波という作品。
鉛筆の黒色が塗りこめられています。
形を囲っている線は、色鉛筆の黒色。
ちょっと違うのです。
画面の表面は、紙をなめしているせいか色鉛筆の部分もつるつるになって、
表面がすべて光っている。
いつも思うのですが、独特の画風で、普通の絵に飽きてしまった人にお勧めかもしれません。
雲のような、人型のような形は、ふわっと浮いているというか、浮遊感覚があって飛んでいるみたい。
12月13日(日)
朝は、青空が見えいい天気。
朝から、アトリエでバシャ、バシャという音が聞こえる。
その音は、紙をなめしている音だ。
昨日、ヒロクニさんは、「ちょっと運動もしないといけないし、外の空気も吸いたいから、
さほり、明日は一緒に出て、画材も買いたそう」。と言われていた。
朝アトリエでバシャ、バシャと制作しているうちに、
「どうしても進みたい、描いておきたい部分が出来てしまったから、
三ノ宮に行くのは、明日にしてくれ!」と外出が明日に変更ということになった。
私は、家の周りにある野草の花を摘み、コップへ花を。
2本の菊と地面に這うように増えていっているピンクの丸い粒々になっている花を摘み、
なんか素朴な感じがするなぁ~と眺めていた。
そうすると、「野菊の如く君なりき」といきなり言う。
「伊藤左千夫の小説だよ」という。
「野菊の如く君なりき」という言葉の響きがとても美しく感じられ、読んでみたいと強く思いったのです。
ヒロクニさんって、以外なことを言う時があって、面白い。
そんな気持ちでスタートした一日だが、私は激しく現実的な所へ1人で出かけた。
美のかけらも感じられない所へお出かけした。
家の近所に激安の古着屋があるのだ。
値段はセーターとかでも、550円とか、高くても750円とかの値段で売っているお店。
ほとんどがボロを置いているといってもいい店なのですが、
よく見るとましなものが5パーセント混じっている。
そして、その値段から30%引きになる券を持っているので、義務のように行ってきました。
ラルフローレンの緑のセーターの他2点購入して、今着ているボロのセーターを捨てたのです。
ヒロクニさんは「さほりも可哀想に、あんな店の服を買って気分転換しないといけないとは・・・・」と言う。
しかし、可哀想な私という気分にはなれないのです。
ヒロクニさんのように感傷的な気持ちにならない私は、「はっ?」という感じ。
節約して必要なものをドンと買うつもりだから、悲しいとか惨めとかの発想がないのです。
私が気にするとしたら、あのお店に滞在している内に、ボロの服の気持ちが私にまとわりつき、
店を出るとき、自分もすっかり中古商品と同化してしまったような気分になるのが恐ろしいだけである。
今もアトリエ(隣の部屋)から、バシッ、バシッ、バシッ、と音が聞こえています。
夕食を食べる頃には、けっこう疲れているようで、「やれやれ」と言いながら、
食卓の前に座ります。
夕方から、曇ってきて、秋の空はなにか移り変わりの予測ができないなぁ~と思ったのでした。
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