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宮城晴美氏の回顧と宮城能彦著「沖縄道」の続編を書く予定だが、先ず冒頭に亮太さんのコメントを紹介します。
奥様と愛犬を実家に送り届けた際の土産の干物やするめを肴に狼魔人人日記を読んでいる・・・拙ブログを楽しんでおられる情景が髣髴として、ブロガー冥利に尽きるコメントです。ありがとうございます。 同時に「パンドラ訴訟」のカンパ金もこの場を借りて御礼申しあげます。
<最近は週末は愚妻を実家に送る日々です。
愚妻の母上が体調を崩し、その看護のため帰るからです。それと母上が飼っていた愛犬も預かっていまして、その犬が週末になると実家に送り届けないと機嫌が悪いのです。
というわけで、本日も愚妻と犬を送り届けその帰りに、パンドラの箱訴訟のカンパ金を振り込みました。土産に貰った干物とかするめを肴に狼魔人日記を読んでいます。
宮城教授は、数年前までブログを持っていらっしゃいましたが、私も欠かさず読んでいました。遠まわしながら沖縄の全体主義を非難されていました。その文章からかなり気を使いながら文章を書いているとの印象は受けましたが、ある筋からの圧力で突然ブログを閉鎖され心配しましたが元気な様子で何よりです。
確かに集団自決裁判では、前言を翻す人達が多く出ましたが、裏に共通する人物がいますね。
そう沖縄戦の死亡者に満州事変の死亡者をプラスして沖縄戦の住民犠牲は15万人とも20万人とも主張する人です。
沖縄史編纂所で、一緒に仕事をした星さんがそのA教授の言葉として「日本軍を徹底的に貶めろ。」と発言したことを証言しています。
私は思うのですが、沖縄の不幸は戦後沖縄の指導者たちに、A教授や沖縄初の女性県会議員とか脛に傷のある人たちが就いたことですね。>
>沖縄史編纂所で、一緒に仕事をした星さんがそのA教授の言葉として「日本軍を徹底的に貶めろ。」と発言したことを証言しています。
確か以前の文章ではジェントルマンの星さんは名前を伏して遠慮がちに「A氏」と書いていました。 最近の星さんは覚悟を決めたのか、それともジェントルマンに決別したのか(失礼)、最新の「うらそえ文藝」第17号の宮城能彦沖縄大学教授との対談で、次のように「A氏」の正体を暴いている。
<星: 実は40年ほど前に、私は沖縄戦の聞き書きをしたとき、米軍が4月1日に上陸した地点から南部一帯をずっと調査したんですよ。区長の「家に数人の戦争体験者を集めて、証言を聞いたわけです。 その中には本当にウチナーンチュを助けた日本兵もいたのですよ。 勿論、日本兵を死に追いやった日本兵もいたが、日本兵の誘導で命拾いした話もあった。 それもテープお越ししているわけだから、それらをそのまま文章化した。 戦争とはこういうものだと心を痛めながら、資料編集所に文章化したものを提出した。 1週間して、当時、県職員だった安仁屋政昭が尋ねてきた。 まだ彼は名嘉正八郎のの下で働く職員だったけど、私のところに来て、「なんで日本兵の善行をもっともらしく書くのか、あんなのは必要ないよ」と、私に忠告してきたのです。 「いや、あれは僕1人じゃなくて名嘉正八郎も一緒に録音取ったものだ、ありのままのものだから、そんなふうに言われる筋合いはない」と言い返して喧嘩別れした>(「うらそえ文藝」第17号)
※注)安仁屋政昭⇒現在沖縄国際大学名誉教授
名嘉正八郎⇒当時の県資料編集所所長
☆
又しても脱線しそうなので、宮城晴美氏の回顧を。
女性史研究家・宮城晴美氏
「うらそえ文藝」への反論として琉球新報に掲載された宮城晴美氏の長ったらしい駄文は、当時のエントリー世にも不思議な宮城晴美の論文 自著で論破される!では縁側さんの書き起こしにリンクさせてもらいましたが、本稿では保存資料としてコピペさせてもらいました。縁側さんに感謝です。
以下は過去エントリーに一部加筆したものです。
■世にもふしぎな宮城晴美の論文■
宮城晴美氏の琉球新報掲載の論文「検証「集団自決」 ジェンダーの視点から」は、「逆風って気持ちがいい」縁側さんのサイトで全文読むことが出来ます。
太文字は新報記事の見出しです。
宮城晴美の論考その4
痛ましい父と子の関係 戦時下、国家権力が「利用」
*
■検証「集団自決」 ジェンダーの視点から 宮城晴美■
(琉球新報 6月19日~24日 ①~④の四回連載)
新報が四回連載で「集団自決」の論文を掲載するのだから、当然『うらそえ文藝』の「集団自決特集」に対する論理的な反論を期待して読んだ。
だが、その期待は見事に裏切られた。
新聞にしては例外的な大きなスペースの割りに論点ずらしに終始。
『うらそえ文藝』に対する反論らしき部分は次に引用する①の冒頭部分と、④の結語部分だと思われる。
①<法廷における元戦隊長らを擁護する立場から歪んだ「証言の再構築」(隊長は命令しなかったという新証言なるものなど)が浮上したり、「集団自決」の用語を封じる手段として、援護法(戦傷病者戦没者遺族等援護法)と「靖国思想」をからませた論理で、その当事者を糾弾するような言説が見られることなど、立場こそ違え、モノ言わぬ島の人々や死者を鞭打つような暴力的論調に強い懸念を抱くものである。>
④<その人たち(証言者)がいま最も懸念していることは、「靖国」を賛美する人たちによって、「集団自決」の悲惨さが美化されだしたことや、援護法適用のために「集団自決」の軍命が「方便」であったとして、元戦隊長らを擁護する動きが出ていることである。
住民の心に負った傷口をさらに鋭利な刃物でえぐるようなこうした言動があればこそ、“告発”の意味を含めて、弱者の視点から「集団自決」を記録し、継承することが、体験者の二世、三世、そして戦後世代の大きな役割りだと思っている。>
論文の①~④まで読んで、全般的にいえることは、宮城氏は元来シンプルなはずの「集団自決」論争をあえて避け、これに強引にもジェンダー論議を持ち込んで、論点をずらしに懸命の様子がが見て取れた。
元々この問題は「隊長命令の有無」が争点であったはず。
係争中の裁判でも「隊長命令があった」という被告側の主張は証明されず、原告敗訴ではあったが事実上宮城氏の「軍命あり」の主張は退けられ原告の名誉は回復されている。
従って宮城氏が母の遺言を踏みにじってまで主張する「軍命あり論」は、今後よっぽど確定的な証言や証拠でも出てこない限り主張する根拠を既に失っている。
つまり彼女はジェンダーという得意の土俵に論争持ち込み、それによって争点を曖昧にし、読者を煙に巻く手法をとっている。
そうでもしなければ、「集団自決」を論じることが出来ない程追い詰められた立場なのである。
論点をぼかすようなジェンダー論へのお付き合いは勘弁して欲しいところだが、あえて付き合わえてもらう。
内容は集団自決に関係ないような生硬い文言の羅列が続く。
①からざっと拾っただけでもこの通り。
「弱者切り捨ての視点」、「権力者(軍隊)の思想」、「住民を「死」へと追い込んでいった「力」、女・男の「不平等な力関係」、階級的差異、家父長制下の家族構成、階層秩序・・・・・等々。(「男・女」としないで敢えて「女・男」とするところには思わず失笑)
そしてどさくさ紛れに自論の「軍隊の命令」を次のような強引な筆致で押し進めていく。
<家族を守らんとする家父長制下の男性の論理があり、その「守り」は、日本軍に隷属させられたことで体現されたものだった。>
<つまり、「敵に捕まると男は八つ裂きにされ、女は強姦されてから殺される」、敵への投降、スパイ行為の絶対禁止、「生きて虜囚の辱めを受けず」(戦陣訓)など、軍民が混在するなか、日本軍からの憎悪発話がくり返し住民にもたらされ、現実に敵を目前にしたとき、先に妻子を、男手のないところは母親が子どもを手にかけ、自らは最後に「自決」することで日本軍の要求に応ずるという、権力への隷属的構図に巻き込まれた人々の姿があった。>
そして、何の客観的根拠も示すことなく、次のように結論付けている。
<最後に「自決」することで日本軍の要求に応ずるという、権力への隷属的構図に巻き込まれた人々の姿があった>と。
そう、この「『自決』することで日本軍の要求に応ずる」という部分こそ、集団自決論争のキモであり争点である「軍命による自決」そのものではないのか。
この肝心な論点をジェンダー用語の羅列でごまかした後、突然根拠も示さず断定しているところにこの論のいかがわしさがある。
「軍命令があった」と根拠なしに断定する箇所は他にもある。
最終回の④の冒頭でも、これまでの論調と何の脈絡もなく「『玉砕」命令は、日本軍からもたらされたものだ」と断定している。
再三繰り返すが「集団自決」論争は「隊長命令の有無」という事実の解明であったはず。
そして係争中の裁判でも一審、二審とも「隊長命令」は証明出来なかったではないか。 それを宮城氏は何を根拠に「軍命があった」と断定できるのか。
■集団自決はパニックの結果起きた■
人間でも野生の動物でも何かの原因でパニック状態になると常時では考えられない行動を取る。
島中を米艦船に取り囲まれ、軍民無差別の艦砲射撃を受けて逃げ場を失った住民は鬼畜米英と思われていた米兵の上陸を目の当たりにしてパニックに陥る。
集団自決の惨劇はそのような状況でが起きたのであり、その際「軍命の有無」など関係なかったのだ。
同じような状況は米軍の攻撃を受けた地域は座間味以外の本島各地でも起きていた。 ただ、座間味に比べて集団自決が少なかった理由は、陸続きのため慶良間のような袋のネズミの心理状態でなかったからだと容易に推測できる。
慰霊の日の琉球新報コラムに次のようなくだりがある。
<64年前の6月21日、本島南部で砲弾の雨の中をさまよっていたひめゆり学徒の北城良子さん(82)は、至る所に散らばる死体を眺めながらこう願っていた。「一発で、一瞬で死にたい」と>金口木舌 2009年6月23日
これと同じ心境で慶良間島の住民は集団自決をしたのであり、この際「軍の命令の有無」は関係なかった。そう、恐怖を逃れるため「一発で、一瞬で死にたい」・・・・・・・・これが、集団自決の真相である。
ひめゆり学徒も慶良間住民も「砲弾の中をさまよった」のは同じだったが、慶良間島の住民の場合は離島であるため、袋のネズミの心境になったためパニックになる度合い強かった。
そのために「自決決行者」が多かったと想像できる。
■宮城氏も認めるパニックによる自決■
集団自決がパニックによるものだということは、この論文の宮城氏自身の記述にも見られる。
6月22日付け②に住民がパニックになる様子が次のように描かれている。
<空襲は翌日も続き、さらに25日には艦砲射撃が加わった。空襲後の艦砲射撃は、敵の上陸の前触れであることを住民は知っている。
真っ赤に飛んでくる艦砲弾で壕の周りは火の海と化し、途切れることのない炸裂音におびえる住民の元へ、夕刻、村当局から非常米の配給が告げられた。さらにその日夜遅く、今度は、毎日のように集合を呼びかけてきた役場職員の伝令から、忠魂碑前での「玉砕」命令がもたらされた。ただ、いずれもすべての防空壕に届いたわけではなかった。「米の配給だ」 「いや玉砕だ」と住民の情報が錯綜し、危機感をもった子連れの女性たちの一部が、阿佐集落の裏海岸にある大きなガマ(洞窟)への移動をはじめた。その一方で、直接、「玉砕」命令を聞いた人たちは、最後の食糧を口にし、晴れ着に着替えて忠魂碑に向かった>
歴史をひも解けば大事件や大事故に遭遇した住民が流言蜚語により、正常な判断を失いパニックになった結果正常では考えられない行動を起こした例が数多くある。
慶良間の場合もまさにこの状況であり、『「米の配給だ」 「いや玉砕だ」と住民の情報が錯綜し・・・』というくだりがまさに流言蜚語のパニック状態を表しており、この中から宮城氏の言う「軍の命令による集団自決」は、戦後の後付け説明であることが明白である。
今回の宮城氏の論文の③にも、パニックよる自決の例が次のように記述されている。 ここでも軍の命令無関係であることが分かる。
「壕の前で銃剣をかまえて立ちはだかった大勢の米軍を見てパニックになり、40代の男性が妻をはじめ子どもたちの首をかみそりで次々と切っていった。 男性も最後に「自決」をはかったが、男児一人が死亡し、残りは米軍に救出された」
ついでに言うと、少なくとも本人自身や愛する家族の命を絶つような重大な命令が「いずれもすべての防空壕に届いたわけではなかった」というのも不可解である。
さらにもう一つ付け加えると、宮城氏が強引に推し進めるジェンダー論による「家父長制云々」を認めるとするなら、
「家父長制云々」は何も慶良間島に限ったことではなかったはずだ。
本島各地にもあったし、当時の日本全体が「家父長制度」であった。
これだけでもジェンダーで慶良間の「集団自決」を検証すること自体が木に竹を接ぐような無理な話であることが分かる。
現在の価値観で過去を判断すると歴史の判断を誤る。
宮城氏は現在の価値観でも行き過ぎだとして意見の別れる「ジェンダー」の視点で歴史を判断し、そして歴史を歪曲した。
続く
★
【追記】
たかじんのそこまでいって委員会に惠隆之介氏がゲスト出演の予定です、視聴可能地域の方はご注目下さい。(沖縄では不可です)
2012年7月1日放送(予定)
夕方4時25分~5時20分
桜坂劇場特別企画
シンポジウム「教育とは!」
日 時: 2012年7月8日(日)午後1時30分開場
午後2時より「スパルタの海」上映開始
午後4時より シンポジウム「教育とは」開始
午後6時終了
場 所: 桜坂劇場
〒900-0013 沖縄県那覇市牧志3-6-10 電話 098-860-9555
登壇者: 南出喜久治(弁護士)
伊藤玲子(「建て直そう日本・女性塾」幹事長)
戸塚 宏(戸塚ヨットスクール校長)
金城テル(沖縄県婦人平和懇話会会長、元はなぞの保育園園長)
手登根安則(FM21パーソナリティー、前県立高校PTA会長)
稲垣純一(沖縄県専修学校各種学校協会副会長)コーディネーター
チケット代: 前売り2,000円(無くなり次第終了)
主 催: 桜坂劇場
共 催: 体罰を考える会、全国勝手連連合会
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沖縄戦「集団自決」の謎と真実 |