Untrue Love(81)
たまに地球には流れ星や、流星群が訪れ、太陽が日中に隠れたり、普段とは違う薄暗さで日常に変化を与えてくれた。それが、どのぐらいの頻度の確立で起こるのかは分からなかった。実際に研究をしているひとは未来のある一日のことを的確に指すことができるらしい。それは予言ですらない。電車やバスの運行表のような類いのものであった。
ぼくはバイトをしている。大学に受かるよう勉強していた時期とは、もう別人になってしまったようだ。一日の密度も違う。どちらが濃かったかは分からない。また、比べるようなものではないのかもしれない。だが、あの机にかじりついていたときに、もう、ぼくの未来は定まっていたのだろうか。木下久代さんの横顔を見ながら、そう思っていた。時間の余裕ができ、ぼくのこころはきっと誰かを好きになるのだろうと漠然と感じていた。春のはじまり。ぼくは大学にいる人々にその対象を求めてもよかったのだ。それが一般的なことだった。その頃に早間と会った。親しくなる共通のものなど、ぼくらの間にはなかったようにも思える。直ぐに早間の横には紗枝がいるようになった。紗枝は友だちを紹介したいと何度も言った。ぼくは、それを喜びもしなければ、積極的にすすめてもらうこともしなかった。ただ、うやむやな状態を保った。ぼくは誰かと出会うことになるのだが、なぜだか、そういう方法を陳腐だと決め付けていた。あらかじめぼくの情報がそのひとに伝わり、その女性の美点や愛らしさも誇張されてぼくに話されるのだ。その現実との差を、ぼくらは埋める努力からはじめて、結局は求めていたものと違うということになりそうだった。もっと、ぼくは暴風雨にでも突然に巻き込まれるようなものを望んでいた。止むに止まれぬ衝動との戦いや葛藤。だが、それは受験勉強に励んでいたぼくが机上で作り上げた逃げ場としての幻想のようでもあった。そんな運命的な出会いは、確立としてあり得ないのだ。
スタートが幸先良く転ぼうが、継続の方に重きを置くほうがまっとうだった。だから、スタートなどは本当のところどうでもよいのかもしれない。だが、いつみさんはぼくと会った最初の日に新しい椅子が店先に置かれているのを見て困惑していた。あの表情はぼくのこころにきちんと仕舞われていた。ユミは、街頭にいた。画家でもあれば、ミューズとしてあの姿をキャンバスに刻印できた。ぼくのこころは同じような作業の過程を経験していた。ただ、それが外部に形となってあらわれないだけだ。しかし、その差が大きいものなのだろう。でも、できないからといって、ぼくのこころのなかに生きているものも誰も奪えない。在ることすら知らないのだから当然でもあったが。
ぼくはその日の帰りに木下さんに呼ばれて今度の休日にでもと、映画に誘われた。その後に洋服のセールがあるのでそこにも寄りたいと言った。体よく荷物を運ばされる役目のようでもあった。ぼくは、でもその誘いを簡単に断ることができない。まったくの反対で、どのようなお願いでも嬉しかった。彼女の部屋の模様替えを手伝い、さまざまな小さな日常の一齣にぼくは紛れ込んだ。タンスや家具はそのことを覚えていないかもしれない。逆なのだろうか。木下さんはいつかその部屋の内部を忘れる。家具たちはぼくの手の平の温もりを覚えている。大事に扱ってくれたというような記憶として。
ぼくはそれは木下さんが大事だったからそうしただけなのだ。彼女が喜んでくれそうなことは何でもしたかった。だが、それに費やす暇もお金も有り余っているわけでもなかった。できることは限られていた。だから、少なくともぼくは荷物を運ぶのだろう。
ぼくは自分を喜ばすためだけに高校時代に勉強をしていたように思えて来た。その副作用の受け手として、両親や学校の先生がいた。しかし、念頭にあるのは自分への喝采の期待だけだった。だが、喝采という印象自体が誰かがぼくに賛辞を向けるのを連想させる言葉のようでもあった。だが、ぼくは、いまでは久代さんの喜ぶ顔が見たいとも思っていた。そして、副作用としてぼくが嬉しくなる。これも、この何年間かで変わった気持ちのありようだった。
ぼくはバイトが終わりいつもの電車のなかにいた。珍しく座れ、ぼくは目をつぶった。ある日の早間と紗枝がいる。ぼくに紹介する誰かのうわさをしている。性格が垣間見られるエピソードが挿入され、その激しい感情が分かる。彼らは今度はぼくがそこにいないかのように、ぼくのうわさをはじめる。それを客観的にきいている。数年しか知らない人間を遠い昔から知っているような口振りだった。おとぎ話の主人公のような設定があり、一種類の性格がそのひとを動かしている。たじろがない性格。何かの大きなアクシデントがあっても、その性質は揺るがないようでもあった。ぼくは、食堂で昼食のメニューにも迷っていた。だが、彼らが話すぼくは、一本筋が通っているようにも思えた。
駅に着く。階段を降りる。そのときの紗枝の友人はいまごろ愛すべき対象をきっと見つけているのだろう。星や惑星の運行のように誰かが定めたり、調べたりはしてくれはしないだろうが、それでも価値があり、貴いものだとぼくは思おうとした。しかし、それ以上に考えを深めてくれるにはあまりにも情報が少なすぎたし、結局のところ、知らないということが結論として相応しかった。
たまに地球には流れ星や、流星群が訪れ、太陽が日中に隠れたり、普段とは違う薄暗さで日常に変化を与えてくれた。それが、どのぐらいの頻度の確立で起こるのかは分からなかった。実際に研究をしているひとは未来のある一日のことを的確に指すことができるらしい。それは予言ですらない。電車やバスの運行表のような類いのものであった。
ぼくはバイトをしている。大学に受かるよう勉強していた時期とは、もう別人になってしまったようだ。一日の密度も違う。どちらが濃かったかは分からない。また、比べるようなものではないのかもしれない。だが、あの机にかじりついていたときに、もう、ぼくの未来は定まっていたのだろうか。木下久代さんの横顔を見ながら、そう思っていた。時間の余裕ができ、ぼくのこころはきっと誰かを好きになるのだろうと漠然と感じていた。春のはじまり。ぼくは大学にいる人々にその対象を求めてもよかったのだ。それが一般的なことだった。その頃に早間と会った。親しくなる共通のものなど、ぼくらの間にはなかったようにも思える。直ぐに早間の横には紗枝がいるようになった。紗枝は友だちを紹介したいと何度も言った。ぼくは、それを喜びもしなければ、積極的にすすめてもらうこともしなかった。ただ、うやむやな状態を保った。ぼくは誰かと出会うことになるのだが、なぜだか、そういう方法を陳腐だと決め付けていた。あらかじめぼくの情報がそのひとに伝わり、その女性の美点や愛らしさも誇張されてぼくに話されるのだ。その現実との差を、ぼくらは埋める努力からはじめて、結局は求めていたものと違うということになりそうだった。もっと、ぼくは暴風雨にでも突然に巻き込まれるようなものを望んでいた。止むに止まれぬ衝動との戦いや葛藤。だが、それは受験勉強に励んでいたぼくが机上で作り上げた逃げ場としての幻想のようでもあった。そんな運命的な出会いは、確立としてあり得ないのだ。
スタートが幸先良く転ぼうが、継続の方に重きを置くほうがまっとうだった。だから、スタートなどは本当のところどうでもよいのかもしれない。だが、いつみさんはぼくと会った最初の日に新しい椅子が店先に置かれているのを見て困惑していた。あの表情はぼくのこころにきちんと仕舞われていた。ユミは、街頭にいた。画家でもあれば、ミューズとしてあの姿をキャンバスに刻印できた。ぼくのこころは同じような作業の過程を経験していた。ただ、それが外部に形となってあらわれないだけだ。しかし、その差が大きいものなのだろう。でも、できないからといって、ぼくのこころのなかに生きているものも誰も奪えない。在ることすら知らないのだから当然でもあったが。
ぼくはその日の帰りに木下さんに呼ばれて今度の休日にでもと、映画に誘われた。その後に洋服のセールがあるのでそこにも寄りたいと言った。体よく荷物を運ばされる役目のようでもあった。ぼくは、でもその誘いを簡単に断ることができない。まったくの反対で、どのようなお願いでも嬉しかった。彼女の部屋の模様替えを手伝い、さまざまな小さな日常の一齣にぼくは紛れ込んだ。タンスや家具はそのことを覚えていないかもしれない。逆なのだろうか。木下さんはいつかその部屋の内部を忘れる。家具たちはぼくの手の平の温もりを覚えている。大事に扱ってくれたというような記憶として。
ぼくはそれは木下さんが大事だったからそうしただけなのだ。彼女が喜んでくれそうなことは何でもしたかった。だが、それに費やす暇もお金も有り余っているわけでもなかった。できることは限られていた。だから、少なくともぼくは荷物を運ぶのだろう。
ぼくは自分を喜ばすためだけに高校時代に勉強をしていたように思えて来た。その副作用の受け手として、両親や学校の先生がいた。しかし、念頭にあるのは自分への喝采の期待だけだった。だが、喝采という印象自体が誰かがぼくに賛辞を向けるのを連想させる言葉のようでもあった。だが、ぼくは、いまでは久代さんの喜ぶ顔が見たいとも思っていた。そして、副作用としてぼくが嬉しくなる。これも、この何年間かで変わった気持ちのありようだった。
ぼくはバイトが終わりいつもの電車のなかにいた。珍しく座れ、ぼくは目をつぶった。ある日の早間と紗枝がいる。ぼくに紹介する誰かのうわさをしている。性格が垣間見られるエピソードが挿入され、その激しい感情が分かる。彼らは今度はぼくがそこにいないかのように、ぼくのうわさをはじめる。それを客観的にきいている。数年しか知らない人間を遠い昔から知っているような口振りだった。おとぎ話の主人公のような設定があり、一種類の性格がそのひとを動かしている。たじろがない性格。何かの大きなアクシデントがあっても、その性質は揺るがないようでもあった。ぼくは、食堂で昼食のメニューにも迷っていた。だが、彼らが話すぼくは、一本筋が通っているようにも思えた。
駅に着く。階段を降りる。そのときの紗枝の友人はいまごろ愛すべき対象をきっと見つけているのだろう。星や惑星の運行のように誰かが定めたり、調べたりはしてくれはしないだろうが、それでも価値があり、貴いものだとぼくは思おうとした。しかし、それ以上に考えを深めてくれるにはあまりにも情報が少なすぎたし、結局のところ、知らないということが結論として相応しかった。