◆報道規制と市場独占狙い 中国、外国通信社電を制限
【北京11日共同】中国国営通信の新華社が11日までに、外国通信社による中国国内での記事配信を規制する管理規則を公布した。
中国国内での情報通信市場の独占化を図るとともに、国内メディアに対しては外国通信社の記事使用を新華社配信分に限ることで、報道規制を強める狙いがある。
規則は22条からなり、国内における記事配信では新華社が優先権を持つとして、新華社の許可なしに外国通信社が中国国内で情報発信することを禁じている。
また、許可を得て配信した場合でも(1)中国の統一を損なう(2)国家の名誉を傷付ける(3)中国経済を混乱させる-ような記事を禁止、新華社に取捨選択権があるとした。外国通信社の一部報道に対する「検閲」を正式に規定したといえる。(北海道新聞 2006/09/11 18:15 )
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今年の1月のこと。
あまり話題にはならなかったが次のような報道がなされた。
■2006年01月10日 日本経済新聞
中国、日本に「報道規制」を要求・マイナス面の報道多い :
中国外務省の崔天凱アジア局長は9日、北京での日中政府間協議で「日本のマスコミは中国のマイナス面ばかり書いている。
日本政府はもっとマスコミを指導すべきだ」と述べ、日本側に中国報道についての規制を強く求めた。
メディアを政府の監督下に置き、報道の自由を厳しく規制している中国当局者の要求に対し、日本外務省の佐々江賢一郎アジア大洋州局長らは「そんなことは無理」と説明したという。
日本側によると、崔局長はまた、小泉純一郎首相の靖国神社参拝問題や日本国内での「中国脅威論」の高まりなども挙げ「(日中間にあるのは)日本が起こした問題ばかり。
中国は常に守りに回っている」と批判した。
佐々江局長は「日本だけが一方的に悪いという主張は受け入れられない」と反論したが、双方の隔たりの大きさに、日本の外務省幹部は「これが日中関係の置かれている実態」と苦笑した。
胡錦涛主席が小泉首相との会談を拒否しているので、非公式に北京で日中両政府の局長級協議が開かれた。
その席上で、日本国内の「中国脅威論」に「日本のメディアはなぜ中国のマイナス面ばかり報道するのか」といらだちを示したという。
更に「日本側も中国のようにメディアを指導してほしい」と報道規制まで求めてきた。
民主主義の国では「メディア指導」の事を「言論弾圧」と呼び「焚書坑儒」に例える。
思想・言論統制の過酷さは中国の伝統である。
かつて秦の始皇帝は書物を焼き、批判的な儒者を生き埋めにしたこれを世に「焚書坑儒」と言う。
この伝統は現代の共産党政権下の中国でも脈々と受け継がれ強化れている。
自国内でこの伝統を守るのは勝手だろう。
だが他国にもこの伝統を求めるとはさすがは歴史を重んじる国と畏れ入ってしまう。
最近の中国の他国に対する言論規制は目に余る。
中国は今月に入ってから先ず、国営新華社が、外国通信社が中国国内で記事を配信する場合、新華社の審査と許可を必要とするという管理規則を公布した。
完全な言論、メディア規制である。
更に15日には、中国の公安当局が3日間に、インターネット上の「有害な」ウェブサイトを320以上閉鎖した。
ネットを監視する「ネット警察」はいまや数万人を下らないと伝えられる。
ネット監視装置「金盾」プロジェクトも進行中という。
今更焚書坑儒のの国に、言論の自由の意味を説いても蛙の面に小便だろう。
中国の焚書坑儒のニュースは最近では枚挙に暇がないほどだ。
新聞・テレビからインターネットまで全ての情報を厳しく規制し、国民には共産党にとって都合の悪い情報は全てカットされ、都合の良い情報だけが伝達される現代中国。
そんな国と同じ価値観を日本に要求するという、あまりに馬鹿げた発言は、上記記事の外務省幹部ならずとも苦笑ではなく失笑してしまう。
◆「日中記者交換協定」ー日本メディアの媚中報道の原点
近現代の日中間の歴史を42年ほど前に巻き戻して見よう。
1964年4月19日、当時LT貿易を扱っていた高碕達之助事務所と廖承志事務所は、その会談において、日中双方の新聞記者交換と、貿易連絡所の相互設置に関する「日中記者交換協定」を取り交わした。
日中記者交換協定は、日中双方の記者を相互に常駐させる取り決めのことで、正式名を「日中双方の新聞記者交換に関するメモ」と言う。
内容は、
①中国を敵視しない。
②二つの中国を造る陰謀(=台湾独立)に加わらない。
③日中国交正常化を妨げない。
の三点を守れないマスコミは、中国から記者を追放するとしたもの。
これにより日本の新聞は中国に関して自由な報道が大きく規制されることになった。
当初、朝日新聞・毎日新聞・読売新聞・産経新聞・日経新聞・共同通信・西日本新聞・NHK・東京放送(TBS)の九社に北京への記者常駐が認められた。
だが「反中国的な報道をしない」という協定が含まれているために、国外追放される報道機関が相次いだ。
親中的な報道を続けた朝日新聞だけは追放されずに中国賛美の報道姿勢を現在まで持ち続けている。
また、これは本来新聞のみを対象としたものであったが、その後の新聞とテレビとの資本交換による系列化の強化で、事実上テレビに関しても適用されることになった。
結局この「日中記者交換協定」がその後の日本メディアの媚中報道姿勢の原点となった。
国内の問題ではやれ思想信条の自由だ、やれ言論の自由だと声高に叫ぶ日本のメディアも中国に対しては「恥さらしな協定」のトラウマが生きているのだろうか。
◆靖国の次は報道規制
「靖国問題」の次は「報道規制の要求」、中国の要求を聞いていたらこうなるのだという見本を見せてくれたことになる。
日本マスコミの中国報道は、一時期ほどの激しい偏りはなくなってきたものの、まだまだ甘いものがある。
だが「日中記者交換協定」という、自由主義国家の報道機関にとってはあってはならない協定が過去に結ばれていたのだ。
それ以後、マルクス史観に汚染された世論の風潮もあり、日本のマスコミは中国の悪行をまともに報道することができなかった。
しかし世論が偏ったマルクス史観の呪縛から少しずつ開放されてきたこと、そしてあまりに目に余る中国の政策などに関して、やっと日本でもまともな報道が少しずつ目にすることができるようになってきたのが、ここ数年である。
しかし中国はこれが気に入らない。
真実が報道されることで、問答無用で日本を外交上、下に押さえておくことができなくなってきた。
そこで、勢い余って自らの国家の圧制と同じ報道管制を思わず日本に要求してしまったのが前記、日本経済新聞記事の外務省幹部の苦笑に繋がる。
現代の国際社会では、言論の自由や思想の自由などの基本的人権を、政治体制維持の前に制限する、といった始皇帝の焚書坑儒的発想はもは通用しない。
焚書坑儒を強化すればするほど、共産中国の異常さに世界が注目する。
■産経抄
中国の江沢民主席が訪米した九〇年代半ば、行く先々で反中デモが絶えなかった。
デモ隊にはチベットからの亡命者もいたし、彼らを支援する俳優のリチャード・ギアもいた。
このとき、江主席は「彼らを排除すべきだ」と米政府にゲンメイした。
▼そこは米国、日本政府と違っていうことがしゃれている。
「ようこそ民主主義の国へ」。
ホワイトハウス報道官の言葉だ。
あとは何もいわない。
デモは憲法で保障された表現の自由なんてのは、いまさら野暮(やぼ)だ。官製とは違うデモの感触を十分に味わってお帰りください、ぐらいのニュアンスがいい。
▼さて、中国側が日中非公式局長級協議で、「メディアを指導すべし」と日本側に注文をつけた問題だ。小欄はこれにこだわっている。中国当局は日本のメディアが中国の脅威を論評することが気に入らない。
何故(なぜ)って本当だから。
日本企業が怖がって対中投資に腰が引けると困る。
日本側は「中国にも反省すべき点があるのでは」と真っ当だった。
▼そういえば、最近も中国当局による「指導」例がある。
中国社会の不正を暴いてきた新京報の編集幹部が、当局に更迭されたばかりなのだ。
自由メディアの国ではこれを「介入」や「弾圧」というが、中国では「指導」といい換える。
▼かつてハワイのフォーラムで、人民日報の論説委員が「すっかり読まれなくなった」と嘆いていた。
それは記事の信憑(しんぴょう)性に、読者が疑問を感じているからだ。
「産経記者は行間を読んでいる」といったら、渋い顔だった。
▼胡錦濤主席は四月中にも訪米する予定だという。
胡主席が江前主席のように、デモに見舞われないことを望む。
もしデモや新聞の批判に遭遇しても、「指導すべし」などの野暮はやめた方がいい。