快気分析

何か快適な気分になれるような記事にしたいです。

自然災害 仕組みとアプローチ -  南海トラフ地震は近い内に発生するのか その2

2016-05-26 07:56:05 | 地震 津波
 前回の記事では、「日向灘地震もまだ大きなものが発生していない事、」とある通り、日向灘地震について南海トラフ地震とは別ものと言う前提で理論構成をしてしまいましたが、日向灘も南海トラフの一部と言うのが普通と言う事も多いようなので、この表現はもしかすると多少変更が必要で、正しくは「南海地震が近い内に発生するかどうかについて、」なのかと思われます。
 そして前回の記事投稿後、更に分析できた他のデータから、もしかすると前回の記載は多少修正した方が良いかも知れない、と言う状況になって来ました。
 どのように修正かと言いますと次の通りです。
 「結論から言うとこれについては『M7以上のものが発生する可能性は(ゼロではないにしても)限りなく小さい』と筆者は見ています。」 の部分は 「結論から言うとこれについては『昭和東南海地震、昭和南海地震で歪みが全て開放されて100%リセットされたエリアではM7以上のものが発生する可能性はゼロではないが小さい』と筆者は見ています。」 に修正。
 そしてもう一つ、 「前回の昭和東南海地震、昭和南海地震からまだ70年程度しか経っていない事です。」 の部分は 「前回の昭和東南海地震、昭和南海地震で歪みが全て開放されて100%リセットされたエリアではあれからまだ70年程度しか経っていない事です。」 に修正です。
 このような修正を何故するのかと言うと、次のデータを分析しているうちに必要と思えたからです。

引用開始(一部抜粋)

http://www.asahi.com/articles/ASJ5R3C8SJ5RULBJ001.html?iref=comtop_8_02


朝日新聞デジタル


南海トラフ地震起こす「ひずみ」 初の実測分布図を公開

 その結果、陸側プレートに置いた観測器が海側プレートの沈み込みとともに年間2~5・5センチ移動。動きが大きい場所ほどひずみも大きかった。ひずみの場所はほぼ、政府が南海トラフ巨大地震の震源域として想定する範囲内。ただ、南海トラフ巨大地震の一つ東海地震の想定震源域の南西側にあたる愛知県沖や、1940年代に起きた二つの大地震の震源域から南西側に延びる四国沖にも、大きなひずみが広がっているのを確認した。

 ひずみの分布と地震の詳細な関連性はわかっておらず、海保の横田裕輔・海洋防災調査官付(測地学)は「過去の履歴にない強いひずみが見つかった。今後、地震の評価に役立ててほしい」と話している。

 名古屋大の鷺谷(さぎや)威(たけし)教授(地殻変動学)は「陸からの分析ではわからなかった部分を明らかにした意義は大きい。今後、地震への影響や被害想定について研究を進める必要がある」と話している。(野中良祐)

引用終了

 図は直接ご覧下さい。
 これを見て筆者は次の様に考えざるを得ませんでした。
 それは通常では昭和東南海地震、昭和南海地震では日向灘、駿河トラフを除く南海トラフの全てのエリアで歪みが解消されたという資料が多いのですが、どうも 「そうとは限らない」、そして仮に日向灘、駿河トラフを除く南海トラフの全てのエリアで歪みが解消されたとしても、「全てのエリアで歪みが100%解消されたとは限らず、中途半端に解消残りになっている所があり固着(アスペリティー)が多く残っている所とそうでない所のバラツキがあり、それが地殻変位のバラツキの要因の一部になっている」 と言う事です。
 そして昭和南海地震については次のくだりがあります。

引用開始(一部抜粋)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%AD%E5%92%8C%E5%8D%97%E6%B5%B7%E5%9C%B0%E9%9C%87
発震機構

単純なプレート境界地震ではなくスプレー断層(岐断層)の滑べりの複合した地震で、プレート境界の破壊は、紀伊半島沖の開始点から室戸岬の東まで伝播しそこで止まったが、引き続き室戸岬の西のスプレー断層の滑べりを伴った。この室戸岬沖の破壊が方向転換した場所には、高さ約3km、幅約50kmの沈み込んだ海山が存在していることが1999年の調査により明らかとなった[16]。

地震波形に基づく推定では最初に潮岬南方約50km地点でevent1(M6 相当)が発生した後、北北西側に破壊が伝播し16秒後に紀伊水道沖でプレート境界すべりのevent2(M8.0 相当)が始まり西へ破壊が伝播し、53秒後に土佐湾沖でスプレー断層滑りのevent3(M8.0 相当)があったとされている[17][18]。しかし、観測された津波から推定される波源域と観測精度が悪く震源決定の精度に欠ける余震分布から推定される震源域にはズレが生じているとする研究がある[19]。

破壊開始点である震源は1944年東南海地震と隣接して位置し、南海地震は西側へ、東南海地震は東側へそれぞれ断層の破壊が進行したと推定される[20]。

引用終了
 
 つまり「引き続き室戸岬の西のスプレー断層の滑べりを伴った。この室戸岬沖の破壊が方向転換した場所には、高さ約3km、幅約50kmの沈み込んだ海山が存在していることが1999年の調査により明らかとなった[16]。」と言う所で特にそこから西の全てのエリアで十分に歪みが解消されたのか疑問な感じもするのです。
 その他にも歪みが十分の解消されたのか疑問な場所はあるような事、そしてユーラシアプレートに潜り込んだ海山やそれに準じる凹凸がどのような固着や固着の開放に影響しているのか? そもそもユーラシアプレートに潜り込んだ海山やそれに準じた凹凸がどこにどれだけ有るのか? などわからない事だらけで、やはり何がこれから起きるかは「神のみぞ知る」と言う世界なのは、以前に何度も記事の中で書いた通りのようです。


自然災害 仕組みとアプローチ -  南海トラフ地震は近い内に発生するのか

2016-05-25 08:23:12 | 地震 津波
 南海トラフ地震が近い内に発生するかどうかについて、様々な説があるようです。
 結論から言うとこれについては「M7以上のものが発生する可能性は(ゼロではないにしても)限りなく小さい」と筆者は見ています。
 根拠は以前の記事でも書きましたが、相模トラフやその延長上での大規模な地震が未だ発生していない事、日向灘地震もまだ大きなものが発生していない事、そして、前回の昭和東南海地震、昭和南海地震からまだ70年程度しか経っていない事です。
 これだけ条件が揃っていて、大きな津波を発生するような大規模な南海トラフ地震が発生する可能性はちょっと考えられません。
 無論、単発でM6台程度のものが遠く沖合いで発生し、陸上では震度3以下とかの可能性は、いつでもあるとは思いますが、それは日本全国どこでも同じかと思っています。
 M1の地震だって南海トラフで発生すれば「南海トラフ地震」に変わりは有りません。
 1944年の昭和東南海地震ですが、実は結構大きくて、筆者の知人でも当時、三重県で校庭にいたら立っていられなくて這い蹲ったと言っていたのを覚えています。
 東日本大震災で震度の大きかった所でも這い蹲るほどの所がどれだけあったのかは、全容を知り得ていませんが、比較をもしできるとしたらどうなのでしょうか。
 そして当時は戦時中ですから、こんな説もあるようです。

引用開始(一部抜粋)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%AD%E5%92%8C%E6%9D%B1%E5%8D%97%E6%B5%B7%E5%9C%B0%E9%9C%87
また当初は遠州沖大地震と呼ばれていたが[1]、東海地域の軍需工場が壊滅的な打撃を受けたことを隠匿するため、「東南海地震」に変更したとする説がある[2][3]。

引用終了

 真相はどうだったのでしょうか。

自然災害 仕組みとアプローチ -  熊本地震とシナブン山噴火

2016-05-24 07:14:47 | 地震 津波
 5月21日にインドネシアのシナブン山で噴火がありました。

引用開始(一部抜粋)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%8A%E3%83%96%E3%83%B3%E5%B1%B1

噴火歴

9世紀から10世紀に2010年の活動とほぼ同じ場所で、似た規模の火山活動をした[1]。
2010年
8月27日頃から噴煙が観測されていたが、同年8月29日未明、410年ぶりに噴火[2]。噴火口から噴煙と火山灰が約1,500mの高さに上昇したことが観測された。
8月30日 噴火規模を拡大させたことから、最終的に付近の住民約3万人が避難した[3]。
2013年
9月15日 深夜、噴火。火口から半径約3kmの周辺住民に避難勧告が出され、6200人以上が避難した[4]。
11月3日 2度噴火。高度7000m。
11月23日 ブルカノ式噴火
12月、噴火活動がさらに活発化、山頂火口に溶岩が出現。12月31日現在、19000人以上が避難[5]。

   (中略)

2015年
2月6日、噴火[11]。噴煙が周辺村落を包んだ[11]。
5月31日、活発化。6月4日、国家防災庁の発表によると周辺住民3000人近くが自宅から避難した[12]。
2016年
5月21日、高度3000mにわたる激しい噴火をした[13][14]。山麓まで約4500mを流れ下る火砕流も発生[14]し、火口から半径7km以内の避難区域内で農作業をしていた住民6人が死亡、3人が重体になるという惨事となった[14]

引用終了

 目に止まるのは2013年の噴火が410年ぶりだと言う事です。
 日本では410年前、多少の前後期間を含めるとこんな感じです。

引用開始(一部抜粋)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%B0%E9%9C%87%E3%81%AE%E5%B9%B4%E8%A1%A8_%28%E6%97%A5%E6%9C%AC%29

1520年3月25日(4月4日)(永正17年3月7日) 永正地震 - M 7.0~7 3⁄4。紀伊・京都で地震。熊野・那智の寺院破壊、津波有り。

安土桃山時代(1573年 - 1603年頃)

1585年7月31日(天正13年7月5日) 大阪・京都・伊勢で大震。
1586年1月18日(天正13年11月29日) 天正地震(東海東山道地震、飛騨・美濃・近江地震) - M 7.8~8.1(それ以上の可能性あり、あるいはM 8クラスの地震が3つ以上同じ日に立て続けに発生した可能性あり)、死者多数。飛騨・越中などで山崩れ多発、白川郷で民家数百軒が埋まる。内ヶ島氏、帰雲城もろとも滅亡。余震が1年以上続く。三河湾と若狭湾という日本海・太平洋両岸での大津波記録が複数あり、複数の巨大地震の同日発生の可能性がある。少なくとも養老断層(愛知県)、阿寺断層(岐阜県)の2つの断層の活動(いずれもM 8クラスか)の可能性が高い。さらに若狭湾に津波をもたらした断層も活動したと考えられ、3つのセグメントでのM 8クラス地震が同日に少なくとも3つ以上発生した可能性が高い[注 10]。
1590年3月21日(天正18年2月16日) 安房で地震 - 2mの隆起あり。潮が引いて3キロの干潟が形成された。
1596年・・以下の3つは連動型地震の可能性がある。
9月1日(文禄5年閏7月9日) 慶長伊予地震(慶長伊予国地震)- M 7.0、寺社倒壊等。同年同月に発生した一連の内陸地震のさきがけとなる。四国を走る中央構造線断層帯での地震と考えられている。
9月4日(文禄5年閏7月12日) 慶長豊後地震(大分地震) - M 7.0~7.8、死者710人、地震によって瓜生島と久光島の2つの島が沈んだとされている。大分県を走る別府・万年山断層帯(べっぷ・はねやま だんそうたい)での正断層型地震と考えられている。
9月5日(文禄5年閏7月13日) 慶長伏見地震(慶長伏見大地震、文禄の大地震) - M 7 1⁄2±1⁄4、京都や堺で死者合計1,000人以上。伏見城の天守閣や石垣が損壊、余震が翌年春まで続く。淡路島~神戸~大阪北を走る六甲・淡路島断層帯での地震と考えられている。

17世紀

江戸時代(1603年頃 - 1868年頃)

17世紀前半・・津波堆積物の分析から、この時期に千島海溝南部(十勝沖から根室沖まで)を震源とするM 8.6クラスの地震が発生したと推定されている。1611年または1635年説あり[70]。
1605年2月3日(慶長9年12月16日) 慶長地震(南海トラフ連動型地震説、東海はるか沖地震説、または房総沖と南海沖の二元地震説、伊豆・小笠原海溝地震説あり) - M 7.9~8、関東から九州までの太平洋岸に津波、紀伊・阿波・土佐などで大きな被害。八丈島でも津波による死者数十人。死者1万~2万人と推定されるが、津波以外の被害はほとんどなかった。
1608年12月30日(慶長13年11月23日)仙台で地震 - 津波で50人死亡[71][注 11]。
1611年
9月27日(慶長16年8月21日) 会津地震 - M 6.9、死者3,700人。
12月2日(慶長16年10月28日) 慶長三陸地震 - M 8.1(Mw >8.5)。十勝・根室沖のM 9クラスとする説がある。一方、東北地方太平洋側[注 12]で繰り返し発生していると推定されるM 9クラスの地震の候補ともされる[43][注 13][72]。伊達領で大津波による死者約2,000~5,000人。

引用終了

 1520年の永正地震が1946年の昭和南海地震に対応すると考えるとこんな対応傾向も見るけられます。。
 1585年7月31日(天正13年7月5日) 大阪・京都・伊勢で大震、か或いは1586年1月18日(天正13年11月29日) 天正地震 が1995年の阪神淡路大震災、或いはこれから発生するかどうかわからない近畿、中部エリアの大地震。
 1596年の慶長伊予地震、慶長豊後地震、慶長伏見地震に対応するのが、これから発生するかどうかわからない中央構造線沿いのエリアでの地震。
 1605年2月3日(慶長9年12月16日) 慶長地震(南海トラフ連動型地震説、東海はるか沖地震説、または房総沖と南海沖の二元地震説、伊豆・小笠原海溝地震説あり) に対応するのが、これから発生するかどうかわからない南海トラフ地震。
 1611年の慶長三陸地震 - M 8.1(Mw >8.5 に対応するのが2011年の東日本大震災か、あるいはこれから発生するかどうかわからないこのエリアか隣接域のもう少し小さい地震。
 
 しかし東日本大震災と南海トラフ地震との前後関係逆などが当時のパターンと大きく違う点はあり、単純にパターンが類似しているとは言えないのかも知れません。
 しかし1520年~1620年までの約100年間の発生場所に関してだけ見れば類似点があるかどうかは、今後の大地震発生状況次第ではパターンは類似していると判断されてもおかしくはないかと思われます。
 ところで熊本地震についてですが、こんな説もありました。

引用開始(一部抜粋)

http://dot.asahi.com/aera/2016050100004.html?page=1
熊本大地震は「前例」あった “17世紀と酷似する”地震パターンとは
       (中略)
 順を追って説明しましょう。まず1611年に「慶長の三陸沖地震」が東北地方で起きました。これは東日本大震災と同タイプの東北沖の海溝型巨大地震で、津波による多数の死者が出ました。

 その8年後に、今回と同じ肥後地方で、一つの都市が壊滅するような大地震が起きています。熊本藩の地誌「肥後国志」十四巻には「卯の刻(午前6時)より大地震い、午の刻(正午)にいたり、城楼崩壊す」とあります。この城楼とは、八代にあった麦島城のことで、最初の地震から数時間、幾度となく襲いかかる激震で6時間後に櫓(やぐら)などの建物が崩壊してしまったのです。
       (中略)
 さらに私が今回、注目したのは当時、豊後(大分県)竹田を治めていた岡藩中川家の「中川史料集」の記述です。八代の麦島城の天守閣が崩壊した同じ日、同じ午の刻に「岡大地震御城中所々破損」とあります。これは竹田の岡城が地震で崩れ破損したことを意味します。つまり、熊本が揺れ、その6時間後には、大分竹田の断層も、城を壊すほど激しく動いたのです。今回同様、熊本の地震が大分にまで広がっていた可能性が高いのです。

 東北で震災が起き、その数年後に熊本で都市そのものが壊滅するような地震が起き、その地震が大分にまで広がった。つまり、今回と非常に似通った地震活動が400年前に起きていたとみるのが自然です。

引用終了

発生順はどうあれ、約410年前の前後合わせて約100年間で発生した出来事がもし今後も似るように発生するとなると、地球規模のプレートや地殻の勢いやバランスが似ているからこそ、2013年にシナブン山が410年ぶりに噴火したのもつじつまが合ってくるのかどうか、と言う状況です。
 このシナブン山はあのトバカルデラの近くにあり、仮にトバ火山の分派だとすると、それもまた気になります。

引用開始(一部抜粋)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%90%E6%B9%96#3.E5.BA.A6.E3.81.AE.E3.83.88.E3.83.90.E3.82.AB.E3.83.AB.E3.83.87.E3.83.A9.E3.81.AE.E5.99.B4.E7.81.AB
この噴火と同時期に、ヒトDNAの多様性が著しく減少する「ボトルネック(遺伝子多様性減少)」が見られることから、この噴火で当時の人類の大半が死滅したという説もある(トバ・カタストロフ理論)。

この噴火の後、トバカルデラでは歴史に残るような大きな噴火はないが、何度か大きな地震が起こっている。1987年には南岸で地震が起こっている。また、スマトラ西沖に断層があり、何度か大きな地震を引き起こしている。その中には2004年のスマトラ島沖地震や2005年のスマトラ島西沖地震も含まれている。特に後者は震源地がトバ湖から320kmと近い位置で起きていた。

引用終了

 シナブン山やトバ湖周辺の火山活動については、今後の状況次第で要注意かと思われます。 

自然災害 仕組みとアプローチ -  東アジアエリアの空白 その5 エクアドル地震以外の空白も終了

2016-05-22 19:53:38 | 地震 津波
 先日、オーストラリアでは珍しいM6以上の地震が発生し、エクアドル地震以外の世界的な空白も終了となりました。
 
引用開始(一部抜粋)

http://earthreview.net/m6-1-earthquake-hits-northern-territory-australia/
極めて地震の少ないオーストラリアでマグニチュード6.1の地震
地震の発生した場所は、人がほとんど住んでいないエリアでしたので、被害は報告されていませんが、マグニチュード 6以上の地震は 1988年以来、28年ぶりということで、現地では大きく報道されています。

過去のオーストラリアのマグニチュード6以上の地震は、オーストラリアの政府機関である地球科学気候のデータベースによりますと、以下のようになっていました。

過去のオーストラリアのM6以上の地震

1941年1月27日 マグニチュード6.4 震源の深さ 0キロ

1988年1月22日 マグニチュード6.6 震源の深さ 5キロ

1988年1月22日 マグニチュード6.3 震源の深さ 4キロ(上と同じ日)

1988年1月22日 マグニチュード6.2 震源の深さ 5キロ(上と同じ日)

1988年1月22日に「同じ日に3回の大きな地震が発生する」という出来事があったようですが、結局、過去 100年くらいで、「オーストラリアでマグニチュード6以上の地震が起きたのは2日だけ」ということになりそうです。

引用終了

 環太平洋でもない意外な場所での地震が(エクアドル地震関連を除くと仮定した場合の)世界的なM6以上の地震の空白期のフィナーレでした。
 そして火山噴火では有りませんが、また数十年ぶりのパターンです。
 結局は世界的な地震や火山の活発化に帰結してしまうのでしょうか。

自然災害 仕組みとアプローチ -  東アジアエリアの空白 その4 世界的な空白も終了

2016-05-19 07:33:44 | 地震 津波
 昨日エクアドルでM6.7とM6.8の地震があり、これで約19日間続いた世界的空白期は終了しました。
 
引用開始(一部抜粋)

http://www.emsc-csem.org/Earthquake/world/M6/

2016-05-18 16:46:40.6 0.43 N 79.67 W 10 6.8 NEAR COAST OF ECUADOR
2016-05-18 07:57:04.9 0.45 N 79.84 W 40 6.7 NEAR COAST OF ECUADOR
2016-04-29 01:33:37.9 10.21 N 103.82 W 10 6.6 NORTHERN EAST PACIFIC RISE

引用終了

 長かったです。
 そして長い空白期の後はおそらくどこか別のエリアに移るかと思いきや、エクアドルに戻りました。
 この地震は4月に発生したエクアドルの地震と関連していると見るのが普通ですから、果たして「世界的な空白の終了」と見て良いのかどうか、少し迷いますがとりあえず終了は終了とします。
 ただ今回は「エクアドル以外は空白が続いている」とも言えるわけで要注意であり、果たして今度は何処にシフトしていくのか注目です。
 4月のエクアドル、メキシコ等のM6以上の地震後は、一時バヌアツ、そしてM6未満の地震ですが東アジアにシフトして来るかのような傾向がありました。
 確かに熊本地震はまだ多いですし、5月16日 茨城県南部 M5.6 最大震度5弱 と言う地震も有りましたが、世界的にはここ約20日間は中南米も、東アジアも同じように中小の地震が多発する、所謂分散化、小型化の傾向だったような気がします。
 「4月のピンクムーン直前のビッグな新月である4月7日を挟んだ4月中にM6以上の地震が多発し、5月からは急にその分を空けるかのように少なくなった」、と言うのはやはり4月中に「ビッグな新月のストレステストの影響が大きく、それが済んだ後の静穏」だったのかも知れません。
 地震の要因は月の引力以外にも多いという事もありますが、何故こうも中南米に偏在するのが長期化しているのかは更に分析してみたい所です。