とぼけた感じの絵です。
しかし、ヒロクニさんはこの絵を気に入っているようで、この絵をブログに使ってといわれました。
絵に「ふたり」と描き込まれています。
絵でふざけているのか、頭のどこかがトチ狂ったのか?
この絵を見て思う。
作品に重みがないところが凄い!!と思う。
しかし、変な軽さが、「くだらないっことにはほっとけ。気持ちを大きく持て!小さなことにはこだわるな。
たまには、こういう気分で行こうぜ♪」と、頭を空にしてくれる。
「考えたって、しかたがないのさ♪」と。
この作品は、そういう絵だと思います。
ブログを書く時、時々寄り道をします。
書く前に、人のブログを読んだり、急に調べ物をしたり、YouTube を見たりしてしまう時があります。
先回のブログを書く前は、YouTube でローリングストーンズを聴いていた。
マディ・ヴォーターズとの競演があり、すっかりマディ・ヴォーターズの声に聞惚れてしまい、
「ブルース」っていいのね。と初めて「ブルース」というものを感じた。
見ていたYouTube はこれですが、↓
その後、台所でヒロクニさんが、CDをかけていた。
「あれ?これもいいぞ!」と思い、ヒロクニさんに「これは、誰なの?」と聞いた。
「アルバート・キング」と答えが。
ヒロクニさんが良く聴くアルバムでジャケットを覚えたCDがある。
これなんですけど↓
なんかすごく音が乾いていて、乾いた音に哀愁の帯びたメロディがいい感じで、好きだからジャケットを覚えておいたのです。
Son Hooseを聞いて思うには、話は飛躍するのですが、日本にある「侘び寂び」「侘び然び」の感性を私は感じるのです。
東京の個展の時に、建築家の方と話していて、「侘び然びって、日本だけでなく、ヨーロッパにもあると思うのですが・・・」
と言う話をしたら、ヨーロッパに行ったことがあるようで、ちょっと顔を上に向け終わると、「僕もあると思うなぁ」と。
言葉で、侘び然びと言わないだけでね。
時々、日本で「侘び然び」というと、金箔を貼ってそれ風にしている絵等を見かけると、
金箔の茶室を作った動機は、秀吉が、朝顔が好きで千利休の茶室へ行く傍らに咲いていた朝顔を見るのを楽しみにしていたのを、
ある日、茶室へ行く途中、全部切り取られていて、茶室へいくと朝顔が一本飾られていたという有名な話があるのですが、
それに怒りを覚えた秀吉が、簡素な美が本質の茶室に対して、無理やり金箔の貼った茶室を作らせたというのが
本当のところなのですが、勘違いして金箔が「侘び然び」と思われている方がいて、残念な気がします。
日本人こそが、感性として「侘び然び」の本質をもっと学んでいかないと、なくなってしまいそうな気がしてしまいそうです。
だから、私も学び中です。
この日は、一日中ふたりとも「ブルースDay」で、夜の締めは、ヒロクニさんが、
日本のブルースバンド「バンドウエスト・ロード・ブルース・バンド」をかけていました。こちら↓
そんな日のピピちゃんは、朝からゴミ箱をあさっていたようで、ゴミ箱に入れてあるゴミ袋の手の持つ所に首を突っ込んだらしく、
それが体から離れなくなってしまって恐怖で走り回っていました。
ゴミ袋と共にゲージで怯えているのを発見。かなり怖かったらしく、やたら寝ていました。
しかし、ヒロクニさんも小さいゴミ袋を使うなぁ~と、ゴミ箱のサイズに全然あってないものを使うのもよく分かりません。
やたら寝るピピ↓
しかし、大きくなったなぁ~。
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