快気分析

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仕組みとアプローチ - 焼岳付近で有感地震多発

2018-11-24 08:43:34 | 地震 津波
 長野県と岐阜県の県境に有る焼岳付近で有感地震多発しているようです。

引用開始(一部抜粋)

https://news.goo.ne.jp/article/hicbc/nation/hicbc-00048b3a.html

23日夜から24日にかけ、岐阜・高山で震度1の地震相次ぐ
06:37CBCテレビ

 23日夜から24日朝にかけて、岐阜県高山市で震度1の地震が14回相次ぎました(午前6時15分現在)。
 周辺の北アルプス焼岳では火山性地震が相次いでいて、気象庁は今後の火山活動に注意するよう呼び掛けています。

引用終了

 過去の焼岳の火山性活動ですが、16世紀以降だけでも次の通りです。

引用開始(一部抜粋)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%84%BC%E5%B2%B3

1570年前後 - Ykd-Tu6テフラ。爆発し飛騨側の村で被害が出た[14]。
1746年(延享3年) - Ykd-Tu7テフラ。

20世紀以後

1911年(明治44年) - 年間22回の小爆発を記録した[14]。関東地方でも降灰を観測。
1915年(大正4年)6月6日 - 大爆発を起こし泥流が梓川をせき止め堰止湖である大正池を形成した[12]。
1924年-1926年 水蒸気噴火、(泥流)
1962年(昭和37年)6月17日 - 水蒸気爆発を起こし松本市で降灰し、旧焼岳小屋を火山灰が押しつぶし4名の負傷者が出た[12][14][15]。
1995年(平成7年)2月11日14時25分 - 中部縦貫自動車道安房トンネルの長野県側トンネル工事に関わる取り付け道路の工事現場において、火山性ガスを含む水蒸気爆発が発した。直後に泥流が噴出し、工事に従事していた作業員ら4名が死亡した。
2017年(平成29年) 8月10日日未明 - 10日午前0時 - 午前2時までに空気の振動を伴う地震が6回観測され、同時間帯に山頂のおよそ400メートルの斜面から小規模な白い噴気を監視カメラにて確認、気象庁は噴火警戒レベル1を継続。
2018年(平成30年)11月23日 焼岳付近で有感地震が増える。

引用終了

 1570年前後とは1585年の天正地震の十数年前、1746年以降に前後期間を含めて過去の地震を見て見ると、

引用開始(一部抜粋)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%B0%E9%9C%87%E3%81%AE%E5%B9%B4%E8%A1%A8_(%E6%97%A5%E6%9C%AC)#18%E4%B8%96%E7%B4%80

1741年8月29日(寛保元年7月19日) 寛保津波 - M 6.9(Mt 8.4)、死者2,033人。北海道西南沖の大島で火山性地震。大津波発生、佐渡・能登・若狭にも津波。
1751年5月21日(寛延4年4月26日) 高田地震 - M 7.0〜7.4、死者1,541人。越後・越中で地震。高田で火災など。

(中略)

1905年(明治38年)
6月2日 芸予地震 - M 7.2、死者11人。
7月7日 福島県沖で地震 - M 7.1[122]。
1909年(明治42年)
3月13日 千葉県房総半島沖で地震 - 8時19分にM 6.5、23時29分にM 7.5。
8月14日 姉川地震(江濃地震) - M 6.8、死者41人。
8月29日 沖縄本島付近で地震 - M 6.2、死者2人。
11月10日 宮崎県西部で地震 - M 7.6。

1910年代

1911年(明治44年)6月15日 喜界島地震 - M 8.0(mB 8.1)、死者12人。
1913年(大正2年)2月20日 日高沖で地震 - M 6.9(Ms 7.0)
1914年(大正3年)
1月12日 桜島地震 - M 7.1、死者29人。
3月15日 仙北地震 - M 7.1、死者94人。秋田県強首村(現大仙市)で最大震度7相当と推定[123]。
1915年(大正4年)
1月6日 石垣島北西沖で地震 - M 7.4。
3月18日 北海道十勝沖で地震 - M 7.0、死者2人。
11月1日 宮城県沖で地震 - M 7.5、岩手県や宮城県の沿岸に小津波。
1916年(大正5年)11月26日 明石付近で地震 - M 6.1、死者1人。
1917年(大正6年)5月18日 静岡付近で地震 - M 6.0、死者2人。
1918年(大正7年)9月8日 択捉島沖地震 - M 8(Ms 8.2、Mw 8.3[115]、Mt 8.5)、死者24人。

1920年代

1921年(大正10年)12月8日 龍ヶ崎地震 - 千葉県・茨城県県境付近で発生。M 7.0。家屋倒壊、道路亀裂。
1922年(大正11年)
4月26日 浦賀水道地震 - M 6.8、死者2人。
12月8日 島原地震(千々石湾地震) - 1時50分にM 6.9、11時02分にM 6.5。長崎県橘湾で地震、死者・行方不明者?人。
1923年(大正12年)
6月2日 茨城県沖で地震 - Mj 7.1[4]、千葉県銚子市で最大震度 4。
7月13日 九州地方南東沖で地震 20時13分 - Mj 7.3[4] 深さ44km[4]。宮崎県宮崎市と鹿児島県鹿児島市で最大震度 4。
9月1日11時58分頃 関東地震(大正関東地震、関東大震災) - M 7.9(Ms 8.2、Mt 8.0、Mw 7.9〜8.0[124]Mw 8.2[96])、関東地方南部と山梨県で最大震度 6。神奈川県と千葉県南部のそれぞれ一部で震度7相当と推定[125]。死者・行方不明者10万5,385人(1925年の調査では14万2,800人)[126](日本災害史上最悪)。本震3分後にM7.2、4.5分後にM7.3の地震が起こって地震動は10分以上続いて[127]いる。
同日12時3分頃 相模湾で地震 - Mj 7.3[4]、埼玉県熊谷市と山梨県甲府市で最大震度 5、大正関東地震の余震。
9月2日 千葉県南東沖で地震 - Mj 7.3[4](Mw7.8[128])、山梨県甲府市で最大震度 5、大正関東地震の余震。
1924年(大正13年)
1月15日 丹沢地震 - Mj 7.3、死者19人。山梨県甲府市で最大震度 6。大正関東地震の余震と見られている。
7月1日 北海道東方沖で地震 - Mj 7.5、北海道根室市で最大震度 4。
8月15日 茨城県沖で地震 - Mj 7.2、福島県いわき市で最大震度 5。
12月27日 網走沖で地震 - Mj 7.0、深さ150km、北海道根室市で最大震度 4。
1925年(大正14年)5月23日 北但馬地震 - Mj 6.8、兵庫県豊岡市で最大震度 6。火災発生、死者428人。
1926年(大正15年)
6月29日 沖縄本島北西沖で地震 - Mj 7.0、深さ150km。沖縄県那覇市で最大震度 4。
8月7日 宮古島近海で地震 - Mj 7.0、沖縄県石垣島で最大震度 4。
1927年(昭和2年)3月7日 北丹後地震 - Mj 7.3(Mw 7.1)、京都府宮津市と兵庫県豊岡市で最大震度 6。震源付近で震度7相当と推定[129][114]。死者2,925人。

(中略)

1961年(昭和36年)
2月2日 長岡地震 - Mj 5.2、新潟県長岡市で最大震度 4。死者5人。
2月27日 日向灘で地震 - Mj 7.0、宮崎県宮崎市・日南市・都城市で最大震度 5。死者2人。
8月12日 釧路沖で地震 - Mj 7.2、北海道道東、浦河町で最大震度 4。
8月19日 北美濃地震 - Mj 7.0、中部地方から近畿地方にかけて最大震度 4。死者8人。

1962年(昭和37年)

4月23日 広尾沖地震 - Mj 7.1、北海道帯広市・広尾町で最大震度 5。同年6月29日に十勝岳が噴火している[134]。
4月30日 宮城県北部地震 - Mj 6.5、岩手県、宮城県、山形県、福島県で最大震度 4。死者3人。

1963年(昭和38年)10月13日 択捉島沖地震 - Mj 8.1(Mw 8.3[115] - 8.5)、北海道浦河町・帯広市で最大震度 4。択捉島から宮城県までで津波を観測。
1964年(昭和39年)6月16日 新潟地震 - Mj 7.5(Mw 7.6)、死者26人。新潟県、山形県、宮城県、福島県で最大震度 5。
1965年(昭和40年)

4月20日 静岡地震 - Mj 6.1、神奈川県、山梨県、静岡県で最大震度 4。清水付近で大きな被害、死者2人。
8月3日〜1970年6月5日 松代群発地震 - 最大Mj 5.4(1966年4月5日)、全地震のエネルギーの総計はM 6.4相当。

(中略)

1994年(平成6年)

7月22日 日本海北部で地震 - Mj 7.3、深さ552km。福島県、茨城県、東京都で最大震度 3。
10月4日 北海道東方沖地震 - Mj 8.2(旧Mj 8.1、Mw 8.3)、北海道釧路市・厚岸町で最大震度 6、死者・行方不明者は北方領土で11人。
10月9日 北海道東方沖で地震 - Mj 7.3、北海道釧路市で最大震度 4、北海道東方沖地震の最大余震。
12月28日 三陸はるか沖地震 - Mj 7.6(旧Mj 7.5)(Mw 7.8)、青森県八戸市で最大震度 6、死者3人。

1995年(平成7年)

1月7日 岩手県沖で地震 - Mj 7.2(Mw 6.9)、青森県八戸市、岩手県盛岡市・葛巻町で最大震度 5、三陸はるか沖地震の最大余震。
1月17日 兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災、阪神大震災) - Mj 7.3(旧Mj 7.2)(Mw 6.9)、兵庫県南部・淡路島北部で最大震度 7、死者・行方不明者6,437人。当初は最大震度 6だったが、実地検分により7に修正された。
12月4日 択捉島南東沖で地震 - Mj 7.3(Mw 7.4)(北緯 44.58度、東経 149.39度)。北海道と青森県で最大震度 2。根室 17cm、八戸 13cm、釧路 10cmの津波を観測。

引用終了

 過去の記録から見ると前後に目立つ地震が、特に近畿、中部、関東甲信越で発生している事が多いようです。
 焼岳の火山性活動はまだ目立つ噴火に至ったわけでは有りませんが、兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災、阪神大震災)、大阪府北部地震と、中越地震、長野県北部地震に経度として挟まれたエリア、そしてこれには該当しない関東、中部のエリアもそろそろ通常より注意すべき時期なのかも知れません。

仕組みとアプローチ - 太陽光発電 今後は見込みが無いのか?

2018-11-24 00:21:58 | 地震 津波
 太陽光発電ですが、今後は見込みが無いのか?
 結論から書きますと(様々な課題は有るものの)「決して価値が無いとは言い切れない」、と考えています。
 今年の国内は夏に晴天が多かったエリアが多かったようで、関東地方でも一時は水不足が懸念されたのですが何とか降雨が間に合って回避出来たようです。
 筆者の庭なども植えて有る果樹へわざわざ水を撒かねばならず、西日本で水害が発生しているのにどうして自分が庭などに水を撒かねばならないのか? 水害が酷い西日本の降雨の少なくとも一部でも関東地方で降雨となってくれればお互いに助かるのに、とは思った事が記憶に残っています。
 これが何を意味するのか? と言うと、それは今年の猛暑で冷房の電力需要が多かったとしても、晴天によりかなり太陽光発電が役に立ったと言う事なのかと思います。
 その点を無視して太陽光発電のネガティブな部分だけ最近は話題になっているようですが、それは偏った見方ではないかと考えています。
 では「太陽光発電の今までの姿勢に悪かった点は無いのか?」と言うとそれは完璧ではなく、例えば一部と言えども有害物質を含む太陽光発電の資材が津波や猛烈な風で損傷、飛散、流出した場合についてそのようなリスクの有るエリアでの設置制限をしていなかった、と言う事が一例かと思います。
 近年に無かったような津波や洪水、モンスター台風による風などが多発している今の日本、いや世界では、このような点を今後制度化して適材適所の太陽光発電設備資材を使うようにすればそれなりに価値は出て来るものとは考えています。
 電力供給事業者に売電すると言う形態について今後は厳しいかも知れません。
 ただ自宅の庭に移設、移動容易に設置すると言うスタイルにシフトすれば土地、特に宅地の価値がそれなりに出て来ると思われ、下落が激しい宅地エリアの価値も多少かそれ以上に下落防止となるどころかもしかして反転する期待ができるエリアが出て来る可能性もゼロではないかも知れません。
 インターネットなどの普及で企業もその気になれば社員が自宅でも仕事が出来る事も可能なケースも多くなって来ている今では、通勤に不便なエリアでも生活環境が良ければ価値の有る良い不動産となるわけです。
 太陽光発電と言う単独では無く、太陽光発電をするには広い土地が有効と言う点で不動産の価値下落から反転させるツールの一つとして決して無視はできないものだと考えています。
 それともう一つ。筆者の体験ですが、東日本大震災の直後、計画停電などに対策しようと自宅に有った小型発電機や自家用車で電源を確保しようと給油所に行ったのですが、何と燃料が売り切れて既に店が閉まっていました。
 あの時の光景は今も鮮明に記憶に残っています。
 この状況でに役に立ったのは薪ストーブですが電源は手回し充電で大変でした。
 この時に思った事は「太陽光発電も捨てたものではない」と言う事です。