狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

言論の自由放棄したマスコミ★「聖火リレー」の報道されない真実

2008-04-30 10:00:12 | 未分類

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韓国、中国人留学生の過激行動に抗議 聖火リレー(23:17)
2008年04月28日23時17分 朝日新聞

 【ソウル=箱田哲也】韓国外交通商省の李容濬(イ・ヨンジュン)・次官補は28日、中国の寧賦魁・駐韓大使を呼び、前日にソウルであった聖火リレーで中国人留学生らが過激な行動に出たことに抗議した。韓国ではインターネットで、一部の中国人留学生らの暴力行為も動画で投稿され、反発が広がっている。(略)

               ◇

新聞が報道しない事実をネットが流し、2、3日のタイムラグでやむ得ず新聞が記事にする。

高村外務大臣もこのようなトボケタ発言↓をする脳テンキ振り。

「逮捕されたの台湾人と日本人だけで、中国人やチベット人は1人の逮捕者も出ていない。 騒いだのは外野席だけ」(日曜日の「報道2001」)

政府の態度に呼応するように、中国人の乱暴狼藉についてはいくらネットが事実を流しても新聞は一切見て見ぬ振りの頬被り。

来月早々訪日予定のコキントウの来日を控えて日本でも報道規制がかかったのかと思うほどだ。

「映画『靖国』」や「立川反戦ビラ」であれほど騒ぎ立てて叫んだ「報道の自由」は一体何処へ消し飛んでいったのだ、マスコミ諸君。

ネットユーザーなら先刻承知のこのニュースも、新聞だと今頃この有様だ。

「聖火応援隊」やっぱり動員 中国当局が旅費負担(朝日新聞 4月29日06:24) <長野市を走った26日の聖火リレーでは、約5千人の中国人留学生らが日本各地から集まった。東京から参加した複数の留学生によると、前日から夜行バスで向かい、1人2千円の交通費を負担したが、残りの費用は、すべて大使館側が負担してくれたという。 >


 >前日にソウルであった聖火リレーで中国人留学生らが過激な行動に出たことに抗議した。韓国ではインターネットで、一部の中国人留学生らの暴力行為も動画で投稿され、反発が広がっている。

ここまでは日本のネットユーザーも韓国のユーザーも同じなのだが、大統領の変わった韓国では中国人の逮捕者も出た。

更に、暴力犯には毅然とした刑事処罰をすると公表している。

「政府は、北京五輪の聖火リレーで中国人たちの暴力デモが相次いで発生したことに関連して、28日、中国側に遺憾の意を表明し、暴力デモを起こした人々に対する刑事処罰の方針を伝えた。」(4月29日東亜日報)

聖火リレー:韓国政府、中国側に遺憾表明 2008/04/29 09:57:11

中国人青年の暴力行為に刑事処罰も
 政府は28日、寧賦魁・在韓中国大使を通じて中国側に、前日発生した北京五輪の聖火リレー過程での中国人による暴力行為に対し「強い遺憾」の意を表明した。


 外交通商部の文太暎(ムン・テヨン)スポークスマンは同日、「李容濬(イ・ヨンジュン)次官補が外交部に寧大使を招き、北京五輪の成功を願っているが、前日に一部の中国人青年たちが過激な行動に出たことについては、強い遺憾の意を表する旨を伝えた」と明らかにした。


 また、李次官補はこの席で「暴力行為に対する警察のビデオ分析が終われば、結果次第では関係者たちを処罰することもあり得る」との方針を伝えたという。


 外交部の当局者は「寧大使は、一部の中国人青年たちが過激な行動に出た過程で、韓国警察や記者らが負傷したことについて、申し訳ないと語った。特にデモ隊が警察に暴力を振るったことについては『あってはならないこと』とし、残念な気持ちを表した」と伝えた。


 また寧大使は、聖火リレーに韓国政府が積極的に協力したことに対し、温家宝首相と楊潔チ外交部長名義で感謝の意を表した。


 寧大使は記者会見の席でも、「昨日の行事を無事に終えることができた。韓国国民の理解と支持に対し、中国政府は非常にありがたく思っている。どんな場合でも両国国民の間にわだかまりが残らないよう、皆が努力しなければならない」と話した。


 一方、政府の対応が弱過ぎるという一部からの批判について、文太暎スポークスマンは「強い遺憾というのは、外交的に非常に強い意志表示を意味している」と話した。


イム・ミンヒョク記者

朝鮮日報/朝鮮日報JNS

                                               ◆ 


「フリーチベット」の叫び届かず亡命2世 泣きながら乱入 聖火リレー(4/26産経)
(前略)
■【動画】北京五輪 超厳戒の聖火リレー聖火リレーで厳戒の長野

 ハプニングは突然起きた。JR長野駅や善光寺周辺と比べて、比較的観客の数が少ないコース中ごろの沿道。「フリーチベット!」。チベットの旗を握りしめた男がロープをまたいで車道へ飛び出し、聖火ランナーの列に飛び込んだ。警官隊に取り押さえられ、地面に顔を押さえつけられながらも、「フリーチベット」の泣き叫ぶような声は消えない。

 男は、台湾に住む亡命チベット人2世の古物商、タシィ・ツゥリンさん(42)。「私はオリンピックに反対しているわけではない。ただ、チベットの惨状を全世界に訴える絶好の機会だと思っている」。この日朝、沿道の別の場所でチベットの旗を広げていたタシィさんは記者にそう話していた。

 タシィさんは、中国のチベット侵攻後の1959年、チベットからインドに亡命し、その地で生まれた。紛争は直接経験していないが、父親の壮絶な体験がタシィさんの心に刻み込まれている。

 父親は紛争の最中、政治的理由で中国公安当局に拘束され、死刑を宣告された。しかし執行の前日、一か八か、小さな窓から絶壁に向かって飛び降りて脱走、一命を取り留めた。その後、夫婦で当時7歳だった兄を連れて2週間かけて、命からがらヒマラヤ山脈を越えたという。

 「チベット独立は両親の悲願でもある。それを実現するためには、残りすべての人生を犠牲にする覚悟がある」

 チベット難民として暮らしたインドでは、常に「どこにも所属しないホームレスのような感じだった」。しかし、ダライ・ラマ14世の言葉に接し、考え方が変わった。「チベットはチベット人のもの。暴力を使わず、平和的に訴えることで、私たちの『自由』を取り戻したい」。

 タシィさんは25日夜に長野入り。タイの聖火リレーでも抗議活動に参加したが、そのときと比べると、日本のほうがチベット支援者が多いことに驚いたといい、「応援してくれる日本のみなさんに感謝している」と述べていた。

                      ◇

上記産経記事で報じられた台湾在住の亡命チベット人の涙の訴えも朝日新聞にかかると「中国人の群集を見て興奮したバカな台湾人」という風に印象操作されてしまう。


騒然長野聖火リレー 投げ込み・乱入など6人逮捕(4/26朝日)

台湾人の男は「中国人がたくさんいたので興奮した」などと話している。また、県警は観客同士の暴行、傷害事件2件を調べている。>

スポーツ新聞の方が「台湾人」から「台湾在住の男」に変わって入るので朝日よりましだとは思うが、「妄想男」は無いと思う。

 
愛ちゃんにチベット旗男“乱入”(4/27デイリースポーツ)
 < かつて中国超級リーグに参戦し、現地では今でもアイドル級の人気。チベットとの対立構造の中、男に余計な“妄想”がふくらんだのか?威力業務妨害で長野県警に現行犯逮捕されたのは、チベットと同様に中国からの独立問題を抱える台湾在住の男(42)という。>

日本の新聞が放棄した長野の「聖火リレー」では「報道の自由」を自ら放棄した。

ところがテレビ「ムーブ」がこrてを放映したらしい。

沖縄では放映されていない同番組をぼやきくっくりさんが詳しくエントリーされているので「ムーブ!」長野聖火リレー 報道されない真実を是非見てください。

                      ◆

さて、次に引用するのは「聖火リレー」に関するある新聞の社説だが、中国を恐れずこのような正論が吐ける新聞が日本にあったのだろうか。

 

【社説】暴力沙汰に発展した聖火リレー

<世界中で行われた北京五輪の聖火リレーが、中国のチベット人に対する弾圧を非難する各国の市民たちによる抗議で騒乱に発展している。しかし、中国人が他国の・・・・・中国人は一体何の権利があって、他国の・・・・・ど真ん中に集結し、暴力沙汰を起こしたのか。今回の事態は決して、なあなあで済ませられる問題ではない。>


 <中国人の常識レベルもさることながら、果たして・・・・・が彼らにどのように見られたがゆえに、白昼堂々とこのような暴力を被ったのだろうか。・・・・歴代政権は政治的な理由で、中国に対し言うべきことも十分に言えなかった。また「知識人」と言われる人たちも、左派、右派を問わず、中国のすることは黙って見過ごした方が無難だ、という対応をしてきた。こうした過去が、今日の中国人たちの無礼で傲慢な態度を生んだのではないだろうか。>


< 国際関係ほど「原則」と「前例」が重要な分野はない。例えそのときは困難であっても、「原則」を守り通すという「前例」を作っておけば、あとはその前例を踏襲していけるのだ。オランダのような小さな国は、どんな状況に陥っても「国際法の原則」を守るという「前例」を着実に積み重ねることで、大国であってもぞんざいな対応はできない国をつくってきた。言い換えれば、自ら原則を守り、前例を積み重ねることで、国の格、すなわち「国格」を高めてきたといえる。>

                    ◇

それにしても見事な正論だが・・・。

日本の新聞もついに目覚めて、中国を恐れずこのような正論を吐くような新聞も登場したのか。

答え(新聞名)は以下の社説を熟読下さい。
 

【社説】暴力沙汰に発展した聖火リレー(上)4月29日 11:34

【社説】暴力沙汰に発展した聖火リレー(下)4月29日 11:35

 

【おまけ】

日本の新聞がこんなことが言える日は来るのか。

横暴な中国人の沿道占拠 ──赤旗林立は日本国民への侮辱

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コメント (3)

「眼前の敵」 座間味で何があったか

2008-04-29 06:17:43 | ★集団自決

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本エントリーは下記の続編です。

「証言集」に見る新たな謎★教科書執筆者と体験者が初対面

「参謀長」と呼ばれた民間人★座間味で何があったのか

続・参謀長と呼ばれた民間人★座間味で何があったのか

 

■「死に所の森」の恐怖■

貧しかった昔の日本にはいたるところに「うば捨て」の伝説があり,そこから生まれたのが鬼婆伝説だといわれる。

座間味島にもうば捨て伝説があるが、“その時”は鬼婆ならぬ鬼畜米軍の上陸に島全体が怯えていた。

座間味島のうば捨て伝説のある場所はシンジュの森という鬱蒼とした森の中にある。

シンジュという発音から鎮守の森や真珠の森を連想するが、

実際は「死に所」という方言で、老いて働けなくなった老人が死に場所を求めて彷徨い入るという悲惨な印象の森だ。

1945年3月26日の未明の座間味島。

米軍の艦砲射撃から逃げ惑う老人と子供の一行。

シンジュの森にある壕に向かう途中、軍刀を持つ男に遭遇した。

未明の朝もやの中に立ちはだかったのは「鬼畜米兵」ではなかった。

その男が怒鳴った。

「なんでお前らはまだ自分で死ねんのか。自決できぬなら俺が斬ってやる」

と日本刀を抜こうとした。

                    *

“山城安次郎”でググルと321件出てくるが、そのほとんど全てが「渡嘉敷島の集団自決の証言者」としての記事であり、他の意味での記述はない。

一例を挙げると下記引用のようなものだが、本人は隣の座間味島での体験者ではあっても渡嘉敷島での体験者でないのが不可解だ。

渡嘉敷島に自身は行かなかった太田記者は、「辛うじて那覇で《捕えた》」二人の証言者から取材したことに実はなっている。
ところが、この二人の証言者というのが、不可解である。

一人は、「当時の座間味村の助役であり、現在の沖縄テレビ社長である山城安次郎氏」、もう一人は、「南方から復員して島に帰って来ていた宮平栄治氏」だという。
一方は隣の座間味島で集団自決を目撃しているが、渡嘉敷島の直接経験者ではない。
しかも、『鉄の暴風』の座間味島の集団自決に関する記述が事実に反すること(前記)は、少なくともこの人の座間味島に関する「証言」そのものが偽りであったか、正しく伝わっていなかったか、のどちらかでしかないことを示している。まして自らは目撃してもいない渡嘉敷島の事件についてどんな「証言」をしたのだろうか。

もう一人の「証言者」も、事件の目撃者ではないし、しかも不可解なことに、この人は、「そのような取材を受けた記憶はない」と言っているという(『神話の背景』五一頁)
。>


山城氏が、戦後マスコミ業界を歩んで沖縄テレビの社長にまで上り詰めた著名人にしては、他に一切ネット上に名前が出てこないのは不可解である。

「集団自決」の体験者では、山城氏と対照的なのが渡嘉敷島の金城重明氏であり、同じくググルと何と13,800件も出てくる。

それだけ金城氏が自分の体験を語り続けたことを意味する。

金城氏は「集団自決」で自分の家族に留まらず他人の親子にまで手をかけたが、本人は幸か不幸か生き残り、戦後は自己の悲惨な体験を語り続けた。

地獄を見た二人  雉も鳴かずば・・・

金城氏は語り続けると同時に「軍の命令だった」と責任転嫁し続けなければ戦後生きていくことは出来なかったのだろう。

一方の山城安次郎氏はその後自分の体験について語ることは無かった。

言うまでもないが『潮だまりの魚たち』に登場する「参謀長」と呼ばれた元教頭先生は後の沖縄テレビ社長の山城安次郎氏である。

⇒②「参謀長」と呼ばれた民間人★座間味で何があったのか

大田記者が『鉄の暴風』の取材をしていた終戦直後は、米軍は沖縄を日本から永久分離するため「日本軍=悪玉、米軍=善玉」という世論作りを行っていた。

その尖兵となっていたのが沖縄タイムスを始めとする沖縄の新聞であった。

その空気は曽野氏の著書にも次のように書かれている。

>当時の社会事情は、アメリカ側をヒューマニスティックに扱い、日本軍側の旧悪をあばくという空気が濃厚であった。

当日記でも過去にこの点について詳しく述べている

『鉄の暴風』のいかがわしさ

以下はその一部抜粋の引用です。

 、数千人動員して民間人救出
「米軍より日本軍怖い」感覚へ

  沖縄戦に関する沖縄県民の手記には、しばしば「米軍よりも日本軍の方が怖かった」という感想が出てくる。言葉も通じない敵の軍人に、同じ日本人よりも親近感を覚えるということが果たしてあるのだろうか。それは、米軍が「日本の圧政に苦しみ、虐げられている状況を打開してくれた解放軍」という認識を、県民が抱くようになって初めて可能だ。(略)(世界日報 2007年10月30日)
http://www.worldtimes.co.jp/index.html

                     ◇

太田元沖縄県知事の一連の著書にはこのような記述が見られる。

≪その意味では、沖縄戦のあとに上陸してきたアメリカ軍は沖縄にとって解放軍のはずだった。≫
(大田昌秀著「沖縄の決断」朝日新聞社刊)http://www.kamiura.com/chuu18.htm

沖縄タイムスが極端な偏向を通り越し、

敵意剥き出しの反日報道をするのには理由があった。

 それは昭和25年に発行された『鉄の暴風』の初版の前文にはこう書かれていた。

「なお、この動乱を通じて、われわれ沖縄人として、おそらく終生わすれることができないことは、米軍の高いヒューマニズムであった。 国境と民族を超えたかれらの人類愛によって、生き残りの沖縄人は、生命を保護され、あらゆる支援を与えられて、更正第一歩を踏み出すことができたことを、特記しておきたい」 (『鉄の暴風』初版前文)

揉み手をしたような、この米軍へのおべんちゃら記事が『鉄の暴風』の記事だと知ると驚く人も多いだろう。

勿論、沖縄タイムス出生の秘密を暗示するこの前文はその後の重版では削除されている。

『鉄の暴風』は主として沖縄タイムス記者伊佐良博氏(後に太田に改姓)によって書かれたが、同書のもう一人の著者、牧港篤三氏によれば、

初版は2万部出版され「米軍に提出されるため英訳され、占領軍司令部でも話題になった」と記している。(沖縄タイムス平成14年6月12日付け)

そう、沖縄タイムスは戦後沖縄占領米軍のプロパガンダ紙として出発したのだ。

ここで言うプロパガンダ紙というのは比喩的な意味ではなく米軍情報部の下に作られた文字通りの広報紙という意味である。

勿論米軍情報部の目論む「沖縄住民を日本から永久分断する」情報作戦の一旦を担うのが沖縄タイムス紙創立の理由だった。

 

                      ◇

■老人と子供■

「集団自決」問題を難しくしている理由の一つは生き残りの殆どが老人と子供だということである。

島の成年男子の殆どが応召で外地へ派遣されており家を守るのは老人と子供だけ。

それだけに米軍の上陸を前にパニックになる要素も多かった。

従って生き残った証言者も老人と子供が殆どで、それを戦後半世紀以上も経ってから証言を求めることに「真実」解明の難しさがある。

 

「集団自決」当時子供だった証言者の証言が、周囲の大人達の噂話等によって本人の知らぬ間に間違って伝えられる例を専修大学の学生達が卒論のテーマとして座間味島を訪問し研究している。

彼らは2004年、当時の座間味村の宮里芳和教育課長へのインタビューから実例を引き出している。

8月2日に座間味村役場会議室で行われた学生のヒアリングに答えて宮里氏は次のような証言者の例を語っている。

手りゅう弾の操作を知らない家族が日本兵にその使い方を教わった。

日本兵は使い方を教えはしたが「できるだけ最後ま生きてください」と言って去った。

当時傍にいた子供には親と日本兵の会話を聞いたはいても、その真の意味は理解できない。

その後、親は手りゅう弾で自決した。

遺された子供は日本兵が家族を殺したと思い込んだ。

戦後61歳になった証人は「親は日本兵の命令で自決した」証言した。

宮里氏はこのように「集団自決」の生き残りが語る証言が誤解され、歴史記述となって残される危険性の例を学生達に語っている。

以下は宮里芳和教育課長(当時)の話。http://disasterjune.com/lecture/archives/%E9%AB%98%E7%94%B0%E3%82%AF%E3%83%B3%E5%8D%92%E6%A5%AD%E8%AB%96%E6%96%87%E5%85%A8%E6%96%87%EF%BC%B0%EF%BC%A4%EF%BC%A6.pdf

 

■本当の敵は誰だ■

憎むべき敵は「鬼畜米英」のはずだった。

だが、朝もやに霞むあの朝、死に切れない住民に軍刀を振るったのは日本語で怒鳴る軍服の男だった。

憎むべき敵は「日本兵」だと記憶に刻み込まれた。

だが、「眼前の敵」は日本兵ではなかった。

軍人より軍人らしい男、・・・「参謀長」と呼ばれる民間人だった。

                      *

「眼前の敵」~ 恐怖と緊張感が増幅

うばすての伝説を持つシンジュ(死所)の森
 
 
 「その明け方、僕は家族連れで整備中隊壕に行き、自決さすことを頼んで本部壕に帰ろうとしたら、内藤中隊長や幹部らにさんざん怒られた。「軍は住民と国土を守るためにある。住民を殺すことはできぬ。早く安全な所に避難して、必ず誰かが生き残り、亡くなった人々の霊を祭るんだ。それがお前の役目だろう」と言いながら、米、梅干、金平糖、カツオブシ等軍の糧食を袋に入れてくれた。「節約すれば一ヶ月は大丈夫。何としても生きろ」
 僕らはシンジュ(昔、老人の死所)の森の避難壕に向かう途中、日本刀を持つ国民学校の教頭に呼び止められた。「なんでお前らはまだ自分で死ねんのか。自決できぬなら俺が斬ってやる」と日本刀を抜こうとした。「なんでお前に孫やうちらが殺されねばならんのか」と祖父母が必死の形相で反抗したため事なきを得た」と宮平さん。敵は眼前にも居たのだ。のちに、彼は住民二人を斬殺した事が判明し島に住めなくなったという。彼は跳ね上がりで、硬直した軍国主義的言動で住民に威張っていた。僕は余り信用していなかった。戦後しばらくして訪ねて来たとき、どこかの社長になったが座間味へは帰れなくなったと話していたよ」(梅沢裕さん談)
 住民や兵たちの恐怖と緊張館をますます増幅するかのような艦砲射撃の猛威のなかで、座間味島は3月26日の朝を迎えていた。
                     写真~うばすての伝説を持つシンジュ(死所)の森
                  
                                                        

毎日新聞 2001.7.5

                     ◇

死者に鞭打つ気はない。

戦時中の異常な状況の出来事を、戦後に育ち、飽食・メタボが悩みの現代に住む人が批判することは出来ない。

山城氏は座間味島で起きた事件について何も語らず墓場まで持ち込んだ。

それを敢て取り上げた理由は次の二点にある。

①終戦直後、沖縄タイムスを訪問して、自らは経験もしていない渡嘉敷島での赤松隊長の暴状を訴えたのは何故か。

②タイムス訪問当時、山城氏は座間味村助役という公的立場にあり、その後も新聞編集、テレビ会社とマスコミ界を歩んでおり、体験者として沖縄戦史を遺す社会的責任があるのにも関わらず一切語らなかったのは何故か。

もし、山城氏が①の不可解な証言をしなかったら、山城安次郎氏の名前は一切ネット上に出なかった可能性もある。

 

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ダライ・ラマの知恵 「高度の自治」を対話に向け注文

2008-04-28 08:00:40 | 未分類

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ダライ・ラマ「中国は真剣に」 対話に向け注文
2008年04月26日23時43分<asahi.com>

 【ニューデリー=小暮哲夫】チベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ14世は26日、チベット亡命政府のあるインド北部ダラムサラで、中国政府と自身の特使との対話について「中国が真剣にチベット人の苦悩を受け止め、解決するなら、やりがいのあるものになる。そうでなければ、ただ対話に行くことに意味はない」と述べた。ダライ・ラマ側近が明らかにした。

 中国が25日、対話の用意があると表明したことに対し、国際社会の批判をかわす手段に終わらせず、問題解決へ実質的に進展させるよう求めたものだ。

 一方、亡命政府も25日夜、「対話を実りあるものにするため、中国がダライ・ラマの前向きな役割を認めることが重要」との声明を発表した。

 ダライ・ラマ側近は26日、「我々は単なる美辞麗句の交換ではなく、意味のある対話を求めている。中国がダライ・ラマを非難する状況はそれを後押ししない」と説明。中国がダライ・ラマに対する「分離主義者」「暴力を扇動している」といった批判をまず撤回すべきだとの考えを示した。

                                               ◇

右翼ブロガーのなかには最近のダライ・ラマ14世の中国に対する姿勢をノーベル平和賞で腑抜けになってしまった非難する向きもある。

最近のダライ・ラマは、中国の嫌がる「チベット独立」と言うより「高度の自立」という言葉を繰り返している。

2007年10月17日に行われたアメリカ合衆国議会黄金勲章授章式のスピーチで、「チベット自治区は中華人民共和国の一部であり、あくまでも高度な自治を求めているのであってチベット独立の考えは無い」ことを表明している。

米議会黄金勲章授章式におけるダライ・ラマ法王のスピーチ(英語)

念のため同スピーチの原文の該当部分を抜き出してみよう。(拙訳)

<On the future of Tibet, let me take this opportunity to restate categorically that I am not seeking independence. I am seeking a meaningful autonomy for the Tibetan people within the People?s Republic of China. >

チベットの未来に関して私は独立を求めていないことをこの機会にはっきりと述べさしてください。私は中華人民共和国の中でのチベット人のために「高度な自治」を求めています。

<Furthermore, I have no intention of using any agreement on autonomy as a stepping stone for Tibet?s independence.>

 更に私は自治をチベット独立のための踏み石にするいかなる協定にも合意する意図は全くありません。

 

うーん、米議会でこれほどまでの「屈中演説」をしているのでは、チベット独立の全面放棄であり敗北宣言ではないか。

保守ブロガーの中に腰抜けという声が上がるのも無理は無い。

ところが中国を相手にするには日本人的直裁な態度では勝ち目は無い。

聡明なダライ・ラマは言動の一つ一つに意味(meaningful)を込めて活動しているのだ。

先ず繰り返される「高度の自治は」は原文ではmeaningful autonomyで、「高度」或いは「意味のある」といった形容詞が付くところにダライ・ラマの遠謀深慮が潜んでいる。

>「我々は単なる美辞麗句の交換ではなく、意味のある対話を求めている。中国がダライ・ラマを非難する状況はそれを後押ししない」と説明。中国がダライ・ラマに対する「分離主義者」「暴力を扇動している」といった批判をまず撤回すべきだとの考えを示した

ダライ・ラマは、中国の対話受け入れを単なる「批判逃れ」に利用されるのではなく「意味ある対話」を対話の条件にしており、それには中国のこれまでの罵詈雑言を撤回せよというのだ。

何よりも面子を重んじる中国様がこれに応じるとは到底考えられない。

だが、百歩譲って中国が罵詈雑言を撤回して、「意味ある対話」が開始されたとしよう。

果たして対話は「意味ある対話」になるか。

否である。

対話のポイントは「意味ある自治(meaningful autonomy)」であり言い換えれば「高度の自治」である。

中国の中での「高度な自治」は、ある意味で独立以上に実現困難である。

なぜならば「高度な自治」が達成された瞬間、チベット人の独立気運は一気に高まるし、そうなるとウイグルや他の少数民族に独立の気運が飛び火するのは火を見るより明らかである。

歴史はたちまち逆戻りして、混乱と分裂から中華人民共和国は一気に崩壊への道へ向かうことは明かである。

仮にダライラマが今回のチベット蜂起の際に自らその先頭に立って「チベット独立だ!」と叫んでいたらどうなっていたか。

その瞬間、中国にダライ・ラマ抹殺の絶好の口実を与える事になる。

その結果、西蔵鉄道を使って人民解放軍が大挙チベットに乗り込み、チベット民族は間違いなく地上から抹殺されていただろう。

中国にチベット抹殺の口実を与えることなく、同時に中国が認めるはずのない「高度の自治」のための対話を求め、国際的な援護と協力を求めるめる。

このチベットの「対中姿勢」は最も現実的なダライ・ラマの遠謀深慮と見る。

一見中国におもねっているように見えても、最終的な独立を勝ち取る為のダライ・ラマの臥薪嘗胆なのだろう。

「チベットの独立は求めていない、中国内での『高度の自治』を求めているのだ」 byダライ・ラマ14世

中国内で「高度の自治」を求めることは「砂漠で落としたコンタクトレンズを探す」に等しい。

国際世論を追い風に、中国が実行できない「高度の自治」をあえて求める。

ダライ・ラマ猊下、お見事!

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【動画】チベット問題★在日工作員の活動★人権にも種類がある

2008-04-27 14:53:05 | 未分類
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常日頃、差別だ差別と声高に叫ぶ連中に限って実は差別主義者だと言われるが、同じように人権だ人権だと叫ぶ連中は人間によって人権は違うものと思っているようだ。
 
何かというと人権にうるさい人権団体・・・特に沖縄の人権団体は開店休業。
 
チベットは沖縄の映し鏡ですよ!
 
 
 
日本のテレビに出演する中国の工作員は揃って同じ発言をするが、「車椅子の身障者からトーチを奪うのは人権侵害」と同じ写真を示してマニュアル通りの抗議をする。
 
 
同じような説明を別の工作員がテレビでしていますが・・・・実は・・・
 
「障害者からトーチ奪おうとしたひどいチベット人!」・・・実は中国人の自作自演でした。 
 
【動画】 この工作員、日本語をもっと勉強した方がいいね。
 
「報道2001」で黒岩キャスターに中国への弱腰を突っ込まれた高村外務大臣が逆ギレして、
「崔中国大使が出演した時には何故突っ込まなかったか」と妙な反撃をしていた。
 
なるほど、黒岩キャスターも中国大使には言いたい放題をさせているね。
 
コメント (3)

中国人留学生と同調圧力■高村外務大臣と中国工作員

2008-04-27 08:57:05 | 未分類

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聖火一過、騒動避け店開けず…「ネット市民」ら感想送信写真付き (4月27日 01:54)

<走者が駆け抜けた沿道の商店街では、トラブルを避けるためシャッターを下ろす店が目立ち、地元市民が脇に追いやられる格好となった。 

 リレーコース沿いの商店街では、聖火リレーの隊列が通り過ぎるのを待って開ける店が相次いだ。「チベット支援者に対する中国人の叫びで目を覚ました。恐ろしくて通り過ぎるまではシャッターを開けることができなかった」。茶販売店「長喜園」の宵野間信行社長(53)はそう説明した。>

                   ◇

これほど地元から歓迎されない「聖火」が嘗てあっただろうか。

読売の見だしは、地元にとって疫病神に終わった「聖火」の性格を表わして見事である。

26日は、国内外から8万を超える人が長野市に詰めかけたというから本来なら市を挙げてのお祭り騒ぎのはずだった。

それが聖火リレーが去ってまさに台風一過。

中国国旗を振る中国人学生集団を見ていて一瞬「11万人集会」が脳裏をかすめた。

中国国内で情報封殺された中国人はともかく外国へ留学するほどの中国人学生がコキントウとチベットの経緯を知らないはずは無い。

自国の政治が民主主義といかにかけ離れているかを知らないはずは無い。

欧米民主主義国の中国非難の本質を知らないはずは無い。

ならば何故彼らは知っていて自国の人権弾圧に批判の声を挙げないのか。

同調圧力!

そう、昨年来沖縄で顕著に起きた同調圧力の蔓延だ。

分かっちゃいるけど、止められない。

何を?

同調圧力から逃れることは止められないのだ。

中国人学生の中にも勇気ある行動に出るとこのざまだ。↓

仲裁の中国人女子学生がネットで猛攻撃受ける チベット問題 http://sankei.jp.msn.com/world/america/080418/amr080418174201
5-n1.htm

2008.4.18 17:41
 【ニューヨーク=長戸雅子】米ノースカロライナ州の大学で、チベットを支持する学生グループと中国政府を支持する学生グループとの衝突を回避するため、仲裁にあたった中国人女子学生が、その後、インターネット上で「売国奴」と糾弾され、言葉の暴力などの深刻な被害を受けていることがわかった。17日付の米紙ニューヨーク・タイムズが1面で伝えた。

 同紙によると、女子学生は同州のデューク大学に在学中。サンフランシスコで聖火リレーが行われた今月9日、学内でチベット支持グループの学生と中国政府支持派の学生とが衝突寸前になった際、双方のグループに友人がいたことから仲介にあたった。

 チベット支持派の学生に対し、中国政府支持派の学生と対話するのであれば、シャツの背中に「自由チベット」と書くことを認めることで、その場を収めた。

 しかし、その翌日には中国人学生向けサイトに女子学生の顔写真や連絡先、中国の実家の住所まで掲載され、顔写真の額には「売国奴」と中国語で書かれていた。「帰国したらおまえの死体は細切れになるだろう」といった脅迫メールも送られてきた。中国の実家にも汚物がまかれ、女子学生の両親は安全のため、別の場所に避難したという。

 女子学生は、同紙に「売国奴が中国に害を与えたいと思う人のことをさすなら、私はそうではない」「これからもずっと売国奴といわれるのだろう」と心境を語っている。

                      ◇

 詳しくは⇒■唸声中国/勇気ある中国人とその悲しい母国

 

チベット暴動:「反逆者」扱いされた留学生の苦悩(朝鮮日報)
http://www.chosunonline.com/article/20080423000044
http://www.chosunonline.com/article/20080423000045

                   ◇

さすがに沖縄では中国ほどの酷さはないにしても昨年の「11万人集会」の時は役所や学校単位で各家庭に動員指令がだされ、

特に親族・知人に教育関係者がいると付き合いででも参加せざるを得なかったという。

中には「県民大会反対」の新聞投稿をして職場でいやみを言われた人もいたと聞く。

同調圧力のバッシングで売国奴呼ばわりされている気の毒な中国人学生ほどではないが、沖縄の嵐のような同調圧力に立ち向かった勇気ある沖縄県人もいた。

犬が咬んだらニュースになる!沖縄の侍、同調圧力との戦い

県民大会開催に反対

 

■高村外務大臣と中国工作員■

今朝のフジTV「報道2001」は聖火リレーについて。

中国べったりの高村外務大臣は、中国工作員の朱建栄東洋学園大学教授隣にいて中国のご機嫌伺いばかり。

どこの国の外務大臣だ!

高村大臣迷言その1:
「逮捕されたのは台湾人と日本人だけで、中国人もチベット人も1人もいなかった」「騒いでいるのは外野席だけだ」 

何を仰るウサギさん。

中国人を逮捕してはいけないという闇取引でもあったのではないか。

日本人がやったら即逮捕の犯罪行為も中国人なら見逃していた!

http://www.youtube.com/watch?v=0pfyGRV-t_8
聖火リレー 長野駅前モニュメントを占領する中国人

581 名前:止まない雨は名無しさん 投稿日:2008/04/26(土) 10:25:26 ID:bu8oR1nV0
長野市内徘徊中だが……
「キミ、日本人だよね? ここ入っちゃいけないんだよ」
とか警官に言われた。多分、聖火コースなんだと思うが。
その横を中国人がニヤニヤしながら旗を持って移動。

  日 本 人 は 行 動 規 制 さ れ て 

     チ ャ イ ナ は フ リ ー の 長 野 市 内

【暴行】聖火リレー被害スレ【器物破損】スレッドより。

408 :エージェント・774:2008/04/27(日) 02:13:16 ID:9c8bWJbT
犬警スレにも書いたけど、
長野県警に電話したら、当直が出て、
「なんで中国人は逮捕されないのか」みたいなことを聞いたら、
「それは現場のものの判断で」って言ってた。
判断するやつが腐ってる?

証拠があっても「捜査するかも知れないです」レベル。
絵馬について聞いたら、多分物的証拠が残ってるならってことだと思うけど、
絵馬書いた本人から通報があれば捜査するって。

誰か、バツ書かれた絵馬、証拠隠滅される前に押さえてください。
そして書いた方は通報してください!

とにかく証拠がないと何もしないそうです。
旅行業の違反については「なんですか、それは?」ってとぼけてた。
新聞とか読んでねーのか。


 高村大臣迷言その2;
(黒岩キャスターの、欧米諸国が五輪開会式をボイコットしているのに日本いち早くボイコットしないと言っているとの発言にキレテ?)
「欧米食は不参加とは言っているがボイコットはしていない」

高村:「不参加とボイコットは違う」

黒岩:「では、日本は参加するのか」

高村:「参加すると参加しないとも言っていない」・・・・・???

黒岩:「ん?」

結局高村大臣は参加するだろうが、ブッシュ大統領が参加するというのを唯一の理由にする気配。

ただブッシュは既にレイムダックであり、大統領としてより個人的にも最後っ屁にオリンピックには参加したいだろう。 

実質上の米大統領の言動は次期大統領候補の言動が重要だ。

その点では、オバマ、ヒラリーそして共和党のマケインも

「米大統領は開会式に参加すべきでない」

と表明しているからブッシュの参加をタテに日本が参加というのは説得力に欠ける。

中国工作員の朱建栄東洋学園大学教授の話は、詳細は略するがチベット問題を一言で言うと、

「人権問題はすり替えである」。

「中国によるチベットの奴隷解放」。
 
こんな男が日本の大学で教えているのかと思うとため息が出る。

ちなみにこの工作員、時々沖縄にも出張して「一国二制度」を煽っている。

一国二制度を論議 全国集会「おきなわ自治研」 カメラ  (10/27 9:40)  

<自治労主催の第31回地方自治研究全国集会「おきなわ自治研」は26日午後、宜野湾市の沖縄コンベンションセンターで全体集会が開かれた。参加者は講演やパネル討議を通して沖縄の可能性や一国二制度の導入、地方分権の必要性などについて考えを深めた。>(琉球新報ー10/27 9:40)

朱建栄東洋学園大教授、韓国の呉在一全南大教授、ジャーナリストの高野孟氏、島袋純琉球大助教授が登壇したパネル討議では、沖縄県に対して「東アジア共同体が将来できるとすればその首都に名乗りを上げてほしい」などの提言が挙がった。>(琉球新報ー10/27 9:40)

 軸足の立つ場所を忘れた人々の集会:

沖縄でチュチェ思想全国セミナー

時事・解説/チュチェ思想に関する全国セミナー(沖縄)

 

 

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中国がダライ・ラマとの対話受け入れ

2008-04-26 07:35:24 | 未分類

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中国批判かわす目的 ダライ側と対話 成果は疑問 4.25 20:22  

 【北京=矢板明夫】中国当局は、チベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ14世側と接触すると発表した。国際社会で高まる対中批判をかわすことが目的とみられるが、これまでの中国指導者の言動から、チベット問題を対話で解決することを本気で考えている可能性は少ない。

 中国はこれまで、ダライ・ラマ側と対話する条件として「チベットの独立という主張、北京五輪への妨害、暴力行為の扇動」をやめることをあげている。しかし、ダライ・ラマはこれらすべてについて記者会見などで関与を否定。その結果、「中国側には対話の誠意がない」との印象を国際社会に与え、北京五輪の開会式のボイコットや、聖火リレーなどで人権団体などによる抗議活動につながった。

 今回は、中国側はダライ・ラマ側との接触に応じたが、国際社会などが求めている中国指導者とダライ・ラマ本人との直接対話ではなく、ダライ・ラマ側の代表と中国当局者による、いわば事務レベルの接触にすぎない。3月14日のチベット騒乱後、当事者の双方が初めて対話のテーブルにつくという意味で一歩前進といえるが、大きな成果を期待することは難しいとみられる。

 中国側とダライ・ラマ側の事務レベル接触はこれまでもたびたび行われており、2002年以後だけでも、6回に及んでいるが、いずれも双方の主張が平行線のままに終わっている。

 ダイラ・ラマ側はチベットで、香港やマカオのように、「一国二制度」の導入を求めている。外交と国防を中国に委ねる以外は、チベットのことはすべてチベット人が管理するということだ

 しかし、チベット以外にも4つの少数民族自治区を抱える中国は、チベットに高度な自治を認めることによる他の地域への波及効果を恐れている。また、無神論を信奉する共産国家の中に、神職者が政治を主導する地域が生まれれば、宗教の影響が拡大し、一党独裁体制の崩壊につながることを警戒している。

                       ◇  

「話せば分かる」は純情な日本人の考え方だが、実際は話しても話しても乗り越えられないバカの壁があるとの養老先生の説にも説得力がある。

ましてや、ダライ・ラマの話など聞く耳持たないコキントウが本気で対話するなんて考える人はいないだろう。

今回のチベット騒動に関し欧米諸国は中国側に、ダライ・ラマが呼びかけている対話に応じるように主張していた。

それを受けて中国側が対話を受け入れたから、万事メデタシとは行かないのが中国の外交。

ここに来て対話受け入れを表明したのは、五輪開催までの最大の山場と見る日本での「聖火リレー」の成功を何としてでも果たしたいからというのが上記記事のお見立て。

では何故、欧米でなく日本での「聖火リレー」にこだわるかというと、次の三つの理由が考えられる。

①北京五輪の最大のお客様は日本人。

②柵封国日本で「聖火リレー」を妨害されて面子を落とすことは欧米の場合との比ではない。

③来月初旬のコキントウ来日に備えて「聖火リレー」は大成功させたい。

日本を丸め込んでガッポリ稼いで面子も保とうというのが中国の狙い。

結局、日本で北京五輪大成功のムードを作り上げたらそのまま一気に開会式まで持っていけると読んでの、ダライ・ラマとの対話受け入れだろう。

>   国際社会などが求めている中国指導者とダライ・ラマ本人との直接対話ではなく、ダライ・ラマ側の代表と中国当局者による、いわば事務レベルの接触にすぎない  

中国側とダライ・ラマ側の事務レベル接触はこれまでもたびたび行われており、2002年以後だけでも、6回に及んでいるが、いずれも双方の主張が平行線のままに終わっている。   

 となると話し合いなんて見せ掛けでいかに平行線を続けるかだけ。

「話せば分かる」なんて信じている向きは改めて養老先生の『バカの壁』を読むことを勧める。

>中国はこれまで、ダライ・ラマ側と対話する条件として「チベットの独立という主張、北京五輪への妨害、暴力行為の扇動」をやめることをあげている  

やっていないことを止めろと言ったて対話に合意点が出てこないのは一目瞭然。

これまでチベット関連の報道は日本では殆どなかったが、

2002年以後だけでも、6回に及んでいるが、いずれも双方の主張が平行線のままに終わっている

という事実でけでもこの対話受け入れが国際世論へのアドバルーンに過ぎないのが分かる。

 

それにしてもある国の公権力が他国内で勝手に公権力を行使したら重大な国際問題に発展、いや、場合によっては戦争にもなりかねない。

この自明のことをわざわざ確約を取らなければならないほど一党独裁の非民主国家中国は信用できない、と次の記事は物語っている。

「公権力の行使しない」 警察庁、中国側から確約 聖火防衛隊

2008.4.25 11:24

 泉信也国家公安委員長は25日の閣議後会見で、長野市の聖火リレーで「フレームアテンダント」と呼ばれる中国側の聖火管理担当スタッフ2人が伴走することについて「警察庁は中国側から『公権力の行使をしない』という確約を得た」と述べた。記事詳細】

 

民主主義の法治国家だったら無礼にもとれる国家公安委員長の発言だが、相手が中国じゃ仕方が無いか。

警護の壁で見ることの出来ない「聖火リレー」なんて無意味だと思う方、クリックお願いします。

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聖火リレー:人民による言論封殺★【追記】中国人がCNNを提訴

2008-04-25 08:40:48 | 未分類

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 人民による言論封殺=金子秀敏

中国の空気が2005年の反日デモ当時に似てきた。チベット暴動と聖火リレー妨害をきっかけに、殺気立った排外主義の感情がふくらんでいる。

 中国のネット右翼はフランス資本のスーパー「カルフール」を攻撃目標に選んだ。中国全土の支店が同じ日にデモ隊から一斉攻撃を受けた。黄巾(こうきん)の乱や太平天国も顔負けの組織力だ。

 北京駐在の欧米特派員は「死ねメール」の攻撃で不安だという。ネット右翼の牙は中国人にも向かう。

 米国ノースカロライナのデューク大学に王千源さんという女子学生がいる。中国山東省の高校を出て留学にきた1年生だ。今月初め、図書館の前で「雪山獅子旗」を持ったチベット独立支持グループと、中国人の留学生グループが怒鳴り合っているのを見かけた。王さんはチベット独立支持ではないが、友人にはチベットの留学生もいる。よく話し合うべきだと思って、双方のリーダーのところに行き、対話を提案した。両方から拒否された。

 間もなくユーチューブに、王さんがチベット支持グループと話をしているビデオ映像が投稿された。中国人による魔女狩りが始まった。

 王さんはチベット独立を支持する売国奴だとされた。ネット上に、王さんの電子メールのあて先、携帯の電話番号から実家の住所や父母の名前まで、個人情報が徹底的にさらされた。奨学金の額や希望の進学先まで書いてある。中国から汚い言葉を並べた攻撃メールが山のように送られてきた。

 実家も被害を受けた。窓ガラスが割られ壁に落書きされた。身の危険を感じ父母は姿を隠した。母校の高校では批判大会が開かれ、王さんの卒業資格をはく奪したという。ワシントン・ポストに掲載された王さんの投書に米国人は衝撃を受けた。中国は紅衛兵時代に戻ったのか。

 人民日報が「理性的対応」を訴えている。だが、テレビキャスターの白岩松氏は「カルフールで働いているのは中国人、商品は中国製だ」と主張して売国奴攻撃の標的になった。「南都周刊」の副編集長は「メディアでチベット問題を自由に論じたら」と提案して大売国奴とされた。

 中国人の言論の自由を封じているのは共産党だけではない。人民の、人民による言論封殺もあるのだ。

 反日デモでは、反日団体がジャスコやイトーヨーカ堂を攻撃した。きっと長野で事あれかしと出番を待っている。要注意だ。(専門編集委員)

毎日新聞 2008年4月24日 東京夕刊


                    ◇

■言論弾圧の真犯人は「ならず者と悪党集団」■」

人民の人民による人民のための言論弾圧、・・・いや、最後の部分は中国と言い換えて、人民の人民による中国政府のための言論弾圧といったほうが正しい。

そもそも焚書坑儒は中国歴代王朝の伝統技でありに言論弾圧は得意技のはず。

人民による言論弾圧を長年教育し、「愛国無罪」に火をつけたの権力者の側である。

CNNコメンテーターも中国のことを「ならず者」と発言したが抗議を受けても発言撤回などせずに、

「(発言は)中国国民ではなく、中国政府について語ったものだ」と反論している。

コメンテーターのキャファティ氏は「人民の言論弾圧」の真犯人は中国政府という「ならず者と悪党集団」であることを先刻お見通しのようだ。

CNNコメンテーター発言に抗議行動、反仏デモも 中国写真付き記事

<キャファティ氏は9日のCNN番組「シチュエーション・ルーム」で、過去の中国について語った際、「ならず者と悪党」(goons and thugs)ということばを使った。同氏は14日、発言が中国国民ではなく、中国政府について語ったものだと釈明した。 >

それにしても日本のコメンテーターに中国に向かって「ならず者と悪党集団」とはっきり言える人物がいるだろうか。

仮に、失言気味で似たような発言をしたとしても中国側の猛抗議を受けてすぐに土下座謝罪で発言撤回をするだろう。

それに引き換えキャファティ氏はエライ!

抗議を受けて謝罪どころか更に厳しく「ならず者と悪党集団」は中国政府と名指ししたではないか。

キャファティ氏はこのように補足したらしい。

「彼らは基本的に、過去50年間と同じならず者と悪党の集団だ、とわたしは考えている」。

中国側の抗議はやぶへびだった。

                      ◇

■刑務跡(思想犯)が聖火リレースタート地■

五輪聖火リレーのスタート地を善光寺が辞退して以来、世界各国で善光寺の株が上がっているという。

聖火のスタート地はその国の象徴的な場所を選定するのが慣習となっている。

 ロンドン⇒ウェンブリー・スタジアム(イングランドのサッカーの聖地)

パリ⇒エッフェル塔

サンフランシスコ⇒フィッシャーマンズワーフ(観光地)

バンコク⇒チャイナタウン

デリー⇒大統領官邸

そして!

長野市⇒空き地

日本では当初のスタート地善光寺の英断で、結果的ではあるが長野市が決めたスタート地点が「元思想犯専用の刑務所跡地」とは、「大虐殺北京五輪」にとってこんなに相応しい場所は無い。

ちなみに東京オリンピックの時の聖火リレーは台湾(当時の中華民国)から日本に来る前に、当時はアメリカ占領下の沖縄で中継し「日本の潜在主権」を世界へ訴えて、来るべき祖国復帰(1972年5月15日)の布石にした経緯がある。

それにしても、台湾問題、尖閣問題と対中国に関しては問題をはらんでいる沖縄の新聞が、

普段は人権問題では大騒ぎしている割には、チベット問題、聖火リレー騒動では静観なのが不思議だ。

今朝の琉球新報の見出しにチベットの文字を探してみたら・・・

一つ見つけた、と思ったら文化面の「チベット旅行の思い出」、宗教学者山折哲夫氏の「中国のチベット弾圧」には関係ない随筆だった。
 

チベットと「命どぅ宝」と死刑制度、そして軍備■

関連無い単語を羅列したわけではない。

「命どぅ宝」、死刑制度、軍備という三つの点を結ぶと「中国のチベット弾圧」という構図が浮き出してくる。

ネットで評判の動画 もうひとつの聖火リレー』 "Another sacred torch relay"に次のような言葉が出てくる。

「武力を捨てたがゆえに他国の軍事侵略に抵抗できなかった国がある」

「自分の国で常に監視され拷問される恐怖に怯えながら生きる毎日を」


【必見動画】 もうひとつの聖火リレー』 "Another sacred torch relay"http://jp.youtube.com/watch?v=i7oH7ql9zvM&NR=1

 

チベットは沖縄の鏡といわれながら脳テンキな沖縄サヨクはチベット問題は見てみぬ振りだが、

米軍基地撤去を叫び自衛隊には敵意を見せる。

「命どぅ宝」という沖縄語を曲解して「武力を捨てれば平和が来る」という幻想で県民を扇動する沖縄紙。

光市母子殺人事件で死刑判決後の記者会見での本村さんの発言が重なる。

(死刑制度について問われて)「人の命をもっとも大事だと思って尊ぶからこそ死刑という制度があった」。

そう、「『命どぅ宝』だからこそ軍備も必要なのだ」と沖縄の新聞に教えてあげたい。

 

【おまけ】

【論説】CNNの対中誹謗発言で露呈した中国の弱点

メルマガ版「台湾は日本の生命線!」より転載


ブログ「台湾は日本の生命線!」 http://mamoretaiwan.blog100.fc2.com/

http://mamoretaiwan.blog100.fc2.com/blog-entry-352.html より



CNNテレビのコメンテーター、ジャック・カファティ氏がサンフランシスコでの聖火リレーの実況中継中、「米国は中国製の鉛を塗ったガラクタや毒入りペットフードを輸入している」とし、中国人が「過去五十年間、ならず者で兇徒だった」と発言したことはまさに事実を言い表したものであり、世界の人々に中国への警戒心を高めさせる上で有益なものだった。

一方、CNNなど海外のメディアがチベットの真実を大々的に伝えていることに手を焼いてきた中国にとっても、これはCNN批判(その権威、影響力を傷つける)の格好の材料となった。十五日には外交部の姜瑜報道官が怒りを込めてこう言った。

カファティは自分のマイクを利用し、中国と中国人民を誹り、メディアの道徳と人としての良識に背いた。彼の傲慢さ、愚昧さ、そして中国人民への敵視が反映されている。内外の中国人は憤慨し、世界の正義の人々も譴責している。我々はCNNとカファティに悪劣な発言の撤回と全中国人民への謝罪を厳正に要求する

CNNも営利企業である。これを受けて即日謝罪の声明を発表した。だがそれは「カファティとCNNに中国人を冒涜;する気はない。発言は中国政府に向けたものだった」「もし侮辱と感じた方がいれば、その方々には謝罪する」「カファティは米国の政府やリーダーにも鋭い批判を行っていますよ」と言うものだった。

こう言われては中国も黙ってはいられない。姜瑜は十七日、こう言って再度CNNに謝罪を要求した。

「CNNが十五日に発表した声明は、カファティ発言に関して心を込めて謝罪していないばかりか、矛先を中国政府に向け、人民と政府の関係に挑発を行った。中国は受け入れられない」

海外からの影響で、「人民と政府の関係」が悪化することこそ、中国政府が伝統的に恐れるものだ。

こうした反海外メディアキャンペーンにより、中国国民の民族主義は高揚していることが報じられているが、恐らく報じられていないこともあるだろう。それは海外からの情報に接し、多くの国民が真実を知り始めていることである。

また高揚する民族主義が政府批判に転じかねない危険性も、中国政府はよく知っている。

さらには世界各国も、外国の言論の自由、報道の自由を侵害する中国の高圧的姿勢に、ますます不信感、警戒感を高めていることだろう。たとえば、これで本当に五輪開催の資格があるのかと。

中国政府が海外メディアに激越な反応を示さざるを得ない情況の、この国の弱点がさらけ出されている。だから「ならず者、兇徒」であり続けてきた中国の暴走をこれ以上望まないものは、メディアであれ個人であれ、さらに真実に基づいた反中国宣伝を行って、その弱点を突いて行けばいいのだ。

ただ、もし今回の中国の怒りに恐れ戦き、「我々は中国の逆鱗に触れないようにしよう」と決意を新たにした日本のメディア、政治家、企業が存在するなら、それは中国の恫喝戦略の勝利を意味するのだが。

【おまけ】その2

面白い裁判が起きたようだ。

中国政府は「ならず者で悪党集団」かどうか、これは侮辱にあたるかどうか。

米国連邦裁判所がどのような判断を示すか世界中の見ものだ。

 

中国人に1ドルずつ支払え!13億ドルの慰謝料求めCNNを提訴―米NY

 (中国情報局 2008/4/24)

 http://www.recordchina.co.jp/group/g18166.html


 2008年4月23日、米国ニューヨーク在住の華人と中国北京市の女性が連名で米国の弁護士を通じ、CNNと同局キャスター、ジャック・カファティ氏らを相手取り、中国人1人当たり1ドル、総額13億ドルの慰謝料を求め提訴した。中国の「人民網」が伝えた。 



 CNNとカファティ氏を訴えたのはニューヨークで美容院を経営する梁淑冰(リャン・シュービン)さんと中国北京市で小学校教師を務める李麗蘭(リー・リーラン)さんの2人。彼女らは全ての中国人を代表し、CNNとその母体であるターナー・ブロードキャスティング社、カファティ氏の3者を被告として、原告である13億人の中国人に対する慰謝料を求めており、彼女らの弁護士は同日、米国連邦裁判所に訴状を提出した。 



 訴状のなかで、CNNは中国人全体を侮辱しおとしめたとし、カファティ氏は故意に原告を精神的に傷つけたと主張。ターナー・ブロードキャスティング社には重大な過失があったとしている。


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コメント (3)

新・沖縄語講座

2008-04-24 08:45:00 | 沖縄語講座

 

石川啄木の作品に「ローマ字日記」という作品がある。

日本語ではとても恥ずかしくて書けないような啄木自身の放蕩三昧をローマ字で赤裸々に書き綴ってあるが、啄木の生きた明治期には未だ普及していなかったローマ字の日記だと人に見られても分からないと思ったのだろう。

作家に良くあるように自分の日記を後世他人に読まれるのを意識して書いたとは思えない啄木の「ローマ字日記」が、作品として発表されるのは啄木自身は不本意だっただろう。

ローマ字つながりで無理にこじつけると、映画「ローマの休日」のオードリー・ヘプバーンとローマ字を日本に普及させたヘボン式のヘボン先生が同じ発音だったとは恥ずかしながらつい最近まで知らなかった。

ヘプバーンとヘボン先生

ところで「狼魔人日記」を書き始めた二年前は、「狼魔人流・沖縄語講座」と題してローマ字表記による沖縄語の解説を当日記の柱の一つにしていた。

沖縄語の専門家でもない素人の独断による「絶滅危惧語」としての沖縄語への無謀な挑戦であった。

だが、その間「集団自決」に関わる教科書検定問題や、訴訟問題による地元マスコミの暴走にムキになってしまい、「沖縄語講座」はついおろそかになってしまった。

そこで初心に返って時々は「ウチナーグチ」についても触れて見たいと思う。

ちなみにウチナーグチとは「沖縄愚痴」、・・・じゃない、「沖縄口」と書く沖縄語のこと。(日本語は大和口ーヤマトゥグチ)

で、「ローマ字日記」と「狼魔人日記」との関係はって、問われても何の関係もない。

ただ、「狼魔人日記」もローマ字で書いたものを変換しただけなので,

その点で言えば関係あるのかも知れない。

さて、今日のエントリーは政治ブログには関係ないので、

ランキングの急降下が予想される。

だが、そこのところはよろしく応援下さい。

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以下は二年前のエントリー「狼魔人流・沖縄語講座」を一部加筆したものです。

先ず巷でよく聞く話から。

「テレビから聞く沖縄出身タレントの沖縄訛りは判り易い」。

なるほど、時折沖縄語をちりばめて話すガレージセール・ゴリのトークに違和感は無いだろう。

うちなんちゅ(沖縄人)や、ちゅらさん(美しい)等の沖縄語は全国区にになりつつある。

その一方、「沖縄で聞く生の沖縄方言はさっぱり判らない。 まるでチンプンカンだ」という本音も聞こえる。

そして留めの一発が入る。

「やっぱり沖縄語は日本語の方言ではない。 外国語だ」

ブー! それは間違い。 

沖縄語は紛れもなく日本語から分派した方言の一種だ。

沖縄ブームに乗って沖縄方言の独自性を殊更強調する人々がいる。

そして中国語の影響を強調する。

先日も琉球新報コラムで「沖縄方言と中国語」と題して中国語に語源を持つ沖縄方言を解説している地元の弁護士の先生がいた。

その弁護士先生の博識の一つを紹介すると、

沖縄方言の「チファーラ」は「いっぱい食べたこと」の意味だが、

これは中国語の「喫飯了」(チーファンラ)から来ているという。

なるほど、説得力がある。

他にも種種の例を挙げて「沖縄方言・中国由来説」を書いている。

闘鶏(沖縄方言・タウチー)や獅子(シーサー)、西瓜(シークヮー)等。

だがこれらはむしろ中国語と言うより日本語語源で説明できる。

日本語も漢字を通じて中国語の影響は大いに受けているから。

そのコラムは最後をこう結んでいる。

≪さて、「沖縄方言話さずして、沖縄文化を知ったふりするなかれ」。方言に誇りをもって接すれば、中国語も堪能となること請け合いである。≫

一瞬判ったような気もするが、文の前段はともかく、後段の部分は弁護士先生一寸筆のお遊びが過ぎたようだ。

当ブログでは、沖縄方言にいくら誇りを持って接しても中国語に堪能になる事は請合いかねる。

沖縄語がその地理的、歴史的特異性から中国の影響を受けたのは紛れも無い事実だろう。

だが、沖縄語はその語法・文法に於いては中国語とは全く別の言語であり、起源は日本語と同じ語法を持つ。

沖縄語を習得するには沖縄独特の単語を習得すれば足りる。

沖縄独自の単語を日本語の話法で話せば、それで沖縄語は卒業だ。

沖縄独自の単語は、A・日本語の訛り、B・日本語の古語由来、
C・中国語由来、D・その他に分類される。

そのうちA・日本語の訛りを覚えれば沖縄語の大半は覚えた事になる。

幸いな事に、訛りには覚えやすい法則がある。

それを覚えれば沖縄語の日常会話は簡単にマスターできる。

■A・日本語の訛り 

「母音の法則」

先ず単語をローマ字で書いて見る。

(例)
 手→TE   目→ME  毛→KE

ここで E→I と変化する法則を覚えると

「手」は沖縄語では「てぃ」、

「目」は「み」、

「毛」は「き」と沖縄訛りが三つ習得できる。

これを応用すると泡盛を入れる「甕(かめ)」は?

はい、沖縄語では「かみ」でも通じるが、更に訛って「かーみー」となれば完璧。

更に「O→U」の変化を覚えたら母音の法則は卒業。

(例)
 タバコ→TABAKO→「たばく」が沖縄訛り。

※「E→I O→U」変化の応用例   

米→KOME→「くみ」が沖縄訛り。

卒業問題
 「そば」、そしてそばに付き物の「かまぼこ」は?

それを沖縄方言では「すば」、「かまぶく」と言う。

退屈な話が続いたが、たった二つの母音変化「E→I」と「O→U」を覚えるだけで沖縄訛りの語彙が無限に広がる。

 

以上をローマ字でなく日本語でまとめると

①【沖縄語には「三母音の原則」がある】

 1)日本語のエは沖縄語ではイに変わる

 2)日本語のオは沖縄語のウに変わる

この二つを理解すれば沖縄語を半分は理解したことになる。(オーバーでなく、これ本当)

で、日本語の「アイウエオ」は「アイウイウ」となる。

では沖縄語にエやオは無いのか。

ところエもオもあるのです。

 ②【aeとaiをエーと訛るのは関東訛りと同じ】

ダイ(大)dai ⇒デー dee

マエ(前)mae ⇒メー mee

 

「てめー、このやろう ae⇒エー

ビートたけしが良く使うこのフレーズの前半部分の「手前・てまえ」をローマ字表記すると、

temaeで、  aeはそのまま発音するとアエだが関東訛りだと

エーとなりtemaeは、「てめー」となる。

  ae⇒エー(ee)

  ai⇒エー(ee)

殿様! 一大事だ!

江戸っ子の一心太助はこの場合「イチダイジ」とは言わずに「イチデージ」というだろう。 

ところが沖縄語でも「イチデージ」と発音する。 

沖縄人気質の特徴に、よく言えば「細かいことにこだわらない」、悪く言えば「いい加減」というのがある。

沖縄人の大雑把でいい加減な性格を、「テーゲー主義」だという。

漢字を当てると大概主義と書く。

大概taigaiのai ⇒eeに変化して  テーゲーteegeeになる。

他にも大事がデージに変わるが、大事は何事か「大事なこと」という意味から、転じて「非常に」という強調の副詞に使われる。

デージ・大事⇒ 非常に

 一大事⇒イチデージ⇒大事件

③【アウauとアオaoはオーooと変化】

カウ(買う)kau ⇒ コーユン kooyun

サオ(竿)sao  ⇒ ソー soo

これで調子こいて、顔kao をクーkooと発音しても通用しない。

顔はチラ。

面turaが変化して チラtira  ⇒uがi に変わる例外。

 

【まとめ】 日本語と沖縄語の音節による違い。

日本語は短母音の短い単語(1音節⇒1拍) は沖縄語では長音、つまり2泊に変化する。

・・・と書くと何か小難しく感じるだろうが例を見ると一目了解。

日本語の「血」chi ⇒沖縄語:チーchii

つまり沖縄語には目とか手という短母音(1拍)の単語はなく、全て長音の2拍に変化するということ。

例) 

手⇒ティー、 毛⇒キー、 目⇒ミー

麩⇒フー(フチャンプルーとは言わずフーチャンプルーが正しい)、 

酢⇒シー(uが iに変化する例外)

 

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光母子殺害:死刑判決 

2008-04-23 09:11:11 | 県知事選

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「とかく裁判用語は難しい。 棄却、却下、破棄の違いなど、素人にはなかなか分かりにくい。 『未必の故意』が『密室の恋』に聞こえるという話もある。(琉球新報 金口木舌 4月23日)

裁判には、日本一の難関といわれる司法試験を通った頭の良い人たちが法廷という崇高な場所で専門用語を駆使して論議を戦わすわけだから素人が下手に口出しすべきでないという雰囲気があった。

この素人が口出しすべきでないという雰囲気を逆手に取って、自分のスキャンダルの口封じのため勝ち目の無い訴訟に踏み切る政治家もいるくらいだ。

提訴後はうるさいマスコミの取材攻勢も「係争中につきコメントを控えさしてもらいます」の一言で撃退できる。⇒横峯パパ提訴の本当の訳?

 

それまで六法全書を開いたことも無い(本人の弁)法律の素人の本山さんが法律の専門家の独善で固めた裁判制度に風穴を開けた。

光母子殺害:元少年に死刑判決 広島高裁

山口県光市で99年4月、母子を殺害したとして殺人と強姦(ごうかん)致死罪などに問われた当時18歳の元少年(27)に対する差し戻し控訴審の判決公判が22日、広島高裁であった。
楢崎康英裁判長は「身勝手かつ自己中心的で、(被害者の)人格を無視した卑劣な犯行」として、無期懲役とした1審判決を破棄し、求刑通り死刑を言い渡した。元少年が差し戻し審で展開した新供述を「不自然不合理」と退け、「1、2審は改善更生を願い無期懲役としたに、死刑を免れるために供述を一変させ、起訴事実を全面的に争った」と批判した。弁護側は即日、上告した。

 最高裁は06年6月、高裁が認めた情状酌量理由を「死刑を回避するには不十分」として1、2審の無期懲役判決を破棄し、高裁に差し戻した。

 元少年は差し戻し審で弥生さん殺害について、「甘えたい気持ちで抱きつき、反撃され押さえつけたら動かなくなった」とし、夕夏ちゃんについて「泣きやまないので抱いてあやしていたら落とした。首を絞めた認識はない」と述べた。

 供述を変えた理由については、「自白調書は警察や検察に押し付けられ、1、2審は弁護人が無期懲役が妥当と判断して争ってくれなかった」とした。

 判決は「弁護人から捜査段階の調書を差し入れられ、『初めて真実と異なることが記載されているのに気づいた』とするが、ありえない」と、元少年の主張を退けた。

 また、弥生さんの殺害方法について元少年が「押し倒して逆手で首を押さえているうちに亡くなった」としたのに対しても「不自然な体勢で圧迫死させるのは困難と考えられ、右手で首を押さえていたことを『(元少年が)感触さえ覚えていない』というのは不自然。到底信用できない」とした。夕夏ちゃん殺害についても、「供述は信用できない」と否定した。

 また、元少年が強姦行為について「弥生さんを生き返らせるため」としたことについて、「(荒唐無稽こうとうむけい)な発想であり、死体を前にしてこのようなことを思いつくとは疑わしい」と退けた。事件時、18歳30日だった年齢についても「死刑を回避すべきだという弁護人の主張には賛同し難い」とした。

 また、元少年の差し戻し審での新供述を「虚偽の弁解をろうしたことは改善更生の可能性を大きく減殺した」と批判。「熱心な弁護をきっかけにせっかく芽生えた反省の気持ちが薄らいだとも考えられる」とした。

 1、2審は殺害の計画性の無さや更生可能性を重視して無期懲役を選択。最高裁は強姦目的や殺害方法などの事実認定を「揺るぎない」とし、「量刑は不当で、著しく正義に反する」として審理を差し戻した。

 判決によると、元少年は99年4月14日、光市のアパートに住む会社員、本村洋さん(32)方に排水管検査を装って上がり込み、妻の弥生さん(当時23歳)を強姦目的で襲い、抵抗されたため手で首を絞めて殺害。泣き続ける長女夕夏ちゃん(同11カ月)を床にたたきつけた上、首にひもを巻き付けて絞殺した。

 2審の無期懲役判決を差し戻した死刑求刑事件は戦後3例目だが、
他の2件は死刑が確定している。

 ◇9年は長かった
 本村洋さんの話 9年は遺族にとって長かった。判決は裁判を通じて思った疑問をすべて解決してくれ、厳粛な気持ちで受け止めている。
私の妻子と(死刑判決を受けた)被告の3人の命が奪われることになった。
社会にとっては不利益で、凶悪犯罪を生まない社会をどうつくっていくか考える契機にしたい。

(毎日新聞 2008年4月22日 10時36分)

                      ◇

死刑判決を伝える報道にあるテレビコメンテーター(弁護士)は「我々専門家の常識では無期懲役だ妥当」(要旨)といったコメントをして永山基準について解説していた。

そう、本村さんはこのような専門家たちの思考停止で判例に丸投げする「手抜き工事」に風穴を開けたのだ。

「死刑執行命令が嫌なら法務大臣になるな」という意見がある。

裁判官といえども死刑判決が嫌なら死刑制度のある現行裁判制度の下では裁判官の任官を拒否すべきだろう。

そもそも、今回の判決も最高裁に上告したのに死刑を臭わすような発言(『死刑を回避する理由がない』とする判示)で二審へ差し戻しした。

これは最高裁の(最少年未成年者への死刑判決)の責任回避ではないのか。

死刑を回避する理由がないのなら最高裁で死刑判決を下すべきではなかったのか。

弁護団は不当判決だとして上告するというが今度は責任回避は許されないだろう。⇒「極めて不当な判決」母子殺害事件被告の弁護団が会見 (読売新聞 4月23日 01:56)

光母子殺害:【本村洋さん会見詳細】<1>「裁判所の見解は極めて真っ当」

光母子殺害:【本村洋さん会見詳細】<2>「どこかで覚悟していたのではないか」 

--死刑というものがあるからこそ迷い、悩んだと聞いた。判決を聞いてどうか。

本村 死刑という問題は、法治国家にとって古くて新しい問題で、答えはないものと思います。ただ、人の命をもっとも大事だと思って尊ぶからこそ死刑という制度があった。この判決を受けて、死刑は重過ぎるという人も適罰という人もいると思います。ただ、それを論じても意味のないことで、どうすればこういった犯行や少年の非行を防げるかということを考える契機になると思う。死刑というものがなくて、懲役刑や、短いものだったりした時、だれがこの結末を注目し、裁判経過を見守ってくれるのか。死刑というものがあって、人の命をどうこの国が、法律が判断するかを国民のみなさんが一生懸命考えてくれたからこそ、これだけの世論の反響を呼んだ。当然いろんな議論があります。いずれにしても目的は安全な社会を作ること。どうすれば犯罪を減らせるか、死刑を下すほどの犯罪をなくすことができるかということに人々の労力を傾注すべきだと思う。両手放しに死刑は必要だとか、間違っていないとは言えない。常に悩みながらこの制度を維持することに本当の意味があることだと思いを新たにしています。

思考停止した法律の専門家の口からは聞くことの出来ない説得力のあるコメントではないか。 

とても記者会見の記者の質問へ即答したとは思えない論理性のあるコメントにに改めて脱帽する。

 

  • 光母子殺害:【本村洋さん会見詳細】<3止>被告の反省文は「生涯開封しない」
  •  <--今回の少年は(犯行時)18歳。ハードルが外れ、今後、少年の死刑判決が続くと思いますか。

    本村 そもそも、死刑に対するハードルと考えることがおかしい。日本の法律は1人でも人を殺めたら死刑を科すことができる。それは法律じゃない、勝手に作った司法の慣例です。

     今回、最も尊うべきは、過去の判例にとらわれず、個別の事案をきちんと審査して、それが死刑に値するかどうかということを的確に判断したことです。今までの裁判であれば、18歳と30日、死者は2名、無期で決まり、それに合わせて判決文を書いていくのが当たり前だったと思います。そこを今回、乗り越えたことが非常に重要でありますし、裁判員制度の前にこういった画期的な判例が出たことが重要だと思いますし、もっと言えば過去の判例にとらわれず、それぞれ個別の事案を審査し、その世情に合った判決を出す風土が生まれることを切望します。>

     

    法律の専門家を自認する法曹人、それに群がる司法記者たちの硬直した考えの上に構築された現行裁判制度の矛盾を見事に浮き彫りにし裁判制度にまで言及したコメントは秀逸である。

     

    <--日本の司法に与えた影響については。

    本村 私は事件に遭うまでは六法全書も開いたことがない人間でした。それがこういった事件に巻き込まれて、裁判というものに深く関わることになりました。私が裁判に関わった当初は刑事司法において、被害者の地位や権利はまったくありませんでした。それが、この9年間で意見陳述権が認められましたし、優先傍聴権も認められる。例えば今回のように4000人も傍聴に訪れたら、遺族は絶対傍聴できなかった。それが優先傍聴権があるために私たち遺族は全員傍聴できた。これからは被害者参加制度ができて被害者は当事者として刑事裁判の中に入ることができる。

     そういったことで司法は大きく変わっていると思いますし、これから裁判員制度をにらんで司法が国家試験、司法試験を通った方だけではなく、被害者も加害者も、そして一般の方も参加して、社会の問題を自ら解決するという民主主義の機運が高まる方向に向かっていると思います。実際に裁判に関わって、まったく被害者の権利を認めていない時代から、意見陳述が認められて、傍聴席も確保できて、そういった過渡期に裁判を迎えられたことは意義深いと思ってます。

     --今の裁判の問題点は。

    本村 すべての問題が解決したわけではありませんし、例えば今回、9年という歳月がかかっている。これは非常に長いと思います。ですから今後、裁判の迅速化とか今後検証していく余地はたくさんあると思う。法は常に未完だと思います。未完だと思って常により良い方向を目指して解決していくべきだと思います。>

     

    再び言うが、この記事は本当に記者会見での即答なのかと疑うほど論理的に現行司法制度の問題点を見事に指摘している。

    司法研修生の研修会には本村さんを講師にして抗議して欲しいくらいだ。

    特に、「法は常に未完だと思います。未完だと思って常により良い方向を目指して解決していくべきだと思います。」

    のくだりには、当たり前のことでありながら見逃しがちな真理を含んでおり思わず快哉の拍手をしたくなった。

    「九条教徒」には読み聞かせてあげたい一文である。

    で、硬直した法律の専門家達が「勝手に作った司法の慣例」である、「永山基準」を以下に引用する。

     

    永山基準
     1968−69年の連続4人射殺事件の永山則夫元死刑囚(事件当時19歳、97年8月執行)第1次上告審判決(83年7月)で、最高裁が無期懲役の2審判決を破棄した際に示した死刑の適用基準。(1)犯罪の性質(2)動機(3)態様、特に殺害方法の執拗(しつよう)さや残虐さ(4)結果の重大さ、特に殺害被害者数(5)遺族の被害感情(6)社会的影響(7)犯人の年齢(8)前科(9)犯行後の情状−を考慮し、刑事責任が極めて重大で、罪と罰の均衡や犯罪予防の観点からやむを得ない場合には、死刑の選択も許されるとした。(西日本新聞 2008年4月22日掲載)

                        ◇

    本村さんのコメントに何を付け足しても蛇足になるが、「永山基準」のような判例に自己判断を丸投げしていたら法廷が益々専門家による前例主義の閉塞空間に陥るところだった。

    本村さんは法律の専門家に自分の頭で考え悩みそうして判決を下すことを教えた。

    もし裁判官が先例(判例)主義に固執するならネットの進化した昨今では

    必要条項(永山基準にある、(1)犯罪の性質(2)動機(3)態様、特に殺害方法の執拗(しつよう)さや残虐さ(4)結果の重大さ、特に殺害被害者数(5)遺族の被害感情(6)社会的影響(7)犯人の年齢(8)前科(9)犯行後の情状)を、

    パソコンに打ち込めば自動的にPCが判決を下してくれるわけで裁判官の判断はもはや必要ないことになる。

    そうなると、裁判制度も「判事ソフト」を中心に「検事ソフト」や「弁護人ソフト」のゲーム感覚になりかねない。

    【おまけ】

    本村さんに「この判決で死刑に対するハードルが下がった事に対してどう思いますか?」 と質問をした朝日記者に2チャンネルで猛抗議が起きています。⇒痛いニュース(ノ∀`)2008年04月22日
    朝日新聞女記者「この判決で死刑に対するハードルが下がった事に対してどう思いますか?」

    http://www.nicovideo.jp/watch/sm3068427(削除済)
    http://jp.youtube.com/watch?v=7AjmJ3WnxAU

    http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080422-00000014-maiall-soci

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    コメント (4)

    「生きて虜囚」と「集団自決」は無関係★虜囚と捕虜は別の言葉

    2008-04-22 07:08:37 | ★集団自決

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    戦陣訓

    戦陣訓の本訓その二 第八「名を惜しむ」項

    恥を知る者は強し。常に郷党家門の面目を思ひ、愈々奮励して其の期待に答ふべし。生きて虜の辱を受けず、死して禍の汚名を残すこと勿れ。


    【意味】
    「恥を知る者は強いものだ。ふるさとの親類や家族の対面を考えて、(軍規に反して略奪や暴行などを行い)(憲兵に)捉えられてて収監されたり、死んでまでも罪人として扱われるような行動をしてはならない。」

                        *

    虜囚」とは犯罪を犯した囚人のことであり、敵の捕虜と解釈するのは戦後のサヨク勢力の捏造解釈である。

     

    以下は

    昨年12月エントリー「集団自決と戦陣訓の幻  「生きて虜囚・・」は建前だった」を一部加筆した再掲です。

    「戦陣訓」追記し再申請 検定審「指針」で1社  (12/9 9:55)

     【東京】高校歴史教科書の「集団自決」(強制集団死)検定問題で、訂正申請を出した教科書出版社6社に対し、教科用図書検定調査審議会が「集団自決」の背景にある複合的要素を詳しく記述するよう求める「指針」を示した件で、1社が軍人や住民に対し捕虜となることを禁じた「戦陣訓」を追記し、再申請する方針であることが分かった。
     
    「戦陣訓」は1941年1月に東條英機陸軍大臣が全陸軍に通達した訓諭。この中で「生きて虜囚の辱めを受けずとして、軍人が捕虜となることを禁じた。沖縄戦において「戦陣訓」は住民にも浸透していた。戦前の皇民化教育や沖縄守備軍・第32軍の「軍官民共生共死」方針とともに、「集団自決」を引き起こした要因とされている。
     教科書各社は検定審議会の「指針」を踏まえ、皇民化教育や軍から住民にもたらされた米軍に対する恐怖心などを新たに盛り込む形で訂正申請を出し直す方向で検討を進めている。
     今後、再申請された訂正内容について、教科書各社と文科省教科書調査官との細かい調整が行われるものとみられるが、文科省は直接的な「命令」「強制」に関する断定的記述には難色を示していることから「軍の強制性」が教科書記述に明示できるかは微妙だ。


    (琉球新報 12/9 9:55)

                                               ◇

    先日、テレビドラマで松本清張の「点と線」を見た。

    若い頃小説で読んだが、時代があまりにも変りすぎて、特にアリバイ崩しが売り物の小説をテレビドラマ化することの難しさを感じた。

    「点と線」というタイトルは、点と点を結ぶと線になり、線が交差すると面になるが、松本清張は点と言う事実をつなぎ合わせてそこから導き出される刑事の推理の象徴として「点と線」という当時としても秀逸なタイトルを思いついたものと推測する。

    「歴史事実」という一つの「点」を、解釈の余地を残さない一つのセグメントの事だと解釈すると、「歴史事実」を線でつなぎ合わせて、面を造り、そして「歴史認識」が生まれる。

    「歴史認識」とは「歴史事実」を積み上げた「歴史に対する解釈」あるいは「事実と事実を結びつける解釈」だと考えられる。

    当然、「解釈」には理解も有れば誤解もありうるし、中国の歴史認識と日本の歴史認識が違っても不思議ではない。

    >「戦陣訓」は1941年1月に東條英機陸軍大臣が全陸軍に通達した訓諭。

    1941年に東条英機が「戦陣訓」は紛れも無い「歴史事実」であり歴史上の「点」である。

    これに対して、「戦陣訓は兵隊に周知徹底されていた」と思い込んでしまうのが、「歴史認識」でしばしば後世の人の「誤解」を呼ぶ。

    ところが、この「誤解」に更なる「誤解」が重なると、「戦陣訓は沖縄では兵隊のみならず民間住民にも周知徹底されていた」という大きな歴史の過ちに陥っていく。

    そして、「誤解した歴史認識」を更なる誤解によって複数接続すると、「戦死者があんなに多く出たのは、戦陣訓のせいだ」とか、「集団自決は戦陣訓のせいだ」という“物語”が出来上がって来る。

                         *

    ◆「恥ずかしながら生きて帰りました」

    終戦を知らずグアム島で28年間潜んでいた日本兵横井正一軍曹が日本に着いた時の第一声がこの言葉だった。

    この言葉はその年の流行語にもなった。

    「恥ずかしながら」という言葉は国民に向って発せられたが、深層心理学的に言うとグアムで戦死した戦友たちへ向っての「恥ずかしさ」と「申し訳なさ」だった推察出来る。

    ◆その2年後、今度はフィリピン・ルバング島から小野田寛郎少尉が30年振りに帰国した。

    小野田少尉が天皇陛下との面談も断って彼が真っ先に行った行動は、

    靖国神社への参拝であり戦死した部下・戦友の墓参りだった。

    横井氏のような流行語は発しなかったが小野田も靖国参拝の時や、戦友の墓参りの時の心境は、同じく「恥ずかしながら」と「申し訳ない」の心境だったろうと想像できる。

    ◆横井軍曹や小野田少尉は「仲間」が全滅し自分だけが生き残ったことに「恥ずかしながら」或いは「申し訳ない」という心境だったと推測できる。

    だが、彼らが一つだけ救われるのは「仲間」が全滅したのは、敵であるアメリカ軍の攻撃による戦死だったことである。

    ところが「全滅」から生き残りながらも救われない人々がいた。

    ◆沖縄慶良間島の「集団自決」を生き残った人達である。

    彼らの「仲間」は敵米軍の攻撃による戦死ではなく、お互いの手で親兄弟、或いは知人縁者を「全滅」させたのだ。

    「恥ずかしながら」や「申し訳ない」では済まされない、

    「贖罪意識」を胸に秘めて戦後を生き抜かねばなら無かった。

    例え戦時中で敵に取り囲まれ無差別攻撃を受けたパニック状態の出来事だとは言え、

    自分の手にかかって「全滅」した「自決者」のことを考えると、理由はともあれ「集団自決体験者が「贖罪意識」に駆られるの当然のことだろう。

    「集団自決体験者」の「贖罪意識」に巧妙に入り込んだのが左翼学者集団の「反日思想」である。

    「残虐非道の日本軍」という左翼の扇動に集団自決の生き残りの人々が引き込まれていくのは自然の成り行きであり、結果として「軍の命令説」が形作られていく。

    「体験者達」は「軍の命令で仕方なく」親兄弟、知人縁者を手にかけたと主張することで、心の奥に潜む「贖罪意識」は少しは緩和されたのだろう。


     

                          ◇

    横井さんが帰国した時、マスコミは「恥ずかしながら生きて帰った」と言う発言に対し、それまであまり聞かれなかった戦陣訓という「点」と「横井さんの帰還」という点を強引に線で結んで一つの「面」を創造し報道した。

    それは「生きて虜囚の辱を受けず」の精神に横井は縛られていたかのような報道だった。

    ところが、自らも陸軍にいた司馬遼太郎氏は戦陣訓について、

    戦陣訓という訓令があるとは知っていたが、どんな内容であるかは全く知らなかった。その程度のものだった」と、

    自らが理解できない出来事(横井氏の帰還)に明確な原因と結果を求めたがるマスコミの姿勢を批判した。

    同じく陸軍経験のある山本七平氏も戦陣訓については次のように明言し、戦陣訓の影響は戦争を知らない戦後の人々の後知恵であると喝破している。

    <たとえば横井さんが出て来たとき、すぐにその原因は戦陣訓ということになり、私自身も取材を受けたが、私は戦陣訓など読んだことはないし、部隊で奉読されたこともないと言っても、その人は信用しない。私は自己の体験を語り、その人は戦後生まれで軍隊を知らないのに信用しない。>(「私の日本軍」より)

    陸軍経験のある多くの作家が戦陣訓について、司馬遼太郎氏と同じようなことを書き残しているが、安岡章太郎氏は前記山本氏を補足して次のように解説している。

    ≪ 戦陣訓に戻っていえば、私自身も一年半の軍隊生活で戦陣訓を強制的に講義されたりしたことは一度もない。それは軍隊内で、いわば体よく無視されていたと言えるだろう。
     しかるに現代のマスコミは、なぜ戦陣訓を重視したがるのか?それは山本氏も言うように、戦陣訓は実は当時のマスコミにかつぎ上げられてマスコミの中だけで拡まっていたものであり、それは現代のマスコミにも体質的に通い合うものがあるからではないか。」≫

                          ◇

    ◆「沖縄慶良間島の集団自決は軍の命令或いは強制によるものだ」と、主張する勢力は、これまでの論争の中で「軍命があった」という客観的証拠や、証言が無いと分かると戦術を変更し、「軍命の有無は問題ではない」と論点をすり替え始めた。

    その論点すり替えの論拠が、

    「軍官民共生共死」、「公民科教育」、そして「戦陣訓」という三つキーワードであった。

    ところが今回文科省が出したとされる指針によると、

    日本軍だけが住民に「集団自決」を強制したと読み取れる表現を事実上、禁じている。 一方で「集団自決」が自発的な死ではなく、住民が「『集団自決』せざるを得ない状況に追い込まれた」ことは認め、その「背景・要因」を詳細に記述するよう促している。」(「軍だけが強制」禁止/文科省指針 全容判明

    つまり、文科省指針は、これまで「軍命あり派」が「命令、強制」の根拠にしていた「軍官民共生共死」や「皇民化教育」といった左翼用語を使用しても(背景・要因)、日本軍だけが「集団自決」を強制したと読み取れる表現を禁じたのだ。

    「軍命あり派」にとっては表現上非常に困難な立場に追い込まれたことになる。

    これが町村官房長官や渡海文科大臣が繰り返してきた「工夫と努力と知恵」の見せ所だというのだろう。

    >沖縄戦において「戦陣訓」は住民にも浸透していた。

    沖縄在住の戦史研究家・奥茂治氏は「沖縄では戦時中といえども戦陣訓の『生きて虜囚の云々』は殆ど知られていなかった」と証言している。

    「生きて虜囚の・・・」が初めて沖縄で知られるようになったのは、
    昭和19年頃沖縄で放映された戦意高揚のニュース映画のアナウンサーの声で、初めてそんなものがあるのだと知られるようになったと言う。

    そういえば、物故した筆者の父も生前、晩酌等などで御機嫌の時、戦時中に「教育勅語」を暗記した例は話していたが「戦陣訓」の話を聞かされた記憶は無い。

                        ◇

    戦陣訓の「生きて虜囚の・・・」が亡霊のように甦ってきたのは戦後30年近くたって日本国民を驚かした横井さんや小野田さんの帰還により、主として朝日新聞を筆頭にした左翼マスコミによって作り上げられた「誤解」である。

    そしてひとたびマスコミを通じて一人歩きを始めた「誤解」は、一つの「歴史認識」として左翼学者の「歴史解釈」に多大な影響を与えた。

    それが後戻り出来ないのは陸軍体験者山本七平氏の次の言葉が全てを表している。

    「(取材を受けて)私は戦陣訓など読んだことはないし、部隊で奉読されたこともないと言っても、その人は信用しない。私は自己の体験を語り、その人は戦後生まれで軍隊を知らないのに信用しない。」

    沖縄でも戦陣訓の「生きて虜囚の・・・」が頻繁にマスコミに出てくるようになったのは左翼学者が主張する「日本軍の残虐さ」を議論し始めた戦後かなり経過してからである。(これについては稿を改めて書いて見たい)

    左翼学者は横井さんや小野田さんの例と同じく、

    「歴史事実」である「集団自決」(点)と「戦陣訓」(点)の間を強引に線で結び、「沖縄戦において戦陣訓は住民にも浸透していた」という戦後の誤った解釈で次の結論をひねり出した。

    「軍命による集団自決」、

    つまり「歴史の誤解」をでっち上げたのである。

     

    「付記」戦陣訓の本訓その二 第八「名を惜しむ」項

    恥を知る者は強し。常に郷党家門の面目を思ひ、愈々奮励して其の期待に答ふべし。生きて虜囚の辱を受けず、死して罪禍の汚名を残すこと勿れ。


     

    【追記】 2008年4月22日

    「虜囚」の解釈を下記ブログで詳しく論証しています。

    戦陣訓虜囚の辱の意味戦陣訓本意囚人を捕虜と63年間捏造(つまみ食い)報道 

    戦陣訓虜囚の辱意味変化辞書記載し証明捕虜解釈を否定捏造実証 

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    私の中の日本軍
    山本 七平
    文藝春秋

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    コメント (2)

    通州事件と「集団自決」の重大な関係

    2008-04-21 06:55:28 | ★集団自決

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    「集団自決」で住民を「自決」に追いやったのは何か。

    当時の日本人は鬼畜米英の捕虜になったら男は八つ裂きにされ、女は辱めを受けて惨殺される信じていた。

    更に沖縄には前年陥落したサイパンでの米軍の住民虐殺の情報や、

    大陸帰りの帰還兵や従軍看護婦から聞かされた中国兵の日本居留民への虐殺行為の情報も、

    鬼畜米英の恐怖に輪をかけていた。

    盧溝橋事件の直後、北京近郊の通州で起きた中国人による恐るべき日本人居留民の虐殺事件が沖縄の住民を震撼させ、捕虜になる恐怖を募らせていた。

    当時の新聞には大々的に報じられたこの通州事件も、

    現在では教科書に載ることもなく、日本の近現代史から忘れ去られつつある。

    だが、この忘れ去られた通州事件を視野に入れずして、

    「集団自決」当時の敵兵に対する住民の絶望的恐怖感を理解することは出来ない。

    通州事件は、昭和12年(1937)7月29日に起こった中国兵による大規な日本人虐殺事件である。

    虐殺されたのは、通州の日本軍守備隊、日本人居留民の約260名。

    中国兵は、婦女子に至るまで、およそ人間とは思えないような方法で日本人を惨殺した。

    朝日新聞の報道で概略すると次のようになる。

    中国人による蛮行(通州虐殺事件)
    当時第二連隊長萱嶋中将。
    「私の目撃したものはあまりに残酷であり、一生忘れることのできない印象となっている。旭軒とかいう飲食店では、四十から十七、歳までの女七、八人がみな強姦され、裸体で陰部を露出したまま射殺されていた。そのうち四、五名は陰部を銃剣で突き刺されていた。
     錦水楼という旅館はもっとも悲惨で、そこは危急を感じた在通州の日本人が集まった様子で大量虐殺を受けていた」
     
     元陸軍少佐、桜井文雄氏(千葉市)。
     「守備隊の東門を出ると、数間ごとに居留民男女の遺体が横たわっていた。某飲食店では一家全部首と両手を切断され、十四、五歳以上の婦女は強姦されていた。旭軒では女が全部裸体にされ強姦射殺され、陰部にほうきを押し込んである者、腹部をたてにたち割ってある者など見るにたえなかった。
     東門の近くの池では首を電線で縛り、両手に電線を通し、一家六人数珠つなぎにした死体が浮かんでおり、池の水は真っ赤になっていた。夜半まで生存者の収容にあたり『日本人はいないか』と叫んで各戸ごとに調査すると、鼻に牛のように針金を通された子供片腕を切られた老婆、腹部を銃剣で刺された妊婦などがチリ箱の中や塀の陰から出てきた」

    『東京裁判(上)』P310 朝日文庫 朝日新聞東京裁判記者団

    日本人の感覚では聞くに堪えないが、中国の歴史ではこういった残虐行為はよくあることである。

    ■通州事件が日本の教科書から消えた理由■
     
    では、何故歴史上稀な中国兵による日本の民間人虐殺事件が戦後語られなくなったのか。

    全ては、勝者の復讐劇に過ぎなかった東京裁判にある。

    東京裁判では敗者に有利な証拠の提出は全て却下された。

    日本側弁護団は通州事件を証拠として提出しようとしたが、ウェッブ裁判長はこれを却下した。

    復讐心に燃える連合国側には、通州事件に触れると、日中戦争における「日本悪玉論」が崩れてしまうという判断があったからだろう。

    中国の歴史では通州事件のような残虐行為はよくあることだが、例え歴史的事実でも、これが語られなくなり教科書から消えると、もはや歴史ではなくなる。

    沖縄の「集団自決」を語るとき論者の視点からは既に当時の住民が通州事件から受けた恐怖心への認識は欠落してしまっている。

    それどころかサイパンにおける米兵の残虐行為や、

    通州事件の身も凍る残虐行為への恐怖心は、

    巧妙に「残虐な日本軍」への恐怖心にすり替えられている。

     

    ■通州事件と「集団自決」の関係■

    沖縄住民が大陸帰りの県人(例えばチビチリガマの大陸帰りの従軍看護婦(★注1)から、中国人の残虐性に恐怖し、攻撃してくるして来る米軍にパニック状態になったとしても不思議ではない。

    いや、不思議ではないどころか、今後「集団自決」を論じる時にはサヨク勢力が意識的に隠蔽する通州事件を徹底的に解明して、戦時中これが捕虜になる恐怖心に与えた影響を解明すべきだろう。

    ★注1:チビチリガマの「集団自決」http://www.yomitan.jp/sonsi/vol05a/chap02/sec03/cont00/docu
    129.htm

    「集団自決」を語るサヨク学者の視点に通州事件の欠片もない。

    中国に気を使い、日本の歴史学者が口を閉じ、教科書も新聞も雑誌も一行すら書こうとしないこの世紀の大虐殺。

    しかも後の「集団自決」の実行者の心理に大きな影響を与えたと見られる残虐事件。

    この事件を【資料保存】として下記に引用及びリンクします。


    ◆通州事件http://www.history.gr.jp/~showa/tushu.html

    盧溝橋事件発生から3週間後の7月29日、北平(北京)東方の通州で中国保安隊による大規模な日本人虐殺事件が発生した。
     世に言う「通州事件」である。
     中国に気兼ねする余り、我が国の歴史学者が口を緘(かん)し、教科書も新聞も雑誌も一行すら書こうとせぬこの世紀の大虐殺―――。
     恨みを飲んで殺された200数十名の同胞への鎮魂の気持ちを込めて、この事件を書き留めておこう。

    通州事件とは、1937年(昭和12年)7月29日に発生した事件で、「冀東防共自治政府」保安隊(中国人部隊)による日本軍部隊・特務機関に対する襲撃と、それに続いて起こった日本人居留民(朝鮮系日本人を含む)に対する虐殺を指す。

    通州とは、北平(現在の北京市)の東約12kmにあった通県(現在の北京市通州区北部)の中心都市である。

    1937年7月29日、約3000人の中国人部隊が、華北各地の日本軍留守部隊約110名と婦女子を含む日本人居留民約420名を襲撃し、約230名が虐殺された。これにより通州特務機関は全滅。

    事件の原因は、日本軍機が華北の各所を爆撃した際に、通州の保安隊兵舎をも誤爆したことの報復であるとする説明が一般的だったが、近年は反乱首謀者である張慶餘の回想記により、中国側第二十九軍との間に事前密約があったとの説も有力になっている。

    なお、中国側ではむしろ「抗日蜂起」と看做されている。

     

    虐殺現場を目撃した証人の宣誓口供書は受理されたので、そこから惨劇の一端を拾い出してみよう。
     当時、天津歩兵隊長及び支那駐屯歩兵第2連隊長で、7月28日の南苑戦闘に参加した後、30日午後通州に急行して邦人救援に当たった萱島高証人は凡(およ)そ次の如く証言した。
     「旭軒(飲食店)では40から17~8歳までの女7、8名が皆強姦され、裸体で陰部を露出したまま射殺されており、その中4、5名は陰部を銃剣で刺殺されていた。商館や役所に残された日本人男子の死体はほとんどすべてが首に縄をつけて引き回した跡があり、血潮は壁に散布し、言語に絶したものだった。」
     まさになぶり殺しではないか。
     中でも悲惨を極めた旅館・近水楼での惨劇について通州救援の第2連隊歩兵隊長代理を務めた桂鎮雄証人の供述は次の通り。
     「近水楼入口で女将らしき人の死体を見た。足を入口に向け、顔だけに新聞紙がかけてあった。本人は相当に抵抗したらしく、着物は寝た上で剥(は)がされたらしく、上半身も下半身も暴露し、4つ5つ銃剣で突き刺した跡があったと記憶する。陰部は刃物でえぐられたらしく、血痕が散乱していた。帳場や配膳室は足の踏み場もない程散乱し、略奪の跡をまざまざと示していた。女中部屋に女中らしき日本婦人の4つの死体があり、全部もがいて死んだようだった。折り重なって死んでいたが、1名だけは局部を露出し上向きになっていた。帳場配膳室では男1人、女2人が横倒れ、或(ある)いはうつ伏し或いは上向いて死んでおり、闘った跡は明瞭で、男は目玉をくりぬかれ上半身は蜂の巣のようだった。女2人はいずれも背部から銃剣を突き刺されていた。階下座敷に女の死体2つ、素っ裸で殺され、局部はじめ各部分に刺突の跡を見た。1年前に行ったことのあるカフェーでは、縄で絞殺された素っ裸の死体があった。その裏の日本人の家では親子2人が惨殺されていた。子供は手の指を揃(そろ)えて切断されていた。南城門近くの日本人商店では、主人らしき人の死体が路上に放置してあったが、胸腹の骨が露出し、内臓が散乱していた」

    (注)近水楼を襲撃したのは武装した黒服の学生団と保安隊であった。彼らは女中数名を惨殺、残る10数名の男女従業員・宿泊客に対して金品を強奪した後、全員を麻縄で数珠つなぎにして銃殺場に引き出し、処刑したのであった。
     その凄惨極まる処刑場の情況については、当時だれ1人これを知るものもなかったが、当日近水楼に泊まり合わせた同盟通信特派員・安藤利男氏が命がけで銃殺場から脱走し、北京にたどり着いた結果、世界はその実相を知ったのであった。
     安藤氏の手記は「続対支回顧録」に、体験談は寺平前掲書に収録されている。
     安藤氏の体験記は「通州の日本人大虐殺」として「文藝春秋」昭和30年8月号に掲載され、その後「文藝春秋にみる昭和史」第1巻(昭和63(1988)年1月)にも転載されたが、それには、いかにも戦後のものらしい解釈がつけ加えられている。

     支那駐屯歩兵第2連隊小隊長として7月30日、連隊主力と共に救援に赴(おもむ)いた桜井文雄証人によれば、
     「守備隊の東門を出ると、ほとんど数間間隔に居留民男女の惨殺死体が横たわっており、一同悲憤の極みに達した。「日本人はいないか?」と連呼しながら各戸毎に調査していくと、鼻に牛の如く針金を通された子供や、片腕を切られた老婆、腹部を銃剣で刺された妊婦等の死体がそこここの埃箱(ゴミばこ)の中や壕(ごう)の中から続々出てきた。ある飲食店では一家ことごとく首と両手を切断され惨殺されていた。婦人という婦人は14、5歳以上はことごとく強姦されており、全く見るに忍びなかった。旭軒では7、8名の女は全部裸体にされ強姦刺殺されており、陰部に箒(ほうき)を押し込んである者、口中に土砂をつめてある者、腹を縦に断ち割ってある者など、見るに耐えなかった。東門近くの池には、首を縄で縛り、両手を合わせてそれに8番鉄線を貫き通し、一家6人数珠つなぎにして引き回された形跡歴然たる死体があった。池の水は血で赤く染まっていたのを目撃した」(中村粲著「大東亜戦争への道」展転社刊より)

                         ◇

    チビチリガマの「集団自決」を指導した大陸帰りの従軍看護婦

    「集団自決」体験記 玉城※※(字儀間)
     昭和十九年当時、私は大山医院で住み込みの看護婦をしていて、後にチビチリガマで「自決」された知花※※さんとは、とても親しくしていました。---彼女は「満州」で従軍看護婦をしていたそうですが、そこで知り合った本土出身の男性との結婚の了解を得るため、両親のもとにいったん帰って来たのだそうです。しかし戦況が悪化して「満州」に戻ることができなくなり、しばらくは大山医院で働いていたそうですが、私が大山医院に勤める頃からは、北飛行場の医務室で看護婦として働いていました。

     彼女は、医務室の薬が切れると大山医院に取りに来たりするので、話をする機会がよくありました。当時は女に生まれて、国のために何が出来るかと考えると、従軍看護婦の道ぐらいしかありませんから、私は従軍して戦場で働き、天皇陛下のために死のうと考えていました。しかし諸事情から、従軍看護婦の道を諦めざるを得なかった私にとって、「満州」で従軍看護婦をしていた彼女は憧れのお姉さんでした。とても有能な人で、看護婦の免許のほかに産婆の免許を持ち、話すことも知的でいつも希望に燃えていました。---

     「※※ちゃん頑張るんだよ、大和魂で負けたらいかんよ。最後の最後まで頑張らんといかんよ。最後はどうなるか分からんし、私もどうなっていくのかわからんけど、もし戦争に負けることになったら、生きるんじゃないよ。自分で死んだほうがいい、捕虜になったら虐待されて殺されるんだから」彼女はそう言うと、「満州」で「支那事変」帰りの兵隊に聞いた「戦場での女の哀れ話」を私にも話して聞かせるのでした。その話は非常に恐ろしく、敗戦国の女性がどんな目に遭うのか私にまざまざと感じさせるものでした。

     ----戦争が激しくなると、「満州」にいる恋人のことが心配で落ち着かなかったのでしょう、大山医院の院長先生に相談に来ることもありました。「ねえ、先生、どうしよう、どうしよう」と彼女が言うと、医院長先生は「どうもこうもない。戦争だぞ。お前はもう、ここで働きなさい。満州には帰れないだろう、そうでないと一人の恋人のために命を捨てることになるぞ」と彼女をたしなめていました。

     ※※さんは戦後、チビチリガマの「自決」のことが明るみに出てから、いろいろ思われたようですが、私は彼女が悪いんじゃない、すべて日本の教育が間違っていたんだと思います。彼女は日本の教育をまともに受けただけなんです。日本の教育が、彼女を「大和魂の女性」にしたんだと思います。また従軍看護婦時代に、「支那事変」帰りの兵隊にいろいろ聞いたことも、後の行動に大きな影響を与えたのだと思います(「読谷村史」より抜粋)


    従軍看護婦時代に、「支那事変」帰りの兵隊にいろいろ聞いたことも、後の行動に大きな影響を与えたのだと思います。

    上記引用の読谷村史の最後の部分引用部分は「集団自決」の心理状況を検証する際に考慮すべき必須事項である。

     

    関連エントリー;

    「集団自決」は「南京大虐殺」の結果だって? 「チビチリガマの集団自決」

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    コメント (8)

    名古屋高裁判決?「そんなの関係ねぇ」だろうが!

    2008-04-20 06:47:47 | 県知事選

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    「司法判断を愚弄」 原告、幕僚長発言に抗議

     航空自衛隊のイラク空輸活動を違憲とした名古屋高裁判決を受け、防衛省の田母神俊雄航空幕僚長が「『そんなの関係ねえ』という状況だ」と述べたことに対し、原告で「訴訟の会」の池住義憲代表らは19日「司法判断を愚弄(ぐろう)して判決の価値をおとしめようとするもので、許されない」とした抗議文を防衛省に送った。

     抗議文は「政府や防衛省の『本音』を端的に示したもので『憲法なんて関係ねえ』と発言したに等しい。三権分立を否定した発言の責任は厳しく問われなければならない」としている。

     田母神航空幕僚長は18日の定例会見で「隊員の心境を代弁する」として発言をした。(琉球新報 2008年4月20日)

                                               
                       ◇

    琉球新報はよっぽど紙面のスペースが余っているのかスポーツ新聞しか扱わないアホネタを社会面の下に平べったく、しかも横書きで(笑)無理やり押し込んだようだ。(笑)

    この元ネタの名古屋高裁判決についてはバカバカしいのでスルーするつもりだったが、新報の「司法判断を愚弄」のオーバーな見出しに敬意を表し今日のエントリーにする。(笑)

    >三権分立を否定した発言の責任は厳しく問われなければならない

    「三権分立を否定した発言」?

    「司法判断を愚弄」?

    たかが裁判官の独り言をオーバーに言いなさんなよ。

    政府要人はこんなことを言っているよ。

    町村官房長官:
    「裁判官の方はどこまで実態がわかっているのかなと。その辺に誤りが裁判所はあるのではないかと」(FNNニュース)

    高村外相;
    「(判決文は)外務大臣辞めて暇でもできたら読みますよ。崇高なものであるかのごとく錯覚を与えて、政治に利用しようとすることがあるのはあんまりよくない」(同)

    政府高官が判決のいかがわしさを述べているのだから、公務員として勤務する田母神俊雄航空幕僚長としては、判決より政府高官の指示に従うのが常識だろう。

    さもなければ反乱罪だよ。

    こんなことを言う有識者もいるし。

    日本大学法学部・百地 章教授:
    「(国は)勝ってるけれど、憲法判断については非常に納得いかないはずですよね。つまり矛盾した判決を下しているということなんですね」(同)

    それに国側が上告をしない、というより国側勝訴で上告できないため、今回のねじれ判決は確定する見通しだが、イラクでの活動はこれまで通り続く。

    自衛隊のイラクでの活動がこれまで通り続くとしたら、現場の自衛隊としては、裁判官の独り言なんて「そんなの関係ねぇ」だろうが。

    この裁判長、定年でこの判決が「最後っ屁」らしいが、それにしてもずいぶんクサイ屁をひってくれたものだ。

     

    話が前後するが、ことの発端となった名古屋高裁の判決内容についても、話のながれ上一言だけ触れておく。

    「空自イラク派遣は憲法9条に違反」 名古屋高裁判断(4/18朝日)
     <自衛隊イラク派遣差し止めなどを求める集団訴訟の控訴審判決のなかで、名古屋高裁(青山邦夫裁判長)は17日、航空自衛隊が首都バグダッドに多国籍軍を空輸していることについて「憲法9条1項に違反する活動を含んでいる」との判断を示した。ただ、結論は原告側の敗訴とした。
     各地で提起された同種訴訟で違憲判断が示されたのは初めて。「実質的な勝訴判決」と受け止めた原告側は上告しない方針を表明している。勝訴した被告の国側は上告できないため、今回の高裁判決は確定する見通しだ。 >

                         ◇

    >「憲法9条1項に違反する活動を含んでいる」との判断を示した。ただ、結論は原告側の敗訴とした。

    朝日は狂気乱舞でこのような記事を書いているが、この文は次のように書き換えた方が正しい。

    「判決は、原告の要求を全面却下」

    「(だが独り言を言わしてもらうと)『「憲法9条1項に違反する活動を含んでいる』とも考えられる」

    後半部分はこの手の判決でよく出てくる「裁判官の傍論」というヤツである。

    つまり何の影響力も無い「裁判官の独り言」を、朝日を筆頭にサヨクマスコミはいかにも「重大な影響力を持つ判決文」のように大騒ぎし読者をミスリードするから始末が悪い。

    憲法9条という「世界では通用しない苔むした憲法条項」を物差しに複雑な現代の世界情況を判断している裁判長の脳ミソは国際社会では通用しない。

    間違った物差しで計った間違いの結果を大事にするより、物差しそのものを作りかえるほうが先決だろうが。

    さっさと憲法を変えておけばこんなバカな裁判官に血税を払う必要も無い。

    それにしても、「司法判断を愚弄」といった重々しい見出しの記事をヒラメのように平たく押しつぶした新報記事には改めて笑わされた。

     

    【付記】

     「蛇足判決こそ違憲」 イラク派遣 最高裁判断封じる (4/18 産経)

     自衛隊のイラク派遣を違憲判断した17日の名古屋高裁判決は、主文で国側を勝訴としながらも、判決理由の中で原告側の主張をくみ取るという“ねじれ”の論理構成をしている。国側は判決内容に反論があっても、主文で勝訴しているために上告ができない。

     判例としての拘束力を持たない「傍論」部分で、違憲判断を下す「ねじれ判決」は過去にも例があり、そのたびに司法関係者から疑問の声が上がってきた。
     最近では、平成13年の小泉首相(当時)の靖国参拝をめぐり、福岡地裁が平成16年4月に「参拝は憲法違反」としながら、主文で国側を勝訴としたケースがある。過去には岩手靖国訴訟の仙台高裁(平成3年)などが知られている。
     福岡地裁判決では、横浜地裁の井上薫判事(当時)が週刊誌に「主文に影響しない憲法問題を理由にあえて書くのは『蛇足』というほかない」とする批判を寄稿し、議論を呼んだ。今回の判決について井上氏は「1審で訴えが退けられた上、控訴が棄却されているのだから、違憲かどうかを判断する必要はなく、裁判所の越権行為だ」と話す。
     福岡地裁判決の問題点を指摘してきた弁護士の稲田朋美衆院議員も「最終的な憲法判断は最高裁にあるというのは憲法81条からも明らか。非常に高度な政治的判断について、上告を封じ、最高裁判断を封じることは憲法に違反している。まさに『蛇足』の判決だ」と批判する。

     控訴審で国は「控訴人(原告)の法的利益を侵害していない」などと主張しただけで、憲法判断には言及もしていない。一方、原告側の証人申請だけが積極的に認められ、法廷は違憲主張の独壇場となった。

     白鴎大法科大学院の土本武司院長も「裁判所は訴えたことについてのみ判断する義務がある。争点になっている訴え以外のことについて判断を下すことは、やってはいけないことだ」と批判している。

    -------------------------------------------------------
    「違憲」裁判長 最後の判決 

     自衛隊のイラク派遣は憲法違反と判断した名古屋高裁の青山邦男裁判長(64)は名城大法科大学院(名古屋市)の教授に就任するため。定年まで 2ヶ月を残して 3月31日付けで依願退職しており、これが最後の判決だった。
     昭和45年任官。金沢地裁所長から平成15年 1月に名古屋高裁に着任した。高裁で国などを相手取った訴訟を多く担当。17年 3月、岐阜県可児市議選の電子投票にトラブルがあったとして市民らが選挙無効を求めた訴訟で、電子投票をめぐり初めて選挙無効の判決を言い渡した。
     19年 5月、元朝鮮女子勤労挺身隊の韓国人女性らが太平洋戦争中の強制労働について国などに損害賠償を求めた訴訟の控訴審判決では、請求棄却の 1審判決を支持したが、国の不法行為責任を認め、1審より踏み込んだ認定をした。
     長良川河口堰の建設負担金をめぐり住民らが三重県に支出差し止めなどを求めた訴訟の差し戻し控訴審判決(17年 4月)などでは、住民側の請求を退けた。

     

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    コメント (3)

    「集団自決」は沖縄解放の象徴か

    2008-04-19 06:13:33 | ★集団自決

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    沖縄の教育界は、「教科書検定意見撤回」を拒否されても「残酷な日本軍」を強調する反日教育を実施するという。

    このような一連の沖縄の「サヨク秋波」を中国人は沖縄の「日本からの解放」を求めるラブコールと捉えているというから驚く。

    東大の中国人留学生掲示板には次のような文言が書かれているという。

    free Okinawa!

    「犬畜生にも等しい日本の奴らが"free tibet"と吠え立てたら、"free Okinawa"と叫び返そうぜ」

    さて、中国からラブコールを受ける沖縄では、歴史の素人の県教育委員会が国検定制度を無視して暴走。

    これでは中国が、沖縄が「解放」待っていると勘違いしても仕方が無い。

    指導案に示された「集団自決」の理由

     県教育委員会は17日、これまで各高校で実践された沖縄戦に関する優れた指導案を「高校における沖縄戦の指導案事例集」としてまとめ、全県立高校60校に4冊ずつ配布したと発表した。

     本年度から使用される高校歴史教科書の「集団自決」の記述が「日本軍の強制」から「強いられた」という表現に変わったことを受け作成されたもので
    「集団自決」に軍の強制があったことを教える指導案も含まれている。県教委が沖縄戦に特化した事例集を作成するのは初めて。
     事例集には、昨年9月の教科書検定意見撤回を求める県民大会について意見を求める指導案も盛り込まれた。事例集に併せ「平和への証言―体験者が語る戦争」(県平和祈念資料館編)も授業用冊子として40冊ずつ配布した。
     事例集には地歴科、特別活動など18指導案を掲載した。「集団自決」問題や従軍慰安婦問題、八重山群島の戦争マラリアや1フィートフィルムを活用した授業、戦跡巡りなど多角的に沖縄戦をとらえた内容となっている
     仲村守和教育長は「(教科書検定問題で)新しい教科書での授業に不安があるとの意見が現場から上がったので、不安を払拭(ふっしょく)するためまとめた」と説明し「これらの資料を基に平和教育を充実させ沖縄戦の実相を正しく生徒らに伝えてほしい」と述べた。

                                             ◇

    ■米軍占領下でも文部省教科書にこだわった沖縄教育者■

    終戦直後、戦火に荒れた沖縄で、先人たちが何よりも先に考えたのは教育の復興であった。

    だが沖縄の永久占領を予定していた米軍は英語による学校教育も考えたという。

    だが当時の沖縄教育界の先人たちは「祖国復帰」の日に備えて「文部省県定教科書」による教育にこだわった。

    そして取り寄せた日本の教科書をガリ版謄写版で複製して祖国と同じ教育を米軍占領下の沖縄で実施した。

    沖縄の教育は小学校から高校まで一貫して祖国復帰の日まで文部省検定の教科書で行われた。

                         ◇

    ■日教組加盟による教育の反日化■

    日の丸を掲げて祖国復帰を勝ち取った沖縄の教育界も復帰と同時に日教組の影響を受け、反日の丸・反君が代そして反日教育へと変身していく。沖縄の人々は、日本国旗を掲げられる日を心待ちにしていた

    祖国復帰の日の1972年5月15日の那覇
    国際通り・三越前での
    日本国旗の大売出しの風景

     反日支那人と同じ論法の沖縄県議会、県下各市町村議会

     

     

     沖縄の祖国復帰後36年。

    沖縄の教育界は歴史教育に「沖縄条項」も求めるようになり、文科副大臣が検定意見撤回に難色を示しても、沖縄だけは独自の歴史観による教育を実施するという。

    屋良朝苗 元県知事を始め、文部省県定教科書にこだわった沖縄の教育界の先人たちは現在の沖縄教育界の反日教育を見て嘆いていることと思うのだが。

    「集団自決」問題や従軍慰安婦問題、八重山群島の戦争マラリアや1フィートフィルムを活用した授業、戦跡巡りなど多角的に沖縄戦をとらえた内容となっている

    時事通信(4/17)によると、「大江健三郎さんの訴訟で、集団自決の体験を証言した沖縄キリスト教短大の金城重明名誉教授や、沖縄戦の専門家の林博史関東学院大教授の著述からも引用した」とのこと。
    http://www.jiji.com/jc/cg=soc_30&k=2008041700766

                        ◆

    ■チベットは沖縄の鏡■

    連日中国のチベットに対する弾圧がマスコミの話題になっているが、何故か沖縄地元紙はこの問題には及び腰。

    チベット問題は明日の沖縄問題といわれているが、昨年来の沖縄から発する反日秋波は在日中国人にどのように映っているのか。

    筆者が危惧するとおり、彼ら(中国人)は「“日本に侵略された沖縄”は日本からの解放を希望している」と受け取っている。

    そしてfree Okinawaを叫んでいるらしい。

    以下は天漢日乗さんよりの引用です。

    ラサ燃える(その39)東大の中国人留学生掲示板から「犬畜生にも等しい日本の奴らが"free tibet"と吠え立てたら、"free Okinawa"と叫び返そうぜ」まさか日本政府奨学金(国費)留学生じゃないだろうな→国費留学生なら修士課程2年間留学で一人当たり545.86万円の国民の税金が注がれている

    東大に留学している中国人学生の掲示板がある。
    そこに、「歡迎大家踴躍提供對聲援26號長野火炬接力的建議」(元は中文簡体字)というスレッドがあるのだが、こんなやりとりが。(以下、簡体字を繁体字に直してある)


    發表於 2008-4-12 14:31 

    如果有日本狗狂吠“free tibet” ,那我們就喊“free Okinawa”
    (もし、犬畜生にも等しい日本の奴らが"free tibet!"と狂ったように吠えたら、オレたちは"free Okinawa"と叫ぼうぜ)


    發表於 2008-4-13 03:17
    還是喊one China比較好[口阿]!
    (それよりは"One China"と叫んだ方がましじゃん!)>


      (引用終了)                 ◇ 

    沖縄のサヨクメディアと一握りのサヨク運動家たちが発する“中国へのラブコール”は沖縄の民意と勘違いされ、

    中国人たちに「沖縄解放」の幻想を描かせる。

    沖縄の国立大学に在籍しながら「沖縄人の四人に1人は独立希望」なんてヨタ話の類を、まことしやかに毎年発表する中国人教授も誤解の秋波を送リ続ける。⇒沖縄併呑計画 林准教授のアンケート調査はヨタ話の類
     

    このような新聞コラムも中国が「沖縄解放」("free Okinawa")を叫ぶ誤解の元だ。

    黄色軍艦がやって来る

    <2005年5月16日> 沖縄タイムスhttp://www.okinawatimes.co.jp/col/20050516m.html
    [大弦小弦]

     黄色軍艦がやってくる…。船体に黄色の龍の文様を描き、黄龍旗を掲げる清国の南洋艦隊は黄色軍艦と呼ばれたという。知人とこの話をしていたら、黄色軍艦が沖縄を侵略すると、勘違いして話がややこしくなった▼実際は逆で、明治の琉球人にとって清国軍艦は援軍だった。武力で琉球国を併合した明治政府に対し、琉球の首脳らは清へ使者を送って救援を求めている。そして、沖縄側はその黄色軍艦を待ちわびたのだった▼一八八六(明治十九)年に大迫貞清県知事が上申した「事変準備ノ件」が残る。清が軍艦を派遣するとの報に対し、政府派遣の知事は、対策十項目を提案。政府も北洋艦隊から戦艦九隻が派遣されると情報を得て、県に指示を出した▼日清戦争時にも清国の援軍は話題になった。それから百余年が経過し、あれほど待ちわびた援軍をも敵と間違うところに今の位置があるのか。林泉忠著『「辺境東アジア」のアイデンティティ・ポリティクス』は当時の言葉を紹介する▼「生きて日本国の属人と為るを願はす、死して日本国の属鬼と為るを願はす」。生きても死んでも日本とは一緒にならないという激しい決意。中国で死んだ幸地朝常が李鴻章へ送った書簡に残る言葉。歴史の反転は大きかったようだ▼百余年前はともかく、少なくとも最近の銃口や占領者を忘れてはいけない。境で揺れる島だからこそ、平和の選択肢を選び取る覚悟も必要だろう。(後田多敦)

                       ◇

    林泉忠⇒この中国人は現役の琉球大学准教授である。

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    文科副大臣「いい加減にしろ」か 検定意見撤回実行委の要請を拒

    2008-04-18 06:43:54 | 教科書

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    文科副大臣 検定意見撤回に難色(2008.4.16) カメラ 池坊保子文科副大臣(左から2人目)に要請書を手渡す仲里利信実行委員長(中央)=16日午前、文科省

     【東京】岩波・大江「集団自決」(強制集団死)訴訟で大阪地裁が元戦隊長らの訴えを棄却したことを受け、「9・29教科書検定意見撤回を求める県民大会」実行委員会の仲里利信実行委員長(県議会議長)ら6人は16日午前、文部科学省に池坊保子副大臣を訪ね、検定意見の撤回と「集団自決」の記述に「日本軍による強制」の文言を復活させることをあらためて求めた。
    仲里委員長らによると、池坊副大臣は「(県民の思いは)痛いほど分かる」としながらも「司法の判断と行政の立場は違う」と強調。2007年末に文科相が承認した訂正申請について「進展した内容だった」とし、検定意見撤回や記述回復には難色を示したという。
     委員からの「司法の判断を考慮しないのか」との問いには「最終的な判断が出ていない。現段階で、私の口から何も言えない」と述べるにとどめ、具体的な言及を避けたという。要請後、池坊副大臣は「司法の判断に左右されていいか疑問がある。教育は中立でないとならない」と述べた。
     仲里委員長は要請文を読み上げ、「大阪地裁の判決は政府の対応に対して司法の立場から是正を求め、沖縄戦の体験者による体験談を唯一の真実として認めるべきであることを強く内外に示した」と強調した。
     玉寄哲永実行副委員長(県子ども会育成連絡協議会会長)は「これだけ多くの証言があり、これ以上の証拠はない。これまでの裁判の内容で判断し検定意見を撤回してほしい」と述べた。
     要請にはこのほか、小渡ハル子実行副委員長(県婦人連合会会長)、伊波常洋(県議・自民)、平良長政(同・護憲ネットワーク)の両幹事らが同席。
     文科省要請前に、内閣府を訪れ、東良信審議官にも同様に要請した。仲里委員長によると、東審議官は「(岸田文雄沖縄担当)大臣に伝えたい。客観的に見て(政府も)努力すべきことは努力すべきだと思う。頑張ってほしい」と述べた。

                                                  ◇

    やれやれ、わずか3ヶ月前に、同じメンバーで同じことを要請され池坊副大臣。 

    その時の副大臣のドレスの色が紫で無かっただけが唯一の違いだったとか。

     

    文科副大臣「120点」 検定意見撤回実行委の要請を拒否 カメラ  (1/16 9:56) 池坊保子文科副大臣(右から3人目)に、検定意見撤回と日本軍強制の明記を求める仲里利信県民大会実行委員長(同2人目)ら=15日午後、文部科学省

    勿論、同じ抗議メンバーとはお馴染みの三人組。

    そうです、「毒おにぎり」の仲里利信実行委員長、

    「おじや強奪」の玉寄哲永副委員長、

    「メチル禍」の小渡ハル子副委員長の三人組です。↓

    「毒おにぎり」・「おじや強奪」・「メチル禍」 三人組の悲惨な体験

    写真を比べてみると小渡おばぁ、相変わらず化粧も濃いがドレスもハデハデでお元気なこと。

     

    独断で検定意見を撤回できるわけも無いのを承知の上ででの抗議団のパフォーマンス。

    同じメンバーの同じ要求に、池坊副大臣も内心は

    「いい加減にしろ!」と言いたかったと思うが、

    実は三ヶ月前にもその気配が見えていた。

    以下は過去エントリー「集団自決:資料に「村役場の独断」 120点!池坊副大臣が評価」よりの抜粋です。

    それよりも関連記事の仲里実行委員長等の上京要請団に関する見出しが笑わせてくれた。

    <「集団自決」訂正承認>

    文科副大臣「120点」

    検定意見 撤回  実行委要請を拒否

    これは仲里委員長が、当初文科省の「決定」に一応の評価をして「80点」としていながら、

    委員長の座を逃げ損なってしぶしぶ「70-60点」と評価を変えた事実を知った上での、

    池坊副大臣の強烈な皮肉と受け取った。

    池坊副大臣、GJ!

    県知事も文科省決定を評価して早々に「運動」から退散し、委員長も当初「80点」と評価していた。↓

    実行委きょう要請行動 教科書検定意見撤回  (1/15 9:42)

     <渡海文科相の「訂正申請」承認を当初「80点」と評価していた仲里委員長は「当初は、今後記述が変わることのないよう文章による談話がもらえると考えていた。結果的には80点どころか6、70点」と厳しい見方を示し、「再度要請し(検定意見が)撤回されるまで頑張る」と意気込みを語った。>

    県知事も仲里議長も評価した「大甘の決定」に、再度不満を表し性懲りもなく雁首を揃えて4回目の要請に現れた要請団。

    池坊副大臣も腹の中では、

    いい加減にしろ!

    と言いたかったのだろう。

    【引用終了】

                            ◇

    ■敗訴を想定していた被告側■

    要請団50人が上京/地位協定の抜本改正求め

    今回の要請団は一応「米軍の・・・県民大会」の決議文の要請だが、メンバーは「教科書・・・県民大会」とそっくり同じ。

    彼らが抗議・要請のために上京するたび行うパフォーマンスは逐一マスコミが報じる。

    とにかく上京したついでにいつもの場所に顔を出しておけば同行のマスコミが報道してくれるから「集団自決裁判」の場外乱闘に大いに貢献したことになる。

    そもそも「集団自決裁判」は大阪地裁の判決が下る前までは岩波側も敗訴を想定したと正直に告白していた。

    「新証言がなければ勝てなかった」 岩波側の本音

    場外乱闘は重要戦術■

    被告側は法廷内というリング上の勝負を諦め、場外乱闘に持ち込むことは重要な法廷戦術と考えていた。

    そのためにはマスコミを総動員して原告は「沖縄島ぐるみ」を敵にしたという印象操作をする必要があった。

    その意味で「集団自決」とは関係ない「スパイ容疑による処刑」を場外乱闘の一つとして「論点」として巻き込んだ。

    現在の常識で言えば、例えいかなる理由があっても、友軍が住民を処刑するということは「県民感情」を著しく逆なでする。

    捕虜にした民間人を降伏の使者にすることが「ハーグ条約」の戦時規定に触れるとか、実際にスパイ行為をした住民がいたかどうかはここではさて置く。

    ことの当否はともかく「集団自決問題」に「スパイ処刑問題」を持ち込むことは明らかな被告側の場外乱闘の高等戦術である。

    「集団自決」と「スパイ処刑」は似て非なるものではあっても、「スパイ処刑」をリング内に持ち込むこと自体が「島ぐるみを敵にする」という場外乱闘になるから。

    その意味で琉球新報4月15日付け、目取真俊氏の「大江・岩波裁判を傍聴して」は終始「スパイ処刑」を強調し、県民感情を逆なでして場外乱闘に貢献していた。

    さわりの部分を一部抜粋しておこう。

    渡嘉敷島では、「集団自決」だけでなく、赤松隊によって十数名の住民が虐殺される事件も起こっている。 本人の証言によるとC少尉も赤松隊長の口頭による命令を受け、住民を自らの手で殺害している。 
    伊江島の女性が首を切られ埋められていたが、(傷が(浅かったのか)生き返って逃げようとした。 それで、自分がピストルで射殺した、という。>(
    琉球新報4月15日、「大江・岩波裁判を傍聴して」目取真俊)

    これは意識的な場外乱で「原告の元軍人は沖縄県民全体を敵に廻した」という印象を造成する高等戦術である。

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    コメント (4)

    ダライ・ラマは「暴力的」か★産経の記事変更

    2008-04-17 09:30:26 | 未分類

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    「ダライ・ラマは暴力的」胡錦濤主席が自公幹事長に表明

    自民党の伊吹文明、公明党の北側一雄両幹事長は16日午前、中国の胡錦濤国家主席と北京の人民大会堂で会談した。
    胡主席はチベット暴動をめぐるダライ・ラマ14世の姿勢を「極めて暴力的な行動を取った」と非難。
    欧米での北京五輪ボイコット論について「計画的策動」と批判した。

     伊吹氏らはチベット情勢をめぐり、平和的解決を求める福田康夫首相からの親書を手渡した。

     胡主席は、「来月の訪日を楽しみにしている」と強調し、福田首相との首脳会談に期待を表明。
    五輪成功を支持するとした日本側の姿勢に謝意を表した。

     共同開発の対象海域をめぐり双方の主張が平行線をたどっている
    東シナ海ガス田問題について、胡氏は「事務レベルでかなり突っ込んだ話ができているとの報告を受けている」と強調した。

    (産経新聞 2008.4.16 11:38)

     

  • 「ダライ・ラマは暴力的」胡錦濤主席が自公幹事長に表明 4.16 18:44
    <チベット騒乱について、胡主席は「ラサでは一部の分子が極めて暴力的な行動を取った」と説明し、欧米などでの五輪聖火リレーへの抗議行動に関しては「五輪と関連づけて中国に圧力をかけようとしている」と批判した。 > (産経新聞 4.16 18:44
  •                       ◇

    (同じタイトルのリンクは間違いではなく、時間差により記事の内容が変わる例としての引用です)

    「チベット問題」は新聞の性格を示すリトマス試験紙のようなものだと言われるが

    下記のコラムの「朝日」の部分を「沖縄タイムス」、「琉球新報」に当てはめても違和感なく読める。

    【週末読む、観る】チベットで沈黙続ける朝日-花田紀凱の週刊誌ウオッチングほか

     

    沖縄ではミニ朝日のような二紙以外に読者には選択の余地が無いところに沖縄の悲劇がある。

    中国の機関紙のような社説を書いて恥じない琉球新報も、

    胡錦濤の常識人のような顔の裏に潜むチベット弾圧の旧悪を暴露する記事を書かざるを得ない状況だ。

    ▲胡錦濤総書記は弾圧の張本人 ⇒「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」2008年4月17日弐 宮崎正弘のチベット紀行 >> 続きを読む

    そしてダライ・ラマ14世が非暴力の姿勢が評価されてノーベル平和賞を受賞した事実を無視できないだろうし、

    ダライ・ラマが「暴力拡大なら辞任」と強調したことにも頬被りは出来ないだろう。

    ダライ・ラマ「暴力拡大なら辞任」再強調4.14 09:41

    だとしたら胡錦濤がダライ・ラマとの対話を拒否し、

    ダライ・ラマの態度を「暴力的」と非難すれば非難するほど国際世論は中国に逆風となる。


    ネットが普及している昨今、通常同じ記事でも後にアップされた記事の方がより詳細に補足されて、より信憑性があると考えるのが常識だが。

    さて、冒頭に引用の産経記事だが、当初の.「4.16 11:38」アップから約7時間後の4.16 18:44」アップ記事になると補足を通り越して重大なポイントが変更されている。

    .「11:38」アップ記事
    胡主席はチベット暴動をめぐるダライ・ラマ14世の姿勢を
    「極めて暴力的な行動を取った」と非難。
    欧米での北京五輪ボイコット論について「計画的策動」と批判した。

                        
    18:44」アップ記事
    チベット騒乱について、胡主席は「ラサでは一部の分子が極めて暴力的な行動を取った」と説明し、欧米などでの五輪聖火リレーへの抗議行動に関しては「五輪と関連づけて中国に圧力をかけようとしている」と批判した。

     

    おいおい、産経さんどっちが真実なんだよ

    これは単なる補足説明を通り越して事実の変更ではないか。

    「説明」が「非難」に変わったのはご愛嬌だとしても、

    ダライ・ラマ14世の姿勢を「極めて暴力的な行動を取った」と非難。

    ⇒「一部の分子が極めて暴力的な行動を取った」と説明

    これでは産経が何かの圧力を受けたて、

    中国、というより、胡主席への国際世論の逆風を弱める記事に変更したとか思えない。

    5月の胡主席来日に配慮しての記事変更だとしたら、産経もとんだ勘違いだ。

    産経は日本のマスコミの中で唯一中国に遠慮なく物の言える新聞だと信じている読者への大きな裏切り行為だ。

    胡錦濤国家主席は、名指しで「ダライ・ラマは暴力的」だと言ったかどうかが重要ポイント。

    産経よ、はっきりさせて欲しい。

    共同中国には緩い記事しか配信しない共同通信もこんな記事を書いていますよ。

    「ダライ・ラマは暴力的」 胡主席、自公幹事長と会談
    東京新聞 -
    【北京16日共同】自民党の伊吹文明、公明党の北側一雄両幹事長は16日午前、中国の胡錦濤国家主席と北京の人民大会堂で会談した。胡主席はチベット暴動をめぐるダライ・ラマ14世の姿勢を「極めて暴力的な行動を取った」と非難。欧米で広がる北京五輪ボイコット論 ...

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