左側。
これが中心にくる。
右側。
この作品は、仏教劇の舞台美術で使われたもので、中央に蓮の花の中にいる人物を囲むようにバックに置かれたパネル。家にある写真でちらっと見た記憶をもとに書いているので正確ではないかもしれない。
神戸の長田区にある明泉寺にヒロク二さんが足繁く通っていたのは、この作品の頃だ。家の中で仏教聖典を見つけて、パラパラとめくっていると色鉛筆で「心をば総身に捨て置き、所々止めずして、その所々に在りて用をば外さず叶うべし」という箇所に線引きしてあった。本の見開きを開きながら、わざわざヒロク二さんに具体的にどういうことなのか聞くと「実際には、難しいの」と本を閉じられた。仏教講座に一緒に参加したりしてみたが、わたしが知ったのは、大きな声で、南無 本師釈迦牟尼佛(なむ ほんししゃかむにぶつ)と唱える事が大切ということだけ。とにかく、南無 本師釈迦牟尼佛を覚えた。
あと、仏教に関係あることと云えば、子供の頃、母から「八正道」ということを教えられたことぐらいかな。子供だったので、正しく見る、思う、話す、行う、生活するぐらいしか理解できなかったが、子供心に正しく思うといっても大変だなと思っていた。それを教えた母が、あきらかに間違った事を云う時などに、その「八正道」なる言葉はピッカッと光輝き、私の心は清らかになり、それは変だという考えが浮かんでくることがあった。そのピカッと光る瞬間は間違っていることだけが、妙にはっきり分かるのだ。しかし、ヒロク二さんといると、普通という物差しが聞かなくて、世間という物差しでも測れないことがあり、簡単に間違ってると言えなくなってしまった。長い時間をかけて、わたしは、悟ったのです。ヒロク二さんに鍛えられてるということを。ヒロク二センセイといることは修行の一つと思っております。なんでも修行と思えば、気が楽になりません?
ヒロク二さんは、明泉寺の玄峰和尚と「こんにゃく問答」というのをしたことがあり、何それ?と思う、とても変な問答がある。この和尚さんは、結構いたずらっ子で、ヒロク二さんがくそ真面目な顔している最中に席を外すと、二人でイヒヒと笑ったりして、時々ヒロク二さんをかつぐのである。
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