Untrue Love(78)
薄暗くなったぼくらの頭上の空に飛行機が颯爽と飛んでいった。やはり、そこには自由という観念が伴っているようだった。ぼくはユミとともに地上に拘束されていた。彼女のいつもの突拍子もない言い回しも、この場面では無力に近いものだった。
遠くでは観覧車の光の円があった。誰がそこに乗って回転の最中にいるのかは分からない。しかし、そこにも限られた自由しかないように思えた。頂上に近付けば近付くほど、いずれ下に戻るのだ。また、戻らないことには今後の生活もないわけだが。
限定されたなかにいるひとたち。ぼくとユミの一日にも終わりがある。夜にも自分らの持ち分がある。朝に、いずれ主権を譲らなければならない。また、いつか、近いうちにいつか取り戻すときまで。
ぼくの学生という時間にも終わりがくるのだ。檻のなかにいる動物。ゲージのなかで動き回る犬のように、突き当たる場面が設定されている。向う側に行きたければ、なにかを手放す必要がある。自分で餌を探し、敵と立ち向かう。ぼくは首が痛くなるほど上空を見上げ、飛行機のとぶ勢いを確認しながら、そう想像だか決意をしていた。いや、不決意でいることを望むのを決めた。
ぼくの家ではじまった一日はユミの家で終わることになりそうだった。ぼくらは電車に乗る。適度に混んでいたが、ユミは座る席を見つけ、ぼくはその前に立っていた。彼女は、仕事柄、一日中ある場所で立ち、動き回っている。ぼくはそのときに固い椅子に座り、何かを教わっている。あくびも許容され、見つからない居眠りをする方法も覚えている。ユミには許されない。そうすれば、彼女の立場が危うくなる。そこに、ぼくらの大きな隔たりがあった。
ユミの家に入った。ぼくらはビールの缶を開け、唇をよせる。大人という存在としての長い道のりにまだ入らない手前のぼくがいる。彼女の扉は開かれていた。その道のりを歩くための術を得ている。だが、ひとりで歩こうとしているのかは分からない。最初のうちは、何人かの併走することを望む候補者があらわれるはずだ。そのうちに、ぴったりとくるひとが見つかるかもしれない。ぼくはそれに立候補しているのだろうか。それとも、及び腰でいるのだろうか。唇はつながりながらも、ぼくのこころは遠くにあったのかもしれない。しかし、そんなにも冷静に、明晰に考えることも年齢的に不可能だった。そして、不可能なこと自体を喜んでもいた。
ぼくは明日の早い用事のために、電車がある時間にユミの部屋をでた。そこから、駅までの道をもう覚えてしまっていた。ゴミが雑然と捨てられている場所は、きょうもその役目をまっとうしていた。さらにその日は、猫が破れた袋のはしをかじっていた。どこにも所属しない猫たち。ぼくは、自分のことを振り返る。自分の存在も立派でもなければ、高尚な問題や理念や方法で毎日を生活しているわけでもなかった。ユミの一部をかじり、同じようにいつみさんや木下さんのことも全部を受け止める覚悟もできていないまま、その全体像のなかの数パーセントをひとのお菓子の袋に手を突っ込むようにしてもらっていた。
「同輩だ」とぼくは、ひとりごとを言う。猫に半分は向かって口にしているのだから、ひとりごとには該当しないのかもしれない。しかし、ぼくは君らと違って、もっと魅力に溢れたもので煩悶して、悩んでいるのだ。いや、悩んでもいない。ただ、泳ぎ切れるとはじめた無心な気持ちは、湾ではなく、もう大海になってしまったという驚きを感じていたのだ。向こう岸は見えない。また、見たくもなかった。学生という立場が終われば、勝手に解決してくれるのだと、回答をどこかにゆだねた。ゆだねた以上、ぼくにもう心配はないのだと考えようとしていた。
尊敬をしてもいなかった友人の早間は、しかし、きちんとひとつの関係を終わらせ、ひとつをはじめていたようだった。彼のことを悪く言う仲間も多く、ぼくにもそのうわさが近付いてきた。だが、ぼくのこの生活の一端を知れば、彼らの口を止める方法も見つかりはしないだろう。永続を目的とした関係をきっぱりと終わらせることに、その年代の女性たちは不満を募らせているようだった。その側から見れば、ぼくは及第点だ。何も終わらせようとはしていない。
駅のホームで電車を待つ。誰も自分のことを知らない。知っているのは、このベンチに座っているぼくのこころだけだ。そのこころが罪悪感をぼくに浴びさせようとしている。それを閉ざすことができない。傍目から見たら、ぼくはどう映るのだろう。まじめに大学に通い、バイトも勤勉にする学生。愛想よく笑い、仲間や教えるひとたちからも受けがいい自分。それは決して崩れることはなく、なくなりはしないのだ。でも、ぼくはどれかを失う立場にもいる。
ぼくは、電車を待つことを止め、ユミのもとに帰ることを考えていた。彼女は喜ぶだろうか、それとも、予定が狂ったといって迷惑がるだろうか。彼女は、もう寝てしまったのか。爪でも切っているのか。シャワーをもう一度、浴びているのだろうか。だが、ぼくには想像することしか所有を許されていないようだった。それ以上、一歩踏み込むには責任が覆いかぶさって来そうで、恐かった。
関係ないことを考えることにした。咲子の耳に早間のうわさは入ってくるのだろうか。彼女は、その真意を知り、受け入れ、拒絶する。でも、どれもぼくの問題ではない。
電車がホームに入ってきた。これに乗り込むことだけが当面のぼくの問題だった。酔ったひとが身体を揺らしながら突然に降りてくるのを寸前でかわし、ベルが鳴り響くなかぼくは車内に乗り込んだ。
薄暗くなったぼくらの頭上の空に飛行機が颯爽と飛んでいった。やはり、そこには自由という観念が伴っているようだった。ぼくはユミとともに地上に拘束されていた。彼女のいつもの突拍子もない言い回しも、この場面では無力に近いものだった。
遠くでは観覧車の光の円があった。誰がそこに乗って回転の最中にいるのかは分からない。しかし、そこにも限られた自由しかないように思えた。頂上に近付けば近付くほど、いずれ下に戻るのだ。また、戻らないことには今後の生活もないわけだが。
限定されたなかにいるひとたち。ぼくとユミの一日にも終わりがある。夜にも自分らの持ち分がある。朝に、いずれ主権を譲らなければならない。また、いつか、近いうちにいつか取り戻すときまで。
ぼくの学生という時間にも終わりがくるのだ。檻のなかにいる動物。ゲージのなかで動き回る犬のように、突き当たる場面が設定されている。向う側に行きたければ、なにかを手放す必要がある。自分で餌を探し、敵と立ち向かう。ぼくは首が痛くなるほど上空を見上げ、飛行機のとぶ勢いを確認しながら、そう想像だか決意をしていた。いや、不決意でいることを望むのを決めた。
ぼくの家ではじまった一日はユミの家で終わることになりそうだった。ぼくらは電車に乗る。適度に混んでいたが、ユミは座る席を見つけ、ぼくはその前に立っていた。彼女は、仕事柄、一日中ある場所で立ち、動き回っている。ぼくはそのときに固い椅子に座り、何かを教わっている。あくびも許容され、見つからない居眠りをする方法も覚えている。ユミには許されない。そうすれば、彼女の立場が危うくなる。そこに、ぼくらの大きな隔たりがあった。
ユミの家に入った。ぼくらはビールの缶を開け、唇をよせる。大人という存在としての長い道のりにまだ入らない手前のぼくがいる。彼女の扉は開かれていた。その道のりを歩くための術を得ている。だが、ひとりで歩こうとしているのかは分からない。最初のうちは、何人かの併走することを望む候補者があらわれるはずだ。そのうちに、ぴったりとくるひとが見つかるかもしれない。ぼくはそれに立候補しているのだろうか。それとも、及び腰でいるのだろうか。唇はつながりながらも、ぼくのこころは遠くにあったのかもしれない。しかし、そんなにも冷静に、明晰に考えることも年齢的に不可能だった。そして、不可能なこと自体を喜んでもいた。
ぼくは明日の早い用事のために、電車がある時間にユミの部屋をでた。そこから、駅までの道をもう覚えてしまっていた。ゴミが雑然と捨てられている場所は、きょうもその役目をまっとうしていた。さらにその日は、猫が破れた袋のはしをかじっていた。どこにも所属しない猫たち。ぼくは、自分のことを振り返る。自分の存在も立派でもなければ、高尚な問題や理念や方法で毎日を生活しているわけでもなかった。ユミの一部をかじり、同じようにいつみさんや木下さんのことも全部を受け止める覚悟もできていないまま、その全体像のなかの数パーセントをひとのお菓子の袋に手を突っ込むようにしてもらっていた。
「同輩だ」とぼくは、ひとりごとを言う。猫に半分は向かって口にしているのだから、ひとりごとには該当しないのかもしれない。しかし、ぼくは君らと違って、もっと魅力に溢れたもので煩悶して、悩んでいるのだ。いや、悩んでもいない。ただ、泳ぎ切れるとはじめた無心な気持ちは、湾ではなく、もう大海になってしまったという驚きを感じていたのだ。向こう岸は見えない。また、見たくもなかった。学生という立場が終われば、勝手に解決してくれるのだと、回答をどこかにゆだねた。ゆだねた以上、ぼくにもう心配はないのだと考えようとしていた。
尊敬をしてもいなかった友人の早間は、しかし、きちんとひとつの関係を終わらせ、ひとつをはじめていたようだった。彼のことを悪く言う仲間も多く、ぼくにもそのうわさが近付いてきた。だが、ぼくのこの生活の一端を知れば、彼らの口を止める方法も見つかりはしないだろう。永続を目的とした関係をきっぱりと終わらせることに、その年代の女性たちは不満を募らせているようだった。その側から見れば、ぼくは及第点だ。何も終わらせようとはしていない。
駅のホームで電車を待つ。誰も自分のことを知らない。知っているのは、このベンチに座っているぼくのこころだけだ。そのこころが罪悪感をぼくに浴びさせようとしている。それを閉ざすことができない。傍目から見たら、ぼくはどう映るのだろう。まじめに大学に通い、バイトも勤勉にする学生。愛想よく笑い、仲間や教えるひとたちからも受けがいい自分。それは決して崩れることはなく、なくなりはしないのだ。でも、ぼくはどれかを失う立場にもいる。
ぼくは、電車を待つことを止め、ユミのもとに帰ることを考えていた。彼女は喜ぶだろうか、それとも、予定が狂ったといって迷惑がるだろうか。彼女は、もう寝てしまったのか。爪でも切っているのか。シャワーをもう一度、浴びているのだろうか。だが、ぼくには想像することしか所有を許されていないようだった。それ以上、一歩踏み込むには責任が覆いかぶさって来そうで、恐かった。
関係ないことを考えることにした。咲子の耳に早間のうわさは入ってくるのだろうか。彼女は、その真意を知り、受け入れ、拒絶する。でも、どれもぼくの問題ではない。
電車がホームに入ってきた。これに乗り込むことだけが当面のぼくの問題だった。酔ったひとが身体を揺らしながら突然に降りてくるのを寸前でかわし、ベルが鳴り響くなかぼくは車内に乗り込んだ。