>

               ★

 安 倍 晋 三 総 理 大 臣 来 た る !キラキラ  キラキラ  キラキラ 


遊説日程は下記の通りです。

7月16日(火)

赤ハイビスカス14:30 安慶名十字路(うるま市)

赤ハイビスカス15:00 ゴヤ十字路(沖縄市)

赤ハイビスカス17:00 パレット前(那覇市県庁前)

赤ハイビスカス19:00 2区あさと政晃総決起大会(宜野湾市 コンベンションセンター 劇場棟

 皆様、友人、知人をお誘い合せのうえ、是非応援にお越しください!

人気blogランキングへ クリックお願いします

 『正論』7月号は、沖縄特集第2弾です

 

筆者も寄稿しました。

 

月刊正論2013年7月号6月1日発売 定価740円

 

 

沖縄異常事態 第二弾

 

重大資料発掘!

 

地元メディア反日偏向報道の淵源

 

ジャーナリスト 井上和彦

 

緊急報告!

 

尖閣領海で中国公船に包囲された緊迫の6時間

 

八重山日報編集長 仲新城誠

 

【新連載】対中最前線 国境の島からの報告①

 

中国領海侵犯と教科書採択事件の深い関係

 

仲新城誠

 

ついに牙を剥き出した中国-沖縄併呑計画の先兵は誰だ

 

 琉球独立論の空虚

 

 ジャーナリスト 大高未貴

 

「天皇メッセージ」の悪用に反駁せよ

 

ライター・ブログ「狼魔人日記」管理人 江崎孝

 

人気blogランキングへ クリックお願いします

 

『沖縄に内なる民主主義はあるか』定価:1735円(税・送料込み)

季刊誌「かみつく」創刊号紹介HP
価格 1420円(税・送料込み)

「かみつくⅡ」定価:1735円(税・送料込み)

ネットから御注文を受け付けています。
ezaki0222@ybb.ne.jp
※↑↑こちらまで住所氏名と電話番号を御連絡いただければ、受注当日か翌日までに発送いたします
<送金方法等詳細はここ>

「かみつくⅡ 」の目次
「かみつく」の内容紹介
「沖縄に内なる民主主義はあるか」の内容紹

沖縄戦「集団自決」の謎と真実
秦 郁彦
PHP研究所

このアイテムの詳細を見る

「安倍総理来る。7月16日(火)午後5時パレット前

コメント (8)

尖閣でアメリカが警告!中国に「武力使うな」

2013-07-14 06:56:01 | ★パンドラの箱訴訟

 よろしかったら人気blogランキングへ クリックお願いします

沖縄タイムス・社説のアベノミクス批判に対し、「対案なき批判はバカでもできる」と書いた。

沖縄タイムスは13日の社説で性懲りもなく安倍政権の外交を批判し「社説[東アジア外交]関係改善の道筋を示せ」などとバカを丸出し。

>日米、米中、米韓、中韓の首脳会談は実現したが、日本と中国、韓国との首脳会談はいまだに実現していない。

>東アジアで日本が孤立しかねない状態が生まれているのである。この状態をどう打開するのか。東アジア外交をどのように進めていくのか。

>参院選は関係改善に向けた具体策を論じる機会でもあるが、議論は極めて低調である。日中関係の将来像もあいまい模糊(もこ)としたままだ。

尖閣問題にしても、「対話による解決」を繰り返す以外に能のない沖縄タイムスに、対案などあるはずもない。

そもそも対話をしようにも対話の扉を閉ざしているのは、中国の方ではないのか。

一方、余裕の安倍首相は「対話の扉は常に開いている」と公言している。
 

>安倍首相は、保守支持層を意識してか、特に中国に対して、強硬姿勢が顕著だ。

>安倍首相が「力で現状を変更するのは間違い」だと中国を批判すると、中国もすかさずこれに反論する。

>選挙公約をめぐる政党間の論戦よりも安倍内閣と中韓両政府のぎくしゃくした関係だけが目立つのである。

安倍首相の中国に対する「力で現状を変更するのは間違い」というメッセージは日本の首相として当然のことを言ったまでであり、これを強硬姿勢というなら、中国に言いなりになれというのが沖縄タイムスの対案なのか。

アメリカは尖閣諸島は日米安保の対象地域とは発言したが、それ以上の踏み込んだ発言は控えてきた。

ところが最近の中国の傍若無人な対応に危機感を感じたのか、安倍首相の「力で現状を変更するのは間違い」という発言をバックアップし、」こんな発言をした。

アメリカが中国に尖閣諸島問題で武力行使を控えるよう要

アメリカが中国に尖閣諸島問題で武力行使を控えるよう要請
 アメリカのオバマ大統領が、日本と領有権をめぐり対立している尖閣諸島問題での武力行使を行なわないよう警告しました

フランス通信によりますと、オバマ大統領は11日木曜、中国に対して日本政府との対立を控え、対立解消のために平和的な手段を行使するよう求めました。

この要請は、ここ数日間、日本の防衛省が防衛白書を発表した後、中国政府が日本との関係に神経を尖らせているを示唆している中で行なわれました。

日本の防衛省は今週、2013年度版の防衛白書の中で、日本政府は安全保障面における、中国と北朝鮮の脅威の増大に直面していると発表しました。

日本は尖閣諸島近海における中国の措置を強く批判し、この措置は地域における不安定の要因であるとしました。

日中関係は尖閣諸島の領有権をめぐり、ここ1年の間悪化しています。

                             ☆

沖縄戦をネタに国にゆすりたかりの訴訟を起すとなると、沖縄タイムスはできるだけ大騒ぎしたい「美味しいネタ」のはず。

だが、昨実の沖縄タイムスは、できるだけ読者の目に届かないにと考えたのか、29面のベタ記事で報じた。

■沖縄タイムス 2013年7月13日

弔慰金の不支給

取り消し求める

援護法訴訟控訴審で原告

沖縄戦で母親ら家族3人を亡くした沖縄紙の内間善孝さん(76)が、戦傷病者戦没者遺族等援護金に基づく3人の弔慰金を支給しなかった国の取り消しを求めた控訴審第一回口頭弁論が11日、那覇高裁福岡支部(今泉裁判長)であった。国側は公訴の棄却を求めた。 原告側は、一審判決について、事実誤認や援護法の解釈・適用を誤っているなどと指摘。国側は一審判決の正当性を主張し、控訴棄却を求めた。

                ☆

沖縄タイムスは、無理筋の裁判と認識してか、ずい分やる気のない記事で、この記事を読んで意味のわかる読者はほとんどぴないだろう。

琉球新報が一日前に報じたので仕方なく掲載したアリバイ記事であろう。

で、その琉球新報の記事はこうだ。

琉球新報 2013年7月12日(金)33面 社会

援護法訴訟

記憶正確さ主張  内間さん、一審判決反論

沖縄戦で家族が日本軍に壕を提供して犠牲になったのに補償を認めないのは違法だとして、内間義孝さん(76)が補償請求却下の取り消しを国に求めた訴訟の控訴第1回弁論が11日、福岡高裁那覇支部(今泉秀和裁判長)で開かれた。

内間さんの家族5人は戦中、日本軍の要請で避難していた壕を明け渡した。その後、米軍の攻撃で母親と弟1人が死亡し、もう1人の弟も米軍に収容された後に死亡した。内間さんは「壕の提供要請がなければ助かった」と訴え、援護法の適応を求めていた。

内間さん側は弁論で、妹=当時6歳=の記憶の正確性を疑問視した一審判決について「母たちが眼の前で死亡するという悲惨な場面が、6歳という幼さだからこそ鮮烈な記憶を残したと考えられる」と反論した。

一審判決は、壕の提供から家族が死亡するまでに日数が経過しており、一般戦災者と変わらないとして「(壕の提供による)国との雇用類似関係は消滅している」とし判断した。内間さん側は「戦場下で死の危険を命懸けでかいくぐり、わずか十数日間を生き延びたために援護法の適応を否定されるのは、あまりにも残酷、無慈悲な処遇だ」として、援護法の適応を求めた。

国側は、控訴の棄却を求めた。

                ☆

沖縄タイムスよりも一歩踏み込んだ報道ではあるが、いずれにせいよ原告敗訴が見え見えの無理筋な裁判であることには間違いない。

昨年、最高裁で原告敗訴が確定した「沖縄靖国合祀取り消し訴訟」に原告側証人として出廷した石原昌家沖縄国際大学名誉教授が、これまでの「援護金受給者のほとんどが不適格者だった」と証言してしまっているのだ。

無理筋な「ゆすりたかり裁判」をできるだけ意味不明に報じた沖縄タイムスの方が問題の本質を理解しているのか、それとも全く意味がわからず意味不明な記事を書かざるを得なかったのか。

沖縄の新聞は小さなベタ記事に「不都合な真実」が隠れている。

                ☆

世界日報に連載中の「『援護法』に隠された沖縄戦の真実」は、12日(金)は休載で、昨日13日(土)から再開している。

■2013年 7月13日(金)掲載

【連載】貶められた旧日本兵-「援護法」に隠された沖縄戦の真実 (5)
援護の申請書/

「自分で逃げた」は突き返し

 遺族連合会による座談会では、援護金の威力も赤裸々に話されている。

 <Z 援護法制定は昭和二十七年ですが、沖縄の方々が受給できたのは昭和三十二から三十三年、数年遅れでした。数年分のお金がまとまって入ったら、親戚から厄介者にされていた未亡人が一転して親戚から大事にされるようになったとか、家を建てたとか、お墓を建てたという話も聞きました。といっても当時の遺族の生活は本当に大変で、ともかく遺族会の業務は遺族を陰に日なたに助けることでした。>

 さらに、0歳であっても戦闘協力者とみなされ、援護法の対象となった経緯にも触れている。

 <U 「六歳未満戦没者の戦闘協力扱い」は遺族会運動の一つである「国家補償」の中から芽生えて実現しました。地上戦があって県民戦没者が多い沖縄の遺族会の取り組みは、皆さんから詳しく聞いて記録に残して置くべきですね。

 Z 補足しますと、「戦闘協力者」の申し立ては昭和三十二年七月から適用を受けて、申立書を作成提出するときに、壕の提供や食糧提供など二十項目を挙げました。当初は七歳以上しか処遇しない、「小学校一年生なら自分の意思で戦闘に協力する。それ以下は自分の意思ではない」というのが理由でした。小学校一年生までを「戦闘協力者」と処理する一方で、戦争犠牲者の処遇問題について「戦争犠牲者の処遇をやってくれ」と遺族会で大会をうっていました。

 沖縄県社会福祉協会の大会でも取り上げてもらい、十年余り運動を展開して、昭和五十六年八月に六歳未満の処遇が認められました。長い運動の成果です。>

 Z氏の発言は、「沖縄戦の戦闘参加者処理要項」とそれの記載マニュアルである「戦闘参加者概況表」の内容を裏付けものとなっている。

 座談会はまた、死没処理について厚生省と援護課のあうんの呼吸の協力についても語っている。

 <Z 係の者が厚生省資料を「保管する」という名目でお二人に置いて帰ってもらい、夜、援護課職員が必死で資料を書き写すのに我々も加勢し(笑)、写したものをガリ版刷にして各市町村へ送り、それをもとに書類を作らせて死没処理はうまくいきました。>

 <M 当時はコピー機もなく必要な書類は一切書き写し、書き写したら謄写版で印刷、大変な作業でしたね。青年部の人たちと書類を写しに関係官庁に行って「妻特給(注・戦没者戦傷者の妻に対する特別給付金)の名簿」などを全部書き写しましたよ。

 申請書も、戦闘と関係がある書き方ならいいのですが「防空壕から自分たちで逃げた」という書き方だとその一行で返される。一人ひとり遺族をよんで教える時間はないし、説明会をして、各自で手書きをしてもらいましたが、代書してもらう人もいました。一寸でも違うとすぐ返されるので、代書の方も気を使ったと思います。>

 援護法を拡大適用するため、沖縄戦の真実がいかに書き換えられたかが如実に分かる部分である。

(「沖縄戦の真実」取材班

                     ☆

【おまけ】【動画」1点

 

野嵩ゲートの老害活動活動家の後始末をするボランティア活動

【動画】迫り来る支那工作(沖縄編)★衝撃インタビュー「これが真実だ」 第

 

人気blogランキングへ クリックお願いします

 『正論』7月号は、沖縄特集第2弾です

 

筆者も寄稿しました。

 

月刊正論2013年7月号6月1日発売 定価740円

 

 

沖縄異常事態 第二弾

 

重大資料発掘!

 

地元メディア反日偏向報道の淵源

 

ジャーナリスト 井上和彦

 

緊急報告!

 

尖閣領海で中国公船に包囲された緊迫の6時間

 

八重山日報編集長 仲新城誠

 

【新連載】対中最前線 国境の島からの報告①

 

中国領海侵犯と教科書採択事件の深い関係

 

仲新城誠

 

ついに牙を剥き出した中国-沖縄併呑計画の先兵は誰だ

 

 琉球独立論の空虚

 

 ジャーナリスト 大高未貴

 

「天皇メッセージ」の悪用に反駁せよ

 

ライター・ブログ「狼魔人日記」管理人 江崎孝

 

人気blogランキングへ クリックお願いします

 

『沖縄に内なる民主主義はあるか』定価:1735円(税・送料込み)

季刊誌「かみつく」創刊号紹介HP
価格 1420円(税・送料込み)

「かみつくⅡ」定価:1735円(税・送料込み)

ネットから御注文を受け付けています。
ezaki0222@ybb.ne.jp
※↑↑こちらまで住所氏名と電話番号を御連絡いただければ、受注当日か翌日までに発送いたします
<送金方法等詳細はここ>

「かみつくⅡ 」の目次
「かみつく」の内容紹介
「沖縄に内なる民主主義はあるか」の内容紹

沖縄戦「集団自決」の謎と真実
秦 郁彦
PHP研究所

このアイテムの詳細を見る

 

コメント (4)

集団自決者も準軍属に、貶められた旧日本兵(4)

2013-07-11 11:59:11 | ★パンドラの箱訴訟

  よろしかったら人気blogランキングへ クリックお願いします

 

【連載】貶められた旧日本兵-「援護法」に隠された沖縄戦の真実 (4)

遺族会幹部証言/集団自決者も準軍属

 沖縄県遺族連合会のある役員は、同会が内部向けに発行した記念誌を提供してくれ
た。

 同誌に掲載されている座談会では、援護法の申請・適用に従事した遺族会幹部の苦労話がつづられている。その中で戦没者の処遇に関する発言のみを抜粋、引用する。ある幹部は語る。

 <就職十日目に「厚生省から係官が来るから座間味と渡嘉敷の集団自決を調べて来なさい」と言われて慶良間に行きました。援護法が出来たばかりで勉強もしていなかったので驚きながら、すぐ船で座間味に行き二泊して村役所で集団自決の話を聞き、船を用意してもらい渡嘉敷に渡り、渡嘉敷に二泊して集団自決の状況を聞き取り、事務所に戻ってレポートを提出しました。「大変な仕事を仰せつかったなあ」と思いましたが、のちに集団自決も戦闘協力で「準軍属扱い」処遇につながったのでいいことをした、と今ではおもいます。
 これが私の遺族会での初仕事です。>

 一人でも多くの県民に援護法を適用させるよう努力をしたことが証言で分かる。

 <戦没学徒の身分確定は、「十七歳以上は軍人」という規定があって四、五年生は十七歳以上で軍人なのですが「十七歳以下は軍属、女子は軍属」つまり一番戦死者が多い通信隊は二、三年生で十七歳未満で、肩章をつけていたのに軍属なんです。

 これには納得がいかず昭和三十年に「沖縄戦戦没学徒援護会」を作ってそこを中心に陳情や街頭での署名運動を展開しました。

 一万名の署名が集り、日本遺族会事務局長だった徳永正利先生が来沖された時にこれをお預けして、本土に持ち帰られ、国会で激論されて五年位かかって「男子学徒の戦没者は年齢を問わず全員陸軍上等兵にする」「女子は軍属とする」と身分が確定されました。>

 17歳以下の学徒は誇りを持って日本軍と一緒に戦ったのであるから、「軍人」「軍属」として扱われるべきだとする遺族会の主張が認められた。戦後盛んに言われたように、沖縄県民、その中でも、学徒隊は「被害者」でも「哀れな乙女」でもないのである。

 また、軍人軍属の戦死を証明する「死亡公報」も重要な事務処理のひとつだった。
遺族の申し出を元に、戦没日時、場所、死亡時の状況、発見者を添えることが必要とされていた。

 <「沖縄戦で亡くなった軍人・軍属の死没処理」がありました。

 沖縄戦で戦没した沖縄本籍の軍人・軍属の数は約二万五千名なんですが、昭和二十九年の時点で死没処理された戦死公報の受領者は六千八百名。まだ約一万八千名が戸籍上は生きていて、「援護金の請求が出来ない遺族」が大勢いました。それで「戦死公報をとる」ため各市町村を回り、学徒は「現認書」(現認書類)、軍人・軍属は「申立書」を、遺族から聞いて代筆して書きあげました。>

(「沖縄戦の真実」取材班

                  ☆

              ☆

 

【おまけ】富村順一氏の独白

       

将校と自決した慰安婦

 実は私は約五年間、大阪の高島屋の前で路上生活をしながら沖縄戦を訴えてました。梅沢隊長は何十回も私の所へ来て下さいました。

 一番悲しいのは、慰安婦から従軍看護婦になった女性のことです。一人の将校が重傷を負い、慰安婦だった朝鮮人女性が野戦看護婦となり、看病に当たった。重傷の将校は意識が朦朧としたのか、「お母さん、お母さん」と叫ぶので、その看護婦は自分の乳房を将校の口に含ませたようです。すると二、三分は唸り声も治まるが、また繰り返す。その野戦看護婦はそばに居た衛生兵達に「外へ出て下さい。わたしがお伴します」と云って、自分の乳房を将校に含ませた儘、手榴弾を爆破させ、自爆したということです。この朝鮮人慰安婦は当時朝鮮は日本だったので、日本の皇民化教育を受け、日本の女性として誇りを以て、負傷した将校と共に自決したのだと思います。

沖縄人の見た沖縄戦② -座間味に咲けよ桜と木槿-      

 昭和史研究会会報130号 沖縄人の見た沖縄戦 ② 富村順一

 

 オモニーが語る木槿さん

 話は違いますが、私が高島屋の前の軒下で五年以上、雨の日も風の日も路上生活していた頃、月に二、三回私の所にホルモン焼きやキムチの漬物を持ってくるお婆ちゃんがいました。時々私が訴える話をじっと聞いていましたが、ある日のこと「実は座間味島に木槿の木を植えたい」という話がありました。「何故あなたは座間味島に木槿の木を植えたいのですか」と訊いたところ、「一年足らずであったが座間味に居りました。金木槿という友達が座間味島で戦死をしました。実は私は木槿さんと一緒にお仕事をしていました」と話されたのです。木槿と同じ釜山の出身で、座間味島に来たようです。金木槿さんとは隣近所で、朝鮮人に騙されて日本に来てくれと云われ、慰安婦にさせられたと云うことです。「木槿の家もよく知ってますが、名前と同じような木槿の木を彼女のお父さんが庭に植えていて、毎年その花は咲いてます。私はその木槿の花を見るのが辛くて、また日本にやって来ました。」

 余り詳しくは語りませんでしたが、座間味島で日本兵と共に自決した金木槿さんの友であり、戦場の慰安婦でもあり、また看護婦でもあった女性でした。

 朝鮮人に騙され慰安婦に 

 その女は釜山の中学校を卒業してます。木槿さんは大正生まれで、日本人として生まれて日本人として学校に行ったそうです。そうして朝鮮の病院で見習い看護婦をやっていたのですが、同じ朝鮮人に、日本に病院の仕事があるからと騙されて日本に連れて来られたのです。強制連行されたのではありません。これはそのオモニーの話です。

 そのオモニーは奥さんを亡くした韓国人の後妻になってホルモン焼き屋をしていたんです。難波にお店があったようで、一週間に一遍来てくれました。そして私が梅沢さんと相談して書いた座間味の看板を見て話しかけてきたのです。私はあんな達筆の看板は書けない。私が頼んで梅沢さんが公園で書いたんです。

 私が高島屋の正面玄関の前でそんなことが出来たのは、野村秋介さんのお蔭でもあるんです。野村秋介さんが山口組の南一家のヘンジャンテさんに頼んでくれたんです。東京でも野村秋介さんが、やくざ者に妨害されないように紹介状を書いてくれ、木刀まで貰いました。

 桜と木槿を座間味の島に

 私はその女性と約束したことがあります。いずれ一緒に力を合わせてあの座間味の島に木槿だけではなくて、日本の桜も植えようではないか。一緒に自決した軍人は桜に譬え、木槿は韓国の花であるから、二つ一緒に並べて植えれば、天国の二人も喜ぶのではないか、というような話をしたこともあります。 だがそれから私は高島屋の前に出られなくなって、その小母さんと会うことが出来なくなりましたが、たしか大阪の生野区にいらっしゃるという風に話してました。

 もし自決した慰安婦が日本人であったならば、大和撫子として誉め称えられたと思う。

 今度の裁判(集団自決冤罪訴訟―中村)は元部隊長を支援するだけではありません。元部隊長の無実を明らかにすることで教科書を正しく直すことも私の目的の一つです。

 また仮え朝鮮人慰安婦であっても、戦場で従軍看護婦となり、負傷した日本軍人のお供をして自決したとなれば、放っておいてはいけません。日本人として日本の教育を受け、少くとも大和魂があったからこそ、自決したと私は思ってます。私は大和魂には余り賛成しませんが、彼女はそう信じて日本軍人のお供をした訳ですから、私は日本政府だけでなく国民もその慰安婦に感謝すべきだと思います。

 自決した沖縄出身の大城明さんにとっては六十年経ってもまだ戦争は終っていなかった訳です。その自決に追い込んだのは『沖縄タイムス』、沖教組、関係者が捏造した本が原因です。これでは大城明君も報われない。また野戦看護婦として自決した金木槿さんも浮ばれない。いま私は、いずれ体が回復すればあの座間味島に木槿の木と桜の木を植えたいのが願望です。そのことについて協力して下さるという方々もいらっしゃいます。私は一日も早くそれが実現出来るようにいま努力しています。彼女は日本の教育を受け、私の想像では大和撫子の魂をもって自決し、お供したと思います。(完)

              ★

 沖縄タイムスなど沖縄メディアが担ぐ神輿にに乗った富村順一氏。

沖縄タイムス御用達の識者でいる限りは、沖縄メディアに文章を書いたり、講演活動などで、それなりの生活が出来たはず。

だが、富村氏が独特の動物的嗅覚で「集団自決の真相」を知ってしまってからは、それまでの生活は一変、極貧生活になる。 

富村氏の経済的基盤を支えていたサヨク勢力との付き合いを一切断ったからだ。

そしてサヨク活動家の暴力で、車椅子生活を余儀なくされても「大江・岩波集団自決訴訟」では不自由な体をおして原告応援に駆けつけた。

「人間、死ぬ前には嘘はつかない」という話しは、どうやら本当のようだ。

 

■カンパ協力のお願い■

琉球新報の言論封殺戦いを挑んでいる上原さんの訴訟へのカンパ協力は支援団体の三善会へお願いしております。

--------------------------------------------------------------------------------
ゆうちょ銀行からの振込の場合
【金融機関】ゆうちょ銀行
【口座番号】記号:17010 口座番号:10347971
【名  義】サンゼンカイ.
--------------------------------------------------------------------------------
ゆうちょ銀行以外の金融機関からの振込の場合
【金融機関】ゆうちょ銀行
【店  名】七〇八(読み:ナナゼロハチ)
【店  番】708
【口座番号】普通:1034797
【名  義】サンゼンカイ.


よろしかったら人気blogランキングへ クリックお願いします

 

沖縄戦「集団自決」の謎と真実
秦 郁彦
PHP研究所

このアイテムの詳細を見る
コメント (4)

黙れ!ヤクザ国家、GJの防衛白書

2013-07-11 07:22:47 | ★パンドラの箱訴訟

 よろしかったら人気blogランキングへ クリックお願いします

 

【告知】

本日も午後2時~3時の間に2回目の更新をして、世界日報「連載」の『貶められた旧日本兵-「援護法」に隠された沖縄戦の真実』を紹介します。

                   ★

わが国の防衛白書の発表に中国が「脅威」などといちゃもんをつけた。

暴力と恫喝で隣国の南シナ海、東シナ海の侵略を狙うヤクザ国家に、「脅威」などと言われる筋合いはない。

「SHUT UP]のひと言で済む。

防衛白書の要旨

 9日の閣議に報告された2013年版防衛白書の要旨は次の通り。
 【第1部 わが国を取り巻く安全保障環境】
 〔概観〕北朝鮮によるミサイル発射や核実験を含む挑発行為、中国による領海侵入・領空侵犯など、一層厳しさを増している。冷戦後も領土問題や(朝鮮半島の)統一問題が残され、わが国固有の領土である北方領土や竹島の問題が未解決のまま存在。米軍のプレゼンスは依然として非常に重要だ。
 〔米国〕安保戦略の重点をアジア太平洋地域に置く方針を打ち出しているが、国防歳出の強制削減の影響が注目される。
 〔北朝鮮〕核実験はわが国の安全に対する重大な脅威、北東アジアおよび国際社会の平和と安定を著しく害するもので、断じて容認できない。弾道ミサイル開発は新たな段階に入ったと考えられ、能力向上と移転・拡散の観点から広く国際社会にとって差し迫った問題だ。
 〔中国〕周辺国との利害対立問題で、力による現状変更の試みを含む高圧的とも指摘される対応を示している。軍事力の急速な近代化は地域・国際社会の懸念事項で、透明性を高めていくことが望まれる。わが国周辺で領海侵入や領空侵犯、不測の事態を招きかねない危険な行動を伴うものが見られ、極めて遺憾。射撃管制用レーダーの使用を否定するなど事実に反する説明を行っている。国際的規範の共有・順守が求められる。
 〔ロシア〕わが国への近接飛行などに活発化の傾向が見られる。
 〔サイバー空間〕多くの外国軍隊が攻撃能力を開発中とされる。政府機関や軍隊へのサイバー攻撃が多発しており、中国、ロシア、北朝鮮の関与が指摘されている。
 【第2部 わが国の防衛政策と日米安保体制】
 〔防衛大綱見直し〕弾道ミサイルの脅威に対する実効的な抑止・対処能力や、輸送力・機動力を含む島しょ防衛能力などを精力的に検討中。
 〔防衛費〕減少を続けていた防衛関係費を実質11年ぶりに増額。
 〔オスプレイ〕優れた性能を有し、沖縄配備で在日米軍全体の抑止力が強化され、地域の平和と安定に大きく寄与する。
 〔日米防衛協力の指針見直し〕防衛省内に研究チームを設置、日米審議官級を含むさまざまなレベルで議論を進めている。
 【第3部 わが国の防衛に関する施策】
 〔周辺海空域の安全確保〕接続水域を潜航する潜水艦を確認。中国機への緊急発進回数が初めてロシア機を上回った。
 〔島しょ防衛〕万一島しょを占領された場合は航空機や艦艇による射撃で敵を制圧後、陸自部隊を着上陸させるなど奪回作戦を行う。
 〔弾道ミサイル対応〕北朝鮮はミサイル発射示唆を含む挑発的行動を繰り返し実施。防衛省・自衛隊はいかなる事態にも国民の生命・財産を守るべく万全の態勢をとっている。
 〔在外邦人輸送〕輸送手段への車両追加などを内容とする自衛隊法改正案を国会に提出した。(2013/07/09-09:44

                                    ☆

仮想敵国。

ロシアに代わって中国が、わが国の最大の仮想敵国であることは論を待たない。

尖閣諸島の奪取を目論み、領海侵入などの挑発行動をやめない最近の中国の状況を見れば中国が仮想敵国であることは明白だ。

白書は中国の挑発行為を「不測の事態を招きかねない危険な行動」と強く批判した。 これまでの中国に遠慮した表現とは大きな違いであり、GJである。 白書の公表も一種の外交メッセージであり、自衛隊に「海兵隊的機能」を持たせる意義に言及したことは離島防衛の大きな抑止力になる。与那国島に沿岸監視部隊を配備することも抑止力の第一歩である。。

最近の日米合同の離島奪還訓練を含め、南西諸島防衛の強化を通じて、日本は自らの抑止力を高めなければならない。

>〔オスプレイ〕優れた性能を有し、沖縄配備で在日米軍全体の抑止力が強化され、地域の平和と安定に大きく寄与する。

防衛白書に「地域の平和と安定に大きく寄与する」と明記されていることはオスプレイが「危険な欠陥機」ではないことの証明であり、軍用輸送機としてはこれ以上の「安全性の担保」はない。

10日の沖縄タイムスは振り上げた拳を下ろすわけにはいかないのか、一応の批判をしているが、ことここに至っては、何の説得力もなく、批判すればするほど空しくなってくる。

社説 [防衛白書] いつまで続く過重負担

米海兵隊の垂直離着陸輸送機MV22オスプレイの普天間飛行場への配備については1節2ページをあて、配備の意義や安全性を強調している。

 白書はオスプレイの機能がいかに優れているかを数字で示し、抑止力向上につながることを強調する。だがここには訓練にさらされる地元住民の視点はない。

 安全性について「十分に確認された」とするが、日米で合意した約束事さえ守られていないのが現状だ。県が運用ルール違反を国に指摘、調査を求めた。これに対し、日米から非公式に「ルール違反はない」との回答が寄せられている。合意には「運用上必要な場合を除き」などの文言があり、運用上必要であれば違反にはあたらない、というのが米軍側の解釈だ。
 追加配備にも言及しているが、仲井真弘多知事らは白書が公表された9日、国に見直しを求めている。

 

国防案件は国の専管事項であり、オスプレイの沖縄配備もその一環である。

そんな中、仲井真県知事の発言は、何処までが本音なのか理解に苦しむ。

 知事、オスプレイ追加配備見直し要請

 2013年7月9日 09時52分

 <【東京】仲井真弘多知事は8日、外務省に岸田文雄外相を訪ね、米軍普天間飛行場への垂直離着陸輸送機MV22オスプレイの追加配備について、中止を含めた見直しや配置分散、運用ルールの順守など6項目を要請した。岸田氏は「配備への厳しい声、不安の声をわれわれはしっかり認識しなければいけない。要請をしっかり受け止め、具体的な回答を返せるように努力したい」と応じた。>

県知事も岸田外相も沖縄2紙の顔色を窺うようなパフォーマンス発言は、うんざりだ。

いい加減にしてほしい。

岸田外相は、こう発言すべきだ。

「オスプレイの沖縄配備は、日米安保に基づく輸送機の機種更新に過ぎない」

「オスプレイの沖縄配備は国防案件なので、国の専管事項である」

沖縄タイムスが祖国と仰ぐ中国が早速いちゃもんをつけてきた。

 

中国外務省「悪意もち脅威あおってる」 防衛白書に反発

「悪意をもち教委をあおっている」のはどっちだ!(怒)

毎年無制限に軍事費を増やし続けるヤクザ国家に対しては、

「黙れ!」

「お前にだけは言われたくない!」

のひと言で充分だろう。

 

そして「脅威」とはこういう事を言う。  

中国、尖閣近くの東シナ海で実弾射撃訓練

 

           

            ★

沖縄2紙が決して報じることのない「南の島から来た特攻隊」の話しを、八重山日報が報じている。

20137月10日

特攻31人を刻銘へ 沖縄戦で石垣から出撃 伊舍堂中佐顕彰碑

 

 伊舍堂用久中佐と隊員の顕彰碑建立期成会の三木巌会長は9日、八重山日報の取材に対し、沖縄戦で石垣島から出撃した特攻隊員31人すべての名前を顕彰碑に刻銘する考えを明らかにした。▼全文は「新聞オンライン.com」で
http://www.shimbun-online.com/latest/yaeyamanippo.html

 ■7月9日

 

石垣から31人が特攻 伊舍堂中佐ら皮切りに

 
 知覧特攻平和会館が発行している陸軍特攻隊員の名簿(伊舍堂用八氏所蔵)。出撃順になっており、一番最初に伊舍堂中佐の名がある。用八氏が蛍光ペンでラインを引いている。
 知覧特攻平和会館が発行している陸軍特攻隊員の名簿(伊舍堂用八氏所蔵)。出撃順になっており、一番最初に伊舍堂中佐の名がある。用八氏が蛍光ペンでラインを引いている。

 石垣島では、沖縄戦末期、陸軍の特攻(特別攻撃)第1号として白保飛行場を飛び立ち、米艦隊に体当たりした伊舍堂用久中佐(当時24)の顕彰碑建立が進む。特攻隊員の遺品などを展示している鹿児島県知覧特攻平和会館発行の特攻隊員名簿によると、石垣島からは伊舍堂中佐を皮切りに、31人の特攻隊員が出撃したことが分かっている。

 ▼全文は「新聞オンライン.com」で
http://www.shimbun-online.com/latest/yaeyamanippo.html

 

■7月8日

 

「国境の危機」とは⑥ 仲新城 誠

 伊舍堂中佐の業績
 ところで現在、石垣島では終戦記念日の8月15日に特攻隊の顕彰碑が建立されます。戦後68年、このタイミングで特攻隊の顕彰碑が建立されるのは、全国でも石垣島しかないでしょう。
 顕彰される特攻隊員は伊舍堂用久中佐という人で、石垣島出身です。1945年3月26日、沖縄戦の特攻(特別攻撃)第一号として石垣島を飛び立ち、彼が指揮する飛行隊など計10機とともに慶良間諸島沖で米軍空母に体当たり攻撃を敢行しました。中佐は当時24歳でした。

 ▼全文は「新聞オンライン.com」で
http://www.shimbun-online.com/latest/yaeyamanippo.html

 
 【おまけ】2
 

 

沖縄戦で民間人が日本兵に親切にされたとか、日本軍から沢山食糧を貰っていたなどの証言は多数ある。
 
だが、これは決して沖縄メディアで報じられることはない。

たとえ取材されても改竄され、新聞どころか公的刊行物に沖縄戦史として「日本兵の悪行」が掲載されている例もある。

次は元教員の上原義雄先生の「やさしい日本兵」の証言です

7分40秒から 

沖縄戦当時、食糧を沢山日本軍から貰った事を思い出し、言葉に詰まる元教員の上原義雄氏。仕方なく撮影を中断して撮り直しています。

【動画】 1/4【沖縄の真実】労組と日教組[桜H22/8/7]

戦後、既に68年も経過している。

そろそろ、捏造された「残虐非道な日本軍」の神話とも決別する時期に来ている。

 

■カンパ協力のお願い■

琉球新報の言論封殺戦いを挑んでいる上原さんの訴訟へのカンパ協力は支援団体の三善会へお願いしております。

--------------------------------------------------------------------------------
ゆうちょ銀行からの振込の場合
【金融機関】ゆうちょ銀行
【口座番号】記号:17010 口座番号:10347971
【名  義】サンゼンカイ.
--------------------------------------------------------------------------------
ゆうちょ銀行以外の金融機関からの振込の場合
【金融機関】ゆうちょ銀行
【店  名】七〇八(読み:ナナゼロハチ)
【店  番】708
【口座番号】普通:1034797
【名  義】サンゼンカイ.


よろしかったら人気blogランキングへ クリックお願いします

 

コメント (1)