この絵は、5月に仕上がった作品。
新作です。
この絵は、「鶏が、ピンクのショッキングバッグを持って、ヒールを履きショッピングに行く様子。」だそうです。
私は、「にわとりですか?」と驚く。
「確かに、にわとりだ。」と言い、頷いた。
これ以上、どう言っていいのか?
頭の中がシーンと静まりかえってしまう。
「にわとりって、ちょっと飛ぶよねぇ~。」と言ってみた。
ヒロクニさんは、「意外と飛び上がったりするから、驚いたことがあってねぇ~。」と言います。
この鶏の形のデッサンは、何枚も描かれているのを見ていました。
この紹介した絵の前にも、類似したものを描いていました。
今回の絵が、一番、形がはっきりしていて骨太なものになっています。
鶏の思い出というか、話はよくします。
特に、子供の頃、鶏小屋に落ちた話をする。
屋根の上に登っていて、屋根から下に見える「鶏小屋」を覗こうとしたら、
落ちてしまったらしく、鶏の鳴き声と飛び上がる鶏にもみくちゃにされ、
「鶏より、俺の方が驚いてる。」と言い張るのです。
「すごいジャンプ力らしく、鶏って飛ぶんやねぇ~。」と。
家族は、いったい何の騒ぎかと、家族が騒いでいたりして、
その時の賑やかな様子を話してくれます。
鶏の様子が不思議だったらしい。
また、「何でも不思議に思う子供」だったらしく、電線が垂れているのを見つけて、触ってみたらビリビリして、この感覚は何だ?と長い間だ疑問に思っていたという話も。
(それより電線が垂れ下がって放置されている状態にある方が、怖いと思います・・・)
子供の頃、あらゆる事に不思議に思うことが多かったようで、多感な幼少期を送っていたみたい。
海の波にも・・・・。
ヒロクニさんの幼少期は、鹿児島県にある離島の「徳之島」なのです。
一度、生家のあった所を一緒に訪ねたことがあります。
話に聞いていた、よく登って海を見ていたというガジュマルの木も健在で、
話に聞いていたとおりに、家の横の方に、高千穂神社の階段と坂があり、
見下ろす崖のような所もあったのです。
子供の頃の記憶をわりと克明に、特に土地の様子を覚えているのに感心しました。
今回紹介した絵は、郷愁というかフォークロアな部分を感じる作品なのでは?と思いました。
鳥がモチーフとして絵に登場するのは、ほとんどないのです。
やはり、自分に縁のある“にわとり”を選んでいると思う。
また、思い出として、街の絵は、地図のように思えるときがありますが、徳之島を訪ねた時も、坂とか、道が伸びていたとか、海の波の様子を話してくれるのを聞いている。土地の様子がよく分かる説明で、それにも感心した。
もうこの頃から、今の絵を描く資質があったのかもしれないと思う。
そのヒロクニさんなんですが、さっき「茶碗を洗った後のスポンジは、上のところへ必ず置くようにしなさい。」と注意しに来ました。
私、まだ今日は茶碗を洗った記憶がなく、何もしていないと思うのですが、注意を受けました。
何かモヤモヤします。
だけど、記憶が全くないので「そうかな?」と。
口答えしたら、文句を言われそうなので「細かいことはどうでもいい!」と言い聞かせました。トホホ・・・の気分。本当は自分が上げ忘れているのと違うの?と思うのだが・・・。「どっちでもいい!」と思い、「ハイ。」と言う私。
なんで私がと思いながらトホホ・・・と、苦笑いしてます。
まあ、気分を変えて、晴れた日の庭を。
↑雨が降った翌日です。
ジャーマンアイリスが、一本の軸から三連咲いています。
一気に3つの花が咲くのは、初めてのこと。
ジャーマンアイリスが終わると、だんだん庭はトマトや、夏の花に・・。
今は、ビオラの種を採取する段階にいます。
庭に来たヒロクニさんが、はじめて花をじっくり観賞してくれました。
「このビオラ、皆笑っているように見えるね。」と。
私は、「やっとじっくり見てくれたんだね。」と言い、
「買えない私だけのビオラは、暑苦しいって不評だけど、私だけのビオラで、店にはないのォ!」と、力説しました。
「バートシェンナーの茶色とか、クロームイエローの黄色とか!」と付け加えておいた。油絵具での色の呼び方で強調しておきました。
↑妹のために野バラを摘みました。
今、花の咲く季節になっていました。
とてもあっけなく、妹を亡くしたのです。
このところ、バタバタしてブログが更新できませんでした。
でも、時々、上を向いて話しかけます。
「人は死んだらおしまい」とは、思ってないのです。