先週の水曜日から約一週間、大阪、京都、東京と旅行をしてきた。
東京では三泊した。
毎日出歩くのも疲れるなーと思っていたら、・・・渡りに船。
泊まった品川プリンスホテルには映画館が併設されており、休養を兼ねて映画鑑賞としゃれ込んだ。
◆品川プリンスシネマhttp://www.princehotels.co.jp/shinagawa/entertainment/
index.html#cinema
例の窪塚クンの「見ないで批判するヤツはアホ」の名セリフが天邪鬼を目覚めさせた。
当初見る気は無かった石原慎太郎の「俺は、君のためにこそ死にに行く」を、しかも旅行中に、観る羽目になった。
窪塚クンはこうも言っていた。
「この映画を観て戦争賛美というヤツはアホだと思う。 もう一度観た方が良い」
実際に観た感想では少なくとも「戦争賛美」は感じられなかった。
窪塚クンに従ってもう一回観る必要は無いだろう。
かといって「反戦平和」といった単純な二元論では割り切れない映画ではあった。
一つ前の席で一人で観ていた50代のご婦人が大泣きして映画が終わっても涙を吹いていたのが印象に残った。
時々ジーンと来る場面はあったが、ハンカチを取り出すほどには至ら無かった。
この映画には最初から井筒監督のようなアホ、もとい、アレな人たちを挑発するには充分な要素が多くちりばめられている。
先ず題材が「特攻隊」、「原作・脚本・総指揮が石原慎太郎」、それにタイトルがいかにも挑発的ではないか。
「俺は、君のためにこそ死ににいく」
アレな人の代表井筒監督がこの挑発に見もしないで見事に引っかかってしまって自爆してしまったという構図だろうか。
私自身も映画館で切符を買うとき、窓口嬢にタイトルを言うのが気恥ずかしく、というか、覚えきれずに「俺の、・・下さい」で済ましてしまった。
それでもちゃんと切符は買えたが・・・。
新華社配信の映画評によるとタイトルの「君」という文字には次のような意味があると御高説を垂れている。
≪タイトルの「俺は、君のためにこそ死ににいく」の「君」という文字は日本語で「あなた」の意味だが、同時に「君が代」の中で天皇を讃える「君」の意味も含まれている。≫
この映画を観て上記解説が言うように「君」を「天皇」と捉えた人はよっぽどへそ曲がりか、映画も見ないで批評しているとしか思えない。
確かにその時代は建前として「お国の為に」とか「天皇陛下の為に」といった掛け声というかモットーがあったのは事実だろう。
だが、映画が描くのは出撃前の知覧での若者達の淡い恋、夫婦愛、家族愛と、迫り来る死との狭間に悩む青春群像を描いており、タイトルの「君」は妻であり、恋人であり、父であり、母であり家族としか思えなかった。
映画を観終えて「君」が「天皇」であると感じた人がいたとはとても思えないのだが。
物語のあらすじはネタバレになるので省略するが、二時間あまりの映画にあまりにも多くのエピソードを詰め込んだ感は否めず各々が寄せ木細工のようで溶け合っていない気がした。
例えば在日の特攻隊員のエピソードも消化不良だし、原作者が最も訴えたかっただろうと思われる敗戦直後の特攻隊員に対する国民の手の平を返したような仕打ちが次のナレーションだけで上滑りに終わっていた。
≪特攻隊の生き残りには「特攻くずれ」、戦死したものには「犬死」と罵られ・・・≫
特攻くずれとして戦後の苦渋を味わった中西(徳重聡)と戦後の闇市で我が物顔で狼藉を働く「三国人」達との葛藤も石原慎太郎に描いてもらいたいテーマである。
沖縄本島を取り囲んで「鉄の暴風」を降り注いでいる米軍戦艦上で特攻の被害に狼狽する米兵の姿も印象的だった。
沖縄のアレな人たちは何かというと「沖縄は本土に見捨てられた云々」という。
沖縄に米軍が「鉄の暴風」を降らしたり、最初に上陸し地上戦になったのは米軍の作戦の結果であり、沖縄の存在する場所が米軍北上の「要所」だったのが不幸だったのだ。
だが、片道燃料で及ばずながらも沖縄上陸目前の米艦隊に突っ込んで我が命を捧げた若者達がいた歴史に目を閉ざしてはいけない。
そして沖縄に出撃し雄図むなしく途中で撃沈された戦艦大和で散った多くの若者達がいた事実にも。
これをらの事実を知りながら彼等の死を犬死と呼ぶ人たちを軽蔑する。
人間は愛する人の為に死ぬことの出来る生き物だ。
これは戦争賛美とか反戦平和といったイデオロギーとは別次元の問題だ。
歴史はその時代時代の空気を理解しなくては語れない。
歴史に「もし」は許されないと言うが、結果論で過去を断罪することは誰でも容易に出来る。
飽食の時代にのうのうと生きていて、“君のために死んだ”特攻隊員を“犬死”と罵る資格はだれも有さない。
右だ左だと見る前から色メガネで見る人はさておき、特攻隊員と鳥濱トメさんとの心のふれあいに感動することは人間として自然の感情だろう。
戦争場面のCGは見事で、特攻シーンは迫力満点、世代を超えて推薦できる映画だと思った。
◆俺は。君のためにこそ死ににいくhttp://www.chiran1945.jp/
最後に沖縄出身の新城監督の一言。
「右翼というのなら、どうぞ。史実をとらえありのままに描きました」。
映画を観終えて銀座にでも出て「鳥ぎん」でヤキトリに釜飯でビールでも飲もうかと思ったが、
遠出が億劫になり、結局ホテル敷地内の「ななかまど」で、訪ねて来た三女も加えて三人で夕食を取った。
◆「銀座鳥ぎん」http://www.torigin-ginza.co.jp/menu.html
◆「ななかまど」http://www.princehotels.co.jp/shinagawa/restaurant/
nanakamado/index.html
参考エントリ:
◆井筒監督はやはりアホだった! もう一人のアホ有田良生
◆テレ朝「スーパーモーニング」 又現れた漫画家のアホ
◇
一つの映画が観る人によってこうも違うと言う好例を「ロイター(英)」と「新華社配信(中国)」と二つの評が興味深い。
*
【シネマ】「日本の神風映画、平和の主張に火を点けた」…石原慎太郎作・総指揮の『俺は、君のため…』評/ロイター(英)
- 1 :どろろ丸φ ★:2007/05/15(火) 04:06:12 ID:???0
- 第二次世界大戦の神風特攻隊を称える、ナショナリストの東京都知事によって書かれた映画
が土曜日に封切られたが、観客からは愛国主義的反応よりも、平和主義者の心に火を点けた。
日本が第二次世界大戦敗北後の60年間、軍事活動を厳しく制約している憲法を改正する
国民投票法案制定に向けて、日本政府が舵をきっている最中にこの映画は公開された。
石原慎太郎(74歳、作家・政治家)が書いた『俺は、君のためにこそ死ににいく』は、若者達
が爆弾を搭載した飛行機でアメリカの軍艦に突っ込む訓練をする中、彼らの多くにとって母親
的存在であった食堂経営者の実話である。日本列島南部は九州の知覧にある鳥濱トメの
食堂は、殆どが10代か20になって間もない訓練兵にとって第二の故郷だった。そして彼らは
第二次世界大戦最後の数ヶ月間、日本が死に物狂いでアメリカの侵入を阻止しようとして
いた中、究極の犠牲を払う準備をしていた。
石原は、学校での強制的国歌斉唱導入を含む愛国的政策で知られているが、観客は
18億円を費やした映画からは、それとは異なるメッセージを受け取った。「我々は決して戦争
をするべきではない、と考えさせられた。戦争は悲惨で、残ったものは苦々しさだけだ」と、
ヒロと名乗る58歳の会社員が東京都内の映画館で映画を観終えた後言った。
監督の新城卓は、自分は戦時中に日本が採った極端な方策を美化する意思は全くない、と
言っている。「私は当時の軍幹部は卑劣だったと思います」と彼は火曜日に記者達に語った。
「彼等はこの純粋無垢な若者達を採用し、死に向かって送り出した。私は彼らがその責任を
取るべきだと思う」。 (>>2-5に続く)
Reuters(英語):
http://www.reuters.com/article/filmNews/idUS
T26213420070514?pageNumber=1
http://www.reuters.com/article/filmNews/idUS
T26213420070514?pageNumber=2
【日中】石原慎太郎が脚本を書いた映画『俺は、君のためにこそ死ににいく』が、日本の青年たちを煽動している[05/14]
- 1 :~^◇^)<誤訳あったらごめん。@シャイニング記者。φ ★:2007/05/15(火) 00:42:21 ID:???
- 石原慎太郎が脚本を書いて撮った映画が日本の青年たちを煽動している
---
第二次世界大戦を美化しようとする道を日本が再び踏み出した。
5月12日、「俺は、君のためにこそ死ににいく」という神風特攻隊を讃える映画が
日本で公開された。制作総指揮、脚本は、東京都知事の石原慎太郎だ。
第二次世界大戦を美化するのは、石原慎太郎の十八番だ。
この18億円かけて制作された第二次世界大戦の映画でも、
愚かな皇民思想や軍国主義を美しく脚色している。
タイトルの「俺は、君のためにこそ死ににいく」の「君」という文字は、
日本語で「あなた」の意味だが、同時に「君が代」の中で天皇を讃える「君」の意味も含まれている。
内容は、鹿児島県の知覧飛行場の439名の若い飛行士たちが死に向かう前の生活を描いたものだ。
石原の「特攻隊」映画は、特攻隊員に対して「深い友情」を持っている
食堂の女店主の「特攻」隊員への想いを通じて、出撃前の若者たちの心中を描いたものだ。(*1)
脚本を書いた石原慎太郎は、日本の有名な右翼分子で、
「侵略戦争」を覆そうと全力を注いでいる。
石原慎太郎は鳥濱トメ(*2)と長年にわたって交友があり、
彼女から多くの特攻隊員のエピソードを聞いている。
鳥濱トメは1992年にこの世を去り、石原慎太郎はかつて宮澤元首相に対して
彼女に国民栄誉賞を与えてはと提案したが、拒否されている。
8年前、石原は鳥濱の体験を映画にしようと計画した。
「特攻隊は、両親や兄弟を護るため、死をも厭わなかった。」
石原は公然と、日本の発動した戦争は「自衛の戦争」だったと揚言する。
彼はまた「日本の若者は「特攻」精神を学ぶべきだ。
今の日本の若者たちは恵まれすぎていて、平和の害毒が深い。
日本の若者達は、青春の価値とは結局何なのかをはっきり見る必要があるのではないか?」と言う。
ある映画評論家は映画を見て、日本政府が今、平和憲法の改正に向けて歩みを速めていると分析した。
石原のこの映画は、実は一部の保守潮流を助けるためのもので、
特攻隊の精神を日本の若者たちに広めるためのものだというのだ。
この映画の表現手法と似て、日本で最近、第二次世界大戦に関する映画の宣伝手法に
変化が見られる。これまでの侵略戦争を覆すため赤裸々に叫ぶのではなく、
登場人物の内心世界を通じて描き、さらに彼らの「勇敢に善戦した」などと宣伝し、
煽情する目的を達成するものに変わってきている。
これらの映画の中では、戦争の過ちについて微塵の反省も無く、
登場人物たちの狂乱した考え方に対するいかなる批判も無い。
一方で、いわゆる「客観的な真実」と吹聴するので、こうした映画は、とまどいを深めさせていく。
特に、日本の若い世代に対して、戦争の歴史がアジアの隣国の国民を
著しく傷つけていることを認識させることを不可能にさせてしまっている。
[ 国際先駆導報 [中国] 東京発 / 記者:何徳功 ]
★ ソースは、新華社 [中国] とかからはしょり気味に訳。
http://news.xinhuanet.com/world/2007-05/14/content_6096783.htm (中国語・簡体字)
★ 訳註。
(*1) この後、原文ではストーリーについて書かれてて、激しくネタバレするので割愛。
(*2) 鹿児島県知覧町で食堂を営み、多くの特攻隊員の面倒を見、「特攻の母」とよばれた。
本映画では岸恵子が彼女の役を演じている。
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