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狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

独断と推論の判決 大江健三郎の世迷い言

2008-06-11 07:20:10 | 大江健三郎のいかがわしさ

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6月7日、那覇市のホテルで行われた「集団自決」訴訟の原告側弁護団・徳永信一弁護士の講演会に参加しました。

裁判で使われる法廷用語には、一般には分かりづらいものが多いが、徳永弁護士は、解り易く裁判のポイントを解説して頂いた。

今日から何回かに分けて、そのポイントをエントリーしようと思うのだが、果たしてどれだけ徳永弁護士の真意を伝えきれるやら不明だが、講演内容を中心に、時折「独断と偏見」をまじえながら、挑戦してみたい。

                      *

■「まさか・・・!?」の不当判決■

テレビなどで見る裁判の判決シーンで、負けた側がいう決まり文句に「不当判決」という言葉がある。

担当弁護士である以上、敗訴を想定していたとしても、負けたらこのような決まり文句でも言わざるを得ないのは理解できる。

だが、3月28日の大阪地裁で深見裁判長が下した判決には、徳永弁護士も「まさか・・・!?の不当判決」という以外に、思いつく言葉がなかったようだ。

このような大きな裁判となると、判決前に弁護団はさまざまな判決パターンを想定し、コメントを用意するという。

それがまさかの「真実相当性」で敗訴するとは・・・全くの想定外であり、不当判決というしかなかったのだろう。

この「真実相当性」という分かりづらい言葉については後で解説がある。

原告弁護団は、勝訴を想定して、原告の娘さんやお孫さんを呼んであったが、想定外の判決に、急きょ記者会見の場から外してもらったという。

 [独断と偏見=独断と推認?]

簡単に決まることでも、議論をして民主的に決めようとすると結論に至るまでややこしくなるもの。

友達とのグループ旅行の目的地を、A地かB地かで議論をしても,多数決でも決まらず、結論を議長役に委ねたとしよう。

その時は議長役は、民主的態度をかなぐり捨てて、次の枕詞を使えば何事も簡単に結論が出る。

「独断と偏見により私が決める」と。

だが、この便利な決まり文句も、深見裁判長は、神聖なる裁判所で使うには「躊躇を覚えた」のか、類似の新しい枕詞を発見した。

「独断と推論で私が決める」・・・by深見裁判長、at大阪地裁。

裁判長は始めに結論ありきの判決を下すのに三省堂の大辞林にもない造語を敢て使い大江健三郎や岩波書店の責任を否定した。

誰にも理解できない「罪の巨塊」という造語で法廷を煙に巻いた大江被告と、

理解しがたい「推認」という造語で、むりやり被告勝訴の判決を搾り出した裁判長は一つ穴の狢といえよう。

さて、「部隊長の命令の有無」を問う裁判に出た判決が、

「部隊長の自決命令があったと断定するのには躊躇を覚える。 自決命令がなかったと断定することも出来ない。 しかし、軍の深い関与はあった。 軍の関与から自決命令があったことが強く推認することが出来る。 だから自決命令による集団自決が発生したと信じても止むを得ない」・・・というもの。

素人が裁判に加わる裁判員制度を目前に控えて、裁判長がこのような国民に理解できないような意味不明の判決を下すようでは裁判制度そのものの拒否ともいえる。

事実の有無を求めた裁判に「自決命令があったと断定するには躊躇を覚える」、

・・・分かりやすい日本語に言い換えれば「自決命令を認めることは出来ない」、

と明確に言っておきながら、「推認」とか「関与」という曖昧な言葉で、軍に責任があったという判決では裁判長の国語能力に疑念さえ抱きかねない。 

 

■真実相当性=誤診相当性?=「勘違いだが、仕方がない」?■

さて、百戦錬磨の徳永弁護士に想定外と言わしめた真実相当性という分かり難い法律用語はどういう意味なのか。

その説明に入る前に、先ず法廷で証言台に立った大江健三郎氏の詭弁を論破しておく。

この件については当日記でも何度か批判してある。

幻の「曽野綾子誤字・誤読事件」

「嘘の巨塊」のノーベル賞作家

このノーベル賞作家の詭弁を今でも金科玉条のように奉ってブログ等で、

「曽野綾子の誤記・誤読説」という幻を追い続けている「売れない評論家」が、相も変わらず読者をたぶらかしているようなので、先ずこの事実関係を明らかにしておきたい。

ハッキリしていることは、どこのドンキホーテが何と言おうが、判決では大江氏の「誤記・誤読説」は否定されているということである。

無理筋を承知で被告側の責任を否定した深見裁判長も、

流石に大江氏の法廷での誤読の詭弁までは救うことは出来なかったのだ。

徳永弁護士が「幻の誤記・誤読論」を論破しているので、以下に引用します。

 第19133号 國民新聞 平成20年4月25日(金曜日)
不当判決にみる
山崎行太郎のお粗末と大江健三郎の黄昏

弁護士 徳永 信一

(前略)
山崎行太郎が擁護した大江健三郎の世迷い言

あまりの偏向判決に、憤懣やる方ないが、ここでは、山崎行太郎なる自称保守評論家がこの裁判を批判した論評に対して反論をしたい。

それは、『月刊日本』一月号に掲載された「月刊・文芸時評」に始まる。

山崎は、この裁判は、『ある神話の背景』を書いて隊長命令説の虚構を明らかにした曾野綾子が、『沖縄ノート』を誤読したことに始まるものであると主張したのである。

実のところ、この誤読説は、以前からある左翼が得意とするテキストのまやかしであったが、昨年、法廷に出てきた大江自身が、これを証言したときは正直驚いた。

いやしくもノーベル賞作家がこんな世迷い言を口にするとはと。

『沖縄ノート』の記述で、印象深いのは、「人間としてそれをつぐなうにはあまりにも巨きい罪の巨塊のまえで、かれはなんとか正気で生き伸びたいとねがう」に代表される断罪の口吻と個人攻撃の凄まじさである。

曾野綾子は、これを人間の立場を超えたリンチであると評した。

ところが大江は、『沖縄ノート』は、赤松隊長を大悪人だとは一言も書いていないと強弁したのだ。

耳を疑ったが、自決者の死体の塊を指す「罪の巨塊」を曾野綾子が「罪の巨魁」だと誤読したことで、赤松隊長を大悪人だと批判したかのような誤解が世間に流布し、この裁判が提起されることになったというのだ。

断っておくが、曾野綾子の著書や文章のなかにそのような誤字、誤読はどこにもない(引用やインタビュー記事など他者が文責を有する文章に散見するだけである)。

他人による瑣末な引用ミスを針小棒大に騒ぎ立てて問題をすり替えるまやかしだ。

そもそも、『沖縄ノート』には、赤松隊長を大悪人だと詰る記述は、ほかに山ほどある。

例えば、彼が「およそ人間のなしうるものとは思えぬ決断」を下した「戦争犯罪者」として椰輸し、その無実の訴えを「ペテン」と呼び、ユダヤ人大量虐殺の責任者として絞首刑に処されたナチスの幹部になぞらえ、「アイヒマンのように、沖縄法廷で裁かれてしかるべきであった」と断罪し、「者」という差別語まで浴びせかけて誹誘したのだ。

山崎の呆れたテキスト批評

山崎は、そんな大江の世迷い言をテキスト批評の見地から擁護すると宣言し、保守派の論客たちや弁護士さえも、曾野綾子の誤読に影響され、『沖縄ノート』を読んでいないと断言する。

ところが、山崎が、「そもそも大江健三郎は『沖縄ノート』の中で、守備隊長(赤松)についてどう書いているのか、具体的にテキストにそって見ていくとする」として引用している文章からは、上記誹謗箇所の記述がきれいに抜け落ちているのだ。

いやはや。

私の確認に間違いがなければ、これらが、大江健三郎が、集団自決や守備隊長(赤松)についてかなり詳しく記述した文章のほとんどすべてである」とはご丁寧なことだが、

哀しい哉、間違っていた。

テキストを読んでいないのは山崎であった。

大江を応援する左翼系ブログでは、『沖縄ノート』の凄まじい人格非難から人々の注意を逸らすために、曾野誤読説を登場させている。

それは大江の偽善を瞞着する仕掛けであった。

山崎は、「愚かな保守より、優秀な左翼から学ぶべし」を持論とするそうだが、テキストも読まずに、大江のまやかしを鵜呑みにし、その仕掛けにまんまと嵌まるという間抜けを演じたのだ。

曾野綾子が論破した沖縄タイムスの『鉄の暴風』ではなく、『沖縄ノート』を提訴したことに、「明らかに不純な動機が見え隠れする」とまで言い出す始末である。

『月刊日本』は、二月号でこの自称保守評論家の「『沖縄集団自決裁判』騒動に異議あり!」を掲載し、左翼系ブログのプロパガンダそのままの裁判批判に加担し、三月号では、なんと「保守思想の劣化を憂う」と銘打ち、佐藤優を巻き込んで山崎と対談させている。

企画した編集主幹の責任は重大である。

卑劣な外堀を埋める判決

傾向著しい不当判決だったが、当の深見敏正裁判長ですら、山崎が擁護したテキストの歪曲による大江の欺瞞までは擁護できなかった。

このことは、読者に知って頂いてよいと思う。

判決は、こと、大江のまやかしについては、これを論破した我が方の主張を全面的に認めているのである。

すなわち、大江は、『沖縄ノート』は、赤松、梅澤両隊長の実名を伏して守備隊長として特定しておらず、両人が自決命令を出したとの記述もないと強弁したのであるが、判決は、それが両隊長を特定するものであることをあっさり認めた上、その記述が「集団自決という平時ではあり得ない残虐な行為を命じたものとして、原告梅澤及び赤松大尉の客観的な社会的評価を低下させるものと認められる」と一蹴した。

裁判長が「命令」とは、軍のタテの構造の力であり、時限爆弾としての命令である云々といった大江のすり替えのまやかしに乗せられなかったことは幸いであるし、赤松隊長だけでなく、梅澤隊長に対する名誉毀損性を認めたことは特筆に値する。

さらに、判決は、曽野誤読説についてこういう。

これらの表現のうち『人間としてそれをつぐなうには、あまりにも巨きい罪の巨塊のまえで、かれはなんとか正気で生き伸びたいとねがう』との部分について、被告大江は、罪の巨塊とは自決者の死体のことであり、文法的にみて、『巨きい罪の巨塊』が渡嘉敷島の守備隊長を指すと読むことはできない旨供述する

しかしながら、沖縄ノートは、全体として文学的な表現が多用され、被告大江自身、『巨塊』という言葉は日本語にはないが造語として使用した旨供述するように、必ずしも文法的な厳密さを一貫させた作品であるとは解されない」と。

そして、一般読者が普通の注意と読み方で沖縄ノートの各記述に当たった場合、「あまりにも巨きい罪の巨塊」との表現は、前後の文脈に照らし、「渡嘉敷島の守備隊長の犯した罪か、守備隊長自身を指しているとの印象を強く抱く者も存するものと思われる」として、これを完全に退けている。

判決後のテレビ会見で、大江は、「裁判長が私の『沖縄ノート』を正しく読んでいただいたことに感銘を受けています」などと能天気なコメントをしていたが、判決理由を読んで、青ざめているはずだ。

不当な敗訴判決であった、が、しかし、それは続く控訴審における大江の卑劣な外堀を埋める判決でもあったのだ。

                     ◇

♪ 幻の影を慕いて雨に日に♪

幻の誤記・誤読論を追い続ける「売れない評論家」は、琉球新報に何とか取り入ったようだが、カスを掴んだと反省しきりの同紙にも今では見捨てられてしまったようだ。

何しろ、琉球新報といえば、曽野綾子批判の文には、何の検証もなく食らいつくダボハゼのような新聞。

でも、誤字批判のキャンペーン記事の大見出しを連続誤字で読者を爆笑させたとあっては、

ダボハゼ新聞と「売れない評論家」の蜜月関係も束の間の幻だったのだろう。

ところが、この「評論家」、今でも未練がましく、曽野綾子氏が自分の批判に答えないのが、誤字・誤読のあった証拠だといっているようだが、虚に咆える犬を曽野氏が知る由もないし、仮に知っても、一々虚犬に答えるいわれはない。

徳永弁護士が念のため大江氏の「曽野綾子誤読説」について、曽野綾子氏に尋ねてみたところ、

「大江さんの悪文のせいです」と一蹴されたという。 

「曽野綾子誤読論」は、結局は、大江氏による曽野綾子氏の文章の悪質な誤読によるものということで決着している。

大江氏の法廷での詭弁は、この「誤読論」の他にも、

①匿名論、②軍命構造論(タテの構造云々⇒時限爆弾としての命令)

と奇妙な大江ワールドを展開するが、これについては次回に廻したい。(続く)

 

【おまけ】

悪女の深情けとでも言おうか、幻とは知りつつ、曽野影を、もとい、その影を追い求める男の悲しさを切々と歌った古賀政男の名曲「影を慕いて」。

この男の職業が「売れない評論家」だったとは・・・。

 

「影を慕いて」
古賀政男作詞・作曲

幻の
影を慕いて 雨に日に
月にやるせぬ 我が思い
つつめば燃ゆる 胸の火に
身は焦(こが)れつつ 忍び泣く

 

曽野綾子さんもこんなに思われても迷惑でしょうに・・・。

うーん、ストーカー規制法ででも訴えますか。(笑)


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朝鮮総連が訴えられる 朝日も大江健三郎も同罪だろ

2008-06-09 07:12:04 | 大江健三郎のいかがわしさ

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【速報】2008年6月9日

沖縄県議選:与野党勢力逆転…自公、過半数割れ

 後期高齢者医療制度の是非などが争点となり、注目された沖縄県議選(定数48)は8日投開票された。 続きを読む >>

                      ◆

つい最近まで朝鮮総連の脅しに怯えた日本のマスコミは、民主主義の欠片もない国を、「朝鮮民主主義人民共和国」と長ったらしく表記していた。 北朝鮮と呼べば簡単に済むものを。

とくにテレビやラジオのアナウンサーは、欧米のアナウンサーがノースコリアの一言ですましているのに、

「チョウセンミンシュシュギジンミンキョウワコウ」といわねばならず、まことにお気の毒だった。

それにしても、アレだけ嘘を撒き散らし人の人生をメチャクチャにした朝鮮総連に対して、日本に住む脱北者が訴訟を起こすのは初めてとは、驚いた。

一方では靖国に合祀されたことを精神的苦痛だといって訴える人が多数いるというのに・・・。

 脱北女性、朝鮮総連を提訴へ…帰還事業で「虚偽の説明」 

 帰還事業で北朝鮮に渡り、強制収容所に入れられるなど肉体的・精神的苦痛を受けたのは事業を支援した在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)に責任があるとして、日本に脱出した女性が近く朝鮮総連を相手取って慰謝料など約1100万円の損害賠償を求める訴訟を東京地裁に起こすことがわかった。

 このほか数人の脱北者も同様の訴えを起こす方向で検討している。国内には脱北者約170人が暮らすが、日本に住む脱北者が帰還事業を巡って訴訟を起こすのは初めて。

 帰還事業を巡っては、2001年6月に、韓国に住む男性が朝鮮総連を相手取り、損害賠償を求める訴訟を東京地裁に起こしたが、脱北から約40年がすぎていたため「賠償請求権が消滅している」として請求を棄却(確定)されている。朝鮮総連は「帰還事業の主体は日本政府とその委託を受けた日本赤十字社」などと反論していた。

 今回提訴するのは05年に脱北した大阪府内に住む40歳代の女性(現韓国籍)。

 訴状などによると、女性は63年、在日朝鮮人の両親らと帰還事業で北朝鮮に渡ったが、衣食住にも困る生活を送った末、家族が強制収容所に入れられ、女性も00年に脱北を試みて失敗、収容所で拷問を受けた。

 女性側は「朝鮮総連は北朝鮮の惨状について説明すべき義務があったのに、『地上の楽園』などと虚偽の説明をして送り出し、人生をめちゃくちゃにした」と主張している。

 民法では、不法行為による損害賠償請求権は、損害及び加害者を知った時から3年間行使しないと時効によって消滅すると定めているが、原告側は「訴えることが不可能な北朝鮮から帰国して3年以内の提訴なので、時効にはあたらない」としている。

 朝鮮総連は、法人格を持たない「権利能力なき社団」だが、訴訟の当事者となることはできる。

(2008年6月8日03時06分  読売新聞)

                                                ◇

>訴えることが不可能な北朝鮮から帰国して3年以内の提訴なので、時効にはあたらない

相手は人攫いはおろか、テロも行う無法国家のこと。

民主主義国家の時効という法理念を、無法国家を相手にした訴訟に適用すること自体が、不条理だともいえる。

人質に捕らえられている親族・縁者のことを考えたら、訴えることが、難しいというより、不可能なのは自明だろう。

それにしても、どうせ訴えるなら「地上の楽園」の虚妄を撒き散らし、宣伝の先棒を担いだ朝日新聞もついでに訴えないのも不思議だ。

こんなキャンペーン記事を平気で垂れ流していたのに。

◆朝日新聞:1960/2/26朝刊) 

「希望者ふえる一方」
帰還希望者がふえたのはなんといっても『完全就職、生活保障』と伝えられた北朝鮮の魅力らしい。各地の在日朝鮮人の多くは帰還実施まで、将来に希望の少ない日本の生活に愛想をつかしながらも、二度と戻れぬ日本を去って"未知の故国"へ渡るフンギリをつけかねていたらしい。ところが、第一船で帰った人たちに対する歓迎ぶりや、完備した受け入れ態勢、目覚ましい復興ぶり、などが報道され、さらに『明るい毎日の生活』を伝える帰還者たちの手紙が届いたため、帰還へ踏みきったようだ。

その朝日も、現在では「帰国事業は日本政府による朝鮮人追放政策だった」(2004年5月18日付朝日新聞)と書いて責任転嫁をしているようだが。

「虚報の構造オオカミ少年の系譜」 井沢元彦 1995年 小学館
北朝鮮礼賛記事の罪を問う (朝日新聞OB・作家稲垣武氏との対談) 

井沢
北朝鮮は近いうちに崩壊すると思いますが、そうなったら、北朝鮮を美化した朝日の提灯記事を信じて行った日本人妻たちや在日朝鮮人が帰ってきて、涙ながらにあちらでの窮状を語り始めるでしょう。

稲垣
それを最も恐れているのは、北朝鮮迎合記事を書き続けていた朝日の親北朝鮮記者の代表である岩垂弘・元編集委員らでしょう。北朝鮮に批判的な記事を書くと、たちまち朝鮮総聯の抗議行動に直面しますが、そんな時、交渉の窓ロ役を果たすのが親北朝鮮記者です。北朝鮮ベッタリの記事を黙認するのも、そのメリットがあるからです。

井沢
北朝鮮へ行った10万人の中には、朝日がそう書いているんだから大丈夫だと思って決断した人が大勢いると思います。

稲垣
朝鮮ほど日本の新間記者に対してアメとムチをうまく使いわける国はありません。自分たちの気に入った記者しか呼ばない。で、お仕着せのネタを特ダネに仕立てて平壌発の記事を打たせる。少しでも批判的なことを書くと、二度とお呼びはかからない。というわけで、批判的なことを書いたらいけないんじやないかという恐怖感から、オウム記者が生まれる。

井沢
北朝鮮当局の主張をそのまま繰り返すだけ。情けないですね。

稲垣
また北朝鮮へ渡った日本人妻や、日本から帰国した朝鮮人たちが差別されているという情報が亡命者から幾度も指摘されている。ところが朝日は、確認できないという理由でほとんど報道しようとしない。これは一種の悪しき現場主義ですな。

井沢
悪しき現場主義とは?

稲垣
北朝鮮は自由な取材ができないから、つまり現場を踏めないから報道できないという一種の口実ができるわけですよ。

井沢
自由な取材ができないといっても、子供たちにいつも「金日成首領様のおかげです」と歌わせていた事実は、記者が目の前で見ているわけですよね。民主的とか何とかを問題にするなら、最も批判しなければいけない点だと思いますが。

稲垣
そういう点に目をつぶるから、共産圏報道では虚報が生まれてしまう。

                      ◆

■大江健三郎の大罪■

北朝鮮を「地上の楽園」と喧伝しまくったのは朝鮮総連、朝日新聞、共産党、社会党ばかりではない。

帰還事業の様子を新婚初夜にテレビで見て、北朝鮮を祖国に持つきかんしゃを羨ましく思い、改めて「あいまいな日本」に嫌悪感を持ったノーベル賞作家も地上の楽園を礼賛していた。

大阪地裁の証言台に立って奇妙な屁理屈で世間を驚かした大江健三郎氏だ。

◆群像:「わがテレビ体験」 大江健三郎(昭和36年3月号) (→ネットソース)
 結婚式をあげて深夜に戻ってきた、そしてテレビ装置をなにげなく気にとめた、スウィッチをいれる、画像があらわれる。そして三十分後、ぼくは新婦をほうっておいて、感動のあまりに涙を流していた。
 それは東山千栄子氏の主演する北鮮送還のものがたりだった、ある日ふいに老いた美しい朝鮮の婦人が白い朝鮮服にみをかためてしまう、そして息子の家族に自分だけ朝鮮にかえることを申し出る…。このときぼくは、ああ、なんと酷い話だ、と思ったり、自分には帰るべき朝鮮がない、なぜなら日本人だから、というようなとりとめないことを考えるうちに感情の平衡をうしなったのであった。

 

「おまけ」(朝日ジョーク集より)

★地上の楽園その1

イギリスとフランス人と在日朝鮮人が、

エデンの園にいるアダムとイブの絵を眺めていた。

「二人は間違いなくイギリス人です」とイギリス人が言った。
「イブはたった一つしかないリンゴをアダムに食べてもらおうとしているんですから」

「いや違う」とフランス人「二人とも裸でリンゴを食べている。フランス人に決まっているじゃないか」

すると在日朝鮮人が自信たっぷりに言った

「二人は朝日新聞記者さ。

着るものも無ければ、食べるものも満足にない。
それなのに、あそこが楽園だと信じていたんだからね」

 

★地上の楽園その2

あるとき中国人と日本人、在日朝鮮人が、ムンクの叫びを見ていた。

「こいつは中国人さ」
中国人が言った。
「政府役人の腐敗に絶叫している。マチガイナイ」

「いいやちがう。」
と日本人。
「不況で断末魔の悲鳴をあげている。日本人だよ」

すると在日朝鮮人が自信たっぷりに言った。
「違うね。
 こいつは朝日新聞記者さ

 こんな何も無いようなところで、狂喜して叫んでいる
 地上の楽園だと叫んでいる

 間違いなく朝日新聞記者さ

                     ◇

 

どうせ訴えるなら、朝日新聞も訴えるべきと思う方、

プチッ!とお願いします。

 

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「嘘の巨塊」のノーベル賞作家

2008-05-19 07:16:12 | 大江健三郎のいかがわしさ

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<論破され 「誤読」で逃げる 大作家> 詠み人知らず

存在もしない誤字の幻を見て狂喜乱舞する人には笑いで済むが、

30数年前に書いた本の矛盾を突かれ、それは誤読だとシラを切るノーベル賞作家には驚かされる。

法廷証言で自著には書かれていない屁理屈をを問いつめられ、これを誤読とだと言い逃れた。

(問い)-陳述書で「装燈された時限爆弾としての命令」としているが、「沖縄ノート」には書いていない。

「1970年にこの本を出版して現在まで37年がたつが、私は沖縄の問題についてかなり多くの文章を書いたし、新聞にも連載したことがある。大きな新聞で書く以上、責任をもってやってきた。根本的に誤読があるなら、曽野綾子さんに訂正を求める文章を書こうと思う。

50年間、小説家をしてきた。その間、読者に対する責任を持ってきた。純文学の作家とはそういうものです。これからも何十年も考えていこうと思う」

自分に都合の悪い事はなんでも誤読で逃げられると思っているのだろうか

更には、日本人には馴染みのないラテン語の辞書の、それも二番目の意味を取り出して、自分の書いた奇妙な単語の意味だと屁理屈をこね回す姿には、この人物の常識さえ疑ってしまう。

彼にとっての常識とは、戦争は絶対悪であり、軍隊のやることはすべて悪という絶対平和主義であり、全てはこの基準で測られる。

だが同じ軍隊でも沖縄では「鬼の赤松」を創り上げ、日本軍を糾弾した大江氏が、なぜか広島や長崎に原爆を投下した米軍を糾弾することはない。

大江氏の常識とは所詮この程度の少女趣味の常識であり、戦後GHQの「三年殺し」で去勢された常識でもある。

彼を左翼勢力と呼ぶのは、ある意味で大きな見当違いである。

ヨーロッパ先進国の左翼は自分の国家に帰属意識を持った上での左翼であるが、

日本という国家に帰属意識を持たない大江氏のよりどころにするのは、憲法第9条に代表されるユートピア的国際主義であり、連合赤軍の世界同時革命にも通じる。

大江氏は自分が生まれ育った日本国へ憎悪をむき出しにする反日勢力という呼び名が相応しい。 

自国の文化勲章受賞は拒否しておきながら、スウェーデン王立のスウェーデン・アカデミーが選定するノーベル賞には嬉々として尻尾を振る。

ここに、このノーベル賞作家の精神的幼児性がある。

社会主義が健在だった時代には、こういうユートピア的国際主義も一定の説得力を持ちえたが、ベルリンの壁が崩壊し、そして大江氏が地上の楽園と憧れた北朝鮮もその恥部を世界中に暴露されてしまった今、もはや彼の帰属希望の共同体(地上の楽園)はこの地上には無い。

             

                ◆お知らせ◆

自由主義史観研究会会報誌『歴史と教育』6月号(5月末発行)に、拙文が掲載されます。

『歴史と教育』6月号
【沖縄 不当判決反論特集】
(1)巻頭論文・・・・(藤岡信勝)
(2)沖縄の言論空間・・・(鴨野守)
(3)証言を阻む南の島の呪縛・・・(狼魔人
(4)沖縄自決報道の検証・・・(飯嶋七生)
(5)平松茂雄講演ルポ・・・(篠原寿一)
〈告知〉
*夏の全国大会告知
*沖縄パンフ
〈連載〉
*咲都からのサイト・・・(赤野達哉)
*沖縄冤罪訴訟の今後・・・(南木隆治)
*ネトウヨの星・・・(木村日向子)
*論壇時評・・・(岡屋多津郎)
 表紙・目次・寸感

発刊後に当日記でも紹介したいと思います。

                      ◆

以下は過去記事「屁理屈ジャンケン」の再掲です。(一部加筆)

 

後だしジャンケン■

後だしジャンケンとは、相手が出したタイミングに一瞬のタイムラグを設けて、相手の手を読みそれに勝つ卑劣な手段のことをいう。

『母の遺したもの』の著者宮城晴美氏は、自著が「集団自決裁判」の原告側の証拠として提出され、「梅沢隊長が軍命を出した」という被告側の主張が否定されると、「一ヶ月前に立場を変えた」として自著を改定し『新版 母の遺したもの』を出版した。

筆者はこれを後出しジャンケンだと批判した。

「集団自決」 宮城晴美氏が新版で「後出しジャンケン」

宮城晴美氏らが弁護しようとする大江健三郎氏は法廷の証言台で自著『沖縄ノート』をテキストに、後出しジャンケンどころか、とんでもない「屁理屈」を披露して世間を驚かした。

■屁理屈ジャンケン■

大江健三郎氏は、宮城晴美氏が批判に動揺して後だしジャンケンを出したような分かり易いような手法は取らなかった。

一旦出した自分の手はそのままにして、それを屁理屈で煙に巻いて勝を主張するというから、さすがはノーベル賞作家。

「屁理屈ジャンケン」とは、負けた場合でも、負けを認めず屁理屈で何とか勝とうという破廉恥な手段のこと。

例を挙げよう

チョキをだしたのに相手がグーなら普通は負けを認める。

だが、「屁理屈ジャンケン」はこれからが勝負。

「私はパーを出したつもりだ」

「この指をチョキと見るのは君の誤読だ」

「指は5本伸ばしたつもりだ」

大江健三郎氏は証言台でcorpus delictiなる一般読者には聞きなれない言葉まで引っ張り出して、

「罪の巨塊とは死体である」と、まともな人間なら赤面するような屁理屈を披露した。

法廷で証言台に立った後の11月20日の朝日新聞朝刊で、大江氏は「『罪の巨塊』に込めた思い」と題する更なる「屁理屈」をこねた。

 ≪私は渡嘉敷島の山中に転がった三百二十九の死体、とは書きたくありませんでした。受験生の時、緑色のペンギン・ブックスで英語の勉強をした私は、「死体なき殺人」という種の小説で、他殺死体を指すcorpus delictiという単語を覚えました。もとのラテン語では、corpusが身体、有形物、delictiが罪の、です。私は、そのまま罪の塊という日本語にし、それも巨きい数という意味で、罪の巨塊としました。≫

一般の読者は著者自らの解説を聞く幸運には遭遇しないし、例え解説を聞いても理解できる人は少ない。

ならばと今度は朝日新聞の紙面でその「屁理屈」に上塗りの解説という念の入れようだ。

問題の箇所を『沖縄ノート』より抜粋するとこうなる。

《慶良間の集団自決の責任者も、そのような自己欺瞞と他者への瞞着の試みを、たえずくりかえしてきたことであろう。人間としてそれつぐなうには、あまりにも巨きい罪の巨塊のまえで、かれはなんとか正気で生き伸びたいとねがう。かれは、しだいに希薄化する記憶、ゆがめられる記憶にたすけられて罪を相対化する。つづいてかれは自己弁護の余地をこじあけるために、過去の事実の改変に力をつくす。》(210ページ)

一般の読者に上記文で国語の問題を出したら、「罪の巨塊」が「死体」(他殺体)のことだ理解できる人が果たして何人いるか。

ちなみに辞書を引くとcorpus de・lic・ti は次のような二つの意味がある。

犯罪の事実[主体];

②(他殺)死体.⇒corpus  [さらに]

大江氏は敢て二番目の意味の死体(他殺体)は訳語に当てたという。

よくもこんな屁理屈がいえるものだ。

『沖縄ノート』が出版されてから30年以上経って初めて、こういう「新解釈」が出てくる・・・

これを称して「屁理屈ジャンケン」という。

■「逆ヘリクツ・・」?■

追いつめられるといろんな人が出てくるもの。

物故した方の書いた文、しかも「相手方」の勝を証明する文をひねくり回してトンデモ解釈する人物がいるが、

これは相手が出したチョキをパーに見えると屁理屈をこねる「屁理屈ジャンケン」の逆バージョンで「逆へリクツ」・・・うーん、疲れるわ。

いろんなブログが大江氏の屁理屈を「詭弁」、或いは「変な説明」として批判しているが日々是好日さんが「大江氏による「罪の巨塊」の変な説明 」で詳細に検証しているのでご覧下さい。 ノーベル賞作家も形無しです。

他にも大江氏の「屁理屈ジャンケン」を批判するブログの紹介。

大江健三郎という「嘘の巨塊」

 

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コメント

「屁理屈ジャンケン」

2008-03-13 07:06:03 | 大江健三郎のいかがわしさ

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後だしジャンケン■

後だしジャンケンとは、相手が出したタイミングに一瞬のタイムラグを設けて、相手の手を読みそれに勝つ卑劣な手段のことをいう。

『母の遺したもの』の著者宮城晴美氏は、自著が「集団自決裁判」の原告側の証拠として提出され、「梅沢隊長が軍命を出した」という被告側の主張が否定されると、「一ヶ月前に立場を変えた」として自著を改定し『新版 母の遺したもの』を出版した。

筆者はこれを後出しジャンケンだと批判した。

「集団自決」 宮城晴美氏が新版で「後出しジャンケン」

宮城晴美氏らが弁護しようとする大江健三郎氏は法廷の証言台で自著『沖縄ノート』をテキストに、後出しジャンケンどころかとんでもない「屁理屈」を披露して世間を驚かした。

■屁理屈ジャンケン■

大江健三郎氏は、宮城晴美氏が批判に動揺して後だしジャンケンを出したような分かり易いような手法は取らなかった。

一旦出した自分の手はそのままにして、それを屁理屈で煙に巻いて勝を主張するというから、さすがはノーベル賞作家。

「屁理屈ジャンケン」とは、負けた場合でも、負けを認めず屁理屈で何とか勝とうという破廉恥な手段のこと。

例を挙げよう

チョキをだしたのに相手がグーなら普通は負けを認める。

だが、「屁理屈ジャンケン」はこれからが勝負。

「私はパーを出したつもりだ。 この指をチョキと見るのは君の誤読、いや、誤視だ」

「指は5本伸ばしたつもりだ」

「私の手の指は子どもの頃から曲がり気味なので、パーでもこうしか出せない」

大江健三郎氏は証言台でcorpus delictiなる一般読者には聞きなれない言葉まで引っ張り出して、

「罪の巨塊とは死体である」と、まともな人間なら赤面するような屁理屈を披露した。

法廷で証言台に立った後の11月20日の朝日新聞朝刊で、大江氏は「『罪の巨塊』に込めた思い」と題する更なる「屁理屈」をこねた。

 ≪私は渡嘉敷島の山中に転がった三百二十九の死体、とは書きたくありませんでした。受験生の時、緑色のペンギン・ブックスで英語の勉強をした私は、「死体なき殺人」という種の小説で、他殺死体を指すcorpus delictiという単語を覚えました。もとのラテン語では、corpusが身体、有形物、delictiが罪の、です。私は、そのまま罪の塊という日本語にし、それも巨きい数という意味で、罪の巨塊としました。≫

一般の読者は著者自らの解説を聞く幸運には遭遇しないし、例え解説を聞いても理解できる人は少ない。

ならばと今度は朝日新聞の紙面でその「屁理屈」に上塗りの解説という念の入れようだ。

問題の箇所を『沖縄ノート』より抜粋するとこうなる。

《慶良間の集団自決の責任者も、そのような自己欺瞞と他者への瞞着の試みを、たえずくりかえしてきたことであろう。人間としてそれつぐなうには、あまりにも巨きい罪の巨塊のまえで、かれはなんとか正気で生き伸びたいとねがう。かれは、しだいに希薄化する記憶、ゆがめられる記憶にたすけられて罪を相対化する。つづいてかれは自己弁護の余地をこじあけるために、過去の事実の改変に力をつくす。》(210ページ)

一般の読者に上記文で国語の問題を出したら、「罪の巨塊」が「死体」のことだ理解できる人が果たして何人いるか。

ちなみに辞書を引くとcorpus de・lic・ti は次のような二つの意味がある。

 [<L.] 犯罪の事実[主体];

(他殺)死体.⇒corpus  [さらに]

大江氏は敢て二番目の意味の死体(他殺体)は訳語に当てたという。

『沖縄ノート』が出版されてから30年以上経って初めて、こういう「新解釈」が出てくる・・・

これを称して「屁理屈ジャンケン」という。

■「逆ヘリクツ・・」?■

追いつめられるといろんな人が出てくるもの。

物故した方の書いた文、しかも「相手方」の勝を証明する文をひねくり回してトンデモ解釈する人物がいるが、

これは相手が出したチョキをパーに見えると屁理屈をこねる「屁理屈ジャンケン」の逆バージョンで「逆へリクツ」・・・うーん、疲れるわ。

いろんなブログが大江氏の屁理屈を「詭弁」、或いは「変な説明」として批判しているが日々是好日さんが「大江氏による「罪の巨塊」の変な説明 」で詳細に検証しているのでご覧下さい。 ノーベル賞作家も形無しです。

他にも大江氏の「屁理屈ジャンケン」を批判するブログの紹介。

大江健三郎という「嘘の巨塊」

 

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