最近は天気が悪くて鉢の点検も出来ない状態でした。
でも、そろそろタネの朔果が枯れて収穫できるようになりつつ
あるので、時間があるときに点検を済ませないと、タネがこぼれたり
朔果の中で発芽してしまうことがあるので、今夕少し点検を行って
おりました。
しばらくすると、隣の家に近くのガソリンスタンドの人が来て、
灯油の補給にやって来ました。 そういえば、そろそろ寒くなって
来るからストーブの準備かぁ~と思っていると、ガソリンスタンドの人が
やってきて、「今度は釣りじゃなくてそんなことをやっているの?」と
言ってきました。 私とガソリンスタンドの人は顔見知りなので
私の趣味についても以前からのツリキチというのは知っていました。
もうだいぶ前からやってますよと答えると、ふと 私はガソリンスタンドの
人に質問してみました。 それは「永福朝顔園」のことです。
ガソリンスタンドは昔からこの地にあるので、もしかして・・・と思い
聞いたところ、ガソリンスタンドの近く、それも私が通っていた
小学校の隣にあったと言うのです。 これには本当に驚きました。
永福朝顔園の園主であり、ラセン作りの考案者である尾崎哲之助氏の
自叙伝によると、確かに永福朝顔園の事が記述されており、いったい
永福町のどの辺で栽培していたのか、私は勝手な想像をしておりましたが
まさか、自分の家からわずか200メートルもない自分が通っていた
小学校の隣だったとは驚愕でした。
この地を良く見ると他に見当たらないくらい朝顔園の入り口の道路が
広くなっています。 当時の永福朝顔園は井の頭線の永福町駅から
バスを出して、朝顔園に行く客を運んでいたらしいのです。バスの
行き来を行うために広くなっていたと思われます。昔から何でこの道だけ
広いのか?と思っておりましたが、今となっては納得できます。
また、あるいは当時の天皇陛下が朝顔園に見学に来たと言う記述も
あるので、園の前の道路を広くしたのかもしれません。
いずれにしても、私がなぜ朝顔栽培に携わって来たのか・・・
何とも言いがたい不思議な縁で、朝顔栽培を行わなければならない
運命とも思えるつながりがあるのです。
この永福朝顔園が朝顔畑に病気が発生したために、尾崎氏は世田谷の烏山に
朝顔園を引っ越すのですが、そこは私の父親の実家の畑のすぐ横なのです。
これも不思議なものです。こんなに偶然が重なるものでしょうか?
そして、何も聞いていたわけでも無いのに尾崎氏と交友があった
前東京あさがお会会長の市川二郎氏の会に入会することとなり、
尾崎氏が考案したラセン作りを継承して栽培している自分がいます。
本当に本当に不思議でなりません。 ガソリンスタンドの人から
朝顔園の場所を聞いた時には、鳥肌が立つ思いでした。
こんな事ってあるんですかねぇ
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