狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

沖縄の怪人・上原正稔氏とはどんな人物か

2023-08-28 10:43:16 | 資料保管庫

 

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上原正稔氏とはどんな人物か。「集団自決訴訟」にも登場するドキュメンタリー作家


沖縄の新聞購読者をほぼ独占する地元二紙が極端な偏向報道をすることはよく知られている。

その中でも琉球新報は『鉄の暴風』の発刊者である沖縄タイムスに比べてまだマシだといわれていた。だが、昨年の「十一万人集会」を機に、琉球新報も沖縄タイムスと覇を競うように、異常とも思える偏向報道に驀進していった。

消された沖縄戦記
 昨年(2007年)沖縄の宜野湾市で行われた「9・28教科書検定意見撤回を求める県民大会」(「〝十一万人〟集会」)の熱気も冷めはじめた、十月十六日付け琉球新報夕刊に、それまで中断していた「沖縄戦史特集記事」が、まるで読者の目を避けるかのように、そっと再開された。


 新聞の特集記事が「読者の目を避けるかのように」、という表現に違和感を覚える方もいるだろう。 だが、琉球新報の購読者である筆者には、実際そのように感じられた。そして、それには偏向した沖縄の新聞を象徴するような深いわけがあった。


 ことの次第を説明するため、時間を約四カ月巻き戻す。
 平成十九年六月十九日は、琉球新報の長期特集記事(火曜から土曜の夕刊に連載)の第二話「パンドラの箱を開ける時 沖縄戦の記録」の掲載予定日であった。

第一話「みんないなくなった 伊江島戦」が前日で終了、十九日からは第二話「慶良間で何が起きたのか」が始まる予定であった。


 執筆者上原正稔氏は掲載日の前、知人に「集団自決をテーマにしたもので、圧力に屈することなく執筆する」と語っていた。
 「集団自決」というテーマは地元二紙を中心に沖縄メディアが“民意”を煽っている最もホットなテーマのはずだった。言うまでも無く慶良間とは「集団自決」に関する「軍命令の有無」が問題になっている座間味島と渡嘉敷島を含む慶良間諸島のことを指す。
 だが、その特集記事は、読者に何の断りも無く、突然、中止になった。執筆者あるいは新聞社側の「お知らせ」や「弁明」等は一行も掲載されていなかった。
 

地元を代表する新聞が、「集団自決」に関する連載特集を突然中止したことに対して当然、いろんな憶測が飛び交った。
「新聞を中心に展開されている教科書検定運動に水をさすことになる内容になるため」だとか、「編集担当者の態度に変化があり、今回の事態に至ったらしい」とも言われた。
 偏向記事で知られる沖縄紙ではあるが、連載中止という非常手段に打って出るのはよほどのことがあったに違いない。


 上原氏の連載が中止された日の朝刊、文化面トップに林博史関東学院大学教授の「沖縄戦」特集の第一回目が掲載されていた。林教授といえば日本軍を残虐非道だと糾弾するサヨク学者で、「集団自訴訟」でも被告側の証拠を収集したことで知られている。
 上原氏の記事「慶良間で何が起きたか」には、一体、琉球新報を動揺させるどんな内容が書かれていたのだろうか。
 十月十六日、連載再開の冒頭で、執筆者の上原氏は次のように弁明をした。
《「パンドラの箱」の物語の順序も中身もちょっと変更を加えることにしたのでご了承お願いしたい。だが、読者が「あっ」と驚く話が続くことには何ら変りはない》
 前述のように事前の予告では「慶良間で何が起こったか」を明らかにし、集団自決の真実を白日の下にさらすとのことだった。
 しかし、再開した上原氏の原稿タイトルは「軍政府チームは何をしたか」であった。「集団自決」が起きた一九四五年三月下旬の慶良間を飛び越えて、四月以降の沖縄本島の米軍上陸、投降住民の管理の模様を記しており、「慶良間で何が起こったか」については一切触れていない。

「集団自決訴訟」にも登場するドキュメンタリー作家
 上原正稔氏とはどんな人物か。
 上原氏は「集団自決訴訟」の原告側と被告側の両陣営の準備書面に出てくる「沖縄ショウダウン」の著者で、沖縄一フィート運動の創始者でもある。「沖縄戦ショウダウン」は、平成八年六月一日から十三回にわたって琉球新報に連載されていた上原氏の沖縄戦記であり、現在連載中の「パンドラの箱を開ける時 沖縄戦の記録」はその続編になる。
「沖縄戦ショウダウン」には、上原正稔が記載した注の中で、沖縄タイムスや琉球新報が今では決して記事にすることのない金城武徳や大城良平、安里巡査の証言を取り上げられている。その証言では赤松大尉について、食料の半分を住民に分け与えたとか、村の人で赤松大尉のことを悪く言う者はいないなどと語ったことが記載されているのである。
 更に援護法を集団自決に適用するには軍の自決命令が不可欠だったので、赤松大尉は一切の釈明をせず世を去ったと記載している。
 平成八年といえば「集団自決裁判」が提訴される以前であり、琉球新報も偏向しているとはいえ、上原氏のように「反戦平和なんてボクには関係ない!」と言い放つドキュメンタリー作家の作品を連載する余裕があったことがわかる。


 それが平成十六年の提訴、そして平成十九年の「教科書検定意見発表」を機に、琉球新報も沖縄タイムスに負けない偏向報道に突っ走っていくのである。

「一フィート運動」を始めたのは上原氏
 毎年沖縄では「慰霊の日」の六月二十三日前後になると、地元テレビがこぞって沖縄戦の記録フィルムを放映する。米軍が沖縄へ上陸したときに撮影した記録フィルムを一フィートずつ買い取って放映する「一フィート運動」の実践である。
 上原氏は、独自のルートでアメリカで眠っている「沖縄戦映像」を取り寄せる「一フィート運動」の創始者でもあった。
 上原氏は従来の沖縄戦の研究者のように、戦争の持つ影の部分のみを捉えてイデオロギー問題に摺りかえる手法をとらない理由を次のように書いている。


「『鉄の暴風』等によって沖縄のマスコミがつくりあげた虚偽の神話に対する怒りを隠さない多くの集団自決当事者たちの証言に出会い、ようやく沖縄戦の真実に気がついた」。
 そして、「われわれが真相を知ることが『人間の尊厳』を取り戻す、すなわち『おとな』になることだと信じる」と断ったうえで、「筆者も長い間『赤松は赤鬼だ』との先入観を拭いさることができなかったが、現地調査をして初めて人間の真実を知ることができた」と告白している。
 また、「反戦平和なんてボクには関係ない!」と堂々宣言し、封印されていた沖縄戦の真実の物語を追求している異色の沖縄戦研究家でもあった。


「一フィード運動」は、その後、同運動に大田昌秀元知事や、新崎盛暉、安仁屋政昭、石原昌家等のサヨク学者が運営委員として加わり、運動がイデオロギー化していく。
 創始者の上原氏は「一フィート運動」がイデオロギー化するのを嫌ったのか、組織を離れて独自の活動をするようになった。
「慶良間で何があったか」を白日の下に晒そうとしたドキュメンタリー作家上原氏の連載を、琉球新報が「中止」したのは、何のためだったのか。上原氏に「何があったのか」

「沖縄イニシアティブ」方式
 平成二十年三月二十七日付け琉球新報「声」欄に次のような投稿が載った。

《県民大会論争について  浦添市 S・S・(62歳)
 3月20日(の)本欄は良かった。県民大会への賛否両論が併記され、どうすべきか迷った人も結論が出せたと思う。新聞の使命は「偏見なく真実を報道」。だが、偏りがちなのも現実。その点、投稿は両論併記が簡単だ。 賛否を決めるときは多少稚拙でもそうしてもらえばと願う。(以下略)》


 琉球新報は時折、アリバイ作りのように自社論調にそぐわない「投稿」「寄稿」を掲載する。右のS氏は琉球新報の一見公平に見える両論併記の裏に潜む「沖縄イニシアティブ」方式という卑劣な言論封殺手段をご存知ないのだろう。
 二十日の「声」欄の論争も一見両論併記に見えるが一人の投稿者を複数の反論者で袋叩きにする「沖縄イニシアティブ」方式そのものであった。

罠にかかった小林よしのり
「沖縄イニシアティブ」方式の由来は後に譲るとして、最近の例では目取真俊氏と小林よしのり氏の論争に琉球新報はこの汚い手を使った。
 その経緯を「ウィキペディア」が、次のように書いている。


《目取真は『琉球新報』でも小林を中傷。小林は自ら申し出て反論文を掲載。だが反論一回きりという条件だったため、以降は『琉球新報』と目取真のコラボによる小林中傷特集としか言い様がない些かアンフェアな状況に。沖縄に巣食う同調圧力の象徴とも見なされている。》


 また、最近発売された小林氏の著書『誇りある沖縄へ』には、琉球新報と小林よしのり氏とのやり取りが次のように説明されている。


《だいたい、この連載には「目取真【めどるま】・小林論争を中心にというサブタイトルがついとるけど、わしは目取真俊への反論は一回しかさせてもらっていないんだからね。 〇七年十一月三日に目取真が「風流無談」というコラムでわしを批判した後、琉球新報の記者が「何回かの連載になってもいい」と言うから反論を書くことにしたのに、書き始めた途端に「小林さんの反論は今回限りにさせてもらいます」と言ってきた。(中略)。
 で、わしの反論が掲載された一週間後には、目取真の再反論が紙面に載った。さらに渡名喜(渡名喜守太・沖縄紙を根城にする左翼学者―筆者注)の連載も始まった。でも、わしはもう反論させてもらえない》


 このくだりを読んで、琉球新報の罠に見事に引っかかって憤慨する小林氏の姿が想像され、失礼ながら思わず吹き出してしまった。
 琉球新報の常套手段を知らずにこの「論争」を読んだ読者は、おそらく次のような印象を植え付けられただろう。
「沖縄の作家や学者はすばらしい。あの論客の小林よしのりが、たった一回しか反論できず論破されたあげく尻尾を巻いて逃げたのだから」と。

沖縄紙の共同開発
 では、そもそも沖縄マスコミの常套手段である「沖縄イニシアチブ」方式とは何なのか。
「沖縄サミット」を目前にした二〇〇〇年五月~六月、沖縄の新聞紙面を賑わせた「沖縄イニシアティブ」論争に端を発する。
 沖縄の新聞を舞台に、沖縄の保守系学者が沖縄の将来を展望した政策論を発表したが、これを、数を頼んだ沖縄の左翼学者が袋叩きにした。その論点は肝心の政策論からイデオロギー論に摺りかえられ、左翼学者を支援する沖縄紙の画策もあった。
 そのために以後、沖縄の保守系学者は物言えば唇が寒い状態に置かれ、沖縄二紙は左翼学者の独占状態になる。


 以上がアウトラインだが、少し詳しく説明しておく。
 二〇〇〇年五月三日から十一日にかけて、沖縄タイムスに琉球大学の三人の教授(高良倉吉、大城常夫、真栄城守定)が連名で、同年三月下旬、アジア・パシフィック・アジェンダ・プロジェクト(A・P・A・P)沖縄フォーラムで発表した「アジアにおける沖縄の位置と役割――沖縄イニシアティブのために」という論文を発表した。
 これを読んだ沖縄タイムスОBの左翼論客、新川明氏が同紙の十六日、十七日紙面で批判ののろしをあげた。いわく、「日本国による沖縄『統合』の歴史的な作業がいよいよ最終的な仕上げの段階に入った」。


 当初からイデオロギー論争に引きずりこんで袋叩きにする意図が露骨に見える。ちなみに、沖縄タイムスというホームグラウンドで「沖縄イニシアティブ」を袋叩きにした左翼知識人の面々は、新川明・新崎盛暉・仲里効・石原昌家・川満信一・比屋根照夫・目取真俊などの各氏であった。
 沖縄の保守派の「袋叩き」を先導した新川明氏は、沖縄タイムス記者から同社社長にまでなった人物。記者時代には本土復帰前の初の国政選挙に際し、「国政参加選挙拒否」の署名記事を連載し、波紋を広げたこともある極左思想の持ち主である。
 この沖縄紙の「アンフェアな論争」は、本来、次のような見方が正当ではないだろうか。
 この頃から「沖縄のサイレントマジョリーティーの本音」は新聞紙面から放逐されるようになった。少なくとも沖縄で論陣を張ろうと思うと学者は、「沖縄イニシアティブ」方式という卑劣な手段によって抹殺されることを覚悟せねばならない。


《何かを変えようとする際、反対意見が出ることは珍しいことではない。その声にしっかりと耳を傾けることで、より良い方向に改善できることは多い。その意味でも反対意見は重要である。》


 これは、 平成二十年二月七日付けの琉球新報社説の冒頭部分である。社説が大真面目で言っているのか、それとも己の言行不一致を皮肉っているのか、筆者のような凡夫の思慮の遠く及ばないことである。

 

 



1 コメント

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本日の沖縄タイムス投稿欄 (カウンター58)
2023-08-28 23:47:56
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オピニオン面に一般投稿7本(児童生徒の「ぼくも私も」など除く)。

「『なぜサツマイモ』 投稿に同感」の那覇市・内間文顕さん(66)は、1月3、20日、2月5、22日、3月19、24日、4月14日、5月1、31日、6月19日、7月19日、8月1、15日に続き今年14回目の掲載。
「他国民への差別意識 今なお」の宮古島市・狩俣光さん(47)は、1月16日、2月11日、3月17日、4月8日、5月11日、6月14日に続き今年7回目の掲載。
「街路樹に最適 クヮディサー」の嘉手納町・知念勇一さん(82)は、1月15日、2月8、27日、3月27日、4月23日、5月9、28日、6月21日、7月8、24日、8月9日に続き今年12回目の掲載。
「故郷の芸能まつり 郷愁を満喫」の浦添市・池田博晄さん(74)は、2月1日、3月2、31日、5月1、20日に続き今年6回目の掲載。
「ボランティアは貴重な財産」の宜野湾市・大城隆史さん(68)は、1月1、17日、2月22日、3月9、27日、4月13、28日、5月17、31日、6月8、22日、7月6、19日、8月1、15日に続き今年16回目の掲載。
「8強進出 沖尚の健闘に拍手」の福岡市・野口康子さん(66)は、2月22日、3月26日、5月14日、6月21日、7月27日に続き今年6回目の掲載。
「あれはまぼろしか錯覚か」の那覇市・糸数昌宏さん(69)は、2021年11月17日以来の掲載。
 
カギカッコは投稿欄における見出し。

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