夏の朝ひとりキーボードに指を乗せて(38)
「川島さん、たまにはお食事でも・・・」と、川崎さんに誘われる。今朝、このような展開になるとは予想していなかった。ぼくは同意の返事をして、入り口で待っている。彼女は化粧を直していた。多分、トイレで念入りに。隣の家の久美子と数歳しか違わないのに、女性の変化は大きいものだ。二日酔いの妻は由美の昼食の準備をしているのだろうか。
「お待たせしました」彼女のうしろに数人がいっしょに出て来た。
「君たちも?」
「それは、そうでしょう。ふたりで行けると思っていたんですか?」
狭山君はぼくのこころの奥を凝視している。
「まさか。そこまで図々しくないよ」本当にそうであろうか。ぼくは歩きながら考えている。
レナードも考えていた。動物の絵。子どもが簡単には見ることのできないもの。異国の情緒を感じさせるもの。その暮らしのなかで動物と一体感を想起させるもの。レナードはそう考えながら自然と手を動かしはじめた。白いキャンバスに色が塗られる。彼は茶色を選んだ。そして、背中にこぶがある生き物が描かれていた。
川崎さんの背中にいくつかの顔があった。狭山君と児玉さん。もうひとり、普通のサラリーマンがいた。いや、元サラリーマンがいた。彼は訳があって仕事を辞めていた。ぼくは数年前の決断のことを考えている。娘もいる。生活費はいま以上にかかる。でも、妻に伝えた。
「一度だけの人生だもん、あなたの好きにやったら」過去に彼女はそう確かに言ったのだ。その目論見がいくらか下方修正を求められている。
その五人でランチを食べることになった。ぼくは川崎さんに次回の発表のことを伝える。自分の書いたものを誰かの判断にゆだねる。真っ白なものが言葉によって映像になり、感情も揺さぶられる。ものを見る観点が自分の身体から少し移動し、他者の視線の元に変わる。だが、普通に生活をしている世界中のすべてのひとに共通点があり、また反対にすべてのひとに独自の経験があるはずだった。だが、私たちの民族は真似がうまい、と世界から評価されている。その面で見下される誤解もあった。正確な理解かもしれない。ぼくは、川崎さんの独自の経験や決意を知りたかった。物事にはつづきがある。
レナードの手は自然と動いた。らくだの足は砂漠を歩行し、背景には数本しかない木も描かれている。そこには自由があり、さびしさもあった。らくだの命は人間に依存し、人間の未来もらくだの歩みによって保たれていた。レナードは二日酔いも忘れ、自分の成し得たことに満足していた。
「狭山さんの恩師は、ここにいる川島先生なの?」
川崎さんは静かにフォークを動かしながらそう言った。
「反面教師という言葉もあるぐらいだからね・・・」彼は表情も変化させずにそう答えた。
「いつか、素晴らしい最高傑作を書いて、君もぼくのサインを貰いにくるよ」
「じゃあ、いまからもらっておきますか」と失業中の佐久間さんが言った。彼はいつも場をなごますことを念頭に置いているようだった。
「この支払いの伝票にサインしてもらうだけでいいですよ」狭山君はあいかわらず皮肉な人間のようだった。しかし、屈折した甘えがあるということでは、ぼくの賛同者になる要素もあるのだろう。
レナードは乾きはじめた絵を見守る。その子どもはその絵をずっと大切にするのかもしれない。反対に、大人になる過程で目標も変更を強いられ、絵の存在も忘れてしまうのかもしれない。しかし、子どものときに約束を守ってくれた隣の家に間借りしていた画家のことは無意識化の思い出としてのこりつづけるだろう。一枚の絵が友情の証として渡され、両者の満足の源となる。彼はプレゼントできる日を想像した。この地にいるのもあと二週間ほどだろう。マーガレットの肖像の二枚も片付く。酒場の船乗りたちのために飾る絵も完成間近だ。いつか、再びここを訪れた日に白い髭でも生やした自分は、回想の記憶をたくさんもてているという確信をレナードは感じようとしていた。だが、未来にはまだまだたくさんするべきことが山積されていた。過去を愛おしんでいる時間などないのだ、と揺るがぬ決意をまた高ぶらせた。
「川島先生は、帰ったら、また物語のつづきを?」
児玉さんは純粋な気持ちでそう訊いているのだろう。暑いし、疲れたし、少し昼寝でもしようとぼくは考えていた。しかし、答えは、
「多分、そうでしょうね。登場人物がストップしたまま、一時停止を解除されるのを待っていますから」と、雄弁にしゃべっていた。ぼくは発表のために書いているのではない。クラスのみんなの拍手がほしいわけでもない。ただ、頭に浮かんだメロディーを楽譜に写すことと同じ作業を望んでいるのだ。演奏家がいて、コンサート・ホールがあり、チケットを並んで買うひとたちの列ができ、客席で着飾った観客が感動を手に入れる。ぼくの場合、印刷屋に文字の羅列が運ばれ、白い紙を文字で埋める。世界の片隅でそれが大切にされる。動物図鑑でも書いたほうが世のためになるのだろうか。世のためって、一体、結局はなんのことなのだ。ぼくは食後のコーヒーでさえ眠気を消すことがないことを知り、ぼんやりと空想の世界に戻って行った。
「川島さん、たまにはお食事でも・・・」と、川崎さんに誘われる。今朝、このような展開になるとは予想していなかった。ぼくは同意の返事をして、入り口で待っている。彼女は化粧を直していた。多分、トイレで念入りに。隣の家の久美子と数歳しか違わないのに、女性の変化は大きいものだ。二日酔いの妻は由美の昼食の準備をしているのだろうか。
「お待たせしました」彼女のうしろに数人がいっしょに出て来た。
「君たちも?」
「それは、そうでしょう。ふたりで行けると思っていたんですか?」
狭山君はぼくのこころの奥を凝視している。
「まさか。そこまで図々しくないよ」本当にそうであろうか。ぼくは歩きながら考えている。
レナードも考えていた。動物の絵。子どもが簡単には見ることのできないもの。異国の情緒を感じさせるもの。その暮らしのなかで動物と一体感を想起させるもの。レナードはそう考えながら自然と手を動かしはじめた。白いキャンバスに色が塗られる。彼は茶色を選んだ。そして、背中にこぶがある生き物が描かれていた。
川崎さんの背中にいくつかの顔があった。狭山君と児玉さん。もうひとり、普通のサラリーマンがいた。いや、元サラリーマンがいた。彼は訳があって仕事を辞めていた。ぼくは数年前の決断のことを考えている。娘もいる。生活費はいま以上にかかる。でも、妻に伝えた。
「一度だけの人生だもん、あなたの好きにやったら」過去に彼女はそう確かに言ったのだ。その目論見がいくらか下方修正を求められている。
その五人でランチを食べることになった。ぼくは川崎さんに次回の発表のことを伝える。自分の書いたものを誰かの判断にゆだねる。真っ白なものが言葉によって映像になり、感情も揺さぶられる。ものを見る観点が自分の身体から少し移動し、他者の視線の元に変わる。だが、普通に生活をしている世界中のすべてのひとに共通点があり、また反対にすべてのひとに独自の経験があるはずだった。だが、私たちの民族は真似がうまい、と世界から評価されている。その面で見下される誤解もあった。正確な理解かもしれない。ぼくは、川崎さんの独自の経験や決意を知りたかった。物事にはつづきがある。
レナードの手は自然と動いた。らくだの足は砂漠を歩行し、背景には数本しかない木も描かれている。そこには自由があり、さびしさもあった。らくだの命は人間に依存し、人間の未来もらくだの歩みによって保たれていた。レナードは二日酔いも忘れ、自分の成し得たことに満足していた。
「狭山さんの恩師は、ここにいる川島先生なの?」
川崎さんは静かにフォークを動かしながらそう言った。
「反面教師という言葉もあるぐらいだからね・・・」彼は表情も変化させずにそう答えた。
「いつか、素晴らしい最高傑作を書いて、君もぼくのサインを貰いにくるよ」
「じゃあ、いまからもらっておきますか」と失業中の佐久間さんが言った。彼はいつも場をなごますことを念頭に置いているようだった。
「この支払いの伝票にサインしてもらうだけでいいですよ」狭山君はあいかわらず皮肉な人間のようだった。しかし、屈折した甘えがあるということでは、ぼくの賛同者になる要素もあるのだろう。
レナードは乾きはじめた絵を見守る。その子どもはその絵をずっと大切にするのかもしれない。反対に、大人になる過程で目標も変更を強いられ、絵の存在も忘れてしまうのかもしれない。しかし、子どものときに約束を守ってくれた隣の家に間借りしていた画家のことは無意識化の思い出としてのこりつづけるだろう。一枚の絵が友情の証として渡され、両者の満足の源となる。彼はプレゼントできる日を想像した。この地にいるのもあと二週間ほどだろう。マーガレットの肖像の二枚も片付く。酒場の船乗りたちのために飾る絵も完成間近だ。いつか、再びここを訪れた日に白い髭でも生やした自分は、回想の記憶をたくさんもてているという確信をレナードは感じようとしていた。だが、未来にはまだまだたくさんするべきことが山積されていた。過去を愛おしんでいる時間などないのだ、と揺るがぬ決意をまた高ぶらせた。
「川島先生は、帰ったら、また物語のつづきを?」
児玉さんは純粋な気持ちでそう訊いているのだろう。暑いし、疲れたし、少し昼寝でもしようとぼくは考えていた。しかし、答えは、
「多分、そうでしょうね。登場人物がストップしたまま、一時停止を解除されるのを待っていますから」と、雄弁にしゃべっていた。ぼくは発表のために書いているのではない。クラスのみんなの拍手がほしいわけでもない。ただ、頭に浮かんだメロディーを楽譜に写すことと同じ作業を望んでいるのだ。演奏家がいて、コンサート・ホールがあり、チケットを並んで買うひとたちの列ができ、客席で着飾った観客が感動を手に入れる。ぼくの場合、印刷屋に文字の羅列が運ばれ、白い紙を文字で埋める。世界の片隅でそれが大切にされる。動物図鑑でも書いたほうが世のためになるのだろうか。世のためって、一体、結局はなんのことなのだ。ぼくは食後のコーヒーでさえ眠気を消すことがないことを知り、ぼんやりと空想の世界に戻って行った。