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今朝の沖縄タイムス一面の見出し。
「集団自決」訴訟 きょう控訴審判決
内容は、昨日の記事で書きつくしたのか、控訴審判決の告知のみ。
社会面で「山口剛史・琉大准教授に聞く」というタイトルで、本人の顔写真入の囲み記事を掲載している。
通常はこの手の記事は、
「識者に聞く」といった構成なのだが、琉球大学准教授が「識者」に相応しくないのではなく、
同氏は「沖縄戦の歴史歪曲を許さず、沖縄戦から平和教育を進める会」(フー!なんと長い名前だ)の事務局長をしている「集団自決訴訟」の応援団長ともいえるお方。
さすがの沖縄タイムスも、このような方に「識者に聞く」とは書けなかったのだろう。
昨日のエントリーで、沖縄タイムス記事の、
【「集団自決」訴訟 控訴審の主な争点】を省略したが、
今日の控訴審判決の参考のため、
タイムス記事より、以下に項目だけを抜粋し列挙する。
◆「集団自決」訴訟 控訴審の主な争点
①控訴審判決
②座間味隊長の「新証言」
③垣花武一証言
④「集団自決」と日本軍
⑤2006年度教科書検定
②~⑤は新たに控訴審で争点になった部分なので、タイムス記事の「最終陳述要旨」(後半で引用)の解説に任せるが、
①は3月28日の地裁判決そのものが争点になっているので、記事内容を引用する。
一審判決
◆原告(元隊長側)
隊長命令があったという「真実性」の証明がなければ、各書籍は名誉毀損を免れない。 一審判決は「真実性」を認めず、書籍の頒布は違法と認定している。 「沖縄ノート」一審判決後も増刷・販売を続けており、到底許されない。 一審の「真実相当性」の解釈も誤っている。
◆被告(大江・岩波側)
一審判決は、隊長命令があったと断定できないが、隊長命令があったことに対する合理的な資料や根拠があるとして、真実と信じる相当の理由があったという「真実相当性」を認めて不法行為責任を否定している。 出版の適法性を認めたもので、原告の主張は失当。
「真実相当性」とは、被告側が書籍を出版した当時の資料で、「真実」と判断したのは許容されるとして、
「真実相当性」という概念を認めたが、
一審判決で裁判長が「隊長命令があったと断定できない」と判決を下した瞬間、
それ以降、被告側が「真実相当」と考えることは根拠を失う。
つまり、被告側が、真実と考える「真実相当性」が違法とされないのは、書籍の発刊から判決までの期間であり、
判決以降は「真実相当性」の適法性は否定される。
地裁判決によれば、大江健三郎と岩波書店は書籍の出版当時は、「隊長命令説を信じるに足る相当の理由」を持っていた。
だが、大阪地裁判決では「隊長命令説は断定できない」としたのである。
従って判決日(3月28日)以降の被告側の出版物は違法である。
この「真実相当性」は、実は、この裁判の一番重要な争点だと筆者は考える。
この裁判では、「集団自決に関する隊長命令や強制のの有無」
が大きく取り扱われており、筆者も日本の現代史の記述に関わる重大な争点だと思うのだが、
裁判所の土俵の上の勝負は、「名誉毀損の有無」である。
法律的にいえば、原告側は名誉毀損を回復するため、
「『沖縄ノート』などの出版差し止めと謝罪広告」を求めているのだ。
その過程で「軍命の有無」が争点になっていると言うのが裁判所のこの訴訟に対する基本姿勢であるはずだ。
つまり、表面上は歴史裁判に見えても、「表現の自由」を争う裁判でもある。
事実、被告側は控訴審の陳述でも、この点に重点をスライドさせて、
「(出版差し止めは)公共の利害に関わる言論を萎縮させる」とか「民主主義国家において、このような高度な公共事項に属する言論が制約されてはならない」とか、
「表現の自由」に力点を置いている。
以前にも書いたが、梅澤、赤松の両元隊長が集団自決命令をくだしていなかったとしても、原告敗訴はあり得ることである。
つまり裁判所の「真実相当性」の判断いかんにより、名誉毀損が退けられることがあるのだ。
「命令説を信じるに足る相当の理由」で出版したのであれば、
判決の時点で、著者や出版社が違法性を問われることはない。(名誉毀損は成立しない)
つまり原告、被告が最大の問題にしている「軍命令」がなかったとしても、原告敗訴はありうるのだ。
そもそも「真実相当性」という概念は、表現の自由を尊重するための制度であり、
仮に「真実と信じるに足る相当の理由」で出版したも関わらず、後に「異なる事実」が判明し、違法性を問われる可能性が残るとなると、
著者、出版社などの法的立場が不安定になり、表現の自由が損なわれることになる。
従って、事実誤認に基づく出版・表現によって損害を発生させたとしても法的責任は追及されないというのが「真実相当性」の主旨である。
今回のケースでは、大阪地裁の判決で「(命令説は)真実とは断定できない」という「(出版時とは)異なる」事実が判明したわけだが、判決日までに限って法的責任は追及されない。
しかしながら、一審判決以来7ヶ月に渡って、判決日以前と同じ記述の書籍を出版・販売を継続中であるから、
判決日以降の被告(大江・岩波)には名誉毀損が成立する・・・・
高裁判事がまともなら、このように判断するはずだが、さて。
以下引用は昨日(10月30日)の沖縄タイムス記事。
最終陳述要旨
[原告] 原因は米軍恐怖・家族愛
座間味島民の(戦隊長命令を否定する)新たな証言は、藤岡信勝・拓殖大学教授(新しい教科書を作る会)の意見書で、信用性と証拠価値は揺るぎない。
「万一の場合、日本人女性として立派な死に方をしなさい」と言われ、軍曹から手榴弾を受け取っていた宮城初枝は、梅澤隊長と再会した際、梅澤隊長らが「(初枝の)無事を喜んだ」と証言している。 住民の安否を心配してしてのことであり、自決命令とは矛盾する。 梅澤隊長が住民に自決を命じていないことは明らか。
手榴弾を受け取っていた宮里育江の証言にも、梅澤隊長から伝令を通じて女性軍属5人に、「住民が避難している裏山に食料を持てるだけ持って移るように命令があった」とある。 避難住民と生き延びることを求めた梅澤隊長の意思が明確に読み取れる。
「万一のため」の手榴弾交付は、非情な自決命令ではなく、住民の安心と尊厳を守るためになされた兵士たちの人間的な行動で、自決命令の証拠と言うのは論理のすり替えでしかない。
(被告側から)新たな証拠提出された垣花武一氏の証言は、日本軍が座間味の村の幹部に集団自決を指示していたという話を、座間味村の郵便局長から聞いたとしているが、話しは伝聞に過ぎない。 語る機会はいくらでもあったのに、これまでの証言では一切、触れられていない。
そもそも、(日本軍が村幹部に集団自決を指示していたという)昭和20(1945)年2月ごろ、島に米軍が上陸することは日本軍も想定していなかった。郵便局長の話に信用性はない。
被告側は、この裁判が原告らの意思によるものではなく、特定の歴史観に基づいて歴史教科書を書き変えようとする政治運動の一環で行われていると非難するが、原告らが自分の意思で訴訟を提起し、出版の差し止めを求めていることは明らか。
被告側は、原告らが「沖縄ノート」を通読していなかったことや、飛ばし読みしていたことを取り上げて避難するが、名誉毀損訴訟では、名誉毀損の記述があると認識があれば十分。事前の通読が必要とする被告側の主張は理解しがたい。
原告らが提訴した動機は、原告ら個人の名誉毀損の主張にとどまらず、集団自決が隊長の命令によって強制されたと言う虚偽の記載が公の書物に記載されていることへの義憤で、このまま放置できないと使命感だった。 教科書検定で、教科書から命令や強制が完全に削除されたことは、訴訟の目的を達したと評価できる。
集団自決の原因は、島に対する無差別爆撃を実行した米軍に対する恐怖や、鬼畜米英の思想、皇民化教育や戦陣訓、死ぬときは一緒にとの家族愛。「いざという時」のために渡された手榴弾など、さまざまな要因が絡んでいる。
軍命令という過度の単純化、図式化は、かえって歴史の実相から目をそらせるもので、集団自決を経験した沖縄県民の尊厳をおとしめるものにほかならない。
[被告] 軍管理の手榴弾を交付
座間味住民の「新証言」、1992年に制作された本人のビデオ証言や、母親ら他の体験者の証言者の証言、梅澤氏の陳述書などと重要な部分での相違がある。 藤岡意見書は、憶測でのつじつま合わせをしているにすぎず、証言は破綻している。
「沖縄ノート」に、座間味島や渡嘉敷島の隊長によって自決命令が出されたという記載はなく、隊長個人を特定する記載もない。隊長命令の記載だと決め付け、その真実性に証明責任を課すのは、日本軍の指示・命令で、多数の住民が「集団自決」に追い込まれたという重大な公共の利害に関わる言論を萎縮させる。
「太平洋戦争」は歴史的研究書で、「沖縄ノート」ハ歴史的事実に関する出来事への評論である。 記載されている事実の真実性・真実相当性については、過去の歴史的事実の確認の困難さを考慮し、歴史的探求の自由や歴史的事実に関する表現の自由に十分配慮した判断がなされるべきである。
沖縄戦の日本軍は「軍官民共生共死の一体化」のもと、秘密保持のため、住民には米軍の捕虜になることなく、いざというときは玉砕(自決)させる方針だった。米軍の捕虜となった住民を殺害し、住民にスパイの疑いかけて殺害した。 また戒厳令下の「合囲地境」と同様、県や市町村の行政を軍の統制下に置いた。
座間味村や渡嘉敷島の日本軍は、島が海上挺進戦隊の秘密基地だったため、防諜(ぼうちょう)のため、住民に島外へ行くことを禁じた。 米軍の捕虜になった時は「女は強姦され、男は八つ裂きにして殺される」などと米軍にたいする恐怖心をあおり立て、米軍上陸の際になることなく自決するように指示し、自決用の手榴弾を交付するなどした。 これらの支持は、毎月8日の大詔奉戴日に日本軍の将校が参加した儀式において伝えられた、あるいは日本軍の隊長が自ら訓示して行われた。
手榴弾は日本軍の重要な武器で、部隊が厳重に管理していた。 隊長の了解なく住民に交付することなどあり得ない。戦隊長は、住民を捕虜にされ、群の秘密が漏れるのを防止するため、住民を自決させることにしていたからこそ、住民への手榴弾の交付を認めた。
座間味島の梅澤隊長も渡嘉敷島の赤松隊長も、住民たちが軍の指示、命令に従って自決を決行しようとするのを知りながら、これを止めなかった。 自決命令は、最高指揮官である隊長の命令によるものというべきである。
この裁判は、慶良間諸島の「集団自決」は日本軍の指示・命令によるものではなく、住民は国に殉じるために美しく死んだのだと歴史観を塗り換えさせようとする目的で提起された。 国家権力を体現する軍隊の公権力の行使にかかる事実の誇示や、これに対する批判という極めて高度な公共的事項に属する表現行為を、軍隊の隊長だったものが封じこめようとしている。 民主主義国家において、このような高度な公共事項に属する言論が制約されてはならない。(沖縄タイムス記事)
◇
引用のタイムス記事(青文字)は、公平を装ってはいるが、あくまでもタイム記事。
控訴審で登場した二人の「新証言者」も、
原告側証人は名前が公表されている(宮平秀幸)にもかかわらず、座間味住民と、匿名にして「新証言」とカッコを付けた表現にして、いかにも怪しげな証言であるように印象操作している。
その一方、被告側証人は、「垣花武一」と記名し、証言とカッコ無いしで、いかにも信憑性があるかのように記載している。
引用の被告の「最終側陳述要旨」は突っ込みどころ満載だが、とにかく午後の高裁判決を聞いてから、ゆっくり論考してみたい。
高裁判決は、原告勝訴だと思う方、
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