昨夜、飲み会があった。
全国紙の某記者、沖縄の某大学教授、沖縄の某作家そして筆者の四人で、泡盛を酌み交わしながら夫々が持つ「沖縄への思い」を熱く語りあった。
時には声を荒げることもあったが、実に楽しく刺激的な秋の夜のひと時であったた。
中でも最も熱が入ったのが「沖縄差別」であった。
今年が薩摩の琉球侵攻400年に当たるということで、沖縄タイムスが毎週月曜日に長期連載の特集記事を現在も継続中だが、それが俎上に乗った。
ちなみに今週の月曜日(23日)の特集の見出しはこれ。
強いられた日本語転換
言語風俗の日本化
前回も書いたが特集に一貫して流れる論調は「平和な琉球王国が武力で日本に侵略された、無理やり日本化された」という侵略と差別の歴史観である。
その象徴として沖縄紙が頻繁に取り上げるのが「人類館」である。
琉球新報コラムが又しても恨み節のコラムを書いた。
金口木舌 2009年11月23日
今から106年前の1903年、生きた人間を標本のように展示する見せ物小屋が、大阪の博覧会会場周辺に出現した。アイヌや台湾の先住民らと共に琉球人の女性が陳列・展示された
▼人類館事件と呼ばれるこの出来事を題材にした朗読劇「人類館」(作・知念正真(せいしん))が先週末、国立劇場おきなわで上演された。一人三役をこなす俳優津嘉山正種(つかやままさね)さんの迫真の演技に引き込まれた
▼人類館事件は、「琉球処分」に反対した琉球士族らが琉球王国の存続を求めた救国運動を担い、志半ばで命を落とした後に発生した。「処分」によって琉球を領土に取り込んだ明治政府は、琉球独自の風俗習慣、文化を否定し、日本への同化を強要した
▼琉球をさげすむ風潮は当時の日本の論調にも表れている。演劇・花柳界新聞「かなよみ」は、日本に従わない琉球を飼い主の手を噛(か)む「愚犬」と表現。王国指導者を東京の焼き芋屋で働かせれば「少しく日本の風儀を染(そめ)、東京子の潔(いさぎよ)き魂(たまし)ひを飲込(のみこみ)て漸々(ぜんぜん)開花の気味に渉(わた)らん」(1879年4月17日付、琉球新報新聞博物館所蔵)と書いた
▼さて朗読劇「人類館」は方言札、沖縄戦、米国による異民族支配などを盛り込み、沖縄の近現代史を貫く差別の構造を風刺する。登場人物の滑稽(こっけい)さが笑いを誘う
▼この芝居は最後に振り出しに戻ってしまう。歴史は繰り返されるのだろうか。
◇
最近は死語になりつつあるが「ニタカマンタ」という沖縄の方言がある。
「似たもの同志」という意味だ。
「類は友を呼ぶ」というように同種類のものが群れるのは人間の性(さが)だが、動物一般にこの本能はあり、それが種の絶滅を防いでいるともいえる。
同じ人間でありながら見た目や、言語、生活習慣の違いで同じ種である人間同士が差別しあうのは、人間が心の奥底に持つ業のようなものである。
人間の歴史をひも解くと、ある意味差別の歴史だといえなくもない。
人間は学習による知恵により、この人間が持つ業を遅々ではあるが克服してきた。
日本でも明治期まで、士農工商と職業、出自による差別はあったが、それはまだしも、人間以下のエタ、と称する差別制度があったことは島崎藤村の『破戒』にも描かれている。
まったくいわれのない日本古来の差別の風習に、明治政府は先ず身分制度を廃し四民平等とした。
そしてエタ、の差別呼称を禁じ、「」として差別の解消をはかった。
ところが明治政府の差別解消策は「」という新しい被差別民を作ったに過ぎなかった。
差別が真剣に取りざたされるようになるのは、皮肉にもマッカーサーが与えた新憲法に人権が重要な権利としてうたわれてからである。
これまで差別されたいわゆる「民」たちが、差別反対運動を起こし、それなりの成果をあげた。
その一方、一部の運動が行き過ぎて国民の中に差別意識が薄くなって来たにも関わらず、ことさらに「差別だ!」と声高に叫び、「逆差別」の「既得権」享受する者の登場である。
意図せず使った言葉の言葉尻を捉えて「言葉狩り」をする過激な「被差別者」の団体があることは周知の通り。
(※最近では森発言に対する執拗な言葉狩りがある)
日露戦争の2年前、今から百年以上前のこと、大阪で行われた博覧会の出し物に「沖縄人差別があった」と現在も声高に叫ぶ勢力がいた。
差別を声高に叫ぶ人間が、実は差別主義者である場合が多い。
「差別された」と叫ぶ人間が実は「差別主義」という矛盾。
差別とはいわば己を映す合わせ鏡のようなものである。
沖縄で差別を叫ぶ人間は、その一方で離島出身者を差別したり本島内でも北部出身者をヤンバラーと差別したり、台湾人やフィリピン人をタイワナー、フィリピナーと差別的意味合いを込めて呼ぶ。
最近では見られないが、米軍占領時代は、奄美大島出身者をオオシマーと侮蔑の意味を込めて呼んでいた。
差別は離島や北部、南部に止まらず、沖縄の都市地域にもあった。
那覇出身の民俗学者・伊波普猷は琉球王府のある首里(現在は那覇の一部)にあった県立一中(現在の首里高校)に進学のため寮生活をした。
そのとき衣服や言葉使いが「首里風」でなかったため差別を受け苦労したとその著書で書いている。
■「人類館」にまつわる沖縄紙のウソ
【東京】演劇集団「創造」による「人類館」(作・知念正真、演出・幸喜良秀)が16日夜、早稲田大学大隈記念講堂大講堂であった。同演劇集団の東京初演(1978年)からちょうど30年ぶり、一夜限りの公演に、学内外から1000人が詰め掛け、沖縄が差別を受け続けた歴史を風刺した劇に見入った。
一九〇三年に大阪天王寺で開催された第五回内国勧業博覧会で沖縄、アイヌ、朝鮮、インドなどの人々が民族衣装姿で見せ物として陳列された、いわゆる「人類館事件」を題材にした喜劇。
三人の役者が場面ごとに役を変え、沖縄戦で日本軍の迫害を受け、「集団自決(強制集団死)」に追い込まれたり、戦後の米軍占領下で抑圧されたりした沖縄の人々への差別の歴史、人間の中に潜む差別の意識を一つ一つ巧みに演じきった。(略)
◇
ラジオ、テレビもなく現在とは比べられないほど情報が少なかった100年以上前のこととはいえ、明治政府が実際にこの『人類館』が行ったような差別政策を取っていたとしたら、沖縄人として不愉快に感じる出来事に違いない。
果たして、明治政府は実際に沖縄人にこのような差別政策を取っていたのか。
否である。
この「人類館事件」が沖縄県民の間に知られるようになるのは、米軍占領下で「祖国復帰運動」が盛んだった頃ではなく、復帰後沖縄左翼が「反日」に運動を変換し始めた頃である。
日本の左翼が沖縄に根付き始めた頃の1976年、沖縄生まれの知念正真氏が書いた戯曲「人類館」を契機に沖縄人の間にもこの「人類館事件」知られるようになる。
復帰4年後に沖縄人によって作られた戯曲「人類館」は、作者の日本に対する怨念が凝縮された作品である。
だが、ここで注意すべきは「人類館事件」という歴史的事実と、沖縄紙が騒ぐ戯曲「人類館」には二つの大きな違いがある。
いや、もっと直裁にいえば、戯曲「人類館」も沖縄紙も「人類館事件」の「不都合な事実」には、決して触れてはいないということである。
沖縄紙は戯曲「人類館」に関して意識的に二つの事実を隠蔽している。
「人類館事件」で、当時の沖縄県民が怒ったのは、単に差別されたからではなく、
「人類館」にて、台湾の生蕃と北海のアイヌと同列に展示されたことが沖縄県人を侮辱したというのである。
当時の『琉球新報』(4月11日)では「我を生蕃アイヌ視したるものなり」という理由から、激しい抗議キャンペーンが展開されたのである。特に、沖縄県出身の言論人太田朝敷が、
学術の美名を藉りて以て、利を貪らんとするの所為と云ふの外なきなり。我輩は日本帝国に斯る冷酷なる貪欲の国民あるを恥つるなり。彼等が他府県に於ける異様な風俗を展陳せずして、特に台湾の生蕃、北海のアイヌ等と共に本県人を撰みたるは、是れ我を生蕃アイヌ視したるものなり。我に対するの侮辱、豈これより大なるものあらんや。(ウィキペディア)
このように悲憤慷慨して、沖縄県全体に非難の声が広がり、県出身者の展覧を止めさせた。
当時の沖縄の代表的知識人であり、琉球新報社長も勤めた太田朝敷の論説が、このように差別的要素を含んでいたのだ。
まさに沖縄人にとって「差別」とは己が持つ差別性を映しだす鏡であったのだ。
もう一つ、戯曲「人類館」と沖縄紙が隠蔽する事実は、「人類館」が、博覧会場の中に設置されたように報道されているが、実際はそうではなく、博覧会に便乗して会場外で開かれていたイベントの「場外パビリオン」で行われていた。(『沖縄文学選』)
あたかも当時の明治政府が沖縄差別政策を行うため、自ら「人類館」を設営したかのように報じられているが実際はそうではなかったのだ。
「人類館」が、政府行事への便乗商売をした業者の商行為だったことは「利を貪らんとするの所為と云ふの外なきなり」という怒りのこっとばでも伺える。
今年に入ってから急に「人類館」の話題が沖縄のマスコミを賑わすようになったが、いずれの論調も「日本が沖縄に行った差別政策」であるという反日の怨念に満ちており、
沖縄タイムスの記事などは
「沖縄戦で日本軍の迫害を受け、「集団自決(強制集団死)」に追い込まれたり」
と、100年以上も前に、便乗商売をもくろんだ一業者の行いを、強引に「悪逆非道の日本」、さらには「集団自決」にまでも結び付けている。
沖縄タイムスよ、いくらなんでも少しコジツケが強引過ぎはしないか。
それとも誇大妄想の病にでも陥ったのか。
いやいや、来るべき「集団自決訴訟」の最高裁判決に備え、「悪逆非道の日本軍」の印象操作に「人類館」を利用しようと言うのだろう。
さもなくば、100年前の一業者が行った便乗商法が、明治政府の沖縄差別政策に繋がり、遂には「集団自決」に結びつくはずもない。
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我那覇真子の現地報告、米大統領選
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中国公船2隻、尖閣領海で日本漁船に接近…海保巡視船が間に入り安全確保
配信
尖閣諸島の(手前から)南小島、北小島、魚釣島
第11管区海上保安本部(那覇市)によると、21日午前4時48~54分頃、沖縄県石垣市の尖閣諸島・久場島沖の領海に中国海警局所属の公船2隻が相次いで侵入した。2隻が付近を航行していた日本漁船(乗員3人)に接近する動きを見せたため、海上保安庁の巡視船が間に入って漁船の安全を確保し、2隻に領海からの退去を求めている。前日には別の公船2隻が一時、領海に侵入した。
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中国の海警法改正により、これらの中国艦艇は武器使用などが認められるようになった。
最近では同じ尖閣諸島の大正島付近で砲のようなものを搭載した海警艦艇が発見されている。
尖閣諸島近海への領海侵入はもはや日常茶飯事となっており、一歩一歩実績を積み上げるのが中国の手口。
この状況を黙認することは世界に対して「尖閣は中国の領土」と誤ったメッセージとなる可能性がある。