快気分析

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仕組みとアプローチ -  本能寺の変 毛利氏が足利義昭を手放すわけがない

2017-11-16 18:17:22 | 地震 津波
 今年9月16日に書いた記事で引用した、明智光秀から土橋重治に宛てた書状ですが、この書状が仮に本物だったとしても、実際に足利義昭が上洛する目途がたっていたのか?となるとそれは疑問に思えます。
 理由は単純です。
 毛利氏が足利義昭を手放すわけが無いからです。 
 織田信忠が仮に征夷大将軍に任ぜられる直前だったとしても討たれたのではまだ足利義昭は解任にはならず、更に信長の遺体が確認されたわけでもなかった事から、万が一でも毛利氏がやがて織田勢と戦わねばならなくなった時に、征夷大将軍を盾にしていくらかでも戦闘や交渉を有利にする為のカードとするしか有りません。
 毛利氏が明智光秀との密約が相当前から十分になされていなかったのならば、仮に明智方が征夷大将軍である足利義昭を連れ去ろうとしても、毛利氏は戦闘を交えてでもそれを阻止したはず、と見ています。
 唯一、足利義昭の上洛が有るとすればそれは毛利氏が長宗我部と共に明智方と同盟して織田信孝を始めとする織田勢と対決する場合だけとなるはずです。
 そしてその史実は有りませんでした。
 光秀が足利義昭という個人に上洛を取り付けてもそれは無駄な事であり、こうした根回しは毛利氏としなければ上洛には至らなかったはずです。
 では明智光秀が毛利氏に宛てた書状というのが見つからないのは、何故でしょうか。
 書状は送ったが届かなかったケース、書状は届いたが毛利氏が没にしたケース、光秀が最初から毛利氏に書状を送らなかったケース・・・・・一体どれなのでしょうか。
 いずれにしても毛利氏が明智軍に加勢して織田勢と対決するつもりだったのならば、中国大返しをしている秀吉の軍を、足利義昭を同行させながら毛利氏は追撃していたと考えます。
 そしてその追撃が実際には有りませんでした。