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Untrue Love(74)

2012年12月02日 | Untrue Love
Untrue Love(74)

「ベッドをあっち向きに替えて、机をこの日当たりのある方向にして、いらない本、どうしよう」と木下さんが話している。趣旨としては男手が欲しいので手伝ってくれということだった。ぼくは休みを合わせ、請け負うことにする。自分の部屋のことを一瞬だけ考えたが、そこは大幅に変更を求めることができないことを確認しただけだった。最低、四年は住むことになると思うが、それ以降はどうなることか自分でも分からない。その狭さがぼくに馴染み出している。思い出もその場所に棲みつきはじめている。ユミはこの部屋で何度か寝起きした。ぼくはいつかユミのことを思い出すことになれば、当然、自分が借りていたアパートも思いだすことになるのだ。それは同列の記憶だった。

 ぼくは腕まくりをして、家具の向きを変えた。その動かしたあとの床にほこりがたまっている。それを久代さんは掃除機で吸った。また動かす。そして、同じことが繰り返された。いったん本を外に出し、空になった本棚の置く場所も変えた。また、本を並べなおす。その際に、間引きに似たものが行われる。さらに、整理されて著者名やジャンルで分類される。だが、整頓されればされるほど、物体自体は手にされることを放棄され、収められた状態に甘んじることになる。それは、記憶にも似ていた。まだ、進行過程の思い出はどこかに並べられたりはしない。そこに在るのだ。在るということすら忘れるほど、生の素材だった。思い出すということ自体が、もう古くなりかけている証拠なのだ。しかし、もっときちんと計画的に手放されるものがある。処分する方向に定まった本が床に無造作に置かれた。ぼくは見繕って何冊か貰うことにした。その後、家のなかはいったん片付いてから、どうしても買い手がつかないペット・ショップの大きくなりかけた動物のように、古い本を中古屋さんに運んだ。

「いくらになるか分からないけど、それで、焼肉でも食べよう。安かったら、安いお肉。高かったら高いお肉で」そう久代さんは言った。ぼくは両手に本が入った袋をぶら提げ、久代さんも片手に何冊か入った軽い袋を運んでいた。

 それは思ったよりお金を得られた。空腹になっていたぼくの胃は存分に肉を食べられる確約ができた。木下さんは丁寧に肉を焼いた。靴の売り方といっしょのようだった。サイズがきちんと合い、お客さんも納得する。妥協を許さない彼女の一面が垣間見られた。ぼくは部屋が片付いたあとにパラパラと読んでいた本の登場人物が、障子を張り替えている場面を思い出していた。そこにはきちんとしたい性向と、妥協との狭間に揺れる女心があった。久代さんなら、あれはどういう場面に変わってしまうのだろうとぼくは正面で肉を食べながら考えていた。

「順平くんの部屋はきれい?」
「まあまあです。普通としかいいようがない」
「小まめに掃除とかしてるの?」
「あまり、しないかな」
「誰かしてくれてるの? お母さんが来てくれてるとか?」
「いれたくないですよ」

「プライベート。プライバシー」と、久代さんは野菜の焼き加減を見て、食べて、言った。ぼくは入れたくないという言葉が、母を指しているのか、別のひとを考えての言葉なのか自分でも判断できなかった。

「久代さんの部屋を、ぼくは随分と知っています」そして、化粧品の銘柄を述べた。ぼくはいつみさんの部屋にあったものとの差異を無駄に比べていた。どちらが高価であるのか、どういうメリットが肌にあるのか考えようとした。しかし、もちろん答えなどない。ただ、小さな子どもがものの名前を覚えることに躊躇しないように記憶していただけだった。

「今日は、掃除もするから、あんまりしてないよ、化粧。ごめん」となぜか彼女は謝った。謝る必要などまったくなかった。「もっと、食べられるでしょう?」店員さんがこちらの火のうえの網を見たのを気にして久代さんが訊いた。

「まだ、大丈夫かな」
「じゃあ」久代さんは、きれいな指でメニューのなかの写真入りの肉の何箇所かを指差した。
「手料理とかも得意なんですよね?」
「食べたい?」口直しなのか、お新香を食べていた。「でも、ひとりで、焼肉屋さんは抵抗あるよね?」

 ぼくは、もう数年前にいっしょに行った両親のことを思い出していた。彼らは、ぼくという存在が身近にいない以上、選択肢として肉を外で食べるという機会が激減してしまっているようにも思えた。咲子と仮りの三人の擬似親子のようなものがあったとしても、やはり、そのチョイスは押しやられてしまっているようだった。なぜ、ぼくはこの場面でその三人のことを考えていたのだろうか。

「なかなか、ないですね」ぼくは、有無を調べるかのように、服に染み付いた肉のにおいを嗅ぐ仕草をした。

「でも、いっしょにたくさん食べると、こんなにおいしいものはない」断定するように、久代さんは言う。ぼくは、もっと身体ががっちりとした、例えば、いつみさんの弟のキヨシさんのようなひとが、がむしゃらに食べたら、それこそ、食事自体が楽しさをもたらす最高のシチュエーションになる気がした。ぼくは、なぜ、たくさんの周囲のひとをこの場面に持ち出してしまうのだろう。もっと、密にふたりのことだけを考えてもよかったはずだ。それから、新たな肉が運ばれた。ぼくは空腹感と満腹感の地点を正確に計るようにしばし目をつむった。
コメント
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