快気分析

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仕組みとアプローチ -  おや?と思った 三重県北部を震源とする地震

2025-01-27 00:16:16 | 火山 地震 津波 
 今日は三重県北部を震源とするMj3.2の地震が有りました。
 この規模の値自体はさほど気になるものではないのですが、過去からの時系列を見ると少し気になる点が有ったので記事にしました。
 2004年以降、三重県北部を震源とする有感地震は次の通りです。
                                                                       Mj 最大震度
2025年1月26日 9時16分ごろ    三重県北部    3.2    1
2024年6月25日 17時47分ごろ  三重県北部 3.2  2
2024年5月24日 2時13分ごろ  三重県北部 2.0     1
2024年1月9日 3時21分ごろ   三重県北部 2.6    1
2023年12月26日 4時09分ごろ  三重県北部 2.9    1
2023年10月9日 19時33分ごろ  三重県北部 2.5    1
2022年10月27日 13時09分ごろ 三重県北部 3.7    2
2022年7月5日 16時34分ごろ   三重県北部 3.3    2
2022年5月4日 7時16分ごろ   三重県北部 2.7    1
2020年1月31日 20時50分ごろ  三重県北部 1.9    1
2013年4月13日 7時13分ごろ   三重県北部 2.7     1
2013年2月3日 8時38分ごろ    三重県北部 2.9    1
2012年11月6日 17時09分ごろ  三重県北部 2.1       1
2012年4月30日 17時38分ごろ   三重県北部 2.3    1
2011年9月9日 16時25分ごろ   三重県北部 2.9    1
2009年2月12日 1時48分ごろ   三重県北部 2.9    2
2008年11月28日 13時16分ごろ  三重県北部 2.5    1
2008年9月30日 23時30分ごろ   三重県北部 2.3     1
2008年1月24日 8時25分ごろ    三重県北部 2.4    1
2007年4月7日 4時36分ごろ     三重県北部 2.2     1
2005年12月22日 0時07分ごろ    三重県北部 3.5      1
2005年4月22日 1時59分ごろ    三重県北部 2.2     1
2004年6月1日 8時25分ごろ     三重県北部 2.6    1
2004年3月21日 19時32分ごろ    三重県北部 2.4    1

 これを見ると2004年から2021年までは18年間で15件、2022年から今日までの8年と26日で9件。
 ペースが速くなってます。
 それと2021年まではMj3以上だったのが1件なのに、2022年から現時点まででは4件にもなってます。
 次第に活発化してるのかどうか。
 このエリアやその周辺を震源とすると疑われる地震で過去に大きかったものと、その前後に発生した他の地震も含めて引用すると次の通りです。

引用開始(一部抜粋)

1https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E5%9C%B0%E9%9C%87%E5%B9%B4%E8%A1%A8
  • 1585年7月31日(天正13年7月5日) - M7程度以上、大阪・京都・伊勢・三河で大震(『家忠日記』など)阿寺断層の活動も候補になる[85]。
  • 1586年
    • 1月16日(天正13年11月27日) 飛騨で地震 - M7.0 ± 0.2、天正地震に先だち発生。飛騨・越中などで山崩れ多発、白川郷で民家数百軒が埋まる。内ヶ島氏、帰雲城もろとも滅亡。
    • 1月18日(天正13年11月29日) 天正地震(東海東山道地震、飛騨・美濃・近江地震) - M7.8 - 8.1(8クラスの地震と7クラスの地震が接近して立て続けに発生した可能性あり
    • (中略) 
    • 1590年3月21日(天正18年2月16日) 安房で地震 - 2メートルの隆起あり。潮が引いて3キロメートルの干潟が形成された。
    • 1596年 以下の3つは連動型地震の可能性がある。
      • 9月1日(文禄5年閏7月9日) 慶長伊予地震(慶長伊予国地震) - M7.0、寺社倒壊など。同年同月に発生した一連の内陸地震のさきがけとなる。四国を走る中央構造線断層帯での地震と考えられている。ただし次の豊後地震と同一の可能性もある。
      • 9月1日又は9月4日(文禄5年閏7月9日又は閏7月12日) 慶長豊後地震(大分地震) - M7.0 - 7.8、死者710人、地震によって瓜生島と久光島の2つの島が沈んだと伝わる。大分県を走る別府-万年山断層帯での正断層型地震と考えられている。
      • 9月5日(文禄5年閏7月13日) 慶長伏見地震(慶長伏見大地震、文禄の大地震)
(中略) 
  • 1853年3月11日(嘉永6年2月2日) 小田原地震(嘉永小田原地震) - M6.7±0.1、死者約20 - 100人。
  • 1854年
    • 7月9日(嘉永7年6月15日)
      • 1時ごろ 伊賀上野地震(伊賀・伊勢・大和地震) - M7+1⁄4±1⁄4、死者約1,800人。
      • 7時ごろ 伊賀上野地震の最大余震 - M6.8[133]。上野・奈良などで震度6と推定される[134]。
    • 12月23日(嘉永7年11月4日)9時30分ごろ 安政東海地震(東海道沖の巨大地震) - M8.4(Mw8.6[135])、死者2,000 - 3,000人とされるが詳細は不明。東海道宿場町で家屋倒壊・房総半島から四国に津波、特に伊豆から熊野にかけて大きな被害。ロシア船ディアナ号(プチャーチン提督来航)沈没。
    • 12月24日(嘉永7年11月5日)
      • 16時20分ごろ 安政南海地震(南海道沖の巨大地震) - M8.4(Mw8.7[135])
引用終了

 どうなんでしょうか。
 歴史に残る大地震の発生が発生しているのが気になります。
 まあ今回のMj3.2程度では目立つ地震とは言えないので暫く様子見、と言うところかも知れませんが、次第に活発化して来たらもしかして、と言う状況になってくるのかどうか、それは判りません。