武内 ヒロク二

このブログは、武内ヒロクニの絵の紹介や、家での出来事を妻が語ります。
日々、徒然。

和紙に描いた絵5

2009-01-15 23:23:31 | Weblog

春の匂いと書かれた和紙の絵。
ただ描いた。サインを入れることも忘れて。
地中にオークルの花が咲いている。
土から、春の匂いがする。

とても寒くなりました。
この絵は、とても地味だけれど、
春を待つ、ヒロク二さんの心境が良くわかります。


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猫のキタハマ

2009-01-13 23:46:18 | Weblog

子供の造形教室をしていた頃のキタハマちゃん。授業が終わり、子供達が帰った後、キタハマにとっては平和な時間が訪れる。ヤレヤレ、ウルサイニガテナニンゲンガカエッタ。ヒトネムリスルカ。キモチイイニャー。

草木染めの授業でした。染料はロッグ・ウッドでしました。たまねぎの皮は、きれいな黄色にそまる。むらさきキャベツは、薄いブルーに。草木染めに、授業ではなく、個人的に、はまったときには、草木辞典も持っていて、道端に生えてる草を調べて見つけると勝手に取っては、草木を煮詰めていた。ある時、びわの葉を煮詰めて、赤い色の染料を鍋にとっていた。生徒の1人が、勝手に蓋をあけて、中身を見るや「まずそー。」といっているのに気がつく。「○○ちゃん、これは染料です。草木染めしたの覚えてないんですか!」と言う。「でも、これまずそうだ。」う~ん。あくまでも食べ物と思っている様子。「○○ちゃん、これは食べ物ではありません。こ・れ・は、せ・ん・りょう・です。先生は、葉っぱを食べると思っているの?」というと、どっか行ってしまった。木造の家で、土壁が使われているような家はあまりない。現代の寺子屋と名づけてもおかしくない教室だった。そこの先生は、魔女のような生活をしていると思っていたのかしらん?びわの葉を煮ていた染料を、食べるような生活を送っているというイメージを変えて、家に帰って欲しかったという思いが、残っています。

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どんどん焼きの巻

2009-01-11 14:42:50 | Weblog
毎日新聞夕刊(東京都内版)2009年1月6日(火)掲載のえ

ベン・シャーンの絵のようなマチエールで描かれたどんどん焼き。化石を掘り起ここす現場のよう。どんどん焼きの化石発掘図のようです。

女優でエッセイストの星野知子さんのどんどん焼きは、母が子供の頃に作ってくれた手作りのどんどん焼き。材料は、小麦粉と長ネギと干し海老。水で溶いた小麦粉に具を入れて混ぜ、ホットケーキみたいにフライパンに流し込み、少し焦げ目がついたら、ひっくり返し、妹と一緒にヘラで生地をギュンギュン押すのが役目だったと語ります。昨年、結婚された星野さんは、彼に作ろうかどうしょうかと迷っていらっしゃるそうです。
新婚ムードが漂っていていいですね

そんな、どんどん焼きを作ってみました。
新潟県ということで、おせんべいのようなイメージを思い浮かべました。
水で溶いた小麦粉にネギをたっぷりと。
厚みは、5ミリぐらいになるように。スプーンからぽたぽた落ちるぐらいの硬さに。


フライパンで両面を焼き、ヘラでギュンギュンと押します。ネギのつぶれるいいにおいと音がするように。せんべいのようになり、焼き目がついたら、フライパンのは縁からしょうゆを垂らします。ひっくり返してもう一度しょうゆを垂らします。下の写真のようになりました。


下の写真は、お皿に移したものです。


この連載では、いつも次は何がくるのだろうと待ち構えている。いつも以外なものばかりで大慌てするときもあれば、あまりにも日常に的なものでかえって難しいときもある。
「どんどん焼き?どこかで聞いたことがあるわ。」と頭を抱え、ヒロク二さんに言った。人間の記憶というのは、引き出しのようになっていていざとなれば、時間をかければ思い出すものらしい。作家の、池波正太郎氏の食エッセイにどんどん焼きは、紹介されていたのを思い出した。確か、昔、屋台で売られていたものと書かれていたはず。池波氏のどんどん焼きは、東京の下町の食べ物。ネットで検索すると山形県にも、どんどん焼きというのがあり、はしでクルクルと巻かれていてソースがかかっている形態のもある。いろんなどんどん焼きがある。星野知子さんのどんどん焼きは、とても狭い地域の料理だったようです。新潟県長岡市の郷土料理といってもいいかな?
味は、関西でいうと、ネギ焼きのシンプルなもの。
ネギのかおりとしょうゆの焦げた味のコンビネーションがとてもおいいしい。素朴さが命という食べ物でした。熱々もおいしいが、さめてしまってもおいしいなと思いました。つまみ食いには最高です。

池波正太郎さんのどんどん焼きの話は、「むかしの味」新潮文庫で読めます。たった7ページの文章でしたが、とても印象に残っていたのです。屋台でただ買って食う子供じゃなっくて「おじさん、こういうの、やってごらんよ。」とすすめたり、実際メニューに加わったそう、そのおやじの代わりの店番をつとめたりと、とてもませた池波少年がおもしろくて一読の価値ありです。子供の頃から粋な江戸っ子だったのだなぁと気っ風のよさが、とても人に勇気を与えてくれます。

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作品紹介9

2009-01-07 20:20:24 | Weblog

神戸の銀行に飾ったポスターの絵。
決して、写真を見ながら絵を描くということはしません。
歩いた、あの道、この道、風景、風景、そして浜風が吹く。
そんな神戸の街を、ヒロク二さんが描きました。


この足がない人物は何者。
今聞いたら「これ足。全部が足。」だそうです。しかし、足の先が気になる!!
紙の白は、海の色。向こうに見える島は、淡路島?
(うす曇りの日にしては、淡路島がよく見えるなぁ)

ポスターを見た女性が、神戸の街が描かれた絵がとても気に入って「ポスターを下さい。」と銀行に入ってきたそう。全部原画を飾っていたので、断ったそうです。印刷のポスターだったら良かったのですが、そうはいかなかったのが残念です。

神戸の街の香りを、ヒロク二さんが自然体で描きました。

ヒロク二さんのわかりにくい、人を煙に巻くような話し方は有名で、島田ギャラリーのスタッフの方は「最初、宇宙人かと思った。」と、うかがったことがあります。「なにを言ってるかわからなくてビックリしたのですよ。」と。他にもたくさんの方から、「よくわかない。」と、その場にいるわたしに、合図を送ってこられる方はとても多い。そこで、ヒロク二語の特徴を二つをお伝えします。まず、主語が抜けていることと、指示代名詞がとてもわかりにくいのが、特徴です。「その」「この」「あれ」が、あっちこちの名詞と入れ替わる。このことに気づけば、ヒロク二語を理解する第一歩になります。難しいのは、指示代名詞を見つけること。これが解ってきたら、大体の話しが解かってくる。二人で話すときは、すかさず「これという指示代名詞をはっきり!これとは何ですか?」「その話は、誰の事を言ってるの?」とそんな質問をたくさんする。そうやってヒロク二さんの巫女様になった。ヒロク二語を訳せるように。巫女様は、人にいつも気を使っています。
これを読まれていて、なおかつ、ヒロク二さんと話をしたことのある少人数の方達が、なるほどと、うなずいてる方の姿が目に浮かびます。


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羊かんの巻

2009-01-06 15:13:26 | Weblog
毎日新聞夕刊(東京都内版)2007年3月20日(火)掲載のえ

迷作、羊かん。

裏千家前家元(十五代)の千玄室さんの思い出の羊かんは、太平洋戦争中、愛機の横で飛行服のまま、仲間6人で茶会した時に「羊かん」を食べ、薄茶を飲んだ時に少尉が千さんに言った。「千なあ、おれ、帰ったらな、お前のところの茶室で茶飲ませてくれや」と。それを聞いてぞっくとして、初めて、死ぬということへの実感がわいてきたといいます。少尉は、もう死ぬのが解かっていていった言葉だということに気づき、たまらなくなり、故郷の方を向き「おかあさーん」と叫んだ。仲間も、皆20歳そこそこで、ボロボロと涙を流して、皆叫んだ。特攻で仲間の4人は戦死したと語ります。

この頃、実は、わたしは入院していて、手伝いが出来なかった。初めて、ヒロク二さんは炊事やら、洗濯、支払い等の雑用等と戦っていた。どうしても資料が欲しいときは、女友達のT子さんに。食べ物が解からないときは、近所の主婦の方にとアドバイスしていた。

しかし、この茶器?陶器の器は、とても問題だったらしい。裏千家の茶碗は、平べったいのが主流で、原画が付くや否、この度の記者の方が慌てて「受け取りに行くので、書き直してください。」と電話が入ったそう。しかし、ヒロク二センセイは電話になると強く出て「それでいいんだ。」とのたまったらしい。
後から、神戸の島田ギャラリーで、しあわせ食堂のトークにて「この器、どうやって茶筅をいれるんですか。」と編集委員の方から話が出て、聞いていた人は、皆笑った。絵のスライドはほとんど「これ・・。(笑い)」の絵が多く選んでいたのか?
その時の話をもうひとつ。もつ鍋の絵は、もつが入っている鍋に蓋がしてあった。編集員曰く「こういう手もあったのか。こうされるとたまらんよ。なんでも蓋されるとなんにでも適応される。」と変な褒め言葉をいただきました。鍋がいい感じに仕上がっているから、良かったのですが・・・。
しかし、「羊かん」の絵の茶碗も問題だったかもしれないけど、羊かんが立ってるというのも・・・・。キューブリック監督の「2001年宇宙の旅」を思い出した人もいる。さらに、この絵の紙は、イカリ・スーパーの紙袋の裏に描かれている。確かに、イカリ・スーパーの紙はすごく強い紙だわね~と変な所に感心した。何度見ても迷作?「羊かん」です。

この絵を描いた環境は、ヒロク二さんにしたら、わたしの病気も心配だし、したことない炊事、洗濯、「食べ物の絵」と特攻隊のような気持ちでいたのだろうなと思います。電話でよく洗濯機のスイッチの順番説明したヮ。スイッチを押せば出来上がるのに。なんでそうなるのか理解できなかったです。

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ここから発信しています

2009-01-05 22:32:03 | Weblog

ここから発信しています。
後ろのパネルに貼っている絵は、猪熊源一郎さんのものが多い。好きなアーティストの1人。四国の丸亀市に、猪熊源一郎氏の美術館があります。この美術館はお勧めの美術館です。ヒロク二さんとも行って、素晴らしかったので、しばらくコーフンしていました。あとは、手紙や、はがき、メモ書き。私的な誓いの言葉(秘密)なんかもあります。

ヘッドホーンは、集中するために。いや、ヒロク二さんの声が聞こえないように!すぐ用事をいいつける声をカット!!いつも二-ル・ヤングから始まり、ヨーヨ・マのチェロ、モーツアルト、フジコ・フェミング、ジミー・ヘンドリックス、クラッシクのオムニバスと流れる。ヒロク二さんは、わたしがパソコンに向かってると機嫌悪し。早く相手して欲しいのだろうけどソウハイカナイノデアル。

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作品紹介8

2009-01-04 21:44:55 | Weblog

1990年 7/2~7/10東京の銀座にある牧神画廊での個展で発表した作品。
題は「アルトー・ハウス」10F 色鉛筆

20年前の作品。紆余曲折の挙句のはてをへて、親にもなんとか結婚の許しをもらった頃のことです。
個展のはがきに Going down with SAHORI,in the night と印刷されていて、画廊主の方に「どうしてさほりさんなのですか?」と聞かれて困ったことを思い出す。「いやぁ(困った顔して)わたしに聞かれても解りません・・・・。わたしの方も知りたいくらいなんです。」と答えた。初めてのことで、個展会場で気を利かせて立ち振る舞うこともせず、のほほんといただけ。
個展の前は、ヒロク二さんは、金策に忙しく急に札束をわたしの前に渡し「これでなんとかいける。」と呟いた。また、東京まで絵を運ぶのに関西から東京まで、友人のEクンと車で一緒に行き、その後、二人で東京まで行った。ヒロク二さんは、とても疲れていたよう。当時ヒロク二さんは52歳で、疲れのためにぶっきら棒な表情が、とても大人な感じがして頼もしく思った。わたしはいつまでも恋の続きをしていたのです。この頃は、ヒロク二さんに、甘えとても夢見心地の中でした。

ところが、個展以後、籍を入れるや否「サービスは終わった。」「あのままズーと恋していたら、死んでいたかも。」と宣言され、「え~どうして?」「もっとサービスして欲しい。」「約束が違う!」等と言っても「無理。ダメ。」と言われ、関係は変化してしまいました。やはり、ヒロク二さんは大人だった。
過去の時間だけれど、時々思い出しては、牛のように反芻する。もう二度と味わえない時間だから。何度も反芻するうちに意地汚いなぁと反省。
でも、恋っていいですね。ホルモンのバランスも整えるし・・・ネ。やっぱりまた、反芻しよっ。


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梅干しの巻

2009-01-03 17:11:29 | Weblog
毎日新聞夕刊(東京都内版)2007年3月13日(火)掲載のえ

梅の花とともに、梅干しが描かれています。描かれた梅干しは何個ある?

哲学者の梅原猛さんは、奈良時代の文人に最も愛されたのは梅と語ります。また、梅干しが好きなのは弥生人やなかろうか。白いご飯は、梅干しによくあうとも。水稲耕作は弥生文化ですからと。梅原さんの子供の頃の遠足の握り飯の具は、梅干しがつきものだった。イワシ一つついていれば贅沢。それでも、うまかったなあと言います。梅干しは懐かしい味で、母の味とも。
手作りの梅干しに違いないとわたしは思いました。

ヒロク二センセイは、梅干しをどう絵にするかでとても悩んでいた。そして、梅干しを見続けていた。途中一緒に加わり見ていると、口の中に唾液が出てくる。あのすっぱさを思い出して。この原理はパブロフの犬ですね。見ているだけで記憶とともに脳が反応おこしているというやつ。おにぎりに入れるくらいで普段から食べつけないので「う~すっぱい!」という記憶が強いせいもある。梅干しとにらっめこするのは、飽きて席を立った。ヒロク二さんは白いお皿に梅干しを移して、箸で梅干しの位置を考えていた。引っ越してきた時、梅ノ木があり、梅が実を付けていたのを思い出し、庭の梅ノ木を見に行くと梅にほんの少し花が咲いていた。ヒロク二センセイを呼んで「引っ越して来たとき、実が付いてたのを覚えてる?」咲きかけた梅の花を見ながら言うと、ヒロク二センセイは、花の咲いている一枝をポキッと折りアトリエに行ってしまいました。クレヨンでいろいろ描いていたはずなのに、アクリル絵の具を忙しそうに混ぜ始め、一気に描いてしまいました。そうして出来上がったのが「梅干し」のえです。

「梅干し」は、平安時代には村上天皇が梅干しと昆布茶で病を治したという言い伝えが残っていて、戦国時代には、傷の消毒や戦場での食中毒、伝染病の予防になくてはならないもので、食用というより薬の役目を果たしていたそうです。また、兵士達は、梅干しを見ることで喉の渇きを促したそうです。やはり、パブロフの犬ですね。

ヒロク二さんは、毎日梅干しを一つ食べます。器に入っている梅干しが減ってきたら不安だそうです。ヒロク二さんの不安は他にもあり、食器洗剤、トイレットペーパー、石鹸、三角コーナーのネットといろいろあっていつも急に買い物に行かされる。水まわりのものが多くて?不思議だ。
梅干しのおかげなのか、ヒロク二さんはとても健康です。癌のときも「癌以外は、すごく健康でおもいっきり手術できます。」と先生にいわれた人です。いいことなのか、悪い事なのか、複雑な気持ちでした。とても健康体で癌・・・。ヒロク二さんといるとよく不思議なことが起こるのですよ。その後、奇跡的な回復を見せてまわりを驚かせてくれました。

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ヒロク二さんより新年のおコトバ

2009-01-01 16:08:52 | Weblog

あけましておめでとうございます。
ヒロク二さんから、ブログを読んでくださる方々に一言、新年の挨拶をウカガイマシタ。
「ケツ食らえ!!」と。今年の意気込みです。
畑で頂いた取れたての大根を持ち、太陽に向かってヤル気です。



制作ルック。絵が描きやすい服装。決してジーパンなどははきません。
〔地に足をつけて、裸足で立つ〕 いい年になりそうだ。
〔今年は何をしでかしてくれるのか?〕 わたしにとっては、嵐を呼ぶ男。
大根に隠れた顔の目の奥が、子供と一緒で、やぱりガジュマルの木の精霊と呼ばれるだけのものを、持ってるに違いない。
精霊というのは、いたずらものらしいよ。
この写真も「撮れ。」て命令されて撮ったんだから。

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