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狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

 恥を知らない大江健三郎氏、愛媛新聞社説

2022-09-19 07:31:10 | 大江健三郎のいかがわしさ

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 愛媛新聞社説

沖縄ノート訴訟 「表現の自由」の重さを再確

2011年04月24日(日)

 作家大江健三郎さんの「沖縄ノート」などの記述をめぐり、旧日本軍関係者が出版差し止めなどを求めた訴訟で、最高裁は上告を退ける決定をした。「集団自決」に軍が関与したことを認め、名誉毀損(きそん)を否定した大江さん側勝訴の一、二審判決が確定した。
 極めて妥当な決定である。
 名誉棄損は判例上、表現に公共性と公益性が認められ、真実の証明か、真実と信じるに相当な理由(真実相当性)があれば責任は問われない。最高裁が、表現の自由の重さを再確認した意義は大きい。
 太平洋戦争末期の沖縄戦の際、座間味や渡嘉敷島などで多数の住民が手りゅう弾などを使って集団で自決した。軍による命令が通説とされてきたが、島の元守備隊長らが2005年に「誤った記述で非道な人物と認識される」として大阪地裁に提訴した。
 裁判では、軍や元隊長らによる住民への命令の有無などが争われた。
 二審判決などは、集団自決に軍の関与があったことは認めたが、元隊長らが直接住民に命令したかどうかは断定できないというものだった。
 その上で、沖縄ノートの発刊当時は、隊長命令説が学会の通説といえる状況であり、真実相当性があったと認定。また、記述は高度な公共の利害にかかわり、公益を図る目的だったとした。
 一、二審は史実論争に一石を投じた。が、最高裁は「原告側の上告理由は事実誤認などで、民事訴訟で上告が許される場合に該当しない」と判断を避けた。
 史実の認定が、法廷に持ち込まれたことには違和感がある。今後とも学会などで論議を深めていくことが必要だ
 この訴訟は教科書検定にも大きな影響を及ぼした。
 文部科学省は07年、軍による自決強制の記述の削除・修正を求める教科書検定意見を公表した。係争中が理由の一つだった。
 突如、歴史が塗り替えられる。沖縄県民の無念さ、怒りは理解できる。
 その後、軍の関与を示す記述への訂正申請を認めたものの検定意見はそのままだ。文科省はこの際、最高裁決定を真摯(しんし)に受け止め、検定意見を撤回すべきである。
 歴史教育は時々の為政者や政治情勢に左右されるようなことがあってはならない。この事も確認しておきたい。
 二審判決は、批判と再批判の繰り返しの過程を保障することが、民主主義社会の存続基盤である、と述べている。そして仮に後の資料から誤りとみなされる主張も言論の場で無価値とはいえず、これに対する寛容さこそが自由な言論の発展を保障する、とも。
 表現の自由が民主主義の基盤であることを痛感させられる訴訟でもあった。

                             ☆

集団自決訴訟の最高裁判断に関して、愛媛新聞の社説は、軸足は左派ながら、比較的冷静な分析ができている。保存資料として引用した。

この問題を一番熟知しているはずの沖縄2紙の社説よりはるかに裁判の本質をつかんでいる。

史実の認定が、法廷に持ち込まれたことには違和感がある。今後とも学会などで論議を深めていくことが必要だ

裁判の核心が「軍命の有無」であることはいうまでもないが、社説が指摘するように、史実の認定を争うのは裁判にはなじまない。 したがって原告側は名誉毀損で提訴し、その名誉を毀損している出版物の出版差し止めを請求し、同時に名誉回復を図るというのがこの裁判の本質である。

■被告大江側「言論(出版)の自由」vs原告元隊長側「人権保護

言い換えれば被告側の「言論(出版)の自由」に対して、出版(言論)に「よって踏みにじられたに原告側の「人権保護」の対決ということもできる。

結局『沖縄ノート』の内容に間違いがあっても、表現の自由を守るためには「寛容さ」をもって我慢せよ、というのが最高裁の判断ということになる。

人権保護には喧しいはずの日本の司法が両隊長の人権を踏みにじってでも、ノーベル賞作家の表現の自由を守れと判断したのだ。

大阪高裁が、尊敬するノーベル賞作家の「表現の自由」と 侮蔑すべき元軍人の「人権保護」を秤にかけたらどうなるか。

大阪交際が、判決を下した経緯はこのエントリーに詳しい。

ノーベル賞作家への配慮が裁判官を萎縮させた!秦郁彦氏

 

大江健三郎氏が40年前に『沖縄ノート』を書くにあたって真実と信じ込んだ『鉄の暴風』は、その後の検証により伝聞と風評のみのデタラメな本だということが分かっている。 当然それを引き写した『沖縄ノート』に間違いがあることは最高裁も認めるところである。

だが、最高裁が次のように「無価値でない」と決め付けることで、大江氏が増長して「高校生にも読ませたい」みたいな思い上がった発言をすることに危惧を覚える

>仮に後の資料から誤りとみなされる主張も言論の場で無価値とはいえず、これに対する寛容さこそが自由な言論の発展を保障する

大江氏の意味不明な文体で書かれ、しかも事実誤認の入り交じった『沖縄ノート』が、『鉄の暴風』と並んで沖縄戦記のバイブルとなることを危惧する。

沖縄紙に識者として頻繁に登場する小牧薫氏は、被告側支援団体の事務局長でありながら『沖縄ノート』の内容に問題があることを認めているくらいだ。

小牧氏がやしきたかじんの「そこまでいって委員会」に高嶋伸欣琉球大学名誉教授と二人で出演したときの様子を、過去エントリーから次に抜粋引用する。

被告支援事務局長が「沖縄ノート」を批判!■
 
圧巻は大江健三郎氏の『沖縄ノート』を掲げて、大江応援団にこれを批判させたこと。
 
 
 勝谷さん
根本的なことを小牧さんに、大江裁判のことを聞きたいけども、さっきね、現場を調べて事実はどうだったかっていうことが大事だとおっしゃいましたよね。(大江は現場調べてないのに『沖縄ノート』で)何で人のことを『ペテン』『屠殺者』『戦争犯罪人』って書ける?僕はこれだけで十分名誉棄損だと。皆さん読んで下さい。これね、戦後最悪の本です」(宮崎さんとあと何人か同意)

 小牧さんの反論。
 「私たち沖縄戦裁判支援連絡会は、大江さんや岩波書店を支援しているのではありません。あの裁判が不当な沖縄戦の事実の歪曲をしてるから。沖縄戦の真実を明らかにして広めたいと活動してる。だから勝谷さんが大江さんの『沖縄ノート』をどう思われるかは、それは勝手なことで」

 辛坊さんが「じゃあ小牧さんは『沖縄ノート』についてはどうお考えですか?」とGJツッコミ。
 すると小牧さん、「内容については一定の批判があります」。(
ぼやきくっくりさん)
 
勝谷さんの迫力に押されて小牧氏は驚くべきことを発言してしまった。
 
なんと!大江・岩波沖縄戦裁判支援連絡会事務局長である小牧 薫氏が、「大江健三郎氏や岩波書店を支援しているわけではない。 『沖縄ノート』には一定の批判がある」と白状してしまったのだ。
 
応援団長が、応援すべき相手を必ずしも支援していないし問題になった「沖縄ノート」に対して批判があるというのだ! 
 
 
             ☆
 
大江健三郎は、最高裁が内容の誤りを認め、応援団長の小牧氏が内容に疑問を呈している『沖縄ノート』を、高校生にも読ませたいと嘯いている。
 
この男の辞書には、恥の一文字が欠落しているのであろう。
 
コメント (8)

琉球新報の喜劇!幻の「曽野綾子誤字・誤読事件」

2022-05-23 05:12:39 | 大江健三郎のいかがわしさ

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やってもいないことを、やっただろうと難癖をつける。

これをヤクザの言掛かりと人はいう。

終わったはずの「幻の曽野綾子誤字・誤読事件」を、

いまだに叫んでいる人がいる。

ウソでも言い続けると、それを信用する人が出てくるのも困ったもの。

「幻の事件」にしがみつき、

「反論せずに逃げるとは卑怯なり」

と叫ぶ姿はドンキ・ホーテか、はたまたホラ男爵か。

いや、「売れない評論家」山崎某と人は呼ぶらしい。

悪魔の証明 」でも、この幻は小学生でも簡単に証明出来る。

図書館にでも行って調べれば済むこと。

暇と興味のある方はどうぞ図書館へ・・・

いや、行く必要もなかろう。

過去ブログを以下に再掲するので、これを読めば足りる。

 

しかし、改めて古いエントリーを読んでみると、

三回に渡って「売れない評論家」の「論文」を連載した琉球新報の、

ウケを狙ったとしか思えない紙面構成に、

又しても爆笑させてもらった。

何しろ第一日目の大見出しで、本のタイトルを誤記し、

二日目にはその著者名を誤記。

そして最終回の三日目には、これも大見出しで、

「誤記・誤読を放置」

とオチをつけるミゴトな構成には、

ただただ脱帽するばかりだ(爆笑)。

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3月30日の琉球新報オピニオン面「論壇」を見て驚いた。

ネット上では「幻の誤字・誤読事件」として誰にも相手にされない「事件」がまことしやかな大見出しで出ているではないか。

思わずエイプリルフールには未だ二日早いのに、と思ったくらいだ。

この「事件」は過去に2チャンネルで「某評論家」を中心にスレッドが立ち、散々論破、揶揄され幻の事件として決着が付いていたはずだ。

それが今頃琉球新報の「論壇」に亡霊のように掲載されるとは・・・。

<保守派・反左翼派の山崎氏に紙面を提供した本紙(新報)の良識に感謝する・・・>(3月30日付け琉球新報「論壇」 H・Y・ 66歳)

おやおや、新報は紙面を提供したことを今頃後悔していると思うがね。

 

琉球新報の記者は図書館にでも行って自分の目で検証する手間を惜しんだ。

そして琉球新報は、自社の記事を読んでこんな誤解をした読者HY氏(66歳)の意見を恥知らずにも掲載した。

「論壇」の見出しいわく、

<岩波訴訟、山崎論文の検証>

不可解な「巨魂」 「巨魁」

宜野湾市にお住まいのHY氏は某評論家のトンデモ論文とこれを掲載した琉球新報を頭から信じ込んでしまったようだ。

「論壇」本文は某評論家の文を引用しているが、引用文自体が巧みに曽野氏が誤字・誤読があったように印象操作している。

更なる誤解を生むのでので敢て某評論家の文には触れない。

この手の論争は「誰がこういった」、「某評論家先生がこういった」という言葉を引用するより自分の目で確かめるのが一番。

何よりも現物を自分の目で確かめて曽野氏の初版本には誤字も誤読も存在しないことを確かめるべきだろう。 少なくとも琉球新報の記者はこの労を怠るべきではなかった。

ちなみに筆者が2ヶ月前に確かめた浦添図書館には初版本は蔵書されている。

この幻の「誤字誤読事件」は過去の「事件」として一度書いた記事をボツにしていたが、今頃この事件の片棒を担いだ琉球新報が読者の誤解をまねくような記事を掲載するのでは、ボツネタを拾い上げ改めてエントリーせざるを得ない。

やれ、やれ難儀なことだ。

 

                      ◇

マッチポンプとは「マッチで火をつけておきながら、それをポンプで消す」というように、自分でわざわざ問題を作り出しておきながら、そ知らぬ顔で、自分がそれに対する解決で賞賛を得たり、利益を得たりするあくどい自作自演の手法をいう。
 
火をつけるどころか、手元が狂って自分に火をつけた男がいる。
 
これは自作自演の「誤字事件」で自分に火が付き、それをけすため次から次へと喜劇を演じた男の物語である。
 
■喜劇第一幕 「曽野綾子誤字・誤読事件」
 
「曽野綾子誤読・誤字事件」というものがネット上を彷徨い、それにつられた琉球新報がこれに近づき三回にわたる連載を掲載した。
 
ところがこの「誤字事件」は元々実態のないもので、マッチで火遊びをした本人に火がつくに留まらず、火遊びに付き合った新聞社にさえ飛び火しかねない有様。
 
新聞の「誤字追求」をテーマにしたはずの「ご高説」掲載文が、追求する相手曽野氏の名前を「曽根」と誤記する大笑いネタまで紙面に晒すドタバタ劇。  
 
しかもご丁寧に目立つ大見出しで「曽根氏」(注・誤記)と来たから笑いで涙まで出た。
 
「事件」の発端はこうだ。
 
過去に人気のあった絶版本を新しい出版社が読者の要望で再版した。
 
新しい出版社が原本版になかった誤植をした。 これを見つけた「売れない評論家」が狂喜乱舞して「曽野綾子誤読・誤字追求」を自分のブログでぶち上げた。
 
こんなネットの落書きのような話を曽野氏が見ているはずもなく、例え見たとしてもまともに答えるはずもない。
 
そもそも「事件」そのもの実体が存在しないのだ。
 
「幽霊の正体見たり枯れ尾花」の1人相撲。
 
いや、風車を怪物に見間違えて猪突猛進したドンキホーテに例えた方が言い得ているのかもしれない。
 
だが捨てる神あれば拾う神、いや、があった。
 
曽野綾子を宿敵とする琉球新報である。
 
 
琉球新報は曽野綾子氏を執拗に追求する某評論家の「誤字事件」に飛びついた。
 
何の検証もなく紙面に某評論家の連載記事を掲載した。
 
その2月25日から27日に渡る某評論家の三回連載の「ご高説」の内容には敢て触れない。
 
ありもしない「誤字・誤読」を大上段に振りかざして追求するご本人の文で、相手の名を間違える一例を挙げただけでもその論のデタラメさが自明だから。
 
興味と暇のある方は琉球新報をご覧頂くとして三回連続の「ご高説」の見出しだけも記しておこう。
 
琉球新報朝刊 
 
◆2月25日 文化面
 
<大江岩波訴訟>保守論壇を憂う 上
 
曽野綾子氏の「ある神話の風景」(注:背景を誤記)
 
歴史記述は信用できず
 
 
◆2月26日
 
<大江岩波訴訟>保守論壇を憂う 中
 
曽根氏の「現地取材万能主義」
 
客観性無視し結論ありき
 
 
◆2月27日
 
<大江岩波訴訟>保守論壇を憂う 下
 
誤字・誤読を放
 
思想的劣化は明らか
 
 
いやはや、これに目にした時思わずコーヒーを吹いて紙面を濡らしてしまった。
 
筆者のミスか編集者の誤植かは知るよしもないが、吉本喜劇も驚くばかりの良く出来たギャグである。
 
琉球新報もよっぽど追いつめられていたのか、とんだ喜劇の片棒を担がされてしまったようだ。

【追記】

友人から確かに面白い話だがコーヒーを吹いたというのはオーバーだろうとのコメントをもらった。

本文の中の誤字だったらまぁ大目に見たたとしても、大見出しでのド派手な誤字である。

「誤字事件」を追及する「評論」の大見出しが誤字で、おまけに「事件」そのものが幻だったとしたら、

コーヒーを吹いたといっても納得だろう。

縷々説明を聞いた友人、笑いのあまりコーヒーを吹いた上に、涎を垂れ流したと聞く(爆笑)。

【追記終了】
 
 
 
「幻の誤字・誤読事件」の実体を解明しておこう。
 
 
①昭和48年5月10日 「ある神話の背景」文芸春秋社刊
 
「沖縄ノート」の引用、「罪の巨塊」は正確に「塊」と引用されている。(259ページ)
 
②昭和59年6月18日「曽野綾子全集Ⅱ 第二巻」(「ある神話の背景」収録)読売新聞社刊
 
「沖縄ノート」の引用、「罪の巨塊」を「魂」と誤記。(354ページ)
 
③昭和62年6月15日、「ある神話の背景」PHP研究所
 
「沖縄ノート」の引用を読売新聞社版の誤字を引き継ぐ。(265ページ)
 
④2006年5月27日、「『集団自決』の真相(改題)」ワック
 
同じく読売新聞社版の誤字を受け継ぐ(296ページ)
 
確かに読売新聞社が犯した誤植を後の出版社が引き継いだ。
 
だが、曽野氏の初版本(昭和48年版)は正確に引用されており、誤字は曽野氏の責任ではなく、再版にした読売新聞社とそれを引き継いだ2出版社に責任はある。
 
だが裁判証拠に提出された初版本(文芸春秋社版)には何の誤植もなく裁判の論旨に何の関係もない。
 
裁判には何の関係もなくましてや著者の曽野氏には何の関係もない、後に再版した出版社の誤植を、針小棒大に取り上げた某評論家と、それを鵜呑みにして「曽野氏誤字・誤読事件」を特集記事にした琉球新報こそ風車に突進するドンキホーテとパンチョパンサではないか。
 
某評論家先生、舞い上がってしまい攻撃する相手を間違えたようだ。

攻撃するなら相手は最初に誤植をした読売新聞社ですよ!

なお雑誌『SAPIO』の誤植は対談であり「魁」も「塊」も発音は「かい」であり、これも曽野氏の問題と言うより雑誌編集者の責任だろう。

対談の相手の池田信夫氏と某評論家とのやり取りは次のエントリーに詳しい。

佐藤優の「丸投げ評論」(関連記事は後半にあります)

 

某評論家のご高説はともかく、

新報さん、事件は現場で起きているのですよ!

図書館にでも行って自分の目で確かめては?

「事件」は幻ですよ、新報さん!

 

【追記】

これもボツネタだったが、2ヶ月前図書館に行ったとき曽野綾子氏の初版本に切り貼りされていた新聞切り抜きを写したもの。

これを「拾遺集」として以下に記す。

日付は1973年7月23日の琉球新報らしき新聞書評。

らしき、というのは新聞名が記されていないが、沖縄タイムスなら自社出版物を批判した書物の書評をこのように好意的に紹介するはずはない。

初版出版当時は沖縄論壇も琉球大学の仲地教授を始め曽野氏の労作を評価する地元学者も多く、琉球新報がこのような好意的書評を掲載してもおかしくはなかった。

その意味で初版本に切り貼りされて「書評」はこの本の評価を巡る貴重な歴史資料でもある。

以下浦添図書館蔵の「ある神話の背景」に切り貼りされていた新聞「書評」(1971年7月23日付け)

「ある神話の背景」(文芸春秋社) 曽野綾子著

これは小説ではないがかつて戦争末期に行われた沖縄戦での集団自決に新しい角度から照明を与えた問題の書である。
通説によれば、当時その方面での軍の指導者であった赤松大尉が島民に自決を命じたということになっている。 
この説は戦争にあらわれたもので、軍隊批判の一つの根拠をなしていた。 
ところが曽野綾子は、現地での調査や戦記の盲点をつく作業によって、集団自決に行きついた人々の状態を、かなり程度に復元した。
当時現場に関係していた人々がなぜ、真相を語りたがらないのか。
その理由の一つは、軍の命令なしで自決したとなると、遺族への年金がストップするので、そういう生活上の問題も絡んでいるという。 
もちろん、曽野綾子は格別の政治的目的をもってこの事件にとり組んだわけではない。 
著者の立場が、人間の生死とその孤独という問題に支えられていることは、最後まで読めばはっきりしていることである。

                      ◇

約四十年前の琉球新報の記者がこの書評を書いていたとしたら、現在の新報記者とその資質の差は歴然とするだろう。

もちろん書評筆者は後にこの「本」が火付け役となって訴訟が起きるなんて当時は夢想だにしなかっただろう。

それだけに素直に偏らずに本の本質を語っている。

「当時の通説」が「軍の指導者であった赤松大尉が島民に自決を命じたということになっている」となっているのが、裁判では「命令」が「関与」に摩り替えられるとはこの筆者は考えてもいなかっただろう。

四十年前の新聞社の論調を知る上で貴重な資料だと思う。

今の琉球新報ならトンデモ本扱いだろうが。(笑)

 

【おまけ】2008年5月10日

くだんの「売れない評論家」先生、琉球新報に自論が掲載されたのに気を良くしたのか、琉球新報に次の原稿が掲載されると掲載予定日まで明示して(4月11日)、長い間自分ブログで告知していた。

・・・が、待てど暮らせどお呼びがかからなかったの、アレから丁度一ヶ月経過した現在、琉球新報に「売れない評論家」の名を二度と見る事はない。

慌ててカスを掴んだ琉球新報、反省したのだろうか。

もっとも時々、琉球新報「声」欄の投稿で、あんなエライ先生の論文をもっと掲載して欲しい云々の投稿があるが・・・。

こんなのもあった。

琉球新報「声」欄:

「山崎論考に共感」  T・K・ (55歳 会社員 東京都)

 

琉球新報の大失態!幻の「曽野綾子誤字・誤読事件」

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コメント (7)

大江健三郎氏が神経症で病院通い、長編執筆から4年…「神経症療法

2017-08-27 17:59:18 | 大江健三郎のいかがわしさ

 

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2004年の大江・岩波「集団自決」訴訟の被告として沖縄でも馴染みの深い大江健三郎氏が神経症を患い、文筆活動が出来ないという。

大江氏は、集団自決の現場である座間味島・渡嘉敷島には一度も足を踏み入れることも無いままに、「デタラメの暴風」と揶揄されるほど間違いだらけの『鉄の暴風』(沖縄タイムス社)を鵜呑みにし、その著書『沖縄ノート』(岩波書店)で梅澤裕氏ら元戦隊長らに「罪の巨魁」などと罵詈雑言を浴びせ、梅澤氏らにより名誉毀損で提訴された。

原告側は「集団自決に軍命は無かった」を争点に論陣を張ったが、判決は、例え「沖縄ノート」に事実誤認があっても、タネ本の『鉄の暴風』は、当時沖縄戦研究の決定版として知られており、大江氏が間違いを「事実として信用しても仕方が無かった」(真実相当性)として、原告の訴えを退け、名誉毀損は成立しなかった。

結局、原告敗訴が確定したが、判決はあくまで名誉毀損請求の不成立であり、原告が意図した「軍命の有無」については明確な判断を避けた。だが被告の「軍命はあった」との主張は事実上否定された。

つまり挙証責任のある原告が軍命を立証できなかったので、事実上軍命が無かったことが裁判で証明されたことになり、裁判上は梅澤・赤松両隊長の「集団自決を命令した」という汚名は雪がれたことになる。

 その大江健三郎氏が酒浸りの神経症で病院通いだという。

まさか英霊のタタリではないと思うが・・・。

大江健三郎氏 長編執筆から4年…「神経症療法」病院通いの今

投稿日: 2017年08月10日 06:00 JST

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7月下旬の朝、都内にある大江健三郎氏(82)の自宅前には一台のタクシーが止まっていた。妻・ゆかりさん(81)と同伴女性に連れられて、車の中へと乗り込んだ大江氏。そのまま15分ほどタクシーを走らせた。向かった先は、都内の大学附属病院だった――。

 

57年に作家デビューすると、58年に23歳で芥川賞を受賞した大江氏。以降も数々の賞に輝き、94年にノーベル文学賞を受賞。後年は幾度となく小説の世界から遠ざかろうとしてきたが、13年10月に長編小説『晩年様式集 イン・レイト・スタイル』を上梓。だが以降約4年、新しい小説は発表されていない。そんななか“心配の声”が囁かれているという。

 

「大江さんは『晩年の仕事をどう完結させるのか』と葛藤を抱え続けており、近年は『もう書けないかもしれない』と悩んでいたそうです。大江さんはもともと外に出てストレスを発散させるようなタイプではありません。最近は自宅で好きな日本酒やビールを1人で飲む時間が多くなり、奥様も大江さんの身体を心配しているみたいです」(大江氏の知人)

 

7月下旬、玄関先には資源ごみとして大量のビールの空き缶や日本酒の空き瓶が置かれていた。翌日、冒頭のように都内の大学附属病院を訪れていた大江氏。彼らが迷うことなく向かったのは、院内にある精神神経科施設。そこには「森田療法」と書かれていた。

 

森田療法とは、19年に精神科医・森田正馬氏(享年64)が確立した神経症に対する精神療法。対人恐怖や広場恐怖などの恐怖症、強迫神経症、不安神経症、心気症などが主な治療対象。近年では慢性化するうつ病や、がん患者のメンタルケアなどでも用いられるという。

 

本誌が目撃したこの日、約1時間後に施設から出てきた大江氏たちは会計窓口へ。同伴女性が対応している間、大江氏はゆかり夫人とあまり会話もせず座ったままうつむいている。そして再びタクシーに乗り込むと、自宅へと戻っていった――。

 

ノーベル賞作家・大江氏はもう小説を書かないのだろうか。本誌はその真相を聞くべく、自宅へ向かった。7月下旬のお昼ごろ、自宅から出てきた大江氏に声をかけた。

 

――大江先生、突然申し訳ありません。

 

記者の問いかけに、「はい」と言って足を止める大江氏。女性自身の記者であると明かした上で、囁かれている“心配の声”をぶつけた。

 

――先生が小説を書けないと悩んでいらっしゃるとお聞きしました。

 

「いえ、悩んでおりません」

 

――お酒の量が増えていて、奥様もご心配されているとお聞きしましたが……。

 

「お酒もあまり飲みません。(妻も)心配しておりません。私たちは健全です」

 

その後も質問を続けようとしたが、名刺を受け取ると足早に去っていく。大江氏の声は終始力強く、治療への不安は感じさせなかった。

              ☆

 

【おまけ】

 

梅澤裕隊長永眠す

 

沖縄発のコラム:美ら風(ちゅらかじ)

 沖縄戦時、座間味島で米軍と戦った元陸軍海上挺進第一戦隊長の梅澤裕(うめざわ・ゆたか)氏が6日、兵庫県の自宅で逝去した。97歳だった。ドキュメンタリー作家、上原正稔さんによると、6日午前中に病院から退院して自宅に戻った後、午後3時30分、「苦しい姿を見せず、安らかに旅立った」(梅澤夫人の美奈子さんの話)という。

 梅澤氏は、昭和19年、27歳で挺進隊長として座間味島に着任。同20年3月25日、住民の宮里盛秀氏らの自決用弾薬要求を断り、「最後まで生き残って闘おう」と諭した。翌26日、米軍が座間味島に上陸、住民多数が自決した。同6月上旬、梅澤氏は戦闘で負傷し、米軍の捕虜となり、同21年1月、日本に復員した。

 同32年、座間味島で援護法適用調査があった時、戦時中婦人部長だった宮城初枝氏が長老の指示で隊長命令の偽証をした。自決が軍命なら援護法が適用されやすかったからだ。これがもとで、梅澤氏は「集団自決の軍命を出した」との濡(ぬ)れ衣(ぎぬ)を着せられた。宮城初枝氏と再会した際、「命令したのは梅澤さんではありません」と告白された。

 しかし、大江健三郎氏の『沖縄ノート』などで「極悪人」と称されていたため、平成17年8月、渡嘉敷島の赤松嘉次元隊長(故人)の弟とともに大江氏と岩波書店を提訴。一審、二審で軍命について「断定できない」としながらも、名誉毀損の不法行為責任はないとして敗訴。

 その後、上原さんが梅澤氏の無実を記載しようとした連載を一方的に中断した琉球新報社を相手に提訴、昨年7月、控訴審で原告側が逆転勝訴。上告を断念した琉球新報社が、「軍命がなかった」ことを認める結果に。

 「梅澤さんは決して人を憎まなかった真の英雄」と上原さんは語った。(H)

 

 

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コメント (4)

街宣炸裂!大江健三郎をノックアウト

2015-11-26 05:50:07 | 大江健三郎のいかがわしさ

 

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坂本龍一さん、辺野古移設は「理不尽」「意見を言わないと全体主義に」 沖縄タイムス2015年11月24日

一昨日(24日)の沖縄タイムスの一面トップに坂本隆一氏のインタビュー記事が大きく取り上げられているのに驚いたが、同じ日の琉球新報の一面トップは大江健三郎氏の講演の記事が大きく取り扱われているのを知り、二度びっくり。

この二つの新聞は一面トップに関しお互いに申し合わせでもしているのだろうか。(笑)

 「大江健三郎」の画像検索結果

大江氏、辺野古移設「解決にならぬ」 政府の強行批判 琉球新報 2015年11月24日 05:05

 

それとも国に「秒殺」の代執行訴訟を仕掛けられ、仲地博沖大学長のような御用識者の手垢の付いた応援コメントが何の役にも経たないと、今頃気が付いたのだろうか。

ちなみに読者のカウンター58さんによると仲地学長は、「識者談話」の常連のようだ。

タイムス2面の「識者談話」に仲地博・沖縄大学長が載っている。識者評論や識者談話などのタイトルで仲地先生が登場するのは、2月17日、3月19、24日、4月22日、7月17日、9月13、28日、10月22日に続き今年9回目。

これでは、大江健三郎氏のような「戦後民主主義」の亡者に助太刀を求めざるを得ない。(涙)

 本日の沖縄タイムスの識者評論は佐高信氏でタイトルは、「『オール沖縄』全国展開を」である。

 
琉球新報ホールで行われた大江健三郎氏の(講演会に抗議の街宣を仕掛けた有志の一団がいた。
 
沖縄2紙にとって不都合な真実であるこの街宣活動を沖縄2紙は一行の記事にもしなかったが、主催者の【龍柱に反対する市民の会 】から一部抜粋して以下紹介する。
 
             ★

 

11/23 街宣炸裂!大江健三郎をノックアウト!偽反原発 捏造・集団自決軍命説

 


11月23日(月・勤労感謝の日)12時より
大江健三郎講演会に抗議街宣致しました。
作成した配布ビラのポイントは2つ

1、上原正捻氏の、琉球新報を相手どった『パンドラの箱告訴』の勝訴によって、
大江健三郎の『沖縄ノート』の集団自決への軍の命令説は崩壊し、事実ではないとなったにも関わらず、
撤回も謝罪も無い事への抗議

2、反原発のリーダーとなっているが、
実は『核時代の想像力』という1968年の発刊の本において、原発推進派だった。
しかし、撤回もせずに、2007年に再版し印税をちゃっかりもらい、昨年の原発反対集会で安倍総理に対して「責任」という言葉をヌケヌケという『無責任』ぶり。

下記が配布ビラです。250枚用意したが前半の1時間半ぐらいで完売でした。



金城テルさんの渾身のカウンター街宣は30分弱でしたが、3分弱の抜粋動画で上げます。
教職員組合の狂気の教公二法阻止運動の後ろに大江がいた事と、今の辺野古基地反対と同じような事へ向かっていると指摘。

 




金城テルさんは、午後1時頃には次の予定の為に去られました。
その後、私が必死に街宣で大江氏の嘘と矛盾と無責任を指摘しました。私の声が一番向こう側に通るからです。

 ↑ とりあえず、街宣の一部の動画です。
<大江健三郎の嘘を撃つ 6分 平成27.11.23>
しかし、残念な事に、街宣は渾身の力で話すので、大江氏本人が目の前で車を降りて会場に入って行くのを、仲間が教えてくれているのに気づきませんでした。

でも、しっかり沖縄で大江健三郎に抗議する県民がいる事を示せた、これは歴史的な事です!


最近、私たちの街宣活動に見学や応援に北部からわざわざ来てくださる方々がいますが、この大江健三郎講演会への抗議街宣も、いつもの仲間以外に、ご都合を付けて来て下さった方が4名ほどいらっしゃり、ビラ配りを手伝ったり、差し入れのお菓子を頂いたり、元気が出ます。本当にありがとうございます。
小さい声で「ご苦労様」「がんばって下さい」も増えて来ています。

それに引き換え、情報弱者の元教員らしき左翼思想の高齢の皆さんは、違う情報に耳を閉じ、両腕でバッテンやくるくるパーのしぐさをする幼稚さ、「ウソをつくな」とワンパターンの返答。沖縄マスコミや左翼言論以外の情報や知識、意見の検証は全くしていない事は明らか、被害者意識を植え付ける事の凄まじさに呆れます。

講演会参加者たちが、街宣を耳にした面白い反応として、
『核時代の想像力』という大江健三郎氏の本を読んでいない、原発推進派だった事を知らない、だろう反応。
大江健三郎が芥川賞を取った短編『飼育』さえも読んでいず、「黒人捕虜への人間扱いでは無い、動物扱いの差別、僻地の村人を土人扱いの差別」と話すと、反論出来ずシ〜〜ンといった感じです。
真実を見極める事を放棄した高齢者が我が物顔で沖縄の世論を決めつけている、と痛感しました。

■琉球新報記事 2015年11月24日 05:05
<大江健三郎さん「辺野古移設 何も解決しない」 那覇で講演>http://ryukyushimpo.jp/news/entry-176863.html

抜粋:

 戦後70年企画「大江健三郎講演会~沖縄から平和、民主主義を問う~」(琉球新報社主催、岩波書店共催)が23日午後、那覇市泉崎の琉球新報ホールで開催された。モニター画面で聴講した人も含め740人がノーベル賞作家の沖縄への思いに聞き入った。学生との対話も催され、学生から政府の新基地建設強行について問われた大江氏は「狭い沖縄に核兵器の基地があるということが本質的問題。移設しても根本的には何の解決にもならない」と答えると大きな拍手が起きた。

 講演では、沖縄との出合いや「九条の会」の活動を振り返り、サンフランシスコ講和条約で沖縄が日本から切り離された日(4月28日)を「主権回復の日」として「天皇陛下万歳」と唱和したことに触れて、安倍政権を厳しく批判した。

 80歳になる大江氏は講演で、憲法の価値が文化として日本に根付いていることを強調し「海外で危険な目に遭いながら活動する、特に女性たちが、憲法を文化として持っていることに希望を持っている」と述べた。その上で「そのような子どもたちを育てていただきたい」と若い世代への期待を語った。

 講演に続いて、潮平芳和琉球新報編集局長の進行で県内の学生3人との対話が行われた。沖縄国際大3年の植(うえ)憲介さん、同大3年の儀間友里花さん、琉球大4年の酒本萌子さんが質問を投げ掛け、大江さんは丁寧に応じた。岩波書店の岡本厚社長も登壇した。
 沖縄の意見を無視し行われている基地政策をめぐり「沖縄にとって何が一番大切か」という学生からの問いには「あなたたちが大事だ。はっきりと主張する新世代がいることが希望だ。具体的にどうするか、考え続けることだ。頑張ってください」とエールを送った。
 会場からの質問にも答え、著書の「沖縄ノート」(岩波新書、1970年)について「沖縄の人に読んでもらっていることで緊張が続いている」と話し、「このように多くの方が来られて討論が続いていることに敬意を持つ。呼んでくださってありがとう」と感謝を表した。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
本当に、大江健三郎氏と琉球新報、岩波書店の社会性ゼロ、法治国家無視、確固たる反日ぶりに唖然です。

しかし、私たちの街宣パンチにノックアウトされた事は上記の記事でよく分かります。
なぜなら、2つの裁判を起した大江氏の捏造『沖縄ノート』の「集団自決への軍の命令説」についても、最近の活動の主な物を占める「反原発」についても言及せずに逃げているからです。

私たちの街宣追求は痛過ぎた、逃げるしか無い、やはり卑怯な対応しか出来ない、という事。
この講演会に裁判の被告人の岩波書店社長までヌケヌケ来ていたが、サヨクで固められたはずの沖縄で否定され、さぞかし残念だった事でしょう。

不思議に、警察に「街宣音がうるさい」という通報が無かったようで、通報しても続ける私たちの根性は認識したようです。




大江氏は「狭い沖縄に核兵器の基地があるということが本質的問題。移設しても根本的には何の解決にもならない」と答えると大きな拍手が起きた。
↑ 沖縄の米軍基地の普天間も嘉手納も、大江氏を代表するあなた達平和運動家の大好きな『国連』の『国連指定基地』です。
有事の際は日本国の許可無く『核兵器』の持ち込みも許されています。
まさか、普天間基地も嘉手納基地にも『国連旗』が日本国旗と米国国旗と並んで掲げられている事を知らないのでしょうか?
国連指定基地への反対運動は「平和に対する罪」です。



サンフランシスコ講和条約で沖縄が日本から切り離された日(4月28日)を「主権回復の日」として「天皇陛下万歳」と唱和したことに触れて、安倍政権を厳しく批判した。
↑大敗戦した日本国が、短い7年弱で、やっと形の上でも独立国に戻れたのは、沖縄戦を含む日本国民一丸の戦いぶりと、生き残った日本人の戦後の復興の頑張りによります。なぜ奇跡の復興が出来たか、天皇陛下がいらっしゃったからですよ。その天皇陛下を敬う国民一人一人の頑張りで、米国が絶対に手放したくなかった沖縄の祖国復帰が43年前に達成されたのです。何の努力も協力もしないペンよりも重い物を持った事の無い左斜めにしか物が見えない大江氏は批判する立場では無い!



●この大江健三郎という、驚くべき反日作家は、日本女性が海外で被害に合うように誘導ですよね!↓
「海外で危険な目に遭いながら活動する、特に女性たちが、憲法を文化として持っていることに希望を持っている」と述べた。その上で「そのような子どもたちを育てていただきたい」


●緊張するなら、「集団自決に軍の命令無し」と撤回・謝罪せよ!↓
大江健三郎:「沖縄ノート」(岩波新書1970年)について「沖縄の人に読んでもらっていることで緊張が続いている」


告訴人の上原正捻氏が「琉球新報の上告断念」をマスコミに伝えたFAX

 

                                ★

 

【おまけ】
 

翁長知事のリコールについてはこの動画を参照。

             ☆

 ▼世日フォーラム沖縄「沖縄と日本の未来を考える講演会」
26日(木)午後6時半開演、沖縄県立博物館・美術館講堂(那覇市)で
自民党政調会調査役・国防部会担当の田村重信氏が「安保法制の意義と沖縄の重
要性」と題して講演する。参加費=500円。
問い合わせ=世日フォーラム沖縄事務局(電)090(1945)9217

 

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コメント (2)

腐臭を放つ大江健三郎

2015-06-23 06:35:10 | 大江健三郎のいかがわしさ

 

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本日午後7時よりチャンネル桜沖縄支局「沖縄の声」に出演します。よろしくお願いします。
↓↓↓
 


 
本日は「慰霊の日」。
 
今年は終戦70年の節目の年とあって、本日の沖縄タイムスは合計10面を使って沖縄戦の大発狂。
 
沖縄タイムスの発狂見出しにに逐一対応するのはバカバカしいので、一面の見出しのみを紹介する。
 
■一面トップ
 
戦後70年きょう慰霊の日
 
「戦争は人間性奪う」
 
戦争体験者70人のメッセージ
 
(以下省略) ふー、やれやれ。
 
              ☆
 
昨日のエントリーで琉球新報のデタラメな社説を紹介した。

大江・岩波集団自決訴訟の最高裁判決を捻じ曲げて、あたかも最高裁が「集団自決は軍の命令による」と認定したかのように報じるデタラメな社説のことだ。
 
最高裁で被告・大江側の勝訴が確定したのだから、軍命も確定したものと事実誤認していた多くの読者から問い合わせがあった。
 
そして、改めて新聞の影響力の大きさに慨嘆した。
 
たかが新聞、されど新聞である。
 
 
最高裁判決が出た当時の当日記から、サルベージしてみよう。
 

腐臭を放つ大江健三郎氏の自己保身 2011-04-24

 
最高裁判決文を紹介します。
 
判決はたったこれだけです。
上告より2年4ヶ月も待たせて、これだけかとも思うのだが、独自の判断を避けて大阪高裁判決を丸呑みしたのなら、所詮こんなものだろうか。
 
高裁判決が約半年の短期間で判決を下したのに対し、最高裁が2年余も時間をかけたのは、最高裁といえども、いや、むしろ最高裁だからこそ「戦後民主主義」の呪縛からは逃れきれず、いろいろ逡巡した結果だろう。 
 
 今我が国は、国民が選んだ民主党政権の下で未曾有の国難にあえいでいる。 最高裁判が「戦後民主主義」的判断を下すということが、現在の政治状況を見事に象徴している。
 白木勇裁判長以下前裁判官の名前も記しておいたので、次の選挙では不適格裁判官として全員辞職させよう。

 ■最高裁判決文

 

  決定

当事者の表示    別紙当事者目録のとおり。

 

上記当事者間の大阪高等裁判所平成20年(ネ)1226号出版差し止め等請求事件について、同裁判所平成20年10月31日に言い渡した判決に対し、上告人兼申立人らから上告及び上告心理の申し立てがあった。 よって、当裁判所は次のとおり決定する。

主文

本件上告を棄却する。

本件を上告審理として受理しない。

上告費用及び申し立て費用は上告人兼申立人の負担とする。

理由

1上告について

民事事件について、最高裁判所に上告できることが許されるのは、民訴法312条1項又は2項所定の場合に限られるところ、本件上告理由は、違憲及び理由の不備をいうが、その実質は事実誤認又は単なる法令違反を主張しているものであって、明らかに上記各項に規定する自由に該当しない。

2 上告受理申し立てについて

本件申し立ての理由によれば、民訴法318条1項により受理すべきものとは認められない。よって、裁判所官全員一致の意見で、主文の通り決定する。

 

 平成23年4月21日

最高裁判所第一小法廷

裁判長裁判官   白木  勇

     裁判官   宮川  光治

     裁判官   櫻井  龍子

     裁判官   金築  誠志

     裁判官   横田  尤孝

                              ★


喜ぶ大江さん「強い励ましに」
 沖縄タイムス2011年4月23日
   【東京】沖縄戦をテーマにした「沖縄ノート」で「集団自決(強制集団死)」の日本軍強制の記述をめぐり、訴訟を闘い続けたノーベル賞作家の大江健三郎さん(76)は22日、東京地裁の司法記者クラブで会見し、軍の関与を記述した同作は名誉毀損(きそん)にあたらないなどとする一、二審判決の確定を受け、「(沖縄戦の評論は)一生の仕事と考えていたので(裁判は)苦しかった。最高裁の決定は力強い励ましになる」と喜びを語った。

 原告の上告を退ける最高裁の決定は、22日午前に関係者へ郵送で知らされた。同11時半ごろ電話で弁護士から知らせを受けたという大江さんは「ぼんやりして、(係争中の)5年間を考えていた」と突然の知らせを振り返った。

 会見で、大江さんは50年余りの作家活動の中で、沖縄ノートは「広島ノートと併せ、一番大切な本」と表現。沖縄戦や米軍基地などを負担してきた沖縄を、日本人が認識し直すために著作を続けてきたと説明し、「この本のことを覚えていてもらいたい、高校生にも読んでもらいたい。今あるのは、そういう気持ちだけ」と静かに語った。(略)

                ☆

昨日の沖縄2紙の狂乱振りを見ていると、「軍命」「強制」「教科書」と書いた大見出しが躍り、まるで最高裁判決で「軍命」「や「軍の強制」が確定し教科書にもおおっぴらに「軍の命令により集団自決が起きた」とかけるかのような印象を受ける。

歪曲と捏造の記事で溢れた紙面で連日叩かれたケビン・メア氏の心境が理解できるような気がする。

ところが一夜明けた本日の沖縄タイムスにはメア発言はともかく、昨日の狂乱が嘘のように集団自決関連の記事は一行もない。

筆者も複数の知人友人から電話をもらい「残念」の言葉を聞いたが、確かに出版差し止めと被告の謝罪が適わなかったのは残念であるが、両隊長が命令したり強制して集団自決が起きたのではないということは、既に大阪高裁で確定済みだったのでそれほど落胆したわけではないと答えておいた。

事実、負け惜しみではなく、両隊長の名誉回復は既に大阪高裁で確定した、と何度もエントリーしているので古くからの読者ならご存知のことと思う。

(省略)

それで、当日記では沖縄タイムス記事の次の「歪曲」部分を取り上げてみる。

<会見で、大江さんは50年余りの作家活動の中で、沖縄ノートは「広島ノートと併せ、一番大切な本」と表現。沖縄戦や米軍基地などを負担してきた沖縄を、日本人が認識し直すために著作を続けてきたと説明し、「この本のことを覚えていてもらいたい、高校生にも読んでもらいたい。今あるのは、そういう気持ちだけ」と静かに語った。>

このくだりを見た高校生は、最高裁が大江氏の問題の著書である『沖縄ノート』の内容の真実性を最高裁が認めたと判断し、そのデタラメな本の内容を鵜呑みにしてしまう恐れがある。

最高裁は、むしろ『沖縄ノート』には誤りがあるが、執筆当時の40年前には「軍命があった」という噂が流布し、それが検証も無いまま「定説」となっていたので、大江氏が「軍命」を「真実と思っても仕方が無かった」と、判断しているのである。(「真実実相当性」)

大江氏は最高裁がいかがわしいと判断した「沖縄ノート」を高校生にも読んでほしいと言っているのだ。

この発言を見て、保身に汲々とし高校生がデタラメを信じることに何ら心の痛痒を感じない老作家の腐臭を感じ取る。

 

4年前の「11万人集会」のとき、沖縄2紙に踊らされて参加した県民の大多数は集団自決問題が何であるかを知っていなかった。「集団自決があった事実を教科書から削除するのはけしからん」といった基本的な事実誤認をしている県民は多く、事実、当日記にもそのような罵声を浴びせるコメントも多数あった。

ところが昨日の琉球新報の「識者評論 岩波・大江勝訴」と題する記事を」見て仰天した。

沖縄平和ネット代表世話人の村上有慶氏が、こんなことを言っているのだ。

「裁判は原告の梅澤氏本人が命令を出したかというより、、沖縄戦の「集団自決」の有無を問う訴訟を起こすこと自体が目的で、「集団自決」なかったとする教科書を書き人たちをバックアップするという政治的な動きの中にあった。」(琉球新報 4月23日)

4年前の沖縄2紙の歪曲報道に踊らされた気の毒な県民ならともかく、顔写真つきで新聞の「識者評論」をお書きになるエラ~イ先生が「『集団自決』の「有無を起こす裁判」があったと信じているのが驚きである。

いや、いや識者の先生がこんな基本的な間違いをするはずはない。

きっと、琉球新報が読者を「原告側は明らかな事実を教科書から消し去ろうと目論む卑劣な集団」という深謀で印象操作したものと考えるが、どうだろうか。

 

以下は池田信夫氏のブログの引用です。

大江健三郎の犯罪

 沖縄の集団自決をめぐって争われた名誉毀損訴訟の最高裁判決で、被告の大江健三郎氏と岩波書店が勝訴した。これまでの経緯を知らない人が、大江氏が正しかったと誤解するのもよくないので、少しコメントしておく。
問題の訴訟は、2007年の記事でも書いたように、赤松嘉次大尉らを集団自決を命じた者だと罵倒した大江氏の『沖縄ノート』の記述が事実かどうかをめぐって赤松大尉の遺族などが起こしたものだ。これについては曾野綾子氏が現地調査をした上で「事実ではない」と指摘し、大江氏側も問題の記述が伝聞で確認できないことは認めた。

一審の大阪地裁は「軍の命令があったと証拠上は断定できないが、関与はあった」という理由で原告の申し立てを退けた。これは「ノーベル賞作家」に配慮した問題のすり替えである。原告は赤松大尉が集団自決を命令したかどうかを問うているのであって、軍の関与の有無を争ってはいない。軍の関与なしに手榴弾を入手することは不可能である。

二審判決も事実関係を曖昧にし、命令があったかどうかはわからないが大江氏が命令を「真実と信じる相当の理由があった」という理由で、出版を差し止めるほどの事由はないとして控訴を棄却した。たしかに出版差し止めというのは、民主主義国では軽々に認めてはならないが、原告が差し止め訴訟を起こしたのは、大江氏側が記述の修正をしなかったからだ。

裁判を通じて明らかになったのは、赤松大尉は住民を「」するどころか、集団自決を思いとどまるよう伝えていたということだった。裁判では思わぬ事実も出てきた。大江氏を支援する先頭に立っていた金城重明牧師(元沖縄キリスト教短大学長)が、渡嘉敷島でゴボウ剣で数十人を刺殺したことを法廷で認めたのだ。こうした集団的な狂気が、どうして生まれたのかを追究するのが作家の仕事だろう。

戦争は軍部が暴走して起こしたもので、国民は無垢な被害者だという大江氏の幼稚な歴史観は、軍はすべて悪だという「平和憲法」的な思い込みでしかない。集団自決をもたらしたのは軍ではなく、人々を駆り立てる空気だったのだ。旗を振って戦勝を祝ったのは国民であり、それを積極的に煽動したのは新聞だった。彼らは戦後も解散させられることなく、責任を軍に押しつけてみずからの戦争犯罪に口をぬぐってきた。

大江氏を5年間の訴訟でサポートし、『沖縄ノート』を重版してきた岩波書店も共犯者である。彼らが戦後60年あまり振りまいてきた「非武装中立」の幻想は、きわめて有害なものだった。国民の短絡的な正義感に迎合して結果に責任を負わない万年野党と、既得権を無条件に擁護する与党との不毛な対決の中で政策の対立軸ができず、優先順位をつけて政策を取捨選択しなかった結果が、莫大な政府債務と迷走する危機管理である。

大江氏も岩波書店もわかっているように、

彼らは裁判には勝ったが真実の法廷では敗れた。

『沖縄ノート』の大部分は、現地紙の切り抜きを文学的に加工したでっち上げだ。

それは彼の願望とは逆に、事実を直視できない「進歩的知識人」の知的不誠実の証拠として歴史に残るだろう

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コメント (13)

「沖縄ノート」は「大江の妄想独白録」

2011-07-31 07:21:12 | 大江健三郎のいかがわしさ

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「沖縄集団自決訴訟」は被告側勝訴で終結した。  これにより、一般には集団自決の長い論戦に幕が下りたように見える。

だが、最高裁判断は、実は集団自決論争の新たな幕開きを勧めた。

最高裁の判断は裁判の核心である集団自決における軍命の有無については、証明することが出来ず今後の議論に委ねるとしたのだ。

そして議論の第二幕が切って落とされた。

「パンドラの箱」掲載訴訟の提訴という形で。


以下はメルマガ「本土に伝わらない沖縄の真実- 2011.7.19 」の引用です。(太字強調は引用者)
────────────────────────────────────
■沖縄コラム
────────────────────────────────────
◎ 集団自決訴訟第2幕

 「パンドラの箱」掲載拒否訴訟の第2回口頭弁論が7月5日、那覇地裁で開か
れた。この裁判は、ドキュメンタリー作家の上原正稔氏が平成19年5月、琉球
新報紙上で執筆していた連載「パンドラの箱を開ける時」が無断で掲載を打ち切
られたことを理由に同紙に損害賠償を求めているものだ

 口頭弁論で被告側は、「沖縄タイムス紙上の連載『沖縄ショウダウン』と内容
が重複している。過去の内容をそのまま引用するのは合意に反しており、掲載拒
否は正当だ」と主張した。

 これについて原告側の徳永信一弁護士は、「これまで既出の内容が何度も出て
きているにもかかわらず、慶良間諸島における集団自決の真相に差し掛かったタ
イミングで打ち切りにしたのは、明らかに意図がある」と支援者集会で述べた。
既出の文献を別の場所で使うことはドキュメンタリー作家であれば普通にするこ
とである。

 沖縄戦で起きた集団自決の「軍命令」に伴う名誉毀損に関する沖縄集団自決冤
罪訴訟(大江・岩波裁判)で、最高裁は今年4月、集団自決の「軍命令」につい
て「真実性の証明があるとはいえない」としながらも、旧日本軍の元隊長らの上
告を棄却した。これに関し、原告の上原氏は、「『パンドラの箱』訴訟は集団自
決訴訟の続きである。これを通して(慶良間諸島で守備隊長を務めた)梅澤裕さ
んと故赤松嘉次さんの汚名を完全に晴らしたい」と誓った。

 当時、琉球新報の読者だったという宜野湾市在住の男性は、「読者に何の断り
もなく連載を中止し、4カ月後に突然再開したときにも何の知らせもなかった。
読者を無視し、馬鹿にしている」と憤った
。次回の口頭弁論は9月13日に行わ
れる。
(T)     

 

        ☆


「沖縄集団自決冤罪訴訟」で、最高裁は問題の核心である「軍命の有無」については今後の議論に委ねるとした。
 
だが被告の大江・岩波側は、それをあえて無視した。 そして、あたか被告の勝訴が軍命があった証でもあるかのように、教科書記述の変更を要求し始めた。
 
彼らの究極の目的が、教科書を書き換えて「残虐非道な日本軍」のイメージを国民に植え付けることにあるからである。

 

 「沖縄戦の歴史わい曲を許さず、沖縄から平和教育をすすめる会」の高嶋伸欣共同代表や山本隆司沖教祖委員長らが20日、県庁で会見し、現場教員の意見や調査研究を尊重した公正な教科書採択を求める緊急アピールを発表した。≪ 続きを読む (2011年07月21日)

文科省、意見撤回せず 教科書検定

【東京】高木義明文部科学相は26日の閣議後会見で、沖縄戦での「集団自決(強制集団死)」をめぐる大江・岩波訴訟で軍の関与を認めた判決確定を受け、教科書検定について「(検定は)教科用図書検定調査審議会(検定審)で専門的、学術的に審議されている。これからもそうだ」と述べ、高校歴史教科書検定で「集団自決」の記述から日本軍の強制を削除する根拠となった検定意見を撤回する考えがないことを表明した≫ 続きを読む
(2011年04月27日》
              ☆
早速市民団体が、教科書に軍命の復活を要望していたが、文科省はこれを拒否した。法治国家としては当然のことである。なぜなら最高裁でさえ軍命の有無については今後の議論に委ねるとしており、被告側勝訴が即「軍命あり」と結論付けるのは被告側の勝手な思い込みに過ぎないからである。
 
 
民事訴訟に歴史の解明を求めるのは馴染まないというので、原告の請求は「パンドラの箱」掲載拒否に対する損害賠償請求となっているが、訴訟の争点が「集団自決における軍命の有無」にあることは言うまでもない。

 軍の強制を盛り込んだ「沖縄ノート」を出版し、「沖縄集団自決冤罪訴訟」の訴訟の被告でもあった大江健三郎氏は、判決確定後、「もう係争中ではない」として教科書での強制記述の復活を主張した。

 そして雑誌「世界」7月号に、「沖縄ノート」に関する弁解タラタラの論文を寄稿した。

現地取材を一度も実施せずウソまみれの「鉄の暴風」を鵜呑みにして作家の空想で書き上げた「沖縄ノート」の間違いは最高裁判所も認めるところだが、その内容を著者自ら解説せねば誤読されるということ自体が「沖縄ノート」の内容が「空疎な言葉の遊び」(星雅彦さん)と言われる所以である。

「うらそえ文藝」編集長の星雅彦さんが世界日報(7月26日)に寄稿した「大江批判」を一部抜粋して引用する。

大江健三郎の「沖縄」論考 沖縄県文化協会会長 星雅彦

空疎な言葉の遊戯  

集団自決の史料価値の行方

1 問題の提起 〈省略〉

2 基本的行為の欠如 〈省略〉

3 見え隠れする牽強付会

 大江健三郎は月刊誌「世界」7月号に「沖縄戦を終えて 近い将来の『証言』を求める」と題する論文を寄稿した。沖縄戦の「証言」をこれから募集すれば、もしかすると本物の体調命令の証拠が出てくるかもしれないという願望の証なのかであろう。しかし彼の論考は、軍命を謳歌するどころか自著の『沖縄ノート』の中で主張した自説に固執して、『沖縄ノート』という題名を20回近くも使用して論じられている。大江は文章を納得のいくまでこね回し、元隊長を「慶良間の集団死の責任者」などと述べて、既成事実のごとく仕立てて理路整然とした風情だ。 大江の論調には、難題を無理やりに筆力で押さえ付けるきらいがある。例えば『沖縄ノート』では、元隊長に対して悪人という言葉は使ってないと彼は主張しているが、「ペテン」「巨きな罪の巨塊」「戦争犯罪者」「者」「アイヒマン」等など、それら「極悪人」に等しい表現が他に遜色もなく散りばめられている。〈省略〉

最後にもう一つ触れておきたいことがある。 大江は、「罪の巨塊」を積み重ねる死体だと考えているようだが、それを守備隊長だと思い込むと誤読になると指摘している。
「罪の巨塊は、現場でかれが実際に目にすることがなかったはずはない。軍の陣地の傍の窪みに転がっていた『巨きい数の死体です。罪の巨塊の前に立つかれが、どのようにして罪の巨塊でもまたありうるでしょうか?」 
右は、大江の文章の抜粋だが、「罪の巨塊」を隊長に見立ててみると、少し無理な感じがしないでもないが、意味不明ではない。
一方、死体の群れを「罪の巨塊」だと決め付けると、いかにもわざとらしくこじ付けを感じさせる。 一体ここでの「罪」は特別のものになるのだろうか?
筆者が現場を実地検証した経験を実地検証した経験から言わせて貰えば、大江の論考には空想的な言葉の遊戯が感じられ、まるで読者に失望させるに充分なボキャブラリーが見え隠れしているように思われるのである。(敬称略〉

          ☆

「ウソの暴風」と揶揄されるほどのでたらめな「鉄の暴風」は、主として作家を夢見た新米記者によって記述された。

米軍民政府に勤務していた大田良博氏が、沖縄タイムスに引き抜かれ、戦前からのベテラン記者を差し置いて『鉄の暴風』の執筆を任されたのには訳があった。 戦前から文学青年として沖縄の新聞に寄稿していた太田氏は、現地取材を一度もすることなく、噂の類の伝聞情報のみでドキュメンタリータッチの沖縄戦記を書いた。 米軍の宣伝物としての役目をになっていた「鉄の暴風」の執筆には、作家的空想力を持った大田氏の方がベテラン記者より適任と判断されたからだろう。

大田氏は、回顧録の中で、あの当時短期間で沖縄戦記を書き上げるには、噂話を書く以外に手立てはなかったと述べている。(『「沖縄集団自決」の真相と謎』編著者:秦郁彦 PHP研究所)

もう1人、現地を一度も取材することなく作家の空想力を駆使して沖縄戦記紛いの『沖縄ノート』を書き上げたのが大江健三郎氏である。

戦後早い時期から現場を何度も取材した星氏によると大江氏が記述する「罪の巨塊は、現場でかれが実際に目にすることがなかったはずはない。軍の陣地の傍の窪みに転がっていた『巨きい数の死体です』」は、物理的にありえない記述だという。

赤松隊長がいた軍の本部濠から集団自決の死体(罪の巨塊)が転がる自決現場まではかなりの距離があり、赤松隊長が目撃することは困難だというのだ。

ちなみに赤松隊長も、後の証言で「集団自決は知らなかった。後で知った」と述べている。 また金城重明氏の有名な法廷証言でも、赤松隊長が「軍の陣地の傍の窪みに転がっている『巨きい数の死体』」を目にしたと推測することさえ不可能である。

星氏がいみじくも指摘するように、大江健三郎氏は作家としての空想力を働かせ、空疎な言葉の遊戯で「既成事実のごとく仕立てて理路整然とした風情」に読者を印象操作している。

ウソまみれの「鉄の暴風」をネタ本にしているだけに、「沖縄ノート」は、「大江の妄想独白録」と題した方がその内容にもっとも相応しい。

          ★

 

7・31坂東忠信沖縄講演会のお知らせ
沖縄で元通訳捜査官・坂東忠信先生の講演会が実現!
 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 「元通訳捜査官が明かす、中国人犯罪の実態」

講 師:坂東忠信(元通訳捜査官)
開催日時:平成23年7月31日 開場13:30 開演:14:00
開催場所:沖縄県護国神社 社務所 会議室
     (住所:那覇市奥武山44、駐車場あり)
参加費:1000円
主催:坂東忠信講演会実行委員会 代表 仲村俊子
後援:日本会議宜野湾市部、日本会議うるま支部準備室
連絡:090-1942-1675(仲村)

 

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コメント (2)

「ノーベル賞作家」という虚構 最終章

2008-11-16 10:29:19 | 大江健三郎のいかがわしさ

 

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言論封殺魔こと佐藤優氏は、「沖縄には『同調圧力』もなければ、沖縄の新聞に偏向はない」と沖縄紙に擦り寄った意見を述べている。

佐藤氏には申し訳ないが、沖縄には「同調圧力」もあれば、新聞の偏向も存在する。

当日記のように「沖縄タイムス」「琉球新報」とは異なる意見を発信していると、

「沖縄人でこんな意見を吐くはずはない」とか

「沖縄人に成りすました移住者だ」とか

挙句の果ては「沖縄の敵だから、許さない」とか、そのた数多くの罵詈雑言の書き込みを受けた。

罵詈雑言の大部分が沖縄人を名乗っている。

地元紙と意見が違うだけで「沖縄の敵」と言われるのではたまったものではない。(笑)

まさか沖縄紙の記者がこのような下劣な書き込みをするとは思わないが、

とにかく、沖縄在住で地元紙と異なる意見を主張することは他県の人たちには想像できないほど疲れる!(ふ~!)

もっとも、それだけ痛いところをつれて脊髄反応しているのだと思えばかえってやる気も出てくるのだが・・。

何よりも、「同調圧力」や新聞の偏向が存在するという一番の証拠は、

当日記が沖縄タイムスや琉球新報に投稿しても決して掲載されることはないことである。

何?

掲載に耐える内容ではない?

こりゃ又失礼しました。(笑)

 

沖縄紙は言論封殺の外に印象操作も得意技とする。

「集団自決訴訟」についても、訴えられたのは大江健三郎と岩波書店の両被告のはずだが、

地元紙はあたかも「沖縄県民全員が訴えられた」かのような印象操作をして裁判官に場外から圧力をかける。

まるで「全沖縄県民が被告」といった論調で、関連記事には「県民の理解」や「県民感情」といった言葉を多用して、

「県民を敵に回したら怖いぞ!」と裁判官に威圧をかけている。

大阪高裁の控訴審判決にも地元紙は「県民納得」と、得意の述語を使用した。(笑)

⇒ 岩波・大江訴訟 県民納得の妥当判決だ (琉球新報)

これでは、被告側を沖縄県民ぐるみで応援しているように錯覚してしまうではないか。(それが狙いなのだが)

 

ところで、言論封殺魔こと佐藤優氏が長期連載コラムを掲載している琉球新報も言論封殺では人後に落ちない大魔王である。

これについては次のエントリで詳述してある。

再開された上原正稔氏の特集  パンドラの箱は開くか

 

以下は渡辺望氏の「大江批判」の最終章です。

                   ◆

 '08.10.18 ●渡辺 望氏 「ノーベル賞作家」という虚構 -大江健三郎への再批判- 

(承前)

『あいまいな日本の私』


 この『あいまいな日本の私』で大江は、自分の「営業」行為を物の見事に締めくくっている。

 大江は冒頭で、スウェーデンの国民文学作品の一つである『ニルスの不思議な旅』に手ばなしの賞賛をおくったのち、川端康成がかつておこなったノーベル賞受賞講演『美しい日本の私』に触れる。そこで大江は川端の講演内容には曖昧=「vague」さにみちたものだった、と指摘する。

 そう指摘した上で、「vague」では日本の文化や歴史を説明するには足りないもので、「ambiguous」という、両義的という意味での「曖昧」の方が、川端が説明した「日本」ということより、より「日本」を説明しやすいのだ、と大江はいう。そしてこの「両義的」という意味での「曖昧さ」がゆえに、近代の日本は「西欧化」と「アジア侵略」に分裂したのだ、ゆえに日本人は両義的な意味での「曖昧」があると論をすすめ、そののちに、大江は上記の二つの文章を決意表明的に語っているのである。

 この「曖昧」という言葉の引っくりかえしは、この大江の講演録を幾度読んでも文章上の脈絡がまったく認められない。日本人批評として「vague」と「ambiguous」の間にどんな関係があるのかが少しも文章上、説明されないまま、文章(講演)がどんどん進んでいってしまう。そしてそもそも、川端の「美しい日本の私」を読めば、大江が勝手に解釈しているような曖昧さ、「vague」というものはどこにも認められない。

 大江が川端の講演の何処に「vague」を感じたのか明確に記していないため、私達は独力で川端の講演録から大江が「vague」を感じた部分をさがさなければならない。大江の難解極まるこの『あいまいな日本の私』を幾度も精読すると、大江が川端のノーベル賞受賞講演内容で感じた「vague」の部分とは、どうやら次の二つの部分、川端が日本人の「無」を、禅宗的な概念に近いものだと説明するところであることが明らかになる。

a)禅宗に偶像崇拝はありません。禅寺にも仏像はありますけれども、修行の場、座禅して思索する堂には
 仏像、仏画はなく、経 文の備えもなく、瞑目して、長い時間、無言、不動で坐っているのです。そして、無念
 無想の境に入るのです。「我」なくして「無」になるのです。この「無」は西洋風の虚無ではなく、むしろその
 逆で、万有が自在に通う空、無涯無辺、無尽蔵の心の宇宙なのです。禅でも師に指導され、師と問答して
 啓発され、禅の古 典を習学するのは勿論ですが、思索の主はあくまで自己、さとりは自分ひとりの力でひ
 らかねばならないのです。そして、論理よりも直観です。

b)私の作品を虚無と言う評者がありますが、西洋流のニヒリズムという言葉はあてはまりません。心の根本
 がちがうと思っています。道元の四季の歌も『本来ノ面目』と題されておりますが、四季の美を歌いながら、
 実は強く禅に通じたものでしょう。

                                             
                                                          『美しい日本の私』
                                          

 川端が「美しい日本の私」で繰り返して苦心して説明しようとしているのは、日本文化における「無」というのは、ニヒリズムというような消極的概念でなく、ある種の肯定的な概念である、ということである。川端の説明は少しも「vague」なものではない。
 
 しかし言うまでもなく、キリスト教文明的な意味でのニヒリズムという概念に依存する限り、川端のいう「無」の説明は不明確でよくわからない、すなわち曖昧=「vague」としか思えない、と言える。現代の西欧ではよほどラディカルなヨーロッパ中華思想の持ち主でない限り、そんなふうに意地悪に日本文明をとらえる人間はいないはずであるが、大江は自身がそのようなラディカルなヨーロッパ中華思想に依存するという安全策をとる。

 すなわち、大江が川端に感じたという「vague」とは、西欧文明の基準からすれば川端の言っていることは「意味がよくわからない」ということ、西欧文明的な感性にまったく依存しきってみせて、川端の苦心を暗にからかっていることに他ならない。川端の言う「無」は、西欧のニヒリズムからすれば「vague」だ、ということなのである。このような「曖昧」という言葉のほとんど悪意的な操作をまず下地において、大江の「おべっか」が、スウェーデンから、西欧文明全体へと拡大していく。こうして、ノーベル賞を先んじて受賞した川端の言葉さえ巧みに利用し、大江はノーベル賞受賞に関しての営業行為を完成していくのである。

 たとえば1)の文章においてなぜ「西欧先進国・アフリカ・ラテンアメリカとの深い溝」と「アジアにおいて日本の軍隊が犯した非人間的行為」が、一つの文章内で大江は併記したのであろうか?あるいは2)の文章においてなぜ、日本国憲法の平和主義原理が、「それは、良心的徴兵拒否者の寛容において永い伝統をもつ、西欧において、もっともよく理解される思想ではないでしょうか」というふうな文章の付け加えを大江はしたのであろうか?
 
 大江が1)の文章で言っているのは単なる自虐史観ではない。大江の中での対アジアの自虐史観を、ヨーロッパとのかかわりにおいてまで、引き伸ばして自虐的に受け入れよ、と自虐史観よりも徹底的なことを主張しているのである。2)の文章で言っていることは、単なる日本国憲法万歳ではない。日本国憲法の平和主義原理は、アメリカの押し付け以前に、ヨーロッパ人の精神的伝統に由来したものである、日本人はそのことに西欧に感謝しているのである、と言いきっている。これは絶対平和主義よりもさらに徹底された平和主義であるというべきであろう。これらの決意表明を大江は、彼の基準からすれば、明らかに反民主主義的で、侵略主義的の権化のようなグスタフ3世の創設したスウェーデンアカデミーの諸氏にむかって語りかけているのである。
  
 ここに認められるのは、あえて喩えるならスウェーデンさらには西欧への大江自身のまことに身勝手な、「無条件降伏」であると言わなければならない。たとえば、大江はノーベル賞受賞の前年のニューヨークでの大きな講演会で、「三島由紀夫の自殺は、あの自殺のパフォーマンスの主張が、西欧やアメリカに対して閉じられていたことが問題なのです」(『回路を閉じた日本人でなく』)と驚くべき発言をしているが、これは『あいまいな日本の私』の先鞭をつけた言動であると言うべきだろう。つまり彼は川端や三島という先人の作家まで巻き込んで、「無条件降伏」への儀式を盛り上げようとしたのだ。大江のノーベル文学賞受賞、それは大江自身が仕組んだ狡猾きわまる「無条件降伏」行為に他ならないものだったのである。

 大江がここまでして「ノーベル賞作家」という肩書きを欲したのだ。賞を欲する作家としてのエゴイズムやナルシズムそのものを私は否定しようとはもちろん思わない。賞によって自分の作家的地位を高めようとするのは、作家の正しい職業的本能である。しかし、作家は自分を生かすために賞を欲するのであって、賞によって生かされているのではない。大江の内面ではこの図式がまったく逆転している。

 賞に異常に執着し、作家としての本能を顕わにしたという文学史上のエピソードとして、芥川賞を巡る太宰治の有名なエピソードを思い出すことができる。太宰はどうしても芥川賞が欲しかった。そのために選考委員の川端康成に幾度も懇願の手紙を書 いて送る。その手紙は執拗というより惚稽なほどのもので、つい苦笑したくなるほどの喜劇さえ感じられる。「・・・労作生涯いちど報いられてよしと客観数学的なる正確さ一点うたがひ申しませぬ。何卒私に与へてください。一点の駆引ございませぬ。深き敬意と秘めたる血族感とが右の懇願の言葉を右の懇願の言葉を発せしむ様でございます。困難の一年でございました。死なずに生きとほしたことだけでもほめて下さい・・・」 しかしこの執拗さが逆作用し、川端や同じく選考委員の佐藤春夫の反感を買い、太宰は受賞を逃してしまう。太宰がここまで受賞に執着したのは、名家である太宰の実家へのせめてもの示威を彼が欲したのだ、ということが定説になっている。

 しかしこの時期(昭和10年頃)、芥川賞は現在のようなネームバリューをまったくもっていなかったのである。芥川賞が文壇の権威的地位をもつようになったのは、実は昭和30年以降のことで、それまではこの賞を受賞しても、それが文壇人としての勲章になるということはまったくなかった。したがって、太宰が功名心から芥川賞を欲した、というのはおそらくあたっていない。比べて彼が当時、薬物(パピナール)中毒に苦しんでいて、その薬代あるいは中毒症状の治癒のために、芥川賞の賞金を欲していたという解釈はずっと信憑性が高いが、しかしそれでも太宰の足掻きのすべてを説明しつくしてはいないと思う。賞金ということならば、他の賞に足掻いてもいいわけだが、太宰はあくまで芥川賞に執着したのである。
 
 私としては、賞金目当てでという解釈のさらにもう一つの有力な解釈、太宰が芥川龍之介とその作品に心酔していて、それがゆえに芥川賞という名前の賞を欲した、ということを付け加えると、太宰の子供っぽい、しかし人間臭い面が説明しつくせるように思われる。賞を求める作家の気持ちというものは、自分の文学形成にかかわってくれた人間への感謝、しかしその感謝を自分の栄誉と結び付けたいという、一見すると矛盾した人間性の発露にこそある、と私は思う。芥川賞を欲するという太宰の行為は、それが実によくあらわれているように感じられる。

 この太宰のエピソードを踏まえて、もう一度、大江の『あいまいな日本の私』に戻ってみることにしよう。

 大江の論理的詐術と「おべっか」の本領の極みは、実はたいへん分かりにくい形で、この受賞講演の後半部分にあるのである。

 大江はこの講演の後半の部分を、彼の大学時代からの師匠でありフランス文学者の渡辺一夫からの影響とその思想についての解説に割いている。大江は渡辺から、フランスのユマニスムの思想の寛容の精神を継承した、と繰り返し説く。

 大江に果たして、フランス・ユマニスムの思想の寛容が存在するのかどうか自体、大いに疑問である。が、確かに渡辺は大江の大学時代の教え手であり、フランス文学のおもしろさを大江に教えた人物であるのは間違いない。だが大江は、渡辺一夫に加えてもう一人の彼の青春時代の彼の影響元について触れることをここでしていない。

 大江は確かに寛容の精神を渡辺から学んだのかもしれない。しかし、一文学青年であった大江を、60年安保をはじめ様々な「政治の季節」へと誘導する根源となり、大江という文学者の方向性を決定づけたのは社会参加の精神だったはずである。大江という作家を卒直にみれば、寛容の精神より社会参加の精神が遥かに勝っている。

 だいたいこの講演録で大江が退屈に狡猾に繰り返す左翼政治的な言動からして、大江が青年期 に身につけた社会参加の精神に由来するというべきなのである。

 大江文学に多少なりとも通じていれば、社会参加の精神についての精神の在り方を大江に与え、同時に初期の大江の小説の作風についても決定的な影響を与えたのがサルトルであることを知っているはずである。しかし大江はこの講演でサルトルについて触れることをまったく避けている。渡辺を通じて知ったとこの受賞講演でもっともらしくいうラブレーなど、大江に本質的な影響などほとんど与えていない。だいたい大江は渡辺の指導のもと、東京大学でサルトルを専攻したのである。サルトルなしで、大江文学を語ることは不可能であり、それは大江本人が一番よく自覚しているはずである。なぜ大江はサルトルについて語ることを避けたのであろうか?

 理由の推測は簡単である。サルトルは1964年にノーベル文学賞に選出された。が、スウェーデンアカデミーの受賞基準のあまりの不公平さ、政治的性格を厳しく批判して、受賞を辞退したのである。このノーベル賞受賞式で、そのようにノーベル文学賞を軽蔑したサルトルについて触れないという「不誠実」自体が大江の、ノーベル文学賞への「おべっか」なのである。

 この異様なほどに徹底された「おべっか」こそ、大江の作家としての根幹にかかわることだと言わなければならないであろう。太宰があれほどまでに足掻いて芥川賞を求めたことが、心の中の師を自分の功名心の中で求める、というような作家らしい人間味あるエゴイズム、ナルシズムが大江にはまったくみられないのである。

 ここに至れば、大江の文化勲章の辞退ということも、大江にとっては、ノーベル賞受賞という「無条件降伏」という儀礼への一部分を形成したものである、ということが明らかになるであろう。先人の作家も師匠格の作家も、そして文化勲章をはじめとする日本文化も全部巻き込んで、彼は「無条件降伏」というノーベル文学賞の受賞を、ついに完成させた。それがゆえに私は「ノーベル賞作家・大江健三郎」という肩書きは、大いなる虚構としてしか感じられず、それを言葉にすることを自らに禁じているのである。

                                               ◆

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コメント

続・大江健三郎批判 天皇は拒否で国王には土下座 

2008-11-15 08:03:01 | 大江健三郎のいかがわしさ

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元戦隊長側が上告/「集団自決」訴訟【社会】  
太平洋戦争末期の沖縄戦で旧日本軍が「集団自決(強制集団死)」を命じたとする作家大江健三郎さんの「沖縄ノート」などの記述をめぐり、慶良間諸島の当時の戦隊長らが出版差し止めなどを求めた訴訟で、元隊長ら側は十一日、一審に続き訴えを退けた大阪高裁判決を不服として上告した。

 上告について、元隊長ら側弁護団は「控訴審判決は一定評価できるものの、名誉棄損の最高裁判例を変え、人格権を著しく後退させた」と説明した。

 一方、大江さんは弁護士を通じて「この訴訟が、高校教科書から『軍の強制』が削除されるきっかけとなった。最高裁判決が元に戻す力となることを信じる」とのコメントを出した。

                                            ◇

大阪高裁の小田裁判長は、「老い先短い元戦隊長の人権侵害は我慢せよ!」

としてノーベル賞作家と大手出版社の人権蹂躙を看過し、表現の自由を認めた。

被告の一人であるノーベル賞作家大江健三郎が、いかにいかがわしい人物であるか。

以下、評論家渡辺望氏の「大江批判」の続編です。

 

参照:ノーベル賞作家という虚像!大江健三郎


 

 '08.10.18 ●渡辺 望氏 「ノーベル賞作家」という虚構 -大江健三郎への再批判- 

(承前)

文学賞というのは、どんな国のどんな文学賞であっても、選考委員会の文学観によって、意外な受賞者や候補者を生む。たとえば純文学に対しての我が国最大の文学賞である芥川賞は、選考委員の作家の文学観の対立が、選考委員会上の激しい議論や選考委員の辞任といったエピソードをさまざまに生んできた。石原慎太郎や田中康夫の受賞をめぐっての選考委員会の荒れぶりは特によく知られている(後者は受賞に至らなかった)。だが、徳岡が伝えるところによるノーベル文学賞委員会の日本文学に対しての状況は、委員どうしの対立を生む以前の状態にあったことを示している。対立もなにも、日本文学への文学観そのものが、選考委員会に存在していないのである。

 このエピソードはノーベル文学賞受賞に近づくために、まず、翻訳された小説が委員たちの身近になければならない、という条件が存在している、ということを意味している。しかしこのことは、日本文学が国際的・普遍的に読まれているのか、ということとはまったく無縁である。アメリカや中国、アフリカで大ベストセラーになっても、スウェーデンあるいは北欧という限られた地域で翻訳されていなければノーベル文学賞としては話にならないからである。

 受賞候補になった後の大江が急にいたるところの国内・海外講演会で、スウェーデンの文化・文学を褒め称える「おべっか」をつかったということは、大江がこのノーベル文学賞というものが、日本の世評に反して、おそるべきダークゾーンを抱えていることに大江が気づき、彼の戦略を実行に移した、ということに他ならない。そして大江は、川端や三島や安部がおこなわなかったような範囲の行為に及ぶ。単にスウェーデンの書店に並ぶだけでなく、スウェーデン人の日本人への無知を逆手にとって、「自分は日本において数少ない、これほどスウェーデン文化の精通者であるのですよ」という巧みな営業行為をおこなう。

 しかもこのノーベル文学賞選考委員会の日本への無知は、21世紀になった現在もまったく変わっていないのである。たとえば現在、日本人作家で毎年のようにノーベル文学賞候補になり、受賞にもっとも近いポジションにいるのは村上春樹である。作品内容的に、村上春樹とノーベル賞の結びつきを意外に思う日本人も多いだろうが、しかし、海外翻訳ということからすれば、村上の小説は日本人作家でもっとも外国語に訳されている小説家なのである。村上自身も外国語で執筆したり翻訳する能力を兼ね備えている作家である。当然、村上の小説はスウェーデン語でも多く読まれている。すなわち、ノーベル文学賞受賞のための重要な第一段階を楽々クリアしているのだ。「翻訳が多い」ということがただちにその作品がインターナショナルであることを意味 するわけではもちろんないはずである。しかし、こんなことだけが、候補作になる重要な理由の一つである。もちろん村上は大江のように営業をしているわけではないのであるが。
 
 それではこの問題多きノーベル文学賞の選考委員会とは、いったいどのような背景をもつ組織なのであろうか?

 漫画や演劇を通じてよく知られている『ベルサイユのばら』の物語の中で、マリー・アントワネットと、ヴェルサイユ宮に出入りするスウェーデンの貴族フェルセン(フェルゼン)との間の不倫のロマンスに胸をときめかした日本人は少なくないであろう。フェルセンは実在の人物で、マリー・アントワネットとの情事も歴史上の実話である。彼はスウェーデン国王グスタフ3世の命令を受けて、フランス革命の妨害工作を託された政治的スパイであり、アントワネットとの情事も、グスタフ3世の意図命令によるものだった。
 
 このグスタフ3世という人物は、このフェルセンの派遣にみられるように、当時、ヨーロッパに高まりつつあった民衆革命の風潮に対して激しく反発し、その殲滅をはかった絶対専制君主の一人である。対外的にも、フランス、オーストリア、ロシアと肩を並べるスウェーデンの強国化を目指し、ロシア・エカチェリーナ2世と、フィンランドその他の領有を巡り、激しい戦争を繰り返した。グスタフ3世はデンマークにも触手を伸ばし領有化を目論んでいる。フランス革命潰しの政治的謀略といい、大国化への志向といい、グスタフ3世という国王は現在のスウェーデンのイメージと異なる方向性を導こうとした人物であったと言えよう。彼はその強引な絶対君主主義・大国化路線に反発する政治勢力の策謀により、46歳で暗殺の憂き目に遭うが、彼こそ、ノーベル文学賞にたいへんゆかりのある人物なのである。

 ノーベル賞という賞はそもそも、スウェーデンの公的機関が複雑に絡み合いながら存在する、スウェーデンという国の対外的な文化勲章という性格を有する賞である。受賞賞金をはじめとする資金面を提供するのは周知のように基本的にノーベル財団であるが(経済学賞だけ別)選考その他、受賞の実権を握っているのは主にスウェーデンの公的機関の幾つかである。ただし、平和賞についての決定権限はスウェーデンの隣国ノルウェー国会が有している。その他の賞については、物理学・化学・経済学賞についてはスウェーデン科学アカデミー、医学・生理学賞についてはカロンリスカ医科大学が決定権限を有している。

 このスウェーデン科学アカデミーとは別個にスウェーデンアカデミーという学士院的機関が存在しているのだが、このスウェーデンアカデミーが文学賞についての全権をもっているのである。スウェーデンアカデミーは18人の終身身分の委員の文化人によって構成されているのであるが、このスウェーデンアカデミーを創設した人物がグスタフ3世である。

 このスウェーデンアカデミーは、グスタフ3世の創設の精神の国語方面からの維持、すなわちスウェーデン語の徹底的な明確化、国民教育化ということをこなすことをそもそもの目的としている。文学についての機関でなく、国語についての機関なのである。スウェーデンアカデミーのこの目的は現代においても継続しており、スウェーデン国内の文学にかかわる出版や宣伝でさえ、スウェーデン語に関係する事業に比べれば二次的な仕事とされている。しかし様々な事情を経由してノーベル賞の設定と同時に、ノーベル文学賞についての権限をあたえられることになった。

 すなわち、スウェーデンアカデミーという組織は、ノーベル文学賞のために設置された組織でもなければ、現実的にノーベル文学賞に携わることを第一義にしている組織でもない。絶対専制君主によって創立された王立組織ということ、スウェーデンの国民国家化をスウェーデンの国語の確立という面から推進維持する組織であるということがその大きな性格なのである。こうしたことを考えれば、スウェーデンアカデミーに、日本文化や日本文学に精通している人間がほとんどいないのは至極当然のことであろう。

 あれほど日本の皇室や日本の対外戦争について喧しい発言を続けてきた大江は、こうしたスウェーデンおよびスウェーデンアカデミーの背景については、批判的発言はただの一言もない。グスタフ3世と昭和天皇を比較して、どちらが「民主主義」的で、どちらが「反民主主義」的かは、誰が考えてもあまりにも明白なことであるというべきであるにもかかわらず、である。

 しかし、そもそも大江という人間はこうした公平な歴史的判断ができる人間ではない。大江の言葉の世界の観念構造は、公平を志向するようにはできていない。私は前回人形町サロンに寄稿した論文で、大江の言葉の世界とは、「選ばれた読者」を絶えず見極め、その「読者」に巧みに媚びることである、と言った。大江にとっては、現実的に存在したグスタフ3世も昭和天皇も二の次の問題なのである。つまり大江は彼にとってはごく自然に、「選ばれた読者」を、スウェーデンアカデミーおよびスウェーデンというものに定め、その「選ばれた読者」との一体化を実践していくという彼の本領を如何なく発揮していくのだ。大江にしてみれば、ノーベル文学賞を巡ってのさまざまな営業は、彼にとって得意中の得意のゲームを演じるといいような認識であったに違いない。

 ここでスウェーデンアカデミーをはじめ、スウェーデンの諸氏にむかっての大江のノーベル賞受賞講演『あいまいな日本の私』の、「戦後民主主義」者としての大江の自覚にあたると思われる箇所を引いてみよう。

1)日本近代の文学において、もっとも自覚的で、かつ誠実だった「戦後文学者」、つまりあの大戦直後の、破
 壊に傷つきつつも、新生への希求を抱いて現れた作家たちの努力は、西欧先進国のみならず、アフリカ、
 ラテン・アメリカとの深い溝を埋め、アジアにおいて日本の軍隊が犯した非人間的な行為を痛苦とともに償
 い、その上での和解を、心貧しくもとめることでした。かれらの記憶されるべき表現の姿勢の最後尾につら
 なることを、私は志願し続けてきたのです。

2)現在、日本という国家が、国連をつうじての軍事的役割で、世界の平和の維持と回復のため積極的でな
 い」という、国際的な批判があります。それはわれわれの耳に、痛みとともに届いています。しかし日本は、
 再出発のための憲法の核心に、不戦の誓いをおく必要があったのです。痛苦とともに、日本人は新生のモ
 ラルの基本として、不戦の原理を選んだのです。それは、良心的徴兵拒否者の寛容において、永い伝統を
 もつ、西欧において、もっともよく理解されうる思想ではないでしょうか?
(続く)
                                           
                   ◆

 

10月25日、言論封殺魔こと佐藤優氏の講演会が行われた同じ会場で、11月30日(日)「沖縄と日本の未来を考える講演会」が行われる。

講師は「集団自決裁判」の原告側弁護団の士松本、徳永両弁護士。

最高裁への上告が済んで愈々「法廷外闘争」の一環だろうが、原告側にとって沖縄は、マスコミはすべて敵のアウェイの土地。

当然マスコミは無視するだろうが成功して欲しい。

 

■横田めぐみさんと「米兵拉致女子中学生」■

今日(11月15日)で横田めぐみさんが、北朝鮮に拉致されて31年がたつ。

北朝鮮が約束した拉致問題の調査のやり直しが延期されるなど、先行きが見通せないなか、めぐみさんの両親は

「解決にこれだけの時間がかかっているのは異常で、政府は強力な交渉で被害者の早期救出を図ってほしい」と訴えている。

沖縄の新聞は、不良中学生と不良米兵の「ナンパトラブル」には米兵による拉致だとして「県民大会」まで開いて人権蹂躙だと大騒ぎするが、その一方、めぐみさんの拉致には非常に冷たい。

横田夫妻が拉致問題を風化させまいと、これまで全国で1000回以上の講演会を開いているのに、筆者の知る限り、沖縄での講演会はたったの一回だけ。 

それもマスコミ各社の本社がある那覇市ではなく、石垣島まで出張して講演会をしたというから、沖縄のマスコミの人権感覚は推して知れる。

北朝鮮が行った拉致には頬かぶりを決め込んでおきながら、

その一方で不良米兵のナンパトラブルには、

「いたいけ少女の人権蹂躙」と県民大会を扇動する。

まぁ、沖縄の新聞の正体なんてこんなもんでしょう。

何しろ「言論封鎖魔」に平伏して自由気ままにに紙面を提供するくらいだから。

そのうち、何かの拍子に「言論封殺魔」の逆鱗に触れて、沖縄マスコミも言論封殺されますよ。

そうなったら、「魔」から「魔王」、いや、「大魔王」に昇格しなきゃ。

「ラスプーチン言論封殺大魔王」とか・・・。

クワバラ、クワバラ。

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ノーベル賞作家という虚像!大江健三郎

2008-11-11 07:02:37 | 大江健三郎のいかがわしさ

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ノーベル賞作家の表現の自由を守るためには、

老い先短い元軍人の人権など我慢せよ!

「集団自決訴訟」の控訴審判決で

小田裁判長の心の中で、

「被告のノーベル賞の重さと原告の短い老い先」が、

天秤に掛かっていなかったと誰が否定できよう、と「大江健三郎のいかがわしさ」で書いた。

期待した通り、夏の虫ならぬ時期遅れの蝿が飛んできた。

コメント欄の書き込みである。(笑)

≪当たり前だ。 (キー坊)
 
2008-11-05 22:52:44
 
ナニが人権なのだ。

ヨボヨボ元軍人が、書かれてから40年近くも経って、自分が読んだ事もなく、自分に関する記述も無い「沖縄ノート」が自分の名誉を傷つけたなどと、ノ-ベル賞作家を訴えた裁判で、裁判官は原告勝訴の判決を下すことできるか?

世界の物笑い、いや日本でも世間の物笑いになるだけだ。最高裁でも同じさ。 ≫

まともに相手にするのもバカバカしいが、ノーベル賞作家の前に思考停止する反日坊やの心情が垣間見れて興味深い。

猟官活動ならぬ「猟賞活動」という言葉の当否はさておき、

大江健三郎がノーベル文学賞獲得のため行った破廉恥な「猟賞行動」を知れば、殆どの日本人はノーベル文学賞作家大江健三郎を日本の恥として唾棄するであろう。

ちなみに「猟官制度」とは、アメリカ合衆国での政権交代における現象であるスポイル・システムの訳語で、スポイルとは(狩りの)獲物の意味、つまりは選挙という狩猟の成果で官職を得ると言うことである。

以下引用は評論家渡辺望氏が大江健三郎の「ノーベル賞作家」という虚構を粉砕した大江再批判の論文です。

                    ◆

 '08.10.18 ●渡辺 望氏 「ノーベル賞作家」という虚構 -大江健三郎への再批判- 

大江健三郎という作家には「ノーベル賞作家」という肩書きがついてまわっている。おそらく彼の死に至るまでそれは続くであろう。大江を批判する人間も崇拝する人間も、「ノーベル賞作家・大江健三郎」と何のためらいもなくその肩書きを受け入れているようにみえる。しかし私は彼の名前の前に「ノーベル賞作家」と付け加えることはあえてしないようにしている。その肩書きにそのものに対して、さまざまな大江への疑問を感じるからである。

 実によく知られたことであるが、大江はノーベル文学賞を受賞したのち、自分は「戦後民主主義者」あるいは「民主主義者」である、という理由によって、文化勲章の受章は辞退した。大江以外の著名な戦後作家で他に、公的な文化賞を辞退した人物にたとえば、「戦友に申し訳ない」という理由で、芸術院会員になることを辞退した大岡昇平がいた。大江にしてみれば、大岡は志を同じくする人物であると考えているのであろう。しかし大岡は、昭和天皇が病に倒れたとき、その病状について、いろいろ心配や心痛を感じている、とも言っている。

 私は大岡の芸術院会員辞退について、必ずしも共感を覚えない。しかし「戦友に申し訳ない」という大岡の言葉の「戦友」に、戦争を様々に現実的に経験した大岡の「卒直さ」というものを感じることはできる。大岡は国家に翻弄された戦友の心を思いやってはいるが、決して自分勝手にそれを解釈利用しているわけではない。

 大岡の『俘虜記』に「戦友」という章があり、「・・・戦場から我々には何も残らなかったが、俘虜生活からは確かに残ったものがある。そのものは時々私に囁く。『お前は今でも俘虜ではないのか』と。・・・」という言葉でその章はしめくくられているが、大岡の辞退は、この言葉によくあらわれているように、「耳を澄ます」という誠実な行為をどこかに感じさせるのである。彼は「物書きだったら、公の栄誉なんか嬉しそうにもらうなよ。おまえさんはたまたま生き残ったんだからさ」という亡き戦友の声をどこかに聞いた。単にそれだけだ、と大岡は言おうとしたのではないか、と私は思う。大岡は、その亡き友の声に耳を澄まし、昭和天皇の病状を心配するということもしたのである。「俺達が恨みがましく思っているのは決して天皇に対してじゃない、戦争なんてそんな単純なものじゃない、もっと別のものに対して個々別々に、自分たちは恨みがましく思っているんだ」というふうに。

 「耳を澄ます」というと、何を観念的なことを、と言われるかもしれないが、戦争体験に意味的に関連して現実的な態度をとるときに、何よりもあるべきは「耳を澄ます」という行為に他ならない。「耳を澄ます」という実感がない戦争に関しての思想の語り手の発言は、左右問わずすべて「贋物」である。

 もちろん、若い頃からの無頼仲間だった小林秀雄や河上徹太郎が老年になるにつれて、文化勲章や芸術院会員を受け入れていくことに対しての、大岡の皮肉の意味を推測することもできる。しかしこの「皮肉」もまた、文人の仲間うちでわかりあえる人間的な何かであって、決してイデオロギー的なものではない。いずれにしても大岡昇平の辞退の理由はどこか人間的な匂いが感じられて、それほどの違和感を私は覚えない。それは大岡の作品の大体に対してもそうである。「イデオロギー」より「こころ」が優先する人物の匂い、とでも言うべきであろう。

 しかし、大江の文化勲章辞退は、大岡の芸術院会員辞退の卒直さや人間臭さとまったく異なっている。ノーベル文学賞と文化勲章に価値的な区別をつける大江の意識には、少しも「こころ」の匂いが登場しない。「耳を澄ます」という行為も、人間的な「皮肉」も、大江を巡る一連のノーベル文学賞・文化勲章を巡るエピソードにまったく無縁なことなのだ。大江の文化勲章辞退の理由を裏返せば、ノーベル文学賞は、「戦後民主主義」「民主主義」にふさわしい賞である、ということ、日本の皇室から勲章をもらうことは、日本の皇室が有している反「戦後民主主義」的性格、反「民主主義」的性格からして、自分にふさわしくない、ということになる。しかし大江が言う「戦後民主主義」も「民主主義」も、大岡の「戦友」の確かさに露ほども及ばない耳を澄まそうにも、それが単なる記号であって、少しも「人間」でも「こころ」でもないのである。
 
 そしてそもそも私の考えでは、ノーベル文学賞はその実体を追えば追うほど、文化勲章に遥かに増して、「戦後民主主義」「民主主義」にふさわしくない賞なのである。大江は、そのノーベル文学賞を、狡猾な戦略で、自分及び自分の政治的方向性の友軍と化す作為をついに完成させ、「ノーベル賞作家・大江健三郎」という終身的肩書きを手に入れた。「ノーベル賞作家・大江健三郎」のさまざまな醜態を前にして、ノーベル文学賞というものがいったい何であるか、ということを私達日本人は考察し認識することが求められるのだ、と言ってもいいであろう。いずれにしても、このノーベル文学賞を巡る大江の周囲に、もう一つの大江への根底的な批判が成立するということを考えなければならないのである。

 まず以下の大江の文章を引いてみよう。これはノーベル文学賞を受賞する2年前の大江が、スウェーデンを訪れたときにおこなった講演の記録である。 

  しかもそれは実体としてなにかをあたえられたというよりも、遠方にある実体に向けて、いつも心がそそら
 れている生き方が、自分の習慣になったということでした。あこがれという詩的な言葉におきかえてしまえ
 ば、美しく単純化されそうですが、それに加えて、暗く恐ろしいものですらもある巨大な力が、北欧から私を
 吸引しているようで、それゆえにこそ、なかなか実際に北欧へ旅をする気持ちになれなかったのです。
  しかし「あこがれ」プラスαは強く奥深くあり、それにつき動かされるようにして、スウェーデンボルグの神秘
 思想からベルイマンの映像まで、私は北欧からの呼び声にいつも面と向かってきました。さら にその心の
 うちの動きを、北欧の音楽がもっとも端的に把握しなおさせてくれたとも感じています。

                                          
                                                     『北欧で日本文化を語る』
                  

 この講演での大江の言葉から、第一印象として気味悪いほどのスウェーデン、北欧への「おべっか」を感じるのは私だけではないだろう。他のものも含めて大江のスウェーデンについての論考には、異常な犯罪率や極端な重税、若者の性文化の荒廃など、スウェーデンが抱える現状の問題にはいっさい触れられていない。この一連の大江の北欧の講演や北欧への平凡な賛美のメッセージは、他ならぬノーベル文学賞受賞のための営業活動に他ならないからである。

 私はこうした大江の営業言動から、かつて松岡洋右が日ソ中立条約を結ぶためにスターリンの前で演じた口八丁を連想する。外相としてクレムリンを訪れた松岡はスターリンにむかって様々な「おべっか」を言う。たとえば「日本は元来、きわめて共産主義的民族である。それがアングロサクソンの個人主義・資本主義に毒されたのである」だから、日本とソビエトは根源的に盟友なのだ、松岡はと言うのである。日本国内ではコミュニズム弾圧の嵐が吹き荒れている中、よくこんな「おべっか」を、共産世界最大の独裁者に向けて、恥じらいもなく言えたものだ、と思う。松岡という人間は昭和天皇に見抜かれたように、ほとんど法螺吹き屋である。そして松岡の「おべっか」は、とうとう最後は日ソ中立条約の締結を成就させてしまう。
 
 スターリンの心が動いたのは、言うまでもなく緊迫したヨーロッパ情勢への認識なくして考えられない。しかし松岡の営業行為的な「おべっか」は、そのあまりのすさまじさのゆえ、スターリンの心の表層を刺激して、その認識とうまく融合し、それを動かしたのである。営業が成功するとは、こういうことである。比べて、大江の場合は、このような水準の低い営業をおこなう相手のノーベル文学賞の何を刺激して融合を遂げたのか。それは「ノーベル文学賞」そのものにある、日本と日本文学に対しての、おどろくほど低い関心なのである。

 ところで、日本の近代文学にとってノーベル文学賞は、いかなる意味あいをもっているのであろうか?

 私が大学に入りたての1990年代初頭、文学の話題を語り合う仲間うちで、次の日本人のノーベル文学賞者が誰であるか、その話題が毎日のように語られていた。川端康成以来の日本人のノーベル文学賞受賞が迫っている、という話が広まっていた。圧倒的な第一候補は安部公房であり、その安部の後に、遠藤周作と大江健三郎が続く形で候補であった。その後、安部は1993年に急死し、その翌年、大江がノーベル文学賞を受賞することになる。

 私自身も他の文学愛好者の多分に漏れず、当時、ノーベル文学賞とは文学にとっての絶対的権威であり、川端康成以来の受賞者が我が国に再び現れることが日本文学の地位を高めるとナイーブに信じていた。個人的には大江の文学に共感することは少なかったが、安部と遠藤の作品については高校時代から熱心な読者であった。そのことはおくとしても、日本国民としてというより文学ファンとして、日本人に文学の絶対権威であるノーベル文学賞が授与されるのではとドキドキした気持ちで発表を待ったものである。だが、その私のノーベル文学賞崇拝を以後ばったりと止める一冊の本があらわれる。古本屋で手に入れた、ドナルド・キーンと徳岡孝夫による三島由紀夫についての追悼の本『悼友紀行』である。
 
 1960年代後半、川端康成と三島由紀夫の二人がノーベル文学賞の受賞を最後まで争い、結局、川端に決するその裏の具体的事情について明かす『悼友紀行』の徳岡の次のような文章を読んで、私はノーベル文学賞への崇拝的な感情がいっぺんに消し飛んだのをよくおぼえている。

  ノーベル文学賞の順番が日本にまわってきたとき、川端康成と三島由紀夫の名前が出た。どちらに与え
 ても不都合はない、という判断だった。ところが、最終的な決定を下すスウェーデンに、日本文学の専門家
 がいない。いきおい、英訳、独訳から推測するほかない。さいわい、あるいは不幸にも、1957年のペンク
 ラブ大会で日本に来て2週間ほど滞在したスウェーデンの文学者がいた。ほかにエキスパートがいないも
 のだから、彼はノーベル賞委員会に対して重要な助言をする役目を与えられた。もちろん、2週間の日本
 滞在で、日本の作家の比較や評価ができるはずがなかった。ところが、その人物は、キーンさんが訳した
 『宴のあと』読んでいた。『宴のあと』は都知事選に取材したもので、登場人物は革新党の候補である。そ
 んなところから『宴のあと』は政治小説で、書いたミシマ・ユキオはきっと「左翼」だろうということになった。
 彼の助言をいれて、ノーベル賞はより穏健で日本的な美を書いた作家、川端康成が受賞することになっ
 た。

                      
                                              徳岡孝夫・ドナルドキーン『悼友紀行』 
                                          

 三島由紀夫を「左翼」と誤認したこともさることながら、選考委員会は一人の選考委員が読んだ『宴のあと』の感想でもって三島という文学者への総合的評価をくだす、という信じがたい短絡を平気でおかしていたのである。

 しかもこの日本文学の専門家は、その『宴のあと』の作品内容さえ誤読している。『宴のあと』はどこをどう読んでも政治小説ではない。確かに『宴のあと』は都知事選の革新陣営の候補だった元外相の有田八郎の妻を主人公にして描いているが、この妻を通して、中年女性の生きる姿、そのいろいろな過去を鮮やかに描きつくした現代小説であって、「政治」はあくまで舞台提供されただけ、この小説は政治小説ではまったくないのである。この『宴のあと』を政治小説と勘違いするのは、よほどの翻訳ミスがない限り、粗筋しか読まない人間に限られると言わなければならない。

 三島はこの有田からプライバシー侵害で訴えられ、有名な憲法訴訟に発展している。「革新陣営の候補」すなわち左翼陣営の怒りを買って訴えられているのだから、三島が「左翼」であるという判断はますます成立しないはずである。しかし当時日本の文学世界を大きく揺るがしたこの事件に関して、ノーベル文学賞選考委員会はまったく無知なのである。徳岡が語るこのエピソードの時期、すでに三島の『宴のあと』訴訟は日本国内で、有名な事件になっているにもかかわらず、である。

 こう考えると、川端へのノーベル賞受賞は、ある意味、「誤謬」といってよい判断だったと言わなければならないであろう。のみならず、私は日本文学自体が何か侮辱されたような憤りさえ感じた。要するにノーベル賞選考委員会は日本にも、日本文学にも、ほとんど無知な人間たちによって構成され、そしてさまざまな決定をしているのだ、と考えなければならない。私はそう思って、以後、ノーベル文学賞に対する関心をまったく喪失したのである。(続く)
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大江健三郎の破廉恥な造語

2008-11-10 06:39:37 | 大江健三郎のいかがわしさ

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大江健三郎の屈折したエリート主義 「選ばれた読者」と「選ばれた民」 の続編です。

 

渡辺 望 氏 「選ばれた読者」と「選ばれた民」 大江健三郎への一批判

(承前)

『沖縄ノート』はいろいろな謎に満ちた作品である。なぜ、取材もなしに、このような重要な主張をふくむルポルタージュを書けたのか。事実の根拠もないままの日本軍へのあまりに露骨な嫌悪と、意外なほどに軽視されているアメリカ軍の存在は、いったいどういうことなのだろうか。これほど日本軍への嫌悪をもちながら、なぜ彼は沖縄以外での日本軍のかつての実体を探求しようとはしないのか。

 しかし、これらの疑問への解答はそれほどむずかしくない。大江にとって、この『沖縄ノート』は、『個人的な体験』から『ヒロシマ・ノート』へ、そして『万延元年のフットボール』へと、江藤淳が危惧する方向へと大江が歩みを極め、それを完成した後の作品である。大江の最大の不安感はすでに解消されている。書が書かれるその都度において、「選ばれた読者」が誰であるかを見極め、それを満足できるように獲得できる術を獲得するということ。それが大江という人間の世界である。大江の民主主義の「民」とは、「個人的な体験」の私家版を書いたときに意識された、「選ばれた読者」の「読者」に他ならなかったのである。

 以下に二つの文章を例示しよう。一つ目の文章は『沖縄ノート』での驚くべき暴言の箇所である。

 沖縄の地上戦とアウシュビッツ収容所を同一視し、「拉致」という物騒な言葉をつかう感性の持ち主が、その後、ノーベル文学賞を受賞したのは信じられないことである。二つ目の文章は、『ヒロシマ・ノート』や『沖縄ノート』から30年以上が経過したのち、21世紀になってから大江の『「ヒロシマの心」と想像力』 と題された、これまた信じられないような空想的な政治的主張の講演録の一部である(『鎖国してはならない』所収)。

 しかし、今まで論じてきたことを前提とすれば、実は両方の文章は特に驚くには値しないといえるだろう。大江が考える民主主義の「民」とは、リアルな民衆ではなくて、大江の世界の会員制の「民」だからである。かつて江藤が鋭く感じていた不快や危惧は、こうして完全な形で完成されてしまうにいたったのである。「踏み絵」あるいは「ハードル」を乗り越えてきた、大江の観念の中の「民」が、大江の暴言や空想を支持している。1960年代の何年かの営為で大江が獲得した方法論とは、そうした、果てしなく自己中心的な世界完結に他ならなかったのである。彼にとってみればあくまで「読者」が問題なのであって、リアルな「沖縄」や「広島」は、ある意味、二次的な存在の問題にすぎない。  

1)折が来たとみなして那覇空港に降りたった。旧守備隊長は、沖縄の青年たちに難詰されたし、渡嘉敷島に渡ろうとする埠頭では、沖縄のフェリイ・ボートから乗船を拒まれた。彼は実のところ、イスラエル法廷におけるアイヒマンのように、沖縄法廷で裁 かれてしかるべきであったろうが、永年にわたって怒りを持続しながらも、穏やかな表現しかそれにあたえぬ沖縄の人々は拉致しはしなかったのである。

2)さらに日本政府があきらかにするできことは、朝鮮民主主義共和国のミサイル開発に加えてーそれが事実であるかどうか、決して軽率なことはいえませんがー核兵器の開発が疑われているいま、もっと切実な意思表示です。つまり、もし北朝鮮の核兵器ミサイルによる攻撃が日本に向けておこなわれる危機が現実のもの として浮上したとき、日本がアメリカの核兵器による北朝鮮への第一撃のみならず、第二撃の攻撃を要求しない、と声明することです。私はそれのみが、アジアの近未来の核状況において、日本が北朝鮮および中国から核攻撃を受ける可能性を縮小するもの、と考えます。

 私は戦後の左翼的作家の類型は二つに分けられると考える。一つは先年亡くなった小田実のように、現実の最先端にいて、いかなる間違いも認めず、「自分は正しいから正しいのだ」と最後までドンキ・ホーテを演じ続けることをアイデンティティとする惚稽な行動家。もう一つは10年ほど前に逝去するまで活躍した埴谷雄高のように、自分の左翼的思想信条に反するような資本主義・自由主義の現実を満喫し、多くの非政治的作家を育成しつつ、「永久革命者」という狡猾な造語により、自らの左翼的心 情の温存もはかる老獪な理論家である。

 大江という人間は、その両方のいずれにもあてはまらない。彼の政治的信条には、惚稽さや老獪さといったある意味でとても人間的な匂いが、なにも感じられない。小田がもし、今進行している沖縄の問題に携わったらならば、もっと苦笑せざるをえない失言や醜態を演じて、間違ってはいるが、しかし戦後民主主義の人間喜劇の一つを演じたに違いない。また埴谷ならば、老獪に狡猾に、「沖縄」に深入りすることなく、しかし結果的には自分の好みの左翼的ポジションを確保しえたであろう。惚稽さも老獪さも、それが一般的な読者に対してひらかれることによって、広く、ある意味人間的な「反(アンティ)」を感じさせるのである。

 沖縄裁判の大江の言動に対して感じる「反」にはそれがない。彼の文学エリート臭と闘っているだけではないか、という徒労感のみが「反」の実体であるような気配を感じる。それは繰り返しになるけれども、「選ばれた読者」に対して、いつまでも「いい子」であろうとするだけであるからなのである。だが、彼の正体について、『個人的な体験』の季節の頃の江藤淳の指摘以来、再び明かすことのできる格好の機会である、ということもまたいえるに違いない。沖縄裁判という舞台は、大江という人間味のない政治的作家の晩節にふさわしいさまざまを、彼に演じることを強制していくことであろう。 完

                   ◆

 

大江が吐いた有名な言葉にこんなのがある。

「帰るべき朝鮮もない、なぜなら日本人だから

これを読んで理解できる読者が何人いるだろう。

日本人でありながら,

「帰るべき朝鮮がない」と悲嘆にくれる特異な人物に、共感できるのは

「選ればれた読者」である少数の大江マニアぐらいのものであろう。

 

「帰るべき朝鮮がない」大江健三郎氏

 結婚式をあげて深夜に戻つてきた、そしてテレビ装置をなにげなく気にとめた、スウィッチをいれる、画像があらわれる。そして三十分後、ぼくは新婦をほうっておいて、感動のあまりに涙を流していた。それは東山千栄子氏の主演する北鮮送還のものがたりだった、ある日ふいに老いた美しい朝鮮の婦人が白い朝鮮服にみをかためてしまう、そして息子の家族に自分だけ朝鮮にかえることを申し出る……。
 このときぼくは、ああ、なんと酷い話だ、と思ったり、自分には帰るべき朝鮮がない、なぜなら日本人だから、というようなとりとめないことを考えるうちに感情の平衡をうしなったのであった。

 (「わがテレビ体験」大江健三郎、『群像』昭和36年3月号
朝日花壇鑑賞会より孫引き)

                                            ◇

大江がこの文を書いた昭和36年頃には、日本人の海外移住なんて考えられなかったが、現在は本人が望めば出来る時代だ。

「脱北」が頻発しているくらいだから、「脱日」という手段もあるだろうし、

ノーベル賞作家の北朝鮮への亡命だったら将軍様も「地上の楽園」の広告塔として大歓迎するはずだ。

どうぞ「帰るべき朝鮮」にお帰り下さい。
 
「帰るべき朝鮮」については前にこのエントリーでも触れている。

司馬遼太郎も読んだ『鉄の暴風』  「琉球処分Ⅲ」

≪司馬氏は「司馬史観」と呼ばれるリアリズムを歴史小説のバックボーンにしており、

封建制国家を一夜にして合理的な近代国家に作り替えた明治維新を高く評価する。

その歴史観によれば「琉球処分」も日本が近代国家建設のため中央集権国家を作っていく合理主義つまりリアリズムの産物であり、肯定的な見方をしている。

■「鉄の暴風」に毒された「司馬史観」■

一方で、「司馬史観」は昭和期の敗戦までの日本を暗黒時代として否定して自虐史観に陥っていく。

沖縄史に関しても明治期の「琉球処分」では日本の発展していく過程の歴史共有(廃藩置県)として前向きに捉えていたのが

「沖縄戦」となると突如大江健三郎氏と同じ軸足で歴史を見るようになるから不思議だ。

「街道をゆく 6」でも「琉球処分」を述べた後に次のようなくだりがある。

<太平洋戦争における沖縄戦は、歴史の共有などという大まかな感覚のなかに、とても入りきれるものではない。
同国人の居住する地域で地上戦をやるなど、思うだけでも精神が変になりそうだが沖縄では現実におこなわれ、その戦場で15万の県民と9万の兵隊が死んだ。
この戦場における事実群の収録ともいうべき『鉄の暴風』(沖縄タイムス刊)という本を読んだとき、一晩ねむれなかった記憶がある。>(「街道をゆく」6-1978年刊)

なるほど、『デマの暴風』とも言われる『鉄の暴風』を、沖縄戦の「戦場における事実群の収録」として読んだら流石の司馬遼太郎先生も精神が変になりそうで、大江健三郎を彷彿させる逸話を書く羽目に陥っている。

ところで大江健三郎氏の「自分には帰るべき朝鮮がない、なぜなら日本人だから、」という有名な文を書いたのは昭和33年だが、

司馬遼太郎氏が『鉄の暴風』を読む以前にこの文を読んでいた可能性はある。

司馬氏はRさんという在日朝鮮人らしき人の口を借りて、沖縄人にも「帰るべき祖国がない」といったことを言わしている。

■大江健三郎にも毒された「司馬史観」■

<ごく最近、古美術好きの私の友人が、沖縄へ行った。彼は在日朝鮮人で、歳は50すぎの、どういうときでも分別のよさをかんじさせる人物である。

彼は帰ってきて、那覇で出会った老紳士の話をした。 私の友人はRという。
ーーRさんはいいですね。
とその老紳士は、しみじみとした口調で、「祖国があるから」と言った。相手が日本人ならば、このひとは決してこうわ言わなかったにちがいない。 
この話をきいたときの衝撃は、いまなおつづいている。 自分の沖縄観がこの一言で砕かれる思いがした。>(「街道をゆく 6」)

沖縄人の立場から言わせてもらうと、司馬氏が「街道をゆく 6」を出版した1978年の時点で、この沖縄の老紳士のように「祖国がない」と考える沖縄人は特殊な思想の人々はともかく普通の県民ではとても考えられないことである。

それにしてもあれほどリアリズムで歴史を見てきた司馬氏が、

沖縄の地上戦のことを考えて精神が変になりそうになり

『鉄の暴風』を読んだら一晩眠れなくなってしまう

あげくの果てには司馬氏は、沖縄の老紳士の話を伝え聞いて、

衝撃が続き、自分の沖縄観がこの一言で砕かれる思いをしたと述べている。

■帰るべき祖国とは■

文中の沖縄の老紳士の特殊な思想に影響を与えたと思われる大江健三郎氏の文を下記に引用する。

<結婚式をあげて深夜に戻つてきた、そしてテレビ装置をなにげなく気にとめた、スウィッチをいれる、画像があらわれる。そして三十分後、ぼくは新婦をほうっておいて、感動のあまりに涙を流していた。
それは東山千栄子氏の主演する北鮮送還のものがたりだった、ある日ふいに老いた美しい朝鮮の婦人が白い朝鮮服にみをかためてしまう、そして息子の家族に自分だけ朝鮮にかえることを申し出る……。 このときぼくは、ああ、なんと酷い話だ、と思ったり、自分には帰るべき朝鮮がない、なぜなら日本人だから、というようなとりとめないことを考えるうちに感情の平衡をうしなったのであった> (わがテレビ体験、大江健三郎、「群像」(昭36年3月号)>

このお方、日本人であることを放棄しているのだろうか。≫

                 

 参考記事:大江健三郎の“特権” 産経新聞 2007年12月1日

 

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大江健三郎の屈折したエリート主義 「選ばれた読者」と「選ばれた民」 

2008-11-09 07:15:21 | 大江健三郎のいかがわしさ

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大江健三郎のいかがわしさの続編です。

           

≪ 『沖縄ノート』はいろいろな謎に満ちた作品である。なぜ、取材もなしに、このような重要な主張をふくむルポルタージュを書けたのか。事実の根拠もないままの日本軍へのあまりに露骨な嫌悪と、意外なほどに軽視されているアメリカ軍の存在は、いったいどういうことなのだろうか。これほど日本軍への嫌悪をもちながら、なぜ彼は沖縄以外での日本軍のかつての実体を探求しようとはしないのか。≫(評論家・渡辺望)

                 ◇

 大江健三郎は、ことさら難解な表現で読者に奇怪なハードルを課して、読者に「選ばれた読者」であることを強要する。 

「選ばれた」読者になることを欲しない筆者(狼魔人)は、大江の文学作品の読者ではないが、必要にかられて『ヒロシマノート』と『沖縄ノート』は読んだ。

だが、そのあまりの情緒過剰で難解な表現に辟易し、意味を捉えるのに難渋した。 

大江は自身が設けた奇怪なハードルを超えられない一般読者を「誤読した」として非情にも斬り捨てる。

読者が誤読するような、ーそれどころか、曽野綾子のような高名な作家さえも誤読するというー作品、それもドキュメンタリー作品なら、作品としては不良品であり、これを販売するのは読者を侮蔑しているのではないか。

「誤読だ」と切り捨てられた読者は、不良品を売りつけられたとして返金を要求してもよいくらいだ。

金返せ!

まぁ、それはさておこう。

大江は、昨年の11月11日、大阪地裁の証言台に引きずり出された。

一般読者には個人に対する罵詈雑言としか思えない自著の出版差し止めの「集団自決訴訟」の被告側証人としてである。

大江は、一般読者には馴染みのないラテン語の辞書の、更に馴染みの薄い辞書の二番目の意味をヒントにして、「罪の巨塊」という、日本語として熟していない大江独特の表現を用いて、渡嘉敷島の元戦隊長を断罪していた。

それを法廷で指摘されると卑劣にも読者の誤読だと開き直った。

作家が独自の表現を、自己の「文学作品」に使用するのなら是としよう。

だが、少なくともドキュメンタリーを標榜する作品で、それも他人を批判する表現に用いるのなら、

最低の礼儀として、その言葉に脚注をつけるべきだろう。

他人を罵倒する微妙な表現なら、なおさらのことで、注意書き等で、

「この本はラテン語の素養がない方は、誤読の虞があるのでご購読は遠慮願います」くらいの表示をしてしかるべきだろう。

さもなくば不当表示商品とされて、返金を要求されても文句は言えまい。(金返せはしつこい?)

しつこいついでに繰り返すが、驚いたことに、大江は「沖縄ノート」の中で、ラテン語のcorpus de・lic・tiをヒントにして、「罪の巨塊」という日本語としては熟していない造語を、

注釈もつけずに「死体」の意味に用いたというのだ.。

あまりにも高邁過ぎて、凡人には到底「選ばれた読者」になれる余地はない。

 

冒頭の引用文は評論家渡辺望氏が、「選ばれた読者」や「踏み絵」といったキーワードを使って大江健三郎のいかがわしさを、見事に一刀両断した論文の引用である。

渡辺望氏は昭和47年生まれ、早稲田大学大学院法学研究所終了(法学修士)で新進気鋭の評論家である。

これから同氏の「大江批判」の論文から「ヒロシマノート」、「沖縄ノート」に関連する部分を抜粋して、何度かに分けて紹介したい。

なお、同論文の全文を読みたい方は冒頭のリンク先で読むことが出来る。

                  ◆

以下引用。

渡辺 望 氏 「選ばれた読者」と「選ばれた民」 大江健三郎への一批判」   

(前段の大江と江藤淳との対談部分は省略)

 ここで大江は、自分が意識している読者が、いわゆる不特定多数の一般的読者ではなく、実は「選ばれた読者」を意味している、ということを言っている。しかもその読者すなわち批評家たちに対して自分は「誠実」である、というほとんど自惚れに近い自負を高言するのだ。「選ばれた読者」に対する過敏な意識こそが、大江にとって問題なのであろう。つまり、私家版の『個人的な体験』はこの「選ばれた読者」に向けて書かれたものにすぎない。このことは、大江という作家がもっている、不可思議な文学エリート主義とでもいうべき個性を示しているといえる。もちろん、江藤は最初から大江のそのような屈折したエリート主義の高慢を見透かしていて、もっと明瞭な形でそのことをこの対談で大江に言わせようとしたのである。

  「踏み絵」あるいは「ハードル」を乗り越えない限り、大江文学の読者は大江にとっての「選ばれた」人間にはなりえない、と大江は認めている。言い換えれば、大江の世界というのは、「選ばれた」人間によってのみ、ささえられているということになる。いうまでもなくここに認められるのは、とんでもない読者蔑視に他ならない。
 
 問題なのは大江の「選ばれた読者」という不可思議な文学エリート意識が、この大江の作風の変化と期を同じくして、大江の政治的方向性をも規定していることなのである。「読者」が「民衆」という言葉に置き換わるのである。江藤はこの対談で大胆にも大江に向かって直接、「あなたの創作方法はある閉鎖的操作で自分に味方する社会とそうでない社会にわけるんです」と言う。大江の作為が文学の次元に限定した行為であれば、「自分に味方する社会とそうでない社会にわける」ということの弊害は、せいぜい大江の文学のファンクラブをつくることにとどまったであろう。しかし政治的価値判断に敷衍してしまうとき、大江のこの意識は、極端に頑迷な政治的主張を解禁してしまうのである。

  ここで、『個人的な体験』と『万延元年のフットボール』の間に書かれた『ヒロシマ・ノート』という書を取りあげてみよう。

 『ヒロシマ・ノート』は、そのあまりにセンチメンタルな記述の連続に、かなり辟易とさせられるのであるが、『沖縄ノート』と異なり、被爆者への取材や反核政治集会への参加など、とりあえずはルポルタージュの体裁を整えている作品にはなっている。しかし、この書においても、大江の「選ばれた読者」への意識は、あちらこちらに充満している。「個人的な体験」の私家版を書いた大江と実はまったく同一なのである。
 
 いうまでもなく、第一義に大江が「選ばれた読者」として意識しているのは、この作品内部にあらわれる、悲惨な体験をした広島の被爆体験者たちである。彼らに対しての祈るような描写と思いいれは、多くの読者に、大江が純粋に広島の被爆の世界を描こうとしているのだ、と一読して感じさせそうになる。

 だが、『ヒロシマ・ノート』の中の、次のような実にいかがわしい表現を見逃すべきではない。

 中国の核実験にあたって、それを、革命後、自力更生の歩みをつづけてきた中国の発展の頂点とみなし、核爆弾を、新しい誇りにみちた中国人のシムボルとみなす考え方がおこなわれている。僕もまたその観察と理論づけに組する(原文ママ)。しかし、同時にそれはヒロシマを生き延びつづけているわれわれ日本人の名において、中国をふくむ、現在と将来の核兵器保有国すべてに、否定的シムボルとしての、広島の原爆を提示する態度、すなわち原爆後二十年の新しい日本人のナショナリズムの態度の確立を、緊急に必要とさせるものであろう。したがって広島の正統的な人間は、そのまま僕にとって、日本の新しいナショナリズムのシムボルをあらわすものなのである。    

 この文章は、前半と後半で、まったく内容矛盾を来たしている。当時の中国は文化大革命のもっともひどい時期にさしかかっており、左派ジャーナリズムの偽宣伝が横行していたとしても、中国で何か重大な異常事態が進行しているらしいという情報は、大江にももたらされていたはずである。しかしその可能性を全く切り捨て、のみならず、核兵器保有を、「新しい中国人のシムボル」とみなす「観察と理論付け」に与する、と大江はいう。そして後半部分になると、同じ核兵器であっても、広島における核兵器の使用はマイナスであったということを、核保有国に対して主張し、新しい日本のナショナリズムとして主張しなければならない、というのである。

 広島の被爆ナショナリズムのセンチメンタルな主張の貫徹のためには、単に、核保有国の中国を非難するか、文章上、あえて無視すればいいはずである。しかしあえてなぜこのようなくだりを付け加えるのか、といえば、大江は欲張って、「ヒロシマ」という真実に、もう一つ、「アジアの共感」という真実を盛り付けようとしているのである。真実は一つであればいいはずであるが、幾重にも「いい子」であろうとする大江は決して一つの真実では満足しないのである。
 
 言い換えれば、中国という「選ばれた読者」を想定して、彼は、「広島への祈り」をあえて修正してしまったのだ。このことは「個人的な体験」の私家版の作成とまったく同じ精神的地点より生じている。編集者・批評家だった「選ばれた読者」が、「選ばれた民衆」となって、「ヒロシマ」に、そして「中国」に姿を変えて、江藤がいう「自分に味方する 世界」をつくりあげてしまっているのであるといわなければならないであろう。

 

 この『ヒロシマ・ノート』のしばらく後、『万延元年のフットボール』のさらに後にかかれた『沖縄ノート』では、大江の世界のメカニズムはさらに露骨な形をとる。(続く)

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大江健三郎のいかがわしさ

2008-11-05 07:24:30 | 大江健三郎のいかがわしさ

 

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♪義理と人情を秤にかけりゃ 義理が重たい 男の世界♪

・・・と高倉健は唄った。

人権と表現の自由を秤にかけた、大阪高裁の小田裁判長は、

「表現の自由」が重いと裁決した!

                                              *

人権配慮にかまびすしい昨今のマスコミ世論の中で、大阪高裁の判決は人権尊重には後ろ向きともとれる判決である。

裁判長が、人権より表現の自由に重きをおいたた理由は、原告と被告の社会的バックボーンにある。

人権を主張した原告の一人は高齢の元軍人である。

一方、表現の自由を主張する被告は、戦後民主主義を代表する大手出版社とノーベル賞作家。 

表現の自由を主張する被告が、そのものずばりの表現・言論の自由を体現する出版社と作家であれば、

裁判長の秤の目盛りが被告側に傾くのも、むべなるかなである。

更に原告の元軍人はかなりのご高齢。

裁判長の判断に、

「被告の表現の自由を守るためには、高齢の元軍人に少しぐらいの人権侵害はあっても、老い先短いのだから我慢せよ!」

といった驕りが潜んではいなかったか。

被告側から「判決の何処にそんなことが書かれてあるか!」と横やり飛んで来そうだが、

判決文には、こう書かれている。

仮に後から出た資料で誤りとみなされる主張も、言論のばにおいて無価値なものとはいえない。 これに対する寛容さこそが、自由な言論の発展を保障するものである

間違った主張でも寛容になれ、つまり「我慢せよ」と書いてあるではないか。

確かに「老い先短いのだから」とは書かれてない。

だが小田裁判長の心の中で、「被告のノーベル賞の重さと原告の短い老い先」が、天秤に掛かっていなかったと誰が否定できよう。

筆者は文系分野のノーベル賞(平和、文学、経済)なんていかがわしいものだと考えている。

そのいかがわしい見本がノーベル文学賞作家大江健三郎である。 
 

以下は、大江健三郎のいかがわしさについて

過去記事より一部抜粋・加筆して再掲する。
 
                    ◆


<論破され 「誤読」で逃げる 大作家> 詠み人知らず

幻の誤字騒動で狂喜乱舞する人は失笑で済むが、

自著の矛盾を突かれ、それは誤読だとシラを切るノーベル賞作家には驚かされる。

法廷で自著には書かれていない屁理屈をを問いつめられた大江は、これを誤読とだと言い逃れた。

(問い)-陳述書で「装燈された時限爆弾としての命令」としているが、「沖縄ノート」には書いていない。

(大江)「1970年にこの本を出版して現在まで37年がたつが、私は沖縄の問題についてかなり多くの文章を書いたし、新聞にも連載したことがある。大きな新聞で書く以上、責任をもってやってきた。根本的に誤読があるなら、曽野綾子さんに訂正を求める文章を書こうと思う

自分に都合の悪い事はなんでも誤読で逃げられると思っているのだろうか

更には、日本人には馴染みのないラテン語の辞書の、それも二番目の意味を取り出して、自分の書いた奇妙な単語の意味だと屁理屈をこね回す姿には、この人物の常識さえ疑ってしまう。

彼にとっての常識とは、戦争は絶対悪であり、軍隊のやることはすべて悪という絶対平和主義であり、全てはこの基準で測られる。

だが同じ軍隊でも沖縄では「鬼の赤松」を創り上げ、日本軍を糾弾した大江氏が、なぜか広島や長崎に原爆を投下した米軍を糾弾することはない。

大江氏の常識とは所詮この程度の少女趣味の常識であり、戦後GHQの「三年殺し」で去勢された常識でもある。

彼を左翼勢力と呼ぶのは、ある意味で大きな見当違いである。

ヨーロッパ先進国の左翼は自分の国家に帰属意識を持った上での左翼であるが、

日本という国家に帰属意識を持たない大江氏のよりどころにするのは、憲法第9条に代表されるユートピア的国際主義であり、連合赤軍の世界同時革命にも通じる。

自分が生まれ育った日本国へ憎悪をむき出しにする大江氏には、

反日勢力という呼び名が相応しい。 

自国の文化勲章受賞は拒否しておきながら、スウェーデン王立のスウェーデン・アカデミーが選定するノーベル賞には嬉々として尻尾を振る。

ここに、このノーベル賞作家の精神的幼児性がある。

社会主義が健在だった時代には、こういうユートピア的国際主義も一定の説得力を持ちえただろう。

だが、ベルリンの壁が崩壊し、そして大江氏が地上の楽園と憧れた北朝鮮もその恥部を世界中に暴露されてしまった今、もはや彼の帰属希望の共同体(地上の楽園)はこの地上には無い。

大江氏は、青い鳥を求めて彷徨う幼児にも劣る。

             

(中略)

後だしジャンケン■

後だしジャンケンとは、相手が出したタイミングに一瞬のタイムラグを設けて、相手の手を読みそれに勝つ卑劣な手段のことをいう。

『母の遺したもの』の著者宮城晴美氏は、自著が「集団自決裁判」の原告側の証拠として提出され、

「梅沢隊長が軍命を出した」という被告側の主張が否定されると

、「一ヶ月前に立場を変えた」として自著を改定し『新版 母の遺したもの』を出版した。

筆者はこれを後出しジャンケンだと批判した。

「集団自決」 宮城晴美氏が新版で「後出しジャンケン」

■大江健三郎の屁理屈ジャンケン■

大江健三郎氏は、宮城晴美氏が批判に動揺して後だしジャンケンを出したような、分かり易い手法は取らなかった。

一旦出した自分の手はそのままにして、それを屁理屈で煙に巻いて、勝を主張するというから、さすがはノーベル賞作家。

「屁理屈ジャンケン」とは、負けた場合でも、負けを認めず屁理屈で勝を主張する破廉恥な手段のこと。

例を挙げよう。

チョキをだしたのに相手がグーなら普通は負け。

だが、「屁理屈ジャンケン」はこれからが勝負。

「私はパーを出したつもりだ」

「この指をチョキと見るのは君の誤読だ」

「私は指は5本伸ばしパーのつもりで出した」

大江健三郎氏は証言台でcorpus delictiなる一般読者には聞きなれない言葉まで引っ張り出して、

「罪の巨塊とは死体である」と、まともな人間なら赤面するような屁理屈を披露した。

法廷で証言台に立った後の11月20日の朝日新聞朝刊で、大江氏は「『罪の巨塊』に込めた思い」と題する更なる「屁理屈」を加えた。

 ≪私は渡嘉敷島の山中に転がった三百二十九の死体、とは書きたくありませんでした。受験生の時、緑色のペンギン・ブックスで英語の勉強をした私は、「死体なき殺人」という種の小説で、他殺死体を指すcorpus delictiという単語を覚えました。もとのラテン語では、corpusが身体、有形物、delictiが罪の、です。私は、そのまま罪の塊という日本語にし、それも巨きい数という意味で、罪の巨塊としました。≫

一般の読者は、著者、それもノーベル賞作家自らの解説を聞く幸運には遭遇しない。

だが例え聞いても理解できる人は少ない。

ならばと今度は紙面で、その「屁理屈」に上塗りの解説、

と念を入れたのが上記の朝日記事だ。

 

問題の箇所を『沖縄ノート』より抜粋するとこうなる。

《慶良間の集団自決の責任者も、そのような自己欺瞞と他者への瞞着の試みを、たえずくりかえしてきたことであろう。人間としてそれつぐなうには、あまりにも巨きい罪の巨塊のまえで、かれはなんとか正気で生き伸びたいとねがう。かれは、しだいに希薄化する記憶、ゆがめられる記憶にたすけられて罪を相対化する。つづいてかれは自己弁護の余地をこじあけるために、過去の事実の改変に力をつくす。》

一般の読者に上記文で国語の問題を出したら、「罪の巨塊」が「死体」(他殺体)のことだ理解できる人が果たして何人いるか。

ちなみに辞書を引くとcorpus de・lic・ti は次のような二つの意味がある。

犯罪の事実[主体];

②(他殺)死体.⇒corpus  [さらに]

大江氏は、敢て二番目の意味の死体(他殺体)を訳語に当てたという。

よくもこんな屁理屈がいえるものだ。

『沖縄ノート』が出版されてから30年以上経って初めて、こういう「新解釈」が出てくる・・・しかも法廷の証言台で!

これを称して「大江の屁理屈ジャンケン」という。

いろんなブログが大江氏の屁理屈を「詭弁」、或いは「変な説明」として批判しているが日々是好日さんが「大江氏による「罪の巨塊」の変な説明 」で詳細に検証しているのでご覧下さい。 ノーベル賞作家も形無しです。

他にも大江氏の「屁理屈ジャンケン」を批判するブログの紹介。

大江健三郎という「嘘の巨塊」

 

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秋葉原殺人鬼と大江健三郎の思考回路 死者を冒涜する河野洋平

2008-06-24 08:03:33 | 大江健三郎のいかがわしさ

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昨日の慰霊の日追悼式典のテレビ中継を見ていたら、参列の福田首相の隣に河野洋平衆議院議長が居眠りしながら(そう見えた)着席していた。

行政府の代表として首相が参列するのだから、立法府を代表して河野議長が参列するのも良しとしよう。 式典中はゆっくり居眠りでもしてとっとと帰ってくれればよいと軽く考えていたのだが・・・。

今朝の琉球新報を見て驚いた。 

河野議長、あの後、よせばいいのに挨拶をしていたというのだ。

いや、挨拶するくらいはまだ良い。

何と、二日後に控えた「集団自決訴訟」控訴審の被告側を援護射撃する発言をしていたのだ。

被告を応援する左翼集団がスローガンにしている合言葉が、「軍隊は住民を守らない」。

この左翼スローガンを河野議長は、多くの日本兵の御霊も祭られている「慰霊祭追悼式」の挨拶で言ったというから,開いた口がふさがらない。

この一言が、前日63年ぶりに収拾された日本兵の遺骨の御霊をどれだけ貶めたかことになるか。

これでは慰霊祭ではなく魂魄冒涜の式典ではないか。

左翼集団が自己のイデオロギー実現のため、このスローガンを叫ぶのはこの際よしとしよう。

だが、かつて自民党の総裁を勤め、立法府の代表という要職にあるものが、いかに主義主張がそうであっても、発言はTPO考えるべきであろう。

空気を読めない河野議長のためにあえてTPОを解説しよう。

T⇒日本兵も含む戦没者の慰霊祭の日。

P⇒麻文仁の丘の慰霊祭式典場。

O⇒「軍名の有無」が焦点の「裁判直前」(25日)

とにかく、琉球新報の朝刊より、「河野氏あいさつ(要旨)を引用しておこう。

わたしたちは軍が沖縄の住民の安全を第一に考えていたわけではないという疑念から目をそらしてはならない。 米軍基地の移転、縮小問題は十分な成果を挙げるには遠い状況にある。 東アジアに平和な環境をつくり、少なくとも今のような大規模な米軍の駐留を不必要とすることを目指すべきだ。 かつて沖縄の知事が(本土の人々の考えが変われば沖縄の問題は解決する」と述べた。 国政にかかわるものはいつまでも沖縄の寛容な精神に甘えることは許されない。 ケネディ大統領が、ベルリンで「私は一人のベルリン市民である」とししベルリン市民に呼びかけたように、わたしはすべての国会議員に「ワンネーウチナンチュヤイビーン(私は沖縄県民だ)」との心でこの問題に向き合ってほしい。

衆議院議長 河野洋平

                    ◇

軍が沖縄の住民の安全を第一に考えていたわけではない

これこそ左翼のスローガンの「軍隊は住民を守らない」そのものではないか。

圧倒的物量で「鉄の暴風」を吹きまくる米軍に対し、装備といえば銃弾もろくにない銃のみの日本兵が、

「住民の安全を第一に考える」ほどの余裕がなかったことは戦史をたどれば容易に想像はできる。

つまり雨あられと降り注ぐ艦砲射撃に晒されて、自分の命を守るのさえままならず、住民の安全に配慮する術を持たなかった部分もあっただろう。

しかし、河野議長よ、

いかに自己の主義主張とはいえ、あの時、あの場所で、英霊を冒涜する発言をしなくとも良いのではないか。

あなたが日本人なら。

                                                ◆     

                                     

秋葉原殺人鬼と大江健三郎の思考回路■


秋葉原の無差別殺傷事件で、容疑者が派遣社員だったことを理由に犯人を擁護する論がある。

「格差社会」の犠牲者だとか、利益追求に走る雇用先の責任だとか,あげくのはては「小泉改革」に遠因があると言い出すエセ評論家まで出てくる始末。

筆者者には、殺人鬼の心の内に立ち入って、犯行に至った心の闇を分析し講釈する素養もないし、またそんな趣味もない。

17人もの人間をトラックで轢いたり、ナイフで刺し殺したりした殺人鬼を理解できる(理解できると思っている)人は、屁理屈を飯の種にしている人々だけであろう。 

犯人も供述を始めたようだが、犯行予定をネットに書き込んであり、

誰か止めてくれれば良かったのに」というような文言が気にかかった。

派遣社員だろうが正社員だろうが、人間が集まるところには摩擦はつき物。

そのための悩みは、大なり小なり誰でも持っていて当たり前のこと。

その悩みが、一気に大量無差別殺人に飛躍する論理を、誰に理解せよと言うのだ。

それを、この犯人、「誰か止めてくれれば良かったのになんて、どこまで己の行為を責任転化すれば気が済むと言うのか。

このような卑劣な人間の「犯行に至る社会的背景」なんてどうでも良い。

弁護がましい屁理屈をこねている評論家先生方よ、

この人間のクズは、社会や家族からの疎外感を無差別殺傷で「うっぷん晴らし」したというが、

うっぷん晴らしの殺人も、社会の責任だというのか。

  「うっぷん一気に崩れた」 秋葉原事件の容疑者 [共同通信]
[ 06月21日 18時16分 ]
 東京・秋葉原の無差別殺傷事件で、殺人の疑いで再逮捕された派遣社員加藤智大容疑者(25)が、警視庁の調べに、事件3日前の5日早朝に職場で起きたトラブルで「たまっていたうっぷんが一気に崩れた」と供述していることが21日、分かった。警視庁は、社会や家族からの疎外感をうっせきさせていた加藤容疑者が、トラブルを機に自暴自棄となり、無差別殺傷を決意したとみている。

 うっぷん晴らしの無差別殺人では、

世の中の人間はみな殺人鬼になってしまう。

もし逮捕されたら、次のようにほざけば良い。

「誰か止めてくれれば良かったのに」と。

「私の殺人には『会社が関与』している」

「会社は『社会に関与』している」

だから「社会が悪いのだ」・・・とも。

そして「社会が悪い」とほざく甘ったれた模倣犯が次々出てくる。

大阪駅通り魔事件、背後から切りつけか [23日06:57]
 JR大阪駅(大阪市北区)の大阪環状線ホームで22日、女性3人が相次いで刃物のようなもので左腕を切りつけられた。大阪府警捜査1課は連続通り魔事件とみて、傷害容疑で曽根崎署に捜査本部を設置。防犯ビデオにはつばの広い黒い帽子、大きな玉の白いネックレス、ロングヘアの30歳代の不審な女が写っていた。捜査本部はビデオ画像を公開し、行方を追っている。混雑する日曜の駅での凶行に居合わせた乗客は、東京・秋葉原の無差別殺傷事件を思い起こした

こんなのも次々出てくる。
爆破、殺害予告で毎日検挙者 捕まるのになぜやってしまうのか                

 

                  ◆

殺人鬼が「誰か止めてくれれば良かったのに」と責任転嫁するのは、人間のクズの戯言だと言えばそれで済むが、

同じような論理を研究者とか学者といった「識者」の面々が、大真面目な顔で主張するから呆れかえる。

突然話は変わる。

63年前の3月25日の夜、場所は座間味島の軍基地の前。

島の周囲を米軍に取り囲まれ、激しい艦砲射撃で逃げ場を失い、

パニックに陥った住民を代表して村の助役らリーダーが軍基地の梅沢隊長をを訪ね、自決ののための爆弾を要求する。
 
この場面に立ち会った宮城初枝さんは手記で、梅澤氏が「今晩は一応お帰りください」とだけ発言したことになっている。そのため初枝さんの娘、宮城晴美氏や林博史・関東学院大学教授、沖縄戦研究家の大城将保氏、大江健三郎氏は、梅澤氏が「自決するな」と厳しく命じなかったことを非難。大江氏に至っては、「自決するな」と命じなかったことが隊長の「自決命令」に当たるという強引な解釈を昨年十一月九日、法廷で披露した。

 また宮城氏は昨年七月二十七日の証人尋問で、これまでの取材の中で誰かから「死なないで」と言われたために自決を思いとどまったケースがたくさんあると述べ、連隊長だった梅澤氏が「死なないで」という一言を発していれば「住民は救われたというふうに私は考えております」と発言している。(世界日報 平成20年3月3日)>

                     ◇

何と大江健三郎氏をはじめとする被告側の学者・識者の面々は、恥知らずにも、「秋葉原の殺人鬼」と同じ理屈で、責任転嫁を図っているのである。

被告側は、「自決するな」と言わなかった梅沢隊長の不作為を「自決命令」だったと主張し、強引な屁理屈を並べたてる。

これではネットで殺人鬼を擁護するエセ評論家と同じ思考回路ではないか。 

「誰か止めてくれれば良かったのに」と。



 

大江健三郎は、もう死んでいる思う方、

そして河野議長に、寝言は居眠り中に言え、

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大江よ。お前はもう死んでいる 独断と推論の判決・最終章

2008-06-15 08:56:26 | 大江健三郎のいかがわしさ

 

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「集団自決訴訟」の原告側弁護団の徳永弁護士の講演会の報告、

①「独断と推論の判決 大江健三郎の世迷い言

独断と推論の判決② 真実相当性

の続編です。

                      *

「集団自決」の控訴審を直前にして、地裁判決の内容をクドクド繰り返すより、控訴審に向けての対策の方が先決ではないか、といった意見を友人・知人から頂いた。

元々この裁判は60数年前の出来事を、その当時の「体験者の証言」、或いは「体験者からの聞き取り」を証拠として争う裁判の性質からいって、今後客観的検証に耐える新しい証言者の出現は期待が薄い。

してみると、控訴審の論議のポイントは地裁で議論しその結果下された判決内容を吟味、論議をするのが争点となる。

人間の記憶とは危ういもので、地裁の論議を追ってきたつもりの当日記だが、そこは素人の悲しさで、ちょっとブランクを置くと記憶が曖昧になりがちである。

その意味で、先日の徳永弁護士の講演会は知識の整理としても絶好の機会と思い、内容をクドクドエントリーしている次第。

今しばらくお付き合い下さい。

■「軍の関与」から「隊長命令を推認する」⇒裁判長の論理飛躍■

裁判長が、誤診相当性の根拠にした大きな理由が「文科省の立場」に次いで、「軍の関与」である、というから驚きだ。

そもそも「軍の関与」という極めて恣意的な文言を、判決の根拠にすること自体がおかしいとはおもうのだが、それはさて置き、

原告弁護団は、「軍の関与」は認めており、これで争う気はないという。

自決に用いられた手榴弾は軍用品であり、島民が米兵の攻撃に晒されたのは、駐留していた軍隊の存在とは無関係ではない、というのが原告側が「軍の関与」を是認する根拠である。

ということは、「軍の関与」に関する限り、原告は被告と同じ立場だということになる。

そこでで、原告が主張するには「軍の関与」と「隊長命令」との峻別である。

この点で、原告側は「文科省の検定意見」を味方に付けて論じている。

文科省の検定意見は、「軍の関与は集団自決の主たる原因である」と認めているが、それにも拘わらず、「軍命は証明されていない」とし、これを事実として記述することは認めなかった。 

「軍の関与」という広範囲且、極めて曖昧な言葉から、「隊長命令」という限定的行為を直線的に推認する。 更に、この極めて曖昧な「推認」を根拠に、「隊長命令を信じる相当な根拠」とした深見裁判長の判決。

この地裁判決の論理的破綻を控訴審で立証するのは容易だと思うのだが。

■判決の論理破綻を示す数々のエピソード■

元々この裁判は証拠としては当時の証言に頼る以外に論証のしようのない特殊な裁判である。

従って証拠として提出された証言を記した文献にあるエピソードは重要な意味を持つ。

①木崎軍曹の宮城初枝氏に対する「善意」

宮城初枝氏は、米軍上陸にあたり、親しくしていた木崎軍曹から「万一のときは、これで潔く自決しなさい」として手榴弾を渡され、数人の女子成年団員とともに自決を試みたが不発弾のため果たせなかった。 

初枝氏らはその後部隊と合流するが、木崎軍曹の上官である内藤中尉や梅澤隊長は、

「死んだのではないかと心配したが無事でよかったと喜んだことが記録されている。 

隊長が自決を命じ、これを強制したのであれば、初枝氏らの身を案じ、無事を喜ぶことはあるまい。

木崎軍曹が初枝氏に手榴弾を手渡したことを「軍の関与」とするなら、自分が世話になった村の娘さんが、米兵の陵辱にあった上で惨殺されるのを気づかって、「潔くこれで死になさい」と手榴弾を渡したことは木崎軍曹の善意だったとは考えられないのか。

ちなみに木崎軍曹は宮城初枝宅に分宿しており、一つ屋根の下で暮らした間柄である。

若い二人の間に「善意」があったとしても何ら不思議ではない。

②集団自決によって負傷した住民に赤松隊の救護班が派遣された事実⇒『ある神話の背景』

③金城重明氏が赤松隊長に怪我の手当て場所の指示を受けた事実。⇒金城証言調書

④死期の近いことを悟った長谷川少尉が傍にいた藤田上等兵と山下伍長に手元の刀を手渡し、「自分はもうだめだから、この日本刀で刺し殺してくれ。 それから、この娘たちはちゃんと親元へ届けてやって欲しい。」⇒『潮だまりに魚たち』(宮里郁江)

⑤忠魂碑前から解散後、怪我をして薬を求めてきたハル子に対し、日本兵が「薬はない。 雨に濡れたようだけど、危ないよ。 軍の中にも、それがもとで、破傷風で死んだものがいるから、気をつけなさい。 こんな怪我をしているのに生きているなんて、あなたは神様みたいなんだね。」⇒『潮だまりの魚たち』(渡慶次ハル子)

⑥忠魂碑前から解散後、「日本兵から『すぐに敵兵はすぐ近くまで来ていて、危険だから、島の裏海岸を通った方が安全ですよ』と親切に指示をしてくれた」「途中で、本部に米を届ける日本兵に遭遇し、少し分けてくれないかと頼むと、主任の山元上等兵に、『分かりました。 しかし、私たちも必死の覚悟で行くのですから、生きて戻れるなら、あげましょう』」⇒『潮だまりの魚たち』(宮里トメ)

 

これらの証言エピソードの中から出てくる住民に対する「軍の関与」は、住民に冷酷に自決命令をだしたり、それを強制するといった「悪意の関与」ではなく、軍の住民に対する「善意の関与」しか汲み取ることは出来ない。

深見裁判長が、上記エピソードにも見られるような「軍の関与」という極めて曖昧な概念を根拠に「隊長命令を推認する」という判決は既にそれ自体が破綻している。

更に、判決では、「嘘の暴風」と揶揄される『鉄の暴風』に史料価値を認め、

その一方で、曽野綾子著『ある神話の背景』や宮城晴美著『母の遺したもの』の証拠価値を限定し、照屋証言や知念証言を偏見をもって眺め、破綻した金城重明証言、富山眞順証言、吉川勇助証言の信用性には一切触れることがない。 

裁判長のその証拠評価における偏向には目に余るものがある。

多面的意味を持つ「軍の関与」をもって隊長命令の論拠とする論理飛躍には、深見裁判長の思想偏向を疑われても不思議ではない。

■進歩的知識人の黄昏ー青ざめる大江健三郎■

徳永弁護士は、地裁判決後の大江健三郎氏のコメントをテレビで見て驚いたという。

「私の書いた『沖縄ノート』を裁判官が正しく評価してくださったことに感銘を受けています」と大江氏は語っている。

彼が判決を読まないで記者会見に臨んだのは明らかだった。 なぜなら、判決は大江氏が主張したテクスト無視の数々のまやかしについては、これを論破した原告側の主張を認め、いずれもきっぱりと退けていたからだ。 

偏向著しい深見裁判長も、さすがに、このノーベル賞作家の呆れたまやかしまでは擁護し切れなかったのだ。

そう、裁判長は大江氏の詭弁は法廷でことごとく退けていながら、判決では論理の大飛躍の「推論」で誤魔化し、被告勝訴にしたのである。

大江氏の詭弁は控訴審では既に死んでおり、判決は勝訴でも大江氏自身は既に控訴審では死に体である。

実は徳永弁護士の講演会のサブタイトルは、

大江よ。 おまえはもう死んでいる

であった。

沖縄には酔った勢いで、「3秒で殺せる 」と言って逮捕されたマヌケな男がいるが、今から3秒後に「殺せる」のではなく、

既に「もう死んでいる」ノーベル賞作家では、警察も手が出せないだろう(笑)。

 

しょせん大江ケンザブロウは、ケンシロウの敵ではない!

大江健三郎よ。 もうおまえは死んでいる、と思う方

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■「名誉毀損が成立しない要件」■❹独断と推論の判決② 真実相当性

2008-06-13 06:15:37 | 大江健三郎のいかがわしさ

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「集団自決訴訟」の原告側弁護団の徳永弁護士の講演会の報告、

独断と推論の判決 大江健三郎の世迷い言」の続編です。

                    *

 前回のエントリーで説明しかけ、そのままにしてある「真実相当性」について説明したい。

「集団自決訴訟」は基本的には名誉毀損を問う裁判であり、法律で言う名誉毀損は最高裁でルールがあるという。

つまり判例があるということ。

それによると、「名誉毀損ではあっても、真実であれば違法性はない」ということ。

これだけで済めばことは簡単だが、「この真実である」という一見簡単なフレーズで論争しているのが今回の裁判。

まず、一般的に名誉毀損が成立する要件、・・・

というより、次の要件を充たせば名誉毀損は成立しないという、「名誉毀損の成立阻却要件」を復習しておこう。

ちなみに阻却(そきゃく)という、普段聞きなれない言葉を、辞書で引くと、「さまたげること。妨害してしりぞけること」とある。

解り易く言えば、

■「名誉毀損が成立しない要件」■

以下の名誉毀損の成立阻却要件に準じたものである場合には、その責任は問われない。

①(公共性)
公共の利害に関する事実に係ること

②(公益性)
その目的が公益を図ることにある

③(真実性)
事実の真否を判断し、真実であることの証明がある

被告側(大江、岩波)は公共性、公益性は当然主張する要件であるから、問題は、③の「真実性」が裁判の大きな争点となった。

ところがである。

問題の「真実性」については必ずしも真実である必要は無く、

ある事実を真実と誤認するに相当の理由が認められる場合であれば、真実性が無いという理由で、責任を問われる事は無いというのだ。

最高裁判例は言う。

「真実性立証に失敗した場合であっても、表現時の事情に照らし、真実だと誤診したことにつき、相当な理由(「間違いだが、仕方がない」と言える事情)があれば、故意・過失を阻却するとして免責されるのである(昭和41年最高裁判決)。

うーん、これが「真実相当性」の説明だだと言われても・・・、分かる人は分かるが、分からん人には難しい(当たり前だが)

「真実相当性」とは、真実ではないが、真実と勘違いしても仕方がないので、問題の表現(今回の裁判では『沖縄ノート』の文章)は責任を免れる、・・・ということになる。

深見裁判長は、この「真実相当性」或いは「誤信相当性」を使って、被告・大江と岩波の名誉毀損の責任を問わないとして、被告勝訴の判決を出したわけである。

前回も記したが、もう一度、裁判長の判決を解り易く?書いた文を引用する。

「部隊長の自決命令があったと断定するのには躊躇を覚える。 自決命令がなかったと断定することも出来ない。 しかし、軍の深い関与はあった。 軍の関与から自決命令があったことが強く推認することが出来る。 だから自決命令による集団自決が発生したと信じても止むを得ない」(原告弁護団長・松本勝一弁護士の解説文)

 

■驕れる岩波の自縄自縛ー『沖縄ノート』増刷の愚ー■

大江・岩波の名誉毀損行為を免責にした、「真実(誤信)相当性」の判断は、

皮肉なことに、その後の出版継続の足枷となる。

真実の証明がないとの判断は、違法性の宣告と同じであり、従って、大阪地裁の判決後の出版は、違法と知りながら出版したことになる。

もはや、「勘違いしても仕方がなかった」と言い訳できないと言うことになる。

事実はどうなっているのか。

愚かなことに、『沖縄ノート』は、判決後も続々と増刷されており、5月7日で59刷が確認されている。

被告側が判決を正しいと受け入れるなら、判決と同時に『沖縄ノート』は出版停止にすべきであった。

ところをが『勝訴で出版停止』ではノーベル賞作家と天下の岩波の面目が立たないと思ったのか、判決後の増刷という自縄自縛の自殺行為に及んでいる。

大江・岩波が控訴審で勝つには、次の二点実行しかない。

①改めて隊長命令の真実性を立証しなければならない。

判決後の増刷という愚挙を行ったお陰で、被告側は自ら「隊長命令の真実性」を立証する必要に迫られることになる。

皮肉にも、勝訴した大江側が、挙証責任を負うという状況に追い込まれたのだ。

②大江健三郎が『沖縄ノート』を書き直さねばならぬ。

隊長命令があったことを事実摘示することを改め、それが大江の意見や推論に過ぎないことを読者に分かり書き直すことになる。

これは、大江・岩波にとっては面目丸つぶれで、事実上の敗北宣言になる。

■「文部省の立場」⇒「隊長命令は証明されていない」■

日本は三権分立の国であり、司法は独立している、と素人は考えるのだが・・・。

実際は、必ずしもそうではないらしい。

地裁判決が、被告側の「隊長命令を記述した部分」を、誤信相当性、つまり、「勘違いだが、仕方がない」として免責した最大の根拠は、教科書県定意見に表れた「文部省の立場」なるものだった。

つまり三権分立の司法判決が、行政機関である文科省の意見に左右されたのだ。

ところが、裁判所が判断の拠り所にした文科省の意見自体を事実誤認しているというから話は複雑だ。

判決では、平成17年度の教科書検定までは、「集団自決が軍命によるものであった」ということは通説であり、教科書の記載についても容認され、軍命の記述を否定した平成18年度の検定意見についても、その後の政治運動により不動的となり、高等弁論終結時の12月21日には、未だ固まっていない、とした。

ところが、これは明白な間違いである。 

そもそも、平成17年度の検定時点において軍命説が通説であるわけが無い。

裁判中数々の論議で軍命説は論破されており、深見裁判長自身が「部隊長の自決命令があったと断定するのには躊躇を覚える。 自決命令がなかったと断定することも出来ない」と判決で述べているではないか。

また、口頭弁論終結時(12月21日)において平成18年度の検定意見が固まっていないとした点も明白な誤りだ。

①平成18年3月31日公表の文科省検定意見
⇒「軍の命令や強制という記述は認めない」。

②沖縄メディアを中心の政治運動⇒「2・29 “11万人”集会」
⇒「世論」に動揺して、検定済の教科書の訂正申請を受け付ける。

③12月18日の各紙報道⇒「隊長命令は証明されていない。 軍命ないし軍による強制の記述は認めない」(教科書小委員会の結論)

マスコミ報道に煽られて「軍命の存否」は一見揺れ動いているように思えたが文科省の立場は「証明されていない」で一貫しており、揺れ動くことは無かった。

マスコミに扇動され揺れ動いたのは、他ならぬ深見裁判長その人だった。

■12月26日・訂正申請に対する検定意見」■

口頭弁論終結日の12月21日から5日後というまことに微妙な日の12月26日。

その日に公表された検定結果は、軍の関与に関する訂正は認めながらも、軍命及び軍による強制の記述は認めないという従前の基本姿勢を堅持するものであった。

少なくとも、検定問題が決着した12月26日以後は、「軍命は証明されていない」という文科省の立場は、周知の事実となった。

従って、その後に増刷された『沖縄ノート』における隊長命令を事実とする記述やこれを前提事実とする個人攻撃の記述は、真実性はもとより、真実相当性もないということになる。(続く)

 

「付記」控訴審(6月25日)を目前に控えて、被告側得意の「場外乱闘」はもう始まっている。

高校生を巻き込んで。⇒歌や絵本で沖縄戦継承 証言者減少で表...(2008.6.10) 

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