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狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

中国で大規模暴動

2008-06-30 07:54:59 | 県知事選

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6月30日 4時32分

中国内陸部の貴州省で、女子中学生の死亡をめぐる警察の対応に不満を持った住民たちが暴動を起こし、警察や地元政府の建物を壊したり、車両に火を付けたりしたと国営の新華社通信が伝えました。

暴動が起きたのは内陸部の貴州省で、新華社通信は「死亡した女子中学生の検視の結果に不満を持った住民たちが28日に群集を扇動して暴動を起こし、このうち一部が警察や地元政府の建物を壊したり車両に火を付けたりした」と伝えました。一方、これについて香港の新聞「明報」は29日、「女子中学生は6月下旬、男2人に乱暴されて殺害され、警察は容疑者を拘束したが翌日釈放した。詳しい死因について警察に説明を求めたが、逆に暴行された」とする女子中学生の親類の話を報じました。「明報」はさらに、暴動は1万人を超える規模で、女子中学生を殺害した容疑者の1人は警察の幹部の息子の可能性があると報じています。暴動が起きた貴州省は内陸部にあって比較的発展が遅れた地域が多く、少数民族も多く暮らしています。中国では、今回の暴動について、新華社通信以外の記事や情報はインターネットのサイトから削除されており、中国当局が暴動の影響が広がるのを抑える狙いもあるとみられます。

                                          ◇

サー、大変なことになってきたようだ。

北京オリンピックを目前に、毒ギョーザ事件が解決しないままに、3月にはチベット自治区などで暴動が起き、中国の人権無視の姿勢が世界の目に晒された。

そして、四川省大地震は天災だとしても、「手抜き工事」などによる役人の腐敗も指摘された。

そして今度の暴動だが、きっかけは強姦事件で、それに絡む役人の腐敗のようだが、役人の腐敗は中国の伝統であり、何もことさら大騒ぎするような問題ではない。

問題は、暴動の起きた甕安県は人口約44万人で、ミャオ族などが比較的多い少数民族の自治州内にあるということだ。

暴動の直接の原因は女学生の強姦事件だが、チベット自治区と同じく、少数民族への弾圧が鬱積し、それが不満となって爆発したと想像される。

「暴動は一万を超える規模」というが、他の報道では「数万人」と言われ、まさか「11万人」とは言わないまでも、今年中国で起きた暴動の中では最大規模だと言われている。

新華社通信以外の記事や情報はインターネットのサイトから削除されており、中国当局が暴動の影響が広がるのを抑える狙いもあるとみられます。

ネットを放置すると、全国に暴動の連鎖が起きるのを恐れての措置だろうが、チベット自治区に続き大規模な混乱が連鎖すると、

北京五輪開幕を8月8日に控えた中国社会の不安定ぶりが露呈され、

五輪開催さえ窮地に陥ることになる。

胡錦濤としては、暴動の連鎖を、恥じも外聞もかなぐりり捨てて、実力で抑え込む構えとみられるが、

すると、今度は人権弾圧で世界の指弾を受けることになる。

⇒暴動連鎖に勢いがつく⇒再弾圧⇒全国規模の暴動⇒北京五輪中止!!

今北京五輪へ、マイナスの連鎖が起きつつある。

                       ◆

 

沖縄タイムス 2008年6月29日(日) 朝刊 2面  
 
「集団自決」継承に危機感/東京でシンポ
 【東京】沖縄戦の「集団自決(強制集団死)」訴訟やNHK番組改変訴訟を通し、メディアと権力の問題点を考えるシンポジウム(主催・日本ペンクラブ女性作家委員会など)が28日、都内であった。女性史家の宮城晴美さんや関東学院大の林博史教授(現代史)らが表現の在り方などについて意見交換した。
 宮城さんは「『集団自決』や慰安婦の問題も、私たちが映像や活字できちんと伝えていかないと十年後はどうなるのか」と危機感を訴え、若い世代への継承の重要性を指摘した。

 研究分野の現状について林教授は「問題意識を持って膨大な資料を調べる人がいない。学会でも取り上げられず、専任教員のポストもない。後継者が育っていない」とし、教育現場でも将来的な不安があるとの認識を示した。

 宮城さんは「『集団自決』に大きな影響を与えたと思う家父長制度の論理は、皇民化教育の中で育ったのか」と林教授に質問。林教授は「中等教育を受けた十代の女性層の意識は皇民化教育と言っていい。しかし『集団自決』を受け入れる心情は階層、年代、教育歴などによって異なり、丁寧に検証すべきだ」とした。

 「戦争と女性への暴力」日本ネットワークの西野瑠美子共同代表も、権力の圧力と自己規制について意見を述べ、放送現場の「表現の自由」と「市民の知る権利」が侵害されたと訴えた。

                     ◇


  >宮城さんは「『集団自決』に大きな影響を与えたと思う家父長制度の論理は、皇民化教育の中で育ったのか」と林教授に質問。

このお方歴史の専門家を目指すのかとおもったら、発言がくるくる変わるので目指す方向も変更したようだ。

ジェンダー教にでも改宗する「おつもりなのだろうか。

>「戦争と女性への暴力」日本ネットワークの西野瑠美子共同代表も、権力の圧力と自己規制について意見を述べ、放送現場の「表現の自由」と「市民の知る権利」が侵害されたと訴えた。

それともこの方が目標なのだろうか。

 

西野 瑠美子(ニシノ ルミコ)
ルポライター、「戦争と女性への暴力」日本ネットワーク(VAWW‐NETジャパン)共同代表、「女たちの戦争と平和人権基金」理事、「子どもと教科書全国ネット21」代表委員<br>[主な編著書]<br>『従軍慰安婦と十五年戦争』、『従軍慰安婦のはなし』、『なぜ、従軍慰安婦を記憶にきざむのか』(以上明石書店)、『慰安婦・戦時性暴力の実態2』(緑風出版)、『裁かれた戦時性暴力』(白澤社)、『日本軍慰安婦を追って』(マスコミ情報センター)他多数

                      ◆

 

沖教組、志真志小平和劇を評価 「命の尊さ考える契機に」(2008.6.28)

沖教組元幹部の左翼教師の「平和劇」を沖教組が褒めておれば世話は無いわ。 父兄はこの事実どこまで知っているのだろうね。

 

                     ◆

 

コンビニ深夜営業自粛で論争(産経新聞)

バカ言っちゃいけないよ!

「健康のためには命もいらない」といい年こいて走り続けているおバカな友人を思い出した。

そのうち、「息を吐くな」という条例でも出来るんじゃないの。

二酸化炭素削減のために「呼吸禁止令」とか。

 

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コメント (3)

軍人より軍人らしい民間人 「無理心中」の原因

2008-06-29 08:02:23 | ★集団自決

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「集団自決」が起きた時期は戦時中のこと。

正式な軍命が民間に対して可能かどうかはさて置き、軍が住民に対して、あらゆる面で指導的立場にあったことは想像できる。

だが、彼らより住民に対して、はるかに大きな影響力を与えた民間人たちがいたことは事実だ。

いろんな証言の中から「軍人よりも軍人らしい民間人」が多くいたことが明らかになっている。

彼らは、例えば「翼賛壮年団」に代表されるように、血気盛んな民間人が徒党を組んで、県内各地で戦意高揚の集会を開催し、県民を扇動していた。

当時の新聞報道等を見ると、「集団自決」の数ヶ月前に那覇の県庁他で挙行された「大詔奉載日式典」で、県民を相手に気勢を上げていたのは、これら民間人だったことがわかる。

これらの式典には座間味島の梅沢隊長等島の軍人は参加しておらず、参加した村の三役から式典の様子を聞き及んだという。

大詔奉載日とは開戦記念日のことをいう。

琉球新報 金口木舌 2008年6月23日
 
 座間味島に住む宮平春子さんは、63年前の沖縄戦で「強制集団...」を免れた。村助役と兵事主任を兼ねる兄は、父親に「軍からの命令で玉砕しなさいと言われている」と告げた後、妻子と共に命を絶った
▼兄夫妻とは別行動を取った春子さんは、父親を含む残された家族と逃げた。しばらくして、村の有力者に父が詰問された。「お前は村の親分なのに何でここまで生きてきたのか。恥を知れ。いつまでも生きていないで、死ね」
父は元村長で、当時産業組合長だった。詰め寄る村の有力者に対し、こう言った。「自分は子や孫もたくさんいて、どうしても子どもや孫たちには手を掛けきれないから、恥を捨ててここまで逃げてきた
」(略)

                      ◇

新聞に数多く掲載される「証言」を丹念に検証していくと、座間味島にも「軍人より軍人らしい民間人」の影が浮かび上がってくる。

過去のエントリーでも書いたが「参謀長と呼ばれた教頭先生」が、若い日本兵を顎で指揮している様子が証言録に記載されている。

当時の島では、ある意味では、軍人より怖い学校の先生や村の役人がいたことも事実のようである。

「集団自決」のキーパーソンともいえる宮里盛秀氏とその父の盛永氏にもその面影が伺える。↓

沖縄タイムス (8月25日)

 連載「命語い」(42)  
 
産業組合の壕 -1- (8月25日朝刊総合3面)
体制支えた兵事係も死へ
(42)亡き父思い 心の真実追う娘

 戦後、座間味村長を務めた宮里正太郎(86)は、戦前の座間味役場のことを知る唯一の人物だ。入庁は一九四一年六月、十九歳の時、行政書記として採用された。役場への就職を勧めたのは、当時二十九歳だった役場職員、宮里盛秀だった。
 正太郎は学費を稼ぐため屋嘉比島の鉱山で働いたが体を壊した。重労働ができない正太郎のことを盛秀は心配していた。「体が大きく、厳格だけど優しい人。そんな印象だった」と正太郎は振り返る。

 役場には村長、助役、収入役の三役の下に、兵事、勧業、税務、衛生、受付の各係が一人ずつ。盛秀は兵事係として徴兵事務や在郷軍人会関係の担当をした。「重要な仕事だけに盛秀さんは、ずっと兵事係の担当だった。村民の兵籍など熟知していた」 正太郎の入庁が決まった時、親せきが羽織袴を仕立てようと喜んだ。それほど役場職員の地位は高かった。「ジッチュウトゥヤー(月給取り)」。村民は役場職員と教師を陰で呼んでうらやんだ。「役場職員には、簡単に話し掛けることもできない。尊敬もされ、恐れられてもいた」 新米職員の正太郎にとって役場の上下関係は厳しかった。「十代の職員は私ともう一人。仕事は大先輩の盛秀さんたちの指図通りに働いた」 正太郎は、四一年徴兵検査を受け満州の部隊に現地入営するため、役場を辞した。

 そのころから徴兵のため島から次々と男子青年の姿が消えた。「男子は役場に採用してもすぐ徴兵された。結果的に職員は、ほとんどが女子になった」。軍国主義体制を地域で支えた兵事係。「兵事係の職務を熟知していた盛秀さんは助役に就任しても、引き継がず兼務していた」 亡父・盛秀の写真を二女の山城美枝子(66)が友人に見せたことがあった。友人は「集団自決」のことは知らない。「怖い表情だね」。何げない一言が胸に刺さった。

 ある日、座間味島に渡る船中で年老いた女性が話し掛けた。「夫の出征後、盛秀さんが暮らしぶりはどうですか、とわざわざ訪ねて来た。優しい人だった」 軍国主義体制を村で支えた父。「威厳を保つ表情の下で、心中何を思っていたのか」 盛秀ら村三役役場職員ら十五家族六十七人が、産業組合の壕で「集団自決(強制集団死)」で亡くなった。戦後、一人残った美枝子が泣かない日はなかった。父の心の真実を求め続けた。=敬称略(編集委員・謝花直美)

                     ◇                                     

宮平春子氏の「軍命証言」とは、去年の夏、『母の遺したもの』の著者宮城晴美氏が証言台に立つ一ヶ月ほど前に、突然出てきたもの。

この証言のため晴美氏が従来の考え方を変えたといういわくつきの証言である。

そもそも、宮平春子氏は住民を死に追いやったとされる村の助役・宮里盛秀氏、そして戦後「援護法」の拡大適用のため奔走をしたといわれる宮村幸延(宮里より改姓)氏の実の妹である。

これだけ見ても宮平春子氏が兄たちに不利な証言をする可能性は薄い。

おまけに本人が直接聞いた「軍命」ではなく、死んだ兄の盛秀氏が話すのを聞いたという伝聞証言。

座間味島の梅沢戦隊長が集団自決に関して、軍命令あるいは強制を行ったという客観的証言・証拠が皆無の被告側にとって、

この「宮平春子証言」は重要証言として沖縄二紙は当時大々的にこれを報じた。↓

元助役の妹が軍命証言 座間味「集団自決」  (7/7 9:47)

「集団自決」について証言を聞く、県議会文教厚生委員会の委員ら=6日、座間味コミュニティーセンター

 文部科学省の教科書検定で沖縄戦の「集団自決」への日本軍の強制などの記述が削除・修正された問題で、県議会文教厚生委員会(前島明男委員長)は6日午後、座間味島を訪れた。「集団自決」の生存者や遺族らの聞き取りでは、当時助役だった兄の宮里盛秀さんを「集団自決」で失った宮平春子さん(80)が、兄の言葉として「集団自決」をするよう軍命があったことを証言した。(略)
 

                     ◇

「当時助役だった兄の宮里盛秀さん」は、防衛隊長も兼ね、本人が自決命令を出したとされている

同じ記事を沖縄タイムスで見ると証言者として、自決命令を出したとされる宮里盛秀さんのもう一人の妹宮村トキさんも証言している。

 証言したのは「集団自決」で亡くなった当時の座間味村助役の宮里盛秀さんの妹・宮平春子さん(80)=座間味村=と宮村トキ子さん(75)=沖縄市。

 座間味島への米軍上陸が目前となった一九四五年三月二十五日夜。春子さんら家族と親族計三十人が避難する座間味集落内の家族壕に、盛秀さんが来た。父・盛永さんに対し「軍からの命令で、敵が上陸してきたら玉砕するよう言われている。間違いなく上陸になる。国の命令だから、潔く一緒に自決しましょう」というのを春子さんが聞いた。午後十一時半に忠魂碑前に集合することになったことも伝えた。

 集合時間が近づき、壕から出る際、トキ子さんの目前で、盛永さんは盛秀さんを引き留めようとした。盛秀さんは「お父さん、軍から命令が来ているんです。もう、いよいよですよ」と答えた。

 その後、盛秀さんは産業組合壕へ移動。同壕の「集団自決」で盛秀さんら家族を含め六十七人が亡くなった。>

「軍命令説」を定着させたのは、宮里盛秀氏の弟の宮村幸延氏であり、今回証言した宮平春子さん(80)宮村トキ子さん(75)はその妹である。

座間味村役場の援護係だった宮村幸延氏が昭和62年に、

集団自決は当時の村役場助役(宮平春子さんの兄・盛秀)の命令だったが、

遺族補償のため梅沢守備隊長の命令として申請した事情を記して、

梅沢氏へ渡した「詫び状」を提出した。

その辺の経緯を現代史家・秦郁彦氏は次のように述べている。

座間味村役場の援護係だった宮村幸延氏が昭和62年に、集団自決は当時の村役場助役の命令だったが、遺族補償のため梅沢守備隊長の命令として申請した事情を記して、梅沢氏へ渡した「詫び状」を提出した。梅沢氏の無実を証する決定的証拠といえるもので、文科省の検定でも援用された。>(産経新聞 平成19年4月14日)

その「侘び状」は「母の遺したもの」によると次のとおりである。(重要証言者は伏字になっている)
 

昭和20年3月26日よりの集団自決は梅沢部隊長の命令ではなく、助役宮○盛秀(宮村盛秀・引用者注)の命令であった。之は遺族救済の補償申請の為止むを得ず役場当局がとった手段です。右証言します。

 

昭和62年3月28日         

元座間味役場 事務総長 M・Y(宮村幸延・引用者注)

梅沢裕 殿

役場の「事務局長」というのは、村議会の事務局長のことである。「元」ではなく、現職の事務局長であった。亡くなった助役の苗字も、遺族の戦後改姓の「宮村」になっている。

 

「母の遺したもの」には次のようなくだりがある。

それから(詫び状を書いた日から)20日ほど経った4月18日の『神戸新聞』に、「座間味島の集団自決の命令者は助役だった」「遺族補償得るため“隊長令”に」という大見出しで報道され、さらに4月23日の『東京新聞』夕刊にも同じ内容の記事が掲載された。このなかでは、「Aさん」(M・Y氏)は『集団自決は、部隊長(梅澤氏)の命令ではなく、戦時中の兵事主任兼役場助役だった兄の命令で行われた。これを弟の私は、遺族補償のため、やむを得ず隊長命として(補償を)申請した』との親書を梅澤さんに寄せた」とある>

だが、係争中の裁判で被告側は宮村幸延氏(故人)の「証言」を翻す。

<「隊長命令説は遺族等援護法の適用を受けるためにやむを得ず作り出されたもの」と書き綴った『証言』と題する書面は、幸延氏が作成したものではない>

宮村幸延氏は「侘び状」を作成した記憶がなく、同氏が作成・捺印したものではないと述べているほか、仮に同氏が作成したものであるとしても、泥酔させられた同氏が、梅澤から「妻子に肩身の狭い思いをさせたくない、家族だけに見せるもので絶対公開しないから」と言われ、何の証拠にもならないことを申し添えた上で作成したもの>

・・・幸延氏が泡盛を飲まされ、泥酔状態で書かされた可能性があるなどと主張している。

 

この泥酔説に原告(梅沢)側は次のように反論している。http://blog.zaq.ne.jp/osjes/article/24/

<『証言』と題する書面は、その際、幸延氏自身が、一言々々慎重に言葉を選びながら作成したものです。決して被告がいうようなものではありません。
そのことを
裏付ける証拠が書面自体の中にもあります。書面の末尾には「梅澤裕殿」との宛名があり、そのうち「裕」の字が明らかに誤っています。梅澤さんが自らの字を誤って書く筈などありません。また、書面の筆跡は極めてしっかりとしています。幸延氏が泥酔状態であれば、筆跡に大きな乱れが生じる筈です。これらの点を、被告らはどのように考えているのでしょうか。>

<そればかりではありません。幸延氏は、その後、神戸新聞社の取材に対しても、同様に、隊長命令説は援護法の適用を受けるためにやむを得ず、『歴史を拡大解釈』してつくったものだと答えています。ところが、被告は、なんと神戸新聞の記事は、幸延氏に対する取材のないまま造られた捏造記事だと主張しています。これに対しては、この記事を書いた神戸新聞の中井元記者から、数回にわたり取材を行ったことを証明する陳述書が提出されました。最早、その証言の信用性を疑う余地は全くありません。>

 

宮平春子さん(80)と宮村トキ子さん(75)姉妹に「証言者」としての資格があるのか。

①両姉妹の兄・宮村盛秀氏は当時、助役兼防衛隊長をしており、事実上集団自決は、部隊長(梅澤氏)の命令ではなく、戦時中の兵事主任兼役場助役・盛秀氏の命令で行われた。

②戦後、これを同村の援護課職員だった盛秀氏の弟・宮村幸延氏が、遺族補償のため、やむを得ず隊長命として(補償を)申請した。

③「梅沢悪鬼説」が流布するのは自分の責任と感じた宮村幸延氏は梅沢氏に謝罪して「侘び状」も出した。

④その後、被告側は「泥酔説」で上記謝罪をひるがえし、記憶が無いとする。

このように兄二人が「事件」の当事者としてその「証言」が二転三転する中、しかもマスコミが「軍命令あり」の大キャンペーンをする中で、冷静な「証言」が出来るだろうか。

兄・盛秀氏は「集団自決」の命令を出したと言われる人物。

もう一人の兄・幸延氏は援護課職員として遺族補償のため、軍命令を主張した人物。

その妹二人が「軍の命令だった」と証言するのは「親族のアリバイ証言」と同じで、結果は予見できること。

それに、今回始めての証言というが、

「沖縄県史や座間味村史の編集作業が行われた七〇―八〇年代に同島におらず、証言の機会がなかった。」(沖縄タイムス)という理由だけでは信じるのは困難だ。

数少ない生き残りの証言を村史に記すのに同島に在住しなくとも証言できたはずだし、これまでも何度も証言の機会はあったはずだ。

裁判長が通常の判断力があれば、宮平春子証言の欺瞞性は見抜けると思うのだが・・・。

 

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核が無ければただの貧乏国  核廃棄するわけない!

2008-06-28 07:25:08 | 拉致問題

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海外のビックリ映像特集などで、巨大廃屋を一瞬に爆破・解体する現場を、野次馬が喜んで見るようなシーンがある。

まさに廃屋解体ショーだ。

しかし、解体費用を見物人に要求するとはさすがは将軍様だ。


 北朝鮮:寧辺核施設の冷却塔爆破
 【北京・西岡省二】北朝鮮の寧辺(ニョンビョン)核施設にある実験用黒鉛減速炉(5000キロワット)の冷却塔の爆破作業が27日、行われた。北朝鮮は核問題をめぐる6カ国協議の参加国メディアに現地取材を許可しており、核施設「無能力化」措置の履行を国際社会に印象づける狙いがある。ただ、塔内部の設備は既に撤去されており爆破は「政治ショー」との見方が強い。

 コンクリート製の冷却塔は原子炉から出る水蒸気の熱を放散させる施設で、高さ約30メートル。「北朝鮮の核開発の象徴」とされ、ソン・キム米国務省朝鮮部長らも爆破を見守った。

 北朝鮮の26日の核申告書に核兵器の記述はなかった。北朝鮮の経済関係者は「『不完全な申告』を受け入れた米国にとっても、冷却塔爆破は北朝鮮政策で国内の理解を得るのに好都合」と分析。北京の外交筋によると、北朝鮮は6カ国協議参加国に冷却塔の爆破費用数千万円相当の負担を要求。日本を除く参加国は基本的に了承した模様だ。

毎日新聞 2008年6月28日 東京朝刊

                       ◇

 
 北朝鮮の冷却塔爆破、日本国内の反応 
配信:08/06/28 00:43


 北朝鮮は27日夕方、主要な核施設のうち、ヨンビョンの冷却塔を爆破しました。爆破について、日本国内の反応です。 

「(爆破した冷却塔は)ハリボテ同然のもの。そんなものを壊したって、デモンストレーションにしか過ぎないんじゃないですか」(拉致救出議員連盟 平沼赳夫 会長

 「非核化の第一歩ですかね。しっかりと検証していくことが大事」(福田康夫 首相

 「(核放棄の第二段階について)これをもって完了しますという、一種の北朝鮮側のアピールだと思いますね」(自民党 山崎拓 前総裁

 「アメリカはドライに割り切れるんだろうけど、そう私の心の中は簡単にドライには割り切れない」(鳩山邦夫 法相

 「我々としては(アメリカは)まあ結局、どうせこんなもんだろうと。根本的な問題として、北朝鮮がそもそも核というカードを手放すはずがない。あと、北朝鮮から核というカードをとってしまったら、ただの貧乏な独裁国家ですから」(特定失踪者調査会 荒木和博 代表

 「(日米)同盟がぎくしゃくするようになればですね、それはある意味では北朝鮮側の思うつぼになってる。そのことも、十分に踏まえなければいけないと思います」(安倍晋三 前首相)(27日23:37)

【動画】↓

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                          ◇

各氏のコメットの中で、一番問題の核心をついているのは、特定失踪者調査会・荒木和博・代表のコメントでしょう。

北朝鮮がそもそも核というカードを手放すはずがない。」

「北朝鮮から核というカードをとってしまったら、ただの貧乏な独裁国家ですから

納得!

 

北朝鮮となるとのこのこ顔を出してきて、安倍全首相に「百害あって利権あり」とこき下ろされた山崎拓氏、まともっぽい意見を吐いているのかな・・・と思ったら。

まだ、こんなことをやっているようだ。

安倍氏、テロ指定解除「残念」=山崎氏は評価…

                                          ◇

米財務省、北朝鮮への金融制裁を継続

 米財務省報道官は26日、米政府が北朝鮮のテロ支援国家指定の解除を議会に通知したことに関連し、北朝鮮によるマネーロンダリング
(資金洗浄)・違法金融・核拡散を防止するための金融制裁は解除されていないと表明した。

 報道官は、北朝鮮の核計画申告により一部の対北朝鮮制裁が解除されたが、北朝鮮による国際金融シスステムへのアクセスは依然認められないと指摘。

 ロイターに対し「(制裁を)変更する場合も長期的なプロセスになる。
北朝鮮が行動を改め、国内のマネーロンダリング対策、テロ資金対策を国際基準に合わせられるかどうかにかかっている」と述べた。

(ロイター 2008年 06月 27日 09:22)

                     ◇

ブッシューライスの国務省ラインの心変わりで、「置いてけぼり」を食った形の福田首相だが・・・・・・、

そういえばブッシュは最近は禁酒を実行していたはずだ。

「あなただけよ」は「酒が言わした」言葉ではなかったのだろうか。

財務省を盾に使ったブッシュの二枚腰外交なのか・・・。                               


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心変わりが切なくて

2008-06-27 07:50:37 | 拉致問題

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「女心の唄」  唄:バーブ佐竹

 

♪あなただけをと信じつつ

恋におぼれてしまったの

心変わりが切なくて

しのぶ思いの忍び泣き♪

 

♪どうせ私をだますなら

だまし続けてほしかった

酒が言わせた言葉だと

何で今さら逃げるのか♪

 

心変わりした男が、かつての恋人に慰めの電話を入れた。

男:「君のことは決して忘れない。君の気持ちは十分理解している」

女:「新恋人が出来ても私を忘れちゃいや!」

「拉致問題忘れない」ブッシュ大統領、電話で福田首相に(朝日新聞)

福田首相は25日夜、ブッシュ米大統領と電話で北朝鮮問題について意見交換した。大統領は「私は拉致問題を決して忘れない。日本の懸念は十分理解している」と述べ、今後も日本側と緊密に協力していく意向を表明した。>

男は電話を切った後、舌打ちをしながら呟いた。

「子供じゃないんだ。 世界第二位の経済大国だろう。 独自に行使できる影響力はいくらでもあるはずだ」

                                               *

中国が会見「北朝鮮が核申告」 米はテロ指定解除を表明  6.27 00:30

 北朝鮮は26日、核計画の申告書を6カ国協議の議長国、中国に提出した。これを受け、米政府は同日、見返り措置として北朝鮮のテロ支援国家指定などの解除を決め、議会に通告した。拉致事件を“置き去り”に解除に踏み切ったことについて、ブッシュ大統領は、「拉致された日本市民のことを忘れない」と強調した。しかし、制裁という有効なカードを失った結果、先に北朝鮮が約束した拉致事件の再調査の実施などでどれだけ北朝鮮に迫ることができるのか、日本政府の姿勢が問われる。

 【北京=矢板明夫】北朝鮮の崔鎮洙駐中国大使は26日午後、中国外務省を訪れ、6カ国協議議長の武大偉次官に申告書を提出した。関係筋によると申告書は約60ページで、核施設、核開発計画、プルトニウム抽出量などを記載。抽出プルトニウム量は38キロ前後としている。核兵器の情報は含まれず、高濃縮ウラン開発と、シリアの核開発協力にも触れていないもよう。

 中国は申告書を直ちに各国に配布し、それぞれが本国で評価と検証方法を検討。7月第1週にも北京で6カ国協議を再開し、申告内容の検証と、核施設の廃棄、解体など完全廃棄に向けた第3段階の措置などを議論する。

 北朝鮮は進展を印象づけるため、27日に寧辺の核施設の冷却塔を爆破、6カ国協議参加国のテレビで爆破場面を放映させるという。

                                                   ◇

自国民がテロ国家に殺されたり拉致されているというのに、自分では何もすることが出来ず、ただひたすらアメリカ頼みだけで無駄な時を過ごしてきた日本。

自国民の生命安全を守ることが出来ずに独立国家だといえるか。

当日記は、憲法改正やスパイ防止法、更には自衛隊の国軍化の必要性を主張してきた。

ところが不思議なことに、これらの主張とは反対の立場に立つような評論家・識者たち(TBS「朝ズバッ!」の浅野や杉浦解説員)が揃って、「もっと声高にアメリカに頼み込め」(要旨)と解説しているのには驚きだ。

この連中は日本は独立を放棄して、アメリカの属国であり続けろとでも言うのだろうか。

それにしてもこの男、福田首相の番頭としては少しシラケすぎではないのか。  

もっと驚いて見せろよ。 「私を捨てたら後悔するよ」くらいは捨て台詞を言って。↓

【官房長官会見(2)】「そう驚くこともない」米の対北テロ支援国家指定解除(26日午後)

          

で、北朝鮮がこれほど「テロ支援国家指定解除」にこだわるということは、「テロ国家指定」が北朝鮮にとって大きな外交カードになることを意味する。

そのカードをアメリカはすでに切ってしまったのだとしたら、日本がアメリカに代わって「テロ国家指定」をすればよい。

日本に指定されても痛くも痒くもないって?

そんなことはない。

「子供じゃないんだ。 世界第二位の経済大国だろう。 独自に行使できる影響力はいくらでもあるはずだ」(米政府当局者)

国連への供出金だってアメリカに次いで二位ではないか。

堂々と胸を張って世界に向かって「北朝鮮はテロ支援国家である」と宣言し、同時に世界のマスコミの注目を浴びるように「悪の帝国」とでも言ってやればよい。

そして、日本の拉致の実態を国家レベルで世界に発信する。

そして、世界銀行やアジア開発銀行が北朝鮮への融資をおこなう場合は、「資金拠出を凍結せよ」と迫るべきだ。

もっと世界第二位の経済大国としての毅然とした言動を世界に発信すれば、日本の「テロ国家指定」も有効な外交カードになりうる。

結局、他国任せにせずに、自国民を自分たちで取り戻すという当然のことを、着実に実行すべきだ。

◇テロ支援国家指定解除
 米国務省は国際テロ年次報告書で「国際テロ組織に資金・武器提供などの支援をしている」とする国家を指定。07年版ではキューバ、イラン、北朝鮮、スーダン、シリアの5カ国が明示されている。対象国には武器関連の輸出・販売禁止、経済援助禁止、金融規制などの措置が取られる。解除されると、世銀などによる融資や経済援助が可能になる。指定解除には過去6カ月間に国際テロ支援をしていないことや、対象国政府が「将来もテロ組織を支援しない」と確約していることなどが必要だ。

毎日新聞 2008年6月19日 東京夕刊

                                               ◇

アメリカの心変わりに対する政府の対応には、与党からも批判が噴出している模様。

北朝鮮:「テロ指定」解除 与党にも厳しい見方 日米同盟に影響も

 

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文部省の立場が争点! 集団自決控訴審 真実相当性も

2008-06-26 12:10:16 | ★集団自決

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岩波側、棄却求める 岩波訴訟控訴審 2008年6月26日 
【大阪】沖縄戦中、座間味・渡嘉敷両島で起きた「集団自決」(強制集団死)をめぐり、日本軍の戦隊長が住民に自決を命じたとの記述は誤りだとして、座間味島元戦隊長の梅澤裕氏らが「沖縄ノート」著者の作家大江健三郎氏と版元の岩波書店に出版差し止めと損害賠償を求めた裁判の控訴審初回弁論が25日午後、大阪高裁(小田耕治裁判長)であった。控訴した梅澤氏ら一審原告は「地裁判決は不当」として、地裁判決の取り消しを求めた。一審被告の大江氏、岩波書店側は控訴棄却を求めた。早ければ次回弁論の9月9日で結審する。
 梅澤氏ら一審原告は控訴理由書の要旨を陳述し「隊長命令の真実性を否定しながら、軍の関与を前提に隊長命令を推認した地裁判決は、真実相当性の判断を誤解したもの」と批判した。「証拠評価や資料認定は恣意(しい)的で偏っている」として判決の取り消しを求めた。
 一審被告は答弁書や準備書面の要約を陳述し「自決命令が真実と信じる相当の理由があると判示したのは正当」と判決を評価した。その上で「隊長命令があったことに合理的資料や根拠があると評価し、書籍出版の適法性を認めた」と反論し、控訴棄却を求めた。
 「集団自決」における「軍の強制」の記述を削除・修正した教科書検定問題に関連して、一審判決が「2005年度検定まで自決命令の事実は通説だと認識」という「文科省の立場」を「隊長命令」の真実相当性を認める根拠の一つとしたことについて、一審原告は「06年度検定で隊長命令説は覆った」と批判した。これに対し一審被告は教科書会社による訂正申請の調査・審議を通じて「06年度検定意見は事実上撤回された」と反論した。
 一審原告は訂正申請の調査・審議をした教科用図書検定調査審議会に意見書を提出した現代史家の秦郁彦氏を証人申請したが小田裁判長は却下した。
 
                                               ◇

>早ければ次回弁論の9月9日で結審する。


先ず驚いたのは、たった二回の弁論で結審することである。

当日記が「大江よ。お前はもう死んでいる 独断と推論の判決・最終章」で復習整理したとおり、

大阪地裁の原判決の問題点の検証だけで結審するのなら、短期間での結審も納得できる。


沖縄二紙の見出しを紹介する。

◆沖縄タイムス
1面

<「集団自決」訴訟> 原告の承認申請却下

大阪高裁 次回弁論で結審も

26面

「原告の真偽ただす」

被告側支援者 裁判官の姿勢評価

一万3703人分署名提出

3市民団体大阪高裁へ

 

◆琉球新報

1面 

岩波側、棄却求める

9月にも結審 梅沢氏ら一審を批判


岩波訴訟控訴審  新争点に検定評価

屋嘉比島「集団自決」も

「教科書」と裁判の関係深く

 

印象としては「当事者」のはずの沖縄タイムスが、「被告側支援者 裁判官の姿勢評価」と裁判官に媚を売ってみたり、

「一万3703人分署名提出 3市民団体大阪高裁へ」といったように、「場外乱闘(法廷外闘争)」に力を、入れたような記事内容。

一方、琉球新報は「「岩波・大江裁判控訴審の争点表」で原告、被告の論点を紹介したり、解説記事や双方の弁護士のコメントなども紹介している。

裁判が司法の独立性のもとに行われるとしたら、支援団体の署名等を裁判所に届けることは禁止にするべきだとは思うのだが・・・。

何しろこの手の「市民運動」はプロ市民の本業とするところで、彼らと「場外乱闘」で争ったら彼らの術中にはまるのは自明。

新報の報道によると、もうひとつ前回の原判決に続いて「文部省の立場」が大きな争点になっているようだ。

教科書検定、文科省の立場(琉球新報「岩波・大江裁判控訴審の争点表」から抜粋)

原告側⇒05年度検定段階の「自決命令は通説」は誤り。 地裁弁論終結時の文科省の立場は自決命令の真実性を否定。 

被告側⇒05年度検定段階で「自決命令は通説」と認識したのは明らか。 検定意見は事実上撤回。

地裁判決⇒文科省は05年検定で集団自決に関する記述に検定意見付さず。 自決に日本軍が深く関わったと認めるのが妥当。

 

司法の独立性から言えば、裁判の判決が,行政機関の立場で左右されるべきではないと思うのだが、それはさて置き、

原判決では「真実相当性」(「誤信しても仕方がない」)の根拠として、「文科省の立場」を挙げている。

原判決は次のとおり。

平成17年度までの教科書検定までは、『集団自決が軍令によるもの』が通説であり、教科書の記載についても容認され、軍命の記述を否定した平成18年度の検定意見についても、その後の政治運動により浮動的になり、口頭弁論終結時(12月21日)には、未だ固まっていなかった。」

この判決は明白な事実誤認である。

■結審日と検定意見公表日・・・5日のタイムラグの謎

そもそも平成17年度の検定時点で「軍命説が通説」のはずがないが、ここでは深くは立ち入らない。

判決が結審までに提出された証拠を基に下されるのはやむを得ないとしても、

結審日の5日後に公表された訂正申請に対する検定結果は、

軍の関与に関する訂正は認めながらも、

軍命及び軍による強制の記述は認めないという従前の基本姿勢を堅持するものだった。 

したがって「文科省の立場」を根拠に大江の「真実相当性」を推認した原判決に従うならば、

12月26日以後に増刷された『沖縄ノート』における隊長命令を事実とする記述や、

これを前提にした個人攻撃の記述には「真実性」はもとより「真実相当性」もないことは明らかである。

原判決を下した深見裁判長は、五日間のタイムラグを承知の上で、被告側を一時的勝訴にしてぬか喜びさせ、

上級審で敗訴に追い込むという深謀の確信犯だったのではと思ったりもする。(まさかね)

裁判長の判断は「12月21日の結審までの証拠物」ということで、裁判官としての面目は担保されているから。

沖縄タイムスは、

原告の証人申請却下/「集団自決」訴訟」と、

まるで原告の控訴自体が却下されたような印象操作をしているが、

原告側が申請した現代史家・秦郁彦氏の承認申請が却下されたことは、

問題は全て原判決に含まれており、これ以上「屋上屋」を築く必要はないと裁判所が判断したのだろう。

してみると9月9日の結審も妥当なもの。

今朝の沖縄二紙を見る限り、控訴審で「論理的に」勝ち目がないことを一番承知しているのは、沖縄タイムスではないのか。

去年の「11万人」集会に味を示して、8月頃に再度「県民大会」でも開きますか。(笑)

「文科省の立場」については

独断と推論の判決② 真実相当性」、

で詳しく論じてありますのでよろしかったら覗いて下さい。


大江健三郎は、もう死んでいる、

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集団自決訴訟、控訴審今日から始まる

2008-06-25 06:51:57 | ★集団自決

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「集団自決訴訟」の控訴審第一回口頭弁論が、今日大阪高等裁判所で行われる。 

判決言い渡しは明年三月ごろだと言われているが、原告被告のどちらが勝っても上告が予測され、結局は最高裁までもつれ込むものと言われている。

この裁判に和解はない。

長い戦いの途中の第一歩である。

被告側は当初から敗訴を想定していた気配があり、大阪地裁への署名提出やメールなどで、「場外乱闘作戦」を大々的に行っていた模様。

今回も被告側の団結力はすさまじいものがあり、「大江・岩波沖縄戦裁判を支援し沖縄の真実を広める首都圏の会」が、二十日、東京都内で結成一周年総会を開き約百人が参加したという。

控訴審での勝利を目指して、沖縄と連帯して引き続き署名活動などの運動を強めるとのこと。(沖縄戦裁判 控訴審勝利を/首都圏の会が1周年総会 )

                      * 

原告弁護団の徳永弁護士の講演会を三回に分けてエントリーし、大阪地裁判決の問題点を整理した。

徳永弁護士が講演の最後の部分で最も力を入れて大江健三郎氏を批判した部分は、裁判のポイントとは関係ないと思われたので、独断と偏見で勝手に省略した。

その部分を番外編としてエントリーする。

だが、その前にもう一つ。

法廷での大江氏の戯言とも言うべき証言も、ついでに書いておこう。

大江氏の法廷証言は次の三つに分けられると書いた。

①曽野氏の「誤読論」

②匿名論⇒戦隊長の個人名は挙げていないので名誉毀損には当たらない。

③「軍命構造論」⇒タテの構造云々から時限爆弾としての軍命令

 

①の「誤読論」については既に論じた。

②の匿名論については、当時の渡嘉敷島の戦隊長は、赤松隊長であり、座間味島の戦体調は梅澤隊長ただ一人である。 徳永弁護士のような大阪人が那覇市の市長の名前を知らなくとも、「那覇市の市長が痴漢を働いた」と報道があれば、それが那覇市長の名誉を毀損するのは明らかであり、判決でもこの論点は一蹴している。

③の点は、「命令」を軍のタテの構造の力だとか、時限爆弾の命令だとかいったようなことを窺わせる解説は、『沖縄ノート』の中のどこにもないことは大江氏自身も認めており、判決もまた、「命令」を大江氏のように読むには、大江氏の解説を受けなければ無理であるとしている。

判決は、裁判でその有無が争われている「命令」とは、大江氏の言う「タテの構造云々」と解説の必要な種類のものではなく、

「住民は、部隊の行動を妨げないために、また食料を部隊に提供するため、いさぎよく自決せよ」という命令を指すものだとして、これも一蹴している。

結局、大江証人の法廷での世迷言はことごとく粉砕されたのである。

                       *

大江健三郎氏は、法廷での尋問の様子を朝日新聞の連載コラム「定義集」で取り上げ、次のように述べた。

「『死の美化』『殉国の思想』の復活は、人間の尊厳を貶めるもの」だと。

しかし、徳永弁護士はまさにこうした大江氏の思考こそが、戦後民主主義の落とし穴であったと考える。

そして小林秀雄の次の言葉を大江氏に対する回答とした。

「過去の時代の歴史的限界性を認めるのはよい。 しかし、その歴史的限界性にもかかわらず、いかにその時代の人々が、いかにその時代のたった今を生き抜いたかに対する尊敬の念を忘れてはだめだ。 その尊敬の念を忘れたところには、歴史の形骸があるばかりだ」

集団自決が行われたあの日、あの時代の≪たった今≫を精一杯に生きた先人に対する尊敬の念を忘れ、後知恵で人々を裁く姿勢そのものが、「人間の尊厳」に対する最大の冒涜なのだ・・・・と、徳永弁護士は最後を結んだ。

 

なるほど、愛する家族に人間としての尊厳を失うような死に方をして欲しくない。

そう思えばこそ、そして家族を愛すればこそ、集団自決というギリギリの行動を選択したのだ。

それを「軍の命令」でもって、愛する家族を殺したと、後知恵で裁く者こそ死者に対する最大の冒涜になる。

控訴審は、大江氏のまやかし論が既に否定され、死者の名誉毀損の逃げ道もなくした状態からの訴訟である。

外堀は既に埋められて落城寸前の城を攻めるようなもの。

松本藤一原告側弁護団長は、「控訴審は、『軍の関与』と『隊長の関与』のマジックワードのみによって辛うじて勝ちを拾った大江被告との戦いの場である。原審判決の破棄は必死である」とのコメントを述べている。

 

昨年の7月、連日「集団自決軍命説」が渦を巻くような、琉球新報のオピニオン面「声」欄に、

まるで四面楚歌のような状況の読者の「声」が掲載された。

被害妄想の軍命  糸満市 有馬光正 (自営業、62歳)

7月10日付け声欄で「思考停止はやめよう」という40台の方のご意見に、正直ほっとした。 自分も常々沖縄の新聞の論調には辟易してきた。 この方の言うように、「戦前、戦中は日本軍が悪い。 戦後は米軍が悪い。 悪いのはみんな他人で自分を省みない」という感情を特に色濃く感じるのは、最近の集団自決の軍命の有無」に関して、教科書検定で「軍命」の語を削除した政府に対する県下の地方議会や新聞の態度である。 真実がどうのというより、、「人は追いつめられると自分の尊厳を守るために、自ら死を決意する」という人間に対する崇高な信頼感はなく、「軍隊の命令がなかったら、自決などしなかった」という思い込みだけで議論が進められている。 
これは、自決した方々の人格に対する甚だしい冒涜というべきではないか、 自決命令があった、という証拠は、現在まで見つかっていない。 とすれば、教科書には、軍の命令には触れないことは当然の措置だろう。 自分たちだけが被害者だという、卑屈な思い込みはいいかげん、やめてもらいたい。

 

沖縄にも良識ある県民は数多くいる。

投稿者の言うように、人軍の命令があったというだけで、自分の愛する子供や、親兄弟を手に書けたりするだろうか。

動物だって敵に巣穴を見つけられそうな時には、親は我が子を守るため巣穴を飛び出して身を挺して敵の気を引く。

集団自決の犠牲者を、「軍の命令で我が子や愛する家族を殺した」と、後知恵で貶めるものこそ、最も死者を鞭打ち且つ冒涜するものである。

 

【おまけ】

2008年6月24日(火)「しんぶん赤旗」

皇軍美化の「慰霊祭」
自衛隊強行 赤嶺議員ら抗議

 沖縄戦の犠牲者を追悼する「慰霊の日」の二十三日明け方、当時沖縄に配備された第三二軍の牛島満司令官らをまつった糸満市摩文仁(まぶに)の「黎明(れいめい)之塔」で、自衛隊による「慰霊祭」が強行されました。同塔の敷地内では沖縄県平和委員会や日本共産党の赤嶺政賢衆院議員らが「自衛隊は皇軍美化の慰霊祭をやめよ 自衛隊による沖縄戦の史実改ざん糾弾」とする横断幕を掲げて抗議しました。

 まだ暗い午前五時すぎから、制服に身を包んだ自衛官らが献花、参拝して「慰霊」しました。県平和委員会によると参加したのは、陸上自衛隊第一混成団の団長、同広報室渉外担当ら十四人です。五時四十分すぎ、桑江良逢・同団初代団長が献花すると、自衛官らは直立不動で見守りました。

 「慰霊祭」の中止を申し入れていた県平和委員会の大久保康裕事務局長(45)は「軍隊は住民を守らないというのが沖縄戦の本質だった。県民を守るどころか、『国体護持』のため。その第三二軍を顕彰する塔で自衛隊が『慰霊祭』を行うのは史実をねじまげるものだ」と厳しく批判します。

 自衛官らは県平和委員会などの抗議に対して「私的なことだ」と繰り返しました。

 自衛隊の「慰霊祭」をめぐっては、一九七〇年代に千人規模の「行軍」まで行い開催し、住民の強い反発を受けその後中止されていました。二〇〇四年から再開され、今年は、昨年にくらべ参加者が半減しました。

                      ◇

>軍隊は住民を守らない

ここで河野洋平衆議院議長は、日本共産党の赤嶺政賢衆院議員ら共に、抗議運動の先頭に立って、

「軍隊は住民を守らない」

とシュプレヒコールはしなかったのだろうか。

 

【おまけ】

大阪高裁の控訴審は午後二時改定(予定)なので、詳細は夕刊に間に合わなかったのだろう。 新報は、朝刊の記事のみで夕刊はスルー。

だが、詳細記事は間に合わなくとも、社会面のトップにこの記事を持ってくるあたり、沖縄タイムスの焦りなのかそれとも「場外乱闘作戦」の一環なのか。

史実確定へ全国で動き/「集団自決」控訴審開始

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秋葉原殺人鬼と大江健三郎の思考回路 死者を冒涜する河野洋平

2008-06-24 08:03:33 | 大江健三郎のいかがわしさ

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昨日の慰霊の日追悼式典のテレビ中継を見ていたら、参列の福田首相の隣に河野洋平衆議院議長が居眠りしながら(そう見えた)着席していた。

行政府の代表として首相が参列するのだから、立法府を代表して河野議長が参列するのも良しとしよう。 式典中はゆっくり居眠りでもしてとっとと帰ってくれればよいと軽く考えていたのだが・・・。

今朝の琉球新報を見て驚いた。 

河野議長、あの後、よせばいいのに挨拶をしていたというのだ。

いや、挨拶するくらいはまだ良い。

何と、二日後に控えた「集団自決訴訟」控訴審の被告側を援護射撃する発言をしていたのだ。

被告を応援する左翼集団がスローガンにしている合言葉が、「軍隊は住民を守らない」。

この左翼スローガンを河野議長は、多くの日本兵の御霊も祭られている「慰霊祭追悼式」の挨拶で言ったというから,開いた口がふさがらない。

この一言が、前日63年ぶりに収拾された日本兵の遺骨の御霊をどれだけ貶めたかことになるか。

これでは慰霊祭ではなく魂魄冒涜の式典ではないか。

左翼集団が自己のイデオロギー実現のため、このスローガンを叫ぶのはこの際よしとしよう。

だが、かつて自民党の総裁を勤め、立法府の代表という要職にあるものが、いかに主義主張がそうであっても、発言はTPO考えるべきであろう。

空気を読めない河野議長のためにあえてTPОを解説しよう。

T⇒日本兵も含む戦没者の慰霊祭の日。

P⇒麻文仁の丘の慰霊祭式典場。

O⇒「軍名の有無」が焦点の「裁判直前」(25日)

とにかく、琉球新報の朝刊より、「河野氏あいさつ(要旨)を引用しておこう。

わたしたちは軍が沖縄の住民の安全を第一に考えていたわけではないという疑念から目をそらしてはならない。 米軍基地の移転、縮小問題は十分な成果を挙げるには遠い状況にある。 東アジアに平和な環境をつくり、少なくとも今のような大規模な米軍の駐留を不必要とすることを目指すべきだ。 かつて沖縄の知事が(本土の人々の考えが変われば沖縄の問題は解決する」と述べた。 国政にかかわるものはいつまでも沖縄の寛容な精神に甘えることは許されない。 ケネディ大統領が、ベルリンで「私は一人のベルリン市民である」とししベルリン市民に呼びかけたように、わたしはすべての国会議員に「ワンネーウチナンチュヤイビーン(私は沖縄県民だ)」との心でこの問題に向き合ってほしい。

衆議院議長 河野洋平

                    ◇

軍が沖縄の住民の安全を第一に考えていたわけではない

これこそ左翼のスローガンの「軍隊は住民を守らない」そのものではないか。

圧倒的物量で「鉄の暴風」を吹きまくる米軍に対し、装備といえば銃弾もろくにない銃のみの日本兵が、

「住民の安全を第一に考える」ほどの余裕がなかったことは戦史をたどれば容易に想像はできる。

つまり雨あられと降り注ぐ艦砲射撃に晒されて、自分の命を守るのさえままならず、住民の安全に配慮する術を持たなかった部分もあっただろう。

しかし、河野議長よ、

いかに自己の主義主張とはいえ、あの時、あの場所で、英霊を冒涜する発言をしなくとも良いのではないか。

あなたが日本人なら。

                                                ◆     

                                     

秋葉原殺人鬼と大江健三郎の思考回路■


秋葉原の無差別殺傷事件で、容疑者が派遣社員だったことを理由に犯人を擁護する論がある。

「格差社会」の犠牲者だとか、利益追求に走る雇用先の責任だとか,あげくのはては「小泉改革」に遠因があると言い出すエセ評論家まで出てくる始末。

筆者者には、殺人鬼の心の内に立ち入って、犯行に至った心の闇を分析し講釈する素養もないし、またそんな趣味もない。

17人もの人間をトラックで轢いたり、ナイフで刺し殺したりした殺人鬼を理解できる(理解できると思っている)人は、屁理屈を飯の種にしている人々だけであろう。 

犯人も供述を始めたようだが、犯行予定をネットに書き込んであり、

誰か止めてくれれば良かったのに」というような文言が気にかかった。

派遣社員だろうが正社員だろうが、人間が集まるところには摩擦はつき物。

そのための悩みは、大なり小なり誰でも持っていて当たり前のこと。

その悩みが、一気に大量無差別殺人に飛躍する論理を、誰に理解せよと言うのだ。

それを、この犯人、「誰か止めてくれれば良かったのになんて、どこまで己の行為を責任転化すれば気が済むと言うのか。

このような卑劣な人間の「犯行に至る社会的背景」なんてどうでも良い。

弁護がましい屁理屈をこねている評論家先生方よ、

この人間のクズは、社会や家族からの疎外感を無差別殺傷で「うっぷん晴らし」したというが、

うっぷん晴らしの殺人も、社会の責任だというのか。

  「うっぷん一気に崩れた」 秋葉原事件の容疑者 [共同通信]
[ 06月21日 18時16分 ]
 東京・秋葉原の無差別殺傷事件で、殺人の疑いで再逮捕された派遣社員加藤智大容疑者(25)が、警視庁の調べに、事件3日前の5日早朝に職場で起きたトラブルで「たまっていたうっぷんが一気に崩れた」と供述していることが21日、分かった。警視庁は、社会や家族からの疎外感をうっせきさせていた加藤容疑者が、トラブルを機に自暴自棄となり、無差別殺傷を決意したとみている。

 うっぷん晴らしの無差別殺人では、

世の中の人間はみな殺人鬼になってしまう。

もし逮捕されたら、次のようにほざけば良い。

「誰か止めてくれれば良かったのに」と。

「私の殺人には『会社が関与』している」

「会社は『社会に関与』している」

だから「社会が悪いのだ」・・・とも。

そして「社会が悪い」とほざく甘ったれた模倣犯が次々出てくる。

大阪駅通り魔事件、背後から切りつけか [23日06:57]
 JR大阪駅(大阪市北区)の大阪環状線ホームで22日、女性3人が相次いで刃物のようなもので左腕を切りつけられた。大阪府警捜査1課は連続通り魔事件とみて、傷害容疑で曽根崎署に捜査本部を設置。防犯ビデオにはつばの広い黒い帽子、大きな玉の白いネックレス、ロングヘアの30歳代の不審な女が写っていた。捜査本部はビデオ画像を公開し、行方を追っている。混雑する日曜の駅での凶行に居合わせた乗客は、東京・秋葉原の無差別殺傷事件を思い起こした

こんなのも次々出てくる。
爆破、殺害予告で毎日検挙者 捕まるのになぜやってしまうのか                

 

                  ◆

殺人鬼が「誰か止めてくれれば良かったのに」と責任転嫁するのは、人間のクズの戯言だと言えばそれで済むが、

同じような論理を研究者とか学者といった「識者」の面々が、大真面目な顔で主張するから呆れかえる。

突然話は変わる。

63年前の3月25日の夜、場所は座間味島の軍基地の前。

島の周囲を米軍に取り囲まれ、激しい艦砲射撃で逃げ場を失い、

パニックに陥った住民を代表して村の助役らリーダーが軍基地の梅沢隊長をを訪ね、自決ののための爆弾を要求する。
 
この場面に立ち会った宮城初枝さんは手記で、梅澤氏が「今晩は一応お帰りください」とだけ発言したことになっている。そのため初枝さんの娘、宮城晴美氏や林博史・関東学院大学教授、沖縄戦研究家の大城将保氏、大江健三郎氏は、梅澤氏が「自決するな」と厳しく命じなかったことを非難。大江氏に至っては、「自決するな」と命じなかったことが隊長の「自決命令」に当たるという強引な解釈を昨年十一月九日、法廷で披露した。

 また宮城氏は昨年七月二十七日の証人尋問で、これまでの取材の中で誰かから「死なないで」と言われたために自決を思いとどまったケースがたくさんあると述べ、連隊長だった梅澤氏が「死なないで」という一言を発していれば「住民は救われたというふうに私は考えております」と発言している。(世界日報 平成20年3月3日)>

                     ◇

何と大江健三郎氏をはじめとする被告側の学者・識者の面々は、恥知らずにも、「秋葉原の殺人鬼」と同じ理屈で、責任転嫁を図っているのである。

被告側は、「自決するな」と言わなかった梅沢隊長の不作為を「自決命令」だったと主張し、強引な屁理屈を並べたてる。

これではネットで殺人鬼を擁護するエセ評論家と同じ思考回路ではないか。 

「誰か止めてくれれば良かったのに」と。



 

大江健三郎は、もう死んでいる思う方、

そして河野議長に、寝言は居眠り中に言え、

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女装の少年、日本軍の狂気を訴える

2008-06-23 07:45:44 | ★集団自決

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今日6月23日は「慰霊の日」で、沖縄県内では公休日である。

沖縄限定の公休日であるため、国の機関や国立大学(琉球大学)以外の役所・学校等は休日となる。 今年は月曜日にあたるため学校、役所などは土曜日からの3連休になる。

毎年「慰霊の日」には糸満市摩文仁の平和祈念公園で沖縄全戦没者慰霊祭が行なわれ、今年は福田首相が参列する予定。

                     *

今朝の琉球新報の一面トップは、「慰霊の日」を差し置いて、昨日那覇で63年ぶりに収拾された日本兵の遺骨の記事。

痛み悲しみ、63年

<沖縄戦激戦地 那覇市真嘉比> 

日本兵の全身遺骨収集

砲弾破片、お守りの観音像も

日本兵のことを悪鬼のごとく罵る沖縄の新聞。

その沖縄の土の下で63年間もの間、人知れず静かに眠っていた日本兵の心境こそ、見出しの「痛み悲しみ63年」がふさわしい。

せめて「慰霊の日」くらいは、イデオロギーを離れ、静かに戦没者の霊を追悼したいと思うのだが・・・。

                      *

沖縄2紙が偏向しているの先刻承知の当日記ではあるが、それにしても最近の沖縄戦キャンペーン記事は異常すぎる。

軍隊を人殺し集団と捉える沖縄紙なら当然のことなのだろうが、まるで日本軍は敵である米軍はそっちのけで、沖縄人を見つけては殺戮して廻っているような印象だ。

昨日日曜日の見出しを見ても、

日本軍銃剣突き放火(タイムス)

日本兵の暴虐  波浮かべ証言(タイムス)

非難の住民並ばせて爆破(新報)

日本兵、食料を強奪(新報)

日本兵が暴行、右目失明(新報)

・・・と、たった一日だけでもこの有様。

これを読んだ読者が「残虐非道の日本軍」というイメージを刷り込まれても仕方がないが、このイメージ作戦には次のような深謀遠慮が潜んでいる。

即ち、このような残虐な殺人集団なら、自分らの食料確保のためには集団自決を命じて住民の犠牲を強いても何ら不思議はないと。

この沖縄二紙の異常加熱振りには、沖縄の知識人には珍しく某大学の某教授が自分のブログで嘆いておられるのを見てわが意を得た。

焦っているのだろうか?

「残虐な日本軍」のイメージは沖縄タイムスと琉球新報だけかと思ったら、

何と八重山商工の故郷石垣島の「八重山毎日新聞」も「残虐な日本軍」を声高に叫んでいた。

「集団自決訴訟」の控訴審を明後日に控え、左翼勢力の「場外乱闘」作戦や恐るべし。

「母殺され、暴行で失目した」日本軍の狂気を訴え 大城盛俊氏が講演  八重山毎日新聞 2008年6月22日

うつろな目の少女の写真

  23日の「慰霊の日」を前に、戦争の実相を正しく理解しようと世界平和の鐘の会沖縄県支部と石垣市は21日午後、市民会館中ホールで平和講演会を開いた。“うつろな目の少女”の写真で知られる旧玉城村出身の大城盛俊さん(76)=兵庫県伊丹市=が「沖縄で起きた戦争の話」のテーマで講演し、「県民は日本軍に協力したが、日本軍は県民を犠牲にした」と訴えた。

  写真に写っている大城さんは当時12歳。おかっぱの髪形になっているのは、育ての親から「日本軍に連れて行かれないよう女の子の格好をさせられた」からだという。
 日本兵に暴行を受けたのは米軍上陸後の1945年5月ごろ。当時、大城さんは伯父伯母とともに旧玉城村のガマにいた。大城さんが持っていた黒砂糖の入ったリュックサックの中身を問いただすやりとりで「生意気だ」と言われ、殴るけるの暴行を受けた。同年6月、大城さんは米兵に保護され、血まみれになったまま診療所で手当てを受けた際、写真に撮られたという。
 生みの母親は別のガマにいたが、大城さんを訪ねて戻るときにスパイと疑われ、日本兵がガマに投げ込んだ手りゅう弾で死んだ。大城さんは「私は日本軍の兵隊に暴行され、母親は兵隊が投げた手りゅう弾で殺された。このことは一生忘れない」と語気を強めた。
 講演前に八重山平和祈念館を訪れたという大城さんは戦争マラリア被害にも言及、「日本軍のために4000人近い人が命を失った。ほんとに悔しい」と冥福を祈った。

 大城さんはこう頭がんで声帯を失っているが、沖縄戦を全国に訴える会の会長として人工声帯を通して沖縄戦の実相を訴え続けている。講演は1000回以上。「アメリカ兵に助けられたが、暴行の後遺症で右目はまったくみえない。左目も0.03しかない。それでも、くじけずに一生懸命頑張ってきた。命があれば必ず未来は開ける」と語りかけた。

                                         ◇

「うつろな目」の主人公大城盛俊さん(76)=兵庫県伊丹市=は去年の8月にも琉球新報の招聘で沖縄を訪れており、そのときは琉球新報はこのような記事を書いた。

教科書の嘘許さず 大城さん、憤りで声震わせる (琉球新報)

その時、こんな「おいしい話」の持ち主の大城さんの講演会を、新報が一回も行わなかったことに違和感を感じた。

今回も那覇などの沖縄本島ではなく、石垣島で講演会が行われたのも不思議だ。

それに、大城さんは全国で講演会行脚を続けるいわば「講演会のプロ」とも言える方なのだが、

それが沖縄本島では講演を一度もしないままに、「県内の講演はこれが最後」(沖縄タイムス)と宣言するのも何か違和感を覚える。

 

昨年大城さんの証言を報じる琉球新報記事を読んだとき感じた違和感を過去にエントリーしている。⇒「うつろな目の少女」の秘密!

 うつろな少女の写真はここで見れます。
ニッポン人脈記/沖縄の「少女」 これは僕(02/01)

 

参考:「沖縄戦と平和をつたえる会」会長 大城 盛俊さん(72) (2003/08/16) http://www.kobe-np.co.jp/chiiki/rensai/0308hanshin/03.html

 

関連記事;

日本兵が暴行、右目失明 表紙の「少女...(2008.6.22) カメラ

 

【おまけ】

朝日新聞が白旗揚げた模様。⇒朝日新聞「死に神」報道:「素粒子」に抗議1800件 「風刺コラム難しい」

【おまけ・2】

問題の「素粒子」 6/18(水)

 永世名人 羽生新名人。勝利目前、
極限までの緊張と集中力からか、
駒を持つ手が震え出す凄み。
またの名、将棋の神様。
  × ×
 永世死刑執行人 鳩山法相。
「自信と責任」に胸を張り、
2カ月間隔でゴーサイン出して
新記録達成。またの名、死に神。
  × ×
 永世官製談合人 品川局長。
官僚の、税金による、
天下りのためのを繰り返して出世栄達。
またの名、国民軽侮の疫病神。


【おまけ・3】

朝日の悪意あふれる4コママンガ。



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死に神兄弟 山拓が白旗、安倍vs山拓バトルの結末

2008-06-22 07:24:03 | 県知事選

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「弟は死に神ではない」民主鳩山氏、死刑執行巡り法相を擁護  (22:02)

 民主党の鳩山由紀夫幹事長は21日、兵庫県加古川市で講演し、13人の死刑執行を命じた弟の鳩山邦夫法相を朝日新聞が「死に神」と表現したことに関し「弟は死に神ではない。わたしは『死に神の兄』と言われたくはない」と擁護した。>>続き

                                              ◇

弟が苛められるのを我慢できずに、助太刀を買って出たのか、と思いきや、 

この兄貴、自分が「死神の兄」と言われたくない、には笑ってしまった。

ことの発端は朝日の記事。

朝日「死に神」報道に法相激怒 「死刑執行された方に対する侮辱」

ぽっちゃり太目の鳩山法相を「死に神」といってもイメージがわかないが、

兄貴の方は体型といい、陰気くさい雰囲気といい、弟より「死に神」というキャッチフレーズが良く似合う。

弟の「メタボ死に神」より、兄貴の方に死に神イメージが飛び火するのを恐れたのか。

「死に神」といえば、やはり元祖・天本英世でしょう。

怪人天本英世亡き後の、現代の「死に神」といえば・・・うーん、難しいが、

やはり鳩山由紀夫でしょう(笑い)。

勿論、「死に神新聞」は朝日新聞。 

「地上の楽園」のウソ報道に何人の人が北朝鮮で死んだか。

その死者の数を数えれば「死に神鳩山兄弟」なんて可愛いもの。

                     ◆

朝日vs鳩山兄弟の「お笑いバトル」に先立つ、安倍vs山拓の「お笑いバトル」もまだ続いている模様。

バトルの発端は⇒山拓黙れ!安倍節炸裂 拉致問題で

これに対し、山拓が反撃に出た。

安倍氏発言は「名誉棄損」=撤回、謝罪要求-自民・山崎氏
時事通信 - 2008年6月19日
山崎氏はこの後、記者団に「(安倍氏の発言は)名誉棄損に相当する。取り消しと謝罪を求める」と述べ、撤回と謝罪要求した。 同日の総会では「首相経験者が何の根拠もないことを言うのは理解不能だ」「名誉棄損で告発すべきだ」など安倍氏に対する批判が相次いだ。

神経性胃腸炎で首相を辞めるような柔な男は、文書を送って脅してやれば驚いて縮みあがるとでも思ったのだろう。

 ところがどっこい、安倍氏はすっかり元気を回復しており、キツーイ一発で反撃し謝罪要求を一蹴した。

「山拓よ! 勉強しろ!」

山崎氏は学習を=安倍氏、謝罪要求を拒否( 時事通信 6月20日17時1分)

思わぬ安倍の反撃に、山拓、困ってしまった。

これ以上泥仕合を続けると「旧悪」をほじくりかえされるのは自分の方。

安倍氏のいう「利権」の他に得意の「エロ事」でも週刊誌に嗅ぎ疲れたらたまったものではない。

当初の強気はどこへやらで、早々と白旗を揚げてしまった。

<山崎氏>「足の引っ張り合いやめよう」と安倍氏に呼び掛け

<対北朝鮮外交を巡り、自民党内で強硬派の安倍晋三前首相と柔軟派の山崎拓前副総裁が互いを批判し合っている問題で、山崎氏は2日、「北朝鮮の核問題で重要な展開がある。もっと大きく国際情勢を見て日本の平和と安全を確保すべきで、足の引っ張り合いをやっている時ではない」と、安倍氏に自制を呼び掛けた。福岡市内で記者団に語った。>(毎日新聞 6月21日18時43分)

                     ◇

山拓よ、「足の引っ張り合い」で困るのはテメーの方だけだろう、

と思う方クリックお願いします。

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死者を冒涜する「プロパガンダ劇」 児童をを使った卑劣な行為

2008-06-21 08:00:55 | ★集団自決

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子育て中の母親ハイエナが、巣に近づく天敵ライオンの気配を察し、自ら巣を飛び出して陽動作戦をして我が子を救う。

このシーンをテレビのドキュメンタリー番組で見て感動した記憶がある。

その“見てくれ”の悪さから、人間には常に悪役を演じさせられているハイエナでも、勝ち目のないライオンの接近に、

身を挺して我が子を救う気持ちは、人間も野獣も変わりがないものと感心した。

だが、その時人間と動物との大きな違いは、尊厳死に対する理解ではないかと妙な事を考えた。

自分、あるいは自分の愛する人が人間としての尊厳を失うような死の危機に瀕したら、人間はしばしば自らの命、あるいは愛する人の命を絶つ行為を選ぶ。

尊厳死の問題は奥深いのでその是非にはここでは立ち入らない。

我が子を愛する気持ちでは人間に負けない動物も、尊厳死の理解は困難だろうと、その時は年甲斐もなく、にわか哲学者になってしまった。

さて、昨日の「集団自決劇」の話である。

沖縄タイムス20日付け夕刊に、次のようなくだりがある。

<・・・渡された手榴弾を使って家族が命を絶つ「集団自決」の緊迫した場面。「こんなに大きく育ててきたのに。上の命令で亡くすというのは生まない方がよかったのか…」と父親が話すシーンでは、会場は静まり返り、百人以上の観衆の児童、保護者らはただ静かに舞台を見つめた。

 

作者の宮城教諭は「上の命令で亡くすというのは生まない方がよかったのか…」というセリフが、犠牲者の死を冒涜していることに気が付いていないのか。

百歩譲って例え「上からの命令」があったとしても、犠牲者達は唯々諾々と命令だけの理由で我が子の命を奪ったというのだろうか。

集団自決の犠牲者達は、身を挺して我が子を守るハイエナにも劣るというのだろうか。

いや、そうではあるまい。

集団自決は、米兵の上陸を目前にして、我が子を、我が愛する家族を、人間としての尊厳を失うような死に方だけはさせたくない、と思った究極の選択ではなかったのか。

最も集団自決犠牲者を冒涜しているのは、子供たちを使ってこのような「プロパガンダ劇」を演じさせた左翼教師グループである。

劇の目的は「命の尊さを教える」というが、判断力の乏しい小学生に「上の命令で、子供を殺さねばならなかった」、

という間違った左翼プロパガンダを教えることが、

何で命の尊さの教育になるのか。

 

沖縄タイムス 2008年6月20日(金) 夕刊 1・7面  
 
平和願い史実追体験/志真志小で「集団自決」劇上演

志真志小学校で上演された「集団自決」を題材にした平和劇=20日午前、宜野湾市志真志

 宜野湾市立志真志小学校(喜納裕子校長)で二十日午前、沖縄戦の「集団自決(強制集団死)」をテーマにした平和劇が上演された。上演前には脚本内容の変更要求や練習の見学要請のほか、「児童に演じさせるのは洗脳だ」などと、上演中止を求める電子メールが十件以上学校側に寄せられたが混乱はなかった。児童二十二人や教諭らは、一カ月前から練習を重ねた成果を披露。軍命などで、家族に手をかけざるを得なかった「集団自決」の悲しい史実と、命の大切さや平和の尊さを、観衆に訴えた。

     ◇     ◇     ◇     
児童熱演 地域見守り/中止要求など逆境はねのけ


 上演の中止や脚本内容の変更などを求める要請や電子メールでの嫌がらせなどの逆境をはねのけ、平和劇上演にこぎ着けた志真志小児童と教諭ら。会場には多くの保護者や地域住民に加え、「集団自決(強制集団死)」などの戦争体験者も訪れ、児童らの熱演をじっと見つめた。喜納裕子校長は「劇を通じて子どもたちは命や平和の尊さに気付いてくれたと思う。無事に終えられたことを喜びたい」と話した。

 体育館に設置された特設ステージで上演された「ヒルサキツキミソウ」は、脚本を同校の宮城淳教諭、演出を県内外で活躍する演出家の幸喜良秀さんが担当した。物語は「集団自決」があったある島から、犠牲となった三人の子どもの霊が宿る石を、現代の女子児童が持ち帰り、学校内に隠したことから展開する。

 米軍の艦砲射撃が始まり、渡された手榴弾を使って家族が命を絶つ「集団自決」の緊迫した場面。「こんなに大きく育ててきたのに。上の命令で亡くすというのは生まない方がよかったのか…」と父親が話すシーンでは、会場は静まり返り、百人以上の観衆の児童、保護者らはただ静かに舞台を見つめた。体験者の女性はハンカチでそっと涙をぬぐっていた。

 孫の出演を楽しみにしていた平良ツエさん(84)=宜野湾市上原=は台湾で戦争を体験した。「今の子どもたちに戦争のことを知ってもらい、伝えることが大事。子どもたちが一生懸命に練習を重ねた演劇が、中傷されることは悲しいこと」と話した。

 幸喜さんは「劇を通して沖縄戦を追体験することは意義がある。不幸な歴史体験を風化させずにウチナーンチュの平和への願いを、学び、伝えていってほしい」と話した。

 出演した児童の代表は「たくさんの人が傷つき、亡くなった。戦争は怖いと思った。戦争のない平和な世界をつくりたい」と感想を述べた。

 宮城教諭は「多くの人に支えられて若い先生方も子どもたちも一緒になって頑張った。命の大切さを子どもたちは実感したと思う。これからも劇を続けていきたい」とほっとした様子で話した。上演中、印象に残った言葉をメモ帳につづっていた退職教員の女性(63)は「劇は過激でも何でもない。子どもの発達段階に合わせた内容で分かりやすかった。『生きていることは、とても強いこと』というせりふが最も印象に残った」と話した。


体験者・宮城さん激励


 会場には座間味島で「集団自決」を体験し、姉を失った元学校長の宮城恒彦さん(74)=豊見城市=も訪れ、子どもたちの演技を見守った。

 平和劇の上演に対し、脚本内容の変更や中傷メールが届いていることを報道で知り「居ても立ってもおれず、激励しようと思った」と話す。

 上演前には喜納裕子校長らを訪ね、自身や他の体験者の証言をまとめた本を贈った。宮城さんは「手榴弾を爆発させる場面では自分の体験を思い出し、胸が詰まり涙が出た。圧力に負けず戦争の恐ろしさ、命の尊さを学ぶ教育を続けていってほしい」と話した。 

                    ◇

 屈せず守った創作劇 非戦 児童ら「集団自決」熱演 2008年6月20日   琉球新報

「集団自決」を題材にした創作劇「ヒルサキツキミソウ」を演じる児童らと観客=20日午前、宜野湾市の志真志小学校

                     ◇

沖縄タイムス 2008年6月20日(金) 朝刊 27面  
 
「集団自決」劇に抗議/志真志小制作

中止など要求/校長応じずきょう上演
 宜野湾市立志真志小学校の児童や教諭らによる「集団自決(強制集団死)」をテーマにした平和劇について、「裁判で係争中の内容を上演するのはいかがなものか」「児童に演じさせるのは洗脳ではないか」などと、脚本内容の変更と練習の見学要請や上演中止を求める電子メール、電話が十件以上寄せられていることが十九日までに分かった。同校の喜納裕子校長は「劇はあくまで命の大切さを訴える内容であり、偏りはないと考えている。劇は予定通り上演する」と話している。
 (略) 学校側は、脚本の確認や見学の求めには応じなかったという。同校は事態を憂慮し、市教委や宜野湾署にも報告している。喜納校長はこれまでの取材に対し「さまざまな意見があるのは当然だが、偏りはない。激励も寄せられ、子どもたちも一生懸命練習している。命の尊さを知る素晴らしい劇になると思う」と話している。


関係者「卑劣な行為だ」

 「誹謗中傷に負けず、子どもたちや教職員、PTAが一体となって上演すると聞いた。大変素晴らしい」。大浜敏夫沖教組委員長は、学校関係者の姿勢を高く評価した。一方で、小学生が歴史を考える目的で行う劇にまで抗議する一部の言動を懸念。「沖縄戦の歪曲を狙う動きを、県民が一致して断固拒否することが大事」と指摘した。

 9・29教科書検定意見撤回県民大会実行委の玉寄哲永副委員長は「悲惨な史実を次世代へ伝えるため、多くの体験者が立ち上がった。思いを受け止めた小学生や学校を批判するのは、あまりに卑劣だ」と怒りをあらわに。「子どもたちが、おじいやおばあのことを考えて演じる劇は、卑劣な言動を吹き飛ばす感動的なものになる」と話した。

 十九日午後に同校を訪れ、練習を見学した伊波洋一宜野湾市長は「圧力には決して負けずに頑張ってほしい。歴史の重さを共有し、受け継いでほしい」と期待した。

                      ◇
   
報道によると、 喜納校長はこれまでの取材に対し

「さまざまな意見があるのは当然だが、偏りはない・・・」と話している。

関係者は抗議のメールなどに対し「卑劣な行為だ」といっているが、この関係者の名前を見ると、「卑劣発言」は笑止千万な話だ。

◆大浜敏夫沖教組委員長⇒「「誹謗中傷に負けず、子どもたちや教職員、PTAが一体となって上演すると聞いた。大変素晴らしい」。

「沖縄戦の歪曲を狙う動きを、県民が一致して断固拒否することが大事」。

◆9・29教科書検定意見撤回県民大会実行委の玉寄哲永副委員長⇒「子どもたちが、おじいやおばあのことを考えて演じる劇は、卑劣な言動を吹き飛ばす感動的なものになる」。

◆伊波洋一宜野湾市長⇒「圧力には決して負けずに頑張ってほしい」。

いやはや、この関係者達こそ、自分の意見に多少でも違う相手には、赤鉢巻で徒党を組み拳を突き上げて猛抗議」する常連さんではないか。

たかが10数件の抗議メールで、卑劣とか圧力とか言うほど柔な神経の持ち主ではないだろう。

命の尊さを教えると言いながら、最も死者を冒涜しているのは、

「茶番劇」を企画した左翼勢力である、と思う方、

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関連記事

新報6・20 屈せず守った創作劇 非戦 児童ら「集団自決」熱演

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コメント (4)

小学生を洗脳! 左翼教師が「集団自決」創作

2008-06-20 07:18:22 | ★集団自決

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「集団自決」創作劇に抗議メール届く

2008年6月19日 【宜野湾】慰霊の日に向け、20日に「集団自決」をテーマに児童が演じる創作劇を上演する宜野湾市立志真志小学校に抗議や中止を求めるメールや電話が十数件寄せられていることが18日までに分かった。メールの多くが県外からと記して「児童に演じさせるのは洗脳だ」「学校はプロパガンダの場ではない」などとしている。
 喜納裕子校長は「さまざまな意見があるのは当然だが、劇はあくまでも命の大切さを訴えるもの。内容も偏っていないと判断しており、予定通り上演する」と話している。
 創作劇「ヒルサキツキミソウ」は脚本を同校の宮城淳教諭、演出を幸喜良秀氏が担当した。現代の子どもたちが「集団自決」の犠牲になった子どもの霊が宿った石を持ち帰ったことから戦争時にタイムスリップ。島の人々が追い詰められ、手榴弾(しゅりゅうだん)を渡されて家族が命を絶った悲惨な「集団自決」の実相を知るという内容になっている。
 上演が報じられると中止を求めるメールが10件あり、劇の台本の内容確認や練習見学などを求めて来校した人もいた。同校では念のため宜野湾署にも対応を求めた。喜納校長は「メールなどには圧力を感じたが、PTAや地域から反対の声は全くない。子どもたちも一生懸命練習しており、素晴らしいものになると考えている」と話している。(島洋子)

                      ◇

集団自決訴訟の控訴審を4日後に控え、タイムス、新報が被告側の援護射撃の特集記事で連日の紙面はまさに場外乱闘の様相を呈している。

座間味、渡嘉敷両島の戦隊長の「軍命の有無」という裁判のポイントとは関係なくとも、とにかく「残虐非道の日本軍」を印象付ける証言なら何でもド派手な見出しで報じている。  

両紙から受ける印象は、当時の沖縄派遣の日本軍は全国から選りすぐりの「狂気の殺人鬼集団」だったような気にさせられる。

平和な時代の日本でも秋葉原の大量殺人鬼の事件が未だ記憶に新しいが、

小説の中の「狂気の大量殺人鬼」で映画化された作品で印象に残るのが次の二場面である。 

横溝正史原作の「八墓村」で気が狂った山崎努扮する旧家の当主が、頭部に蝋燭(懐中電灯?)を縛りつけ銃と日本刀で村人を大量虐殺する、凄惨なシーン。

もう一つ、森村誠一原作の「野生の証明で」高倉健扮する自衛隊秘密部隊の隊員が山中で訓練中迷い込んだ村で遭遇する、狂ったオヤジ(実は、薬師丸ひろこの父)斧で村中の人々を皆殺しにする場面。

特に山崎努の「狂った殺人気」の怪演には鬼気迫るものがあり、「タタリじゃマン」という言葉が流行ったくらいだ。

今朝の朝刊を見ても「場外乱闘記事」満載で、とても一人で細々書いているささやかな当日記では対応できない有様だ。

さて、引用記事だが。

>喜納裕子校長は「さまざまな意見があるのは当然だが、劇はあくまでも命の大切さを訴えるもの。内容も偏っていないと判断しており、予定通り上演する」と話している。

この校長先生、内容は偏っていないというが、一ヶ月前の記事が曽野内容の偏向ぶりを報道しているのに気がつかなかったとは言わせない。

2008年5月21日(水)の沖縄タイムス記事は、この劇のあからさまな偏向振りを次のように伝ている。 
 
「集団自決」で創作劇/志真志小で来月上演

 <宜野湾市立志真志小学校(喜納裕子校長)で、慰霊の日(六月二十三日)に向けた特設授業で上演する創作劇「ヒルサキツキミソウ」の準備が進められている。沖縄戦の「集団自決(強制集団死)」をテーマにした物語で、日本軍の命令で、家族に手をかけざるを得なかった史実を、児童や教諭らが演じる。上演は六月二十日午前十時から同校体育館で。(平良吉弥)>
 
米軍の艦砲射撃が始まり、日本軍から手りゅう弾が渡され、軍命で家族が命を絶つ直前の場面などを子どもやその両親の霊を通し、現代の子どもたちが「集団自決」の実相に触れる。

<二十日に志真志小で行われた初げいこで宮城教諭は「集団自決」で首にけがを負った幼い少女の写真や沖縄戦の「集団自決」で亡くなったとみられる住民たちの写真を児童に示しながら、当時の状況を説明。「『集団自決』で一家全滅のケースもある。亡くなった人の気持ちになり、一生懸命練習しみんなに伝えましょう」と訴えた。>

<六年生の平良佳大君(12)は「曾祖母が八歳の時に竹やりで訓練したり、一生懸命走って逃げた話を聞いた。命令さえなければたくさんの人が亡くならなかったと思う」と話した。>

高校の歴史教科書検定でも問題になり、現在係争中の「軍の命令の有無」という微妙な問題をを、

まだ判断力の乏しい小学生に「命令さえなければたくさんの人が亡くならなかったと思う」と言わしめることが偏向教育でなくてなんであろう。

 

脚本を書いた宮城教諭はただの教師ではなく、かつて沖教組の幹部も努めたバリバリの左翼教師で、自分の学校の生徒だけでなく阿多の教師も洗脳する活動家でもある。 

沖縄戦継承に平和劇を 宮城教諭が提起 カメラ2008年5月27日

宮城淳教諭の平和劇の実践を聞く現場教諭=沖縄市の中頭教育会館

 戦後63年がたち、沖縄戦をどう伝えていくかが課題となる中、沖教組中頭支部は22日、沖縄市の中頭教育会館で平和劇実践講座を開き、約20人の現場教諭が参加した。平和劇の脚本を十数作執筆し、約20年小学校での平和劇に取り組んできた講師の宜野湾市立志真志小学校の宮城淳教諭(55)は、平和劇の面白さや実践する際の校内の雰囲気づくりについて説明。「机の上だけでは伝えられない心が平和劇で伝わる」と述べた。
 宮城教諭は、平和劇を作り始めた理由として「20数年前、先輩教師が元ひめゆり学徒隊だったと知り、衝撃を受けると同時に戦争が身近になった」と説明。同僚から聞いた話などを基に平和劇「ガマの中で」を制作した。その後も全校児童で劇に参加する「対馬丸」、朗読劇「すうまんぼうすう」、基地問題に焦点を当てた「ゆっかぬひい」などを制作し、児童と教諭で平和劇を実践したと話した。
 宮城教諭は今年、構想3年の新作平和劇「ヒルサキツキミソウ」を完成させた。沖縄戦の「集団自決」で亡くなった家族の話と現代のいじめやドメスティックバイオレンス(DV)の問題を絡めた構成になっている。当初、軍命を強調したつくりとなっていたが「普通に暮らしていた家族が『集団自決』を選択したことを淡々と描いた方が、児童たちも考えさせられるのではないか」と、脚本を手直しした。
 宮城教諭は「児童たちが平和劇を演じる姿を見て涙する体験者もいた。それを見て児童はふざけることなく真剣に演じた。このような(戦争体験の)伝え方があると実感した」と話した。また「準備が大変そうだとためらうかもしれないが、どの先生も平和劇を実践してみたいと考えていると思う」と述べ、一人に負担がかからないよう教諭同士の役割分担を勧めた。
 参加した宮里中学校の根間秀雄教諭(44)は「大変勉強になった。これまで慰霊の日に向けての取り組みとしてパネル展などを実施してきたが、振り返りができていない。各校の実践や雰囲気づくりを少しでも反映させたい」と話した。

                      ◇ 

宮城教諭の左翼活動は教育界にとどまらず、県内の左翼集会や「週刊金曜日」の投稿にまで及んでいるので、その活動力や恐るべしデある。

◆宮城淳先生が活躍する左翼集会
http://www.space-yui.com/oshirase/oshirase.cgi

 ◆「週刊金曜日」の投書欄http://www.kinyobi.co.jp/pages/vol537/mokuji⇒辺野古の海を壊さないで(宮城淳)

宮城教諭は更に新聞の「論壇」にも登場し、県民の洗脳活動に余念のない左翼教師でもある。

朝日歌壇鑑賞会【今週の作品】さんが宮城淳教諭の活躍ぶりを去年エントリーのブログで紹介している。

以下は同ブログの引用です。

                      ◆

2007年10月27日

教科書検定ネタ!~琉球歌壇@沖縄~

 沖縄離島より、臨時更新します。

 今日はちょうど琉球新報の「琉球歌壇」(屋部公子選)の連載日でした。例の教科書検定ネタの作品がありましたのでご紹介します。

● 文科省へ抗う声の響きゆくサシバ舞い来る平和な空へ
  (糸満市 與世田典代)

 集団で圧力かけて教科書の記載内容を変えさせよう! とのこと。教科書は政治的勢力が集団で押しかければどんな内容にも変えられるんですね。検定制度などどこ吹く風です。

● 沖縄戦の教科書教科書改ざん許すまじ御霊(みたま)も叫ばん嘘は言うなと
  (那覇市 當眞秋子)

 そうですよ、御霊も叫んでいるでしょうよ。嘘は言うなって。2万人未満しかいないのに11万人だったなんて嘘言っちゃいけませんよねえ。もうとっくに論破されてるのに。


宮城淳 ついでに沖縄タイムスも一読。今日の朝刊では、「わたしの主張あなたの意見」という読者投稿のページにある「論壇」に、「沖縄の証言を全国紙に~日本人の良心に訴えよう」と題した「宮城淳(那覇市・教員・54歳)」なる人物の投稿論文が載っていました。
(10/30、←写真をUPしました)

 一部内容を抜粋します。
 ・・・十一万六千人という数は、政府首脳も言うように過去に例がない。県民大会の様子を見てからと言っていた政府は慌てて対応に動き出し、沖縄県民の思いが伝わったのかと思った。しかし、ふたを開けてみると「教科書会社から申請があれば修正を認める」という、実に不誠実な対応である。

 十一万六千人であれば、確かに過去に例がないでしょう。でも実際には2万人に満たなかったのです。この程度の集会であれば、本土はもちろん沖縄でも(?)「過去に例」はいくらでもありますwww。よくあるサヨクや労組の動員集会と大差ありません。
 いまだに「主催者発表」との注意書きもなく誇大な数値を使い続けるこの沖縄サヨク・・・おっと、自分らが「主催者」だから、わざわざ「主催者発表」をつける必要がなかったのですかね。失礼いたしました。

・・・残念ながらヤマトのマスコミはこの問題に熱心とは思えない。カンパを集め、沖縄の証言を全国紙に掲載してはどうだろう。教科書の書き換えが確実に行われ、間違った歴史認識がただされるまで、毎年掲載を繰り返すのだ。心ある社会科教師はきっと資料として使うはずだ。日本人の良心に訴えよう。

 うわ~大変だ。教科書に載せられないなら意見広告を出して、それを全国のサヨク教師に教材として使わせるのだと。
 心ある日本人の皆さん、偏った歴史教育が行われないよう監視を強めましょう。

(参考)日教組と家庭崩壊が学業不振を招いている(草莽崛起 PRIDE OF JAPAN)
 先の全国学力テストにより、教師が政治運動ばかりやって、生徒の学業がおざなりにされている沖縄のような地域の学力が低いことが顕著に示されました。この投稿者「宮城淳」も、あの悪名高き「沖教組」のバリバリの活動家のようですね。少しは反省してほしいものです。

おすすめ。
マンガ日狂組の教室 (晋遊舎ムック)

引用終了          ◆

 

政治的判断に白紙状態である子供たちに、自分が信じる左翼思想を叩き込む行為。
 
これでは、彼らが常日頃声高に叫ぶ子供の人権も何もあったものではないか。
 
沖縄県は全国学力テストで、全国最下位のありがたくない立場にある。
 
喜納裕子校長よ、このクダラナイ「茶番劇」を生徒に演じさせて、「偏向はない」と言い切るあなたの目は節穴ですか。
 
このような思想教育をする暇があるなら、もっと主要科目の教育に力を注ぐべきだと思うのが県民の意見だと思うのだが。 
   

                      ◇
演劇は本日強行とのことですが、今からでも抗議をしたいと思う方、
抗議先はこちらです。

http://www.ginowan-okn.ed.jp/~hpshimashi-e/
宜野湾市立志真志小学校
〒901-2211 沖縄県 宜野湾市宜野湾3-5-1
TEL 098-892-1502 FAX 098-892-1504
shimashi-e@ginowan-okn.ed.jp

http://www.ginowan-okn.ed.jp/
宜野湾市教育委員会 e-mail:kenkyujo@ginowan-okn.ed.jp
〒901-2203 沖縄県宜野湾市野嵩730 TEL. 098-892-8283 FAX. 098-892-0116
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山拓黙れ!安倍節炸裂 拉致問題で

2008-06-19 08:03:44 | 拉致問題

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 安倍氏「経済制裁見直し論、百害あって一利なし」

6月18日20時36分配信 産経新聞


 自民党の安倍晋三前首相は18日、都内のホテルで講演し、超党派の「日朝国交正常化推進議員連盟」(会長・山崎拓元自民党副総裁)が北朝鮮への制裁解除と対話路線への転換を主張していることについて、「国会議員が、交渉を行っている政府よりも甘いことを言ってしまったのでは、政府の外交交渉能力を大きく損なう。百害あって一利なしだ」と述べた。
 また、山崎氏が安倍氏の発言を「幼稚な考え」と述べたことに対しては「(山崎氏は)日本語能力がないのではないか」とこき下ろした上で「百害あって利権ありと言いたくなる。国会議員は国益を考えて行動すべきだ」と強く批判した。
 日朝実務者協議で北朝鮮が日本人拉致問題の再調査を表明したことに関しては「北朝鮮には何度もだまされてきた。今回はそうならないよう気を引き締めて対応する必要がある」と警鐘を鳴らすとともに、米国による北朝鮮のテロ支援国家指定解除に向けた動きついて「拉致問題に取り組むためのテコを失うことになる」と牽制(けんせい)した。
 自民党の中川昭一元政調会長も同日の講演で実務者協議について「前進でも何でもない。実際に物事が動かないと、まただまされることになりかねない」と語った。
 
                                             ◇
 
しばらくマスコミの露出を見なかった安倍前首相だが、元気で頑張っているようだ。
 
拉致問題というとゴソゴソ動き出す山拓対して、キツーイ一発をかまして前首相の存在感を示してくれた。
 
安倍氏の批判はこのことを指してのことだと思うなだが。
核、拉致の年内同時解決を 自民山崎氏  
 
対北制裁解除に与野党から批判 日朝国交回復議連は「高く評価」
 
「百害あって一利なし」とは良くぞ言ってくれた。
 
それどころか、山拓の反撃に、
 
「百害あって利権あり」と、追い討ちをかけた。
 
「百害」の中には、「老害」も、「利権害」も含まれていることも周知させてくれたが、これ以上山拓が騒いだら、
 
「百害」の中には「エロ害」も含まれるといってやればよい。
 
安倍氏はすっかり元気を回復したようで、こんなこともしているようだ。
                                                                       

 安倍前首相、世界ウイグル会議副総裁と会談 

安倍前首相、ニッポン放送で人生相談…10代の悩み回答 

                       ◇

慰霊の日(23日)と「集団自決訴訟控訴審」(25日)を目前に控えて、沖縄二紙は連日、「残虐非道な日本軍」を糾弾するキャンペーン満載の特集企画を組んでいるが、福田首相が慰霊の日に参加することが決まった。⇒福田首相:23日の沖縄全戦没者追悼式...(2008.6.18)

 

まさか、去年の安倍首相の時のように、恥さらし反対運動が起きなければ良いが・・・。

                      ◇

首相来県反対集会 2007/06/22 12:39

「安倍首相来県反対!抗議集会」が正午すぎ、県民ひろばで開かれました。



主張は自由だと思いますが…



表現方法に節度を保ってほしいと思いました。

今夜も、さ~ふ~ふ~より引用)

 

                     ◇

安倍首相ほど沖縄で人気のなかった(沖縄のマスコミに)首相を知らない。 飲み仲間の友人達に聞いても、評判が悪い。 訳を尋ねると、「憲法を改悪し、日本を戦争に駆り立てるようなことをした」と、沖縄紙の見出しにでも出てきそうな漠然とした答えが返ってきた。 

この友人たちはほとんどが高等教育を受けており、自分では、プロ市民でも左翼でもない中庸な考えだと自認する連中だから、

沖縄二紙の影響力や恐るべし。

 

安倍首相は、小泉元首相のような断定的な活舌もパフォーマンスもなかったが、わずか1年足らずの在任中に、国の将来を見越した重要案件を着々と実行していった。

ざっと思いつくだけでも、

教育基本法 、防衛庁設置法等改正(防衛庁・省昇格法) 
日本国憲法の改正手続に関する法律(国民投票法)
学校教育法改正、教育職員免許法及び教育公務員法改正、
地方教育行政の組織及び運営に関する法律改正(教育改革関連三法) 等々・・・。


そしてついに、2007年6月30日成立の 国家公務員法改正(公務員制度改革関連法)で虎の尾を踏んでしまったのだ。

GHQも手をつけなかった日本の官僚制度に切り込んだ安倍首相は、官僚と手を組んだマスコミによって首相の座を引きずり下ろされる結果となった。

安倍内閣当時、あれほど騒いだ閣僚の「身体検査」も、福田首相になってからマスコミは話題にさえしない。

では、安倍内閣の閣僚は揃って素行不良で、福田内閣の閣僚は全員品行方正だというのか。

いやいや、そうではあるまい。

どうでも良いような閣僚のキズを官僚がマスコミにチクリ、見返りにマスコミが倒閣記事を書く。 これに便乗して安倍批判をしたのが野党だったといえば分かりは早い。

そう、安倍首相が最も力をいれた、「戦後レジームからの脱却」。

これに最も危機感を感じたのが、「戦後民主主義」に洗脳された官僚の中枢部であり、

朝日を中心にした左翼マスコミであり、大部分の野党であったのだ。

「戦後レジーム」がマスコミを中心に最も根深く息づいているのが沖縄であり、その意味で安倍首相の人気が沖縄ではなかったということになる。

大きなくくりで言えば、係争中の「集団自決訴訟」も「戦後レジームの脱却」への戦いでもある。

 

関連エントリー:

品格の無い記事

虎の尾を踏んだ若獅子・安倍 /暴走族取締りは憲法違反?

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崩れた一枚岩 教科書審議会の透明化で

2008-06-18 08:10:05 | 教科書

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昨年来、沖縄を揺るがしている教科書問題が集団自決問題と表裏一体をなしていることは周知の事実。

歴史教科書の集団自決に関する記述問題が「9・29 “11万人”集会」にまで発展して政府当局に大きな圧力となったことは記憶に新しい。

「集団自決」教科書検定検定透明化 教科書協が非公開要請
2008年6月17日
 
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-133206-storytopic-62.html

【東京】教科書検定手続きの透明化を検討している教科書検定審議会の作業部会は16日、原則非公開としている検定審議の在り方について、関係4団体から意見聴取した。教科書会社でつくる教科書協会は「審議過程での公開は避け、検定決定後に行われるべきだ」とし、現状通り非公開で審議し、決定後に議事録を公開するよう求めた。さらに「執筆者を含め、検定にかかわるものは守秘義務を果たすべきだ」とし、従来の検定審委員や教科書会社だけでなく執筆者にも守秘義務を課すことを求めた。同内容を文書でも提出した。
 教科書協会が審議の非公開や執筆者への守秘義務を求めたことに対し
、執筆者や県内の市民団体からは透明化に逆行し、審議の密室性を高めると反発の声が広がっている。
 作業部会は7月3、4の両日、聴取した意見に基づき、
審議の透明化などの課題について対応策をまとめる作業に入る。
 非公開や守秘義務を求める理由について、教科書協会は
「平穏な環境を保持し、予断や憶測などの流布を防止し、公正中立な審議が確保されなければならない」と指摘。検定終了後の議事録公開で「透明性の一層の向上を図る」と説明している。
 教科書協会によると、今回の意見は加盟44社中、27社の担当でつくる検定専門委員(29人)の正副委員長5人で素案を作成。協会の正副会長らの了承を得てまとめたが、委員会自体は開かず広く意見は聴取しなかった。素案作成者には高校日本史教科書を発行している3人を含む。
 教科書検定審については渡海紀三朗文部科学相が2月の閣議後会見で「教科書検定制度の透明性の向上や専門的見地からの検定の在り方を議論してもらいたい」と述べ、改善策を検討する意向を示していた

                     ◇

「“11万人”集会」を主導した勢力は、係争中の集団自決訴訟の被告側支援団体であり、一枚岩の団結を誇っていた。

教科書問題では、教科書検定審議会の密室性が指摘され、議論を公開することによる透明化を「被告側=教科書業界」は文科省に訴えていたはずだ。

繰り返し上京して要請行動に出る「被告側」に文科省が根負けしたのか、公開を前提に透明化を検討し始めた。

ところが、一番喜ぶはずだった教科書協会が「審議過程での公開は避け、検定決定後に行われるべきだ」とおかしなことを言い出した。


 

教科書の執筆者は左翼と組んで騒ぎを起こし、新聞等に頻繁に露出してその名を売れば、

高嶋某教授のように高校教師から、一夜にして、どこかの大学が拾ってくれる例が多い。

今回の教科書騒動でも沖縄の某大学からお声がかかっている執筆者もいると聞く。

また沖縄の某J史研究家も、某国立大学に沖縄戦史の博士論文を提出中と聞く。

沖縄で「識者」として出世するには、まず「沖縄タイムス史観」で理論武装するのが先決というのだから、いやはや困ったものだ。

 

当然、沖縄県内各団体と教科書執筆者は一枚岩で、揃って教科書協会の「裏切り行為」には不満を漏らしている。

集団自決訴訟の控訴審を一週間後に控え、一枚岩を誇った「被告支援団体=教科書業界」に分裂の兆しが見え始めたのか。

そして、これは、沖縄側と本土側(教科書協会)との分裂なのか。

ちなみに、今朝の琉球新報・社説はこの問題で、あくまでも県内各団体・執筆者の「審議会を公開により透明化すべし」の立場を取り、

教科書協会側の「従来どおり非公開で、検定後公開」という主張を批判している。

社説:
<教科書検定> 審議公開で透明化促進を

教科書協会が主張する「平穏な環境を保持し、予断や憶測などの流布を防止し、公正中立な審議が確保されなければならない」

とする指摘に対して、

琉球新報は「果たしてどれだけの県民・国民がその説明に納得できるであろうか」と手厳しく批判している。

それにしても、あれほど審議会の透明化を求めていた教科書業界の一角が「逆行」をし始めた理由は一体何なのか。

公開で専門家が討論するのに何の不都合があるのか。

昨年の3月、教科書検定意見で、集団自決に関して「軍の命令や強制があった」とする記述は出来ないとの報道があった時、

「教科書関係者は皆この事実を知っていたので、今回の検定意見は“渡りに舟”だろう」と語ったある学者のコメントを想いだす。

 

【追記】琉球新報・社説

「集団自決」教科書検定検定透明化 教科書協が非公開要請
2008年6月17日

教科書検定 審議公開で透明化促進を2008年6月18日 教科書の中身を、密室で協議する理由が分からない。しかも、渡海紀三朗文部科学相が「透明性の向上」を打ち出したのに、教科書協会が16日に出した検討結果は、教科書検定審議の「非公開」である。国民の要請や流れに逆行している。
 沖縄戦での「集団自決」をめぐる高校歴史教科書検定問題で、県民は辛酸をなめさせられた。
 渡嘉敷島での集団自決問題では、軍命の有無をめぐる裁判(岩波裁判)で、軍命の存在が認められた。
 それにもかかわらず、検定意見で削除された「軍命」の文言復活は、いまだあいまいなままだ。
 一度削除されたものを復活させるために、沖縄県民は11万人余(主催者発表)の総決起大会を開き、検定意見の撤回を求めた。
 それでも、文科省は頑として撤回に応じない。
 県民の怒りの大きさに、渡海文科相も応えたのであろう。教科書検定審議会を含む「教科書検定制度の透明性の向上や専門的見地からの検定の在り方を議論してもらいたい」と、改善策の検討を促していた。
 ところが、16日に行われた教科書検定審議会作業部会による関係4団体からの意見聴取に対し、教科書会社でつくる教科書協会は「審議過程での公開は避け、検定決定後に行われるべきだ」と、これまで通り審議会の非公開審議を求めている。
 それどころか「執筆者を含め、検定にかかわるものは守秘義務を果たすべきだ」として、検定審委員や教科書会社にとどまらず執筆者にも守秘義務を課すよう求めている。
 非公開や守秘義務を課す理由として教科書協会は「平穏な環境を保持し、予断や憶測などの流布を防止し、公正中立な審議が確保されなければならない」と説明している。
 果たしてどれだけの県民、国民がその説明に納得するであろうか。
 しかも、教科書協会は非公開、守秘義務という密室審議を求める重大な判断を、委員会も開かず、協会全体の意見聴取もなく、ごく限られたメンバーで行っている。
 教科書協会自体の閉鎖性、密室協議にも疑問を抱かざるをえない。
 次世代の教育の要となる教科書の中身である。広く審議を公開し、国民全体が納得のいく教科書を作り上げることが大事だ。
 密室審議は、政治の介入を許し、歴史の改ざんすら起こしかねないことは、今回の沖縄戦「集団自決」をめぐる検定問題で、すでにはっきりしている。
 光の届かない暗闇や建物の陰でいじめや犯罪は多発する。審議の国民への公開は、不正や改ざん防止の基本である。

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カミングアウトする加害者たち

2008-06-17 14:13:40 | ★集団自決

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集団自決の証言者で、本人や身内のものが「殺人者」だったことを実名を出して告白する人は、

金城重明氏の他には見当たらなかった。

だが、控訴審を一ヶ月後に控えた5月25日の沖縄タイムス記事で、宮城晴美氏は、自分の祖父が「人殺し」であったことを告白した。

どういう作戦の変化があったのか、

今朝の沖縄タイムスは一面トップで「義父が身内を殺した」事実を告白する証言が掲載された。

集団自決訴訟の控訴審を2週間後に控え、これが沖縄タイムスの被告側に対する本格的援護射撃なのか。

今朝の朝刊の一面トップに、その特集記事を持ってきた。

刻む  沖縄戦「集団自決」

このワッペン記事の第一回。

沖縄タイムスは「第一部 語りだす人々①」の最後を次のように結んで、この裁判に対する“当事者”としての並々ならぬ決意を表現している。

この国では沖縄戦や「集団自決」を美化する動きがある。 軍の強制を示す記述を削除させた文部科学省の検定意見は撤回されず、元戦隊長らが提訴した訴訟の控訴審が始まる。 沖縄戦をどう刻み、次代に継承するか、悲惨な体験を語り、伝え、動き出した人を追う。>

よく言われることではあるが、現在の感覚で過去を判断すると歴史を誤る。

平和な時代に生きる我々にとって、手榴弾という軍用品は、手にすることはおろか、見る機会さえなく一生を終える人がほとんどだろう。

集団自決が発生した当時は、米軍上陸を直前にした、戦時中でも最も緊迫した空気が流れていた時期である。

しかも島に駐屯していた軍人たちは島の民家に分宿しており、手榴弾などの軍備品は、現在よりはるか身近な存在だったはずだ。

しかも住民の中には防衛隊員として対米軍上陸に備えあらかじめ手榴弾の支給を受けていた。

そして、「戦後民主主義」の洗礼を受けて育った深見裁判長は、軍用品である手榴弾による自決を「深い軍の関与」とした。

沖縄タイムスなどの地元マスコミは、「軍用品⇒手榴弾⇒住民への支給⇒軍の関与⇒軍の強制」という公式で隊長命令を喧伝している。

だが、軍の命令で手榴弾が住民に配布されたという証言は全てが伝聞証言であり、推定の域を出た客観的証言は皆無である。

何よりも、手榴弾を入手出来た「幸運な人」は住民の一部であり、集団自決実行者のほとんどが農具やカミソリ、棍棒といった軍用品とは関係ないもので実行している。

座間味島の場合は、手榴弾で死んだ人は数人であり、それも他の人が誤って放り投げた手榴弾が、偶々傍に落ちての不幸な誤爆死だったという。(宮平秀幸さん談)

さらに「幸いにも」手榴弾を手に出来た人も、その使用方法が分からず不発だった例が多い。

手榴弾の支給が軍の正式な命令で行われていたとしたら、使用法も良く周知させずに貴重な軍備品を配布したことになり、当時の物資不足の状況から考えると「軍命説」は説得力に欠ける。

この辺で「集団自決=手榴弾=軍の強制」という公式を再検討してみる必要がある。

さて、タイムスの一面トップに戻るが、特集記事の見出しは次のようになっている。

幼子抱え「玉砕場」へ

夜道を義父らと7人で

手榴弾不発 死に方探す

「二度とあんなことは」

今回証言をしたのは渡嘉敷村の阿波連ビーチで売店を営む内原静子さん(82)。

当時19歳の静子さんは10ヶ月の長男を抱え、区長で地域のリーダーであった義父の家に住んでいた。

どのように命令が出たのかよく分からないが、身を寄せていた義父は区長で、地域のリーダーとして早く動き始めたようだ。 「渡嘉敷にいかないと大変」と義父に言われ、義母とその娘3人、静子さん母子の7人でよるの山道を急いだ。 「捕虜になったら強姦され、男もひどい目に遭わされ殺される」とずっと聞かされていた。 米軍に捕まるわけにはいかない。

今では玉砕場と呼ばれる場所で村長が「天皇陛下万歳」と叫び、あちこちで

手榴弾が爆発した。 が、静子さんたちが囲んだ義父の手榴弾は不発だった。 人々は切羽詰まり死に方を探した。  「信管を抜いてにおいをかいだり、なめてみたり。 どうしたらしねるかねって・・・」。 隣では、男性が家族の首を一人ずつ、ひもで絞め殺していた。 

義父は、いつの間にか立ち木を切った太い棒を、義母や娘たちに振り下ろしていた。 静子さんは待ちきれず「私も子供も、早く殺して・・・」と懇願。、義父の手が伸び、気を失った。 その後、義父はどうやって命を断ったか分からない。 

7人家族のうち、静子さん母子と末娘の三人が生き延びた。

「義父は、まだ幼い孫と末娘を強く打てなかったのだと思う」と静子さんは述懐する。

自分の妻や子を手にかけた義父は「どうやって命を断ったかはわからない」が、結局自分の命も断って果てた。

誤解を恐れず言わしてもらうと、ある意味で義父は「自決」に成功して幸いだったのだろう。

自分の肉親を手にかけていながら自分は生き残っていたら、

もっと悲惨な人生を過ごしたのかもしれない。

そう、自分の肉親はおろか他人の命にまで手にかけていながら、自分は生き残ってしまい、「軍の命令で仕方なかった」と言い続けている金城重明氏の心の内は理解できなくもない。

だが金城氏は当時未だ少年であり、静子さんの義父のような地域のリーダーではなかったから、いくらかは贖罪意識から救われる。

静子さんの義父のように区長として地域のリーダーであって、尚且つ生き残っていたら悲惨な人生だったことは予測できる。

だが、区長どころか村のリーダーたる村長として、住民を自決に導き、尚且つ本人が生き残っていたとしたらその罪の意識は常人の想像に絶するものがあっただろう。

静子さんの証言にも出てくる「天皇陛下万歳」を叫んで、

住民を自決に追い込んだ古波蔵村長は、幸か不幸か、生き残ってしまった。

戦後古波蔵から米田に改姓した村長こそ、最も「軍の命令」が必要だと思った人かもしれない。

そんな非人間的命令を発するには「鬼の赤松」の存在がどうしても必要だったのだ。

米田村長の証言には村のリーダーでありながら判断を誤った男の苦渋が滲んでいる。

渡嘉敷村長の証言 
                                                       米田(?歳・村長)
 集団自決

    私たちは、米軍が上陸すると恩納川原に向っていた。恩納川原には恰好な陰れ場所があった。また一つ山越せば頼みとする日本軍が陣どっていた。恩納川の下流は細く二手に分れていて、左右は絶壁である。
 ここからは、米軍は上っては来れまい。この谷間は全体が完全に死角になっていて、そこには十・十空襲後、村では、唯一の隠れ場所として小屋も二、三棟建ててあった。

 安里喜順巡査が恩納川原に来て、今着いたばかりの人たちに、赤松の命令で、村民は全員、直ちに、陣地の裏側の盆地に集合するようにと、いうことであった。盆地はかん木に覆われてはいたが、身を隠す所ではないはずだと思ったが、命令とあらばと、私は村民をせかせて、盆地へ行った。
  まさに、米軍は、西山陣地千メートルまで追っていた。赤松の命令は、村民を救う何か得策かも知らないと、私は心の底ではそう思っていた。

 上流へのぼって行くと、私たちは、そこで陣地から飛び出して来た防衛隊員と合流した。その時米軍はA高地を占領し、そこから機関銃を乱射して、私たちの行く手を拒んでいるようであった。

 上流へのぼると、渡嘉敷は全体が火の海となって見えた。ぞれでも艦砲や迫撃砲は執拗に撃ち込まれていた。盆地へ着くと、村民はわいわい騒いでいた。
 集団自決はその時始まった。防衛隊員の持って来た手榴弾があちこちで爆発していた。(略)

    私は防衛隊員から貰った手榴弾を持って、妻子、親戚を集め信管を抜いた。私の手榴弾はいっこうに発火しなかった。村長という立場の手まえ、立派に死んでみせようと、パカッと叩いては、ふところに入れるのですが、無駄にそれをくり返すだけで死にきれない。
  周囲では、発火して、そり返っている者や、わんわん泣いている者やら、ひょいと頭を上げて見ると、村民一人びとりがいたずらでもしているように、死を急いでいた。そして私は第三者のように、ヒステリックに、パカバカ手榴弾を発火させるために、叩いていた。

  その時、迫撃砲は私たちを狙っていた。私は死にきれない。親戚の者が盛んに私をせかしていた。私は全身に血と涙をあびていた。すぐうしろには、数個の死体がころがっていた。

  私は起き上って、一応このことを赤松に報告しようと陣地に向った。私について、死にきれない村民が、陣地になだれ込んでいた。それを、抜刀した将校が阻止していた。着剣した小銃の先っぼは騒いでいる村民に向けられ、発砲の音も聞こえた。白刃の将校は、作戦のじゃまだから陣地に来るな、と刀を振り上げていた。

  (略)  私自身、自殺出来ないことが大変苦痛であった。死ぬことが唯一の希望でもあったが、私は村長の職責をやっぱり意識していた。今に、日本軍が救いに来るから、それまで、頑張ろうと生き残った人たちを前に演説していた。

 (略)  私には、問題が残る。二、三〇名の防衛隊員がどうして一度に持ち場を離れて、盆地に村民と合流したか。集団脱走なのか。防衛隊員の持って来た手榴弾が、直接自決にむすびついているだけに、問題が残る。私自身手榴弾を、防衛隊員の手から渡されていた。

  この問題を残したから、死に場を失って、赤松隊と自決しそこなった村民とがこの島で、苦しい永い生活を続けることになった。

 赤松と私

 集団自決以後、赤松が私に対する態度はいよいよ露骨に、ヒステリー症状を表わしていた。私を呼びつけ、命令ということを云い、おもむろに腰から軍刀をはずし、テーブルの上に、右手で差し出すように立って、「我が国の軍隊は…」と軍人勅諭をひとくさり唱えて、今日只今から村民は牛馬豚のを禁止する、もし違反する者は、処刑すると云い放っていた。

                                                 (「沖縄県史10巻」から)

村長という村のリーダーの最高責任者でありながら判断を誤って、集団自決というとんでもない悲劇に村民を導き、しかも自分は生き残ってしまった。 

村長の責任感が強ければ強いほど、その反動としての贖罪意識は深く大きい。

その分だけ「鬼の赤松」の存在は必要であり、上記証言の最後の部分にも村長が求める「鬼の赤松」の片鱗が見え隠れする。

上記証言で、死に切れなかった村長が

今に、日本軍が救いに来るから、それまで、頑張ろうと生き残った人たちを前に演説していた

というくだりは村民に死を強制する残虐非道な日本軍とはどうしても重ならないし、

死に切れなかった村長や村民が軍基地に押しかけて「殺してくれ」と迫るくだりも、

軍は、圧倒的敵の艦砲射撃の前になす術を知らず、住民の集団自決にかまっておれる状況ではなかったことが伺える。

「軍隊は住民を守らない」は左翼の合言葉になっているが、彼らは守備隊の装備をしていない特攻隊でありとても守れる状態ではなかったのが真相だろう。

そのような状況では住民の行動は村のリーダーたちが自発的に決めていたのではないか。

米軍が座間味、渡嘉敷両島に殺到して猛攻撃を開始する約二ヶ月前の「沖縄新報」(昭和19年12月8日)に次のような記事がある。

けふ大詔奉戴日

軍民一如  叡慮に応え奉らん

一人十殺の闘魂

布かう滅敵待機の陣

戦時の新聞なので見出しと記事がやたらと勇ましいのは何処の新聞も同じだが、

沖縄新報の見出しによると、特に昭和19年の大詔奉戴日は10月10日の那覇大空襲の後だけに、

県庁、県食料営団、県農業会などの各団体が主催して沖縄各地で関連行事が行われた様子が報じられている。

ちなみに大詔奉戴日とは日米開戦の日に日本各地の行政機関を中心に行われた開戦記念日のことをいう。

真珠湾攻撃の翌月の1942年1月8日から、戦争の目的完遂を国民に浸透させるために、毎月8日が記念日とされた。

そして、同記事では「鬼畜米英」についても各界の体験者の談話を交えて、次のような大見出しを使っている。

米獣を衝く  暴戻と物量の敵を撃て

お題目で獣性偽装

野望達成で手段選ばぬ

昔も今も新聞が国民を扇動するのは同じこと。

新聞が舞い上がって県民を鼓舞しているのが分かる記事だが、慶良間島からも県庁で行われた「大詔奉戴日」式典には島のリーダーたちが参加している。

村長を始め村のリーダーたちはこの雰囲気に煽られて、島に帰った後数ヶ月で目前に迫った米軍上陸にパニックを起こし判断を誤ったのではないのか。

島のリーダーたちにとって、「鬼畜米英」の話は単なる新聞記事の見出しだけではなく、その数ヶ月まえの7月ににサイパン陥落の際、鬼畜米兵から逃れた多くの日本人が、崖から身を投げた「集団自決」があり、その大部分は慶良間出身の沖縄県人であったという。 

米軍の投勧告に従って投降した婦女子の悲劇を世界日報は次のように帰している。

<「虐待しない」という米軍の宣伝を信じて投降した婦女子が全員素っ裸にされてトラックで連行された。 老人子供は火の海に投げ込まれた。 発見された赤ん坊は両足から真っ二つに引き裂かれて火の中へ投げ込まれた、という目撃証言もある。 不運にも犠牲者の半数以上が沖縄出身者であり、しかも慶良間諸島(座間味、渡嘉敷)の多かったとされる。 米英はまさに『鬼畜』として受け止められていたのである。>(Sunday世界日報 2008年3月30日)

そう、座間味、渡嘉敷両島の集団自決は、島中を米艦隊に取り囲まれ逃げ場を失った住民に対し、「鬼畜米英」の恐怖を「体験者から」じかに聞いた島のリーダーが判断を誤って起こした悲劇であった。

そして、生き残った生存者は贖罪意識から「軍の命令」を必要とした。

後に、「援護法」の問題が起きると、更に「軍の命令」は島全体にとって必要かくべかざるもの担っていく。

そして、真相を語ることはいつしか島のタブーとなっていった。

 

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●「軍命」は究極の言い訳! 将校を追い返した分校長

2008-06-16 07:23:01 | ●●沖縄の黒歴史

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■住民も加害者だった■

沖縄タイムスを中心にした「軍命あり派」の主張が控訴審第一回の直前になって、当然路線変更をした。

「日本軍は加害者、住民は被害者」というこれまでの主張が一転して「住民の加害性の分析」が必要だと言い出したのだ。(宮城晴美氏⇒沖縄タイムス 2008年5月25日)

日本軍が加害者で、住民は全面的に被害者である、という神話が崩壊した瞬間である。

もう一つ当日記が疑問を呈してきたものの一つに

「日本軍と住民の力関係」がある。

戦時中である当時の社会情勢からいって軍が住民に対して、あるゆる面で圧倒的に優位な力関係にあっただろう、という事には当日記も異論は無い。

近く控訴審が開かれる「集団自決裁判」では軍の命令、或いは強制の有無が大きな争点だという事はいうまでもない。

だが、百歩譲って、仮に軍の命令があったとしても、それだけの理由で、愛する家族や親しい知人の命を奪うほど、圧倒的且拒否できないほどの優位性が日本軍にあったか、というと疑問が生じてくる。

 

■将校と分校長■

渡嘉敷島に隣接し、行政区域としては渡嘉敷村に属する前島の分校長比嘉義清氏と「鬼の赤松」が派遣した将校とのやり取りにが記録されている。

ここにも「自決を命令する」ほどの圧倒的な軍命の優位性を見る事は出来ない。

★前島⇒http://www.knt-oka.co.jp/sanpo/maejima.htm

『沖縄戦を考える』の著者大城将保(嶋 津与志)氏は同書の中で、日本軍がいた所では「集団自決」があった、という実例として次の例を挙げる。

だが、これは皮肉にも軍命がそれほど住民に対し圧倒的、且不可避的に優位ではなかったことの証明となっている。

前島にも赤松隊の将校がやってきて一個小隊の部隊を駐屯させるべく陣地づくりをはじめようとしたことがあった。 これに対し、島の指導者である分校長の比嘉義清氏が頑強に反対してとうとう部隊の駐屯を中止させた。 そのおかげで前島では渡嘉敷のような悲劇は起こらずに済んだ。≫(『沖縄戦を考える』(228-229頁)

自分の可愛い子供や愛する親兄弟を殺さねばならほど圧倒的で不可避的だったとされる軍の命令。

それを下したとされる「鬼の赤松」の命を受けているのなら、前島に駐屯すべく陣地作りに励む軍の行動に住民は逆らうことは出来ないと考えるのが自然だろう。

だが、上記引用文の通り、分校長の反対を受け、すごすご退散する渡嘉敷部隊の将校。

そこには愛する親族を殺さねばならぬほどの厳格な「軍の命令」など存在しなかったことが分かる。

何より親兄弟や他人の命を「軍命により」奪ったと主張し続ける金城重明氏は、「軍命」で親兄弟を殺傷した後、赤松部隊の陣地で薬の手当てなどをしてもらい数日間過ごしている。

「集団自決」が軍の命令だとしたら、生き延びた金城氏は「鬼の赤松」に、「軍命違反」として処刑されていたはずだ。

破綻してしまった「軍命派」の屁理屈を必死で支持した深見裁判長の論理判断力を改めて疑ってしまう。

これまで、住民に対する「軍の命令」は避けることの出来ない絶対的なものとされ、例え親兄弟といえども殺傷せねばならぬほど不可避なものと喧伝されてきた。

だが、ここに見る前島の比嘉義清分校長の例では駐屯地の構築という、軍としての最重要任務さえ住民によって拒否されているではないか。

 

■日本軍のいない濠の「集団自決」■

大城将保(嶋 津与志)氏が軍のいないところでは「集団自決」は起こらなかった例として、前島の「将校vs分校長」のエピソードを自著で紹介した。

だがこの例は図らずも、軍隊が住民に対して圧倒的な(自決を強制できるような)強制力は必ずしも持っていなかったことの証明になった。

■むしろ、軍隊はいた方が良かった■

「軍命あり派」の論者は、軍のいないところには「集団自決」はなかったと主張するが、軍隊のいない住民だけの濠で「集団自決」が起きた例に読谷村の「チビチリガマ」がある。

読谷村の年寄りに戦時中の話を聞くと、話がチビチリガマに及んでくると決まって口が重くなってくる。

親戚・縁者がチビチリガマの「集団自決」に拘わっていると、話すのが辛いという。

そしてこんな話も聞いた。

「チビチリガマの『集団自決』の生き残りにとって、むしろ軍隊はいてくれた方が良かった」。

軍がいなくては「軍の命令で止むを得なかった」という究極の言い訳を使えないからだという。

そして、援護法の話になると、こんな話も聞いた。

「戦前から目が悪かった子供も(軍による損傷として)援護金をもらっている」

■「軍命令」はあった方が八方丸く納まった■

この「軍命=究極の言い訳説」に対して、

家永裁判の証人になった『裁かれた沖縄戦』の編者安仁屋政昭は次のように註記している。

《「どうして、あの人が生きていて、自分の家族が死んでいったのだ」という疑問に対して生き残った人たちは島の戦争の状況を語ったのである。「自決命令が出た」という説明をしたからといって、復員兵たちは、少しも慰められはしなかった。むしろ、怒りを覚えたのである。「自決命令が出たのだというのであれば、少し慰められたのだ」という認識は曽野綾子氏の勝手な想像である。島の人たちは自己弁護のためにありもしない「自決命令」をデッチあげたと言わんばかりである。》

安仁屋氏はムキになって曽野氏に反論しているが、状況を冷静に判断すれば、安仁屋氏の反論よりも

曽野氏の「自決命令が出たのだというのであれば、少し慰められたのだ」という説の方が人間の心理として素直に理解できる。

「集団自決」の体験者たちが復員兵たちに家族の「集団自決」について語ることの辛さをこ考慮すれば、避けることの出来ない「軍の命令」が必要だった。

そう、我が子や肉親を手にかけてしまった生存者の「究極の言い訳」には、梅澤、赤松両隊長には気の毒だが、「軍の命令」が必要不可欠だったのだ。

「何故、あの人が生きていて、自分の家族が死んだのか」と戦後再会した親族に問い詰められたとき、生き残った人たちはにどのような弁解の言葉を見出しえたか。

親族に難詰された時、自決命令がなければ、「集団自決」の説明が付かない。

自決命令の有無を問題にするのなら、軍が自決命令を出したと責任を負わせて説明するのが最も説得力があったことは否めない。

 

 

銃を構える日本兵を、あごで指図する「参謀長」と異名を取る民間人・山城教頭の例は前に述べた。

煩をいとわずもう一度再現してみるとこうなる。

座間味島の語り部・宮城恒彦氏の著書『潮だまりの魚たち』の中に「教頭先生は参謀長」と題する次のようなくだりがある。

≪飲み水を求めて日本軍の参謀本部になっていた友人の家の水場に、証言者がそれとは知らず水を汲みに行ったときの様子を次のように記している。ー引用者≫

「誰だ!何しに来た」

突然、陰から怒鳴られました。 びっくりして、立ちすくんでいるトメの前に、1人の日本兵が銃剣を突きつけるようにして歩み寄って来ました。

「何の用で来たか」

「水を汲みに来ました」

「参謀長の許可がなければ駄目だ

「子供たちが飢えて、壕の中で水を待っているのです」

「駄目だ」

(略)

二人のやり取りの声を聞いてか、家の奥の方から軍服で身を固めた男の人が出てきました。

「何事だ!」

兵隊に声をかけながら近寄ってきました

「先生!」

トメはその人に飛びついていきました。 村の学校の教頭先生だったのです。

「なんだ、トメか、どうした」

「水を汲みにきたのです」

「必要な分はいくらでも持って行きなさい」

(略) 

入り口に銃を右手に支えて立っていた日本兵は、さっきとはうって変わって、トメが門を出る時、声をかけてくれました。 

「最後まで頑張ってください。 必ず友軍が助けにきますから

(『潮だまりの魚たち』宮城恒彦著)
  
■軍人より軍人らしい民間人■

軍服で身を固め、「参謀長」と日本兵にも呼ばれる民間人。

それまで村人に強圧的だった日本兵も、この人物の鶴の一声で人が変わったように態度を軟化させる。

そして、軍人以上に軍人らしく軍服で身をかためた民間人の正体は、教頭先生だった。

これまで考えられていた「軍国主義的・軍人VS怯える民間人」といった構図が崩れ去るような場面である。

「参謀長」と呼ばれた教頭先生は、銃剣を構えた日本兵より「権力」を持っていたのだ。

「参謀長」と呼ばれた民間人★座間味で何があったのか

日本兵が拒否した飲料水の採取も民間人の教頭が許可している。

「軍の命令で愛する親兄弟を殺した。そして軍命は避けようがなかった」・・・

という軍命説はここでも破綻している。

■曽野綾子氏を評価していた大城将保氏■

あるときは沖縄戦史研究家、またあるときは沖縄戦をテーマを主題にする作家(嶋 津予志)という二束の草鞋を履く大城将保氏は、現在では「軍命あり派」に属している。

だが曽野綾子著『ある神話の背景』が出版された当時は、曽野氏の労作に対して、今では考えられないような評価を与えていた。

この大城将保氏という、沖縄戦史研究家、

二つの顔を使い分けるので非常に分かり難い。

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