Untrue Love(80)
「これ、お土産だから」
咲子がきちんと電話をしてきて、ぼくが在宅であることを確認してやってきた。ぼくは適度に掃除をして、窓を開け放って空気を入れ換えていた。
「どこかに行ったの? 誰と」
「雄太郎君と。早間君の車で」ぼくは、そういう具体的な状況の進行を示す証拠を提示されるとは、なぜだか思いつきもしなかった。そして、そのことについてあまり関心のない様子も不思議とだか装っていた。
「そうなんだ。楽しかった?」と、馬鹿げた質問をした。彼女の放つ快活な表情を見れば、それは分かりそうなものだった。家でコーヒーを飲み、少しだけ話し込んだ後、彼女は帰っていった。ぼくは送りもしない。
それで、ひとりで考え事をしていた。女性とどこかに出向くということはあったが、泊り掛けということはぼくにはできなかった。それはひとりに特定しないという意気地のなさのあらわれでもあるが、またそうした結果による「アリバイ」や、痕跡がのこることを極度に恐れていた。「どこに行ってたの? 誰と? いつ?」と、さっき、ぼくが自然と口についたセリフをぼくは投げかけられるのだ。即答にこまり、しどろもどろになり、自分のこころが窮屈になる。作りたくない嘘も自然に生まれ、それを正当化させようとみじめな状態におちいる。だから、結果として旅行もしないし、写真などの過去を振り返る素材がのこっていることも、ましてやあり得ない状態だった。
なぜ、ぼくは言い訳をあらかじめたくさん見つけようとしているのだろう。喧嘩が起こってももちろん良いのだし、そこでぶつかって絶縁になっても、若さの特権であるのだから構わない。ぼくは、それも恐れている。真に深まった関係を求めないことが、ぼくの成長を妨げているようだった。そして、自分中心で相変わらず考えていた。会えなくなるという存在ができる。早間は紗枝と会っていない。いや、大学にいれば、すれ違うことぐらいはあるだろう。でも、それは会うに等しいことなのか。待ち合わせをして、期待をふくらませ、それなりに洋服や見栄えにも努力して、誰かと会う。会うということは、そこまでの高みが求められているようだった。ぼくは、何人かと会えなくなるということを想像した。彼女らの未来の変化の度合いを知らなくなる。髪型を変え、服装や爪の色が変わる。しかし、話し方や、アクセントや些細なクセなどは変わらないものだろう。声や、笑い方。深いところでの性質。そう考えると、変化というものは起こりえないものにも思えた。だから、絶えず会うということはなくても良い感じもした。日に日に変化などないのだ。ぼくは、彼女らの明日を知らない。だが、あさってぐらいは知っている。数年後には、名前も思い出さないかもしれない。いや、決して忘れ去ることもできないのかもしれない。それは、ぼくの未来が決めることであり、きょうのぼくは無関心でもあった。でも、きょうのぼくの選択が未来のある一日を作り、それが幸福なものになるのか、不幸が不意に訪れるのか決定するかもしれなかった。
紗枝はいまでも早間のことを慕っているのだろうか。咲子もいつか早間のことを思い出すことがあるのだろうか。ぼくはなぜかふたりが別れることを前提にしているようだった。早間の性質からすれば、いつか目移りする。そうして否定的に考えている自分も目移りをしていた。こころの部屋にいくつかを設け、それぞれの女性を住まわせていた。ハンバーグの日。納豆の日。焼きそばの日。好みによって入る店が違う。ユミの大らかさ。いつみさんの度胸にも似た自然さ。木下さんの涼しげな容貌と繊細さ。ぼくは、それでもアリバイを残していないつもりでいた。こんなにも証拠がたくさんあるのに。
考えることにも飽き、古びたスニーカーを履き、外に出た。陽光がまぶしく、土手にいると川面の反射が目にしみた。川の向こうに三人の世界があり、ぼくはひとりで小さな船を漕いでいる自分を想像した。どこかの岸にたどり着かなければならない。だが、上流からの勢いにも負け、潮の干満の影響にもより、ぼくの意図ははずれてしまう。それが運命とも呼べそうだった。目の前にぼくと同年齢ぐらいの男女が座っていて、背中が見えた。こころもち寄り添っている。彼はどのように彼女を選んだのだろう。その女性は、彼の良さの発見を毎日くりかえしているのだろうか、と考えてもみた。名もない存在であるからこそ客観的でいられた。ぼくは、ユミのことも知っていて、それはいくらかという範囲ではなくそれ以上だった。いつみさんのことも好きという軽いものではなかった。もっと、しっかりとした錨のようなものをぼくのこころに降ろしていた。木下さんと彼女が育った町でふたりで暮らすことも想像力があるので考えられた。それはぼくに起こりえる最上級に相応しい未来の美の到来だった。その予告や想像を終わらせてはならない。また、終わらせてしまえば、ぼくという存在は無に帰してしまうようだった。
ぼくは立ち上がりお尻についた小さな砂利を払う。そのひとつひとつが自分の過去なのだと考えてみた。それは使い切れなかった鉛筆のようでもあり、古びたランドセルでもあるようだった。ぼくは、それを悔いることなどなく、手放してきたのだ。なぜ、人間関係が終わることに哀愁がともなうのだろう。それは、こころの流れが両面にあり、ある種の化学的な変化がそこに生まれたためだろう。ぼくは、もう一度、若い男女の背中を見る。咲子もああしたことをしているのだろうか。また、やはりアリバイと表現するには酷過ぎる思い出の美しい場面だった。
「これ、お土産だから」
咲子がきちんと電話をしてきて、ぼくが在宅であることを確認してやってきた。ぼくは適度に掃除をして、窓を開け放って空気を入れ換えていた。
「どこかに行ったの? 誰と」
「雄太郎君と。早間君の車で」ぼくは、そういう具体的な状況の進行を示す証拠を提示されるとは、なぜだか思いつきもしなかった。そして、そのことについてあまり関心のない様子も不思議とだか装っていた。
「そうなんだ。楽しかった?」と、馬鹿げた質問をした。彼女の放つ快活な表情を見れば、それは分かりそうなものだった。家でコーヒーを飲み、少しだけ話し込んだ後、彼女は帰っていった。ぼくは送りもしない。
それで、ひとりで考え事をしていた。女性とどこかに出向くということはあったが、泊り掛けということはぼくにはできなかった。それはひとりに特定しないという意気地のなさのあらわれでもあるが、またそうした結果による「アリバイ」や、痕跡がのこることを極度に恐れていた。「どこに行ってたの? 誰と? いつ?」と、さっき、ぼくが自然と口についたセリフをぼくは投げかけられるのだ。即答にこまり、しどろもどろになり、自分のこころが窮屈になる。作りたくない嘘も自然に生まれ、それを正当化させようとみじめな状態におちいる。だから、結果として旅行もしないし、写真などの過去を振り返る素材がのこっていることも、ましてやあり得ない状態だった。
なぜ、ぼくは言い訳をあらかじめたくさん見つけようとしているのだろう。喧嘩が起こってももちろん良いのだし、そこでぶつかって絶縁になっても、若さの特権であるのだから構わない。ぼくは、それも恐れている。真に深まった関係を求めないことが、ぼくの成長を妨げているようだった。そして、自分中心で相変わらず考えていた。会えなくなるという存在ができる。早間は紗枝と会っていない。いや、大学にいれば、すれ違うことぐらいはあるだろう。でも、それは会うに等しいことなのか。待ち合わせをして、期待をふくらませ、それなりに洋服や見栄えにも努力して、誰かと会う。会うということは、そこまでの高みが求められているようだった。ぼくは、何人かと会えなくなるということを想像した。彼女らの未来の変化の度合いを知らなくなる。髪型を変え、服装や爪の色が変わる。しかし、話し方や、アクセントや些細なクセなどは変わらないものだろう。声や、笑い方。深いところでの性質。そう考えると、変化というものは起こりえないものにも思えた。だから、絶えず会うということはなくても良い感じもした。日に日に変化などないのだ。ぼくは、彼女らの明日を知らない。だが、あさってぐらいは知っている。数年後には、名前も思い出さないかもしれない。いや、決して忘れ去ることもできないのかもしれない。それは、ぼくの未来が決めることであり、きょうのぼくは無関心でもあった。でも、きょうのぼくの選択が未来のある一日を作り、それが幸福なものになるのか、不幸が不意に訪れるのか決定するかもしれなかった。
紗枝はいまでも早間のことを慕っているのだろうか。咲子もいつか早間のことを思い出すことがあるのだろうか。ぼくはなぜかふたりが別れることを前提にしているようだった。早間の性質からすれば、いつか目移りする。そうして否定的に考えている自分も目移りをしていた。こころの部屋にいくつかを設け、それぞれの女性を住まわせていた。ハンバーグの日。納豆の日。焼きそばの日。好みによって入る店が違う。ユミの大らかさ。いつみさんの度胸にも似た自然さ。木下さんの涼しげな容貌と繊細さ。ぼくは、それでもアリバイを残していないつもりでいた。こんなにも証拠がたくさんあるのに。
考えることにも飽き、古びたスニーカーを履き、外に出た。陽光がまぶしく、土手にいると川面の反射が目にしみた。川の向こうに三人の世界があり、ぼくはひとりで小さな船を漕いでいる自分を想像した。どこかの岸にたどり着かなければならない。だが、上流からの勢いにも負け、潮の干満の影響にもより、ぼくの意図ははずれてしまう。それが運命とも呼べそうだった。目の前にぼくと同年齢ぐらいの男女が座っていて、背中が見えた。こころもち寄り添っている。彼はどのように彼女を選んだのだろう。その女性は、彼の良さの発見を毎日くりかえしているのだろうか、と考えてもみた。名もない存在であるからこそ客観的でいられた。ぼくは、ユミのことも知っていて、それはいくらかという範囲ではなくそれ以上だった。いつみさんのことも好きという軽いものではなかった。もっと、しっかりとした錨のようなものをぼくのこころに降ろしていた。木下さんと彼女が育った町でふたりで暮らすことも想像力があるので考えられた。それはぼくに起こりえる最上級に相応しい未来の美の到来だった。その予告や想像を終わらせてはならない。また、終わらせてしまえば、ぼくという存在は無に帰してしまうようだった。
ぼくは立ち上がりお尻についた小さな砂利を払う。そのひとつひとつが自分の過去なのだと考えてみた。それは使い切れなかった鉛筆のようでもあり、古びたランドセルでもあるようだった。ぼくは、それを悔いることなどなく、手放してきたのだ。なぜ、人間関係が終わることに哀愁がともなうのだろう。それは、こころの流れが両面にあり、ある種の化学的な変化がそこに生まれたためだろう。ぼくは、もう一度、若い男女の背中を見る。咲子もああしたことをしているのだろうか。また、やはりアリバイと表現するには酷過ぎる思い出の美しい場面だった。