「全くレベルが違った」。
高校野球で九州屈指の名門高校・熊本工業の狩場隆明主将の敗戦の弁である。
相手勝者に完全に脱帽したのは狩場主将だけではなかった。
九州と云うより全国にその名を知られ、打撃の神様・川上哲治の母校でもある熊本工業・林幸義監督もプライドをかなぐり捨てていた。
「パワーが違った。 どういう筋トレをしているか、教えてほしい」。
「大嶺投手はすごい投手」。
高校野球では敗戦後相手勝者を褒め称えるコメントを述べるのが恒例だが、今回の監督と主将の発言は相手の賞賛を通り越して、相手の強さに完全に度肝を抜かれているのが良く判る。
ところで、「それは一体いつの試合で相手は何所の高校か」って?
九州・沖縄以外の読者がいたらきっとそう聞き返すだろう。
順序が後先になったが、取り敢えずその試合の模様を紹介しておこう。
◆琉球新報 (4/28 16:31)
八重山商工が初優勝 春季九州高校野球
高校野球の春季九州大会(第118回九州大会)第5日は28日、熊本市の藤崎台県営野球場で正午から決勝が行われ、県代表の八重山商工は17―2で熊本工を下し、九州大会初優勝を果たした。
先発は先攻の八重山商工が大嶺、熊本工が前田。八重山商工は一回表、無死満塁から暴投で先制した後、無死二、三塁から4番羽地の3点本塁打が飛び出し、この回4点を奪った。
先発大嶺は初回、走者を許したものの、後続を3者三振に抑え、六回までに11三振を奪った。
八重山商工は、三回にも大嶺の2点本塁打と相手エラーで3点、五回にも2点を加えた。四回裏に1点を返されたものの、10―1と大きくリードを奪い、優位に試合を進めた。
試合翌日29日、つまり昨日の琉球新報はスポーツ欄の紙面一面を全部使ってこの快挙を再報道している。
それならば、もうそれで充分だとも考えたが、わが狼魔人日記にも記録に留めるべきと思い地元新聞記事を中心に取り上げることにた。
まだ記憶に新しい春のセンバツでの活躍や今回の九州大会での快挙。
八重山商工の活躍は、一定以上の世代にとっては、
「今昔の感ひとしきり」であろう。
米軍占領下の沖縄で初めて甲子園の土を踏んだ首里高校の話、持ち帰った甲子園の土を「入域検疫」で海上に投棄した話などはもう伝説上の話になってしまっている。
「沖縄代表高校と戦うのはいやだ」・・嘗ては弱い沖縄チームに同情の大応援があるからだ、といわれた。
今では強くて憎たらしい沖縄代表と対戦するのはいやだ、と言われるまで時代は変わった。
その間の流れを野球弱小県・山形出身の熱心な「高校野球の沖縄ファン」が熱っぽく綴った文がある。
その文中の「・・他チームを圧倒する強豪・沖縄水産・・憎らしいとさえ思っていた沖縄のチーム・・」と言った表現があるが、これも今では決して誇大表現では無い。
≪・・・私は出身が野球弱小県・山形です。野球のルールを覚えた頃から高校野球は見ていましたが、ご存知の通り山形県勢はもう「出ると負け」の状態です。他の東北・北海道勢もほとんど大会序盤で次々と敗れてしまうことが多く、もうどうにかならないものかと思ってました。
それで近畿とか四国とか野球レベルの高い地区のチームを逆恨みしていたようなところがあります。その中には他チームを圧倒する強豪・沖縄水産も当然のように含まれていました。
認識が変わったのは沖縄水産が二年連続準優勝を果たした頃だったでしょうか。沖縄の戦後と高校野球の歴史を知ってからです。憎らしいとさえ思っていた沖縄のチームは、かつて甲子園の土を持ち帰ることが許されなかったことを知り、一気に沖縄ファンに変わりました。・・・・≫(Baseball 野球雑文コンテンツ http://hw001.gate01.com/star-fro/okinawa.html
八重山商工の登場で沖縄の高校野球は更に大きく前進し、高校野球の沖縄ファンは地域の枠を越えて全国に広がっている。
4月4日の日付けで野球関係ブログのコメント欄で次のようなコメントを見た。
≪今大会、振り返って印象に残ったチームは優勝した横浜はもちろんですが、
清峰、岐阜城北、早実、関西、日本文理辺りの名前を個人的には挙げたいです。
ですがなんといってももう1チーム、八重山商工ですね。印象度ではナンバーワン。
離島初の甲子園ということで注目されましたが……
とんでもない、全国屈指の強豪でした!
優勝した横浜が間違いなく一番苦戦した試合です、本当にあと一歩のところまで追い詰めましたから。
九州準優勝は伊達じゃない、そういえば清峰が九州チャンピオンでしたな。
ここ最近は東高西低が続く高校野球でしたが、今年は九州勢が元気……なのか?≫
話を戻そう。
上記コメントにもある「今年は九州勢が元気……なのか?」、その元気な九州大会で準決勝では「センバツ準優勝校・清風」を相手ににコールド勝ち。
そして決勝戦の相手熊本工業に冒頭の発言をさせたのが、沖縄本島から更にはるか南に下った石垣島の八重山商工だ!・・というわけ。
話が回りくどくて書いてる本人も疲れるが、読むのに疲れるという声も偶に聞く、・・・が、その声を物ともせずに敢えて熊本工業に話を脱線する。
≪◆熊本県立熊本工業高等学校『ウィキペディア(Wikipedia)』
2005年現在でセンバツ19回、夏17回の計36回の甲子園出場を誇り、これは熊本県内の高校の中では、ダントツの甲子園出場回数となる。甲子園春夏通算勝敗は39勝36敗で、準優勝3回・ベスト4が3回。往年は「伝統の熊工打線」と言われる、・・・・
・・・これまでプロ野球界へ輩出した数は61名にも達し、 川上哲治、吉原正喜、山森雅文、伊東勤、井上真二、緒方耕一、前田智徳、塩崎真、田中秀太、荒木雅博をはじめ、数多くの名選手を生んでいる。≫
これだけの説明で熊本工業の強豪ぶり判るとと思うが、どうしても書き加えておかなければならない事があった。
沖縄の高校野球の歴史を辿ると、必ず「廃棄された甲子園の砂」が話題になる。
今でも敗退高校の選手が涙を浮かべながら甲子園の土を袋に詰め込む姿はテレビで全国に放映され甲子園大会の風物詩とさえなっている。
迂闊にも「甲子園の土」といえば首里高校との連想があり、無意識ながら首里高校が初めの方かと思っていた。
ところが「甲子園の土」を初めて持ち帰ったのは熊本工業であったのだ。
でも、驚くのはまだ早い。 それを実行したのは打撃の神様・川上哲治その人だった。
打撃の神様は高校野球ではよくあるエースで打撃の中心打者。 後の巨人に入団した時は投手として入団している。
以下同じく『ウィキペディア(Wikipedia)』からの引用。
≪甲子園の砂
敗退したチームの選手が涙を流しながら、甲子園の砂を持ち帰る姿が一つの風物詩のようになった昨今だが、実はこの砂を持ち帰る行為こそ、1937年の中京商業学校との夏の選手権大会決勝戦で敗れた熊本県立工業学校の当時のエース川上哲治が思い出にと、熊工のグラウンドに撒くために、甲子園の土を記念にポケットに入れた行為が起源と言われている。≫
われ等が八重山商工の大嶺投手もエースで打撃の中心、対熊本工業の決勝戦でもエース自らもホームランを放っている。
もう一つ蛇足を加えると、首里高校が甲子園初出場した時喫した「被奪三振13個」の不名誉な記録は八重山商工・大嶺投手が甲子園センバツ大会でシッカリ借りを返している。
以下記録のため沖縄タイムスと八重山毎日の記事を貼り付けるが、末尾に毎日新聞の「<駒大苫小牧高>野球部員飲酒で辞任の香田氏が5月監督復帰」という記事も蛇足として張り行けた。
ファンとしては強い監督の復帰は喜ばしいことだろうが、一寸待てよ。
ほとぼりが覚めたころ、メデイアが忘れた頃、ヌメッと復帰した印象で、結局本当に責任を取らされたの生徒達だけという感は否めない。
◆八重山毎日新聞 2006-04-29 | スポーツ |
猛攻で熊本工を圧倒/沖縄県人会駆けつけ応援
試合後、熊工応援団が夏大会にエール
八商工
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熊本工
【熊本】8重山勢初の九州地区大会制覇がかかった第118回九州大会決勝戦。八商工側の三塁側スタンドには八重山からの応援団をはじめ、郷友や八重山ファンなど大勢の観客が詰め掛けた。相手側の熊本工業高校は開催地の地元校とあって、学校を挙げての大応援団で一塁側スタンドを埋め尽くし、バックスクリーン側も満席になるほどの熊本県民が応援に駆けつけた。試合が始まると、八重山側の応援団は圧倒的な人数の差に負けじと太鼓や指笛で選手らに声援を送っていた。
なかでも、熊本市内の崇城大学沖縄県人会(儀保岳斗会長)は八重山出身者8人を含む会員6人がエイサー用の太鼓と指笛で応援。八商工ナインを励ました。
同会の比嘉幸宏さん(十九)は「八商工の試合をはじめて見ることができてうれしい。離島ということで大変だとは思うが、夏も頑張ってほしい」と話しながら、指笛でスタンドを盛り上げた。
具志堅大力さん(二十二)は「熊工側の応援スタンドには負けて悔しい」と話しながらも「八商工の子供たちは打撃がすごい」と攻撃のたびに太鼓を打ち鳴らしていた。
また、宮古島出身で熊本県に移り住み、約40年間にわたって熊本から沖縄県勢を応援。今大会も1回戦から全試合を見てきた前川博志さん(五九)=熊本県八王子町=は「八商工ナインは1試合ごとに強くなっている。決勝戦もリラックスしているようで、夏が楽しみだ」と話した。
決勝戦進出で急きょ、石垣から駆けつけた添石邦男校長も「優勝旗が八重山に渡る意義は大きい。高校野球はモチベーションが大切だ。夏の大会に向けてこのまま頑張ってほしい」と夏への期待を寄せる。
夢実現甲子園の会の高木健会長も「子供たちは優勝旗を八重山に持ち帰り、夏に向けた手ごたえを感じている。われわれも、夏に向けて頑張らないといけない」と述べ、夏の大会に向けた支援を呼びかけていくという。
試合終了後の閉会式までの合間には、熊工応援団が総出で「八重山商工高校ありがとう!」と八重山商工にエールを送る場面もあり、両校が夏の甲子園に向けて決意を新たにした。
◆沖縄タイムス 2006年4月29日(土) 朝刊 1・14・15面
八商工、九州初制覇/春季高校野球
第118回九州高校野球春季大会最終日は二十八日、熊本市の藤崎台県営野球場で決勝戦が行われ、八重山商工が17―2の大差で熊本工を退けて初優勝を飾った。県勢の九州大会優勝は昨年春季大会の沖縄尚学に続いて2季ぶり7度目、春は2年連続4度目。
八重山商工は一回表から打線が爆発。満塁での相手ワイルドピッチで1点を先制後、走者二、三塁で四番羽地達洋が右翼席に3点本塁打を放ち、この回4点を奪った。
三回には5番大嶺祐太の右翼席への2点本塁打などで3点を追加。八回には3番金城長靖の2点本塁打を含め、打者12人を送る猛攻で6点。計17安打で熊本工を引き離した。先発の大嶺は四回と七回にそれぞれ1点を取られたものの、14奪三振の好投で相手打線に的を絞らせなかった。
八商工ナインは同日夜、福岡から那覇空港に到着し、県高野連関係者らから祝福を受けた。友利主将は「選抜という大舞台の経験が生きてこの一週間集中力が切れなかった。再び甲子園に行くため夏まで練習するのみ」と初優勝を喜んだ。
◇ ◇ ◇
[ハイライト]
「夏」照準 着実に成長
八商工の優勝が決まった後、選手に胴上げされて伊志嶺吉盛監督の体が宙に舞った。「夏に向けて、一度は優勝を取りたかった」。監督の期待に、選手は打っては17安打の猛攻。マウンドを託されたエースの大嶺祐太は14奪三振の好投で期待に応えた。
畳み掛ける打撃で得点を積み重ねる攻めは、準決勝までと同じだった。さらに決勝では、序盤から長打で熊本工の長身エース前田に襲いかかり、攻撃の手を緩めることはなかった。走者二、三塁で打席に立った4番羽地達洋は「ストレートを打った瞬間、これは入る」。右翼席に飛び込む3ランに、選手が触発された。
「点を取っても攻撃を止めない。つぶす気持ちだった」と気合が入っていた羽地。三回に右越え本塁打の5番大嶺は「スライダーだったが、どこに飛んだか分からないほどだった」と一振りに集中した。
五回に二死一塁で右中間に三塁打を放って9点目を挙げた9番の仲里拓臣は「これまで打てなくてがけっぷち。でも自分の成績より優勝したかった」。走者をかえすことだけを考えて、初球の直球をたたいた。
「照準はあくまで夏」選手らは一様に口にする。ゴールデンウイークには石垣島にとどまり、一日12時間の猛練習を含めた合宿を行う。伊志嶺監督は「優勝しても浮かれることはない。緊迫した場面でも守れる精神力を付けたい」。全国制覇を虎視眈々と狙う。
[スポット]
緩急使い分け大嶺14K
八商工の先発は、2連投のエース大嶺祐太だった。「疲れはあっただろうが、前日から決めていた」と伊志嶺監督。マウンドに立った大嶺は、慎重に変化球でストライクを取りに行く投球を見せた。終わってみれば2点を取られたものの14奪三振の好投。日ごろ厳しい伊志嶺監督も「ピンチで要所をよく抑えた。成長した証拠」と褒めた。
一回裏、先頭打者にいきなり三塁打。内野守備の乱れで次打者の出塁も許して無死一、三塁となった。
前日の準決勝では同じ展開で2失点を喫した。しかし、この日は「速球だけでは駄目。コントロールに気を付けた」。スライダーを決め球に、3者連続三振に取って切り抜けた。
「直球と変化球を使い分けたところがよかった」と大嶺。最後まで気持ちを切らさず、マウンドを守りきった。甲子園で横浜を苦しめたことが自信につながっている。「決勝ではみんなが自分の役割を果たせた」と満足そうだった。
最多得点差を更新/15点差
○…八商工が決勝戦で記録した17得点は、105回大会(1999年秋)の決勝戦(柳川17―3佐賀商)に並ぶ決勝戦での最多得点タイ記録。15点差をつけての優勝は、これまでの14点差を抜いて最多得点差を更新した。
◆毎日新聞 2006年4月26日(水) 14時20分
「<駒大苫小牧高>野球部員飲酒で辞任の香田氏が5月監督復帰
駒大苫小牧高(小玉章紀校長)は、3年生部員(当時)の飲酒、喫煙問題で野球部監督を辞任した香田誉士史前監督(35)=同部顧問=を5月1日から監督に復帰させる方針を固めた。26日午後に記者会見を開く。
香田氏は不祥事の責任を取り、3月に監督を辞任、4月から顧問として野球部の指導に当たっていた。5月15日開幕の春季大会室蘭地区予選からさい配を振るう見通し。香田氏の監督復帰を巡っては、保護者らからの要望のほか、全国のファンからも署名が寄せられていた。【笈田直樹 2006年4月26日(水) 14時20分 毎日新聞】」