武内 ヒロク二

このブログは、武内ヒロクニの絵の紹介や、家での出来事を妻が語ります。
日々、徒然。

航空写真のような(作品紹介642)と『今にすべてがある』

2021-10-26 12:42:48 | Weblog

ボールペンとマジックで描かれています。

上空から眺めた地図のよう。

コノ字型に見える形は、マンションのようでもあるし、

線は道のようでもある。

その隙間に、人がはめ込まれていている。

線の方向を見ていると、つぎはぎがされているようにも見える。

寄木細工のようで、興味深い。

 

武内の絵を見て思うことの1つに、この絵はどうゆう“立ち位置”なのか?と思うことがあります。

紹介する時に、「現代美術」とも言い難く、「近代絵画」とも違う。

「洋画家」もしっくりこないし、「コンセプトアート」でもない。

たまに、「俺は、シュールレアリスト」と言うので、そうなのかも?と頷いてみるが、

「由緒正しいシュールレアリスト」とは、また違う。

最近、苦し紛れに出てくる言葉で、よく言われるのは「アールブリュット」である。

それも少し違うなあ、と思いつつ聞いています。

ヒロクニさんは「なんとでも言って・・・。」と、無頓着な人で、

「ハイ、ハイ。」って何でも頷いています。

(たぶん、こういう時は、何も考えていないのでしょう。)

武内の過去の通ってきた道は、

洋画家(油絵)→現代美術(コンセプチャルアート)→ロック喫茶経営→

→色鉛筆画(その間、インクやエッチング、アクリル画、顔彩と色々なもので制作)→

→まだまだ色鉛筆(その間、ボールペン、マジックの素材が加わる。鉛筆画の絵も同時に制作)

→まだまだ色鉛筆(薄い紙に描くようになる。蝋のような表面にこだわり始める。時々、油絵)

→そして現在。クレヨン画が加わっています。

当人は、「絵を描いている」という意識だけで、頭の中はジャンルわけしていない。

現代美術をされている友人から、

「ヒロは、絵が描けるからいいよね。」と言われていたらしく、

「そんなふうに言われてさ。」と、武内は口を尖らせて言っていました。

私は、古い洋画(油絵)のベースに、

現代美術をしていた時の熱い体感があり、

ロック喫茶で音楽と人のつながりと時代、

色鉛筆で描くようになってからの試行錯誤、仏教に傾倒(禅宗)したり、

文学に耽溺したり、あらゆる要素が詰まって今がある。

たぶん、ジャンルではなく、

『今がある』

『今にすべてがある』のだろうと思います。

そんなことを考えていました。

ヒロクニさんは、芸術家なので絵があるからわかり易いけれど、

どんな人にも『今にすべてがある』と思う。

皆、気がつかないだけだと思うな。

 

 

昨日は、一日中雨。

朝は、「わたしは、わかめのように揺れている。」で始まりました。

身体は意外と力が入っているらしく、

わかめのようになってゆらゆら揺らして力を抜いていました。

寒い上に雨なので、ハッとすることをしてみた。

そんなことをして気持ちを落ち着けていると、

いきなりヒロクニさんがかけたCDの音がガンガン聴こえてくる。

↑こちら

「ああ、男の世界だ。」と思い、こういうのはヒロクニさんといるから、聴くことになるヤツだ。

まあ、自分では聴かないだろうな・・・と思って聴いていた。

聴かされている?

何か急に燃えていたのか、

「おい、たーやん。」とか、

「としぼうどうしている。」とか、

「ショウタロウ、今何している。」とか、声をあげていた。

そうして、急にわたしの前に進み出て、「こういうことや。」と。

「BOXヒコーキ堂のこれが営業なんよ。」

「これが、心意気。」と言い、

わかるか?という顔でわたしを見ます。

独り言をわたしの前で言うという分けが解らない行動。

言い捨てたら、目の前から去っていく。

この中の“としぼう”と呼ばれていた方は、不可解なことが1つあって思い出した。

ロック喫茶のお客さんでもあったらしい。

ずいぶん、武内を慕っていたようで、ヒロさん、ヒロさんと呼ぶ声をよく覚えている。

個展もよく来てくださって、やはりヒロさん、ヒロさんと言い、

その“ヒロさん”の話をわたしによくしてくれた。

もう、随分前の話なのですが、ジャズ喫茶で悪友達とお茶を飲んでいたら、

その“としぼう”さんが来られて、「ヒロさん、コーヒーおごってくれる?」と。

「ああ、いいよ。としぼう。」と、ヒロクニさん。

そして、コーヒーを飲んでいた。

“としぼう”さんは、「ありがとう。」と言って帰っていたわけですが、

店を出る時、お金を払おうとしたら、急にヒロクニさんが、ポケットごそごそと探りながら、

「金がない。ここに入っていた5000円がない。」と。

「おかしいなぁ~。確かに入っていたのに。」と。

悪友達とワーワー言っていると、

「確か、としぼうは手癖が悪かったよな。」と、ヒロクニさん。

「俺の近くをうろうろしてたか?」と。

周りは、「横にいたじゃないか。」とか、

「コーヒーをおごってっていいに来る自体が怪しい。」とか、そんなふうになっていた。

ヒロクニさんは、ふう~ん。と大きな息をして、

「あいつがしたとしたら、何か理由あるわけだ。」

「これでよし!と、しとこか。」と。

「さあ、皆もこのことは、ここで終わりにしよか。」と。

『人を許す』瞬間に居合わせた感覚でした。

こういう大人な対応が目の前で行なわれたのを体験するのは、

はじめてで、感慨深く思いました。

“手癖が悪い”に接近したことも不思議な感覚でした。

きっと、ヒロクニさんのこの対応は、VOXヒコーキ堂で培われた感覚なんだとも。

そして、帰り道ではいろんなことを考えていました。

悪友達って、「意外と優しいのね。」とか。

私は、奥様らしく「財布」を持っていないのがいかん!と思い、

すぐヒロクニさんの財布を買いに走った。

その頃、財布を持っていなくて、ポケットにお金を突っ込んでいました。

結婚当初、「銀行の通帳」すら持っていなくて、

これじゃあ、お金は入らないわけだ・・・・と思い、

さっそく通帳を作ったことも思い出されます。

(まあ、その後通帳にお金が入ってくるという・・・巡り合せ)

今日は、ヒロクニさんの良い所を書きました。

一緒に暮らしていると、悪い所ばかり目につきます。

つい、悪い方面ばかり書いているので、罪滅ぼしのつもり。

この時は、「ヒロクニさんて、かっこイイ。」と思った次第。

 

 

↑ピーちゃんは、風呂敷包みの上で庭を眺めています。

時折、向きを変えてこちらをジーと見ます。

目が厳しい時があって、「あまり厳しい目をしてはいけません!」と言います。

また、眠そうな時もあって座りながら、

コクリ、コクリと顔が動いていることもあって、可愛い。

さあ、今日は曇りがちなのですが、やっと日が差してきました。

今日は、まだ、わかめになっていません。(笑)

わかめになったのは、昨日(25日)です。

 

長い文章もブログ、読んで下さりありがとうございます。(ペコリ)