狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

「平和など言ってるくせに火炎瓶」作・沖国大某教授、千葉日報

2024-03-31 06:31:11 | 政治

                  ★

沖縄国際大教授に賠償命令 川柳で学生名誉毀損、那覇地裁 

 

 

 沖縄国際大(沖縄県宜野湾市)4年の平田博之さん(34)が、大学の講義の際に男性教授が読み上げた川柳によって名誉を傷つけられたとして、教授と沖国大に220万円の損害賠償などを求めた訴訟の判決で、那覇地裁(井上直哉裁判長)は14日、名誉毀損を認め、33万円を支払うよう命じた。

 判決によると、平田さんは当時、沖国大の学生自治会会長で、反戦平和運動に取り組んでいたが、教授は2010年11月の講義で「平和とか 言ってくるくせに 火炎瓶」との内容を含む川柳を読み上げた。

 
 

 井上裁判長は判決理由で「平田さんが火炎瓶を使う過激派であるとの印象を与えた」と結論付けた。

                ★

極左活動家の安次富浩氏が名護市議会に立候補「軍事基地作らせない!」 

2018-01-26 05:48:12 | 未分類
 
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 名護市議補欠選挙に極左暴力男・山城博治被告のお友達である極左活動家・安次富浩氏が立候補するという。
 
2010年の名護市議では天皇陛下に火炎瓶を投げた川野純治氏が前歴を隠して当選している。

火炎瓶男が立候補!名護市会議員に 2014-09-02

2010年の名護市長選直後の産経新聞である。

皇太子ご夫妻“襲撃”元活動家が名護市市議に当選 辺野古に反米・反日グループ集結? 2010.10.9 産経新聞

 米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾(ぎのわん)市)の名護市辺野古への移設計画をめぐり、辺野古およびその周辺が、県外から集結する反米・反日活動グループの拠点になり、「闘争」がこれまで以上に過激になるのではという危機感が地元で広がっている。9月の名護市議選で、飛行場の受け入れ反対派が圧勝したことなどが理由だ。(宮本雅史)

 選挙は定数27人に対し、受け入れに反対する稲嶺進市長派が16人を占めた。

 名護市内の飲食店経営者は「反対を前面に打ち出した4、5人の候補者が労働組合などの支援で当選したため、反対活動が活発化するのは避けられない。特に川野純治さん(55)が当選したことが大きい。彼はPTAの活動を通して地元との関係を強くしていたが、経歴や現在の活動内容が不安材料だ」と話す。

 公安関係者によると川野氏は、天皇陛下が皇太子時代の昭和50年7月に沖縄県をご訪問された際に糸満市内で、ご夫妻の車列に、空き瓶やスパナ、鉄パイプの切れ端のような物を投げつけて“襲撃”した人物。公務執行妨害容疑で逮捕、懲役1年6月の実刑判決が確定した。

 当時の報道や関係者の証言によれば、川野氏は当時、「流血も辞さない戦いで皇太子上陸を阻止する」と宣言していた沖縄解放同盟準備会(沖解同)の活動家。事件について川野氏は平成9年6月、新聞社のインタビューで「天皇と沖縄戦の問題を考え、ふと現代に目を移すと、同一線上に巨大な米軍基地がありました」と振り返っていた。
活動家グループの機関紙やホームページなどをみると、川野氏は事件後も米軍基地反対運動を積極的に展開。9月の名護市議選では「移設反対を徹底する」と訴えていた。

 ある市議は「事件のことは投票日直前に一部市民の間で流れたが、ほとんどの市民は知らなかった」と指摘する。

 公安関係者は「市議という公の立場にあることで、川野氏の発言力も増す。全国から同志が集まり、反対運動が激化する可能性も高い」と警鐘を鳴らす。

 すでに辺野古では、反対運動に変化が出始めているという。ある自営業者(61)は「最近、県外から活動家らしい人物が集結しているようだ。反対運動を展開していた地元のオジーやオバーも反対運動から排除されつつあるという話を聞いた。県外から反対活動家が集まり、辺野古が反対運動の拠点になるのではないかと不安だ」と語る。

 基地問題などに積極的に反対姿勢を見せる地元の退職教職員会支部が最近、15年ぶりに復活したことに危機感を募らせる声もある。

 ある地元民は「全国から退職教職員が夫婦で名護に来て選挙活動を展開していた」と、名護が活動家の拠点になる可能性を危惧(きぐ)している。

         

     ◇

 
 
「平和など言ってるくせに火炎瓶」 作・沖国大某教授
 
この戯れ句を自ら実践している人物が現役の名護市会議員である川野純治氏。
 
今回も前歴を隠して名護市議に立候補するという。
 
こんな男が再選されるようでは名護市民の良識が疑われる。
 
2010年9月の名護市議選挙で当選した川野純治氏は、皇太子ご夫妻(現在の天皇皇后両陛下)に火炎瓶を投げつけ刑事処分された筋金入りの極左活動家である。
 
 

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 名護市議会議員の川野純治氏は「三里塚反対同盟」の左翼集会で次のように述べている。

  <全国から結集された仲間のみなさん。ご苦労様です。私、川野と申します。

 本日、この場にあらためて結集し、みなさんの熱い想いと、そして何よりも三里塚反対同盟の決意を、大きく私のエネルギーとすることができました。

 反対同盟46年に達する闘い、その闘いは国策との闘いであった。>

「46年に達する国策との戦い」、つまり国を敵としての戦いを自身のエネルギーにしてきた川野氏は「売国奴」であることを自ら認めたようなもの。

 

「軍事基地作らせない!」 活動家の安次富浩氏が沖縄・名護市議会補欠選挙に立候補を表明~ネットの反応「山城がらみか…過激派だな」「作らせないっても県知事でも停められないのに、市議が停められる訳ないじゃん」

投稿日:2018年1月25日

 

2月4日の名護市長選と同日に投開票される市議補欠選挙(欠員1)で、同市辺野古の新基地建設に対し抗議行動を続ける「ヘリ基地反対協議会」の安次富浩共同代表(71)が23日、市内で会見し立候補を表明した。
稲嶺進市長の市政与党の立場で立候補する。
安次富氏は「自然を壊してまで軍事基地は造らせない」と話した。

安次富氏は金武町出身、名護市中山区在住。

http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/199165

 

http://www.okinawatimes.co.jp/mwimgs/a/1/-/img_a1a1efe69354714184ace272f2672b4b70633.jpg

http://imgur.com/GI3inyv.jpg

 
 
管理人
ネットの反応
名無し
>「自然を壊してまで軍事基地は造らせない」
じつは軍事基地のほうが、自然は守られるんだよな。
周辺の海も立ち入り禁止になるからな。
名無し
中国に乗っとられてもいいの?
名無し
人民解放軍の基地は正義の基地だからok
名無し
悪そうな顔しとるな
名無し
ググるといろいろ出てくる

 

名無し
山城がらみか…過激派だな
名無し
投票したやつはマークされそう
名無し
作らせないっても県知事でも停められないのに、市議が停められる訳ないじゃん
匿名 より:
  1. >作らせないっても県知事でも停められないのに、市議が停められる訳ないじゃん
    なんかそれっぽい事言っとけば、パヨク連中が金から人員から世話してくれるからなw
    それを上手く利用して議員職に就いて甘い汁吸えればいいだけだしな、この手のヤカラにとって実現できる出来ないとかは関係ないんだろう。

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コメント

自民党「移民の受け入れを2倍に増やす。日本国民は外国人の生活を保障し、共生する責務がある」

2024-03-31 04:36:13 | 政治

2024年03月30日

 

自民党「移民の受け入れを2倍に増やす。日本国民は外国人の生活を保障し、共生する責務がある」

1 :令和大日本憂国義勇隊:2024/03/29(金) 15:11:22.83 ID:Bjfe22PG0.net
特定技能の外国人、5年で82万人に拡大 政府が閣議決定 - 日本経済新聞
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUA2757E0X20C24A3000000/

引用元
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUA2757E0X20C24A3000000/
5: やわらか煮豚(光)(光) [US] 2024/03/29(金) 15:13:12.38 ID:mKr62if40
なんや特定技能か…期間設けて結局国に返したるんやろ?

移民かこれ?

6: (新日本)(ジパング)(東京都)(新日本) [US] 2024/03/29(金) 15:13:33.03 ID:5+GFDshv0
税金滞納するとすぐ追い出すんだろ
恐ろしい国だわな(´・ω・`)

10: 名無しさん@涙目です。(ジパング) [CN] 2024/03/29(金) 15:15:39.51 ID:YX/gCZnG0
やはり安い給料で働いてくれる人がいないと
おれたち日本人の給料が上がらないからな

13: 名無しさん@涙目です。(京都府) [DE] 2024/03/29(金) 15:16:37.20 ID:K8SBuxU+0
野党も移民受け入れ促進やろ

14: 名無しさん@涙目です。(みかか) [ニダ] 2024/03/29(金) 15:16:42.13 ID:J9lGmy600
移民じゃなく中国人を増やしたいんだろう
あの大臣はwww

17: 名無しさん@涙目です。(ジパング) [ニダ] 2024/03/29(金) 15:17:22.25 ID:LHfMOMOx0
日本人への技能手ほどきもないのか?

18: 名無しさん@涙目です。(茸) [US] 2024/03/29(金) 15:17:27.31 ID:FJ/HCDHH0
新日本人とか言ってたな

26: 名無しさん@涙目です。(東京都) [ニダ] 2024/03/29(金) 15:18:31.29 ID:qNFHFuLL0
日本人を助けて山本太郎

74: 名無しさん@涙目です。(ジパング) [US] 2024/03/29(金) 15:30:54.62 ID:xD5lGTIc0
>>26
黙ってろ山本太郎w

27: 名無しさん@涙目です。(庭) [JP] 2024/03/29(金) 15:18:33.62 ID:N/9S4r8Q0
移民党

31: 名無しさん@涙目です。(庭) [CN] 2024/03/29(金) 15:19:10.59 ID:DRr4b+J80
既に乗っ取られ始めてるのに
下々の安心安全すら守らない気かよ

33: 名無しさん@涙目です。(東京都) [ヌコ] 2024/03/29(金) 15:19:16.48 ID:zBPOyT2f0
移民1千万人計画の自民党だからね

35: 名無しさん@涙目です。(茸) [US] 2024/03/29(金) 15:20:10.60 ID:G9n4rrdd0
観光ビザで入国して難民申請する不良外人は移民じゃないからな

41: 名無しさん@涙目です。(茸) [ニダ] 2024/03/29(金) 15:21:38.25 ID:NnTa4pFA0
ミンスがーとか書いてたアホは息しとるんか?
まだ息があるなら今すぐ死ねや

49: 名無しさん@涙目です。(庭) [ニダ] 2024/03/29(金) 15:24:15.59 ID:PN17qM0y0
国家破壊のデタラメ自民党議員は全員切腹しろよ

53: 名無しさん@涙目です。(宮城県) [ニダ] 2024/03/29(金) 15:25:15.87 ID:dAIH6MWi0
売国政党全員、実弾演習の的にしろ

58: 名無しさん@涙目です。(ジパング) [US] 2024/03/29(金) 15:27:16.99 ID:xD5lGTIc0
ほらな、日本人のための政党なんて一つも無いだろ

62: (庭)(庭) [JP] 2024/03/29(金) 15:28:15.67 ID:Bjfe22PG0
>>58
マジレスするとれいわ山本太郎

59: 名無しさん@涙目です。(みかか) [CN] 2024/03/29(金) 15:27:28.71 ID:6fyKPusw0
上級国民が税金チューチューする方法を模索しているだけだよ

61: (星の眠る深淵)(霧落つる都トネリカ)(星の眠る深淵) [CA] 2024/03/29(金) 15:28:01.31 ID:mDJtdnG80
高齢化で養う対象が多いのに更に増やしてどうするの

64: 名無しさん@涙目です。(愛知県) [US] 2024/03/29(金) 15:28:18.84 ID:TRy9cITp0
技術を持った移民の話であって在日みたいな密入国者は含まれてないぞ

71: 名無しさん@涙目です。(愛知県) [PL] 2024/03/29(金) 15:30:23.74 ID:Ec9+sLnx0
でも消去法で自民なんだよなぁ

72: 名無しさん@涙目です。(SB-Android) [EU] 2024/03/29(金) 15:30:41.45 ID:f+kNh3iI0
自民党議員で養ってやれば?

75: 名無しさん@涙目です。(みかか) [UA] 2024/03/29(金) 15:30:55.72 ID:BAU0gtb+0
共生しろというのならば、迷惑な外人を排除するシステムを作ってからにしろよ

82: 名無しさん@涙目です。(東京都) [DE] 2024/03/29(金) 15:35:28.35 ID:H6Stnwc60
少子高齢化の解決策で移民って答える奴って移民が老いたらどうすんの?って話はしないよな

87: 名無しさん@涙目です。(みかか) [CN] 2024/03/29(金) 15:36:03.95 ID:6fyKPusw0
>>82
そのころにはロボットじゃない?

89: 名無しさん@涙目です。(新日本) [US] 2024/03/29(金) 15:36:30.14 ID:g1lI8qZ+0
すごいやろ
こんなん予想できてた事なのに、民主の悪口言いながら自民に続けさせてきたんやでw

90: 名無しさん@涙目です。(茸) [PK] 2024/03/29(金) 15:36:36.91 ID:LxguSotG0
れいわは外国人と共存しようとしてる
自民は日本人を外国人の奴隷にしようとしてる。

96: 名無しさん@涙目です。(東京都) [US] 2024/03/29(金) 15:38:12.89 ID:KsPhbKJe0
よくこんな衰退国家に来たね

109: 名無しさん@涙目です。(愛知県) [SE] 2024/03/29(金) 15:43:48.11 ID:cB8iIBxM0
民主党はさらに酷くて一国二制度にするってマニュフェストで言ってた

111: 名無しさん@涙目です。(SB-Android) [US] 2024/03/29(金) 15:44:23.32 ID:b7HKaH8v0
こんな落ちぶれた国に来てくれんの?

136: 名無しさん@涙目です。(ジパング) [US] 2024/03/29(金) 15:55:23.13 ID:8VNiwI/T0
>>111
ゴミが来てくれるよ

112: 名無しさん@涙目です。(ジパング) [CA] 2024/03/29(金) 15:44:29.02 ID:W8up4z7b0
全市、川口化不可避

122: 名無しさん@涙目です。(新日本) [ニダ] 2024/03/29(金) 15:50:21.04 ID:dDYWM5z70
永住権を与えたら取り返しがつかない
日本が崩壊する

126: 名無しさん@涙目です。(大阪府) [ニダ] 2024/03/29(金) 15:52:11.99 ID:9TdtmB9h0
最大の愚策、この国終わる

154: 名無しさん@涙目です。(みかか) [NL] 2024/03/29(金) 16:01:55.22 ID:To9TIlOh0
ヨーロッパの惨状を見てないのかよ
狂ってやがる

193: 名無しさん@涙目です。(庭) [ニダ] 2024/03/29(金) 16:14:26.89 ID:g9zZOAS30
これでも自民に票いれるバカ


元スレ:https://hayabusa3.2ch.sc/test/read.cgi/news/1711692682/
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久高元議長は無罪である!換地の悪党はこの輩と思われます

2024-03-26 04:34:32 | 政治

 

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■マットベッド⇒3:23

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換地の悪党はこの輩と思われます
https://www.ur-net.go.jp/kyusyu/toshisaisei/okinawa/shintoshin/gaiyo.html
独立行政法人都市再生機構(UR都市機構)
那覇新都心開発整備事業


○事業概要
施行者 独立行政法人 都市再生機構 (旧地域振興整備公団)
事業手法 土地区画整理事業(平均減歩率30%(公共減歩26.6%、保留地減歩3.4%))


位置
那覇市の北部、県庁や市役所が立地する業務中心地区から約2km、
那覇空港から約5kmに位置しております。
地区は東側で国道330号、西側で国道58号に接しております。
所在地 那覇市天久、銘苅、安謝、上之屋、おもろまち
面積 地区面積:約214ha(東西 1.5km 南北 1.5km)
地区内元米軍用地:192ha(全返還面積 195ha)
権利者数 約2,300人(換地処分時 3,500 人)
筆 数 約5,100筆(換地処分時 5,600 筆)
計画人口 約21,000人(約5,800戸)
事業期間 平成元年からおおむね15年
事業費 約1,110億円(土地区画整理事業費約508億円、その他関連公共事業費等を含む)


○経過
昭和28年 米軍による強制収用開始
昭和48年~49年 第14・15回日米安全保障協議委員会で移設条件付で返還合意
昭和50年 一部返還(6,000m²)、以後5回に分けて分割返還される。
昭和62年5月 米軍接収地全面返還(地区内約192ha) 那覇市長:親泊康晴
昭和63年 那覇新都心土地区画整理事業施行区域の都市計画決定
平成元年4月 事業要請 受理(沖縄県知事、那覇市長から総裁あて)
平成4年9月 土地区画整理事業計画 認可
10月 工事着手
平成5年6月 那覇新都心街づくり推進協議会 設立
平成6年9月 那覇新都心(株)設立 (第3セクター)
平成8年12月 仮換地指定 開始(第1回) 那覇市長:親泊康晴三期目就任
平成9年8月 那覇中環状線 開通
平成10年3月 使用収益開始(第1次)
4月 沖縄県立那覇国際高等学校 開校
平成11年5月 沖縄職業総合庁舎 開所
平成12年2月 仮換地指定 完了 12 月那覇市長:翁長雄志就任
5月 沖縄振興開発金融公庫 新本店で業務開始
8月 那覇新都心メディアビル(第3セクター自社ビル)起工式
10月 天久りうぼう楽市 開店 (オープンモール型 SC)【共同利用街区】
10月 街びらき祭開催 (入場者数 41万人)
平成13年12月 新都心メディアビル 竣工 (3セク自社ビル)
平成14年2月 県営天久高層住宅 入居(12階建て、141戸)
9月 新都心銘苅市営住宅 入居(9階建て、135戸)
10月 サンエー「那覇メインプレイス」開店【共同利用街区】
平成15年7月 第2合同庁舎(1期棟)業務開始
8月 沖縄都市モノレール(ゆいレール)開通
12月 コープ「あっぷるタウン」開店【共同利用街区】
おもろまち駅交通広場 利用開始
平成16年3月 NHK新沖縄放送会館 起工式
7月 地域振興整備公団より独立行政法人都市再生機構へ移行
8月 全地区の使用収益開始
9月 換地計画 認可
11月 県立博物館・美術館 起工式
平成17年1月 換地処分 公告
2月 竣工式典
3月 DFSギャラリア沖縄(空港外大規模免税店)【共同街区】グランドオープン
平成18年3月 NHK新沖縄放送会館 業務開始
平成19年2月 那覇市上下水道局 業務開始
11月 県立博物館・美術館 業務開始
12月 日本銀行 那覇支店 業務開始
UR(旧住宅供給公社)は、昭和 50 年(1975 年)の沖縄国際海洋博覧会の後に国営公園となった海洋博公園と
首里城公園を 2019 年まで運営していた独立行政法人です。指定管理者の一般財団法人沖縄美ら島財団とタッグ
を組んで不透明な経営をしておりました。

*那覇市上之 1 丁目 3-1 や 1 丁目 3-2 は、メディカルセンターの敷地となっておりますが、旧住所は銘苅宇久増原や銘苅多和田原となっております。この土地は昭和 29 年(1954 年)に土地を取得した仲本盛久氏等の住所が銘苅となっていることからこの一族から土地を誰から購入したのか聞く事が出来れば、池宮城氏の掠奪の真相が解けるかもしれません。

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村上末子氏による土地所有権確認等請求事件 第一次訴訟

2024-03-24 04:45:43 | 政治

 

 

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倉林朋子「日本共産党」砲が岸田文雄に炸裂❗汚職の黒幕は森喜朗と暴露され顔面真っ青

数ある法律関連案件で、逮捕は本人の自由を奪う最重要案件。

「疑わしきは罰せず」の原則にも違反するし、何より憲法違反の恐れさえある。

久高氏の唯一の「物的証拠」が「切り張り」した「ありがとう」の音源が一つだけというのも曖昧である。

仮に久高氏の逮捕が適法なら、森喜朗元首相も逮捕すべきではないか。

                 ★

逮捕人権侵害の最たるもの。

逮捕状⇒自動発券機⇒98・8%は

県警、久高被告を追送検へ 前那覇市議長 政活費詐取疑い

 
2024年1月17日 4:57有料

 那覇市有地の所有権を巡る贈収賄事件で、現金計5千万円の賄賂を受け取ったとして収賄罪で起訴されている前那覇市議会議長の久高友弘被告(75)について、県警は17日にも政務活動費を一部不正に受け取ったとする詐欺容疑で追送検する方針を固めた。捜査関係者への取材で分かった。久高被告は逮捕前の本紙取材に事実関係を認め、市に返還している。

 県警は昨年10月、業務実態のない人件費100万円以上を不正受給したとみて、久高被告の関係先を家宅捜索した。これを皮切りに、贈収賄事件の捜査も本格化した。

 同市の政務活動費は、各市議が調査研究などの必要経費として年間108万円を受け取り、使い切らなかった場合は返還すると定められている。

 久高被告の政務活動費収支報告書などによると2017~20年度の4年間、知人女性を運転手などとして雇用したとする人件費を毎年48万円計上していた。だが実際には女性の稼働実態はなく、虚偽に申告された人件費は計192万円に上ったという。

 久高被告は本紙の取材に「女性に金を貸していたため、女性の雇用経費を計上し、それを私が受け取ることで返済した形にしていた」と説明した。

 昨年10月に捜索を受けた久高被告は、政務活動費の詐取を大筋で認めて議員辞職。その後議会事務局に192万円を返還したが、翌11月に収賄容疑で逮捕された。

 


 
(資料写真)前那覇市議会議長の久高友弘氏をブルーシートで覆い、久高氏の自宅マンションから出る捜査員=2023年11月15日、那覇市三原
(資料写真)前那覇市議会議長の久高友弘氏をブルーシートで覆い、久高氏の自宅マンションから出る捜査員=2023年11月15日、那覇市三原

議長室で現金5000万円授受 「ありがとう」録音データに声 那覇市有地巡る贈収賄事件 音声が残った理由は

 
2023年12月14日 9:40有料
社会・くらし

 那覇市有地の所有権を巡る贈収賄事件で、2021年2月に市議会議長室で現金5千万円の授受があった際のやりとりを録音した音声データが存在していることが13日、関係者への取材で分かった。当時那覇市議会議長だった久高友弘被告(75)=収賄罪で起訴=が、「ありがとう」などと現金提供のお礼とみられる言葉を話していることも判明。県警は録音データを押収し、把握しているもようだ。

関連記事
 
那覇市と民間人が所有権を争った市有地 5千万円受領の背景に 市議会議長、議会で何度も市・・・
 民間人女性が所有権を主張する土地は、那覇市おもろまちの市上下水道局の敷地や安里配水池の一部、市上之屋の泊配水池を・・・
www.okinawatimes.co.jp

 複数の関係者によると、贈賄容疑で逮捕・起訴された会社役員の被告(70)が周囲に気付かれないよう、録音していたという。

 会社役員の被告は久高被告らへ渡す5千万円を知人から「出資」との形で借り受けていた。録音したのは、知人から借りた現金を着服せず、間違いなく手渡したことの証拠にするためだった可能性があるという。

 関係者によると、他にも会社役員の被告は、現金供与の趣旨について「議会対策」などとメモに記していたという。このメモは同じく贈賄罪で起訴された元総会屋の被告(80)と電話でやりとりした時のものとみられるという。

 会社役員の被告は調べに当初否認していたが、その後容疑を認めた。13日に保釈が認められている。

今回は、以下の二つの資料をまとめました。
那覇市の昭和の初期からの水道事業についてと
私有地を掠奪したと思われる米軍政府公文書の改ざんについて

あくまで状況証拠でしかありません
しかし、池宮城氏の土地である可能性がこれほどあり、
那覇市の物だとする証拠が無いのですから、那覇市は黄金森公園等の市有地を返す英断すべきだと思います。

後、時間が取れましたら、那覇市が土地の登記を後代の人々が追跡出来ないように換地と称して、過去の地番・番地を消し去り、土地を飛ばしてバラバラにした資料を作成する事に致します。

また、池宮城氏が12000坪もの土地を購入した経

 

村上末子氏による土地所有権確認等請求事件 第一次訴訟
池宮城必達市の曾孫、村山聡の妻末子が原告 相手那覇市
平成 15 年(ワ)第 1562 号土地所有権確認等請求事件
平成 15 年 12 月 9 日平成 16 年 1 月 8 日
平成 16 年 12 月 20 日第 6 回弁論にて結審
控訴審 平成 17 年
判決平成 18 年 5 月 30 日(結審 4 月 20 日)
池宮城必達氏は、大正 13 年から 14 年当時大城兼義氏より 850 円にて土地を取得。
長女繁子昭和 19 年 8 月 10 日贈与を受ける。(必達氏が東京へ疎開する前に書いた財産目録)
琉球政府法務局臨時土地調査局より池宮城薫子宛に対象地 4 筆の 1954 年(昭和 29 年) 4 月
1 日から 6 月 10 日までに土地調査をする知らせの葉書あり。同年 12 月 10 日池宮城繁子が
対象土地 4 匹の土地を法務局で名義変更する手続きを母(村山貴子)に委任した委任状あり。
登記済権利書池宮城繁子が那覇地方法務局で登記したことを証明する登記済み権利書あり。
住所:浦添市屋富祖 279 番地
孫娘村山貴子昭和 21 年 8 月 10 日贈与約束する
住所:那覇市松尾 2 丁目 8-13
現在、那覇市寄宮 2 丁目 30-65
裁判には、真和志村住民により土地が池宮城氏の物であるとしているとの事。
(資料は裁判所保管の為未確認)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「那覇市水道 50 年史」 昭和 58 年 12 月 15 日発行
478 ページから 482 ページに泊まり水場譲渡証書あり
「琉球民政府により或は、それを通じて活動している米合衆国は、琉球列島沖縄那覇市に対
して、ここにその所有権に関する条件、あるいは保証なしに下記の財産を譲渡します」と始
まって、その最後に「本譲渡は、琉球列島沖縄那覇市により次の誓約がなされることを考慮
に入れて行われる。米合衆国代理機関代理人使役者雇用者が行うこの上記財産の建設、占有、
使用及び、それら造営物のある土地によって起こる或は関係する如何なる方法の請願要求に
対しても、例えそれが本譲渡の日付の前に起こったものであろうと、後に起こったものであ
ろうとを問わず、全て、それらの請願要求に対しては無実であるように永久に防護せられな
ければならない。本書は、以下、那覇市による受諾がなされなければ、いかなる目的に対し
ても無効である。以上の承認署名として、米合衆国のために活動している琉球列島米国民政
府は本書を署名して、本日 1954 年 3 月 30 日に那覇市に対し交付いたします。
署名:ジェーエンゲルゾン、琉球民政府責任財産係将校
署名:チャーレス、ヴィ、ブラムリ米国陸軍准将
署名:那覇市長当間重剛によって
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
泊浄水場返還式典
1953 年(昭和 28 年) 12 月 21 日午後 3 時 30 分から
場所 泊まり水場の沈殿池前に設けられた式場
軍官民の招待客 200 人から 300 人が列席。当間重剛那覇市長、市議会議長並びに市議会議
員等が参列。レセプションは式典の後、琉球ホテルに移して賑やかに行われた。
参考書籍
「那覇市水道 50 年史」(478 ページから 482 ページ)
沖縄の水 (42 ページから 47 ページ) 著者:金城義信:昭和 35 年琉球大学卒、沖縄米
軍水道局勤務、石川浄水場長。琉球水道公社浄水課長等
沖縄では、敗戦後、水道のほとんどを米軍が管理し、その後、米国の管理課の琉球、水道公
社が水源から浄水場、槽水館まで所有運営する形態になり、市町村は水道公社から用水の供
給を受けて、水道事業を運営していた。
昭和 37 年に泊浄水場を拡張することになる。
着工。昭和 37 年 3 月
竣工 昭和 38 年 4 月
特徴円形アクセレーターの導入設置
走行費 85 万ドル、
施設能力 22,000/日(従来の施設の 2 倍)
これにより那覇市の水道施設は急速に整備され、合わせて業務量の増加に伴って、水道部の
気候も充実されてきたと記されています。
詳細
(1)米軍統治時代の変遷概要、
1945 年(昭和 20 年) 4 月、米軍の沖縄上陸により、わが国に唯一の激しい地上戦になった。
沖縄は米軍に占領され、その結果、日本政府による行政権は停止されたこの時から 1972 年
5 月(昭和 47 年)の本土復帰に至るまでの 27 年間にわたって米国による沖縄統治が始まっ
た。
米国による沖縄統治の形態は、具体的には次の 3 つに区分することができる。
第 1 期は、米軍の沖縄上陸から、日本の降伏までの約 4 ヶ月間体第 2 期は、日本の降伏か
ら平和条約の成立までの約 7 年間である。(1945 年 8 月 15 日から 1945 年 4 月 28 日まで)
つまり、ポツダム宣言に基づく連合国の占領管理課で、沖縄は行政分離覚書書によりアメリ
カの直接管理下に置かれたのである。その間に「琉球列島米国民政府に関する指令」1910 年
12 月 5 日が出され、軍政府から有給列島米国民政府(USC AR)が発足した。また 1952 年 4
月 1 日には、これまでの臨時中央政府や群島政府に代わって「民政府布告第 13 号」により、
琉球の中央政府として琉球政府が設立された。
その結果、立法、行政、司法の 3 つの期間が創設された。
第 3 期は、平和条約成立後からホンダ復帰までの約 20 年間である。(1952 年 4 月 28 日か
ら 1912 年 5 月 15 日まで)
その間に琉球政府の行政の最高責任者として、比嘉秀平、当間重剛、太田政作、松岡政保、
屋良朝苗の 5 人が琉球政府主席として就任している。
また、1957 年 6 月 4 日には「有給列島の管理に関する要請命令」が出され、高等弁務官制
が実施され、温度復帰までの 14 年間に 6 人の高等弁務官が君臨した。この高等官の布令に
基づき、金融、電力、水道等の公益機関が誕生し、琉球統治の体制が次第に確立されていく
ことになる。
(2)那覇市の水道事業
わが国で唯一の地上戦となった沖縄では、大多数の水道施設が戦災によれ灰塵わにしてしま
った。
終戦後の沖縄住民の水事情は、極めて厳しく、生活用水については、以前のように、昔の井
戸水や天水に頼らざるを得なくなってしまったのである。
県下で最も古い水道事業の歴史を持つ那覇市においては、昭和 19 年 10 月 10 日の大空襲に
より、死の 90%が破壊され、その結果、水道施設も壊滅的な打撃を受けた。その後 7 年間に
わたって水道の空白時代があるが、昭和 26 年 10 月には Siri の湧水を水源とする簡易水道
によって、やっと 1 部地域に給水が開始されたのである。しかし、これとで不十分な水量の
ため、水不足の暖和策としては、市内の既設米軍用の排水管から分譲水を譲り受けて、これ
を市民に供給するといった状態であった。
首藤那覇市における水道の復旧状況が、以上のような状況であったので、その他の市町村に
おける水事情等は推して知るべき状況であった。
特に、那覇市が本格的な水道の債権ができ、た背景には、主要水道施設であった泊浄水場や
牧港ポンプ場等が米軍に占領され、米軍の占用施設となってからである。
この泊浄水場の那覇市への変換については、私の財産、採子の返還要求の結果 1954 年(昭和
29 年) 3 月 30 日に正式に変換された。
一方、昭和 29 年 9 月から昭和 39 年 12 月にかけて、那覇市は首里市、小禄村、真和志市と
の合併が実現したため、市域の拡大に伴って人口も増加し、一躍 18 万 6000 人余りの人口
を抱える都市となり、水道の需要も必然的に増大してきた。その結果、自己水源による不足
分を米軍から購入する。浄水で賄っても、なお、渇水器の需要を満たすことができず、1 部
地域では給水制限を実施するなど、水は深刻な状態となってきた。その対策として自己水源
の開発と浄水施設の拡張が計画され、昭和 35 年には首里の西森に浄水場を新設する計画を
立てたが、当時の米国民政府は既設の泊浄水場を拡張すべきであると主張し、新設案には大
反対し、かつそれに対して融資は一切できないとしてきた。その結果泊浄水場を拡張するこ
とにした。
...
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
土地所有権に関する登録手続きについて
1946 年 2 月 28 日米海軍軍政府本部指令第 121 号
土地所有権申請には①~③がセット
① 土地所有権申請書
字、小字、原名、地番、地目、地積、等級,適用
申請人の住所、氏名
申請する土地の隣接地主 2 名が保証人となる署名捺印が必要。
② 前土地所有者申告書 氏名と住所
③ 見取り図
1950 年(昭和 25 年) 4 月 14 日発布の米国軍政府本部特別布告第 36 号「土地所有権証」
第 3 条
所有権申請人の申請書原本に含まれる資料及び申請人が所有権を承継した前所有者の氏
名及び取得の日付に関する申請人の申述に基づいて問題がなければ、当該財産の位置を記
述する申請人の原図が現時点での状況等を比較し相違点を指摘する註と共に未記入証明
書用紙の空白部分に記入する。その後、署名を除いて、完成された土地所有権証明書は一
括保存し、公示を持って 30 日間一般の縦覧に供される。
第 4 条「1 点土地所有権証明を公示して、縦覧に供した後、各証明書にまたは争いがない限
り村長はこれを承認して、署名捺印をし申請人たる土地所有者に交付しなければならない。
2.証明書原本により通知用謄本 3 通を作成し、その 1 通には表面に「土地登記所」と明記
し、他の 1 通には「税務署」さらに他の 1 通には「中央土地事務所」と記入、市町村長は
各通を表示された関係庁に送付する」
通知用謄本に必要なもの
1 所有者氏名及び所有者住所
2 所有権取得経路
① 旧所有者氏名(前所有者氏名)
②旧所有者住所(前所有者住所)
③所得期日(年月日)
罰則条項 第 13 条「事情を承知しながら、また恋に不正の人生を主張して、土地所有権証
明書を取得したり、土地所有権証明書の発行に関連して、恋に虚偽の陳述または申請をな
すものは、5 万円以下の罰金または 2 年以下の懲役に処せられる。
布告:沖縄列島軍政府長官米国陸軍少将ジョセ・R・シーツ
1952 年 12 月(昭和 27 年 12 月)に土地所有権証明書を交付。
1953 年(昭和 28 年) 12 月 21 日午後 3 時 30 分から 泊水場の沈殿池前に設けられた式場に
て泊浄水場返還式典、レセプション。
1954 年 3 月 30 日泊浄水場譲渡証書交付
琉球民政府責任財産係将校 署名、
米国陸軍准将 署名
那覇市長 当間重剛 署名
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
偽造文章
指令 121 号指定を改竄している。
1950 年 4 月 14 日のシーツ命令書米国軍政府本部特別布告第 36 号に違反しており、これが
明らかにならば、5 万円以下の罰金、または 2 年以下の懲役に処せられるもの。
この偽造文書は、那覇市編集発行の「那覇市史」202.209 頁にも掲載されている。
1946 年 4 月 18 日沖総土第一号
各市町村、長殿の宛
諮詢会総務部長:又吉康和
土地調査に関する件
土地調査に関する件」の(10)の(ロ)地主不明。または保証人選定不能の場合は、字土地所有
権委員をして保証人たらしめることを得」と言う規定を改竄した文章を刺し入れている。
真和志村はこれを少しアレンジして、さらに独創的な事務準備、部落おける事務処理と言う
表題をつけた文章を以下のように作っている
1946 年 7 月 10 日
真和志村土地調査実施要項
村長:金城和信
(遺骨収集、慰霊碑建立、遺族連合会活動からこの偽造文章は何者かの指示と思われる)
1946 年(昭和 24 年) 4 月 5 日、沖縄全地区市町村長協議会にて沖縄県知事志喜屋孝信宛陳情
書には、土地所有権認定促進に関する陳情
真和志村の手数料問題のとき、面白からざる紛争について触れられています。
(一筆につき、30 銭の初期量を徴収すること)
イ、各字委員会に土地所有権申請取扱書記を置き、土地所有主と細密合議の上、申請書作成
を担当させる。この場合からは一筆につき、金 30 銭の書記料を徴収すること。
ロ、各字土地所有権調査委員は事務完了するまで調査。事務一切を担当するほか、現地調査、
小字別図面の作成に従事するものとする。委員の数は村長に於いて定める。
ハ、からチまで省略
全真和志村の土地所有権申請書約 15,000 筆の全てに隣接地主が 2 人保証人の署名が無く、
(署名は同一の土地調査委員によるもの)
その土地の前所有者の氏名住所が記されていないとの事。池宮城氏の土地は広く、多くの隣

 

 

那覇市の水道事業と私有地掠奪に至るまでの状況
沖縄では、敗戦後、水道のほとんどを米軍が管理し、その後、米国の管理下の琉
球水道公社が水源から浄水場、配水管まで所有運営する形態になり、市町村は
水道公社から用水の供給を受けて、水道事業を運営していた。那覇市は昭和の 5
年から水源を求め宜野湾村の大山地域からの取水をすべく、地域地主から土地
の買収を試みるも地域田芋農家等からの激しい反対に阻まれる。当時の那覇市
助役の当間重剛氏(後に那覇市長、裁判官、琉球政府主席)等が土地収用法の適
用を政府に求めて強引ともとれる手法でこれを取得して、宜野湾、浦添、真和志
を経由する水道工事を完成し昭和 8 年 9 月に給水を開始した。当時の那覇市の
人口は約 7 万人。
この時に真和志村字天久に沈殿池(浄水場用地と通路)として取得した那覇市
の土地は 4,092 坪でした。
戦後侵奪されたという池宮城必達氏の土地は、この周辺の現在数棟の高層マン
ションや総合病院、住宅、公園となっている地域で当時は黄金森や高真佐理森
(タカマサイ)を含めて 12,000 坪あったとされています。(当時、池宮城氏が
生業としていたのは、この二つの森から採れる薪売りでした。近所の子供たち
の遊び場でもありました)
参考文献「沖縄の水」著者:金城義信 (42 ページから 47 ページより)
昭和 35 年琉球大学卒、沖縄米軍水道局勤務、石川浄水場長。琉球水道公社浄水課長、本土
復帰後沖縄県排水課長、設計計画課長、水道技術管理者等歴任
(1)米軍統治時代の変遷概要、
1945 年(昭和 20 年) 4 月、米軍の沖縄上陸により、わが国唯一の激しい地上戦に
なった。沖縄は米軍に占領され、その結果、日本政府による行政権は停止された
この時から 1972 年 5 月(昭和 47 年)の本土復帰に至るまでの 27 年間にわたって
米国による沖縄統治が始まった。
米国による沖縄統治の形態は、具体的には次の 3 つに区分することができる。
第 1 期は、米軍の沖縄上陸から、日本の降伏まで(1945 年 4 月から 1945 年 8
月)の約 4 ヶ月間
第 2 期は、日本の降伏から平和条約の成立までの約 7 年間である。(1945 年 8 月
15 日から 1945 年 4 月 28 日まで)つまり、ポツダム宣言に基づく連合国の占領
管理課で、沖縄は行政分離覚書書によりアメリカの直接管理下に置かれたので
ある。その間に「琉球列島米国民政府に関する指令」1910 年 12 月 5 日が出さ
れ、軍政府から有給列島米国民政府(USC AR)が発足した。また 1952 年 4 月 1
日には、これまでの臨時中央政府や群島政府に代わって「民政府布告第 13 号」
により、琉球の中央政府として琉球政府が設立された。その結果、立法、行政、
司法の 3 つの期間が創設された。
第 3 期は、平和条約成立後からホンダ復帰までの約 20 年間である。(1952 年 4
月 28 日から 1972 年 5 月 15 日まで)
その間に琉球政府の行政の最高責任者として、比嘉秀平、当間重剛、太田政作、
松岡政保、屋良朝苗の 5 人が琉球政府主席として就任している。
また、1957 年 6 月 4 日には「琉球列島の管理に関する行政命令」が出され、高
等弁務官制が実施され、本土復帰までの 14 年間に 6 人の高等弁務官が君臨し
た。この高等弁務官の布令に基づき、金融、電力、水道等の公益機関が誕生し、
琉球統治の体制が次第に確立されていくことになる。
(2)那覇市の水道事業
わが国で唯一の地上戦となった沖縄では、大多数の水道施設が戦災によれ灰塵
してしまった。終戦後の沖縄住民の水事情は、極めて厳しく、生活用水について
は、以前のように、昔の井戸水や天水に頼らざるを得なくなってしまったのであ
る。県下で最も古い水道事業の歴史を持つ那覇市においては、昭和 19 年 10 月
10 日の大空襲により、市の 90%が破壊され、その結果、水道施設も壊滅的な打
撃を受けた。その後 7 年間にわたって水道の空白時代があるが、昭和 26 年 10
月には首里の湧水を水源とする簡易水道によって、やっと一部地域に給水が開
始されたのである。しかし、これとで不十分な水量のため、水不足の暖和策とし
ては、市内の既設米軍用の配水管から分譲水を譲り受けて、これを市民に供給す
るといった状態であった。
首都那覇市における水道の復旧状況が、以上のような状況であったので、その他
の市町村における水事情等は推して知るべき状況であった。
特に、那覇市が本格的な水道の再建ができた背景には、主要水道施設であった泊
浄水場や牧港ポンプ場等が米軍に占領され、米軍の占用施設となってからであ
る。
この泊浄水場の那覇市への返還については、市の再三再四の返還要求の結果
1954 年(昭和 29 年) 3 月 30 日に正式に変換された。
一方、昭和 29 年 9 月から昭和 39 年 12 月にかけて、那覇市は首里市、小禄村、
真和志市との合併が実現したため、市域の拡大に伴って人口も増加し、一躍 18
万 6000 人余りの人口を抱える都市となり、水道の需要も必然的に増大してき
た。その結果、自己水源による不足分を米軍から購入する浄水で賄ってもなお、
渇水期の需要を満たすことができず、一部地域では給水制限を実施するなど、水
は深刻な状態となってきた。その対策として自己水源の開発と浄水施設の拡張
が計画され、昭和 35 年には首里の西森に浄水場を新設する計画を立てたが、当
時の米国民政府は既設の泊浄水場を拡張すべきであると主張し、新設案には大
反対し、かつそれに対して融資は一切できないとしてきた。その結果泊浄水場を
拡張することにした。
昭和 37 年に泊浄水場を拡張することになる。
着工:昭和 37 年(1962 年)3 月
竣工:和 38 年(1963 年)4 月
特徴円形アクセレーターの導入設置
総工費:85 万ドル、
施設能力:22,000 ㎥/日(従来の施設の 2 倍)
これにより那覇市の水道施設は急速に整備され、合わせて業務量の増加に伴って、水道部の
機構も充実されてきたと記されています。
沖縄戦終結後に米軍の進駐そして駐留。施政権が米軍政府となり、戦争で失われ
た土地の所有権の登録が米軍政府の指導で始まります。これが、1946 年 2 月 28
日海軍軍政府本部指令第 121 号及び特別布告第 36 号に基付き土地所有権申請
手続きが翌 47 年から開始されます。その時に住民との取次を行った諮詢会(米
軍防諜隊CIC丸元正二中尉の下に沖縄の諜報部員が多数)総部長又吉康和氏
は、他の市町村とは異なる通達を問題とただ今問題となっている真和志村に行
います。この通達を真和志村金城和信村長が更に改ざんしました。
これは米海軍軍政府本部指令 121 号及び特別布告 36 号と 1950 年 4 月 14 日沖
縄列島軍政府長官・米国陸軍少将ジョセフ・R・シーツの特別布告 36 号第3条
に違反しており、厳しい罰則が科せられる犯罪でした。この偽造にどれだけの人
物が関わったかは定かではありませんが、上記にあげた人物の他に当間重剛氏
の存在を除く事は出来ません。
根本原因は、米軍による国際法違反の私有財産の強奪による水道施設建設にあ
ります。この水道施設を那覇市が返還(譲渡)を受ける条件に全ての建築物や土
地の問題に関する請願要求に対して米軍政府に責任は無く、譲渡を受ける那覇
市が永久に防護しなければならないとする誓約条件が課せられたことに私有地
掠奪の問題があると推測するところです。
しかし、奪われた池宮城氏の土地は、現在、冒頭に記述した如く、転売されてお
り、当時多額の利益を得た者が居たことは否定出来ません。
また、指令第 121 号や布告第 36 号の違反の具体例は別紙にて説明します。
接地主が居たはずです。

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沖縄返還時の秘密交渉

2024-03-23 04:48:22 | 政治

 

 

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0323  0835d 1145d

 

■文藝コーナー

『七重八重花は咲けども山吹の実の一つだになきぞ悲しき』~太田道灌

 

『七つ八つ 音はすれども 空吹きの実の一つだに出ぬぞ悲しき』~詠み人知らず

 

資料4 『日本史大事典 1』平凡社, 1992【210.03/92Y/1タR】
pp.1071-1072「太田道灌(おおたどうかん)」の項に下記の記載があります。
「(前略)道灌が鷹狩に出て雨に遭い、蓑を借りようとしたとき、若い女に山吹を差し出され、それが『七重八重花は咲けども山吹のみの一つだになきぞ悲しき』という古歌(『後拾遺集』雑)の意だと後で知り、無学を恥じたという逸話は『常山紀談』や『雨中問答』(西村遠里著、一七七八)等に記されて著名。(後略)」

 

【大前研一氏が考える沖縄基地問題】佐藤栄作元首相の“欺瞞”を白日の下にさらすことで見えてくる解決の糸口

配信

マネーポストWEB

【大前研一氏が考える沖縄基地問題】佐藤栄作元首相の“欺瞞”を白日の下にさらすことで見えてくる解決の糸口
3/22(金) 7:15配信


もし私が玉城知事なら
 話を戻そう。防衛省が辺野古に建設している代替施設は、軟弱地盤のために難工事が予想されている。完成までに少なくともこれから12年かかり、地盤改良できたとしても、米軍への提供は2030年代半ば以降になるという。

 だが、代替施設が完成しても、実際にそれを米軍が使うかどうかはわからないと思う。極東をはじめとするインド太平洋地域の軍事情勢は冷戦終結後の30年で大きく変化し、台湾有事を含めた中国の軍事的脅威が高まっているからだ。

 たとえば、日米両政府は2012年、沖縄駐留の米海兵隊について、沖縄に約1万人を残す一方、グアムに約4000人、ハワイや米本土などに約5000人を移すことで合意した。

 しかし、昨年1月の外務・防衛担当閣僚による「日米安全保障協議委員会(2プラス2)」は、中国の軍備増強に対抗するため、日米両国が連携して南西諸島の防衛を強化する方針を表明。米海兵隊は11月、沖縄のキャンプ・ハンセンに駐留する第12海兵連隊のグアム移転を見直し、離島を拠点にする即応部隊「海兵沿岸連隊(MLR)」に改編した。同連隊は海兵隊の新たな運用構想の中核を担う即応部隊で、敵のミサイル射程圏内を移動しながら偵察や攻撃を行なうという。

 つまり、沖縄の軍事的重要性はいっそう高まっているわけで、となると米軍は辺野古の代替施設が完成するまで12年以上も待つという悠長なことを言っていられなくなるかもしれない。

 したがって、もし私が玉城知事だったら、辺野古移設反対を声高に叫ぶのではなく、アメリカ政府と交渉する手段を模索するだろう。

 具体的には、普天間飛行場の機能を広大な嘉手納飛行場の中に移すとか、防衛省が種子島西方12kmの馬毛島に建設している航空自衛隊の訓練基地を共同利用するといった代替案を提示する。もともとアメリカは、広くて運用しやすい代替地があればいいわけで、普天間飛行場にも辺野古という場所にも強くこだわっていないと思うからだ。

 そして、そうした提案にアメリカが同意したら、辺野古はモルディブスタイルの水上コテージを連ねた高級リゾートに転換する。そのほうが沖縄県にとって、基地移設よりはるかに大きな経済効果があるはずだ。

 いずれにしても、まずは日本政府が国民に対して、沖縄返還時の佐藤首相とニクソン大統領の密約のために未だに沖縄ではアメリカによる軍事的な占領状態が続いているということをきちんと説明し、謝罪しなければならない。それを半世紀も隠蔽してきたから、沖縄で米軍基地を巡る数々の問題が起き、沖縄県民の対立が続いてきたのである。

 もちろん民政だけでも返してもらったことはよかったが、軍政も含めて返してもらったと国民に勘違いさせた佐藤首相の欺瞞を白日の下にさらすことで、普天間飛行場の辺野古移設をはじめとする沖縄の米軍基地問題は、ようやく解決の糸口が見えてくると思うのだ。

【プロフィール】
大前研一(おおまえ・けんいち)/1943年生まれ。マッキンゼー・アンド・カンパニー日本支社長、本社ディレクター等を経て、1994年退社。ビジネス・ブレークスルー(BBT)を創業し、現在、ビジネス・ブレークスルー大学学長などを務める。最新刊『日本の論点2024~2025』(プレジデント社)など著書多数。

※週刊ポスト2024年3月29日号

gyo********19時間前
非表示・報告
≻具体的には、普天間飛行場の機能を広大な嘉手納飛行場の中に移すとか、防衛省が種子島西方12kmの馬毛島に建設している航空自衛隊の訓練基地を共同利用するといった代替案を提示する。もともとアメリカは、広くて運用しやすい代替地があればいいわけで、普天間飛行場にも辺野古という場所にも強くこだわっていないと思うからだ。

民主党政権の時に当時の岡田外務大臣が再交渉を画策してアメリカに否定されてるよ。

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drs********
drs********9時間前
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密約を非難しているようだが、その密約条件を呑まなければそもそも沖縄返還そのものが実現しなかった。それを秘密にすること自体も米国担当者が出した条件だったのである。
沖縄返還は米国が拒否すれば実現しない。米国担当者がヘソを曲げて『交渉がうまくいかなかった』とでもなったらそれで終わりなのである。日本から要求して認めさせることができるような代物ではない。悲願であった沖縄返還を実現させるため、たとえ理不尽に見える要求や条件でも、日本政府は必死に受け入れて呑んだのである。
私は、佐藤元首相を非難しようとは思わない。

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ter********17時間前
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米軍基地を残したから沖縄が返還されたのです。米軍基地の撤退が条件なら、沖縄は返還されなかったと思います。沖縄の基地問題を解決する方法は憲法9条を改正し、軍隊を持ち日本が自力で防衛するしかありません。

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emz********
emz********16時間前
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1)大前さんによると、中国の経済を運用面で支えているのは「台湾の方々」だとか。
2)郭台銘さんの「中国の言いなりにならない」発言は、これまで「そうやってきた」という自信の表れだと思う。だから「台湾をウクライナにしない」という発言であり、それは「中国を台湾にする」という宣言でもあると思う。
3)何方かのように「戦う覚悟」などと言うのは「彼らのその尊厳を蔑ろにした」失礼な発言だと思う。
4)台湾有事になれば米は必ずしゃしゃり出て来る。世界の紛争の全てがこの「欧米の天然の優越性」に由来するからです。
5)その優越性を打ち砕くのは「台湾有事時、日本は参加しない」と台湾に宣言することだと思う。そして、郭台銘さんの「文明が大国を征服する」という新たな戦い方が実証できるよう、台湾に対する文明的支援を精一杯しよう。沖縄のウクライナ化回避のために。

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dbs********
dbs********10時間前
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老害?
基地問題は、沖縄返還時の秘密交渉など関係ない。日本が戦ったのは大東亜戦争だった景色を知り、国の為に戦った英霊たちに感謝の心が生まれれば、基地問題は片付いてい行く。英霊たちも自分らの行為を、残された日本人や子孫が可哀想だと否定するなど露にも思ってなかっただろうに。自分の犠牲が家族の為に、少しでも停戦交渉に有利になる事を信じていただろうに・・。

第二次大戦は欧州の話、太平洋の戦いは大東亜戦争の西部戦線の話。日本が第二次大戦や太平洋戦争を戦ったと洗脳された戦後の日本人に、「自分の国を自分で守る」という「世界の常識」が失われているだけ。憲法前文は属国条項だと気づかない。戦争の悲惨さは弱ければ弱いほど増加しただけ。

核被爆国故に核廃絶という短絡思考、平和を宣言すれば平和が降ってくるという勘違いが続けば、幕末の苦労を子孫に押付る事になる。世界で強盗を働いていたのは日本ではなく連合国の国々。

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今暴かれる60年前のケネディ暗殺の真相!衝撃の新書…アメリカで出版された「ならずもの政府」に記された驚きのJFK事件の真相と、7.8事件に共通する点とは▽山岡×佐波×加賀【リ

2024-03-21 15:14:32 | 政治

 

 

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衝撃の新書…アメリカで出版された「ならずもの政府」に記された驚きのJFK事件の真相と、7.8事件に共通する点とは▽山岡×佐波×加賀【リ

 

【おまけ】

12月20日発売の月刊willに『沖縄「集団自決」の大ウソ』が掲載されました。

◎沖縄
■江崎孝…「集団自決」の大ウソ

 
 
 

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『沖縄「集団自決」の大ウソ』の増刷が完成しました。ご注文次第発送できます。ご注文の方は下記要領でお申し込みください。

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山本太郎に止めを刺された成田悠輔!老人経済学【武田邦彦】60歳以上の人は大至急この動画を見てください!大変なことになりますよ!

2024-03-21 15:10:11 | 経済

 

 

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山本太郎に止めを刺された成田悠輔!「集団自決」「集団切腹」問題の全てが分かる!成田悠輔の今後の運命は?

「年寄りの冷や水」「年甲斐もなく」「定年を止めよ」

希望なき人間は消費しない。

 

#1091【よく聞け成田!高齢者がいなければ国は存続しない】高齢者がお荷物だ?どの角度から見ても間違っている。高齢者がいなければ

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【vlog】老人日記〜65歳の仕事探し

思い出はすごく大事だと思いますよ  五木寛之さん流 “人生後半を豊かに生きるヒント”・・記憶と記録

 

"座り込みの黒幕"に気付いてゾッとしました。辺野古基地反対運動を裏で操ってたのはXXXなんですよね、、、【ひろゆき 切り抜き 論破 ひろ

【ひろゆき】※大炎上※辺野古基地反対派の真の目的がわかりました。反対活動をしているのは●●のためだった!【ひろゆき切り抜き:沖縄基

 

「座り込み”0日にすべき」辺野古めぐり “ひろゆき氏発言”で波紋 沖縄県内は

 

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❸マッカーサーの置土産  潮音寺土座衛門

2024-03-21 07:03:26 | 政治

 

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【随想】

【※この物語はフィクションであり、実在の人物・団体とは一切関係ありません。】

 

マッカーサーの置土産  潮音寺土座衛門

『鉄の暴風』は、後に沖縄タイムス社長になり豊平良顕氏の監修で、戦前からのベテラン記者牧港篤三、そして米軍民政府に勤務していた太田良博の3人で執筆することになった。それまで一読者に過ぎない太田は『鉄の暴風』の執筆を機タイムス社に入社した。
 
同書の執筆開始以来、取材三カ月、執筆三カ月の予定で、春から夏にかけて突貫工事で脱稿した。
当時、タイムス社は那覇市崇元寺の向かいにあって、社屋はカマボコ型トタン屋根だった。編集局と隣り合わせた総務局のかたすみで、ひとつの机をはさんで、牧港と太田が向き合って、取材した資料を整理した。勿論現在のようなクーラーや扇風機さえない当時、夏の炎熱がトタン屋根にあたるため、部屋の中は、むし風呂のようであった。
 
当時トタン屋根の校舎で授業を受けた、沖縄の中学生は皆むし風呂地獄を味わっている。
 
年長者の豊平と牧港は、沖縄戦の体験者で、戦記編纂に対する熱意も体験から出たものだったが、体験者でもなければ記者としては素人の太田は、一度も現地に取材することも無く、なかば両先輩の熱意に引きずられたような形であった。
執筆が終わると、原稿は全部アルバイトに清書させていた。
 
また、英文の全訳をアメリカ軍政府に提出する必要があったので、琉球大学の翁長俊郎に依頼して翻訳させた。当時、あのていどの本を出版する設備が沖縄にはなかった。結局同書は、朝日新聞(東京)の刊行となった。
それには「現代人による沖縄戦記」というサブ・タイトルがついていた。
 
それから、ちょうど二十年を経た一九七〇年、沖縄タイムス社から『鉄の暴風』第二版が出ている。第二版では、初版の副題「現代人による沖縄戦記」はとりのぞかれて、単に「沖縄戦記」としてある。第二版は同社で印刷製本したようだが、東京の朝日新聞で刊行された初版とくらべると、紙質といい印刷、製本など、はるかによく、時代の流れを感じさせる。
 
沖縄タイムス編著『鉄の暴風』が沖縄戦を描いた最初の出版物と言われるが、
『鉄の暴風』がでる前に、すでに不戦兵士・市民の会の古川成美著の『沖縄の最後』がでていた。
 
結局、これが沖縄戦に関する最初の戦記だった。

そして古川 成美著『沖縄の最後』こそが『鉄の暴風』のネタ本であった。

本職の牧港記者は執筆前に「戦記もの」に目を通していたが、記者としては素人の太田が執筆前に目を通していたのはトルストイの「戦争と平和」などの文学作品や、吉川成美著『沖縄の最後』を読んでおり、特に『沖縄の最後』については「文章が美しく、映画のシーンを見るような鮮やかな印象を与えられた場面がいくつかあった」などと文学青年の心情を告白していた。

つまり戦前からのベテラン記者牧港篤三をさしおいて、それまで米軍民政府の職員に過ぎなかった文学青年・太田良博に執筆を委ねた真意を、後に『集団自決の真実』を著した本職の作家曽野綾子は、「戦記というより文学作品」などと褒め殺しで、すでに見破っていた。さらに曽野は太田の対談で『鉄の暴風』の表現を「戦記というより講談の類」とこき下ろした。

さて、親川元帥とマッカーサー元帥マッカサ―元帥に話を戻そう

■親川元帥とマッカーサー元帥

私が中学時代の頃、同じクラスに親川ゲンショウという友人がいた。

親川君はどちらかというと目立たない少年であったが、あだ名は「元帥」と呼ばれていた。

あだ名の理由は彼の名がゲンショウ(漢字の名前は忘れた)と発音するので、当時戦勝国の英雄として著名なマッカーサー元帥の語呂合わせでゲンスイ呼ばれていた。

だが、親川君は口数も控えめで、少なくとも彼の言動が英雄的であったのではない。元帥と呼ばれたら何のためらいもなく返事をしていたほどだ。

その当時のアメリカの大統領はアイゼンハワーだったが、戦後わずか十数年しかた経っていない米軍統治下の沖縄ではあったが、かつての敵国アメリカの大統領アイゼンハワーの名は知らなくても、マッカーサー元帥の名を知らぬ者は居なかった。それ程マッカーサーの勇名は沖縄の少年たちの心をとらえていた。

マッカーサーが沖縄の少年にカッコよく映っていたのは、彼がGHQの最高司令官として軍用機バターン号で厚木飛行場に降り立った時の映像が、沖縄の少年の脳裏に英雄のように刷り込まれていたのだろう。

■マッカーサーと覇を競った従軍記者

想い出ついでに、当時の沖縄の中学生が英雄として尊敬した人物を挙げてみよう。沖縄戦で米海兵隊に従軍したアーニーパイル記者のことだ。

アーニーパイルは、沖縄に上陸して後、進軍の途中で見た沖縄の村の様子についてはこう書いている。
 「実際に見た沖縄は、アメリカの大抵の土地とさして変わりなかった。海兵隊にとってはここ三年見てきたどこよりもアメリカに似ていた。気候も熱帯というよりも温帯的で、植物もそうだった。海岸にはたぶんパンダナスの茂みと思われる熱帯植物もあるにはあるが、枝を水平に張っている樅の類が豊富に生えている。私のいた隊が最初の2日間に通過した村はきれいに耕されていた。海岸から小さな段々畠がなだらかに延びているところなどインディアナ州の、ものみなが乾燥しはじめて褐色を帯びる晩夏のころをまざまざと思わせた。」
 

4月16日、アーニーパイルは沖縄での最後の取材をするために、米海兵隊第77師団とともに伊江島に上陸した。

2日後の18日、アーニーパイルは連隊の指揮官とジープに乗って前線に向かった。
村はずれにさしかかったとき、道路脇の丘に隠れていた日本兵から機関銃の狙撃を受けた。ふたりはジープから転がり出て、傍らの溝にうつぶせになった。

やがて、辺りが静かになったので、様子を見ようとパイルが頭をあげたとき、再び銃弾を受けた。銃弾は鉄かぶとの縁の下から、アーニーパイルの左こめかみを撃ちぬいた。
従軍記者アーニーパイルは、こうして戦場で命を失った。44歳だった。

「同僚ならびに兵隊からも将軍からもひとしく愛された従軍記者アーニーパイルは、今朝日本軍の機関銃弾に左こめかみを貫かれ、ついに戦死した。アフリカから沖縄にいたるまでのあらゆる戦線から報道を書き送った有名な寄稿家の死は午前10時15分、司令部から約一哩前方であった。(琉球諸島、伊江島司令部にて)」(「ウルマ新報」4月18日発のAP電)


アーニーパイルが犠牲になった3日後、伊江島は完全に米軍の手に落ちた。

その後、彼が戦死した場所に墓標が建てられ、沖縄戦終了後の7月1日、米軍によって除幕式が行われた。

碑には、こう記されている。

「第77歩兵師団はこの地で、戦友アーニーパイルを1945年4月18日に失う」

アーニーパイル慰霊祭

今では沖縄県人でさえアーニーパイルの名を記憶している人は少ない。

ただ、内外の観光客で賑う現在の国際通りの真ん中に位置するテンブス館に辛うじてその名を留めている。

現在の那覇市テンブス館界隈に、「アーニーパイル国際劇場」という映画館あった。 そこから、国際通りの名前がついた。

当時は何もなかった国際通り周辺に、戦後の人々に娯楽を楽しんでほしいとの事から米軍政府と琉球政府の協力で民間会社がこの劇場を建設し、アメリカの従軍記者で第二次世界大戦中に沖縄地上戦で亡くなったアーニーパイルの名前を付け、「アーニーパイル国際劇場がある通り」から「国際通り」と呼ばれるようになった。

国際通り(向かって右が現在の県庁方面)アーニーパイル国際劇場

戦争中は鬼畜米英と言ってた敵国の総大将マッカーサーが復讐の年に燃えて日本占領を開始した。マッカーサーの巧妙な占領政策では世界に類を見ないほど成功を収めた。

日本国民はマッカ―サーを、戦前の軍国主義日本から日本を解放しに来た自由と民主主義の伝道師として敬意の眼差しで仰ぎ見た。 

そして、マッカーサーがトルーマン米大統領により解任され日本を去る時は日本国民がその占領政策に謝意を示した。

「マッカーサー様、ありがとう」と約40万通の 感謝の手紙を送り、マッカーサーに日本の首相に成って欲しいと懇願する国民もいたくらいだ。

さて沖縄の中学校で親川君が親川元帥と呼ばれていたころ、学校の授業では日米戦争の事をどのように教えていたか。

米軍は『鉄の暴風』を出版する前に、米軍の出版許可を必要とし、手始めにラジオ放送による川平アナウンサーの朗読で、一般県民の洗脳に取り掛かった。

マッカーサー率いるGHQの占領政策は、公職追放に絡む日本の「非軍事化」であった。だが切り札はもう一つあった。

それは民間情報教育局(CIE)が担った「ウオー・ギルト・インフォメーション・プログラム(WGIP)」だった。

これは徹底的な言論統制とプロパガンダ(政治宣伝)で日本人に贖罪意識を植え付けるという非民主的な策謀だった。

言論統制の象徴である「新聞報道取締方針」は戦艦ミズーリでの降伏調印式から8日後の昭和20年9月10日に発せられた。

GHQへの批判はもとより、占領軍の犯罪・性行為、闇市、飢餓-など30項目が削除・発禁対象として列挙された。

GHQは手始めに9月14日に同盟通信社(共同、時事両通信社の前身)を翌15日正午まで配信停止とし、事前検閲を始めた。9月18日には朝日新聞を2日間の発禁処分にした。原爆投下を批判する鳩山一郎(後の首相)の談話を掲載したためだった。これ以降、各紙は競ってGHQの礼賛記事を掲載するようになった。

 
そう、GHQの公職追放は、沖縄の中学生にまで「マッカーサーは正義の味方」という情報を刷り込んでいた。

20年12月8日、日米開戦の日に合わせて新聞連載「太平洋戦争史」(計10回)が全国の日刊紙で始まった。中国やフィリピンで行った日本軍の残虐行為を断罪する内容で、GHQは連載終了後、文部省に対して太平洋戦争史を教科書として買い取るよう命じた。

■「真相はこうだ」の沖縄版が「鉄の暴風」だった。

12月9日にはNHKラジオ番組で「真相はこうだ」の放送を始めた。反軍国主義の文筆家が少年の問いかけに答える形で戦争中の政治・外交を解説するこのシリーズは2年間も続いた。

CIEの手口は巧妙だった。「誰が日本を戦争に引きずり込んだのか」という問いには「人物を突き止めるのは不可能。責任者は日本人自身だ」と答えて「一億総懺悔」を促した。自らの言論統制は巧みに隠しながら、戦時中の検閲や言論弾圧を糾弾し、開戦時の首相、東條英機に怒りの矛先が向くよう仕向けた。

放送当初は懐疑的・批判的な日本人も多かったが、情報に飢えた時代だけに聴取率は高く、次第に贖罪意識は浸透していった。

ところが、昭和23年に入るとCIEは方針をジワリと転換させた。2つの懸念が出てきたからだ。1つは広島、長崎への原爆投下への憎悪。もう1つは、東條英機が東京裁判で主張した「自衛戦争論」だった。この2つに共感が広がると日本人の怒りは再び米国に向きかねない。

こう考えたCIEは「侵略戦争を遂行した軍国主義の指導者層」と「戦争に巻き込まれた一般国民」という構図を作り出し、批判をかわすようになった。宣伝工作や検閲も日本政府に代行させるようになった。

文芸評論家の江藤淳が『閉された言語空間』でGHQの言論統制を暴いたのは戦後30年以上たった昭和50年代後半。ジャーナリストの櫻井よしこが『真相箱の呪縛を解く』でさらに詳しく告発したのは21世紀に入ってからだ。WGIPは戦後70年を経た今もなお日本人の歴史観を束縛し、精神を蝕んでいる。

 

GHQ司令長官マッカーサーは、日本で行った「公職追放」は沖縄では実施しなかった。ところが後でわかったことだが、実は沖縄でも「公職追放」の影響を受けていたが、次の理由で「公職追放」実施を免れた。

マッカーサーは沖縄を永久占領し、米国の領土にする予定であった。

マッカーサーは沖縄を永久占領するため、これまで米軍統治下にのみ流通していたB軍票を米国本土と同じドルに切り替えた。

■「コーンパイプの煙幕」が半世紀後の中学生の精神に食い込んでいった。

マッカ―サのコーンパイプの「魔のけむり」による催眠効果は沖縄の中学生に持続していた。
「コーンパイプの魔のけむり」が、ボディブローのようにきいてきた時--アメリカという名の巨大な生き物が、日本の精神文化の隅々にまで浸透し、この島国の社会全体を被いつくしてしまった時でもあったのだ。

フィリッピンでは日本軍の猛攻に惨敗、部下を残して敵前逃亡を余儀なくされたマッカーサーが日本に初めて第一歩を刻むとき、マッカーサーは復讐の怨念に燃えていた。復讐の証拠は彼が日本軍に煮え湯を飲まされフィリピンのバターン地方の名を冠した「バターン号」にその怨念が表れている。

 マッカーサーは武器は拳銃一つすらも帯同せずレーバンのサングラスを着用、コーンパイプを手に、丸腰でバターン号から着陸用の階段を一歩降りて、辺りを睥睨した。 

その姿は歌舞伎で大見えを切る千両役者そのものであった。後でわかったことだがマッカーサー程他人の目を気にする人物もめずらしい。

■上司マッカーサーから「演技」を習ったアイゼンハワー副官」

7年間に渡ってマッカ―サの副官を勤め後の上司のマッカーサーを抜いて米国大統領になったアイゼンハワーはマッカーサー参謀総長の副官時代を振り返って、次のように上司を褒め称えている。「マッカーサー将軍は下に仕える者として働き甲斐のある人物である。マッカーサーは一度任務を与えてしまうと時間は気にせず、後で質問することもなく、仕事がきちんとなされることだけを求められた」「任務が何であれ、将軍の知識はいつも驚くほど幅広く、概ね正確で、しかも途切れることなく言葉となって出てきた」「将軍の能弁と識見は、他に例のない驚異的な記憶力のたまものであった。演説や文章の草稿は、一度読むと逐語的に繰り返すことができた」と賞賛している。

■マッカーサーから「演技」を学んだアイゼンハウワー

その一方、アイゼンハウワーはマッカーサーの影の部分も指摘している。連合国遠征軍最高司令官、アメリカ陸軍参謀総長と順調に経歴を重ねていくアイゼンハワーは、ある婦人にマッカーサーを知っているか?と質問された際に「奥さん。私はワシントンで5年、フィリピンで4年、彼の下で演技を学びました」と総括したとも伝えられている。

アイゼンハワーの陸軍士官学校の成績は平凡で、卒業時、164人中61番だった。もし彼が旧帝国陸軍の軍人だったら、うだつのあがらない平凡な存在だったであろう。

陸軍士官学校を一位で卒業した誇り高きマッカーサーは、歴史の節々で有名な「殺し文句」を、後世に残している。

ここで日本でもよく知られているエピソードを紹介しよう。

先ず、フィリピンでの対日戦争を指揮したマッカ―サが日本軍の猛攻に敗北しオーストラリアへ敵前逃亡した時、誇り高きマッカーサーは面目丸潰れになった。

そこでマッカーサーは従軍記者を相手に次のような大見えを切った。

I shall return (必ずや私は戻るだろう)

この日本軍の攻撃を前にした敵前逃亡は、マッカーサーの軍歴の中で数少ない失態となり、後に「10万余りの将兵を捨てて逃げた卑怯者」と言われた。

また、「I shall return.」は当時のアメリカ兵の間では「敵前逃亡」の意味で使われた。

敵前逃亡で面目を潰したマッカーサーは、オーストラリアに逃亡し、再度フィリピンに上陸したとき、「I shall return.」を身をもって証明した。

レイテ島に再上陸を果たすマッカーサー

この時撮影された、レイテ島に上陸するマッカーサーの著名な写真は、当時フィリピンでも宣伝に活用されたが、これは実際に最初に上陸した時のものではなく、翌日に再現した状況を撮影したものである。 マッカーサーが上陸した地点では桟橋が破壊されており海中を歩いて上陸するしかなかったが、この時撮影された写真を見たマッカーサーは、海から歩いて上陸するという劇的な情景の視覚効果に着目し、再び上陸シーンを撮影させた。

アメリカ国立公文書館には、この時に船上から撮影された映像が残されており、その中でマッカーサーは一度上陸するものの自らNGを出し、戻ってサングラスをかけ直した後、再度撮影を行う様子が記録されている

 

マッカーサーの巧妙な占領政策は、表面では自由と民主主義を標榜しながら、実際は、「言論弾圧」、つまり「焚書坑儒」を実施した。

マッカーサーは日本占領に際し、数多くの占領政策を実施したがその詳細はここでは立ち入らず、最も日本に影響を残し現在でもその後遺症を引きづっている政策は、「公職追放」である。公職追放が戦後約70年経過しても、依然として日本人の心をむしばみ続けている事実を知ったら、当事者のマッカ―サは「日本人は精神的に13歳」と呟いて仰天しただろう。

■自由と民主主義を普及する正義の戦争

連合国軍最高司令官、ダグラス・マッカーサーの主要な任務は、

戦争犯罪人の処罰

▽非軍事化

▽民主化-の3つだった。そこでマニラの極東司令官時代からの部下「バターン・ボーイズ」をGHQの要所に配し、権力をより固めた。

中でも信頼を寄せたのが、弁護士出身の将校である民政局(GS)局長、コートニー・ホイットニーだった。GHQ内で唯一マッカーサーとアポなしで面会でき、ほぼ毎夕1時間ほど面談した。

これにより、ホイットニー率いるGSはGHQ内で覇権を握り、主要な占領政策をほぼ独占して推し進めることになった。

だが、GSの「民主化」は急進的かつ社会主義的だった。戦前の政府要人や大物議員、財界人は「反動的」とみなして次々に公職追放し、日本社会党に露骨に肩入れしたため、政界は混乱が続いた。

GSは、外相を経て首相となる吉田茂も敵視した。吉田の孫で、現副総理兼財務相の麻生太郎(75)はこう語る。

「祖父はマッカーサーとの信頼関係を醸成することでGSの介入を排除しようとしたんだな。ホイットニーに呼ばれても『わしはトップとしか会わんよ』と無視を決め込んでいたよ」

では、どうやって吉田は、気難しいマッカーサーの信頼を勝ち得たのか-。

× × ×

 
これに伴い戦前に駐日米大使を務めたジョセフ・グルーら知日派の「ジャパン・ロビー」が復権した。GHQ内ではGSと他部局の覇権争いがあり、23年10月の第2次吉田内閣発足時にはGSは力を失っていた。

占領政策は「民主化」から「経済復興」に大きく舵が切られた。だが、超緊縮財政を強いるドッジ・ラインで大不況となり、日本の本格的な復興が始まったのは、皮肉にも昭和25年6月に勃発した朝鮮戦争により特需となったからだった。

× × ×

GHQの「非軍事化」「民主化」の切り札はもう一つあった。民間情報教育局(CIE)が担った「ウオー・ギルト・インフォメーション・プログラム(WGIP)」だ。

これは徹底的な言論統制とプロパガンダ(政治宣伝)で日本人に贖罪意識を植え付けるという非民主的な策謀だった。

言論統制の象徴である「新聞報道取締方針」は戦艦ミズーリでの降伏調印式から8日後の昭和20年9月10日に発せられた。GHQへの批判はもとより、進駐軍の犯罪・性行為、闇市、飢餓-など30項目が削除・発禁対象として列挙された。

GHQは手始めに9月14日に同盟通信社(共同、時事両通信社の前身)を翌15日正午まで配信停止とし、事前検閲を始めた。9月18日には朝日新聞を2日間の発禁処分にした。原爆投下を批判する鳩山一郎(後の首相)の談話を掲載したためだった。これ以降、各紙はGHQの礼賛記事を競って掲載するようになった。

20年12月8日、日米開戦の日に合わせて新聞連載「太平洋戦争史」(計10回)が全国の日刊紙で始まった。中国やフィリピンで行った日本軍の残虐行為を断罪する内容で、GHQは連載終了後、文部省に対して太平洋戦争史を教科書として買い取るよう命じた。

12月9日にはNHKラジオ番組で「真相はこうだ」の放送を始めた。反軍国主義の文筆家が少年の問いかけに答える形で戦争中の政治・外交を解説するこのシリーズは2年間も続いた。

CIEの手口は巧妙だった。「誰が日本を戦争に引きずり込んだのか」という問いには「人物を突き止めるのは不可能。責任者は日本人自身だ」と答えて「一億総懺悔」を促した。自らの言論統制は巧みに隠しながら、戦時中の検閲や言論弾圧を糾弾し、開戦時の首相、東條英機に怒りの矛先が向くよう仕向けた。

放送当初は懐疑的・批判的な日本人も多かったが、情報に飢えた時代だけに聴取率は高く、次第に贖罪意識は浸透していった。

ところが、昭和23年に入るとCIEは方針をジワリと転換させた。2つの懸念が出てきたからだ。1つは広島、長崎への原爆投下への憎悪。もう1つは、東條英機が東京裁判で主張した「自衛戦争論」だった。この2つに共感が広がると日本人の怒りは再び米国に向きかねない。

こう考えたCIEは「侵略戦争を遂行した軍国主義の指導者層」と「戦争に巻き込まれた一般国民」という構図を作り出し、批判をかわすようになった。宣伝工作や検閲も日本政府に代行させるようになった。

文芸評論家の江藤淳が『閉された言語空間』でGHQの言論統制を暴いたのは戦後30年以上たった昭和50年代後半。ジャーナリストの櫻井よしこが『真相箱の呪縛を解く』でさらに詳しく告発したのは21世紀に入ってからだ。WGIPは戦後70年を経た今もなお日本人の歴史観を束縛し、精神を蝕んでいる。

 

 マッカーサーは武器は拳銃一つすらも帯同せずレーバンのサングラスを着用、コーンパイプを手にバターン号から着陸用の階段を一歩降りて、辺りを睥睨した。 

その姿は歌舞伎で大見えを切る千両役者そのものであった。後でわかったことだがマッカーサー程他人の目を気にする人物もめずらしい。

■上司マッカーサーから「演技」を習ったアイゼンハワー副官」

7年間に渡ってマッカ―サの副官を勤め後の上司のマッカーサーを抜いて米国大統領になったアイゼンハワーはマッカーサー参謀総長の副官時代を振り返って、次のように上司を褒め称えている。「マッカーサー将軍は下に仕える者として働き甲斐のある人物である。マッカーサーは一度任務を与えてしまうと時間は気にせず、後で質問することもなく、仕事がきちんとなされることだけを求められた」「任務が何であれ、将軍の知識はいつも驚くほど幅広く、概ね正確で、しかも途切れることなく言葉となって出てきた」「将軍の能弁と識見は、他に例のない驚異的な記憶力のたまものであった。演説や文章の草稿は、一度読むと逐語的に繰り返すことができた」と賞賛している。

■マッカーサーから「演技」を学んだアイゼンハウワー

その一方、アイゼンハウワーはマッカーサーの影の部分も指摘している。連合国遠征軍最高司令官、アメリカ陸軍参謀総長と順調に経歴を重ねていくアイゼンハワーは、ある婦人にマッカーサーを知っているか?と質問された際に「奥さん。私はワシントンで5年、フィリピンで4年、彼の下で演技を学びました」と総括したとも伝えられている。

アイゼンハワーの陸軍士官学校の成績は平凡で、卒業時、164人中61番だった。もし彼が旧帝国陸軍の軍人だったら、うだつのあがらない平凡な存在だったであろう。

陸軍士官学校を一位で卒業した誇り高きマッカーサーは、歴史の節々で有名な「殺し文句」を、後世に残している。

ここで日本でもよく知られているエピソードを紹介しよう。

先ず、フィリピンでの対日戦争を指揮したマッカ―サが日本軍の猛攻に敗北しオーストラリアへ敵前逃亡した時、誇り高きマッカーサーは面目丸潰れになった。

そこでマッカーサーは従軍記者を相手に次のような大見えを切った。

I shall return (必ずや私は戻るだろう)

この日本軍の攻撃を前にした敵前逃亡は、マッカーサーの軍歴の中で数少ない失態となり、後に「10万余りの将兵を捨てて逃げた卑怯者」と言われた。

また、「I shall return.」は当時のアメリカ兵の間では「敵前逃亡」の意味で使われた。

敵前逃亡で面目を潰したマッカーサーは、オーストラリアに逃亡し、再度フィリピンに上陸したとき、「I shall return.」を身をもって証明した。

レイテ島に再上陸を果たすマッカーサー

この時撮影された、レイテ島に上陸するマッカーサーの著名な写真は、当時フィリピンでも宣伝に活用されたが、これは実際に最初に上陸した時のものではなく、翌日に再現した状況を撮影したものである。

■歴史の皮肉『鉄の暴風』と『アメリカの鏡 日本』

敗戦国日本の新聞社沖縄タイムスが発刊した『鉄の暴風』が米軍の事を「人道的」と褒め上げたが、その一方戦勝国アメリカGHQの要因ヘレンミラーは書いた『アメリカの鏡 日本』は、日本では発売禁止であった。

『アメリカの鏡 日本』抄訳刊行にあたって

【占領が終らなければ、日本人は、この本を日本語で読むことはできない】

(ダグラス・マッカーサー(1949年8月6日付書簡)

この本の原著『Мirror Àmericans:japan』がアメリカで出版されたのは、日本の敗戦後三年目、1948年(昭和23年)であった。

翻訳家・原百代氏はヘレンミアーズより原著の寄贈を受け日本での翻訳出版の許可を求めた。しかし、その望みは断たれた。翻訳出版不許可の決定が下されたのだ。

マッカーサーは上記書簡の中で、「私はいかなる形の検閲や表現の自由の制限も憎んでいるから、自分でこの本を精読したが、本書はプロパガンダであり、公共の安全を脅かすものであって、占領国日本における同著の出版は、絶対に正当化できない」と述べている。

そして米軍の日本占領が終了した翌年の1953年(昭和二十八年)、原氏の翻訳は『アメリカの反省』として出版された。

大東亜戦争をはじめとする近代日本の戦争は「野蛮で凶暴な侵略者」の日本と「自由と平和の守護者」米英露と中華連合国の戦いっていう単純化された歴史では無かったということである。

学校で歴史を教えてる教師や「戦争法案」とかレッテル貼する政治家はこういう本を読んでみるべきだ。

欧米流で合法的な国家運営をしようとしていた日本が、桁違いに凶暴な西欧帝国主義国家の狡猾さに翻弄された事実がはんめいする。無慈悲な殺戮に斃れた我らの祖父母は無念であろう。何故勝てない戦争をしたのか知りたい人は読むべきだ。

マッカーサー「占領が終わらなければ、日本人は、この本を日本語で読むことはできない」 本書が日本の敗戦後、三年目にアメリカで発売されたものであることに驚いた。
開国から敗戦までの日本、何を学び何を誤ったのかが、かなり公正に書かれている。 訳者も書かれていたが、私もまた、悲惨で惨めに死んでいった日本人についての記述は泣きながら読んだ。 日本の戦争へ至った道のりに疑問を持つ人は是非、読んでほしい。
我々の父祖は決して、野蛮で好戦的な民族ではない。物事が起こるには、様々な理由があるのだ。
 
「近代日本は西洋列強がつくり出した鏡であり、そこに映っているのは西洋自身の姿なのだ(326頁)」・・・1948年の出版時、マッカーサーにより翻訳出版が禁じられたという本。日本が満州事変、支那事変を経て真珠湾攻撃へと突き進むまでの経緯、中国をめぐるパワーゲーム、そして近代日本と欧米列強の関係性について冷静且つ緻密に分析されており、何より戦後すぐに‘米国人によって書かれた’という事実に驚かされた。‘法的擬制’、‘二重基準’、‘権益確保’、‘人種問題’等のキーワードでまとめてしまうには、深く重すぎる内容。必読。
 
■「公職追放」逃れた當間重剛・琉球政府主席

當間重剛・琉球政府主席は、初代那覇市長だった当間重慎の息子として沖縄県那覇(現・那覇市)に生まれる。

沖縄県立第一中学校、旧制第三高等学校を経て、1920年に京都帝国大学法学部を卒業。1939年に那覇市長に選出され、戦時中は大政翼賛会沖縄県支部長を務めた。 沖縄戦後には一転沖縄民政府行政法務部長を歴任し、1946年には戦前の市町村長経験者を市町村長に起用する米軍の特別措置に伴い再度那覇市長に就任。その後、琉球上訴裁判所首席判事を経て1953年に又吉康和市長の死去に伴う那覇市長選挙に出馬し当選。首里市や小禄村の合併を実現させ、比嘉秀平主席の急死に伴い1956年に琉球政府行政主席に就任した。

 

援護法と沖縄戦   沖縄タイムス『鉄の暴風』はGHQの指令と支援でつくられた
2024-02-10 07:06:33 | 政治
 

マッカーサーの指令により刑務所から釈放されて沖縄出身の共産党員徳田球一の出身地である名護市のガジュマル公園には、功績を記念して市によって記念碑が建立されている。

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石垣港湾ストで物流に被害 米艦船寄港に抗議

2024-03-21 05:47:31 | 政治

 

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【ゆっくり解説】あの後も沖縄タイムス阿部記者は変なことばかり言ってます…

 

石垣港湾ストで物流に被害 米艦船寄港に抗議

 

新たな反米運動となる懸念も

石垣港に寄港した米ミサイル駆逐艦「ラファエル・ペラルタ」(目撃者提供)

全日本港湾労働組合(全港湾)沖縄地方本部が、石垣市の石垣港で11日から3日間にわたり全面ストライキを強行し、八重山地域一帯で物流が滞るなど大きな被害が発生した。米艦船の同港への寄港に抗議する形でストが行われたが、同市の中山義隆市長は「適法な手順を踏んでいない」と批判。県労働委員会は関連法に規定されている「争議行為に当たらない」との見解を示しているが、政治的目的を行使するためのストだった場合、新たな反米・反自衛隊運動に利用されかねない懸念がある。(沖縄支局・川瀬裕也)

中山市長が違法性を指摘

県労働委「争議行為に当たらず」

全港湾沖縄地方本部は11日、那覇市内で会見を開き、米海軍ミサイル駆逐艦「ラファエル・ペラルタ」の石垣港湾区域内への停泊に伴い、荷役作業に当たる組合員の「安全を確保できない」などとして、13日の同艦船離岸までの間ストライキを実施すると発表した。同本部は昨年9月に米掃海艇が石垣港に入った際もストを実施しており、「争議行為は今回で2回目」だとしている。当初、石垣港に加え、那覇港(那覇市、浦添市)でもストを実施すると通告していたが、「労働者の安全確保に関する認識が共有できた」として見送られた。

同艦船停泊に関して同市の中山市長は、沖合での停泊であることや上陸方法などを確認した上で「安全性が確認できた」とし、法的に拒否する理由はないとして入港を許可した。

玉城デニー県知事は11日、この件に関して「緊急時以外の民間港の使用は自粛すべきだ」とコメント。日米地位協定では、米軍は申請すれば日本の空港や港湾などを利用することができるため、自粛要請にとどめた形だ。とはいえ、「こういう事態を招いてしまうことを米軍や防衛省はしっかり受け止めて」と、その矛先はしっかりと米軍と政府に向いている。

地元紙なども「住民脅かす軍事施設化(3月13日付八重山毎日新聞社説)」などと見出しにとり、猛烈に批判した。

品薄になったスーパーの写真と共にスト解除を求める投稿(現地在住者と思われるアカウントによるXの投稿より)

一方で、ストの強行に伴い石垣島や宮古島など、八重山地域のスーパーなどでは一部の生鮮食料品が品薄となり住民生活に影響が発生。SNSなどでは、空になった商品陳列棚の写真と共にストの解除を求める投稿が相次いだ。

これらの動きを受け、石垣市議会では12日、ストの即時解除を求める要請決議が賛成多数で可決され、同日全港湾沖縄地方本部に送付されたが、事前の告知通り、ストは13日まで続けられた。

中山市長は14日の記者会見で、一連のストについて、労働関係調整法に違反しており、「適法な手順を踏んだものではなかった」と語った。同法では、公益事業の従事者が争議行為を行う場合、10日前までには県労働委員会および厚生労働相または都道府県知事にその旨を通知しなければならないと定められている(37条)。しかし、この点について市が県労働委員会事務局に問い合わせたところ、ストで必要となる事前の通知が無かったことを確認したという。

ストによる商品の未入荷を謝罪する張り紙(SNSより)

これを踏まえて、市が適切な対処をするよう求めたが、県労働委員会は同ストについて、「中央労働委員会事務局および厚生労働省との同一見解のもと、労働関係調整法に規定されている争議行為に当たらず、一連の手続きも不要」と市側に回答したという。

中山氏は、争議行為(スト)自体について、憲法28条(勤労者の団結する権利及び団体交渉その他の団体行動をする権利)により保障されている正当な権利として認めることに異論はないとした上で、今回の石垣港湾のストについて「正当な争議行為に当たるかどうかは最終的には司法の判断」だとしながらも、仮に正当な争議行為に当たらなかった場合、デモや抗議活動の一環として、憲法が保障する「表現の自由」の範疇(はんちゅう)となり、「公共の福祉のため必要かつ合理的な制限を受けるものと認識している」との見解を表明。

その上で中山氏は、今回のストによって貨物船の荷役作業が止まり、島々の物流が混乱したとして、「政治的な闘争を背景にした住民生活を盾に取るストライキは、今後、厳に慎んでいただきたい」と訴えた。

ストの目的は「有利な労働条件を確保することを目指す」と定められている。もし特定の政治目的を行使するために強行されたのであれば、新たな「反米軍・反自衛隊運動」として利用されかねない懸念がある。その点も踏まえ、今回のストについて検証する必要がありそうだ。

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【電気自動車】米テスラの株安止まらない 直近ピークから5割下落 EV市場減速

2024-03-21 04:24:00 | 政治

 

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助けて!テスラの株価下落が止まらず50%減少する異常事態に!EVはオワコンなのか【ゆっくり解説】

 

2024年03月20日

 

【電気自動車】米テスラの株安止まらない 直近ピークから5割下落 EV市場減速

1 名前:ぐれ ★:2024/03/20(水) 07:20:35.17 ID:I01u8+GD9.net
※3/18(月) 13:35配信
時事通信

 【ニューヨーク時事】米電気自動車(EV)大手テスラの株安が止まらない。

 世界的なEV市場の減速懸念などを背景に、2023年夏に付けた直近のピークから5割弱も下落した。一時期は半導体大手エヌビディアなどとともに米相場をけん引する「マグニフィセント・セブン(壮大な7社)」と呼ばれたが、その称号を失いつつある。

引用元
https://news.yahoo.co.jp/articles/0e8ca85e2e5b4f149a09f50768d4a58ea6933103
2: アフターコロナの名無しさん 2024/03/20(水) 07:21:48.92 ID:ezjtv4DG0
だってトップが

3: アフターコロナの名無しさん 2024/03/20(水) 07:22:06.46 ID:aKjTRnL/0
EVは不便だからね

10: アフターコロナの名無しさん 2024/03/20(水) 07:30:58.47 ID:QQWs7vvx0
トヨタ頑張れ

4: アフターコロナの名無しさん 2024/03/20(水) 07:22:06.81 ID:LJvaxgpU0
欧米か

7: アフターコロナの名無しさん 2024/03/20(水) 07:26:40.84 ID:Jrs/SK9j0
ついにアメリカのバブル弾けたか

11: アフターコロナの名無しさん 2024/03/20(水) 07:32:30.52 ID:HK3bN4ZL0
もしかして買い時ジャマイカ

12: アフターコロナの名無しさん 2024/03/20(水) 07:32:54.97 ID:zHUXFZoV0
元のガレージハウスへ

13: アフターコロナの名無しさん 2024/03/20(水) 07:33:54.57 ID:u+Lpllym0
やっぱりトヨタスゲーッて思っちゃうわ好きじゃないけど

14: アフターコロナの名無しさん 2024/03/20(水) 07:33:57.06 ID:SNz6rwde0
バッテリーが次のレベルまで発達しないと
限界なんでないか

15: アフターコロナの名無しさん 2024/03/20(水) 07:34:10.05 ID:i1IfuA5M0
高かったテスラ車の下取り価格大暴落か
ザマァ

17: アフターコロナの名無しさん 2024/03/20(水) 07:34:58.25 ID:PVh9IG9i0
半額でも高い

18: アフターコロナの名無しさん 2024/03/20(水) 07:35:55.77 ID:ys9zG7rP0
3万キロ超えて走ってたら爆発とかしないのかな?近くにいたら怖い

19: アフターコロナの名無しさん 2024/03/20(水) 07:36:22.28 ID:4QVqNdiL0
常に電欠のこと考えながら運転する車なんて少なくとも内燃車が無くなるまで絶対に買わない。

20: アフターコロナの名無しさん 2024/03/20(水) 07:36:49.26 ID:HCwMbJL+0
全員が使ったら充電施設がパンクするから利用率が低くないと機能しない意味不明な構造

23: アフターコロナの名無しさん 2024/03/20(水) 07:38:00.82 ID:fag8PuLs0
どうにも止まらない♪

25: アフターコロナの名無しさん 2024/03/20(水) 07:38:23.66 ID:BGphASsh0
またXは身売りか

27: アフターコロナの名無しさん 2024/03/20(水) 07:39:17.78 ID:ZaKWnwzA0
高品質で真面なバッテリーを積んだEVを販売しようとすればEV価格は現状の販売価格の数倍数十倍になる
これが真実

28: アフターコロナの名無しさん 2024/03/20(水) 07:40:22.23 ID:ZDDFfWa90
中国共産党にいいように使われて捨てられた存在

30: アフターコロナの名無しさん 2024/03/20(水) 07:41:33.61 ID:Y6OtwQws0
おまえらトヨタの株買っておけ
世界の自動車産業を牛耳るレベルで一人勝ちだぞ

31: アフターコロナの名無しさん 2024/03/20(水) 07:42:07.04 ID:IjjXuKaL0
テスラというかEVもつのはそんなに悪くないと思う
お買い物車として近場で使うことと家に発電施設あれば

32: アフターコロナの名無しさん 2024/03/20(水) 07:42:10.63 ID:9S0MEUfo0
EVとかだけじゃなくて自動運転とかのソフトへの期待を込めて株を買ってたのもいたんだろうけどな

33: アフターコロナの名無しさん 2024/03/20(水) 07:42:17.47 ID:HCwMbJL+0
どんどん利用者が増えていくってモデルが欺瞞
金あるやつともの好きが買えただけでそれ以上は広がらん。

43: アフターコロナの名無しさん 2024/03/20(水) 07:45:18.64 ID:PIEOlzBz0
EV路線は悪くないが技術が追い付いとらん30年後に期待やw

50: アフターコロナの名無しさん 2024/03/20(水) 07:48:21.50 ID:gQzVtYaT0
そりゃまあEV車はノルウェーで大失敗したしなあ
上がるわけ無い

52: アフターコロナの名無しさん 2024/03/20(水) 07:49:26.66 ID:ys9zG7rP0
今半額ならマスクは売り終わってるな

62: アフターコロナの名無しさん 2024/03/20(水) 07:57:06.03 ID:GmS1WJzZ0
もうEVはテスラと中国EVしか生き残らないと思うわ
そのテスラですらBYDに負けると思う

64: アフターコロナの名無しさん 2024/03/20(水) 07:57:35.95 ID:5xK66vu00
韓国がEV陣営に付いた時点で法則不可避だった

65: アフターコロナの名無しさん 2024/03/20(水) 07:57:48.14 ID:tY+Zy7t+0
中古が出回ってきたらこうなるわな

69: アフターコロナの名無しさん 2024/03/20(水) 08:00:31.21 ID:2AHnGpGc0
自宅駐車所持ってない人は買わんだろ

86: アフターコロナの名無しさん 2024/03/20(水) 08:11:58.52 ID:kL8KAll90
イーロンマスク終了のお知らせ

104: アフターコロナの名無しさん 2024/03/20(水) 08:25:51.39 ID:U50W1zoX0
営業利益 テスラ 1.3兆円 トヨタ 4.2兆円
時価総額 テスラ 80兆円 トヨタ 60兆円

どっち買う?

120: アフターコロナの名無しさん 2024/03/20(水) 08:37:51.29 ID:BNnbA/0v0
ちなみにトヨタの時価総額はこの円安にもかかわらず、最近サムスンを超えた
サムスンを上回るのは俺の記憶ではここ10年はなかった

131: アフターコロナの名無しさん 2024/03/20(水) 08:40:53.75 ID:YyQqZbvO0
ここで買えるやつが勝つ

137: アフターコロナの名無しさん 2024/03/20(水) 08:43:01.52 ID:BIDSKgw00
でしょうねとしか
でも地域によってはいいんじゃないの?EV

138: アフターコロナの名無しさん 2024/03/20(水) 08:43:23.28 ID:kgBKOA5R0
こうなるともう止まらねえな😙

145: アフターコロナの名無しさん 2024/03/20(水) 08:46:14.58 ID:BNnbA/0v0
テスラは最初から一貫した思想で車作り続けてるから生き残ると思う
むしろざまあみろと思うのはEVシフトにわかにはじめて今ハシゴはずされてる欧州メーカーだな
VWとか


元スレ:https://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1710886835/0-
 
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マッカーサーの置土産!東京裁判こそ戦争犯罪だった

2024-03-20 04:30:58 | 政治

 

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【もしトランプが大統領に再選したら】『経済 対中国 憲法改正 日本の大チャンス』

戦争犯罪国はアメリカだった!

『英国人記者が見た 連合国戦勝史観の虚妄』

ヘンリー・S・ストークス 著 藤田 裕行 訳 2016.04.29 発行
ISBN 978-4-8024-0016-9 C0021 四六並製 272ページ 定価 1760円(本体 1600円)


今年は、市ヶ谷で極東国際軍事法廷、
いわゆる東京裁判が行われてから70年の節目に当たる。

私は日本国民が、東京裁判の虚妄に目覚め、
史実と正義の声を上げてくれることに、期待している。
日本人が、そう思わないことには、
日本の名誉が回復されることは無い。

           ― ヘンリー・スコット・ストークス


序章 東京裁判こそ戦争犯罪だった

戦争犯罪国はアメリカだった!

私は市ヶ谷防衛省内にあるかつて東京裁判が行われた講堂を、何度も訪れたことがある。
戦勝国が一方的に敗戦国を裁くことは許されない。戦勝国が敗戦国を裁いて、戦争犯罪人として一方の将兵のみを処刑するのは復讐だ。
昭和二十年八月十五日は、停戦の日だ。それから九月二日に降伏文書の調印式が、戦艦ミズーリ号の艦上で行われ、日本の占領が始まった。
占領期間は、戦争中である。日本は、主権を持っていなかった。
その中で、戦時捕虜にあたる東條英機をはじめとするいわゆる「A級戦犯」を、不当な裁判にかけ、絞首刑で殺した。これはリンチであり、捕虜殺害というれっきとした戦時国際法違反である。処刑それ自体が戦争犯罪だった。
東京裁判を覆った空気について、多くの関係者から聞いたことがある。法廷の空気はとても邪悪で、毒気が漂っていた。残忍さが渦巻き、検察側には、悪意が感じられた。このため法廷には、恐ろしい気配が充満していた。東京裁判は、数年に及んだ。その全てが不法だった。

私が五○年余を過ごした日本外国特派員協会の斜め向かいに、第一生命ビルがある。マッカーサーは皇居を見下ろすこの建物に、総司令部を構えた。マッカーサーは全てを、まるでドラマの場面のように演じた。自尊心の自家中毒によって、病んでいた人間だった。この総司令部もマッカーサーの演出に一役買っていた。
ドイツのニュルンベルグ裁判はイギリスが主導した。そのために、アメリカには出番がなかった。マッカーサーは、日本人への復讐や、アジアへの見せしめに加えて、世界へアメリカの正義を発信しようと東京裁判という芝居を上演したのだ。
日本外国特派員協会は、マッカーサーの日本占領と同時に設立された。理由は、アメリカによる日本占領が、いかに正しく、人道的であり、歴史の偉業であるか、全世界へ報道させるためだった。日本外国特派員協会の会旗にも、「一九四五年設立」と占領の年が、誇らしげに刻まれている。
いわば日本占領の、もっといえば、東京裁判史観を世界中に撒き散らした総本山が、日本外国特派員協会と言ってもいい。マッカーサーは、メディアの力をいっぱいに活用して、自らのエゴを美しく飾り立てた。
連合国占領軍総司令部という公的な組織のような名称を冠しているが、GHQはマッカーサー一人のものだった。マッカーサーの意志が全てだった。だからそこには、マッカーサーのエゴが、見てくれの演出を好む、映画プロデューサーのような、ナルシストの性格が露わに映し出されていた
もう十年近く、私は黒船来航で知られるマシュー・ペリーについて研究してきた。その過程でGHQのマッカーサーについても比較対象のために調査を重ねた。その研究の一部は、外交評論家の加瀬英明氏との共著『なぜアメリカは対日戦争を仕掛けたのか』(祥伝社新書)で紹介しているので、そちらも合わせて読んでいただきたいが、ペリーもマッカーサーも、自己中心的で、自己顕示欲が過剰な、自分のパフォーマンスを何よりも最優先して考える人間だった
日本の占領政策も、東京裁判も、マッカーサーの内面が、具体的な日本占領になって露出した姿そのものだ。その傲慢さと不実は、唾棄すべきものがある。
マッカーサーは、日本の「将軍」を気取っていた。しかも実際の将軍と異なり、その権限はまさに「全能」で、神のようであった。神の御技の地上代行者と過信して、天皇も含めて、全ての被造物をまるで創造主であるかのように、国際法も一切遵守することもなく占領政策を策定し、推進した。
自ら全世界に向けて、アメリカの正義がどのようなものかを、発信しようとした。未開の人々に、文明とはどのようなものか、正義とはどのようなものか、全てのことはどのように解釈され、判断されるべきなのか、その基準をパフォーマンスとして、演出した。
おぞましい矛盾だ。正義を貫くというパフォーマンスに、正義の欠片もなかった。結果的に、まったく正義と公正を欠いたものとなった。文明も、正義も、公正も全て、アメリカが美徳と誇り掲げるものが、日本の占領には存在しなかった。
東京裁判は、アメリカが代表する文明や、正義、公正という美徳を信じた日本人の多くを失望させ、アメリカへの不信を深めさせた。
占領中にアメリカがしたことは悪だった。おぞましい復讐であり、リンチであった。完璧な欺瞞、ナンセンスだけがそこに残された。
マッカーサーは、白人の優越を示そうと意図した。古くはプラトンやソクラテスの活躍したギリシャ文明にまで遡る西洋の文化や文明、伝統と理想の優越を、小さな黄色い種族による未開で、野蛮な社会に見せつけようと試みた。文明の正義とはどのようなものか、思い知らせてやろうと思った。白人の西洋世界における規範とはどのようなものかを、法の支配とはどのようなものかを、未開な民族に教え込もうとした。
日本国民全員が、東京裁判の被告だった。その文明の崇高なる叡智を、ただただ素直に、無批判に受け入れれば良かったのだ。これが、マッカーサーの傲慢で、高飛車な姿勢だった。
今日、日本の大新聞、文部科学省、文化人をはじめ多くの日本国民が、東京裁判史観を信じている。今日の日本は、いまだにマッカーサーの呪縛の渦中にある。
裁かれるべきは、戦勝国側だった。そして公正という、アメリカが高らかに掲げてきた美徳を、規範を、原則を葬り去って、裁判という名に値しない茶番劇を続けた。フェア・プレーの精神を地に貶めて、欺瞞を貫いた。それが東京裁判だった。
西洋文明が為したことは、結果的に非文明の所作であり、正義の基準は、全く実践されなかった。悲しいことであり、また邪悪なことでもあった。
ウェッブ裁判長は、オーストラリアへ戻って退居した後に、「あの裁判は、誤っていた」と、語っている。
今年は、市ヶ谷で極東国際軍事法廷が行われてから七十年の節目の年にあたる。
私は、日本国民が、東京裁判の虚妄に目覚め、史実と正義の声を上げてくれることに、期待している。日本人が、そう思わないことには、日本の名誉が回復されることはない。

二〇一六年三月
ヘンリー・スコット=ストークス


本書の紹介動画です



目次


序章 東京裁判こそ戦争犯罪だった

第一章 極東国際軍事裁判研究プロジェクト
講演『東京裁判の虚妄とジャーナリズム』

第二章 三島由紀夫の『市ヶ谷事件』
なぜ三島由紀夫はあのような事件を起こしたのか?
事件当日

第三章 アメリカによる洗脳
なぜか戦勝国の正義をプロパガンダする日本
洗脳されたことに気づかない日本のメディアと国民
「A級戦犯」という表記は誤りである
「A級戦犯」が祀られる靖国神社を参拝してはいけない?
民意に反して、軍部が戦争に国民を引きずりこんだ?
日本は、侵略戦争を起こし、アジアの人々と戦った?
日本軍は、アジア諸地域、太平洋戦域で多くの民間人を犠牲にした?
日本軍は、沖縄の人々を見捨て、犠牲にした?
東京大空襲や広島・長崎への原爆投下は、日本が過ちを犯したから?
WGIPの洗脳を解くには

第四章 イエズス会の独善的な日本布教
神がモーゼに与えた神託
狂信的な布教をしないクリスチャン
アメリカのテレビ福音伝道師
イエズス会は、権力を利用して布教した
権力者に媚びるキリスト教宣教師たち
フロイスの『日本史』で読むイエズス会の姿
秀吉の庇護を受けるイエズス会
北政所まで利用するイエズス会
イエズス会の独善的布教に激昂した秀吉
人身売買をしていたキリスト教徒たち
天正少年使節団による悲しい報告

第五章 白人キリスト教徒による世界侵略と有色人大虐殺
共栄をめざした日本の海外進出
農耕民族的な日本人と狩猟民族的な白人キリスト教徒
異教徒は、殲滅する教え
キリスト教十字軍の誇り
ポルトガルとスペインによる世界侵略
マゼランは、なぜ殺されたのか
「黒い伝説」と呼ばれるもの
帝国を築く礎となった海賊たち
清教徒の「マニフェスト・デスティニー」
鎖国はキリスト教徒の横暴を阻止するためだった

第六章 「レイプ・オブ・江戸」と明治維新
「黒船」来襲が象徴した侵略と虐殺
三島が黒船を嫌悪した理由
平和な日本に突如として現れた「外夷」
黒船来航に動揺する幕府と朝廷
日本に迫る大国ロシアの脅威
激震する安政の日本
孝明天皇の「攘夷」の意志

第七章 白人支配の世界で独立主権を貫いた日本
白人列強の軍事的脅威
『錦の御旗』の権威
熊本に「神風連」を訪ねる
白人支配の世界で有色人種が独立を保つには
白人に唯一対抗できた日本
日本に迫る白人列強の脅威
天津条約と朝鮮半島の情勢
日清戦争と甲午改革
北の脅威、大陸の情勢
三国干渉という白人列強の侵略行為

第八章 民族平等の世界を目指した大東亜共栄圏
徳富蘇峰を叩きのめした三国干渉
大東亜会議は、世界初の『有色人サミット』だった
『大東亜戦争』という呼称を蘇らせよう
『大東亜会議』七十周年での私の演説
『レイス・ウォー』の驚愕の内容
日本はアジア諸国と戦争をしていない

第九章 連合国によって「創られた」裁判
東京裁判を受け入れた?
「違法裁判は無効」という当たり前のことが無視されている
裁判を勝手に開いても、無効だ!
検察官は、裁判官を務められない
法理に従う法廷ではなく行政処分をする役所だった
明確な『管轄権』がなかった東京裁判
『事後法』によって戦争犯罪人を作り出した
捕虜の不当な処刑は、国際法違反の戦争犯罪
『勝者の裁き』を明白にしたベンブルース・ブレイクニー少佐
ジョージ・ファーネスの思い出
文明に逆行する東京裁判を日本は絶対に認めてはならない
いまだに占領の呪縛の下にある日本

第十章 東京裁判七〇年の虚妄を打ち破れ!
世界が認めていない東京裁判
英文「判決」は、七月にできあがっていた
「少数意見」は、黙殺された
『判決の日』──昭和二十三年十一月十二日
死刑判決は、どのように決まったか
「出来レース」の裁判
戦争責任を個人に帰した「死刑」判決
パール判事の『日本無罪』論を検証する

第十一章 大東亜戦争の真実
大虐殺をしてきたのは白人キリスト教徒の『列強』だった
満洲事変は、日本の侵略戦争ではない!
支那事変は、日本の侵略戦争ではない!
盧溝橋事件は、共産党が仕掛けた
『南京大虐殺』は通州での邦人大虐殺のカモフラージュ
大東亜戦争は日本にとっては自衛戦争だった

最終章 三島由紀夫はなぜ「市ヶ谷」で自決したのか!?
日本軍の侵攻を歓喜して迎えたアジアの植民地の人々
日本軍は、高貴な軍隊だった
語られないアメリカ軍の残虐行為
東京大空襲と『赤い吹雪』
アメリカ人には理解できなかった日本の徹底抗戦
『キャリー・オン』
東京裁判と原爆投下の正義
なぜ「国際法違反」の東京裁判を実行できたのか?
三島が「市ヶ谷」で表現したかったこと
三島由紀夫を動かした『英霊の声』
三島が「市ヶ谷」を選んだ理由

おわりに


本書の紹介動画です


おわりに


この本をまとめさせたのは、三島由紀夫だった。いや、三島がこの本を、私に書かせた。
あの夜、三島は私に詰問した。伊豆の下田で三島と晩餐を楽しんだ後のことだった。
三島は、なぜ、黒船を忌み嫌ったのか。あの日から、その問いは私の心の中で、響いていた。
三島が市ヶ谷で自決した。そのことを本に書こうとした時に、私は不思議な体験をした。まるで、私と別な何者かが、私に代わって本を書いているかのような体験だった。
十年近く前から、私は「黒船」をテーマに本を書こうと試みてきた。しかし、外国特派員協会の一室で原稿を書いていると、そこに三島が現れ、いろいろと訴えてくる。そのためというわけではないが、まだ「黒船」は、完成していない。
しかし本書は、その一○年がかりの「黒船」の探求の、ひとつの全体像を期せずして描く作業となった。
三島は、自衛隊の市ヶ谷駐屯地で自決した。憲法改正を訴え、自衛隊をアメリカの「傭兵」でなく名誉ある天皇の軍隊とすることを、命と引き換えに訴えた。そこは、東京裁判が行われた場所でもあった。それは、偶然だったのか。
三島は、稀代の小説家だった。自分の自決すら一編の小説のように、手の込んだシナリオを描いた。三島はあえて市ヶ谷を、東京裁判の法廷の場所を、「散華」の地に選んだのだった。占領の呪縛を解かんと「自爆攻撃」した。三島が守ろうとしたのは、日本の「国体」だった。「三種の神器」だった。「建軍の本義」だった。君民一体・天皇国の日本だった。
ここ数年、私は多くの著書を出版した。一○万部を超えるベストセラーとなった『英国人記者が見た連合国戦勝史観の虚妄』など一連の著作の背後に、私は三島からの霊言があったと思う。
いまも、三島由紀夫は生きている。まるで小説のような「市ヶ谷事件」を起こして自決したが、その魂はいまも息づいて、二十一世紀の日本に留まっている。その思いを受け止めて、私は本書をまとめた。これは、下田の夜の三島の「黒船」に対する思いを、半世紀近くの時を経て、私なりに感じ取った集大成と言ってもいい。
日本は、大東亜戦争の開戦まで、ずっと平和を望んできた。その日本に脅威を与えたのが、白人キリスト教徒の侵略だった。『マニフェスト・デスティニー(明白なる使命)』を掲げ、有色人種を大虐殺してきた。その脅威を現実に目にした時に、日本は鎖国政策をとった。国防のためだった。日清戦争、日露戦争、満洲事変、支那事変も全て、日本の権益や居留民、また日本そのものを守るためだった。大東亜戦争も同様だった。仕掛けたのはアメリカ。日本は追い詰められて、自衛のために戦争をするしか方途がなかった。「座して死を待つ」ことはできなかったのだ。
日本が大東亜戦争でアジア諸国に侵攻すると、アジアの民は歓喜して喜んだ。数百年にわたって欧米列強の軍隊に虐殺され、植民地支配されてきた。その白魔を駆逐したのが皇軍だった。アジア諸民族は、皇軍に協力して、民族自決、独立のために戦った。
日本軍が残虐行為を行ったとか、大虐殺をしたとか、婦女子を凌辱したなど、でたらめである。皇軍は、天皇の名誉を犯すことがないように、国際法を遵守して戦った。国際法をまったく無視して大虐殺を実行したのは、アメリカだ。戦争犯罪を問題にするなら、犯罪国家はアメリカであって日本ではない。
アメリカでの戦闘に於ける国際法違反をさらにドラマチックな芝居にしたのが、東京裁判だった。東京裁判が不当なものだったことは、東京裁判の判事も、当時のアメリカの政治、軍事の指導者から世界の知識人までが認めている。東京裁判そのものが、国際法違反の復讐でしかなかった。
しかし、占領軍がWGIP(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム)によって、日本が戦争犯罪国家であると、日本人を洗脳した。さらに、メディアに一切の批判をさせないように、戦前よりはるかに厳しい言論統制を行った。こうした占領政策によって、日本のメディアも国民も、まるで日本が戦争犯罪をしたかのように、思い込まされている。
真実は真逆だ。世界を侵略してきたのは欧米列強で、世界中で大虐殺を実行してきた。いわば、「最後の砦」として残されていたのが日本だった。日本が自衛戦を行ったのは、国際法に照らしてもまったく正当な行為である。

戦後七十年を過ぎた。今年は、東京裁判開廷から七十年目の節目の年を迎える。
日本の最大の問題は、日本人がアメリカによる洗脳を自覚することができないことだ。「日本は戦争犯罪をした」とか、「侵略戦争を起こした犯罪国家だ」などというまったくの虚偽を、真実であると思い込んでいることだ。
日本人は、この無明から覚醒せねばならない。日本人は立派な民族である。日本は、戦争犯罪国家などではない。その誇りを取り戻し、いわれなき日本人の父祖に対する名誉毀損を打破することだ。
三島由紀夫は、そのことを魂から訴えようとして、東京裁判が行われたその場所で、自決をしたのだ。いま私は、そのことを三島からの霊言によって、まざまざと知ることになった。
本書は、そのことを日本国民に訴えるために、まとめたものである。日本が主権を回復したとされる四月二十八日と、昭和の日にあたり東京裁判の起訴状が手交された日でもある四月二十九日を前に、本書が出版される意義を読者と共にかみしめたい。

ヘンリー・スコット=ストークス

 

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自衛隊訓練場建設反対!白紙撤回意見書

2024-03-19 18:19:16 | 政治

 

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陸自のうるま市訓練場計画 断念求める意見書可決 市議会が全会一致

沖縄タイムス

Q徒な珍子

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白紙撤回意見書では、「予定地周辺は住宅地が立ち並び、県立石川青少年の家など教育施設もあると指摘。市内63自治会で構成するうるま市自治会長連絡協議会をはじめ、うるま市長や県議会、県知事が白紙撤回を求めている」ということは合理的理由にはならない。何故なら、日本各地には自衛隊の訓練場は市街地・学校近傍に至る所にある。防衛省はしっかりと自衛隊と連接する訓練場が地域住民と共存していることを広報して頂きたい。訓練場白紙撤回になれば、うるま市勝連分屯地配備の地対艦ミサイル連隊の練度維持向上に重大な影響を及ぼす。まるで、「沖縄自治体による反自衛隊感情に基づく、自衛官転居手続き・自衛官の成人式参加拒否」の偏見に満ちた悪夢を思い出す。政府は沖縄を始め日本国の安全保障のため、不退転の決意で「地対艦ミサイル連隊と訓練場」をセットで導入して頂きたい。

  1. <button class="sc-cjRvOu eblupE" aria-label="非表示・報告メニューを表示" data-cl-params="_cl_vmodule:cmt_usr;_cl_link:button;_cl_position:2;" data-cl_cl_index="54">非表示・報告</button>

    沖縄県知事にしても然りだけれど、自衛隊を容認する立場だと言いながら、各論に入ると逡巡する日和見主義が横行するんだよね 沖縄県議会選挙が迫っている時期だから分からないでもないんだけれど ・・・毎月の如く発見される不発弾は、一体どんな組織に依存して除去処理するんだよ

  2. <button class="sc-cjRvOu eblupE" aria-label="非表示・報告メニューを表示" data-cl-params="_cl_vmodule:cmt_usr;_cl_link:button;_cl_position:4;" data-cl_cl_index="90">非表示・報告</button>

    ノリでこんな決議しちゃうと、県から購入責任押し付けられるぞ。

    <button class="sc-llFLZG huYBvm" data-cl-params="_cl_vmodule:cmt_usr;_cl_link:opnre;_cl_position:4;" data-cl_cl_index="93">返信0件</button>
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  3.  
    mu3********
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    訓練場建設反対? 訓練をすることが、あたかも実戦を招いてしまうかのような倒錯した思考に縛られているのが左巻きですね。 訓練をしようがしまいが、ある日突然、戦いの火蓋は切られる。大多数の識者の予想に反して、ロシアがウクライナに攻め入ったように。 万一のその時、国の命運を分けるのは「いかに備えていたか」だ。話し合いが大切!戦争反対!と念仏の様に唱えていれば、平和でいられるのか? 備えなしに攻撃にさらされた場合、のどかな町は一転阿鼻叫喚の様相を呈し、パニックに陥った人々の被害は雪だるま式に増えるに違いない。 そういう被害を最小限に留めるために事前訓練が欠かせないのは、災害も有事もまったく同じなのに、頭に虫が湧いているとしか思えない。

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アメリカの自由と民主主義は似非民主主義「ウクライナでの戦争はいつまで続く

2024-03-19 07:09:45 | 政治

 

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資本主義を求めるのは夢であり、
民主主義を求めるのは希望であり、
共産主義を求めるのは理想であり、
社会主義を求めるのは平等である。
 
どれも絵に描いた餅の様なものである。
 
人は信じるものの為に生涯を過ごすか、信じないものの為に生涯を過ごすかの選択肢しかない
 

【岸田首相がコメント】ロシア大統領選 プーチン氏が勝利宣言

アメリカ追随型民主主義の日本では、「平和ボケ」してしまって、ウクライナ戦争にも慣れてしまい「平和の春」を謳歌している。

 

「ウクライナでの戦争はいつまで続くのか」

ロシアがウクライナへの大規模な侵略を開始して24日で丸2年。戦争が3年目に突入するのを前に、さまざまな人から質問される。

当初、ジェレンスキー率いる民主主義の軍事小国ウクライナを専制国家の軍事大国ロシアが、突然侵攻したと考え日本のマスコミが多数支援した。

そして、専門家のほとんどは同じくウクライナの支援をした。

ただ当時は、専門家のほとんどがロシア軍の大規模侵攻はないと踏んでいた。

欧米への接近を図る同じスラブの兄弟国ウクライナに、ロシアが激しい憤りを抱いていることを、彼らは知っていたが、「ロシアが欧米と対立し、多くを失ってまでウクライナに軍事侵攻はしない」と考えていたからだ。

ゼレンスキーが米国を訪問しワシントンで演説した時も、戦う民主主義国ウクライナを強調し、民主主義国アメリカの支援を強く訴えた。同じ時期バイデン米国大統領も大統領教書で、ゼレンスキーへの支援を述べた。

【解説】長期政権狙う野心とは… プーチン氏圧勝でロシアの軍事行動はどうなる?

こうした考え方をする人とは当然、議論がかみ合わない。欧米の合理的な考え方では、ロシアの行動は予測できないだろう。

敗戦直後、GHQに代表される戦勝国アメリカは、自由と民主主義を日本に伝授し、専制国家の日本を日独伊の三国同盟の頸木から解放する解放者と思われていた。

ところがGHQが伝授したのは、「公職追放」という卑劣な民主主義であり、自由と民主主義と程遠似非民主主義であった。

チャーチルが説く民主主義のパラドックス

■民主主義のパラドックス

 民主主義とは何か、という話になります。民主主義は万能ではありません。欠陥だらけです。
 イギリスの元首相ウィンストン・チャーチルの名言があります。

「民主主義は最悪の政治といえる。これまで試みられてきた、民主主義以外のすべての政治体制を除けばだが」。

でもこれは逆説的に「民主主義こそが最良の政治」と言っている。

 

【おまけ】

2022年12月23日
ゼレンスキー大統領 ウクライナ アメリカ 注目の人物

【演説全文】ゼレンスキー大統領 アメリカ議会で語ったことは?

ロシアによる軍事侵攻が始まって以降、初めてウクライナを離れ、アメリカを訪れたゼレンスキー大統領。
首都ワシントンの連邦議会で上下両院の議員を前に演説を行い、継続的な支援の重要性を訴えました。

連邦議会で演説するゼレンスキー大統領(2022年12月21日)

ウクライナはこの勝利を手にしました。そしてそれはわれわれに勇気を与え、世界を奮い立たせます。

アメリカも勝利を手にし、それは、自由と国際法を守るため、国際社会が結束することにつながりました。ヨーロッパの国々も勝利を手にし、それによってヨーロッパはより強くなり、そしてかつてない自立を手にしました。ロシアの圧政は、私たちに対する支配力を失いました。ロシアはもう二度と私たちの心に影響を及ぼすことはありません。ただ私たちは、「グローバル・サウス」の国々も同様に勝利を得られるように、必要なことを何でもしなければなりません。

もう1つ、非常に重要なことがあります。ロシア人が自由になるチャンスを手にするのは、彼らが心の中でクレムリン(=ロシア大統領府)を打倒したときだけです。

しかし戦いは続いていて、私たちは戦場でクレムリンを倒さなければなりません。

この戦いは、領土のためだけではありません。この戦いは、ウクライナ人の生命や自由、安全のためだけでも、ロシアが征服を企てているほかの国々を守るためだけでもありません。私たちの子どもや孫、そしてその子孫が、これからどんな世界に生きていくかを決める戦いなのです。ウクライナとアメリカ、すべての人々にとって、民主主義が達成されるかどうかを、決める戦いなのです。

この戦いは止めたり先送りにしたりすることはできません。

海やほかの何かが守ってくれることを期待して、この戦いを無視することはできません。

アメリカから中国まで、ヨーロッパからラテンアメリカまで、アフリカからオーストラリアまで、世界はあまりにも互いに結びつき、関係し合っています。

そのため、戦いが起きている時、ただ傍観して安心することはできないのです。

ウクライナとアメリカは、この戦いにおいて「同盟国」です。来年は転機が訪れます。私たちに共通する、自身の価値観を守る人々の、自由。その未来を、ウクライナの勇気とアメリカの決意が保証する、転機となるのです。

 

1944年のクリスマスに、勇敢なアメリカ軍がヒトラーを退け、持ちこたえた時のように。ことしのクリスマス、勇敢なウクライナ軍も、プーチンの軍隊に対して同様に戦っているのです。ウクライナは、持ちこたえていて、決して降伏することはありません。

 

彼らをいま止めなければ、アメリカのほかの同盟国を攻撃してくるのは時間の問題です。私たちは止めなければいけません。協力関係にある私たちの間にタブーがあってはいけません。ウクライナは、アメリカの兵士に、私たちの土地で代わりに戦うように頼んだことはありません。ウクライナの兵士は、アメリカの戦車や航空機を自分たちで完璧に扱うことができます。

資金援助も非常に重要です。すでに私たちに提供された一連の資金援助と、今後決定されるであろうものについても、感謝します。皆さんの支援は慈善行為ではありません。私たちが最も責任ある方法で扱う、世界の安全保障と民主主義への投資なのです。

ロシアが望むなら、侵略を止めることができます。しかし、皆さんは私たちの勝利を早めることができるのです。そしてそれこそが、潜在的な侵略者に対して、誰も国境を越えて他国を侵略できないこと、残虐行為により人々の意思に反した支配はできないことを証明するのです。テロ国家であるロシアから、平和への一歩を待つのは甘いと言えます。ロシアの人たちはいまだにクレムリンに毒されています。

国際的な法秩序の回復は、私たちの共通課題です。私たちは平和を必要としています。ウクライナはすでに和平に向けた提案をしていて、バイデン大統領とも、私たちの共同の安全保障のための今後数十年は保証されるべき10項目、そして、今後開催する国際会議についても話し合ったところです。

ゼレンスキー大統領と会談するバイデン大統領(右)

今日、これらについてバイデン大統領が支持したことをうれしく思います。皆さん一人一人が、アメリカのリーダーシップが強固であることを確実にするための手助けができるのです。

ロシアにその侵略がいかに真に破滅的かを分からせるため、制裁を強化することができます。このいわれのない犯罪的な戦争を始めたすべての人に正義を下せるようにするのは、まさに皆さんにかかっています。テロ国家に、テロと侵略の責任をとらせ、この戦争で生じたすべての損害を補償させましょう。アメリカがここにあると、世界に知らしめるのです。

それは、ヨーロッパと世界の民主主義を守る基礎となるでしょう。いま、この特別なクリスマスに、皆さんに感謝を申し上げます。家庭のあたたかさを大切にし、他の人々のためにも同じぬくもりを願ってくれる、アメリカのすべての家族に感謝します。バイデン大統領をはじめ、上下両院の両党の皆さんの貴重な支援に感謝します。ことしウクライナを支援し、ウクライナ人を受け入れ、国旗を振り、私たちを助けるために行動してくれたアメリカの皆さんに、感謝を申し上げます。今、戦争の最前線にいるすべての人、勝利を待っているすべてのウクライナ人から、皆さんに感謝を申し上げます。

きょう、この場に立って、私はルーズベルト元大統領の言葉を思い出しています。この言葉はいま、この瞬間にとてもふさわしいと思うのです。「アメリカ国民は、その正義の力によって、完全な勝利を勝ち取るだろう」。

 

この旗は、この戦争における私たちの勝利のシンボルです。私たちは立ち上がり、戦い、そして勝利します。なぜなら、ウクライナ、アメリカ、そして自由な世界全体が団結しているからです。

最後にひとつだけ、本当にありがとうございます。私たちの勇敢な軍隊と市民を、神が守ってくれますように。そしてアメリカに永遠に神の祝福がありますように。メリー・クリスマス、そして幸せで勝利に満ちた新年を。ウクライナに栄光あれ。

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自民党の崩壊!処分とかじゃなくて逮捕なんだ、裏金議員80人規模処分へ 4月上旬にも一斉実施

2024-03-19 04:35:07 | 政治

 

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3/16【生配信】鈴木宗男議員政府役人に一喝!パンデミック条約第5回WCH議連振り返り

3/13(水)21:30〜【生配信】生物兵器研究専門の医師が警告 パンデミック条約の危険性

【WCH議連】我那覇真子さんと、この国の闇について語った。

           ★

【福山無双】ついに出た!岸田総理の裏金疑惑!「常習性のある裏金」に福山が中身もクソもない説明もどきをぶった斬る!

 

処分とかじゃなくて逮捕なんだよ、おかしいだろ

 

自民、裏金議員80人規模処分へ 4月上旬にも一斉実施

 

配信

共同通信

【ゆっくり解説】あの後も沖縄タイムス阿部記者は変なことばかり言ってます…

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❷マッカーサーの置土産、ひろゆき問題に見る新聞記者のヤバさ〜阿部岳記者の「ネトウヨ認定」、望月衣塑子記者の大ブーメラン

2024-03-18 04:36:44 | 政治

 

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3/16【生配信】鈴木宗男議員政府役人に一喝!パンデミック条約第5回WCH議連振り返り

3/13(水)21:30〜【生配信】生物兵器研究専門の医師が警告 パンデミック条約の危険性

【WCH議連】我那覇真子さんと、この国の闇について語った。

           ★

【文芸コーナー】

八島淳七(大学時代のクラスメート)毎日二首掲載します

ルンバさえ越えてる段に足とられ

 

【※この物語はフィクションであり、実在の人物・団体とは一切関係ありません。】

【随想】

マッカーサーの置土産  潮音寺土座衛門

■沖縄戦後史を歪めて集団自決の歪曲報道は『鉄の暴風』に始まると言われる。 『鉄の暴風』が米軍のプロパガンダ本として米軍の厳しい検閲の結果だということを示す比較的最近の沖縄タイムスの記事がある。

<沖縄タイムス 1998年1月6日 朝刊 6面>

<翌日、座安さんと一緒に『鉄の暴風』の出版許可をもらいにライカムへ行ったことを覚えている。

現在のスーパーイオンライカム店は、米軍民政府のあったライカム後に設立されている。上記記事の意味するところは、『鉄の暴風』の発刊にも米国の許可が必要であったことを示している。

                   ◇

これに加えて沖縄タイムスが自社の出版物で、しかも『鉄の暴風』のもう一人の執筆者・牧港篤三氏の談話として米軍の圧力について語っている記述は珍しい。

沖縄タイムス発行の『沖縄の証言』(上巻)(沖縄タイムス編 1971年)が、『鉄の暴風』発刊の裏話を7頁にわたって掲載し、「米軍の“重圧”の中で」「三カ月かけて全琉から資料を集める」「書けなかった、ある一面」などの小見出しの下に、米軍の監視のもとに書かざるを得なかった執筆の内幕を書いている

1971年といえば沖縄が返還される一年前。

まさかその30数年後に『鉄の暴風』が原因となる裁判沙汰が起きようなどとは夢想もせずに、二人の執筆者は気軽に本音を吐いていたのだろう。

関連部分を一部抜粋する。

原稿は、翁長俊郎(元琉大教授)に翻訳を依頼し、英文の原稿を米軍司令部へ提出した。 当時の軍政長官シーツ少将が、感嘆久しくした、といううわさも伝わった。 にもかかわらず、しばらく反応はなかった。 あとでわかったのだが、米軍司令部で関係者が目をとおしたのち、「オレにもよませろ」と、ほかにも希望者が続出して許可が遅れたのだという。 米側にも公表だったわけである。>『沖縄の証言』(上巻)(303頁)

脱稿後翻訳して米軍に出版の許可を仰いでいることはこの記述で明らか。

「鉄の暴風」(初版)の序文には、米軍のヒューマニズムが賞賛されている。 「この動乱を通し、われわれが、おそらく終生忘れ得ないのは、米軍の高いヒューマニズムであった。 国境と民族を超えた彼らの人類愛によって、生き残りの沖縄人は生命を保護され、あらゆる支援を与えられて、更生第一歩を踏み出すことができた。 このことを特筆しておきたい」。 たしかに、戦場の各所で、多くの住民が米軍に救出され、米軍に暖かいイメージを抱いたとしても不思議ではない。 沖縄住民は日本に見離され、米国の被保護者に転落していたのだから。 
しかし、「鉄の暴風」が米軍のヒューマニズムを強調したのは、そこに出版の許可条件を満たすための配慮もなされていた、という時代的な制約を見落としてはならないだろう。>(304頁)

太字強調部分は多くの研究者が言及していたが、沖縄タイムス自らがこれを認めた記事は珍しい。

<1949年5月、具志川村栄野比で戦後のラジオ放送の第一声を放った琉球放送(AKAR)は、翌年10月1日の午後7時45分から、毎晩きまった時期に「鉄の暴風」-全文433ページを朗読放送した。 朗読担当者は川平朝清アナウンサー。 クラシックの音楽をバックに流して効果を出したという。>(305頁)

「鉄の暴風」のラジオ放送は、1945年(昭20)12月9日からNHKで放送された、ラジオ番組「真相はこうだ」を明らかに意識していた。

「真相はこうだ」は、NHKの独自番組のように放送されたが、実際は脚本・演出までGHQの民間情報教育局が担当した。

内容は満州事変以来の軍国主義の実態を暴露するドキュメンタリーで、アメリカの都合で故意に歪曲された部分も少なくなかった。

ちなみに沖縄版「真相はこうだ」ともいえる「鉄の暴風」のラジオ朗読をした川平朝清アナウンサーは、ディスク・ジョッキーのジョン・カビラ、元日本マクドナルドマーケティング本部長の川平謙慈、そして俳優の川平慈英という3人の父親である。

<苦しかった執筆条件
牧港篤三談(執筆者の一人※引用者注)

戦記執筆前に日本の戦記出版類をたいてい読み、太田君もトルストイの「戦争と平和」を精読したと言うことでした>(307頁)

「鉄の暴雨風」の問題の箇所「集団自決」を執筆した太田良博氏は、沖縄タイムス入社直前まで米民政府に勤務する文学愛好家であった。 

戦前からのベテラン記者であった牧港篤三氏が執筆の前に準備として目を通したのが日本の戦記物だったのに対し、文学青年の太田氏が精読したのは戦記の類ではなく、トルストイの「戦争と平和」であったという事実は「鉄の暴風」の性格を知る上で興味深いものがある。

米軍占領下の重ぐるしい時代でしたから、米軍関係のことをリアルに書けば、アメリカさんは歓迎すまい、といった、いま考えると、つまらぬ思惑があったのも事実です。 タイムリーな企画ではあったが、書く条件は苦しかった。>(307頁)

大江岩波集団自決訴訟で、「戦後民主主義」の呪縛に取り込まれた深見裁判長が、必死になって大江健三郎と岩波書店を守るための根拠となる『鉄の暴風』に誤った評価を与えても、執筆者の太田良博氏や、牧港篤三氏がその遺稿や談話で「『鉄の暴風』はウワサで書いた」とか「米軍重圧の思惑のもとに書いた」と吐露している以上、『鉄の暴風』に資料的価値を求める深見裁判長の判断は、逆説的意味で正しいという皮肉な結果になる。

つまり、書かれた昭和24年当時の沖縄が、戦記を書くにはウワサで書くのもやむえなかった時代であり、米軍のいやがることは書けなかった時代であったという歴史を知るために、『鉄の暴風』の資料的価値は充分にあるということになる。

大江・岩波訴訟で判決のあった3月28日以降も、大江健三郎著『沖縄ノート』増刷されていることについて、原告代理人の徳永信一弁護士「大阪地裁判決を無視した行為であり、大阪高裁で行為の違法性が証明されるだろう」と語った。

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