武内 ヒロク二

このブログは、武内ヒロクニの絵の紹介や、家での出来事を妻が語ります。
日々、徒然。

風(色鉛筆作品紹介745)と 庭の花を思い出して

2023-09-09 15:52:36 | Weblog

右下の端に「風」という文字が目に入ってきた。

この「風」という文字の雰囲気から、“風雲”というイメージが湧き、

それから描かれている花を見た。

中央に大きく描かれた絵は、ブルン、ブルンと激しくゆれているように思いました。

左上の謎めいた渦巻きも、その雰囲気を高めています。

飴みたいでは、ありますが・・・。

意外なことに、自然の驚異も感じ、

苦難にあっている花の気持ちを考えてしまいました。

それがエスカレートすると、

武内と結婚したことによって起こる苦難のことを思い、

この花が自分のように思えてきたり。

この絵を前にして、感情移入をして長い夫婦生活を振り返ってみた。

 

武内がもたらす苦悩、困難というのもあるが、

そこから意外な能力が開発されて、自分でも驚いたことがある。

わたしは大体は、人の言う事を聞いて仕事をするタイプだと思っていたのが、

ひょうんなことから、子供の造形教室をして先生を雇って采配を振るう立場になったこと。

考えられないことでした。

武内から無理難題を言われる度に、沸点が低くなって、

感情を抑えることが減ったこと。

(これっていいことなのか?という疑問も残りますが・・・)

職場でも意見の大人しいわたしが、

「おかしいでしょ?」と思うことには、時として面と向かっていうようになった。

報復として、冷蔵庫に入れてあった休憩時に食べるサンドウィッチが、

踏みつけてゴミ箱に入っていたことがありましたが。

それを見て、「酷い。」と涙するのではなく、

「それで、気が済んだか!」と、鼻息荒く思ったりして、

「気が済んだのであればいい。」と思うと、少し笑い話のような気がしたのでした。

新しい性格というか、捉え方が変わっていたのです。

時代によって起こる事、画家の場合は不況というのは買い控えがすぐ起るものなので、

頭が痛いのだが、先のことを思い詰めない為に、

「騙し騙し生きるのよ。」と気持ちの持ち方にバリエーションを加えた。

この頃は、悪夢の政権「民主党政権」の時で、

TVで、うつ病で入院している人を取り上げていて、患者が「頑張らないと。」と言うのを聞いて、

「もうちょっと、休みなさい!まだ、よ~。」とTVに向かって言い放つわたしがいた。

大体、TVに向かって叫ぶという行為が今までにない行為で、

自分の中でモヤモヤと思いをくすぶらせるのが以前のわたし。

こうやって、タフになった一面があり、わたしにとってはいい事のように思われます。

災難というものでは、阪神大震災がありましたが、

やはり1人ではなく、2人だから、思いを共有しながらやってこれたように思います。

武内は、しみじみと「俺達もいろいろ越えてきたねぇ。」

    「こんな困難な時代が来るとは思ってもみなかったけど、一緒になっといて良かったねぇ。」と言う。

わたしは、「確かにそうよねぇ。」と言いながら、うなずく。

しかし、その中で余分なものもある。

「余計な苦労を加えているのは誰?」と付け加えておこう。

やっぱり一言多いわたし。

 

この絵を見ると、薄く2016と記されていて、赤色で2017と書き込まれています。

一旦、2016年に仕上げ、2017年にさらに手を入れ仕上げた作品のようです。

花を中心に描かれているので、

以前の家で花を育てている頃の絵だと思い、その頃の庭の写真を見ていました。

2016年の春は、

↑はじめてアリウムを植え、咲いた春でした。

白い花はノースポールで、あとはビオラ。

ピンクの花は思い出せない。

アリウムの大きい球根は、深く穴を掘って植えたのが思い出されます。

2017年の春は、

↑チューリップとビオラ。自生する花ニラと。

今こうやって見ると、非常に熱心に取り組んでいたと感心します。

新居では、ルピナスはすぐ枯らし、今は何も植えていません。

ビオラの種もまだ蒔かず。

綺麗に花が咲いている家も見かけない。

その上、近所の花屋では、花苗は売ってなくて皆無なのです。

宝塚市では、あちらこちらに花苗が売っていて、

皆盛んにやっているから、自然と苗を分けて貰ったり、あげたりしていました。

広い庭って凄いことだったのだと痛感します。

それと、ヒロクニさんの絵になんらかの影響を与えていたのかもしれないと思うと、

面白い。

これからは、どうなるのか?

路地の絵が増えるのか?楽しみにしています。

 

やっと、暑さがましになり散歩が出来るようになりました。

夕方、坂道を登って散歩に行きました。

坂道を上りきると、バス道に出た。

そして、禅寺を見つけ、小さな珈琲店も見つけました。

「今度、行って見よう。」と、いうことになっています。

散歩の時に空の写真を撮りました。

↑もっと明るい感じだったと思うのですが、

写真では暗めに写りました。

↑雲が速い速度で流れている日でした。

写真を撮っているわたしのことはお構いなしに歩いていくので、

やや焦り気味に写したので、この2枚だけになります。

↑中央右部分の雲のアップ。

夕焼けって、ピンクとオレンジが混ざり合っているのですね。

ヒロクニさんの描く、夕焼けの絵を思い浮かべてしまいました。

「雲を見ていると飽きない。」という人がいますが、この日は、その言葉がぴったりきます。

 

花の絵を見て、自分を投影するとは思ってもみませんでした。

花が風に振り回されているように思ったのでしょう。

花とは違い、人は考えるということをします。

だから、一筋縄ではいかない存在。

自分の事をそう思います。

花は、純粋に美しく、人に癒しを与えてくれます。

そういう存在が地球上にあるということが、不思議です。

こういう思考をはじめると、すべてが不思議につながっていきます。

今日は、自己憐憫の感情から、いやそうでもないか・・・?ということになりました。

ある種の肯定もしているということです。

しかし、武内ヒロクニは手強い。

あなたの手強い相手というのはいますでしょうか?

そんなことを思いながら。

今日も最後までお読み下さったかた、ありがとうございます。

 

 

 

 

 

 

 


コメント (2)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« プリミティーブな頭部(色鉛... | トップ | 骸骨現る(色鉛筆作品・紹介7... »
最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
お褒めの言葉ありがとう。 (さほりん)
2023-09-14 23:34:42
コメントありがとうございます。
私の出来る限りの健気さと、開き直り感覚のありようをともりんは理解してくれている、と思いながら読みました。たぶん、この感覚を面白がったり、いいなぁと思ってくれる人は少数の人じゃないかな?と思うことがあります。ともりんは、その中の1人だと思いました。
サンドウィッチの話は、自分自身でも、気持ちが違うベクトルに向かったので、自分の中でアレ?という感覚でした。その感覚を一緒に面白がってくれる、ともりんは最高よ。わが友です。

今の植物の場所は、朝日が当たらなくて、西日だけが強烈にさすという所なんです。その西日でしょっちゅう水分がカラカラになっていたのが、つまずきでした。今、ピートバーンにビオラの種を蒔いていますが、秋はなんとかなるのではないか、と思いながらやっています。

神戸は、海と山に囲まれているというのが特徴です。少しづつ、紹介できるといいですね。暑くて、遠出が億劫になっていて、それがなかなか出来ないでいます。

「あなたの手強い相手」は、自分自身だと言うことは、よく自分を見つめているということだと思います。自分以外の人に愛情云々とありますが、愛情が薄いということではないと思います。私の場合は、「何が何でも、私の思い通りにしたい。そうであって欲しい。」という気持ちが見え隠れします。自分の欲望が消えて、消滅すればいいと思うのですが、それがなかなか。究極は、自分自身なのでしょう。ともりんは、自分に厳しいのだと思います。それは、とてもいいことです。最近、他人に厳しく自分に甘い人というのが、口やかましい気がします。

ただ、疲れきっている時や大変すぎる時は、自分に優しくというか、甘くなっていいという話を聞き、それも一理あると思いました。目一杯になっている時は、自分自身をいたわってあげる方が、立ち直りに効率がいいという話だったと思います。(私自身は、今は疲労回復を目指しているので、意識的に自分にやや甘め体制。)

朝夕と涼しい時間が訪れるようになりました。散歩は、これからになります。
秋の散策、私も楽しみです。
もう少し暑い日が続くようですが、秋の風が時々吹きます。爽やかな季節(この頃短いですが)を、これから楽しみましょう!
コメント、ありがとうございます!
返信する
Unknown (ともりん)
2023-09-13 22:09:56
にぎやかな感じの作品かな?と思いましたが、さほりんのコメント「この花が自分のように思えてきたり……」を読んで、ものすごく納得しました。
台風のように四方から吹き付ける暴風にさらされている花、と感じました。あっちからもこっちからもゴーゴーとうなる風にさらされながらも、この花は健気に力強く、しなやかに咲いているのです。
なんて美しいのでしょう!

サンドウィッチの話、さほりんの心の裕(ゆたか)さに脱帽です。鼻息荒くタフで気持ちのバリエーションを加えることができて一言多くて、それらを文字で表すことができること。さほりん、大好きです。

野に咲き乱れる花々のお庭は、見るたびに「モネの庭」と思います。モネは池の庭だけれど、さほりんのお庭は地に足が着いた土のお庭です。力強い美しさ、とても好きです。
今のお家はお庭や草花には少し難しいようですが、以前とは違う形であっても自然な形で「さほりんのお庭」が表現されていくのでは、と勝手に思っています。
ティーカップに活けた、ビオラなどの小さくて柔らかい花とお庭の草の姿は、私の中の「美しいものの引出」に大切にしまわれています。

坂道、バス道、禅寺、小さな珈琲店。そして美しい空。さほりんとヒロクニ先生が住まわれている街の風景を想像しながら、その空気を感じているつもりになりました。
その街には行ったことはありませんが、勝手にその街の空気を想像しているとその場所に行ったような感じになり、気持ちが満ちてくるように思います。

「あなたの手強い相手」誰かな?と考えました。自意識が強すぎるのかもしれませんが、「自分」だと思いました。毎日、嬉しいときもつらいときもいつも自分と戦っている感覚があります。
「自分意外のヒトに愛情が薄いのかな……」とも考えますが、やはり、己の敵は己だという結論になってしまいます。
それについては考えを深めていく必要がありますが、とりあえず、今のところは己と戦って行こうかと思いました。

9月も後半に差し掛かりました。新しい街の、秋の風景も楽しみにしてますね。
返信する

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事