ボールペンとマジックで描かれています。
上空から眺めた地図のよう。
コノ字型に見える形は、マンションのようでもあるし、
線は道のようでもある。
その隙間に、人がはめ込まれていている。
線の方向を見ていると、つぎはぎがされているようにも見える。
寄木細工のようで、興味深い。
武内の絵を見て思うことの1つに、この絵はどうゆう“立ち位置”なのか?と思うことがあります。
紹介する時に、「現代美術」とも言い難く、「近代絵画」とも違う。
「洋画家」もしっくりこないし、「コンセプトアート」でもない。
たまに、「俺は、シュールレアリスト」と言うので、そうなのかも?と頷いてみるが、
「由緒正しいシュールレアリスト」とは、また違う。
最近、苦し紛れに出てくる言葉で、よく言われるのは「アールブリュット」である。
それも少し違うなあ、と思いつつ聞いています。
ヒロクニさんは「なんとでも言って・・・。」と、無頓着な人で、
「ハイ、ハイ。」って何でも頷いています。
(たぶん、こういう時は、何も考えていないのでしょう。)
武内の過去の通ってきた道は、
洋画家(油絵)→現代美術(コンセプチャルアート)→ロック喫茶経営→
→色鉛筆画(その間、インクやエッチング、アクリル画、顔彩と色々なもので制作)→
→まだまだ色鉛筆(その間、ボールペン、マジックの素材が加わる。鉛筆画の絵も同時に制作)
→まだまだ色鉛筆(薄い紙に描くようになる。蝋のような表面にこだわり始める。時々、油絵)
→そして現在。クレヨン画が加わっています。
当人は、「絵を描いている」という意識だけで、頭の中はジャンルわけしていない。
現代美術をされている友人から、
「ヒロは、絵が描けるからいいよね。」と言われていたらしく、
「そんなふうに言われてさ。」と、武内は口を尖らせて言っていました。
私は、古い洋画(油絵)のベースに、
現代美術をしていた時の熱い体感があり、
ロック喫茶で音楽と人のつながりと時代、
色鉛筆で描くようになってからの試行錯誤、仏教に傾倒(禅宗)したり、
文学に耽溺したり、あらゆる要素が詰まって今がある。
たぶん、ジャンルではなく、
『今がある』
『今にすべてがある』のだろうと思います。
そんなことを考えていました。
ヒロクニさんは、芸術家なので絵があるからわかり易いけれど、
どんな人にも『今にすべてがある』と思う。
皆、気がつかないだけだと思うな。
昨日は、一日中雨。
朝は、「わたしは、わかめのように揺れている。」で始まりました。
身体は意外と力が入っているらしく、
わかめのようになってゆらゆら揺らして力を抜いていました。
寒い上に雨なので、ハッとすることをしてみた。
そんなことをして気持ちを落ち着けていると、
いきなりヒロクニさんがかけたCDの音がガンガン聴こえてくる。
↑こちら
「ああ、男の世界だ。」と思い、こういうのはヒロクニさんといるから、聴くことになるヤツだ。
まあ、自分では聴かないだろうな・・・と思って聴いていた。
聴かされている?
何か急に燃えていたのか、
「おい、たーやん。」とか、
「としぼうどうしている。」とか、
「ショウタロウ、今何している。」とか、声をあげていた。
そうして、急にわたしの前に進み出て、「こういうことや。」と。
「BOXヒコーキ堂のこれが営業なんよ。」
「これが、心意気。」と言い、
わかるか?という顔でわたしを見ます。
独り言をわたしの前で言うという分けが解らない行動。
言い捨てたら、目の前から去っていく。
この中の“としぼう”と呼ばれていた方は、不可解なことが1つあって思い出した。
ロック喫茶のお客さんでもあったらしい。
ずいぶん、武内を慕っていたようで、ヒロさん、ヒロさんと呼ぶ声をよく覚えている。
個展もよく来てくださって、やはりヒロさん、ヒロさんと言い、
その“ヒロさん”の話をわたしによくしてくれた。
もう、随分前の話なのですが、ジャズ喫茶で悪友達とお茶を飲んでいたら、
その“としぼう”さんが来られて、「ヒロさん、コーヒーおごってくれる?」と。
「ああ、いいよ。としぼう。」と、ヒロクニさん。
そして、コーヒーを飲んでいた。
“としぼう”さんは、「ありがとう。」と言って帰っていたわけですが、
店を出る時、お金を払おうとしたら、急にヒロクニさんが、ポケットごそごそと探りながら、
「金がない。ここに入っていた5000円がない。」と。
「おかしいなぁ~。確かに入っていたのに。」と。
悪友達とワーワー言っていると、
「確か、としぼうは手癖が悪かったよな。」と、ヒロクニさん。
「俺の近くをうろうろしてたか?」と。
周りは、「横にいたじゃないか。」とか、
「コーヒーをおごってっていいに来る自体が怪しい。」とか、そんなふうになっていた。
ヒロクニさんは、ふう~ん。と大きな息をして、
「あいつがしたとしたら、何か理由あるわけだ。」
「これでよし!と、しとこか。」と。
「さあ、皆もこのことは、ここで終わりにしよか。」と。
『人を許す』瞬間に居合わせた感覚でした。
こういう大人な対応が目の前で行なわれたのを体験するのは、
はじめてで、感慨深く思いました。
“手癖が悪い”に接近したことも不思議な感覚でした。
きっと、ヒロクニさんのこの対応は、VOXヒコーキ堂で培われた感覚なんだとも。
そして、帰り道ではいろんなことを考えていました。
悪友達って、「意外と優しいのね。」とか。
私は、奥様らしく「財布」を持っていないのがいかん!と思い、
すぐヒロクニさんの財布を買いに走った。
その頃、財布を持っていなくて、ポケットにお金を突っ込んでいました。
結婚当初、「銀行の通帳」すら持っていなくて、
これじゃあ、お金は入らないわけだ・・・・と思い、
さっそく通帳を作ったことも思い出されます。
(まあ、その後通帳にお金が入ってくるという・・・巡り合せ)
今日は、ヒロクニさんの良い所を書きました。
一緒に暮らしていると、悪い所ばかり目につきます。
つい、悪い方面ばかり書いているので、罪滅ぼしのつもり。
この時は、「ヒロクニさんて、かっこイイ。」と思った次第。
↑ピーちゃんは、風呂敷包みの上で庭を眺めています。
時折、向きを変えてこちらをジーと見ます。
目が厳しい時があって、「あまり厳しい目をしてはいけません!」と言います。
また、眠そうな時もあって座りながら、
コクリ、コクリと顔が動いていることもあって、可愛い。
さあ、今日は曇りがちなのですが、やっと日が差してきました。
今日は、まだ、わかめになっていません。(笑)
わかめになったのは、昨日(25日)です。
長い文章もブログ、読んで下さりありがとうございます。(ペコリ)
そう思ったら、確かに上空であり、ぐーっと空間の広がりを感じました。それは、深さだけではなく、縦も横も。キャンパスよりも、もっともっとずーっと、ぐんぐん広がりました。
ヒロクニ先生の作品は、このようにちょっと気が付くと(知識がある方は最初からなのだと思いますが)、作品が広がったり躍動したり飛んで行ったりするように思います。
それが分かった瞬間、とてもどきどきして、気持ちがうわぁーっと弾けるように感じて、アドレナリンが出ます。一度それを知ると中毒性があるのかもしれません。
「今」のお話、とても興味深く拝読しました。昨日があってこその今、すべての過去は今に集約されていると思います。
「過去に戻ってやり直すとしたらいつに戻りたい?」という問いがしばしばありますが、過去を修正してしまうと今の自分がいないと思ってしまいます。
今の自分が嫌だったり恥ずかしかったり多々ありますし、過去の自分も同じくですが、過去を変えてしまうと今がない、すなわち、過去の恥ずかしさも何もかもひっくるめて今の自分を形成しているのだから、今をただひたすら生きていくのだ!と思っています。
わかめのことが、さほりんっぽくて私は好きだなと思いました。その感性はちゃんと現実に向いているのに詩的で、美しいです。
ゆらゆらすると物理的に体もほぐれるうえに、その効果で気持ちが落ち着いてくること、なるほどと思いました。
どんよりした気持ちのとき、私もわかめになってみます。
バッド・カンパニーがさほりんのブログに出てきて、おぉ!と胸が高鳴りました。学生時代は「バドカン」と略して言ったりしていました。
ボーカルのポール・ロジャースがボーカルとしてクイーンのツアーに参加した東京公演に行きました。公演に興奮し、高くなったテンション抑えられなくなり、数日後の埼玉公演のチケットも入手して再度行ったことを思い出しました。
「『人を許す』瞬間」そのように感じたさほりんに、私は鮮烈な感覚を受けました。同じ場面に居合わせても、そのように感じた人はいなかったように思います。普通に受け流す人が大半だと思います。
さほりんの、日常の中で湧きあがる感覚の鮮烈さをこのブログでたくさん感じ、自分の感覚の発見につなげさせてていただいています。ありがとうございます。
緑の布とピーちゃんが日本画のようで好きです。厳しい目をしてしまうのは、お庭を見ながら鳥を狩っているつもりになっているからでしょうか。
厳しく言うさほりんが、イギリス貴族のお嬢様の家庭教師のようで、文学的です。
気候が安定しないと、体も気持ちも安定しません。安定のための手段がわかめだったり、その他の何かだったりすると思います。
そんな、安定につながる手段がわかっていると、結構便利だと思います。
辰蔵のこと、気にしてくださりありがとうございます。オスのライバル心をもっているのがかわいいです。今も腕の中でゴロゴロいって「お腹なでてアピール」をしています。
コメントから、この作品を観て高揚感があったということが伝わり、嬉しく思いました。私は、初めてヒロクニさんの絵を見た時、とても気持ちが高揚したのを思い出します。それは何なのでしょうね。色の詰まり方や動きが、そう感じさせるのですが、それが気持ちを高揚させるのですから、いつも不思議って思っています。
「過去に戻ってやり直すとしたらいつに戻りたい?」という質問は考えたことがありませんでした。けっこう難しい質問です。失敗も成功のもととも言うし・・・・。私も消え入りたいような恥ずかしい思い出もありますが、それも切ない大切な思い出と思ってしまいます。だから、ともりんと同じ考えです。しかし、これから先も恥ずかしいことをしでかしそうで、自分が怖いわ。(笑)
「バッド・カンパニー」に思い入れがあったのですね。もしかして、けっこうロック通?ヒロクニさんに話すと「彼女は、よく勉強している人だって。」と言っていました。そして、「いい友達が出来たね。」と。わたしもそう思いました。とにかく、このCDは、よくかけます。
「人を許す」と感じたのは、わたしだったら・・・、杓子定規な考えで“盗み”をするなんて!それも“お金”と、浅はかな善良さを発揮したでしょうが、そうじゃなかった事と、「これで終わりにしとこか。」で、その場にあった空気がきれいさっぱりなくなり、物凄く清々しさを感じたのが印象的だったのです。時々、人から「そういう考え方もあるんだ!天然は。」と言われます。“天然”は余分だ!と思うのですが・・・。何かお役に立つことがあれば嬉しいです。
わかめはいいでしょ。海の中で海草がゆらゆら揺れているような気持ちになるのよォ!何してるの?と言われそうですが。力を抜くのがポイントです。
これから寒くなりますが、お風邪などを召しませんように!
ともり~ん!ありがとう!