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狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

放送法の規制改革推進会議の委員に「ニュース女子」出演者が3人

2018-03-31 11:55:43 | マスコミ批判

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【朗報】放送法の規制改革推進会議の委員に「ニュース女子」出演者が3人

 
1: 名無しさん@涙目です。(新潟県) [ニダ] 2018/03/30(金) 23:13:54.04 ID:AoVhYzIX0 BE:419096316-DIA(252525)
sssp://img.5ch.net/ico/u_naoruyo_bath.gif
*** 
@***
放送法の規制改革推進会議の委員に長谷川幸洋が入ってるんですけど…不適格にも程がある??

ニュース女子出演者
長谷川幸洋、飯田泰之、原英史が放送法の「規制改革推進会議」メンバー
no title

放送法4条撤廃案
首相、批判報道に不満か
毎日新聞2018年3月28日
https://mainichi.jp/articles/20180329/k00/00m/010/136000c

13: 名無しさん@涙目です。(やわらか銀行) [MA] 2018/03/30(金) 23:17:49.67 ID:7zxUODn50
>>1
>長谷川幸洋、飯田泰之、原英史

この三人だと保守的だというイメージはあんまないじゃん。

23: 名無しさん@涙目です。(アメリカ合衆国) [FR] 2018/03/30(金) 23:20:18.75 ID:dwKkKtBv0
>>13
この辺とかむしろリベラルなんだよな
国内じゃ自称リベラルのくそ極左のせいで定義がわけわからなくなってるだけで

30: 名無しさん@涙目です。(やわらか銀行) [ニダ] 2018/03/30(金) 23:22:22.02 ID:CUd3Xza20
>>23
そうそう。リベラル、中道左派

47: 名無しさん@涙目です。(やわらか銀行) [FR] 2018/03/30(金) 23:26:57.37 ID:rTyFoH510
>>13
長谷川は保守じゃ無いよね
この人は中立
左の人からしたら東京新聞なのになんで左じゃ無いんだよって言われてるだけで



 
2: 名無しさん@涙目です。(やわらか銀行) [CN] 2018/03/30(金) 23:14:48.31 ID:Fs4lpAOo0
適任だなw

105: 名無しさん@涙目です。(やわらか銀行) [CA] 2018/03/30(金) 23:47:35.36 ID:v96zdbBB0
原さんは適任者だな。特別行政特区のワーキンググループ委員長でもある。

64: 名無しさん@涙目です。(鹿児島県) [ZA] 2018/03/30(金) 23:34:14.69 ID:weWqItit0
昨日の今日で集められたのかと思ったら、前からいるじゃん

118: 名無しさん@涙目です。(catv?) [DE] 2018/03/30(金) 23:50:45.94 ID:q87yD6Lh0
スレタイで放送法の規制改革が決まってから結成されたのかと思ったけど、2016年の9月からこのメンバーじゃん
長谷川だけもっと前からやってるな

22: 名無しさん@涙目です。(catv?) [ニダ] 2018/03/30(金) 23:20:02.43 ID:gELM2ZwN0
BPOのメンバーよりもよっぽどまともだわ

53: 名無しさん@涙目です。(愛知県) [SA] 2018/03/30(金) 23:29:49.50 ID:wkTOcRzI0
東京・中日新聞だぜ?喜べよ。おぉ?

68: 名無しさん@涙目です。(庭) [US] 2018/03/30(金) 23:35:09.74 ID:ePOdIQ+20
悪くない選択だな

41: 名無しさん@涙目です。(大阪府) [ZA] 2018/03/30(金) 23:25:07.38 ID:snOfUUJw0
妥当な人選やん 
安倍政権頑張れ!

76: 名無しさん@涙目です。(やわらか銀行) [US] 2018/03/30(金) 23:38:50.22 ID:i3QC8Yft0
放送法の改正って本気なんやな
実現できたら凄いな
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引用元: http://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/news/1522419234/

コメント (2)

放送改革!放送局の既得権益を撤廃せよ!日テレ社長「民放不要に等しい」政府の放送改革批判

2018-03-31 10:14:18 | マスコミ批判

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 新聞は、取り締まる規定が無いため嘘八百も捏造報道しても、「報道の自由」を主張してやりたい放題の現状である。

その一方、テレビラジオなど放送メディアは、建前上「放送法」などの規制を受けるが、実際はテレビ業界の互助会であるBPOに「放送倫理」などチェックをマル投げしているため、「放送法」は有名無実化して、昨今のテレビ報道の偏向振りは目に余るものがある。

政府が放送法の規正撤廃を検討しているというのに、各放送局は規正撤廃に反対している。

新規参入により、既得権益が奪われるからだ。

本末転倒も甚だしい!

放送法4条を撤廃し、大手マスコミの既得権益を粉砕せよ!

 
[2018年3月26日17時11分]
 
日本テレビの大久保好男社長は26日の定例会見で、安倍政権が検討する放送制度改革について「仮に報道通りの内容であるならば、民放事業者は不要だと言っているのに等しく、とても容認できない」と強く反対する姿勢を示した。
 
政府は、放送局の政治的公平などを定めた放送法の規制を撤廃し、インターネット通信の規制と一本化する方針だ。これに対し、大久保社長は「放送が果たしてきた公共的、社会的役割について考慮がされていない」と懸念を示した。
 
その上で「何の規制もないネットと同様のコンテンツが放送に流れた場合の社会的影響の大きさを考えると、放送事業者としては間違った方向の改革ではないかと思わざるを得ない」と語った。
 
大久保社長は民放連の次期会長に6月に就任することが内定している。
(平成30326日 日刊スポーツ)
 
イメージ 1
 
                   ☆
 
【おまけ】
 

【放送法改正】池田信夫氏「テレビ局はなぜ言論の自由に反対するのか」~ネットの反応「所詮は既得権を守るために反発しているだけでしょ。さんざん偏向報道や報道しない自由で国民の目を曇らしてきたくせに」

投稿日:2018年3月30日

 

テレビ局はなぜ言論の自由に反対するのか
時代遅れの規制で自縄自縛になる民放連

特に奇妙なのは、彼らが放送法の「政治的公平」の規制撤廃に反対していることだ。今までマスコミは放送法の規制強化に反対してきたが、今回その規制の撤廃に反対しているのは不可解だ。この背景には、世界から取り残された日本の通信・放送業界の現状がある。

言論の自由を規制する放送法第4条
 日本テレビ放送網の大久保好男社長は3月26日の定例会見で、規制改革推進会議の案は「民放事業者は不要だといっているのに等しく容認できない」と反対した。彼は6月に民放連の会長になる予定だから、これは民放連の方針と考えてもいいだろう。

日本の通信・放送業界には時代遅れの規制が残っている(写真はイメージ)
 政府の規制改革推進会議が検討している通信・放送の改革案が、論議を呼んでいる。その素案は、放送に固有の規制をなくして通信規制に一本化する方向で、テレビ局が自由に放送できるようになるのだが、なぜか民放連(日本民間放送連盟)が反対している。

 特に奇妙なのは、彼らが放送法の「政治的公平」の規制撤廃に反対していることだ。今までマスコミは放送法の規制強化に反対してきたが、今回その規制の撤廃に反対しているのは不可解だ。この背景には、世界から取り残された日本の通信・放送業界の現状がある。

言論の自由を規制する放送法第4条
 日本テレビ放送網の大久保好男社長は3月26日の定例会見で、規制改革推進会議の案は「民放事業者は不要だといっているのに等しく容認できない」と反対した。彼は6月に民放連の会長になる予定だから、これは民放連の方針と考えてもいいだろう。

 放送とは「公衆によって直接受信されることを目的とする電気通信の送信」(放送法第2条)だから、通信と同じ規制をするのは当たり前だ。100年前にラジオ局ができたころは放送は特別なインフラだったが、今はインターネットで誰でも「放送」できる。

 しかし日本には、ラジオ時代の規制が残っている。放送法第4条は「放送事業者は、国内放送及び内外放送の放送番組の編集に当たつては、次の各号の定めるところによらなければならない」と定めている。

 1.公安及び善良な風俗を害しないこと
 2.政治的に公平であること
 3.報道は事実をまげないですること
 4.意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること

 特に「政治的公平」の原則については、政府が放送局の政府批判を封殺できるので、憲法に定める表現の自由を侵害するという批判がある。

 電波法では、放送局が放送法に違反したときは政府は無線局の免許を停止できるので、2016年に高市早苗総務相は、国会で「放送法4条に違反した場合は電波を止めることがありうる」と答弁した。

 このときテレビや新聞は「言論の自由の侵害だ」と反発した。だから言論の自由を守るためには、第4条を撤廃することが望ましい。ところが今回、彼らはその撤廃に反対しているのだ。

「規制をなくしたらフェイクニュースが増える」というが、誰がフェイクニュースの基準を決めるのか。日本には通信・放送規制の独立行政委員会がないので、政府が政府批判を規制できる。こんなOECD諸国に類をみない言論統制を守ろうとする民放連は倒錯している。

何が政治的に公平か決めるのは視聴者
 規制改革に反対する業界の本音は、たいてい新規参入の阻止だ。酒屋が酒類販売免許の緩和に反対したのは、スーパーやコンビニが酒を売ることを恐れたためだった。今回テレビ局が恐れているのは言論の自由ではなく(放送免許の自由化による)新規参入だろう。

 日テレの親会社である読売新聞は、3月25日の社説で「規制が外れれば、放送とは無縁な、金儲けだけが目的の業者が参入し、暴力や性表現に訴える番組を粗製乱造しかねない」と書いているが、そんなことは起こらない。

 

管理人
ネットの反応
名無し
何としても実現しなくては!
名無し
放送免許自由化賛成❗その方が国民の為になる。
名無し
そうですね、これが自由主義社会の健全な姿です。
名無し
はっきり言って今の地上波は制作番組もですが報道番組すら偏っていて見るところがありません。
何が真実で何が正義かまともに放送する局が欲しいです。
名無し
所詮は既得権を守るために反発しているだけでしょ。さんざん偏向報道や報道しない自由で国民の目を曇らしてきたくせに。電波は国民の共有財産。メディアリテラシーは国民が決める。
名無し
池田氏は以下で結んでいる。
「(民放連が「岩盤」として既得権)を突破するには政治の強い指導力が必要だが、安倍政権にそれだけの政治的体力が残っているかどうかは疑問である。」
かれの疑問を解消させるにはより一層の安倍政権への国民の支持である。
周囲を巻き込んで下さい各人一層奮励努力せよ。
匿名 より:
  1. >1.公安及び善良な風俗を害しないこと
    >2.政治的に公平であること
    >3.報道は事実をまげないですること
    >4.意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること
     
    うわぁ…見事なまでにどれ1つとして守られてねぇーw

  2. 匿名 より:

    日頃外国の手先になってる連中が「安全保障」とかほざいてるんだからマジで笑えるわ。
    中立の建前が欲しいのかと思ったけど、実際のところは「収入が減るから」に尽きるね。
    ああそうか、中立のフリしてないとスポンサーつかないってこともあるんだろうな。
    多分無駄な抵抗だろう。民意は強いよ。

  3. 匿名 より:

    私利私欲。己の利益によって意見を180度変える、ただのポジショントーカー。
    2012年、消費税増税法案可決の時も、右の産経から左の朝日まで社説で大絶賛。
    TPPもTVはどのチャンネルも推進派。ところが、安倍政権になった途端に批判や懸念の論調。
    こんなふざけた連中を「信頼している」国民が大勢居るんだから、
    そりゃ振り込め詐欺もカルト宗教も栄えますわw

  4. * より:

    既得利権批判とか、体制批判とか、笑っちゃうよな
    それらの恩恵を一番受けて、ずっと守り続けている業界じゃん

  5. 匿名 より:

    この悪党共を何とかしない限り日本の未来は無いぞ。
    各自奮闘努力せよ。
    安倍政権応援、支持の声を行動で示すのだ!!!

  6. 匿名 より:

    家の地域は7chしかなくて、後5ch余裕がある。ニュースもワイドショーも左側なんで、右側と、真ん中があればうれしい。
    総選挙のテレビ出演番組、立民ブーメランの #まっとうな政治ってなに を掲示板で流しながらやったら90%ぐらいとれるんじゃない?

  7. 匿名 より:

    NHK、TBS、TV朝日、フジTVなど日本のTV局は、放送法第4条など全く守っておらず、極端に反日・左翼に偏向している。

    NHKを解体・再編し、電波オークションを導入し日本のTV放送に新規参入を大幅に認め、互いに自主的に競争させ、日本における電波の公平・公正な使用を行わせることが重要だ。

  8. 匿名 より:

    日本が「言論自由国家」になると、増すゴミは金儲けができなくなるから
    ライバルが増えて、スポンサーが分散し、コンテンツで負ける

  9. 通りすがり より:

    >放送免許自由化賛成❗その方が国民の為になる。

    自由化は賛成。 

    がしかし、 

    結果が公平になるかどうかは、放送局の株を、誰が支配するかによる。

    具体的な懸念を述べると、、、自由化した後の、放送局の株を、中国共産党系の資本が取得した場合、ますます、中共礼賛、反日プロパガンダのフェークニュースが増えるだろう。

    残念なことに、昨今、
    日本人資本及び訪米資本より、中華系資本の方が、日本株の取得意欲が高い。

    結果、今よりさらに多くの偏向報道、露骨な反日プロパガンダに、
    日本は悩まされることになるだろう。

  10. ナポレオン・ソロ より:

    NHKを代表とする、放送界は、改正反対を叫ぶのなら、先ずは、現行の放送法を
    厳密に守れているか否かを、国が示す方法で調査し、国民尾評定を仰ぐべきであろう。
     政府が言って居るのは「現行法では、世の中の変化に対応しきれないから、4条を
    削除して現状に合わせよう」と言うモノだが、是に反対すると言うなら、現実を改善
    する手立てを講じなければ、放送法そのものを無視して居る子尾になる。自由と放埓
    は意味が違う、放埓とは法律を無視て居る状態だが、今はまさにこれに当たるのだから、
    先ずは、放送各社が厳しいペナルティを自身に課すべきではないか?

  11. 匿名 より:

    オレオレTV詐欺に、高齢者が騙されているという現実。
    自身高齢者であるが、高齢者を説得するのは難しい。
    竹島状態の電波を、取り戻して欲しいものだ。

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コメント (4)

豊見城市・小4児童自殺問題

2018-03-31 07:14:33 | マスコミ批判

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今朝の沖タイは「豊見城小3男児児童自殺」問題で、合計5面を使って大騒ぎ。

だが、肝心なことを隠してはいませんか?

■一面トップ

小4自殺いじめが主因

学校側の対応を批判

豊見城 第三者委が報告書

■第二社会面トップ

有効な防止策急務

初動遅れ事態悪化

子や遺族に負担強いる

いじめ専任教員提言

第三者委 早期発見へ配置求める

■社会面トップ

男児SOS届かず

豊見城市教委が謝罪

いじめ5件認定「残念」

沖縄タイムスの本件に対する報道は常にベタ記事で対応。 読者の注目を逸らすようなアリバイ記事のみだった。

筆者は、事件直後から関係者に取材する機会を得、最近も第三者委内部の事なかれ主義に危ぐしていた。

信頼できる情報によると、30日の第三者委の報告書発表の前から、市教委、学校側(担任)の責任に関し、第三者委の内部で意見が対立していた。

ギリギリの意見調整で一応学校側の対応を批判する次の文言を加えた。

「学校側が適切な対応を取れば自殺を防げた」

この文言を加えるのに意見が対立したという。

結局、当初「いじめと自殺の関係は無い」「担任はいじめを訴える児童のアンケートを見ていない」などと、虚偽の発表を市教委が謝罪し、一件落着となったが、これで終わりではない。

意見書は、自殺した児童の自筆のアンケートを見ていながら、 担任としての責任を果たさなかった担任教員への罰則については触れていない。

 

以下過去ブログ小4男児自殺は、虚偽報告か2016-01-31

からの引用です。 

 

 

いじめ、担任は把握か 沖縄小4自殺、両親「解明を」
朝日新聞デジタル 1月29日(金)5時2分配信
救いを求めるアンケート

 沖縄県豊見城(とみぐすく)市で昨年10月、小学4年の男児(当時9)が自殺した問題について、両親が28日、那覇市内で初めて記者会見した。両親は「息子を守ることができなかった私たちが息子にしてあげられる唯一のことは真相を解明してあげること。なぜ命を絶たなければならなかったのか。真相が知りたい」と訴えた。

 両親は会見で、情報公開請求で入手した県教委作成の公文書を公表。男児がいじめられている趣旨を書き込んだアンケートについて、自殺前に学校側が記述を把握していた可能性があると指摘した。学校側は、担任が記述に気づいたのは男児が自殺を図った後だったと説明している。

 文書は昨年10月16日付で、県教委の義務教育課と豊見城市を担当する県教委の出先機関の電話のやりとりを記録した「電話通信用紙」。「●●小学校●児の自殺未遂事案について」(●=黒塗り)とタイトルがあり、9月29日にアンケートを実施した旨の記述に続き、「※担任は、アンケート回収時に●児のアンケート内容を確認しているが、重大事態と捉えずに校長等への報告及び児童への面接等、何も対応をしていない」と記されている。
 

 

弁護士を含む第三者委は、いじめの責任を負う担任教員の罰則について、「全国的に議論の対象になっていない」という理由で、意見書では触れなかったのだろう。 その結果が次の文言を加えるの精一杯の妥協であった。

「学校側は、法で定めるいじめの定義を正しく理解せず、早期発見を妨げた」

この問題が2015年10月に発生して以来、数ヶ月で第三者委員のメンバーが全員辞任したり、新メンバーに入れ替わっても意見書の発表に約二年も要した理由は、市教委、学校側、PTAなどの隠蔽体質によるものと思われるが、隠蔽体質を下支えしたのが沖縄メディアの「報道しない自由」である。

これら、今回の小学男児自殺の原因は、いじめがあったと改名したが、何ゆえこの男子児童がいじめの対象になったかについては触れていない。

自殺した児童の父親は自衛官であった。

市教委、学校側、そして沖縄メディアが共通して嫌悪する職業のひとつが自衛隊であることは言うまでも無い。

反自衛隊の思想を持つ教員が、自衛官を父に持つ児童を直接名指しで虐めることは無いとしても、「自衛隊は殺人を訓練する集団」などと授業で口走ったら、その児童が、間接的な虐めの対象になる可能性はある。

この問題で市教委、学校側、沖縄メディアは自殺の原因が虐めであったことは認めたが、虐めの原因が何であったかについては一言も触れていない。

虐めの原因が父親の職業である自衛官にあった。

これは市教委、学校側、沖縄メディアの共通の隠蔽しておきたいキーワードである。

虐めの原因を解明しない限り、同じような事件は再発する。

 沖縄タイムスよ、「命どぅ宝」を叫ぶなら、自殺した児童の命を無駄にしないため、虐めの原因が何であったか。

隠蔽せずに、解明せよ。

 

 

【おまけ】

豊見城市・小4児童自殺問題、「いじめ問題専門委員会」全員が辞任2016-03-07

 

 【おまけ】

豊見城市・小4児童自殺問題、「いじめ問題専門委員会」全員が辞任

 

 

新教委制度で続く隠蔽体質

《 沖 縄 時 評 》

                  ★

 

豊見城市小4男児・自殺問題

「いじめ専門委」全員が辞任

新教育委制度で続く隠蔽体質

  江崎孝 (コラムニスト)

 

沖縄県豊見城市で昨年10月、小学4年の男児(当時9)が首をつって自殺した。 このニュースが地元2紙に報道されたのは、事件から3ヶ月経過した今年の1月9日だった。 警察庁の統計によると沖縄県の10代の自殺者は例年2人から7人程度で全体の1~2%に過ぎず、10歳にも満たない小学低学年児童の自殺は統計にも出ていないくらいだから余計衝撃的だった。

いじめが原因により児童・生徒が自殺した事件では大津市で起きた中学生のいじめ自殺問題が記憶に新しい。 これは2011年に滋賀県大津市の当時中学2年生の男子生徒が、いじめを苦に自宅で自殺した事件のことで、事件前後の学校と教育委員会の隠蔽体質が発覚、問題視された。翌年には本事件が誘因となって 教育委員会制度の見直しへと繋がった。

大津市の事件では、本来児童生徒を守るはずの教育委員会の対応が後手にまわるなど批判が続き、制度そのものの形骸化が指摘された。学校に重大問題が発生した場合、教育委員会に任せるのではなく首長が責任を持って教育行政を進める必要があるとして、教育委員会制度がおよそ60年ぶりに大幅に改正され、昨年4月から新制度に移行した。

入院後一週間の命

豊見城市で起きた小学4年男児の自殺は、教育委員会制度が旧制度から新制度に移行してからわずか半年の旧制度と新制度の狭間に起きた。 教育委員会制度は新しく変わったが、それを実行する市教委、学校側などが旧教育委員会制度の悪い面を払拭することなく、そのまま踏襲した状況の最中に「事件」は起きた。 この事実は真相解明を求める両親にとってはまことに不幸であった。

後からわかったことだが、男児が自殺する直前の9月29日には、学校で無記名のいじめアンケート調査があり、男児の筆跡で「いじめられている」と訴えていた。アンケートの内容を知る由もない母親が、犬の世話のため少し目を放した隙に男児がベッドにベルトを巻いて首を吊っているのを発見した。  その日の夕刻、校長、担任、市教委委員長ら7名が救急搬送された病院を訪問したが、そのとき、両親は男児が生きて退院できることを信じて、自殺を伏せて「ベッドから落下の事故」として欲しいと学校側に依頼した。 両親の願いもむなしく男児は、一週間後の10月19日(月)、永眠することになる。 その後両親は事実の解明のため、当初の「非公開」を止めて、公開して欲しいと何度も懇願したが、市教委・学校側は「公表すると学校内では止まらない」とか、公開してのアンケート再調査に対しても「保護者の同意が得られない」などと、公開に対して頑なに拒否の態度を示した。

豊見城市教育委員会1月9日の新聞報道に後押しされるように、翌10日記者会見し、小学4年の男児がいじめを訴えて自殺した問題で、校内児童に実施したアンケートで「いじめをしたり、いじめを見たりしたとの記述が複数合った」と明らかにした。 だが、「現段階で自殺と自殺につながるようないじめは確認されていない」と発表した。

男児は、昨年9月29日、学校が定期的に行っているアンケートに「消しゴムを盗まれた。 いじめられて転校したい」との趣旨の記述をしていた。

その後、11月に同じフロアに教室のある4、5年生にアンケートを実施。筆箱の中身を男児から取ったりしたことなどが書かれていたというが、市教育委によると担任の男性教諭はアン ケート結果を読んでいなかったという。校長は会見で「残念だができるだけの対応はしていた」と述べ、学校側に落ち度はなかったとの認識を示した。校長は会見で、「いじめへの対応には注意していたが、男児から相談はなく、事実を把握できなかった」と説明。担任がアンケートの内容を2週間読んでいなかったことについては、「もう少し早く読んでいたらとも思うが、1学期の終わりで、成績表を一から作らなければならない時期。そちらの業務を優先したのだと思う」と語った。

公表をめぐり質問状

市教委はまた、11月下旬に男児の自殺を伏せて4、5年生全員に無記名のアンケートを行ったことを明らかにし、この中で9人が「(男児が)いじわるされているのを見た」と回答していたことを明らかにした。市教委はいずれも自殺との因果関係は無かったとしている。その後2月10日付世界日報が、自殺を伏せた理由として「男児が自殺を図った時、まだ一命を取り留めてため、両親は男児が再び学校に戻れることを信じて『事故』として 説明するよう求めた」と報道した。 

ところが両親は、男児が一命を取り留めることに期待したことが市教育委員会側の隠蔽工作の口実になろうとはその時夢想もしなかった。 男児が死亡した約1カ月後、両親は真実解明のため「自殺を公表してもいい」と何度も伝えたにもかかわらず、学校は引き続き自殺を公表しようとはしなかった。 男児の自殺の理由の解明に非協力的な学校と市教委の隠蔽体質に対して、両親は不信の念を募らせた。

 こうした対応を受け、教育委の記者会見後、教育委や学校側に問い合わせをするときは弁護士を通じて文書で行うようになった。1月10日、両親は豊見城市が設置した「いじめ問題専門委員会」に対し次のような趣旨の質問状を出した。

「市教育委の記者会見で、僅か一ヶ月余しか経過していないにもかかわらず、市教育長は、『専門委員 会からの報告によれば」として、本件事案では「いじめはない」「自殺に結びつくようないじめはない」と記者発表した。仮に教育長が述べているように、貴委員会が、最終報告書の前に、豊見城市(教育委)などに、中間報告などの情報提供をしているのであれば、一方当事者である豊見城市に加担するものであり、貴教委の存在意義を自ら踏みにじるものである。」

さらに、担任がアンケートを確認していなかったという証言で食い違いがある。 電話通信記録などを取り寄せた上で、1月29日には、校長・県教育庁義務教育課に対し文書を送付した。 これまで両親の質問に対し曖昧な態度で終始していた市教委から2月4日付公文書で「いじめ問題専門委員会が最終結論を出していない中、審議途中の報告を行った事は適切では有りませんでした。なお、最終結論は出しておりません」という回答を受取った。

教委は虚偽の報告

結局、市教育委員会は、1月10日の記者会見で、担任の責任の有無について結論が出ていないにもかかわらず、「自殺との因果関係は無かった」などと虚偽の報告をしたことになる。2月になって、市教育委や学校側の隠蔽体 質に疑念を持ちながらも、子息の自殺の真相が知りたいと模索している両親の元に驚くべきニュースがは入った。

昨年11月に設置された「豊見城市いじめ問題専門委員会」の構成委員である6人の有識者が全員辞任したというのだ。 同委員会は2月末現在、平成29年11月23日まで任期を残しており、男児の自殺の原因について最終結論を保留したままの辞任という無責任さだ。市教育員会は辞任の理由は不明だという。 

新教育委員会制度に変わって、これまで教育委員会とは組織上無関係だった市長が直接指揮・指導力を発揮できる新教育委員会制度に改正されたにもかかわらず、教育行政の最高責任者である市長の顔や現場を一番熟知しているはずの担任の顔が見えず、両者の間に介在する市教育長や校長・教頭らが責任転嫁や証拠隠滅に終始する姿を見て、辞任したくなったと推測できる。

いじめ問題とは直接関係ないが、八重山教科書問題で教職員組合と結託した教育委員会と戦って、新教育委員会制度誕生の一端を担った、元石垣市教育長の玉津博克氏は、昨年4月に実施された新教育委員会制度への移行について、「新制度に変わっても、職員たちは旧態依然として学校との癒着を断ち切 れず、『仏作って魂入れず』」と嘆いていた。

男児の両親は「何が息子を死に追いやったか」が知りたいと唇を噛む。犯人探しより真相の解明こそが無くなった子息への何よりの供養だと信じているからだ。(コラムニスト)

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コメント (8)

集団自決、再論戦陣訓軍命説の神話

2018-03-30 19:07:08 | ★集団自決

 

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 過去ブログヲ一部編集の上再掲します。

戦陣訓軍命説の神話 2009-11-01

 

沖縄の某大学で教えている教授が、「集団自決の軍命の有無」を学生に聞き取り調査を行ったところ、ほとんどの学生が「軍命はあった」と答えたという。

その根拠を問うと、大阪高裁で被告側が勝訴したことを挙げた。

では、その被告側勝訴を何で知ったかという問には、全員が沖縄の地元紙を挙げていた。

沖縄地元紙の印象操作の完全勝利である。

沖縄紙は大学生レベルでも、新聞の見出しで容易に情報操作が出来る。

中学生や高校生の情報操作などは赤子の手をねじるようなもの。

高校生に「おじー、おばーがウソをつく筈がない」と言わしめることなど朝飯のことである。

 

少々しつこいようだが、「軍命の有無」について述べる。

上告中の「集団自決」訴訟最高裁で明らかになるのは、被告大江・岩波の出版差し止め、そしてそれに伴う謝罪の当否である。

訴訟の争点は、軍命の有無ではない。

問題の核心である「軍命の有無」は大阪高裁では証明されず、事実上「軍命による集団自決」は否定された。

法廷で「軍命」を証明するのは被告側にある。 つまり、挙証責任は「軍命」を主張する大江・岩波側にあるからだ。

従がって軍命を主張する左翼勢力はその根拠を失い、「軍官民の共生共死」という極めて曖昧な表現を軍命の根拠にした。

ところが米国公文書館から発掘された英文訳の「南西諸島警備要領」により第32軍の方針が住民の安全地帯への避難であったことが判明し「軍官民の共生共死ー軍命論」も崩れ去ってしまった。⇒死語となった「軍官民の共生共死」と「タテの構造の強制死」

さー、残る唯一の軍命の根拠が「戦陣訓ー軍命論」である。

特にNHKは「戦陣訓ー軍命論」にしつこくこだわり、繰り返し渡嘉敷島取材の特集番組を組み、強引に「戦陣訓が軍命であった」というウソの報道を流した。

「戦陣訓」が当時の軍人はおろか一般住民にまで周知徹底されていたという神話が、戦後28年経って戦地より帰国した横井庄一さんの「恥ずかしながら」の第一声以後、日本国中に流布した神話であることを知る人は少ない。

 集団自決と戦陣訓の幻  「生きて虜囚・・」は建前だった

「戦陣訓」追記し再申請 検定審「指針」で1社  

 【東京】高校歴史教科書の「集団自決」(強制集団死)検定問題で、訂正申請を出した教科書出版社6社に対し、教科用図書検定調査審議会が「集団自決」の背景にある複合的要素を詳しく記述するよう求める「指針」を示した件で、1社が軍人や住民に対し捕虜となることを禁じた「戦陣訓」を追記し、再申請する方針であることが分かった。
 
「戦陣訓」は1941年1月に東條英機陸軍大臣が全陸軍に通達した訓諭。この中で「生きて虜囚の辱めを受けず」として、軍人が捕虜となることを禁じた。沖縄戦において「戦陣訓」は住民にも浸透していた。戦前の皇民化教育や沖縄守備軍・第32軍の「軍官民共生共死」方針とともに、「集団自決」を引き起こした要因とされている。(略)

(琉球新報 12/9 )

                                           ◇

先日、テレビドラマで松本清張の「点と線」を見た。

若い頃小説で読んだが、時代があまりにも変りすぎて、特にアリバイ崩しが売り物の小説をテレビドラマ化することの難しさを感じた。

「点と線」というタイトルは、点と点を結ぶと線になり、線が交差すると面になるが、松本清張は点と言う事実をつなぎ合わせてそこから導き出される刑事の推理の象徴として「点と線」という当時としても秀逸なタイトルを思いついたものと推測する。

「歴史事実」という一つの「点」を、解釈の余地を残さない一つのセグメントの事だと解釈すると、「歴史事実」を線でつなぎ合わせて、面を造り、そして「歴史認識」が生まれる。

「歴史認識」とは「歴史事実」を積み上げた「歴史に対する解釈」あるいは「事実と事実を結びつける解釈」だと考えられる。

当然、「解釈」には理解も有れば誤解もありうるし、中国の歴史認識と日本の歴史認識が違っても不思議ではない。

>「戦陣訓」は1941年1月に東條英機陸軍大臣が全陸軍に通達した訓諭。

1941年に東条英機が「戦陣訓」を陸軍に通達したことは、紛れも無い「歴史事実」であり歴史上の「点」である。

これに対して、「戦陣訓は兵隊に周知徹底されていた」と思い込んでしまうのが、「歴史認識」でしばしば後世の人の「誤解」を呼ぶ。

ところが、この「誤解」に更なる「誤解」が重なると、「戦陣訓は沖縄では兵隊のみならず民間住民にも周知徹底されていた」という大きな歴史の過ちに陥っていく。

そして、「誤解した歴史認識」を更なる誤解によって複数接続すると、「戦死者があんなに多く出たのは、戦陣訓のせいだ」とか、「集団自決は戦陣訓のせいだ」という“物語”が出来上がって来る。

                     *

◆「恥ずかしながら生きて帰りました」

終戦を知らずグアム島で28年間潜んでいた日本兵横井正一軍曹が日本に着いた時の第一声がこの言葉だった。

この言葉はその年の流行語にもなった。

「恥ずかしながら」という言葉は国民に向って発せられたが、深層心理学的に言うとグアムで戦死した戦友たちへ向っての「恥ずかしさ」と「申し訳なさ」だった推察出来る。

◆その2年後、今度はフィリピン・ルバング島から小野田寛郎少尉が30年振りに帰国した。

小野田少尉が天皇陛下との面談も断って彼が真っ先に行った行動は、

靖国神社への参拝であり戦死した部下・戦友の墓参りだった。

横井氏のような流行語は発しなかったが小野田も靖国参拝の時や、戦友の墓参りの時の心境は、同じく「恥ずかしながら」と「申し訳ない」の心境だったろうと想像できる。

横井軍曹が帰国し、仲間が全員戦死したにもかからず唯一人生き残った複雑な心境を「恥ずかしながら・・・」という言葉で表し、それを聞いたマスコミが生きのびた理由を「生きて虜囚の・・・」のせいに勝手に転嫁し「戦陣訓」の神話を作り上げた。

「戦陣訓」の神話は沖縄戦の左翼学者達によってさらなる「戦陣訓・軍命説」へと捏造されていった。(続く)

★【付記】1:

『うらそえ文藝』編集長の星雅彦氏が、『正論』12月号に集団自決関連の論文を寄稿しています。

ご注目ください!

「鉄の暴風」はGHQの宣撫工作だった
――沖縄集団自決の真実と謎
沖縄文化協会会長●星 雅彦

 

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慶良間の集団自決から73年、「軍命」は援護法のための後付け

2018-03-30 08:56:35 | ★集団自決

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オピニオンの「ビューポイント」

慶良間の集団自決から73年、「軍命」は援護法のための後付け

沖縄戦聞き取り調査第一人者 作家・星 雅彦氏に聞く

 第2次世界大戦末期の沖縄戦で米軍の沖縄本島上陸前に激戦となった慶良間諸島で、1945年3月25日には座間味島、28日には渡嘉敷島で住民が集団自決をした。戦後、何度も現地入りし、住民から度重なる聞き取り調査をし、集団自決に関する数々の論文を発表している沖縄在住の作家・星雅彦氏に集団自決の真相と要因を中心に聞いた。(聞き手・豊田 剛)

住民に込められた村落共同体の意識

「軍命」は援護法のための後付け

沖縄戦聞き取り調査第一人者 作家・星 雅彦氏

 ――沖縄戦の集団自決はどのように定義付けられるのか。

 沖縄戦において激戦地の壕内などで将校の自決や野戦病院での重症病兵などの自決処分のほか、一般住民がパニック状態に追い込まれてさまざまな方法で自決することを「集団自決」と呼んでいる。

 ――記録に残されている主な集団自決は。

 米軍は1945年4月1日、沖縄本島中部の読谷・嘉手納・北谷の西海岸から上陸して、大半は南部に向かって攻めると、中部激戦区の嘉数高地(宜野湾市)、前田高地(浦添市)、那覇のシュガーローフを陥落させた。それで沖縄住民は中南部で多大な死傷者を出し、各地で2、3世帯が絶望を共有して集団自決を選択した。

 その中で注目されるのが読谷村のチビチリガマと、北部の本部半島北西の海上に位置する伊江島のアハシャガマの集団自決である。

 伊江島では4月2日、米軍に追われてガマに逃げ込んだ防衛隊が見境もなく手榴弾と爆雷を爆発させて約120人の住民が犠牲になった。読谷のガマは日本軍不在で、元中国従軍兵と従軍看護婦が主導者の役割を果たしたともいわれているが、避難民140人のうち、自決した者は15歳以下47人を含め90人だった。このことから、自決を誘導する者によって大勢が連鎖反応を起こすことが判明。死を招く思いの底には、自らを説得するような心の動きがあったと推測される。

 こうした心の内部に謎を含む最も典型的な集団自決例は、慶良間諸島の座間味島と渡嘉敷島だろう。

 ――座間味島で直接、聞き取り調査をした内容は。

 座間味島は3月25日、座間味村長はじめ役場の幹部と家族が農業組合の壕でそろって集団自決し、村民も各自の壕で自決していた。その死者は385人とのことだった。私の調べでは軍命は出ていない。

 隊長命令があったかのような発言をしてきた宮城初枝氏は「軍命があったとすれば、受けた犠牲者は準軍属となって援護金が支給されるようにするという説得があった」とし、後に座間味守備隊長の梅澤裕氏に詫びを入れている。そして、援護金受給者は集団自決の犠牲者に限られるわけだが、この件についてはなぜか皆、口が堅い。

 ――渡嘉敷島には戦後、渡嘉敷守備隊の赤松嘉次隊長に同行する形で訪問するなど、かなり精力的に調査しているが。

 392人の死者を出した渡嘉敷島の集団自決も手榴弾の不発が多く、自決用の道具には小刀、カミソリ、鋤(すき)、鍬(くわ)、棍棒(こんぼう)、縄、猫いらず等を使用している。雨の降りしきる山道を歩いて玉砕場の河原まで行く道程の中でも、それらの道具を大事に持参した。当事者にそれを訊くと、決まって黙り込む。あらかじめ家を出る時、死を覚悟していたように思える。

 そこに凄惨(せいさん)さを秘めているが、直截(ちょくさい)な晴れやかさを感じさせると言えないだろうか。現場で生き残ったある婦人が死者たちを見て、「本当に羨ましいと思いましたよ」という発言を聞いて何か意味深く不思議な気がした。

 ――聞き取り調査などで分かったことは。

 軍命について、渡嘉敷出身で元校長の松本好郎氏(故人)は十数年前、この問題について「悪魔の証明みたいだが、軍命はあったと思う」と考え深げに言っていたが「赤松嘉次隊長から直接聞いたわけではない」と前置きしている。また、3年前に亡くなった兼城清新氏(当時95歳)は「赤松隊長は自決せよ、とは絶対言ってませんよ。彼は潔癖な人だったから、手榴弾も防衛隊以外の人には渡してはならないと言っていました」と。

 それからもう一人、渡嘉敷出身の86歳になる小嶺幸吉氏は、久しぶりに軍命の話を出したら、「隊長命令の問題は(沖縄キリスト教短大元学長の)金城重明氏のウソの証言がすべてを左右したと言える。都合の悪いことは、たいてい上からの指令だと言う。そういう時代の空気は、現在も尾を引いているようですね」と意味深な台詞をもらしていた。

 1945年7月のサイパン玉砕の情報も心理的に沖縄の人に影響したかもしれない。また、軍国主義の戦陣訓で「生きて虜囚の辱(はずかしめ)を受けず、死して罪過の汚名を残すことなかれ」の教訓を受けた指導者たちからの感化もあったかもしれない。逼迫(ひっぱく)した危険な状況下での恐怖と絶望のパニック状況からの衝動的発生だったかもしれない。ただ、軍命を受け入れての集団自決(玉砕)を戦闘協力として認定されての援護法の適用は、後から仕掛けたものであって、当事者の考慮だったとは誰も思いめぐらすようなことはしないであろう。

 はっきり言えることは、一途な親の愛から「一緒に死のう」という母親の声をまた聞きしたことがあったが、そういう言葉には村落共同体の意識が込められていたように思うのだ。


= メ モ =

星 雅彦(ほし・まさひこ)

 1932年、那覇市生まれ。詩人、美術評論家。国立劇場おきなわ財団法人理事、沖縄県文化協会会長、文芸誌「うらそえ文芸」編集長などを歴任した。

                           ☆

 

 

集団自決研究の一級資料公開!45年前の星雅彦氏の手記 2014-05-07

 

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「うらそえ文藝」編集長の星雅彦氏が沖縄の知識人の中で誰よりも早い時期に、渡嘉敷島と座間味島で集団自決の生き残りの聞き取り調査をしたことは、当日記で再三紹介した。

ご本人はその当時の心情をうらそえ文藝」(14号2009.5)の上原正稔との一問一答で次のように吐露している。   


  

 うらそえ文藝 第14号 (2009年5月発行)
                     
  特別企画 薩摩侵攻400年
  座談会 琉球文化の交流と成熟
       -薩摩侵攻から琉球以上は-
       田名真之・豊見山和行・小野まさ子・星雅彦
   
  特集 集団自決 
  対談 上原正稔VS星雅彦
     

 星 (略) 
 「また、四〇年ほど前に渡嘉敷島と、座間味島に宿泊して、私は当時の村長と駐在巡査と宮城初校に会って話を聞いたわけです。そのとき何かしっくりせず隠しているなと感じたものです。隊長命令があったとは誰も言わなかったし、なかったとも言えないふうに、非常に曖昧だった。私は七一年の「潮」に「集団自決を追って」という文章を物語風に書いたけれど、わざとぼかして書いた。ある程度の確信はあったが、あの私の逃げ口上的な表現に対しては、今でも忸怩たるものがある。(略)」(タイムスを恫喝した男 2012-06-27 )

さらに当時の取材の模様を雑誌「潮」(1971年11月号)に寄稿しており、集団自決の真相を知るための貴重な資料として当日記でも何度か引用させてもらった。

 例えば過去ブログの沖タイの歪曲記事、故赤松大尉直筆の手紙を届けるでは次のような一節を紹介している。

 《村の指導者たちやその家族や防衛隊の幾人かは、そろって無事で、その集団にまじっていた。みんなひどく興奮していて、狂人のようになっていた。村長は狂ったように逆上して「女子供は足手まといになるから殺してしまえ。早く軍から機関銃を借りてこい!」と叫んだ。その意志を率直に受けて、防衛隊長の屋比久孟祥と役場の兵事主任の新城真順は、集団より先がけて日本軍陣地に駆けこみ、「足手まといになる住民を撃ち殺すから、機関銃を貸してほしい」と願い出て、赤松隊長から「そんな武器は持ち合わせてない」とどなりつけられた。(注・比嘉喜順、伊礼蓉子らの証言。その点、米田惟好は米軍に決死の戦闘を挑むつもりだったと、異議を申し立てている)(雑誌「潮」1971年11月号・星雅彦)》

               ☆

慶良間島で起きた集団自決研究の第一級資料とも言える星雅彦著の雑誌「潮」(1971年11月号)掲載手記が、ヒジャイ出版の季刊誌「沖縄内なる民主主義5号」にその全文が掲載されている。

雑誌「潮」が入手困難な現在、今回の収録は今後の集団自決の検証にとってきわめて貴重な資料になる。

さらにその全文をヒジャイ出版の又吉義隆さんがブログで公開したので、当日記も早速これを全文紹介させて頂いた。

以下は「沖縄に内なる民主主義はあるか」の引用です。

星雅彦氏は一九七一年に軍命はなかったことを書いていた



雑感(星雅彦)

私が沖縄戦に関心を抱き、執筆するようになったのは、一九六九年の夏頃からだ。県資料室長の名嘉正八郎から「沖縄県史」戦争記録の仕事の依頼を受けたのがきっかけである。早速「沖縄県史第九巻 沖縄戦記録1」に収めるための録音・テープお越し、文章化の仕事などに取り掛かった。
 そのためには事務局の方でセットした各市町村へ出向き、戦争体験者たち数人が区長宅へ集められ、座談会形式で戦争体験を収集するところから始めなければならない。
 多くの話者は痛ましい話ながら坦々と語ったが、ためらいがちに訥々と語る人や、思い出しながら切羽詰って涙ながらに語る人も居た。それでも話し終わった人々の顔は、すっきりとした安堵感が漂っていたと思う。
 現在も証言集の作成は続いているが、四十年前とはかなり違っているようだ。昨今、戦争の話の中に政治やイデオロギーが絡み合って複雑な話し手の心境が伺えるのだ。
 例えば、何かの話の内容に疑惑が入り込んでいたり、虚構性の対象にされたりする。事実らしく書いてあっても事実でない場合があったり、嘘っぱちを書いていながら、事実として受け取られる場合が少なくない。
その点からすると、昔の「潮」(一九七一年十一月号)に私が執筆した「集団自決を追って」は率直そのままの記録だと思う。ただ、周辺の革新系の友人たちに多少気兼ねがあったようで、ふがいなくも私は若干逃げ口上を記してしまった。「悲劇の再現とは、口はばったい言い種である。ただひたすら二十六年前(一九四五年)の悪夢を想像してみたままである」と付記したが、それでもその説話スタイルの中に真実が込められているだろうと自負している。
 
 数年前のある日、大田昌秀氏から電話があって、「あの内容は現地で調べて書いたのか」と問われた。私は「泊りがけで調べました」と答えた。大田氏との対話はそれっきりである。
 集団自決を現地で調べた私には一種の使命感があった気がする。
星雅彦
                         ★

雑誌「潮」一九七一年十一月号
特別企画・沖縄は日本兵に何をされたか
集団自決を追って

ドキュメント
集団自決を追って
星雅彦(作家)

(本稿は私が当時の村長や駐在巡査や若干の村民から取材した集団自決の内容を、私なりにまとめ、悲劇の再現を試みたものである。いな、悲劇再現とは、口はばったい言種である。ただひたすら二十六年前の悪夢を想像してみたまでである)
  目次
砲弾とどろく渡嘉敷島
米軍上陸で動揺する村民
闇の雨中を西山盆地へ集結
"玉砕するしかない"
「みんな一緒に死のうね」
修羅場と化した西山盆地

二十六年前(一九四五年)に、沖縄戦の最初の上陸地点、慶良間列島の中の渡嘉敦島で、想像を絶するような陰惨な悲劇があった。それは、日本の末端の皇国の民の、玉砕という名のもとに引き起こした"集団自決。である――

砲弾とどろく渡嘉敷島

集団自決があったのは、前夜の雨がやんだ後のくもり空が、茂った木の葉の間から見える西山盆地の雑木林の中で、三月二十八日の午後一時ごろだった。
三月二十三日には、初めての本格的な空襲で、村の役場や郵便局が焼けたので、ほとんどの村民はそれぞれの壕に避難したり、荷物を運んだりした。二十四日も空襲で、二十五日には、艦砲射撃も加わって、島は遠く近く砲弾のとどろく音と地鳴りにあけくれた。
夜になって、無気味な静けさの中で、防衛隊が二人、壕の入口まできて、ウシ(三十七歳の主婦)に向かって「阿嘉島にアメリカーが上陸したそうだ」「阿嘉島の人たちは、みんな玉砕したそうだ」と知らせてくれた。三人の子供をかかえたウシは、この渡嘉敷島の暗い運命を予感して、大変なことになったと思った。

古波蔵村長(三十三歳)は、在郷軍人であった。このさい、日本軍に協カして戦いたい気持ちもあったが、日本の特幹隊は遠くトカシクに本部をおいていて、すぐに行けもせず、また彼は家族といっしょに壕に避難していたので、家族のことも気になって、何度も壕を出たりして、若い青年たちを走らせ情報をキャッチすることに努めていた。が、阿嘉島がやられているとは聞いたが、玉砕したとは聞いてなかった。
安里駐在巡査(二十九歳)は、沖縄本島に妻子を置いて単身一月下旬に赴任したばかりで、島の地形も日本軍のこともよくわからなかった。しかし彼は二、三日前から、赤松隊長を探し出すために、トカシクの山の中を歩き回っていた。日本軍の動きはあわただしく、阿波連に向かって移動していたので、馴れぬ山道をあっちこっち歩いたが、二十五日も二十六日も赤松隊長には逢えなかった。

大本営からの阿嘉島は玉砕した(注.誤報であった)という情報は、安里巡査の耳にも入っていた。誰から聞いたかは憶えてないが、とにかく、巡査よりも村民のほうが先に、戦況やそうした近海の米軍の動きなどをよく感じ取っていた。
敵の軍艦が慶良間海峡に侵入していることは山の上から見ればすぐわかったが、大町大佐が阿嘉島から阿波連の海岸に立ち寄ったということは、極秘中の極秘のはずだが、防衛隊が彼に教えてくれた。安里巡査はあせっていた。小学生まで陣地構築に協力してきた村民が、これから先どうあらねばならぬか、安里巡査は赤松隊長に相談したかったのだ。村長も一刻も早く隊長と相談してこいということだった。

翌二十七日も砲弾のとび交う中を、腰にぷらさげたサーベルをカチャカチャ音させて歩き回り、やっと西山のほうへ移動したばかりの赤松隊長の居所をつきとめた。その間に、出会った防衛隊や朝鮮人軍夫や村民から、特攻舟艇の破壊作業のことや、米軍の上陸や、日本軍が迎撃する交戦の模様を、伝え聞いた。
支那(北支から中支)で軍隊生活をおくった経験のある安里巡査は、これまでに阿度か軍隊生活を話題にし、日本軍が「こっぴどく支那人をやっつけた」ことを話したことがあったが、あの残虐なことが、あすはわが身にふりかからねば幸いだがと、ふと不安に思った。なにしろ兵隊たちの間から、米軍の捕虜になったら間違いなく戦車で礫き殺されるという風聞が出ていて、それは疑う余地がないようだった。

ただ一方には、日本が最後には勝つ、という信念があった。がしかし、それは惨澹たる道程の果てに、最終的に勝利の結果を産むという、悲壮な意味を含んでいて、自分たちは犠牲にならねばならぬかもしれぬという気持ちが同居していた。そうした心情は村民の一般的傾向であった。

米軍上陸で動揺する村民

三月二十六日の朝、米軍が阿波連から上陸したことが村民に知れたったとき、村民のほとんどは動揺し、壕から壕へ移動した。

ウシは子供たち(長女十二歳.二女七歳.長男三歳)を連れて、屋敷内の壕から、港に向かって西側の川向こうの山の麓の壕に行った。そこにはすでに二家族が入っていた。その家族の中の十六、七歳になる少年たち二人が、あわただしく出たり入ったりして落ち着かず、しきりに死ぬ覚悟で何かしなければならぬといったりしていた。竹ヤリを持ち歩く姿は、頼もしい感じであった。ウシたちは、ガテカル(嘉手刈)の壕で一夜をあかした。

翌二十七日になると、敵が攻めてくるのが感じられたし、阿波連から避難してきた人たちも敵が押し寄せてきていると話していたので、ウシたちは、ウンナガーラ(恩納川)近くに叔父たちが掘った壕があるのを思い出して、そっちへ向かった。その途中で、山のほうのミーヤーの上のところで、アメリカーが何やら作業しているのが見えた。

ウンナガーラのイチャチチというところの壕に着いたら、叔父や十八歳になるその息子は「いざとなったら、天皇陛下万歳をいって死ぬんだ」と語し合っていた。けれども、敵機の爆音は、ひっきりなしに聞こえるし、遠くから砲弾の炸裂音が近づいてくるように聞こえるので、みんなひどくおぴえていた。ウシは「死ななくても、すむよ、友軍がついているから大丈夫よ」と逆に元気づける始末だった。

安里巡査は、朝から敵機に見つからぬよう隠れたりしながら、午後も夕方近くなって、やっと西山の谷間の日本軍の陣地を探しあてて、そこではじめて赤松隊長と逢った。そこへたどりつくまでに、空襲ですっかり焼けたや山林の中を歩いているとき、安里巡査は沖縄本島にいる妻子の安否を思った。渡嘉敷に赴任してから、一度は宇久校長(沖縄本島出身)といっしょに御真影を保管するために沖縄本島に渡ったことがあったが、あのとき帰ってこなければよかったと、彼は後悔したりもした。

西山のトトンジャーラ(イシッピ川)の奥地の日本軍の陣地は、移動してきたばかりで何もできてなくて、朝鮮人軍夫や兵隊たちが、盛んにタコ壷を掘っていた。陣地壕はまだほとんど掘られてなかった。赤松隊長は、陣地構築の指図をしていた。(注・防衛隊や軍夫や村民の幾人かは、集団自決の後日、壕掘り作業に出ている―小嶺善吉らの証言。二十七日に地下壕内で将校会議か開かれたという記録は間違いで、将校は分散したタコ壺の中か外で戦闘配置についていた。村民をどうこうするという会議を開く余裕はまったくなかった―知念朝睦〈少尉〉の証言)
そこで安里巡査は、赤松隊長に向かって、村民はあっちこっちの壕に避難して右往左往しているが、これからどうしたらよいかわからないので、軍のほうでなんとか保護する方法はないものか、どこか安全地帯はないものか、と相談を持ちかけた。

そのとき赤松隊長は、次のようにいった。島の周囲は敵に占領されているから、誰もどこにも逃げられない。軍は最後の一兵まで戦って島を死守するつもりだから、住民は一か所に避難していたほうがよい。場所は軍陣地の北側の西山盆地がいいだろう(注・比嘉喜順、旧姓・安里、元駐在巡査の証言)。そこで安里巡査は早速、居合わせた防衛隊数人に対し、村民に西山盆地に集合するよう伝達してくれと告げた。彼自身も、各壕を回っていい伝えて歩いた。

防衛隊の一人は、古波蔵村長にいち早くほば正確な伝達をした。そして村長からも、同様の伝達が出た。それは人の口から人の口へ、すばやくつぎつぎと広がって伝わっていったが、村民のあるものは赤松隊長の命令といい、あるものは村長の命令だといった。

注(又吉) 四十二年前に、星氏は、赤松隊長が「島の周囲は敵に占領されているから、誰もどこにも逃げられない。軍は最後の一兵まで戦って島を死守するつもりだから、住民は一か所に避難していたほうがよい」と言ったと書いている。このドキュメントを多くの沖縄の人々か読んで居たら、「集団自決」に対する認識は違っていただろう。

闇の雨中を西山盆地へ集結

ウシたちの壕には、防衛隊の一人がきて、「村長命令だ、ウンナガーラから西山にのぼれ」といった。そこで迷いながらも、ウシたちはともかく出掛けるしたくをしていた。こんどは三人の防衛隊がきて「もうすぐそこに敵がきている」「みんな西山に登ってください」「村長命令です、西山に集まってください」と口々にいった。その三人の防衛隊は、ウシの弟、モリスケ叔父、ミサトの叔母の妹の夫で、三人とも輿奮してせきたてていた。村長命令とあらば、どんなことでも従うほかはないと、ウシは思った。

ウシたちが恩納川を登って行くうちに、雨はどしゃぶりになった。ウシは三歳の息子をおぶって、七歳の二女の手を引いて歩いた。十二歳の長女(本誌119ページの安座間豊子さん)は、三日分の食糧(米と黒砂糖とカツオ節)を入れたランドセルを背負って、ウシの後につづいた。ウシたちは、ずぶぬれになって暗い谷川のふちを歩き、ときどき滑って水の中へ落ちこんだりした。ぬれた赤土はよく滑るし、もう夜になっていて、何も見えなかった。

ざわめくような足音や、親子の名を呼び合う人声で、多数がぞろぞろ西山へ向かっていることが判った。ウシは長女に三日分の食糧だけを持たせてあったが、一日か二日、西山に避難するつもりだった。後でわかったことだが、ある人たちは、クワやナタやカマを持っていた。それらの農具は、西山で壕や小屋をつくることを予想して持ち運ぱれたのだ。多数が持っていた一メートルほどの棍棒は、荷物を肩にかけて持ち運ぶときに使われた。

恩納川の上流の谷間の上のほうが、西山の盆地だった。日本軍の最後の本部となった陣地は、小高い山を一つ隔てた小さいもう一つの谷間(トトンジャーラの上流)にあった。この二つの谷間の川は、渡嘉敷からは別々に並行しているが、上流に行くにしたがって接近し、西山高地に達するところで、深い谷底に小さい溝のようになって消えていた。西山の頂上の平たんな雑木林は、この二つの谷間の北方にあった。そこが西山盆地で、戦後、村民が玉砕場と称するところである。

その日の、雨の降りしきる夜半、渡嘉敷村の約三分の二の人たちが、ウンナーガーラ(恩納川)にそって苦心しながら北上した。そして、ほとんどが、上流の谷間の林の中で一夜を明かした。そのあたりには、以前に建てた避難小屋が三軒あったが、大多数は身を隠す場所が見つからず、野ざらしであった。ウシたちは、大きな木の葉を手探りで集めて、それを敷いてその上に横になり、眠るともなくうつらうつらしていた。

そのころ、阿波連の人たちは、約一時間遅れて西山にようやく到着していた。その多数は、阿波連から上陸した米軍に追われて渡嘉敷へ向かっている途中で、人々の口から「西山に集まれという村長命令が出ている」と聞かされ、渡嘉敷の人たちの後につづいたのだった。阿波連の人たちのほとんどは、それぞれ山の壕に避難していたが、食糧や衣類などは壕に残したまま、荷物らしい荷物は持たず、手ぶらの人も少なくなかった。また、壕やトカシクの野戦病院に、ケガ人を残してきた人もいた。

一方、渡嘉敷村の女子青年団は、不断から日本軍に献身的につくしていたので、いざとなったら皇国のために死ぬ覚悟ができていて、それぞれ懐中にカミソリを隠し持っていた。また防 衛隊の過半数は、何週間も前に、日本軍から一人あて二個の手榴弾を手渡されていた。いざとなったら、それで戦うか自決せよということであった。


玉砕するしかない

三月二十八日は曇天だった。木の葉の間から、チラチラと朝の光が見え、まどろんでいた村民は起きて、雨で黄色く濁った谷川の水で顔を洗ったり水を飲んだりした。ウシは弁当箱に水をくんできて、子供たちに飲ませたり黒砂糖をなめさせたりした。食事らしい食事は誰もしなかったし、そんな準備をする余裕も元気もなかった。みんな打ち沈んでいた。こんもりと潅木のおい茂っているその谷間いったいには、見渡すかぎり村民が終結していた。朝の七時ころになって、防衛隊の数人がどなるように、「みんな上のほうに集まれ」「西山盆地に集まれ」と叫んだ。それで村民は命令どおり、そこからわずか二百メートルほど離れた平たんな場所に移動した。

ウシたちが、そこの雑木林にたどり着いたときには、すでに多数の渡嘉敷の人たちが入りこんでいて、みんな十人か十五人ぐらいずつかたまって、地べたにすわっていた。しぜんに肉親を中心に親族同士が寄り集まっていた。後から後からぞろぞろと、阿波連の人たちもつづいて入ってきて、およそ千人の集団となった。それから約三時間、集められた村民はそのまま放ったらかされていた。

その間、集団の一角に、村長を中心にして、郵便局長や校長や助役や巡査や役場の人たちと防衛隊の幹部ら、約十数人が寄り集まって、何やらしきりに協議していた。そのころになると、上空には敵の偵察機がぐるぐる回っていた。茂った木の葉から、ときどき敵機がよぎって行くのが見えた。「これからどうするかという意見を出し合ったが、話し合っていくうちに、玉砕するほかはない、という結論になってしまった。しぜんに、玉砕ということになって、その恐怖感から逃れられなくなった」(比嘉喜順らの証言)

そこで気丈夫な古波蔵村長は、具体的にどういうふうにするか、と話を進展させた。あれこれ意見が出たが、結局、みんなが死ぬにしては、手榴弾が足りないということになった。一人の防衛隊が、「友軍の弾薬貯蔵庫から、手榴弾を取ってきましょうか」と申し出たことから、それに一決して、不断から親しく兵隊と接触している防衛隊三人が出掛けることになった。

それから一時間後に、防衛隊によって、ひそひそと村民に「玉砕する」話がひろめられた。村の指導者たちは、バラバラになって、それぞれの家族や親戚の人たちに、「やさしく説得するように」玉砕のことを話した。阿波連の防衛隊たちは、少し離れて散在しているの人たちに、もっと中心に寄り集まるようにいい伝えた。

集まった村民は、恐怖に打ちおびえながらも、静かに親族同士で輪になってすわった。渡嘉敷の人たちは、比較的に荷物を持ち運んできていたので、死ぬ覚悟を決めて着替える人が少なくなかった。が、集団のはずれにいる人たちの中には、まだ暖昧な気持ちで、これから何が起こるか、何もわからず、集団自決を予想だにしない人たちがいた。

古波蔵村長は、次のような理由から、駐在巡査を通じて赤松隊長から玉砕命令が出たにちがいないと、ひそかに思っていた。西山にきて協議の緒果、いわぱ自発的に玉砕することになりはしたが、昨日、安里巡査一人が赤松隊長に逢ってきた結果、集合が決まったこと、それから安里巡査は一人死ぬのを避けるふうに、「自分は村民の玉砕を見とどけて、軍に報告したい」(米田惟好<当時の古波蔵村長>の証言)といって、いざというときには少し離れたところに彼一人立っていたというのである。(注・米田惟好の解釈―軍は持久戦を考えて食糧確保のため、村民に対し「ロベらし」「足手まとい」だと思ったにちがいない)

注(又吉) 村長、郵便局長、校長、助役、巡査、役場の人たち、防衛隊の幹部らが協議して集団自決を決めている。村長など地位ある人たちの多くは武士の子孫であっただろう。日本軍が勝利するためには村人が自決したほうがいいという選択をしたのはあり得ることだった。

「みんな一緒に死のうね」

「アメリカーが上陸して、家も焼かれてしまったし、帰るところもないし、どうせ死ぬならみんないっしょのほうがいい」とウシの弟の防衛隊が話しているとき、安里巡査がきて、「手榴弾が破裂するときは手にしっかり握っていたほうがよい」と助言した。それから間もなくして、古波蔵村長がみんなの中央に立って、「敵にとり囲まれてもう逃げられないから、玉砕しなければならない。大和魂をもって天皇陛下万歳をとなえ、笑って死のう」と、声をふるわせながらいった。

急にしーんと静まり返った。ウシはその気になって、誰かが持ってきた茶わんに水を入れて、みんなの前に差し出し、「みんないっしょに、あきらめて、死のうね」といい終わるか終わらないうちに、遠くで誰かが「発火用意、打て!」と叫ぶと同時に、ぱあーんぱあ-んぱあーんと、つづいて手榴弾の炸裂音が聞こえた、ウシはわなわな震えがきて、水をこぼしたとき、急に耳を強く打たれたようになって、何が何やらわからなくなった。

ウシが気がついたときには、彼女自身は三歳の子供を抱いたまま僻せになっていた。目の前に倒れている二人の娘も無傷でねぼけたような顔で起き上がった。が、手榴弾を持っていた弟は、断末魔の様子で、血だらけの片手をがたがたふるわせて倒れていた。その背後には、弟の妻が、両眼をほおの上にとび出させたまま、死んでいた。

ウシはわが目を疑い、からだをまるめて俯せたままで、まわりをながめた。と、たくさんの死体がころがっているのを見届けると同時に、まったくとつぜん、鳥が泣き叫ぷようないやな声が入り乱れて聞こえてきた。

「アキサミヨーアキサミヨー」(感嘆詞)「母ちゃんよー母ちゃんよー」「アンマーヨーアンマーヨー」(母親の呼称)と悲痛におおぜいが叫んでいた。頭上からはブーンブーンブーンと敵機の爆音が響いていた。ウシは動転し、しばらく目をとじていた。が、ふたたび周囲を見まわした。手榴弾を破裂させた弟は死に、そのすぐ側にいた自分たちは無事だったのだ。そして、まわりにいた親族の七、八人は即死していた。それからウシは、何やらうめきながら逃げて行く集団を見た。

赤い血を鮮明につけたケガ人たちや、恐怖のあまり泣き叫ぶ女子供たちをまじえて、約三百人あまりが、わさわさ押し合うようにしてそこから立ち去って行くのだった。その逃げて行く集団の中に、郵便局長と村長がいるのがはっきり見えた。

……集団自決の場所から群をなして立ち去ってきた約三百人は、日本軍の陣地のほうへ向かってなだれたが、三百メートルも行かぬうちに、米軍の迫撃砲の攻撃を受けた。米軍の砲弾は、どこからくるのか判然としなかったが近くでどんどん炸裂した。その破片にあたって即死したものが幾人かいた。弾にあたって郵便局長の妻も倒れて死に、局長は子供を背負わなければならなくなった。その集団は、そこで立ち往生したまま、騒いでいた。

村の指導者たちやその家族や防衛隊の幾人かは、そろって無事で、その集団にまじっていた。みんなひどく興奮していて、狂人のようになっていた。村長は狂ったように逆上して「女子供は足手まといになるから殺してしまえ。早く軍から機関銃を借りてこい!」と叫んだ。その意志を率直に受けて、防衛隊長の屋比久孟祥と役場の兵事主任の新城真順は、集団より先がけて日本軍陣地に駆けこみ、「足手まといになる住民を撃ち殺すから、機関銃を貸してほしい」と願い出て、赤松隊長から「そんな武器は持ち合わせてない」とどなりつけられた。(注・比嘉喜順、伊礼蓉子らの証言。その点、米田惟好は米軍に決死の戦闘を挑むつもりだったと、異議を申し立てている)

おりしも助けを求めてなだれこんだその集団は、日本軍陣地の百メートル近くまできていた。日本軍は戦闘配置についていたが、発砲は自滅に等しいとみて、ただ敵の様子をうかがっていた。そこへ泣き叫ぶ村民がなだれこんできたので、追い払うために、将校は一様に抜刀して威嚇した。たちまち村民は悪夢からさめたように静まりかえり、恩納川の谷間へと散り散りに去って行った。

修羅場と化した西山盆地

一方、西山盆地では、ほとんど無傷でいた阿波連の人たちの間から、無残な殺し合いが始まっていた。それは三百人の集団がアラシのように立ち去った直後だった。遠くで、迫撃砲が激しく炸裂するのを、生き残っている多数の村民は上の空で聞きながら、ある人たちはナタやガマを借りて生ま木を切って棍棒を作っていた。その側で、母や妹や弟を、青年になった息子が、ベルトでつぎつぎと締め殺していた。また手榴弾で死にそこなった渡嘉敷の人たちの間では、持ってきた農具がそのまま凶器に変わって、血縁へ向かって理解しがたい怨念を打ち出すように、妻子を惨殺しはじめた。

ウシたち親子四人は「ここは地獄だ、早く逃げよう」と、いったんそこから立ち去りかけたが、血相をかえた阿波連のお婆さんたちが下のほうからきて「下からオランダー(外人)が登ってくるよ、いまに耳や鼻を切り取られるよ」といわれ、こわくなって舞い戻った。アメリカ人につかまることへの恐怖感がつのった。ちょうど十メートルぐらい離れたところに、夫の妹たちが生き残っていて、茫然とすわっていた。そこには、ケガして歩けない人たちが二十人ぐらい集まっていた。ウシたちはそこへ助けを求める気持ちで行った。すぐ側で、イノハさん(医者)は、不発弾の手榴弾を何度も石にたたきつけていた。

彼はあきらめて、それを投げ捨て「何かないか」とキョロキヨロしていた。そのとき小学生の息子が、「お父さんポク肥後ノ守があるよ」と小刀を出した。するとイノハさんは、「お母さんからね」というとすぐ、自分の妻の首を切り、それから息子と娘の首も、つぎつぎと切って、見ているまえで、彼は木の股に小刀をはさんで、自分の首を押しあててずっと刺しこみつづけた。そして急にガクンとぐったりなってころがり倒れた。

それが契機となって、隣の家族は、急に殺気立って、妻がおびえている夫を叱った。「日本人じゃないの! あんた男のくせに殺しきれないの!」と中年の女は、ナタを振り上げ、すわっている四、五歳の女の子の頭をめった打ちにして殺し、それからうなだれている夫を、「エイ、エイ、エイ」と叫びながら同様に打ち殺した。すると連鎖的に、老人が孫の頭をつかんで、カマでその頸動脈をかき切った。血が倒れた首から噴き上げた。

「アキサミョー」(感嘆詞)「私も殺してください」とウシは思わず叫んだ。だが老人は、振り向きもせず黙って木に登り、首つりのしたくをするのだった。

ウシが気が変になったように、「クルチ、クミソウリ」(殺してください)と小声で繰り返し言っているとき、七歳になる二女は「死にたくない、死にたくない」と泣き叫んだ。長女は妹を腹の下に隠すように押えつけ、ただ恐ろしさのあまりじっとしていた。そのとき、阿波連の青年たちがワイワイ騒ぎ立てながら走ってきた。血の気のない顔で、彼らは何やら奇声をあげ、まだ生きている人を探し出しては、持っている梶棒で撲殺するのだった。

その中の金城重明(現牧師)という十六歳の少年がウシの側へ近寄ってきた。学校で成績がよいと評判の少年だった。彼は立ち止まった。と、いきなり直径十センチぐらいの棍棒を振り上げ、「まだ生きているのか!」と叫び、妹を抱き押えて後込みしている長女の頭へたたきつけた。ギャツという声が短く走り、頭から血が流れた。少年はもう一度たたきつけた。娘たちは動かなくなった。それから少年は血走った目をむいて、ウシを見た。ウシは祈るように、「重明……」と小声でいって目を閉じた。ガーンと頭が割れるような音がした。ウシは額の上を二度叩きつけられるのを感じた後、意識を失った。

何時間かたって、ウシも長女も意識を取り戻した。夕方間近くなっていた。周囲は死者ぱかりだった。首つり自殺をとげた死体が、十五、六人、潅木にぶらさがっていた。二女は痴呆状態になってすわっていた。ウシが抱いていた子供は、口がほおのところへ移って顔がゆがんでいた。ウシの額に振りおろされた棍棒は勢いあまって子供の顔にもあたったようである。

ウシは急にわれに返って、娘に、「水をくんできて」と叫んだ。娘はふらふら立ち上がり、ころがっている薬カンを拾って、水をくみに行った。その間、ウシは自分の顔いっぱいについている血糊をソデでふき、割れた前頭部からまだ血か流れるのを防ぐために、湿った赤土を取って傷口に塗りこんだ。それから娘がくんできた水を、抱いた子供の顔にかけた。すると子供は全身ひきつらせ、顔をぶるぶるけいれんさせて、元に戻った口から血のアワを出した。「生き返ったよ」と、ウシは思わず笑顔になった。

それからウシたち親子四人は、なんとか生きようと思い、谷間のほうへ下りて行った。
 
 

 




 
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再論、沖縄戦を歪曲した沖縄タイムスの大罪

2018-03-30 07:50:14 | ★集団自決

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沖縄慶良間島の「集団自決」を「日本軍の命令による」とデタラメ報道をしたのは沖縄タイムスが出版した「鉄の暴風」に端を発する。

過去ブログを一部編集して、沖縄タイムスの大罪を再確認してみよう。

 

沖縄戦を歪曲した沖縄タイムスの大罪 2009-08-28

沖縄タイムスが沖縄戦に関して多くのデマを流し沖縄戦を歪曲したことを書いてきた。

沖縄タイムスの歴史歪曲の罪は大きい。

『うらそえ文藝』が、過ちを訂正して謝罪せよと告発に踏み切ったのは、良識ある県民の意志を肌で感じたからであろう。

タイムスの沖縄戦歪曲を象徴する報道が二つある。

一つは1950年(昭和25年)に出版された『鉄の暴風』。

もう一つは『鉄の暴風』発刊の20年後、

1970年3月27日付沖縄タイムス社会面を飾った衝撃的記事である。

戦後一貫して沈黙を守っていた渡嘉敷島、座間味島の両隊長が、

「自決命令をしていない」と積極的に発言し始めるのは、実はこの1970年の記事以降のことである。

勿論梅澤氏は「鉄の暴風」の1980年改訂版発刊までは、死亡とされていたので、梅澤氏の発言と赤松氏の発言には凡そ10年のタイムラグがある。

『鉄の暴風』については、多くの研究者がそのデタラメな内容を論じ尽くしているのでここでは省略し、今から約40年前の沖縄タイムス記事について触れる。

1970年3月27日といえば、大江健三郎氏の『沖縄ノート』も曽野綾子氏の『ある神話の背景』もまだ発刊されておらず、『鉄の暴風』が沖縄戦のバイブルのようにいわれて時期である。

その日は渡嘉敷島で25回目の戦没者慰霊祭の当日で、沖縄タイムスは、前日の26日、慰霊祭に参列のため那覇空港に降り立った渡嘉敷島の元戦隊長赤松嘉次氏と空港で待ち受けた約40名の「抗議団」とのトラブルを大きく報じている。

その日の沖縄タイムス社会面トップを飾った大見出しはこうだ。

忘れられぬ戦争の悪夢

<赤松元海軍大尉が来島>

空港に“怒りの声”

抗議のプラカードを掲げた抗議団。 それに取り囲まれた赤松氏の写真と共に、タイムスは約40名の抗議団の赤松氏に対する「怒りの声」を報じている。

「忘れられぬ戦争の悪夢  赤松」の画像検索結果

 添付ファイル

赤松元陸軍大尉のことを、「元海軍大尉」と大見出しで報じる沖縄タイムスの無知はさておき、

その記事から「県民の声」を一部拾うとこうなる。

「赤松帰れ」

「今頃沖縄に来てなんになる」

県民に謝罪しろ」

「300人の住民を死に追いやった責任をどうする」

慰霊祭には出てもらいたくない。 あなたが来島すること自体県民にとっては耐えがたいのだし、軍国主義を全く忘れてしまったとしか思えない。 現在の日本の右傾化を見ろ」

この紙面構成を見ると、読者は「鬼の赤松の来県に抗議する渡嘉敷島の住民」という印象を刷り込まれてしまう。

わずか40名の左翼団体の抗議を、あたかも県民代表あるいは渡嘉敷住民であるかのように報じた沖縄タイムスは沖縄戦を歪めた首謀者であり、その罪はきわめて重い。

実際の抗議団は那覇市職労を中心にした左翼団体であり

赤松氏に抗議文を突きつけたのも渡嘉敷村民ではなく那覇市職労の山田義時氏であった。

肝心の渡嘉敷村は赤松氏の慰霊祭出席を歓迎しており、村民を代表して玉井喜八村長が出迎えのため空港に出向いていたくらいだ。

「うらそえ文藝」編集長の星雅彦氏は、偶々そのときの那覇空港の「騒動」の一部始終を目撃していた。

結局赤松氏は那覇に足止めを食い、赤松氏と同行の元部下たち一行は那覇市松山の大門閣ホテルに一泊し、翌27日、船で渡嘉敷に向かうことになるが、星氏は同じ船に便乗し慰霊祭にも参加したという。

星氏は偶然目撃した前日の空港での左翼団体の暴挙と、これを県民の意志であるかのように報道する地元マスコミの姿勢をみて、

沖縄で流布する集団自決の「定説」にますます疑問を持つようになったという。

星氏は元赤松隊一行と共に渡嘉敷に向かうが、船の中で赤松隊一行は持参の経文の書かれたお札のようなものを広げてずっとお経を唱え続け、渡嘉敷港が近づくと持参の花束とお経のお札を海に撒いていたという。

慰霊祭の最中に「赤松が上陸する」との知らせを受け、マスコミと「民主団体」が現場に飛んで行ったが、赤松氏は個人で舟をチャーターして島に接岸したが、結局島民に弔文と花束を託して上陸することなく島を去ったという。

■沖縄戦史を歪曲した記事■

1970年3月27日のタイムス記事は、以後沖縄戦史を「タイムス史観」ともいえる歪な方向へ県民を扇動ていくマイルストーン的役割りを果たすことになる。

先ず、この記事を見た県民は、

住民に自決を命じ、自分はおめおめと生き残った卑劣な鬼の赤松隊長を追い返す渡嘉敷住民

といった印象を強烈に刷り込まれることになる。

またこの記事を見た大江健三郎氏は作家としての想像力を強く刺激され、本人の述懐によると『鉄の暴雨風』などによる沖縄戦の即席勉強と共に、新川明氏らタイムス記者のブリーフィングで得たにわか仕込みの知識で、現地取材もすることなく、作家としての想像力を駆使して「沖縄ノート」を書くことになる。

戦後起きた沖縄戦のセカンドレイプともいえる第二の悲劇は、まさに『鉄の暴風』に始まり、

「1970年3月27日付タイムス記事」によって決定的になったいっても過言ではない。

そのときの記事には、金城重明氏が首里教会の牧師という肩書きでマスコミに初登場して証言しているが、

金城氏はその後、集団自決の証言者の象徴として、マスコミ出演や著書出版、そして全国各地の講演会などで八面六臂の活躍をするのは周知のことである。

それでは、当時の渡嘉敷村民の真意はどうだったのか。

そのとき赤松氏を迎えるため空港で待ち受けていた玉井渡嘉敷村長は、後にその心境を渡嘉敷村のミニコミ誌で吐露している。

以下は、『終戦50周年祈念「いそとせ」』(沖縄県遺族連合会 平成7年12月30日発行)に寄稿された玉井元渡嘉敷村長の随想の一部抜粋である。

遺族会発足当時を想ふ     渡嘉敷村遺族会長 玉井 喜八

(略)
 遺族会発足当時は主として戦没者の援護法適用について、県当局や遺族連合会との連携をはかることが主な活動であった。
 幸いにして、国は島における戦闘状況に特殊事情があったとして理解を示し、戦没者全員が戦闘協力者として法の適用が認められたことは唯一の慰めであった。(略)
 渡嘉敷島の戦闘状況とりわけ自決命令云々については、これまで文献等に記述されたが、島に残った人々は各自異なった体験を語っており、当時の混乱した状況が偲ばれるのみである。
 おもふに戦争の残した傷跡は簡単に償えるものではないが、個人が心の安らぎを得る機会は与えるべきであるとして、当時の隊長が慰霊供養のため島を訪問したいとの希望があり、遺族会に諮ったところ、当時の国策遂行のためになされた戦争行為であり、個人の意に副ふようにとのことで受入れをすることで一致した。ところが意外に村民以外の民主団体に来島を阻止され、他の隊員は島に渡ったが隊長は目的を果たすことができなかった。
 後で聞いた話では別の船をチャーターして渡嘉敷港の軍桟橋で弔花を届けて引返したとのことである。本人は既に故人となり、今にして思えばその当時、故人の望みをかなえてやれなかった事に心残りもあるが、時の社会状況からして止むを得ないことであった。
 昭和53年の33回忌は隊員との合同で行われた。慰霊祭に隊長夫人が参加し、村民や遺族と親しく語り合ったことが何よりの慰めになったことと思われる
 3戦隊戦友会は、本村に駐留した復員者で組織された会で、村や遺族会と緊密な連携がなされ村民との融和がはかられている。学校の記念事業等に積極的に協力すると共に戦跡碑の設置塔を実施し村との信頼関係を確立している。(略)
 昨年、戦友会員や隊員の遺族が大挙して島を訪れ50回忌の慰霊祭が行われた。その際に会を代表して皆本義博会長から永代供養基金として一金三百万円が村遺族会へ送られた、想えば当時紅顔の少年たちも既に70の坂を越しており会員は減少するのみである。この基金の果実により戦友会として今後の供花費用に充て永久に弔って行きたいといふ心づかいである。

引用者注
玉井喜八⇒1921年10月生まれ1953年12月17日33歳で渡嘉敷村長就任。以後32年間1985年12月まで村長の職にあった。2000年8月79歳で没

3戦隊戦友会⇒赤松隊戦友会

赤松氏の慰霊祭参加を歓迎する村民を代表して、那覇空港に出迎えた玉井村長は「村民外の『民主団体』」が来島を阻止したことに驚きを隠せないようだが、

33回忌には赤松夫人が参加し、村民や遺族と親しく語り合ったことを喜んでいるようである。

沖縄タイムスは村民と元隊員とは敵同士であるかのような報道しかしないが、赤松隊員と村民の信頼関係が深いことが記述されているし、手榴弾証言の富山眞順氏は別のミニコミ誌で、本土旅行の際は元赤松隊員に連絡し、空港等に迎えに来てもらい、一緒に観光するといった元赤松隊員との和気あいあいとした交流の模様を寄稿している。

これらは沖縄タイムスには決して載ることのない村民の本音であり、村内でのみ読まれるミニコミ誌にのみ掲載されている。

赤松氏がマスコミに初登場するのは、上記1970年の沖縄タイムス記事の二年前の1968年発行の週刊新潮4月6日号誌上であるが、

そのときは「部下を戦死させたのに生き残った卑怯な隊長」、

あるいは「スパイ容疑で住民虐殺した残虐な隊長」という主旨の追及に答えている。

「住民虐殺」については、意外にもその事実をあっさり認めている。 

だが「集団自決の隊長命令」については記者の質問もなければ、当然赤松氏の言及もない。

ところが週刊新潮の記事を見た琉球新報の関西支局が、赤松氏を神戸市加古川の自宅を訪れ、そのインタビュー記事を同年4月6日付けで掲載した。

その琉球新報記事で、記者の

「集団自決は命令したのか」との質問を受け、

赤松氏は「絶対に命令したものではない。自決のあったあとで報告を受けた」と答えている。

ところが、前記1970年の那覇空港における「鬼の赤松vs渡嘉敷村民」という印象操作記事以降、

赤松氏は「軍命は出していない」と自ら積極的に発言するようになる。

その後、奇しくも『鉄の暴風』が梅澤氏の「死亡記事」を密かに削除した1980年(昭和55年)の初頭、

赤松氏は無念のまま没する。

実弟の赤松秀一氏がその意志を継いで梅澤氏と共に、「集団自決訴訟」を起こしたことは周知のことである。

続く

沖縄戦「集団自決」の謎と真実
秦 郁彦
PHP研究所

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慶良間の集団自決は「軍命」ではない!

2018-03-30 06:13:16 | ★集団自決
 
 
 
慶良間の集団自決は「軍命」,つまり日本軍に命令された結果ではない!
 
当日記は断続的に、この事実を明確にしてきた。
 
沖縄2紙の圧倒的な印象操作報道に打ち勝つためである。
 
 
きのう、2018年3月29日付琉球新報社会面トップの大見出しの紹介。これまでの琉球新報の論調から「集団自決は日本軍の命令による」と印象操作される。
 
「集団自決」忘れない
 
渡嘉敷 慰霊祭 300人超
 
悲しみ癒えず
 
腕ちぎれ、目つぶれ
 
血が流れ
 
文科省検定意見により、集団自決の「軍命説」は教科書に掲載できない。
 
当然「軍命説」が新聞に掲載できるはずはない。
 
そこで沖縄2紙は必死の印象操作を見出しで画策。
 
記事本文にも「日本軍の命令で住民らは島北部の北山(にしやま)に集められた。行き場をなくした住民らは28日、極限状態の中で「集団自決」に追い込まれ330人が亡くなった」などと「日本軍の命令」の印象操作に懸命である。
 
住民が北山に集まったのは、地理に不案内新任の安里巡査が、先に着任し地理に詳しい赤松隊長に相談しアドバイスを受けた結果であり、「日本軍の命令」で集まったわけではない。結果論だが島を米軍艦に包囲された渡嘉敷島では逃げ場所はなく、どこへ逃げても袋のネズミであった。
 
「集団自決」忘れない 渡嘉敷慰霊祭、100人超が参列
 
白玉之塔の刻銘板に向かって手を合わせる参列者ら=28日、渡嘉敷村の白玉之塔

 【渡嘉敷】1945年3月28日、沖縄戦時に渡嘉敷島で起こった「集団自決」(強制集団死)から73年の28日、沖縄県渡嘉敷村の白玉之塔で、村主催の慰霊祭が開かれた。100人を超える遺族、関係者らが参列した。参列者は刻銘板の中から家族や友だちの名前を探し、近くに花を手向け、鎮魂の祈りをささげた。

 松本好勝渡嘉敷村長は式辞で「光陰矢のごとし、73年を迎えた。われわれは悲惨な沖縄戦を瞬時も忘れてはならない」と話し、悲惨な歴史を後世へ継承していく決意を示した。

 渡嘉敷小中学校の児童生徒は折り鶴で、不戦の誓いを示す「誓」の一文字を表した作品を奉納した。同中2年の山本勘太さん(14)は「平和学習や体験者に聞いた話を僕たちがさらに小さい子に語り継いでいきたい」と話し、刻銘板に向かって静かに手を合わせた。

 妻ナへさんと共に「集団自決」で亡くなった第5代村長で、戦時中は産業組合長だった眞喜屋實意(じつい)さんの娘・宮城幸子さん(91)=宜野湾市=は、刻銘板に刻まれた両親の名を泣きながら指でなぞり「お父さん、お母さん」とつぶやいた。

 宮城さんは渡嘉敷島で生まれ、16歳だった戦時中は瑞泉学徒隊に動員され、本島内にいた。両親の死を知らされたのは敗戦後。「涙は枯れないよ。島のどこを見ても涙が出る。これから先、あんな体験は誰にもさせてはいけない」と険しい表情で話した。

 45年3月27日、米軍が渡嘉敷島に上陸。日本軍の命令で住民らは島北部の北山(にしやま)に集められた。行き場をなくした住民らは28日、極限状態の中で「集団自決」に追い込まれ330人が亡くなった。

                   ☆
 
渡嘉敷村で28日、「集団自決」の犠牲者330人の慰霊祭が行われ遺族ら330人が犠牲者を悼んだ。
 
沖縄2紙は「集団自決」はの原因は「軍の命令による」と長年主張してきた。
 
だが2007年、高校歴史教科書をめぐる文科省の検定意見で「軍の命令」という教科書への記述が削除された。
 
これに反発した県民が大幅水増しの「11万人集会」(実際は2万人前後)を開催し、沖縄2紙が大発狂した。
 
沖縄2紙の必死の印象操作にも拘わらず、2018年現在2007年の文科省検定意見は有効であり教科書に「集団自決」を「軍命による」と記述することはできない。
 
 
 
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【超正論】麻生財務相「証人喚問は人民裁判でもなければマスコミの吊し上げの場でもない」

2018-03-30 00:10:10 | マスコミ批判

 

【超正論】麻生財務相「証人喚問は人民裁判でもなければマスコミの吊し上げの場でもない」

 
1: 名無しさん@涙目です。(栃木県) [US] 2018/03/29(木) 08:47:38.86 ID:AKzDorBa0● BE:886559449-PLT(22000)
麻生太郎副総理兼財務相、「証人喚問は人民裁判じゃない」 佐川氏答弁拒否批判に反論

 麻生太郎副総理兼財務相は28日夜、佐川宣寿前国税庁長官が27日の証人喚問で証言の
一部を拒否する発言を繰り返したことについて、国会内で記者団に「拒否する権限がある。
自分の立場を考えながら言うのが当然だ。刑事訴追に関係ない分ははっきり言っていた」
と述べた。
同時に、証言拒否を批判する声があることに対し
「人民裁判をやっているんじゃない。
マスコミによるつるし上げでもない」
と反論した。


46

http://www.sankei.com/politics/news/180328/plt1803280035-n1.html



 
273: 名無しさん@涙目です。(庭) [US] 2018/03/29(木) 09:56:51.16 ID:uAr1Skmv0
>>1
ガチ正論
さすがだわ

7: 名無しさん@涙目です。(チベット自治区) [US] 2018/03/29(木) 08:50:00.80 ID:nLN61iAh0
ぐうの音も出ないだろこれ

39: 名無しさん@涙目です。(四国地方) [ニダ] 2018/03/29(木) 08:55:45.03 ID:Sx71uMbR0
>>1 
麻生のこういう正論にマスコミは反論してみろよ 
いつもスルーだからなw


335: 名無しさん@涙目です。(SB-iPhone) [GB] 2018/03/29(木) 10:13:35.12 ID:eEuIvdsO0
>>1
本来これを日本の自称人権派の連中が言うことなんじゃないのか?

364: 名無しさん@涙目です。(内モンゴル自治区) [EU] 2018/03/29(木) 10:21:30.92 ID:oNl1s61cO
>>335
ほんとこれ
いかにこいつらが自称リベラルで偽物なのかがよくわかる
本当に人権のことを考慮してたらアッキーに対する風当たりにも苦言を呈してるはず

371: 名無しさん@涙目です。(庭) [US] 2018/03/29(木) 10:24:03.77 ID:vah0LqRx0
>>364
あとさ
「政府が検察にしっかり指揮して調べさせろ」という自称リベラルの人も割といるんだよね
ビックリするわ

誰を、何を捜査するかについて政権が指示しろとか、言うなよ

8: 名無しさん@涙目です。(庭) [US] 2018/03/29(木) 08:50:27.92 ID:NWdLWOvP0
立憲主義とか言ってたの奴は何してる?

16: 名無しさん@涙目です。(茸) [US] 2018/03/29(木) 08:51:21.01 ID:wGDiywWl0
この言葉だけで
パヨク野党マスゴミの異常性は分かりそうなもんだがな
マスゴミに洗脳された爺婆のは覚めるんかね

28: 名無しさん@涙目です。(茸) [GB] 2018/03/29(木) 08:53:21.44 ID:EJkY8Ohh0
>>16
覚めないだろうな

42: 名無しさん@涙目です。(東京都) [ニダ] 2018/03/29(木) 08:56:11.70 ID:GMAUMUxK0
>>16
そもそも報道しないから覚めることもない

30: 名無しさん@涙目です。(東京都) [EG] 2018/03/29(木) 08:53:44.80 ID:s2v9BXG70
騙されやすい老害の不満を煽って
政権打倒に誘導するのが
マスコミと野党の仕事だからね
そういった意味では魔女裁判は有効な手段

38: 名無しさん@涙目です。(庭) [US] 2018/03/29(木) 08:55:44.02 ID:Onypfqhj0
>>30
文春新潮の広告記事欄の左側が購入者の年齢層を表してるわw
no title

300: 名無しさん@涙目です。(静岡県) [GB] 2018/03/29(木) 10:03:33.33 ID:t8S9xrIo0
>>38
なんというかもう哀れだよなあこれ
文春なんて人格攻撃始めているし末期という感じだわ

67: 名無しさん@涙目です。(空) [BR] 2018/03/29(木) 09:01:21.62 ID:9Rcx9y4t0
これはマスコミがまず報じなきゃいけないんだよ
個人の権利、人権を蔑ろにする今の報道は頭狂ってるとしか思えない
日本の自称リベラルな方々の胡散臭さがこれでもかと如実になってる

76: 名無しさん@涙目です。(catv?) [US] 2018/03/29(木) 09:02:51.46 ID:moYYUa9i0
昭恵を証人喚問で呼び付け恫喝まがいの質問責め。
素人は耐えられないので泣いて謝罪。
テレビ局や新聞は昭恵夫人が泣いて謝罪の部分だけ大きく取り上げて印象操作。
いくら否定しようが野党とマスゴミはますます疑惑が深まったで締め。
これがクソマスゴミと野党6党の計画だろう。

89: 名無しさん@涙目です。(dion軍) [US] 2018/03/29(木) 09:05:46.09 ID:gKNQqc0n0
安倍ちゃんももっとガンガン言い返してやりゃいいのにな
冤罪かけられそうになったんだぞ?
何であんなに弱気なのやら
財務省は今後原因の究明と再発防止に全力を尽くしますが私を犯人に仕立て上げようとした野党とマスコミは絶対に許す事ができませんくらい言ってやれよ

136: 名無しさん@涙目です。(京都府) [VN] 2018/03/29(木) 09:19:35.49 ID:6sWF4WCZ0
>>89
弱気って言うか55年体制の不文律みたいなのがあるんでしょ
「自民ちゃんはお兄さんなんだから社会ちゃんの言うこと聞いてあげなさい!」みたいな
とは言え、今の野党は完全に一線越えてるからもう我慢しなくていいよとオレも思う

264: 名無しさん@涙目です。(庭) [GB] 2018/03/29(木) 09:54:27.20 ID:yoexvscT0
ていうか地検は早く結果出して欲しい
野党と同じブラックな事を要求するのも気が引けるけど
遅いなあ…

274: 名無しさん@涙目です。(SB-iPhone) [US] 2018/03/29(木) 09:57:09.26 ID:mS7YMOiE0
>>264
遅いね。元地検の人も言ってたけど大阪地検は人少ないから時間かかるんだってさ
ただここで結果が出れば今回の話しの方向性が見えるよね

360: 名無しさん@涙目です。(新潟県) [KR] 2018/03/29(木) 10:19:54.87 ID:YCzmPU6U0
他の自民党議員がヘタレばっか

375: 名無しさん@涙目です。(庭) [FR] 2018/03/29(木) 10:24:31.45 ID:FGfcuPv70
>>360
政策議論では侃々諤々議論できる、それが自民の強みなのに、これを勘違いしてる党員多すぎよな
直接的関与を示す証拠がない状況では、総裁を全力バックアップしてやれよと

400: 名無しさん@涙目です。(チベット自治区) [CA] 2018/03/29(木) 10:31:47.83 ID:+qclB/qR0
本当にそれ
未だにマスコミの印象操作が罷り通る事に嫌気がするわ
普段冤罪や自白強要とかに超批判的なのにダブルスタンダードが過ぎて吐き気がする

401: 名無しさん@涙目です。(SB-iPhone) [ニダ] 2018/03/29(木) 10:32:35.97 ID:Idbq1rbJ0
>>400
麻生政権時代ほどじゃないとはいえこれで支持率結構下落してるのは日本人大丈夫かと心配になるわ

409: 名無しさん@涙目です。(広島県) [US] 2018/03/29(木) 10:35:02.15 ID:aACAZ9Er0
やられた分はしっかり返してほしい
報復が無いとまたやられるぞ

412: 名無しさん@涙目です。(庭) [RU] 2018/03/29(木) 10:37:15.05 ID:0pteok+M0
そもそも地検が公文書改竄も含めて捜査中で佐川も操作対象になってるんだから
自分に関することはノーコメントになるの当然じゃん
もし訴追された場合検察にこのときの発言がどう使われるかわからないんだから

351: 名無しさん@涙目です。(東京都) [CN] 2018/03/29(木) 10:18:05.17 ID:fgocvs3j0
今回のマスコミ、とくにワイドショーの対応があまりにひどかったな。 
テレビ離れの最終段階にふさわしい

引用元: http://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/news/1522280858/

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米英日vs露中朝韓の時代、「ロシアスパイ網の解体必要」 米英首脳が電話会談

2018-03-29 22:26:39 | 未分類

 

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「ロシアスパイ網の解体必要」 米英首脳が電話会談3/29(木) 10:25配信

朝日新聞デジタル

 英国でロシアの元スパイらが重体になった殺人未遂事件にロシアの関与が疑われている問題で、トランプ米大統領は28日、メイ英首相と電話会談し、両国でのロシアによるスパイ網を解体することが必要だとの認識で一致した。

 ホワイトハウスによると、両首脳は米英でロシアが秘密活動をすることや、将来、化学兵器が使われることを防ぐことを協議したという。

 事件を巡っては、米欧などがロシア外交官を国外追放することを発表している。米国はロシアの情報当局者が外交官の名の下にスパイ活動をしていると批判し、60人の追放を決めている。(ワシントン=杉山正)

朝日新聞社

 

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沖縄2紙、論調に変化!不都合な真実も積極的に掲載?

2018-03-29 19:01:47 | マスコミ批判

不都合な真実も積極的に掲載? 沖縄基地問題で論調に変化が見られる地元紙竹中明洋

 いったい何があったのだろうか。このところ沖縄の地元紙を読んでいて驚くことが少なくない。

 米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設計画に断固反対の立場を取り、「あらゆる手段で移設を阻止する」とする翁長雄志知事を支持してきたはずなのに、思いもよらない論調の記事が次々と掲載されているのだ。

沖縄県名護市辺野古

 例えば、2月27日付の『琉球新報』文化面に掲載された沖縄国際大学教授の佐藤学氏寄稿の論文。2月4日に投票が行われた名護市長選挙について論じたものだが、選挙の結果について<当たり前のことだが、辺野古を止めることの優先順位が低く、国から金を引き出して、地元経済の活性化を図るという政策を高く評価した市民が多数を占めたのである>と分析した。佐藤氏自身が<当たり前のことだが>と書いているように、至極まっとうだと思われる議論なのだが、正直驚いてしまった。論文を書いた佐藤氏は、沖縄の地元紙では常連の識者で、辺野古移設計画に反対してきた研究者。その佐藤氏がこんな分析をするとは。

 さらに、当選した渡具知武豊氏が選挙期間中に辺野古移設の是非を問われて、辺野古での岩礁破砕許可をめぐって県と国が裁判で争っていることなどから容認とは打ち出さなかったことを、地元紙はこぞって「争点隠しだ」と批判したが、これについても佐藤氏は、<争点隠し、争点ぼかしであると批判しても、日本政府が大々的に支援をしている以上、名護市民が辺野古を争点と見なかった訳が無い>と、しっかり争点になっていたとする。

渡具知武豊氏

 つまり、名護市長選では辺野古移設が争点となった上で市民は辺野古移設阻止よりも国からの予算による経済の活性化を選んだ、というわけだ。

 もっとも、佐藤氏の主旨は、名護市長選をはじめとする県内の首長選挙で基地反対の革新側候補の敗北が続いていることへの強い危機感の表明にある。翁長氏が勝利した2014年の知事選について、<あの知事選の圧勝で、「イデオロギーよりもアイデンティティー」という考えを、広く県民が支持してきたと言われてきた。本当にそうだったのか>と疑問を投げかけ、むしろ、<既に構造的に衰弱しきっている「革新」だけでは票が足りないことが明瞭であり、保守の有力者であった翁長氏が候補となることで、保守層の支持も引き付けた>結果だとし、仲井眞前知事が「目に見える悪役」を演じ続けたこともあり勝利したが、いまや<「辺野古反対」の民意が広く存在しているだけでは、首長選挙は勝てない>として、その民意を投票行動に繋げる努力が必要だとする。

 ところが、そこまで議論を展開しながら、続いて佐藤氏はメガトン級の「不都合な真実」を指摘する。<沖縄県民は、本来、誰も米軍基地など望まない、ということが暗黙の了解になってきたが、それも若年層ではもはや違うのではないか。若者が現代史を知らないから、米軍基地の存在を当たり前のことと考えていると、筆者も長らく指摘してきた。しかし、若者の無知による容認、という段階はもう終わったと懸念する。反対運動が地域を分断すると敵視し、積極的に米軍基地に寄り添う人々が多数を占めるようになっているのではないか。だとすると、沖縄社会の本質的転落の顕在化である>  「本質的転落」との言葉にやや引っかかりを覚えるが、沖縄の若者のあいだで基地に対する意識に重大な変化が起きているのではないか、との指摘は、基地反対を長く標榜してきた地元紙にとっても触れたくはない問題のはず。これを読んだ沖縄の記者たちに次々と感想を聞いてみたが、一様に「よく掲載したものだ」と驚く。それでもこの論文を書いた佐藤氏や掲載した『琉球新報』は、それだけ名護市長選の敗北に対する危機感が強いからなのだろうか。

 なお、先に挙げた岩礁破砕許可をめぐる県と国との裁判の判決後に佐藤氏が寄稿した記事も興味深かった。この裁判は、県知事が権限を有する岩礁破砕許可を得ずに国が辺野古での工事を進めるのは違法だとして、県が工事の差し止めを求めて提訴していたものだが、3月13日に那覇地裁は県の訴えを退ける判決を出した。3月16日付『沖縄タイムス』の佐藤氏の記事では、<県は裁判のみに辺野古を止める策を収斂してしまった。知事はあらゆる手段を駆使してなどいない。今のままならば、「どうせ止められないなら、せめて引き換えに経済的利得を」という「民意」が知事選で爆発するのは明らかである>と翁長知事への不満を示した。このままでは今年の知事選で再選は覚束ないというわけだ。

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同じ3月16日付『沖縄タイムス』には…
 同じ3月16日付『沖縄タイムス』には、辺野古移設の阻止に向けて知事与党である革新各党の手法に疑問符を投げかけた論文も掲載された。寄稿したのは、元愛媛大学教授の本田博利氏。革新各党のあいだで、辺野古移設阻止のために、県民に是非を問う住民投票を実施するための条例の制定を目指す議論が進んでいるが、本田氏は、<県民投票には公職選挙法は適用されないから、投開票の事務を両方合わせて市町村に行わせることはできない。たとえ、条例で市町村長の「協力」義務を定めても従う義務はない><県民の半数が投票に行かなかったら、投票箱は開けず、県民投票はなかったことになる。市町村長のボイコットが主因であっても、県民は辺野古新基地問題に関心がなかったことになる。これは県政に致命的であり、国は勢いづく>と指摘している。

 沖縄県内に11の市があるが、このうち9市に保守系市長がいる。これらの市長の協力が得られない場合には、条例にはこれを従わせる強制力はなく、投票率が50%に満たない場合は県民投票が不成立になってしまう恐れがあるというのだ。本田氏はこの論文のなかで、県民投票の実現には課題が山積しているため、むしろ翁長知事は埋め立て承認の撤回に踏み切るべきとの議論を展開しているが、県民投票は移設阻止に向けた切り札のひとつと見られていただけに、これまた反対派にとっては手痛い事実が明らかになったことになる。

11の市がある沖縄県

 再び名護市長選をめぐる話題に戻ってしまうが、選挙後の3月5日の『沖縄タイムス』にこの選挙について触れたTBS「報道特集」キャスターの金平茂紀氏のコラムは、その上から目線ぶりが評判になった。金平氏は地元2紙と共同通信の3社合同の出口調査で、10代の9割、20代の8割が渡具知氏に投票していたということを挙げ、<10代の名護市の若者たちにとっては、基地反対運動なんかよりも「名護市にスターバックスが来る」という選択や、「ごみ分別が16種から5種に減る」方が、もっと重要だと判断したんだろうか>と、若い世代のことを非難がましく言ったかと思うと、こう突き放す。<それはそれでいいや。僕は何にも言いたくない。「国策」である辺野古新基地建設の是非を、若いというか、まだ幼い君らに背負わせている本土の人間である僕らの方に途轍もない責任があるのだから>

 本土の人間の責任を言いつつも、「まだ幼い君ら」ってさすがに…。

 このコラムを正面から批判したのが、3月23日付『沖縄タイムス』に寄稿された明星大学准教授の熊本博之氏の論文。金平氏の「幼い君ら」という言葉について、<未熟な名護の若者にはこの問題の重大さが理解できず、適切な判断がなされなかったのだろう、というさげすみにも似た嘲笑が透けて見える>と批判。名護市長選で両候補の陣営でそれぞれ積極的に活動した若者がいたことや、辺野古集落でのこれまでの聞き取り調査をもとにこう指摘する。

<名護の若者たちは、真剣に自分たちと地域の未来を考え、思いを1票に託し、投じた。その彼らを、自らの政治的、思想的スタンスと違うという理由で「幼い」と非難するのは暴力的だ。私は、本土の言論人が辺野古の状況や名護市、ひいては沖縄の選挙について語る際、その最初の一歩は住民が示した民意を尊重することだと考える。それを欠いた言説は空論でしかない>  沖縄の基地問題をめぐる言論空間の歪さを的確に指摘したもので、まったくの正論だと感じた。

 ここで挙げた記事は、いずれも外部の識者による寄稿となっているが、掲載する、しないの判断はもちろん各紙の編集局にある。このところ地元紙を読んでいて驚くことが少なくないと書いたが、不都合な真実も積極的に掲載していこうという変化が起きているのだとすれば、大歓迎したい。<取材・文/竹中明洋
                  ☆
 

東子さんのコメント



「不都合な真実も積極的に掲載? 沖縄基地問題で論調に変化が見られる地元紙 竹中明洋 2018年03月29日」
https://nikkan-spa.jp/1464639

タイムス、新報が、翁長知事を批判し始めたので驚くという記事。

「「前市長を愚弄した」 沖縄の南城市議会、翁長知事発言に抗議決議 2018年3月29日 08:05」
翁長雄志 古謝景春 南城市議会
http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/229729

>沖縄県南城市議会(大城悟議長)は26日の本会議で、翁長雄志知事の古謝景春前市長についての発言に対する抗議決議を賛成多数で可決した。
>知事は、古謝氏が出身の知念地区に重点的に予算配分したとの認識を示し、「四つの地域(旧町村)のうち一つに重きが置かれ、三つが予算を取れなかった」などと発言したとし、発言は「前市長や市民を愚弄(ぐろう)している」と抗議し、謝罪も求めた。
>決議では、翁長知事が3日、石垣市内での同市長選の応援演説の中で「『南城市の構図は石垣市と似ている。独断で物事を進めてきた南城市の前市長は、市民の理解を得ることができず、我々の陣営が65票差で勝利した。市民とともに歩むという姿勢がない政治や行政は必ず破綻する』と述べたとされている」と指摘。
>動画投稿サイト「ユーチューブ」でも発言を確認したとしている。
>その上で「知事の発言・認識は、極めて遺憾で看過できない」と批判し、前市長と市民への謝罪を要求している。

「ユーチューブ」でも発言を確認。
「ネットはデマばかり」、はい、論破。 


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コメント (2)

週刊文春「和田政宗 得意技は告げ口、弱い者イジメ」→ 和田議員「寝入りはしない」刑事告訴、民事訴訟へ

2018-03-29 17:28:29 | マスコミ批判
 
 
29Mar2018

週刊文春「和田政宗 得意技は告げ口、弱い者イジメ」→ 和田議員「寝入りはしない」刑事告訴、民事訴訟へ

週刊文春「和田政宗 得意技は告げ口、弱い者イジメ」→ 和田議員「寝入りはしない」刑事告訴、民事訴訟へ

▼和田政宗議員のツイート


週刊文春の記事。「和田政宗 得意技は告げ口、弱い者イジメ」とのタイトル、中刷りは、本文中でも根拠が示されず名誉棄損。刑事告訴と民事訴訟を行うべく準備に入った。文芸春秋社長、編集長、記事を書いた記者(実名公開予定)。週刊誌は売れれば訴訟で負けてもよいという姿勢だが泣き寝入りはしない

 

和田政宗 プロフィール


和田 政宗(わだ まさむね、1974年(昭和49年)10月14日 – )は、日本の政治家。自由民主党所属の参議院議員。元NHKアナウンサー、ジャーナリスト。
生年月日: 1974年10月14日 (42歳)
和田政宗 – Wikipedia

 
▼ネット上のコメント

・週刊誌の横暴には許されざるものを感じてます。

・和田さん!絶対訴訟してください!世論は人格攻撃してますが、自分達が全員で和田さんを守ります❗自分も東北なので和田さん支持です❗隣の県ですが微力ながら応援してます❗

・和田さん メディアの横暴を阻止するためにもぜひ頑張ってください。 国民が味方です!

・文春ですか?なんか妙な話ですね。週刊誌的にいうならばそんなに「おもしろいネタ」ではなさそうなのに。和田さんの存在がまずいんでしょうね。ほんとに周辺には十分お気をつけを。

・もう文春に正義はない。弱い者いじめは野党議員とマスゴミだ。和田さん頑張ってください。

・それだけ和田さんの存在が脅威なんでしょうね。頑張って下さい!応援してます!

・はじまりましたね。仰っていたとおりです。微力ながら、状況拡散で議院の応援したいと思います。大変でしょうが負けないでください、あわせてご家族、身近な方々の安全第一をお考えください

・文春はやり過ぎですね。最近は不快感の方がつよい

・一緒に

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琉球新報「文書改ざんは民主主義の否定、国民国家への背信だ!最終責任は安倍首相にある」

2018-03-29 12:05:04 | マスコミ批判
 
 
 
 
 

政治 沖縄関連ニュース

琉球新報「文書改ざんは民主主義の否定、国民国家への背信だ!最終責任は安倍首相にある」 ~ネットの反応「長妻、言われてるよ」「こいつら、沖縄県庁で文書改竄あっても安倍の責任って言うんだろなw」

投稿日:2018年3月29日

<社説>佐川氏証人喚問 幕引きは許されない

森友学園問題を巡る決裁文書改ざんで、証人喚問に臨んだ佐川宣寿前国税庁長官は、安倍晋三首相や官邸側からの改ざんの指示を否定した。
改ざんの経緯や動機、指示系統など核心部分は証言拒否を繰り返した。

疑惑は晴れるどころかさらに深まった。

議院証言法は刑事訴追の恐れがある場合、証言を拒否できる。
だが56回にわたって証言を拒否するのは異常だ。
佐川氏は「当時の担当局長として責任はひとえに私にあります」と頭を下げて謝罪した。それなら誠実に経緯を証言すべきだった。

証人喚問の限界を露呈した形だが、これで幕引きにするのは許されない。
決裁文書を改ざんし、国会に提出した行為は、民主主義を根底から否定する。国家、国民への背信である。

ロッキード事件やリクルート事件のように国会内に調査特別委員会を設置して真相を徹底究明するよう求める。

佐川氏は国有地売却の経緯について「首相、夫人の影響があったとは考えていない」と主張した。ではなぜ決裁文書から安倍昭恵首相夫人の名前を削除したのか。そう問われても証言を拒んだ。

佐川氏の主張は首相答弁と矛盾している。
安倍晋三首相は26日の参院予算委員会で、学園が建設を予定した小学校の名誉校長に昭恵氏が一時就任したことに関し「学園の信頼性を高める。
妻もそのように理解していた」と述べた。
昭恵氏が首相夫人の立場や影響力を意識して学園側に協力したことを認める内容だ。昭恵氏の証人喚問が必要だ。

続きます

https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-690838.html

続き

公文書の改ざんの事実について認めたが「(官邸から)指示も協議も相談もない」とし、「理財局で行った」と語った。
改ざん前の文書に記載されていた「本件の特殊性」は、官邸や政治家の関与の意味ではないと強調した。

ではなぜ改ざんしたのか。
佐川氏は文書改ざんの経緯に関する証言を全て避けた。
改ざんの経緯を明かさず、官邸の関与は明確に否定する。説明が不自然だ。

学園との交渉記録を破棄したとの昨年2月の国会答弁について「財務省の文書管理規則を理財局に確認した」と釈明した。
「破棄」と「確認」は全く違う。国会で虚偽答弁をしたことになる。

証人喚問について、石破茂自民党元幹事長が「誰が、なぜというのが一切分からなかった」と語るなど与党内からも疑問の声が上がっている。

しかし政府、与党は「国会での解明は終わった」(自民党幹部)として、森友問題の幕引きを図ろうとしている。
行政中枢が不正を犯しているというのに、国会は自浄作用が働かないのか。

安倍首相は「政府、国会それぞれの立場で全容を解明し、うみを出し切ることが重要だ」と述べたはずだ。
最終責任は首相にある。

おしまい

 
管理人
ネットの反応
名無し
長妻「ほんとそれ」

※参考記事

名無し
これを総理の責任にしてクビを取ったら今後時の総理はポンポン首が飛ぶな
名無し
それ。 基地外左翼の気に入らない総理の時、官庁に潜入している工作員に偽装の改竄書類を作らせれば自在に交代させられる事になる。
名無し
まじでテレビとマスゴミ全滅しねーかな
名無し
選挙で負けまくってる癖に
名無し
売国マスコミと日本政府の戦いだね
マスコミに下ったら日本は終わりだわwww
名無し
偽証にならないから「官邸の指示はない」とはっきり述べた
自分が関わった部分は捜査があるから言わなかった
これだけのこと
何も不自然じゃない
 
名無し
まだ言ってんのか馬鹿パヨク珍聞はw
安倍がやった証拠を出せよマスゴミ
名無し
長妻、言われてるよ
名無し
はっきり否定しても疑惑が深まった
曖昧でも疑惑が深まった
ようするにおまえらの「悪意」だけの話じゃねえかw
名無し
地方にも目を向けてみ?
公文書管理条例制定してる自治体がどれだけあるか知ってる?
根幹からとか言うけれど法整備が追いついてないのが現状じゃないの?
名無し
こいつら、沖縄県庁で文書改竄あっても安倍の責任って言うんだろなw
名無し
なぜ改竄が行われたのか?
「佐川の答弁に合わせるため」だろうがよw
なんでそれをなかったことにして、指示がなければやらない前提にしてんだよw
自分の願望に沿った結論を先に考えるから論理性皆無になるんだよw
名無し
佐川は信じるに値しないって
じゃあなんのための証人喚問なの?
 
 
 
 
 
 
コメント

〈秒速でわかる〉佐川証人喚問

2018-03-29 07:44:06 | マスコミ批判

  

 

2018.3.28 05:04更新

 

テレビコメンテーターの解説を聞くと、複雑に見える佐川証人喚問。

秒速で説明すすとこうだ。

文書書き換えに安倍首相側の指示はなかった。

②文書書き換えは、「財務省内部」の問題である。

【産経抄】

 佐藤栄作元首相は、「黙々栄作」の異名の通り、口が堅かった。新聞記者泣かせの夫に代わって話題を提供したのが、寛子夫人である。昭和44年秋の訪米の際、ミニスカート姿で旅立って大騒ぎになった。

 ▼「主人はこわいですよ…。私、ずいぶんなぐられました」。週刊誌の対談での発言が、外国のメディアに「ワイフ・ビーター事件」として取り上げられたこともある。

 ▼ただ夫人は、嘘をついたわけではない。「あれ以来、新聞に出る週刊誌の広告をみるたびに、きみがまた何かいうとりゃせんかとヒヤヒヤするよ」。元首相は皮肉を言うのが精いっぱいだった(『佐藤寛子泣いて笑って』佐藤早苗著)。

 ▼安倍晋三首相の昭恵夫人が、学校法人「森友学園」の小学校の名誉校長を一時務めていたことは事実である。もっとも、森友学園への国有地売却や財務省の文書改竄(かいざん)への関わりを示す証拠は今のところ見つかっていない。夫人の言葉とされるのも伝聞情報である。にもかかわらず、野党は問題の「キーマン」として、昭恵夫人の証人喚問を要求している。

 ▼「アッキー」と呼んでその奔放な言動をもてはやしてきた、一部メディアも同調する。昭恵夫人に答えられない質問を浴びせて、何が得られるというのだろう。昨日丸1日かけて行われた佐川宣寿前国税庁長官の証人喚問でも、何一つ新事実は出てこなかった。

 ▼26日に中国・北京入りしたのは、やはり北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長だった。中国が再び北朝鮮に影響力を持つようになれば、朝鮮半島情勢は新たな局面を迎える。トランプ米大統領が仕掛ける貿易戦争では、日本も標的の一つとなっていた。世界の情勢は激しく動いている。いつまで国会で茶番劇が続くのか

                                                    ☆

佐川氏証人喚問を終え、大山鳴動したがネズミの一匹もで出てこなかった。

野党、テレビコメンテーターは口を揃えて、「ますます疑惑が深まった」と言うが、彼らを納得させるには、嘘でもいいから「昭恵夫人からの指示があった」といわせたいのだろう。

テレビコメンテーターの解説では複雑そうに見える証人喚問を、産経抄が簡単に要約した。

秒速で分かる証人喚問である。

安倍晋三首相の昭恵夫人が、学校法人「森友学園」の小学校の名誉校長を一時務めていたことは事実である。

もっとも、森友学園への国有地売却や財務省の文書改竄(かいざん)への関わりを示す証拠は今のところ見つかっていない。

夫人の言葉とされるのも伝聞情報である

                 ☆

 

 

〈3分でわかる〉佐川宣寿氏の証人喚問が終わったので、気になるポイントをまとめました

3/27ハフィントンポスト


 学校法人「森友学園」との国有地取引をめぐる決裁文書改ざん問題で、3月27日に衆参両院の予算委員会で佐川宣寿・前国税庁長官(前理財局長)への証人喚問があった。
 以下、証人喚問のポイントを振り返る。

■疑問1:誰が、いつ、どのように改ざんした?⇒ 証言拒否
 参院では冒頭、金子原二郎委員長が「書き換えを知っていたか」「誰が、いつ、どのような動機で、誰に指示したのか」と改ざんの経緯を尋ねた。
 これに対し佐川氏は「告発を受けている身」「捜査を受けている身」として「刑事訴追を受ける恐れがある」として証言を拒否。この後も同様の理由で、証言を拒む場面が目立った。

■疑問2:政治家・官邸の関与はあったか? ⇒「ございません」
 自民党の丸川珠代参院議員から安倍首相、昭恵氏、麻生太郎財務相が文書の改ざんに対して関与していたか尋ねられると、佐川氏は「ございませんでした」と否定。
 佐川氏は改ざんについて「理財局の中だけでやった話」と発言。首相官邸や財務省の他の部署から指示はなかったと説明した。

■疑問3:国有地取引で安倍首相・昭恵氏の影響は?⇒ 「一切なかった」
 丸川氏は、森友学園との国有地取引に安倍首相や昭恵氏の影響についても質問。
 佐川氏は「当時は理財局にいなかった」とした上で「昨年の国会答弁を通じて、過去のものを見ている。その中では一切、総理や総理夫人の影響があったとは、私は全く考えていません」と明確に否定した。
 森友学園が開設を予定していた小学校の名誉校長に昭恵氏が就いていたことについても、佐川氏は「(2017年)2月の報道で知った」と証言。「貸し付け契約、売却契約に影響はございません」と述べた。
 希望の党・今井雅人衆院議員は「(安倍首相・昭恵氏の)影響すらなかったと、なぜ言い切れるのか。断言するのはおかしい」と追及したが、佐川氏は「契約は不動産鑑定を受けている」と説明。影響はなかったと繰り返し否定した。

■疑問4:決裁文書の「特例」とは?⇒ 土地の貸付契約の期間のこと
 改ざんされた決裁文書をめぐっては、改ざん前に「特殊性」「特例的」などの言葉が並んでおり、国有地取引の経緯を野党が疑問視していた。
 丸川氏は「『特例』とは官邸や昭恵夫人、政治家の関与のことでしょうか」と質問。
 これについて佐川氏は「そうではございません」と否定。国有地の貸付契約の期間に関する内容だと説明し、「本省で特例承認した。特例とはそういう意味」と述べた。

■疑問5:安倍首相「関与あれば議員やめる」の影響は?⇒ 「ございません」
 2017年2月、安倍首相が「(国有地売却に)私や妻が関与していたら、首相も国会議員もやめる」と国会で答弁したことについて、民進党の小川敏夫参院議員が「総理の答弁は、証人や財務省の答弁姿勢に影響はあったか」と質問した。
 佐川氏は「私も予算委員会で聞いていました。総理の答弁の前と後ろで、私自身が答弁を変えたという意識はございません」と、その影響を否定した。

■疑問6:書き換え前の文書を見たことがあるか?⇒ 証言拒否
 今回の証人喚問では、複数の野党議員が「書き換え前の文書を見たことがあるか」と尋ねる場面が目立った。
 佐川氏は「刑事訴追を受ける恐れがある」として証言を拒否した。

■疑問7:国会答弁の根拠は?⇒ 証言拒否
 共産党の小池晃参院議員は、2015年1月9日に財務局が森友学園を訪れたかどうかについて、改ざん前の決裁文書に訪問事実が書かれていたこと、佐川氏の国会答弁が矛盾すると指摘。「決裁文書と正反対のことを答えた」として、答弁の根拠を尋ねた。
 佐川氏は「補佐人に助言を求めます」と弁護士と相談し、「書き換えの経緯、時期に関わる話。お答えを差し控えさせていただきます」と証言を拒んだ。

■疑問8:安倍昭恵氏の名前を見て、どう思ったか?⇒ 証言拒否
 国有地取引をめぐり、安倍昭恵氏の関与を尋ねる場面もあった。
 小池氏は「(改ざん前の)決裁文書を見た時、安倍昭恵さんの名前が出てきて、どういう印象を持ったか」と質問。
 佐川氏は「見たのか、見ないのかというご質問。私自身が書き換えられた文書をいつ認識したのかという問題そのもの」として、証言を控えた。
 立憲民主党の逢坂誠二衆院議員も同様の質問をおこなったが、佐川氏は「見たか、見なかったも含めて、私の捜査の範囲に入っていると思う」と証言を拒否した。

■疑問9:証人喚問で真相は明らかになった?⇒ 「ご満足できていないだろうと...」
 4時間にわたる証人喚問の終盤、日本維新の会・丸山穂高衆院議員は「国民が知りたい真相を解明できたと思うか」と佐川氏に尋ねた。
 これに対して、佐川氏はこう語った。
 「さきほどから各委員にお叱りを受けております。実際にどういう経緯で、誰がやったのかについてはお答えできていないので、ご満足できていないだろうと...」
 「こうした事態になりまして、行政の信頼を揺るがすようなことになりまして、本当に国民の皆さんに申し訳ないと思っております。お詫び申し上げます」

■まとめ
 尋問は衆参合わせて、およそ4時間に及んだ。だが、真相解明には程遠い内容だった。
 今回の証人喚問では「誰が、いつ、どのように改ざんしたのか」「誰が改ざんを指示したのか」「佐川氏は改ざんを知っていたのか」など、改ざんの経緯をめぐる真相の解明が求められていた。
 しかし、改ざん文書に関わる質問を受けると、佐川氏は「刑事訴追をうける可能性がある」とし、一貫して証言を拒否した。
 一方、決裁文書の改ざんや国有地取引に安倍首相や妻の昭恵氏、首相官邸や政治家の関与について問われると、「一切なかった」「不当な働きかけはなかった」と明確に否定した。
 証人喚問は午後4時10分すぎに終了。佐川氏は深々と一礼し、衆院第一委員会室を去った。

                           ☆

>自民党の丸川珠代参院議員から安倍首相、昭恵氏、麻生太郎財務相が文書の改ざんに対して関与していたか尋ねられると、佐川氏は「ございませんでした」と否定。
 佐川氏は改ざんについて「理財局の中だけでやった話」と発言。首相官邸や財務省の他の部署から指示はなかったと説明した。


丸川珠代氏の尋問の際に、「総理、夫人、官邸、総理秘書官、財務大臣、財務大臣秘書官からの指示はなし」と証言した。

野党やマスコミが最もこだわっていた内容に関する回答が出た。

これで、「安倍疑惑」に関しては、一件落着のはず。 


安倍夫妻以外の官邸の誰かが指示していた可能性についても、佐川氏はきっぱり否定した

虚偽答弁をすれば偽証罪に問われる可能性がある国会証人喚問で、「官邸側の関与」を明確に否定したのだから、総理周辺の関与はないことは証明された。

野党の完敗だろうが、「疑惑は深まった」「国民が納得できる説明が得られなかった」などと、負け犬の遠吠えで難癖をつけ続けるだろう。

民進党の大塚代表などは「証言が信用できない」と主張していたが、ならば証人喚問など要求するな!(怒)

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コメント (4)

偉人になった前川喜平氏!沖タイ教育面で

2018-03-28 21:43:57 | マスコミ批判

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前川喜平氏が通った出会い系バー ?!
 
新宿 歌舞伎町 恋活BAR LOVE ON THE BEACH ラブオンザビーチ ~LOVE on the Beach~

AbemaTIMES

前川前事務次官が語る“出会い系バー通い”の真相、吉田豪氏「言い分は8割方正しいと思う」

 安倍総理の友人・加計孝太郎氏の獣医学部新設を巡る総理の関与疑惑。昨年、野党から連日激しい追求が続き、安倍総理はその弁明に追われた。きっかけは前文部科学省事務次官・前川喜平氏による「あったもの(文書)をなかったことにはできない。公正公平であるべき行政のあり方が歪められた」という発言だ。

 安倍政権を揺るがした発言だが、一方で自身の「出会い系バー通い」が新聞紙や週刊誌で報じられ賛否両論を巻き起こした前川氏。3日放送のAbemaTV『ニュースの渦中にいた人物たちが語る真実と本音』で、今まで数千人のインタビューを行った吉田豪氏を相手にその真相を語った。

 自身の性格を「かなりゆるい」と話す前川氏。「国会に参考人で行った時の姿しか知らない人は超真面目人間だと思っているかもしれないが、基本的にはゆるい。決まりを守らないといけないとあまり思っていない」と“赤信号を渡る”性格だという。

 前川氏は昨年5月25日、「出会い系バー通い」報道が出た後の会見で「ドキュメント番組で女性の貧困について扱った番組を見て、実際に話を聞いてみたいと思った。食事をして、小遣いをあげたりしていた。そこで出会った女性を通して、女性の貧困と子供の貧困が通じていることが分かった」と出会い系バーに行った事実を認めている。

 吉田氏は前川氏が通っていた出会い系バーに潜入取材したといい、「前川さんの言い分は8割方正しいと思う」と賛同。前川氏は「(記事は)出会い系バーが売買春の巣窟のような言い方をしていたが、そんなことはないと思う。そういう目的で来る男女もいると思うが、僕が会った子のほとんどは話をしてご飯をおごってもらったり、お小遣いをもらったりとそういう目的の子が多かった。女性の場合はタダで飲んだり食べたりできるから、一種の居住空間みたいになっている」と説明した。

 昨年5月に前川氏の出会い系バー通いについて報じた読売新聞はさらに6月3日付の朝刊で、「教育行政トップの人物が違法行為が疑われるような店に出入りすることは不適切であり、公共の関心事であり公益目的にかなう」と、この報道に意義があると主張した。

 前川氏は「読売新聞に報道が出たのが5月22日。その3日くらい前から読売新聞からアプローチがあったが、まさか書くまいと思っていた。そうしたら5月21日に官邸にいる総理補佐官の方から間接的に『会って話がしたい』という趣旨に受け取れるような打診があった。僕は『お前の嫌なことを書かれたくなかったらしゃべるな』あるいは『しゃべったことを取り消せ』という一種の取引かなと思っていた。そういうことがなければちょっと考えられない。元々私の個人的な行動だが、それをほじくってどうするのか」と異を唱えた。

 出会い系バーを訪れていたことは「個人的な関心・行動」と強調。「色々な境遇の女性と話をして、根無し草的にフラフラしている子もいるし、子供を抱えているという人もいたし、男で失敗を繰り返している人もいた。経済的に困っている人が多かったのは事実。家庭環境を聞いてみると両親が離婚しているという人が多かったという印象がある」と述べた。

 一方で、“貧困調査”に批判が多かったことについては「調査という言葉で『そんなことないだろ。調査報告書はどこにあるんだ』となるが、それは比喩で、私の記憶の中には話が残っている」と説明した。

 ある雑誌では出会い系バーの女性によるコメントが掲載されたが、内容は好意的なもの。前川氏は「あるメディアの人から、お店のマスターから『また来てください』と僕に伝言があった。落ち着いたら行ってもいいかなと思っている(笑)。あそこのマスターが作るロコモコは結構美味かった」とバー通い時の秘話も明かした。

 冒頭で自身の性格を「ゆるい」と表現した前川氏だが、それは周囲にも認識されているという。「文部科学省の中でも、私の性格を知っている人は『前川さんならやりかねない』と思っている。ちょっと突拍子もないこと、普通の役人だったらやらないようなことをすると知っている。2年前(2015年)の9月18日に安保法制が国会を通ろうという時には、夜中に国会の正門前に行ってSEALDsと一緒に『安保法制反対』とやった。これだって普通の役人だったらしないこと」。

 これらも個人の活動の範ちゅうであることを主張し、「一個人としてはやって構わないわけで。そういう意味では、出会い系バーに行くのと国会正門前でデモをやるのは同じこと。公務員は皆、自粛というか自主規制し過ぎている。自分に鎧というか衣というか、拘束服を着せている。心が自由でないと本当にいい仕事はできないと思う」と語った。

                                  ☆

 
 
どうやら沖縄タイムスは、出会い系バーの常連客、前川喜平氏を性人薫子、じゃなく聖人君子に仕立て上げる魂胆らしい。
 
昨日の沖タイ「教育面」に「偉人伝」と見まごう挿絵付きのコラムで、前川喜平氏少年時代の物語が掲載された。
 
その瞬間、筆者は沖タイが前川氏と抱きつき心中をすると判断した。
 
沖タイが「犯罪者を英雄に仕立て上げる捏造新聞」であることを考えれば、納得といえる。
 
同コラムは「学び解体新書」のシリーズ⑤として、次のタイトルで「教育面」に掲載されている。
 
不登校を見守った母 前川喜平
 
嫌だった水泳の時間
 
少年時代読んだ「野口英世伝」の少年時代の母親との交流を髣髴させる「偉人伝」である。
 
さらに、沖タイの阿部岳記者が、同紙コラム「大弦小弦」で前川氏の「面従腹背」のモットーを、次のように褒め称えているのには失笑を禁じ得ない。
 
≪▼前川氏は・・・、本紙取材に「面従腹背」という言葉を使い、職業的良心に基づいた行動だったと明かしている≫
 
前川喜平氏といえば、違法な天下り斡旋で解雇され、出会い系バーに通っていた人物。 そのいかがわしい男が教育講演をしたことで問題になった。
 
出会い系バーに通い詰めてた人間に子供相手の授業させるのは 問題アリと思うのが良識ある保護者の意見だ。

だが、阿部岳記者は「前川講演」を支持する立場。

誰も止めなかったのか。

良識ある教師は一人もいなかったのか。

                ☆

 【おまけ】
2018年03月25日 15時39分37秒

 

<前川喜平氏>

 

 文科省が、名古屋市教育委員会に前川喜平氏の講演内容の報告を求めた問題の波紋が広がっています。

 以下、産経ニュースから引用します。

 

文科省からの問い合わせに「驚いた」…前川前次官を授業に招いた中学校長が会見
http://www.sankei.com/west/amp/180316/wst1803160087-a.html


<記者会見する名古屋市立八王子中の上井靖校長(右)(3月16日)>


 文部科学省が、前川喜平(きへい)前事務次官による講演内容の報告を名古屋市教育委員会に求めた問題で、同氏を授業に招いた名古屋市立八王子中の上井靖(うわい・やすし)校長は16日記者会見し、保護者らから人選に否定的な指摘がない中で「文科省から問い合わせがあったことに少し驚いた」と話した。

--------

 

 そもそも問題の発端は、この上井校長にあります。

 なぜ、公立中学校で出会い系バー通いのロ○コン変○面従腹背野郎に授業をさせるのですか?

 この学校の親御さんがどう思うか、考えたことがあるのでしょうか?

 この問題を教育現場への介入だと騒いでいるマスゴミと野党ですが、「どういう授業を行ったかという問合せ」がなぜ介入にあたるのでしょうか?

 当事者である自民党赤池氏も、堂々とこれを否定しています。

 以下、毎日新聞から引用します。

 

前川氏授業
「圧力に当たらない」と赤池氏

https://mainichi.jp/articles/20180320/k00/00e/040/222000c#cxrecs_s

<自民党・赤池誠章参議院議員>


 自民党の赤池誠章文部科学部会長は、前川喜平前文部科学次官の授業内容を文科省に照会したことについて「法令違反をした人が教壇に立って良いのか事実確認した。文科省への圧力には当たらない」と説明した。(共同)

--------

 

 問題は、前川氏が法令に違反したことだけにあるのではありません。

 出会い系バー通いのロ○コン変○面従腹背野郎が、道徳教育を行う神聖な学校現場に立たせていいのかどうか?という問題です。

 この点について、フジテレビ上席解説委員の平井文夫氏が、facebookのホウドウキョクで解説してくれています。

 

 ホウドウキョク

https://www.facebook.com/houdoukyoku/videos/613632578983972/

 

<フジテレビ上席解説委員・平井文夫氏>

 

文部科学次官の前川喜平氏が

名古屋の公立中学校で授業を行い

文科省が教育委員会に問い合わせを行ったことについて

教育の中立を侵すものだという批判が出ている

前川さんはしてはいけない天下りをやらせ

文科省を辞めさせられた人

こんな人が果たして公立の中学校で

授業をする人にふさわしい人なのか

自分の子供に

こんな人の授業を受けさせたくない

籠家さんの幼稚園にはビックリしましたが

私立なので自分の子供を入れなければいいだけのこと

間違った教育をしていないか

国民は監視する義務と権利がある

--------

 まさに正論です。

 一方よるバズでは、前川喜平を擁護するゆとり教育の生みの親・寺脇研の姿が必死で笑えます。

 

https://twitter.com/blue_kbx/status/977534883814764544
ブルー@blue_kbx
友利新
母親として違法な天下りをし、出会いバーに貧困調査と称して通ってた人に自分の子供に会わせたくない。公立学校の場合チェックして貰わないと安心して子供を預けられない
(前川の親友)寺脇研
片方は法律違反だがもう片方は法律違反じゃないよね?前川だけ調査するのはおかしい」#よるバズ

 

<友利さんの意見を聞く寺脇研>

 

<前川喜平を必死で擁護する寺脇研>

--------

 

 はぁ?

 見苦しいので、これ以上の言い訳は聞きたくありません。

 違法な天下りをした別の人物は文科省から問合せを受けていないから、前川喜平だけが問合せを受けたことは不当だとでも言いたいのでしょうか?

 寺脇研は、出会い系バー通いのロ○コン変○面従腹背野郎を、教育現場に呼ばせたくない母親の気持ちをまったく理解できていません!

 

 その二日後に行った前川喜平と寺脇研の講演を聞いた高校生の反応がこちら・・・。

 

参加高校生が激白

前川氏講演「時間の無駄だった」

 

(中略)
その2日後に前川氏が同市内の私立高校で行った講演について参加した高校生から不満の声があがっている。
講演時間の半分以上が「安倍政権批判」に終始していたというのだ。
(中略)
高校生のための講演だったはずが、
「出席した多くは教職員や一般人だった」という。
高校生は「正直、時間の無駄だった」と感想を述べた。
(以下略)
--------

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コメント (3)

【森友の真相】八代英輝「佐川氏は『この物件は財務省としても早く処分したい物件だった』と発言した」 

2018-03-28 13:53:25 | 未分類

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【森友の真相】八代英輝「佐川氏は『この物件は財務省としても早く処分したい物件だった』と発言した」 →野党、マスゴミはなぜかこの発言を完全スルーwwwwwwwwwwwwwwww

           

 
         

1(^ェ^) ★2018/03/28(水) 07:10:49.26ID:CAP_USER9

 

https://snjpn.net/archives/46612

森友と野田が格安値引きされた背景を追及しない理由とは

八代英輝
「佐川氏は『この物件は財務省としても早く処分したい物件だった』と発言した。なぜ早く処分したい土地だったのでしょうか?これは思わず言ったと思う」

田崎史郎
「これが今回の本質」

(略)

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引用元http://fate.5ch.net/test/read.cgi/seijinewsplus/1522188649/

 

4あなたの1票は無駄になりました2018/03/28(水) 07:12:25.45ID:FDZmkk7T0
物納とかされた土地も早く処分したがるよね

 

 

8あなたの1票は無駄になりました2018/03/28(水) 07:15:11.02ID:oXPTntJ60
きのうまでのガラクタを処分処分

 

 

9あなたの1票は無駄になりました2018/03/28(水) 07:15:23.02ID:pEw9k0OK0
野党がまだしつこく聞いてくるなら
土地の特殊性をばらせばいい

 

 

13あなたの1票は無駄になりました2018/03/28(水) 07:15:57.24ID:+NYGWiIg0
ブレぬ官僚 アホな狂惨

 

 

14あなたの1票は無駄になりました2018/03/28(水) 07:16:28.85ID:d9qDHAS00
物件だと何故報道しないの

 

 

28あなたの1票は無駄になりました2018/03/28(水) 07:34:55.44ID:cMwyIXSb0
>>14
と在日に関しては放送メディアは
タブーです。絶対にあからさまには言いません。
2名が不審死したようにヤクザや北朝鮮に直結するからです。
あと嫌がらせや差別だと命まで脅迫されるから
やりたがらないのです。
下手したら自殺にみせかけて殺されるからです。

 

 

37あなたの1票は無駄になりました2018/03/28(水) 07:46:33.87ID:z+xR90EW0
>>28
国土地理院のHPであの場所の昔の空撮見れば
丸わかりなのにな。湿地にバラック立ち並んでるわ
ゴミどころかもっとヤバいものまで埋まってるだろ

 

 

18あなたの1票は無駄になりました2018/03/28(水) 07:21:55.77ID:L2NLDxVi0
はっきり言ってやりゃあいいのに

 

 

24あなたの1票は無駄になりました2018/03/28(水) 07:30:15.22ID:tia1vaoX0
そら掘り起こすと人骨でてきちゃうし

 

 

59あなたの1票は無駄になりました2018/03/28(水) 08:13:13.86ID:gMWVUZe+0
なぜ早く処分したいのか野党が質問しないのは
本音が真相解明ではないからだろうな。

 

 

55あなたの1票は無駄になりました2018/03/28(水) 08:08:27.23ID:3nIn6lgD0
情弱は
いかに左新聞・左TVが世論をコントロールするかが
これで証明された

95あなたの1票は無駄になりました2018/03/28(水) 08:51:40.46ID:ld576nMW0
だって詐欺師籠池と野盗連中、一部マスコミのでっちあげやろ?

 

 

119あなたの1票は無駄になりました2018/03/28(水) 09:07:18.26ID:cNv5OszL0
改竄はと野党とマスコミに対する忖度でした
これを議題から外してる限り延々核心の外をぐるぐる回り続けます

 

 

150あなたの1票は無駄になりました2018/03/28(水) 09:20:30.67ID:fx+k3/Ga0
今日もメディアは疑惑が深まっただとさ

 

 

192あなたの1票は無駄になりました2018/03/28(水) 09:38:38.46ID:Kr1P+E320
となりの野田公園と比較したら良いじゃないのか

 

 

194あなたの1票は無駄になりました2018/03/28(水) 09:41:13.31ID:Diu2/y5N0
サヨは野田公園をまず説明しろ。元は森友と一筆の土地だ。

 

 

195あなたの1票は無駄になりました2018/03/28(水) 09:41:29.70ID:Htq41dpy0
関西生コンのしのぎが確実に減る
生コン激おこやろ(笑)
野党どうするかね?

 

 

255あなたの1票は無駄になりました2018/03/28(水) 10:12:48.69ID:tNDLlxdG0
だーかーらー、こんな話は大阪でやれっての
まず大阪で百条やれよ
なんでやらないんだ?

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