快気分析

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仕組みとアプローチ -  明智光秀が山崎の戦いで大敗した要因を考える 大山崎町あたりの隘路の事など秀吉が知らなかったはずはない

2019-08-25 11:21:20 | 明智光秀
 明智光秀が大敗した山崎の戦いについて、このエリアを決戦の場に光秀が選んだのは「大山崎町のあたりで隘路になっている為、秀吉勢に比べて兵力が劣っていてもほぼ互角に戦えるから」と言う理由であるとするのが通説のようです。
 この点は確かに間違いではないとは思えます、がそれはよく考えれば疑問な点も有るのがわかります。
 個人的にはこう思うのです。
 「大山崎町のあたりで隘路になっている為、明智勢が秀吉勢に比べて兵力が劣っていてもほぼ互角に戦える事ぐらいは秀吉や優秀な参謀らが知らなかったはずはない。」
 ではそれがわかっていて秀吉は何故あの山崎で戦う事に応じたのでしょうか。
 秀吉には「勝算が有ったから」、そして「仮に戦闘が手こずって一時的に退却する事になっても安全だとわかっていたから」と言うのがその理由になって来ます。
 この内、後者の方は以前の記事で書いた通り、瀬戸内海の水軍、海賊勢力を押えていた為、「秀吉勢は海路での援軍支援要請や場合によっては退却も出来る事、そして宇喜多氏、三好氏が秀吉方であり、仮に明智勢が一時的に優勢となって陸路で秀吉勢が退却するとしてもこの両武将の所領の奥までは追撃できるものではない」、と言う事となるのは容易にわかります。
 では前者の「勝算が有ったから」と言うのはどう言う事だったのでしょうか。
 その一つの仕組みは筒井順慶の動きだったと考えています。
 当初、筒井順慶は明智光秀に加勢するような動きをしていて実際に兵を送ったりしています。
 これと更に高山右近、中川清秀の居城も山崎から近い事などからも光秀は筒井勢、高山勢、中川勢の戦力が有効になりやすい場所であり、しかも隘路である山崎ならば勝算は有る程度見込めると考えて秀吉との決戦の場に選んだのではないでしょうか。
 光秀に加勢しない事を早くから意思表示していたのは細川藤孝・忠興父子ですが、それだけ「ドタキャン度」は低いわけで明智光秀もそれなりの対応が出来たはずです。
 ところが筒井順慶は直前まではっきりとした動きを見せず、そして高山右近は家族や家臣を使い明智方に加勢するような返事をさせて光秀らが直前まで油断してしまう結果となりました。
 これについては、秀吉は筒井順慶らへの根回し(調略)をわざと遅らせて明智光秀らを山崎の戦いの場に「おびき寄せた」のではないかと思っています。
 そして秀吉が山崎エリアでの決戦に応じて軍勢を進めたのは、「既に筒井順慶、高山右近、中川清秀への根回し(調略)が既に済んでいたから」と言う事になります。
 仮にこの調略が済んでいなかったら、秀吉勢はあの山崎周辺には近い付かなかったのではないでしょうか。
 尚、池田恒興は信長の異母兄弟でもあり、明智方に加勢する可能性はほぼ無かったため、秀吉方に加勢するのは当然です。
 そして更に秀吉は万が一の事も考えて、山崎の隘路の先には秀吉の直属部隊は当初殆んど送らず、先鋒やそれに続く最前線には高山右近、中川清秀、勝算が出て来たら池田恒興らを使っています。
 秀吉はリスクマネージメントも十分だったように思えます。