狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

続・沖縄住民「スパイ容疑虐殺」の真相 沖縄人スパイはいた!

2021-04-04 04:54:39 | ★改定版集団自決

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続・沖縄住民「スパイ容疑虐殺」の真相 沖縄人スパイはいた!2008-12-22 

の引用です。

米軍統治下の沖縄では、共産主義は禁じられていた。

だが、人民党という地元政党を隠れ蓑に共産主義者は増殖し続けていた。

1950年の朝鮮戦争や、中華人民共和国の成立等、「ドミノ現象」でアジア地域に共産主義が蔓延するのを恐れた米軍情報部は、

CICを中心に沖縄の共産主義勢力の監視に神経を使っていた。

米本国の政府高官が視察のため沖縄を訪問したとき、空港に出迎えにいったユースカー(在沖統治機関)の幹部が、同行した地元琉球政府の幹部を紹介した。

「こちらが、ミスターセナガです」

遠来の米政府高官に対し、歓迎の意をこめてにこやかに握手を求めて手を出したセナガ氏に対し、高官はアメリカ人らしからぬ奇妙な反応を示した。

「オー、ノー! セナガ」

と叫んだ件の高官、握手の手を引っ込めたのだ。

隠れ共産党の瀬長亀次郎氏の「悪名」は米国本土政府の中にも知れ渡っており、

空港に出迎えた「セナガ」氏に思わず握手の手を引っ込めたのだろう。

米政府高官に握手を拒否された哀れな男は、当時の琉球政府副主席・瀬長浩氏の「瀬長違い」であった。

米政府高官が本気で握手拒否をしたのか、それとも握手を求めた男が「セナガ」と聞いて、

とっさに思いついたアメリカ人特有のジョークだったのか、今となっては確認出来ない。

だが、とにかく、当時の米軍が共産主義の蔓延に対し、いかに神経過敏だったか知る上で、そしてその指導者としての瀬長亀次郎氏を要注意人物とみなしていたかを知る上で、この逸話は実に興味深い。

厳しい監視、家族まで 瀬長氏の長女にもスパイ
2006年5月31日 
<米国の調査機関が1950年代、元沖縄人民党委員長で那覇市長、衆院議員を務めた故・瀬長亀次郎氏の長女・瞳さん(68)=カナダ在住=の周辺にスパイを送り、瀬長氏の健康状態や日常生活を探っていたことが30日までに、米国国立公文書館が保管する資料で明らかになった。同館は瀬長さんが「人民党事件」(54年10月)で逮捕された後、宮古刑務所に収監されていた55年3月7日、獄中から瞳さんに送った手紙の英語訳も保管。手紙は瞳さんに届いていない。米当局が瀬長さんの家族にまで監視を広げ、詳細な身辺情報を逐一探っていたことがうかがえる。

  瞳さんに関する報告資料は2種類。ともに「極東空軍司令部が報告」と記され、情報源は瞳さん、提供者は「極秘の情報提供者」と記される。
 情報収集日が1958年5月20日の報告は「瞳の情報では、父親は深刻な肝臓病で近く入院する」と記載。31日の報告は「瞳が言うには父親(瀬長さん)は退院して家に帰った。政治の本を書く約束をし、本を売って妻のフミさんを8月の原水爆総決起大会に参加させる資金を稼ぎたいと言っている」と記す。米当局は同年8月、東京・横浜でフミさんを撮影している。
 瞳さんは「父から仕事や政治の話を聞いたことはなく、出版計画も当時は知らなかった。なぜ私が情報源なのか理解できない。スパイをした人が父の復帰闘争を弾圧するために無理に作ったのではないか」と話している。
 瞳さんに届かなかった手紙の英訳には米国のCIC(諜報(ちょうほう)機関)の名称を記述。文面は「刑務所からあなたの活躍を期待と希望を込めて見守っている」と娘への思いが切々とつづられている。
 沖縄テレビは同公文書館から収集した資料も盛り込んだ番組を制作。31日午後4時から55分間、逮捕、投獄、市長追放と時代に翻弄(ほんろう)された瀬長さんと支えた家族のきずなを描く「カメさんの背中」を放映する。>

                   

小林よしのり著『沖縄論』で、著者の小林氏が犯した唯一の過ちは、

元人民党委員長・瀬長亀次郎氏を沖縄の英雄と祭り上げて書いてしまったことである。

沖縄左翼を取り込む意図があったのだろうが、沖縄左翼のカリスマともいえる瀬長氏を沖縄の英雄に祭り上げてしまったことは、沖縄左翼に媚びるあまり、ミイラ取りがミイラになってしまったの感がある。

瀬長氏は、米軍政府と戦っていた姿勢と、方言交じりで演説する語り口で「カメさん」と呼ばれて年寄りには人気があったが、「沖縄の英雄」は沖縄左翼とマスコミが作り上げた神話である。

瀬長氏は共産党が禁じられていた米軍統治下の沖縄で、人民党でカムフラージュした共産党員であり、当時ソ連や日本共産党から密かに資金援助を受けているとの噂があった。

そのため、CICが情報取得の為本人は勿論、長女瞳さんの身辺をかぎまわっていたらしく、沖縄住民にも共産思想が入り込んでくることに神経質になっていた。

瀬長氏が沖縄に残した負の遺産が、現在でも日本共産党、社民党そして地元政党の社大党が県議会で与党を占める沖縄の特異性である。

瀬長氏は日本復帰と同時に日本共産党に正式入党し、共産党公認で衆議院議員に当選し、日本共産党副委員長も勤めている。

終戦後の米軍統治下の沖縄でCICが暗躍した様子は、『ナツコ 沖縄密貿易の女王』2005年文芸春秋社 奥野修司著)に、

自らCIC要員として働いていた金城良安氏が赤裸々に語っている。 

米軍統治下の沖縄でCICの代理人になった者は、教員、財界人、政治家と多士済々であったという。

CICの活動が目立たなかったのは、MPが制服であったのに対し、CICは私服で活動し、当時の合言葉であった「琉米親善」を口にする善良な民間アメリカ人を演じていたからだという。

沖縄のCICはライカム(Rycom=琉球軍司令部)の管理下にあった。八重山民政府からCICに移った金城良安によれば、「八重山には3人ぐらいしかいませんでした。その下に協力者はたくさんいました。つまり情報提供者です。CICは密貿易そのものには関心がなかったのです。関心があったのは外からはいってくる人物です。スパイは密貿易船を使って移動したりしますからね。たとえば中国大陸から誰が来ているとか、そういうことには神経質になっていました」  ちなみにどんな情報提供者がいたのか、当時の軍政府に勤務したことのある人物に尋ねると、「当時の八重山には30人ぐらいおりましたかな。トップは学校の先生で次は財界人と政治家。なぜ協力したのかって? そりゃ、いろいろ便宜を図ってもらえるからだよ。あの頃の米軍は神様よ。もうほとんど死んだが、あのときCICに協力した者はみな大物になっているよ」  自らすすんで協力する人もすくなくなかったという。 CICは諜報活動はするが、基本的に密貿易の取り締まりはしない。 米兵がからんだ場合はCID(陸軍憲兵隊犯罪捜査部)が民警と一緒に動く。 CICもCIDも基本的には私服である。>(『ナツコ 沖縄密貿易の女王』2005年奥野修司)

終戦後、CICに勧誘されて情報提供者になった住民のことは、よく聞く話だが戦時中に勧誘されてスパイになることは一か八かの大きな賭けであった。 もし、日本軍が勝利をしていたら間違いなくスパイ罪で死刑は免れないからだ。

一方、アメリカの勝利の場合は将来の豊かな生活を保障されていた。

事実南方帰りを自称して住民の中に混じって生活していた者が、戦後米軍服を着用して米軍ジープを乗り回している姿を目撃し、その男はその後ハワイで裕福な生活をしていたといった伝聞談は多い。

だが、自他共に認めるスパイで、戦後も「琉球王」とよばれたスパイの親玉の記事が本人の顔写真付きで、古い「月刊沖縄ダイジェスト」の記事になっている。

米軍のスパイといわれ臨時琉球王

沖縄戦の、4月3日、美里村で捕虜になって以来、米軍に積極的に協力、降伏勧告放送もやり、沖縄本島の東西分断も進言、志喜屋孝信らの諮詢委員会ができるまでは「臨時琉球王」で、日本が勝てばスパイとして処刑確実という男がいた。 その名は首里生まれの多嘉良朝朋(当時70歳)。 米軍はそのお礼として昭和24年、米軍政府のセーファ大佐から、コカコーラの民間への一手販売権を与えるーと口約束されたが、中城公園売店でのコーラ横流し事件が摘発されて、おあずけのまま、不遇のうちに死んだ。>(「沖縄事始・世相史事典」月刊沖縄社)

                   ◇

この「臨時琉球王」は、コカコーラの一手販売権をという美味しい果実を手にする前に悪事が露見して哀れな結末を迎えたが、終戦直後には、通常では考えられないようなアメリカの大会社の製品の一手販売権手にした人が多くいた。

それは戦時中彼らがスパイとして米軍に協力した報酬だという噂を良く聞いたが、それが「火の無いところに煙は立たぬ」だったのか、それとも単なる噂に過ぎなかったのか、今では事情を知る者のほとんどが墓場で眠っており真実を知る術はない。

 

2 コメント

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Unknown (涼太)
2008-12-23 01:30:01
狼魔人様

スパイ処刑の件は、集団自決裁判でも争点の一つになっていますね。沖縄の左翼団体は、「日本軍はスパイ容疑で住民を処刑し、自決に追い込んだ。」と主張しています。
32軍が「諜報に留意すべし。」と神経質になったのも理解できます。原告の梅澤さんもWILLで証言していますが、沖合いの米軍艦からきた潜水兵に情報を流すスパイがいたそうです。梅澤さんたちの動きは筒抜けだったそうです。でも終戦も近いから、梅沢さんは見逃したそうです。日本本土でも治安維持法の下、処刑された民間人はいましたので、特に沖縄だけの問題ではないと思います。
当初、上陸予定のなかった慶良間に、米軍が上陸したのも、スパイからの情報の所為でしょう。米軍の上陸がなかったら、集団自決もなかった。極端な言い方かもしれませんが、住民を自決に追い込んだのは、他ならぬ地元住民によるスパイ活動かも知れません。
反日左翼は、スパイ容疑で処刑された民間人のことをことさら強調しますが、逆にスパイの存在があったと証明するような結果になってしまいました。集団自決と同じケースですが、加害者と被害者が同じ共同体に住んでいるので、このことも、地元ではタブーだと聞いたことがあります。

話は変わりますが、もし先日の領海侵犯事件のように、中国が沖縄に侵攻してきたら、沖縄の左翼団体は真っ先に、スパイになるのでしょうね。残念です。
 
Unknown (狼魔人)
2008-12-23 09:46:08
涼太さん

>沖縄の左翼団体は、「日本軍はスパイ容疑で住民を処刑し、自決に追い込んだ。」と主張しています

仰るとおりで、彼らは「悪逆非道の日本軍」のイメージ作りのため、まったく論点の異なる「自決」と「スパイ容疑による処刑」を一緒くたにしています。

結局、「自決命令」が証明できない為、これも検証の困難な「スパイ容疑」を持ち込んで「残虐イメージ」を作りたいのでしょう。

伝聞証言でも「言ったもの勝」という作戦なのでしょう。

>話は変わりますが、もし先日の領海侵犯事件のように、中国が沖縄に侵攻してきたら、沖縄の左翼団体は真っ先に、スパイになるのでしょうね。

「スパイ防止法」の早急な整備が必要ですね。

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瀬長亀次郎氏を賛辞する沖縄左派の方々、この男は民主主義を否定した日本共産党員が事実なら沖縄版の毛沢東で在ること。 (坂田)
2021-04-04 11:52:59
【当時米軍が共産主義蔓延に神経過敏 瀬長亀次郎氏を要注意人物とみなしていた】・・・理由在り。

人類史上最大の海戦を戦って来た日本とアメリカ。

この両国が今は確固たる軍事同盟化で世界最強の抑止力を備えた共同軍になったこと。

米軍が世界で唯一常時共同訓練する相手は自衛隊3軍だけです。世界が驚いているわけだ。

76年前から見たら今は凄い世界になりました。マッカーサーと東郷の両元帥も墓場で驚愕です。

熾烈な戦いを行った国同士こそが戦後に互いを認め合い尊敬し合う事例は幾らか在ります。

ところが、日本とアメリカの関係だけはプラスアルファが在りました。国民が誰も知らなかった様だ。

むしろ、世界で唯一日米両国だけの特別な関係(=共通国益の護持思想)だったと断じます。

終戦直後、天皇制度が連合国軍の意図と違い進駐軍から温存されたことを、マッカーサー元帥の独断とする意見が在りました。然し、伏線が在ったこと。

この件はアメリカ政府の事前決定で行われたこと。

天皇制度を温存すれば、①進駐軍に因る日本の間接統治に反発する国民宥めに寄与すること。温存が占領軍の最適な占領政策で在った。

②当時、国内の武装解除が未だで在り全国の軍弾薬庫も在庫が所在の侭で、反乱が起きたら進駐軍は是も非も在りません。

①の件、411年前に徳川家康公が決裁の薩摩藩に因る沖縄武力占有も、家康公が「薩摩藩が首里王を温存し間接統治すること」を稟議決裁に付した。

そのお陰で、速やかに沖縄本島の刀狩が農民の段階まで実施が出来た、これで反乱の芽が摘めた。

なお、農民の段階まで刀狩された沖縄で、無防備の庶民防御法に世界初の空手が編み出されたこと。

のちに、空手家が首里城周囲の酒蔵から泡盛甕移送を護衛する役に就いた記録も在る。

とにかく、マッカーサー元帥が執った天皇制度温存が徳川家康公の沖縄の日本編入と同じ方法だった。

②の件、1945年8月中旬過ぎ厚木飛行場に降り立ったマッカーサー元帥、丸腰でコーンパイプをくわえサングラス姿の写真を撮らせて世界に「余裕のマッカーサー元帥」を喧伝させたが、後年、あれはハッタリ噛ましで在ると判った。

未だ武装解除が一切終わっていない日本に、マッカーサー元帥が上陸すること自体が危険極まりないと指摘されていたからだ。

ところが、マッカーサー元帥は既に秘策を日本政府と合意していたから、反乱を心配しなかったこと。

その秘策が、日本とアメリカ両政府の共産主義者潰し矜持が共通していたことの結果でした。

戦時中から戦後もアメリカ上下院議会でレッドパージ喚問が度々在ったこと。議会が呼び出すのだ。

有名なハリウッド俳優たちも議会で、TVの前で「私は共産主義者じゃ在りません」と宣誓した。

なぜ、レッドパージなのか。共産主義が資本主義を否定したからである。これを、米国人が許さない。

だから、資本主義を否定するので、その前に民主主義を否定しないといけないからだ。反社会勢力だ。

そのため、日本がポツダム宣言受託直後にフィリピンマニラで事前に日本の戦後復興構築のために、日米両政府に因る協議が行われた。ここで決まった。

日本政府代表が英語が堪能な元陸軍青年将校、彼に日本政府が戦後の日本の運命を託したのだ。

協議が成功して天皇制度温存を合意が出来たこと。

マニラから帰路、沖縄本島中部西海岸沖の伊江島飛行場に、マニラ協議の成功を祈念して予め白く塗り替えた輸送機に乗り換えて帰京した。

平和の象徴で在る白い鳩を想わせる機を東京上空で見せることで、マニラ協議の成功を周知させる効果が在ると解説された。

そして、間もなくマッカーサー元帥が日本政府に日本国内の共産主義者を暴き追放する特務機関を政府内に設置する様に要求したこと。

その機関責任者を、マッカーサー元帥がお気に入りのマニラ協議で日本代表の元陸軍青年将校に指名。

そして、特務機関の通称を元陸軍青年将校の名をとって〇〇機関と命名された。

日本共産党が今も憎み復讐を誓った日本政府のレッドパージ。

公職追放大成果を上げた〇〇機関よりも、恨むならマッカーサー元帥を恨め。

実は世界で一番、戦前から資本主義を否定する共産主義追放に邁進して来た世界の三羽烏が、「アメリカ、ドイツ、日本」で在ったこと。

アドルフ・ヒトラーに至っては、国内の共産主義者発見法を編み出したほどだった。

その、共産主義思想に対峙する矜持関係が戦後のアメリカと日本に唯一共通していたこと。

結果、これで天皇制度を温存した日本が助かった。

なおサンフランシスコ講和条約にロシアは欠席、毛沢東共産党軍は無関係で在り、中國の代表は中華民国蒋介石代表で在ること。


沖縄県で瀬長亀次郎氏を左派が英雄扱いするが、とんでもないことだ。左派全員の頭が可笑しいさ。

今、我々の生活が平和に繁栄する道を辿っている理由は、民主主義と資本主義の国に居住まうからだ。

夜、安心して寝就くことが出来るのも日米両軍が24時間出動態勢で国境主権監視を怠らないからだ。

それに対して、世界初の共産主義国家のソ連が29年前に壊滅して民主主義・資本主義の社会に舞い戻った理由は、国民生活が資本主義社会よりも極貧に喘いだことが判ったから、市民から革命が起きた。

今、これを再現しているのがミャンマー軍事クーデター政権で在り、共産主義特有の民主主義否定に因る人権弾圧独裁政治を目指していること。

かつての軍部政権側が、今の既得権益を奪還して社会利潤を独占する目的で在る。

即ち、共産主義の事実は最初から人間階級制度に在るから国体が崩壊してしまったわけだ。

そのミャンマー軍事クーデターを裏で操っているのが中國共産党政府。ミャンマー経済制裁を国連常任理事会で反対する習近平国家主席の意図?

今のミャンマーの通信体制と情報態勢と指令系統を構築したのが中國の実質国営企業の世界最大IT企業ファーウェイ社で在ること。

国民が通信手段や交流などをファーウェイのスマホだけで行うのがミャンマーで在り、昔から多大な支援を中國から得て来た結果が、「ミャンマー政府よりミャンマーのことを良く知るのが中國共産党政府」で在ること。

だから、軍事クーデターを操作した中國共産党政府と詰っても当然で在ること。なにせ、中國共産党政府が「ミャンマー政府よりミャンマーのことを良く知る」からだ。



当時の瀬長亀次郎氏、アメリカ本国なら速やかに収監されてしまう反社会主義者に過ぎなかったこと。

理由は、本質が共産主義とする民主主義と資本主義を否定する邪悪な思想家に過ぎないからだ。

瀬長亀次郎氏を今も賛辞する沖縄左派の方々へ、あなたたちこそ民主主義を否定した人間差別思想と人権弾圧(=共産主義思想の真の正体)に因る粛清願望がある反社会人で在ると断じます。

欧米が、中國共産党政府に因るウイグルと香港への人権弾圧に怒って一斉に中國に経済制裁を課した理由は、人間にとって一番大切な自由民主主義(=人権護持)の矜持を、共産主義(=民主主義を否定する社会)が壊したからだ。

従って、民主主義と共産主義の戦いが始っていることを、共産主義者が判ってないことが問題で在る。

そもそも、統治だけを共産主義にした中國共産党政府が民主主義を判るはずがない。

国体が、共産主義こそが民主主義を否定することで出発点になるだからだ。
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そんな保証はない (KOBA)
2021-04-05 01:27:34
 >アメリカの勝利の場合は将来の豊かな生活を保障されていた

 シナチスのスパイになっても最後は「豊かな生活」どころか用済みになれば真っ先に粛清されるのがオチでしょうね。
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