Untrue Love(75)
ぼくは電車内で座り、対面にいる見知らぬ女性のことを見た。彼女がここにいるということを知っている。目で見えるという抗えない事実は居ないことにはなり得ない。でも、それがすべてだ。髪の色も、服装もそのひとの印象を形作ることはできるが、具体的なものは何も分からない。一方で、ぼくは木下さんの部屋のなかを知っている。彼女は、ここにはいない。いないということだけで誰かにその本人の存在を証明することは難しくなった。だが、ぼくのなかだけでは目の前にいるひとより強い影響力を及ぼすはずだ。彼女の部屋の家具の配列を憶え、好みの肉の種類を知っている。しかし、そのすべてを再現すれば彼女に近付くのかといえばまたそれも遠かった。なかなか、厄介な問題だ。
ぼくは電車を降りる。偶然、目の前の女性も同じ駅で降りた。改札を抜けると、そのひとは反対の方向に歩き出した。ぼくは、背中が見えていても、もうそのひとを思い出すことがより不可能なことに傾きはじめていることを知った。具体的な趣味や嗜好を知らないことには、誰かを知っているということにはならないのだろうか。ぼくは歩きながら、何人かのことを再現しようとしていた。
ぼくはいつみさんと野球を見た。だから、彼女が野球が好きなことを知っている。ルールもきっちりと理解できている。なぜなら、彼女は弟の試合を母といっしょに見ていたからだ。どこで、熱狂すればよいのか判断できる。その母はもういない。だが、その母の店を受け継いでいる。例えば、このことを第三者に話した時点で、彼女は立体化されていくのだろうか。容貌もすこし含めないといけない。シャープな顔立ち。はっきりとものを言う部分と、どこかで照れ臭く感じてしまう繊細なこころの持ち主。その両方に揺れるところが魅力を一層、高めているらしい。これぐらいで、情報としては充分だろうか。
木下さんはぼくもバイトをしているデパートで靴を売っていた。色白で、冬は雪が積もるところが出身だ。そういう場所にいるのを想像すると、とても馴染んでくる。本が好きだ。ぼくは借りて返さないままの本がある。読み返すこともないと思うので、いらない、とも言う。そのこと自体が、その人間の未練のなさや執着のなさにつながるのだろうか。
ユミは、ぼくの髪を切っていた。ぼくの小さなアパートの部屋に来るのは彼女ぐらいだ。古い音楽をコレクションもしている。ぼくは彼女から何枚かCDをもらって聴いている。音楽にも記憶を内在させる成分があるのか、たまにラジオで流れるのを聴いたり、外でその曲を耳にすると、音楽の数パーセントは、良い曲だなという印象とは別に、ユミのことも思い出してしまう。もっと、時間が過ぎれば、それは深まるのか、浅くなってそのきっかけとなった当人のことなど忘れてしまうのだろうかと心配にもなる。それは、いずれ時間が解決してくれる。いや、回答を与えてくれる。もし、その答えが忘れるということなら、回答も無意味な結果となる。
その三人をアパートまでの道のりを歩きながら、ぼくは立体化させていった。それで、まったく彼女らを知らないひとに、「このなかで、誰がぼくに合っていると思いますか?」と、無性に訊いてみたかった。だが、本音としては、返事もいらなかった。誰かに決めてもらうほど、ぼくは評判や相性などに頼っていなかった。また、決めるのは自分でもあり、このまま、ひとりをはっきりと決めないことすらも、ぼくに残されたささやかな自由であるのだ、と、ある種、傲慢にも思った。
ぼくを知っているひとが最善の選択をすることが可能ならば、それぞれの女性を母にでも逢わせれば簡単なようだった。だが、この不誠実な生活を身内に知られて良いはずもなかったのだ。それで、ぼくは食べ終わった高級なケーキの箱のように、またその女性たちをたたんで平らにして、こころのどこかにしまった。また、それは望みさえすれば再現できるのだ。思い出すだけではない。会って、さらにぼくは情報を喜びを伴うかたちで貰う。
家に着いた。空想はおしまいだ。ぼくは久代さんにもらった本を一冊とりだした。開いてみる。どこかに彼女の化粧品のにおいがするような感じだった。それは、突き詰めると本からではないような気がした。服からかと思って鼻をひじ辺りにもっていくと、相変わらず焼肉のいぶされたにおいがした。ぼくは椅子にすわり、本を読みはじめた。ユミの音楽からの影響を、いつか、ユミ当人のことを忘れてしまうとの疑問をもったが、まだ答えはでていない。だが、この本に熱中していると、木下さんのことは忘れてしまった。それはジャンルによる違いなのか、それとも、ぼくはユミに重きを置いているのか比較しようとした。それはぼく側だけの見方ではなく、相手の意向を考慮しての問題でもあった。壁ではなく、生身の相手にボールを打っているのだ。こうして、ぼくはただ言い訳の収集に励んでいるのかもしれない。洋服屋で買うべきもので悩み、似合わないものを懇切丁寧にすすめる店員を邪険にして、その商売目当ての気持ちをないがしろにするように。だが、結局はぼくの責任なのだ。いや、その姿はぼく自身なのだ。と反省に陥るように自分のこころを誘導しようとしたが、本が楽しすぎたので、目の前の快楽に没頭することにした。
ぼくは電車内で座り、対面にいる見知らぬ女性のことを見た。彼女がここにいるということを知っている。目で見えるという抗えない事実は居ないことにはなり得ない。でも、それがすべてだ。髪の色も、服装もそのひとの印象を形作ることはできるが、具体的なものは何も分からない。一方で、ぼくは木下さんの部屋のなかを知っている。彼女は、ここにはいない。いないということだけで誰かにその本人の存在を証明することは難しくなった。だが、ぼくのなかだけでは目の前にいるひとより強い影響力を及ぼすはずだ。彼女の部屋の家具の配列を憶え、好みの肉の種類を知っている。しかし、そのすべてを再現すれば彼女に近付くのかといえばまたそれも遠かった。なかなか、厄介な問題だ。
ぼくは電車を降りる。偶然、目の前の女性も同じ駅で降りた。改札を抜けると、そのひとは反対の方向に歩き出した。ぼくは、背中が見えていても、もうそのひとを思い出すことがより不可能なことに傾きはじめていることを知った。具体的な趣味や嗜好を知らないことには、誰かを知っているということにはならないのだろうか。ぼくは歩きながら、何人かのことを再現しようとしていた。
ぼくはいつみさんと野球を見た。だから、彼女が野球が好きなことを知っている。ルールもきっちりと理解できている。なぜなら、彼女は弟の試合を母といっしょに見ていたからだ。どこで、熱狂すればよいのか判断できる。その母はもういない。だが、その母の店を受け継いでいる。例えば、このことを第三者に話した時点で、彼女は立体化されていくのだろうか。容貌もすこし含めないといけない。シャープな顔立ち。はっきりとものを言う部分と、どこかで照れ臭く感じてしまう繊細なこころの持ち主。その両方に揺れるところが魅力を一層、高めているらしい。これぐらいで、情報としては充分だろうか。
木下さんはぼくもバイトをしているデパートで靴を売っていた。色白で、冬は雪が積もるところが出身だ。そういう場所にいるのを想像すると、とても馴染んでくる。本が好きだ。ぼくは借りて返さないままの本がある。読み返すこともないと思うので、いらない、とも言う。そのこと自体が、その人間の未練のなさや執着のなさにつながるのだろうか。
ユミは、ぼくの髪を切っていた。ぼくの小さなアパートの部屋に来るのは彼女ぐらいだ。古い音楽をコレクションもしている。ぼくは彼女から何枚かCDをもらって聴いている。音楽にも記憶を内在させる成分があるのか、たまにラジオで流れるのを聴いたり、外でその曲を耳にすると、音楽の数パーセントは、良い曲だなという印象とは別に、ユミのことも思い出してしまう。もっと、時間が過ぎれば、それは深まるのか、浅くなってそのきっかけとなった当人のことなど忘れてしまうのだろうかと心配にもなる。それは、いずれ時間が解決してくれる。いや、回答を与えてくれる。もし、その答えが忘れるということなら、回答も無意味な結果となる。
その三人をアパートまでの道のりを歩きながら、ぼくは立体化させていった。それで、まったく彼女らを知らないひとに、「このなかで、誰がぼくに合っていると思いますか?」と、無性に訊いてみたかった。だが、本音としては、返事もいらなかった。誰かに決めてもらうほど、ぼくは評判や相性などに頼っていなかった。また、決めるのは自分でもあり、このまま、ひとりをはっきりと決めないことすらも、ぼくに残されたささやかな自由であるのだ、と、ある種、傲慢にも思った。
ぼくを知っているひとが最善の選択をすることが可能ならば、それぞれの女性を母にでも逢わせれば簡単なようだった。だが、この不誠実な生活を身内に知られて良いはずもなかったのだ。それで、ぼくは食べ終わった高級なケーキの箱のように、またその女性たちをたたんで平らにして、こころのどこかにしまった。また、それは望みさえすれば再現できるのだ。思い出すだけではない。会って、さらにぼくは情報を喜びを伴うかたちで貰う。
家に着いた。空想はおしまいだ。ぼくは久代さんにもらった本を一冊とりだした。開いてみる。どこかに彼女の化粧品のにおいがするような感じだった。それは、突き詰めると本からではないような気がした。服からかと思って鼻をひじ辺りにもっていくと、相変わらず焼肉のいぶされたにおいがした。ぼくは椅子にすわり、本を読みはじめた。ユミの音楽からの影響を、いつか、ユミ当人のことを忘れてしまうとの疑問をもったが、まだ答えはでていない。だが、この本に熱中していると、木下さんのことは忘れてしまった。それはジャンルによる違いなのか、それとも、ぼくはユミに重きを置いているのか比較しようとした。それはぼく側だけの見方ではなく、相手の意向を考慮しての問題でもあった。壁ではなく、生身の相手にボールを打っているのだ。こうして、ぼくはただ言い訳の収集に励んでいるのかもしれない。洋服屋で買うべきもので悩み、似合わないものを懇切丁寧にすすめる店員を邪険にして、その商売目当ての気持ちをないがしろにするように。だが、結局はぼくの責任なのだ。いや、その姿はぼく自身なのだ。と反省に陥るように自分のこころを誘導しようとしたが、本が楽しすぎたので、目の前の快楽に没頭することにした。