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いわゆる「慰安婦問題」と「沖縄集団自決問題」は奇妙な共通点を持つ。
「慰安婦」も「集団自決」も実際に存在した。
だが、両者で問題となっているのは次の争点だ。
慰安婦問題⇒強制連行の有無
集団自決問題⇒軍命の有無
沖縄の集団自決問題に絞ると、現在軍の強制を示す客観的証言・証言は存在しない。
従がって2007年9月、宜野湾市で開催された「11万人県民大会」(「教科書検定意見の撤回を要請する県民大会)で撤回要請された検定意見は、約14年経過した現在でも有効である。したがって教科書に「軍の命令による集団自決」を意味する文言は記述できない。
ところが沖縄2紙は「集団自決」代わる「集団自決(強制集団死)」と言う文言を多用して「軍の命令」の印象操作に懸命である。
チビチリガマで慰霊祭2011年4月3日 09時21分
【読谷】66年前の4月2日に「集団自決(強制集団死)」が起きた読谷村波平のチビチリガマで2日、遺族会(與那覇徳雄会長)が慰霊祭を開いた。遺族が高齢化する中、孫やひ孫世代も訪れ、普段は立ち入れない壕(ごう)の中で平和の継承を誓った。
1945年4月1日に米軍が沖縄本島に上陸。翌日にはチビチリガマ周辺にも侵攻し、避難した住民約140人中、83人が強制集団死に追い込まれた。
左翼勢力が主張する論に「軍隊のいた場所では集団自決が起きた」「軍隊のいなかった場所では集団自決は起こらなかった」という主張がある。
この勝手な思い込みを根拠に、「集団自決は軍の命令だった」と断定する。誰が考えても乱暴な話である。
上記引用の記事で事情の知らない読者は、「チビチリガマ」には軍人と住民が混在し、仮に命令は無くとも、軍が強制的に住民を自決に追いやった」とミスリードされてしまうだろう。
では、実際はどうであったのか。
チビチリガマに避難したのは近隣の住民だけであり、軍人は一人もいなかった。
そこで集団自決した手段は、軍装備品の手りゅう弾でもなければ銃剣でもなかった。
病院勤めをしていた地元の女性看護師Cさんが、病院から持ち出した毒薬を配布しようとしたら希望者で行列ができた。 結局毒薬は全員には行き渡らずに、各自で持ち込んでいた毛布、布団等に火を付け煙による窒息死が多かったという。(読谷村史)
上記記事の「避難した住民約140人中、83人が強制集団死に追い込まれた」の部分は、主語が無いため読者は日本軍が自決を強制したとミスリードされる。
だが、これは真っ赤なウソである。
チビチリガマの壕の中には軍人は一人もいなかった。
毒薬注射を待つ列に並んだ…85人が亡くなった「集団自決」からの生存者が語る壮絶な記憶
配信
【読谷】「もうダメだ、自分たちで死ぬほかない」-。沖縄戦で「集団自決(強制集団死)」が起きた村波平のチビチリガマ。本島に上陸した米軍が侵入すると、追い詰められた住民らが肉親を手に掛ける悲劇が起きた。家族で避難していた上原進助さん(87)=米ハワイ州在住=が国際電話で取材に応じ、チビチリガマで見た光景を語った。
1945年4月1日、母や妹ら家族とチビチリガマに避難していた上原さんは、米兵と戦うために竹やりを持って出た住民2人が銃で撃たれる音を聞いた。ガマは静まり返り、住民らに絶望感が広がった。翌2日、米兵が「出てきなさい」「殺しはしない」などと日本語で書かれた紙を持ってガマに入り投降を呼び掛けた。だが「捕まれば残酷な殺され方をする」との教えが徹底されていた住民らは応じなかった。
激しく動揺した住民らの中に、毒薬注射を手にする看護師の女性の姿があった。肉親らに打つ姿に「私も死にたい」と上原さんも注射を待つ列に並んだ。上原さんの番になったが退けられ、看護師は最後に残った分を自分で打った。
「アンマー」と泣き叫ぶ声が響き、娘を刃物で切り付ける母親の姿もあった。住民らが極限状態に追い込まれ、毛布などに火が付けられるとガマに煙が充満した。息ができず苦しむ中、母親が「暗い所で苦しむより明るい所で死のう」と外へ逃げ、上原さんたちは米軍の捕虜になった。
肉親を手に掛けた当時の状況を「米軍に捕まったら天皇陛下に恥をかかせることになるから、自分の始末は自分でするべきだと大人から教えられた。あの時の教育は本当に愚かだった」と振り返る。平和を希求する一人として現在はハワイで牧師として活動する上原さん。3日は、ハワイからチビチリガマでの犠牲者の御霊の冥福を祈った。(社会部・大城志織)
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以下は
「集団自決」犠牲者に祈り 読谷チビチリガマ
【読谷】沖縄戦で米軍沖縄本島上陸直後の1945年4月2日、住民83人が「集団自決」(強制集団死)をした読谷村波平のチビチリガマで4日、慰霊祭(遺族会主催)が行われた。遺族や関係者ら約20人が集まり、70年前に起きた惨劇で犠牲となった肉親の冥福を祈り、平和を願った。
沖縄戦終結から70年たったいま、住民が体験した「戦争」の記憶の継承に危機感が募る一方で、「戦争のできる国」の流れが進む中、体験者や遺族らは「不戦」への思いを新たにしている。
チビチリガマでは、米軍上陸に際して住民が避難していた。米兵が投降を呼び掛ける中、殺されると思い込んだ男がガマ内の布団などに火を付け、避難していた住民140人のうち83人が「集団死」した。そのほとんどが煙による窒息死だったが、注射や刃物で命を絶った人もいた。
背景には、米兵に捕らえられれば残虐行為をされるとの考えが住民らの間に広まっていた状況がある。一方、チビチリガマにほど近いシムクガマでは、ハワイから帰国した英語を話せる住民がいたため、避難民ら約千人が投降して全員の命が助かっている。
チビチリガマでの「集団自決」が起きた4月2日の時点で、大本営はすでに沖縄を見捨て「本土」襲来を想定していた。
本島上陸に先立つ慶良間諸島での「集団自決」も合わせて、ガマでの犠牲は、米軍の侵攻に伴って住民を巻き込んだ沖縄戦の象徴的な出来事であり、「軍隊は住民を守らない」中で、南部戦線に拡大していく悲劇の幕開けの一つとも位置付けられる。
慰霊祭で、遺族会の与那覇徳雄会長(60)は「戦後70年を迎え、当時を知る人が少なくなっている」と危惧を示しつつも、「チビチリガマから平和を発信するため、いろいろな形で子や孫に歴史を継承していきたい」と語った。
☆
集団自決に軍の命令があったか否かの論争は、すでに決着が付いている。
軍の命令があったという客観的証言や証拠は皆無だ。
沖縄2紙は「軍命はあった」と印象操作に懸命だが、2005年に提訴された大江・岩波訴訟では被告の大江氏・岩波書店に対する名誉毀損請求は棄却されたが、原告である梅沢・赤松両氏の「軍命」は法廷で立証出来ず、事実上「軍命はなかった」と証明された。
2007年の「11万人集会」(「高校歴史教科書検定意見の撤回を求める県民大会」)でも、文科省は、集団自決を削除せよとの検定意見を現在でも撤回していない。
したがって教科書や新聞報道で「集団自決は軍の命令による」と記述することはできない。(ただ、当時の福田内閣が11万人のデタラメな数字に驚き、手榴弾による自決があったことを理由に「軍の関与」という曖昧な文言をを認めたことは残念である。)
沖縄2紙は、「軍の命令があった」とは記述できないので、「集団自決」(強制集団死)」などと姑息な手段で印象操作している。
「軍命あり派」の論拠の一つに「集団自決にあったところには必ず日本兵がいた」という主張があるが、チビチリガマには日本兵はおらず、自決を主導したのは村の長老である。
また渡嘉敷島で、集団自決に手を貸した金城重明氏の傍に日本兵はいなかった。
したがって「集団自決にあったところには必ず日本兵がいた」という論拠は覆っている。
>チビチリガマでの「集団自決」が起きた4月2日の時点で、大本営はすでに沖縄を見捨て「本土」襲来を想定していた。
本土来襲は想定していたとしても、「沖縄を見捨てた」というのは嘘である。
座間味島や渡嘉敷島で集団自決が起きた丁度そのとき、慶良間諸島を取り巻く米艦船に決死の特攻攻撃を仕掛けたのは米軍を震撼させたカミカゼ特攻隊であった。
また大本営が沖縄救援のため沖縄に戦艦大和を派遣した事実は「見捨てていない」証拠ではないか。
こんなバカなことを書く沖縄の「識者」もいた。
記事を書く識者も異常だが掲載する沖縄タイムスも異常である。
「児童虐待 減らす方策考えて」の南風原町・宮城睦子さん(69)は、1月14日、2月16日、3月2、7日に続き今年5回目の掲載。
「にぎわった山芋スーブ大会」の読谷村・長浜ヨシさん(92)は、1月16、24日、2月18日、3月9、22日に続き今年6回目の掲載。
「与野党ともに先手取る好機」の西原町・恵英則さん(72)は、1月13、25日、2月19日、3月1、23日に続き今年6回目の掲載。
「親の生き方 最良の家庭教育」の豊見城市・松原須奈子さん(72)は、1月13、21日に続き今年3回目の掲載。
「胸張り裂ける多重死亡事故」の沖縄市・香月理一さん(62)は、1月4日、2月7日に続き今年3回目の掲載。
「『地球は丸い』確かめた船旅」の本部町・島袋初美さん(71)は、1月10日、2月24日に続き今年3回目の掲載。
「持続可能な開発へ 中南部合併で体制構築」の糸満市・藤中寛之さん(46)は、2019年2月15日以来の掲載。
「地域に溶け込んだ橋」の北中城村・与那嶺哲さん(84)は、1月7日、2月17日に続き今年3回目の掲載。
カギカッコは投稿欄における見出し。
4月4日付オピニオン面「係から」によると、3月の投稿は「主張」359件、「論壇」88件、「茶のみ話」74件。同月の掲載は、「主張」147本、「論壇」等30本、「茶のみ話」30本なので、投稿日と掲載日のズレはあるとした上で、掲載率は「主張」41%、「論壇」等34%、「茶のみ話」41%程度となる。
1年前の沖縄タイムスの報道、渡嘉敷島住民集団自決事件で生存者の大城正光氏(当時8歳)の証言を6年前に九州最大手の西日本新聞が一面で報じたことを、やっと追報道だ。と思ったら操作が在った。
西日本新聞2015年3月27日の一面報道、渡嘉敷島に米軍が上陸した記念日の前日に報道した。大城正光氏の証言に軍令で自決が無かったこと。
再々、ヤフー電子版ニュースのコメント欄から突いても琉球新報と沖縄タイムスが無反応で在った。
そして、昨年、沖縄タイムスが大城正光氏ではなくて実弟を取材して、集団自決現場の証言として載せたが案の定、大城正光氏の証言とほど遠いものだ。
大城正光氏の事実証言と沖縄タイムスの渡嘉敷島報道が別物で在りねつ造されていたこと。
この様に、沖縄タイムスが印象操作報道をして購読者を騙し、社が意図する方向に民意を誘導する。
この印象操作が絶えず報道で仕込まれていること。
その顕著な事例を沖縄の2大お祭り「5月ハーレー大会・10月那覇大綱曳」の報道写真でも観る。
いつも、在沖縄米軍基地から軍人軍属と家族が大挙して押し寄せ、ハーレーは嘉手納空軍基地から数十年間チームを組んで連続出場していることを沖縄県民でさえ知らない。
なぜなら、報道写真に決して米兵と想われる男女外国人が一人も映らない様にしているからだ。
お祭りはどの国でも皆が大好き、米軍も同じこと。
大綱曳前日に綱を保管する米陸軍那覇桟橋で、市長やセレブや陸軍などの開催関係者らのセレモニーが在り、その記念写真と動画ニュースが配信される。
ここでも、陸軍将校の姿がカットされた写真や動画が配信される。
セレモニーは関係者らが6人程度で綱を持ちカメラに笑顔で収まる様子だか、陸軍将校の立ち位置が一番左端なので映らないと言う訳だ、動画でも。
那覇大綱曳の本番でも、遠景写真しか報道しない。
参加された方ならご承知ですが、綱曳の中心に向かうほど体格が良い男女米軍関係者が多い。真ん中では1/3を占めるだろう。
だから琉球新報と沖縄タイムスに都合が悪い訳さ。
序に、辺野古もハーレー伝統行事が在ります。キャンプシュワブから男女それぞれのハーレーチームが出場するが、新聞が写真報道するものですか。
そもそもが、普段から沖縄2紙が久辺三区集落内を取材すること等、あ り 得 な い こ と。
なお、シュワブ海兵隊の女性チームは必見です。多分、辺野古基地の看護師さんが多いと想う訳よ。
Tシャツがずぶ濡れになるから、巨乳豊満体形がもろに目の前に現れて来る訳よ、然も下着なしだ。
そんな映像は中々撮れたものじゃないよ、新聞カメラマンさん。
その実、撮っているんだろっ。自分だけ楽しんでいるのだろうか。
序に、夏の風物詩の全土でエイサー大会でもカットされた写真が報道される。基地の子どもたちや若者が出場する可愛い演舞なのに、沖縄二紙には迷惑な光景なのだろう。
【毒薬注射を手にする看護師の女性】
沖縄タイムス捏造報道 ここに至ると犯罪で在る。
なんの毒薬か、どこの病院務めなのか不明で在る。
いわゆる、聞いた話とする捏造法に過ぎないこと。
嘘もここに至ると、もう、怒りが込み上げて来る。
NHK終戦記念番組で、戦後、帰国が叶った日本赤十字従軍看護婦(日赤発表 交戦巻き添え死が3万人に対して、従軍慰安婦とする者たちの巻き添え死がゼロである摩訶不思議)が、回顧する場面が在り。
その中で、【医師が死期を早める空気注射を若い兵に打つのを、止めることが出来なかった】が在る。
早く安楽死させようとしたら毒物ではなく、戦場では空気注射で在ること。
然も、看護婦ではなく医師が行なっていたこと。看護婦が殺人を出来ますかっつうの。
なお、当時の日赤看護婦の代替医療組織が陸上自衛隊医務官、陸自は看護学校を持つ。
看護師資格を取得しても、男と同様の野戦訓練に合格しないと陸自病院に就職が出来ない。
野戦訓練 男と同じ30kgのリックを背負い数日間の野戦訓練耐性試験が待つ。
自動小銃は構えたままで歩く、疲れても下ろしたらいけない。男でも途中で脱落者が出て来る過酷な訓練だ。これらはレンジャーも熟す基礎で在る。
自動小銃を肩に携帯した侭でテント式野戦病院を組み立てる。
もしも、敵が接近したら自動小銃を構えて3種類のほふく前進を執り強襲する訓練に合格している。
射撃精度は男も女も変わらない20歳女性医務官。
国家国民安全保障有事支援の際に活躍する医務官、それを気軽にコロナ感染患者介護に呼ぶ気楽な玉城知事のてーげてーげ、もう止めて頂戴な。
今は正に「鬼畜中共」
「鬼畜中共。捕まれば、女は強姦された後 食べられて、男は目をくり抜かれ八つ裂きにされ殺される」と 徹底して教育すべきだと思う。
悪魔の中共に、日本は絶対に攻められてはいけない。