快気分析

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仕組みとアプローチ -  本能寺の変 桶狭間の戦いと似たメカニズムで信長は命を落とした

2017-11-12 21:13:43 | 地震 津波
 本能寺の変が6月2日で前日の新月からの明け方だったわけですが、以前の記事に書いた通り、当時は街灯も無く、松明でも使わなければ手元も見えない位に暗かったわけです。
 なので信長は仮に夜に脱出しようとしても松明の灯りで見つかってしまうわけで、既に集結してきていた部隊に結局は討ち取られたと思われます。
 新月の夜はこのような面だけでは無く、明智軍にはもう一つ有利な面が有ったと考えています。
 それは本能寺に集結、移動する兵達を、仮に街道やその周辺にいて万が一、異変に気がついた者がいたとしてもその者が信長に通報しようとした場合、やはり松明を使って速足で移動するしか無いはずだからです。
 当時、道の殆どに街灯や予め灯されていた松明の列などがあるはずも無く、そして人か馬でも当時は手持ちの松明ですから、今の車のヘッドライトやサーチライトなどとは違い、至近距離しか見えません。
 なのでまず早馬で知らせに行くのは無理であり、馬を使うにしてもせいぜい人の小走り程度の速度が限界ではないでしょうか。
 そして松明の光は多くの方向に届くので見つかります。
 何とか明智軍よりも早く信長の所までたどり着いて通報しようとした者はまず必ずと言って良い位、明智軍に見つかって口封じに抹殺される事になります。
 そして更に明智軍の方も、ゆっくりした歩行ではなく、早歩き或いは小走りにより、通報者に遅れをとらないようにしていたと見ています。
 明智軍は奇襲の為の部隊移動、進軍を「新月の夜」と言う好条件を利用する事により信長方に知られる事無く遂行できたはずです。
 本能寺の変ではこのように新月を利用する形体だったようですが、実は以前に記事にした通り、桶狭間の戦いでは、一時的な強風雨が信長軍の中入り部隊(もしかして囮も兼ねた正面攻撃隊も)の移動、進軍を今川方に知られる事無く、今川義元本陣に接近し襲撃に成功したのとメカニズムとしては似ています。
 桶狭間の戦いで強風雨が今川義元討取り成功要因の一つだった信長は、本能寺の変では新月を利用したやや似たメカニズムで明智軍に襲撃されて命を落としたのでした。