夏の朝ひとりキーボードに指を乗せて(42)
「あなた、ご機嫌だったわよ、やっと、見つけたって、呪文のように何度も繰り返して、昨夜。楽しいものでも見つかったの?」
妻はすでに外出の準備をしている。翌朝。日曜の朝。
「そうだったのか、憶えていないけど」ぼくは佐久間さんと加藤さんと本談義で盛り上がっていただけなのだ。その後の彼らとの話題も道中も分からない。「どっか行くの?」
「由美の秋物の服を買ってくる。色褪せた夏休み用のシャツやブラウスやスカートばかりになってしまったから。去年のものは小さくなったから着られないし」
「そんなに大きくなったんだ。それで、ご両親も?」
「お財布を頼りにしてるからね」悪意もなく素直な表情で妻が言った。夫の稼ぎは新しい洋服もむずかしいのか。「ジョンの散歩も終わっているから、朝寝坊をつづけてもよし、机に向かうのもよし」
「起きるよ。送るよ」
玄関の前で、「行ってきます」と、由美は軍人のように敬礼した。昨日、向こうのおじいちゃんになにか言われたのだろう。洗脳される幼児。それに応対するようにジョンは一声、吠えた。
「今日も思いがけなくひとりになった」ぼくは、映画の主人公のように独り言をわざわざ口に出してみた。すると、電話が鳴った。妻が駅に向かう途中で言い忘れたことを思い出したらしい。電話が終わっても無意識に操作をつづけた。すると、昨夜、ぼくは加藤さんの電話番号を登録していたらしいことを発見する。行われたのは、どの瞬間だったのだ。別人ではない。過去に登場する加藤さんという知人でもない。その証拠に「加藤姉本好き」ときちんと間違わないような名前になっていた。ぼくには一抹の後ろめたさがあった。
マーガレットの母のナンシーは洋服を縫っている。そして、編んでいる。その作業をしながら考え事もしている。自分が結婚したときに着た純白のドレスのこと。いつか、似たものを娘のマーガレットも着ることになる。それは近い未来だろうか。横にいるのは誰なのだろうか。おそらくエドワードなのだろう。だが、それは相変わらず母の願望にとどまっているに過ぎなかった。もう数回しかレナードは娘のもとに来ないと先日、告げた。ああいう男性の妻になるひとはいったいどういうタイプなのだろう、と想像の羽をさらに拡げた。風来坊の芸術家に、一生をともにする妻などそもそも必要なのだろうか。急に思い立って絵の対象を探しに行ってしまうようなひとをじっと待つひとなど稀有な存在ではないのだろうか。いや、現代の女性たちは、いっしょに同行して楽しむような娘たちばかりだろうか。ひとりのひとに、ひとつの場所で添え遂げた自分を過去の遺物のように感じていた。縫う手も止めず、ナンシーは考えつづけていた。
ぼくの頭は空っぽでありながら、いろいろなものが無駄に詰まっているようにも感じられた。まだ暑かったが外に散歩することにした。母と、その両親と洋服を買いに行く由美。どのようなものを着せられるのだろう。それは滑り台を汚れも気にせずに履いて滑れる類いのものであろうか。他所の家のベランダに由美と同じようなサイズの洋服が風にあおられひるがえっていた。自分が着た子ども時代の服はいったいどこに消え去ってしまったのだろう。どこかに貰ってくれるひとがいたのか。自分にはなにも分からなかった。
マーガレットが野菜をかごに入れて戻って来た。母は縫う手をとめた。もう身体的に大幅な成長をしない女性になった。この子をひざにのせて愛おしんだ夫の姿。あれはもう何年も前になる。わたしが最後の瞬間に思い浮かべる映像は、もしかしたら、あれかもしれない、とナンシーは考えていた。
「どうかしたの? ぼんやりとして」
「あなたのこの夏の肖像画も終わってしまうのね。毎年、ああした画家さんがいて、あなたのここでの成長を年毎に残してくれたら良かったのになと思って」
「感傷的過ぎるわよ」
「感傷ぐらいしか残されていないのよ、もうこの年にもなれば」
「まだまだじゃない。来年も、再来年もここに来るんだし」
「あなたは別の家族をもっているかもしれない」
マーガレットは返答もしなかった。この夏の間、口に出されることは少なかったがその圧迫は絶えずあった。最初のうちは圧迫としか感じられなかったが、いまでは受容と挑む勇気がでてきた。それはレナードの前向きな思いの影響かもしれなかった。考えていることで満足して立ち止まっていると、絵は形となって表れない。生きることは行動するということと同義語なのだ。行動とは判断の結果であり、判断とはイエスとノーの繰り返しのことなのだ。その連続の過程が生きるということで、若いうちはその判断が多くあった。その渦中にマーガレットもいるのだ。
ぼくは、汗を大量にかいている。自動販売機の前でどの飲み物にしようか長い間、迷っていた。うしろに由美ぐらいの女の子が並んだ。ぼくは彼女に席の順番をゆずる。
「どうぞ」
「届かないから、その黄色いの押して」彼女はある品物を指差す。ぼくは、押す手前で指をとめ、「これ?」という風に確認の視線を彼女に向けた。その少女はこっくりと頷く。すると、下から飲み物がでてきた。「これ、開けて」
ぼくはいったん受け取り、カンのふたを開けた。そして、小さな手にまた戻した。
「ありがとう」
「どういたしまして」
そこに彼女の母親らしきひとがやってきた。ハンカチで額の汗を拭いている。
「おじちゃんに開けてもらった」
「すいません」
「優しいお兄さんはカンを開けることを求められていた」
「え?」
「いいえ、こっちのことです」ぼくも同じものを購入することにした。夏の午前。由美も妻の両親にきちんとお礼を言えるだろうか。その子の父は彼らに感謝をすることをためらっていた。彼らが理想とする義理の息子はどういうものなのだろう? 孫を養う頼れる父はどういうタイプなのだろうか?
ナンシーは小さなマーガレットと夫の映像を忘れ去ることができなかった。茹でた豆を剥きながらも、ポテトをつぶしながらも、なにをしてもその映像が目の前にあった。レナードは頼んだらそういう絵も描いてくれるのだろうか。しかし、もう時間がなかった。思い付いた日が遅いということを何度も経験してきた。これもひとつだ。頼むこともなく、もし、自分にそうした才能が与えられているならば、最初の絵はその情景にするだろうと決めた。しかし、決めたとしてもどこにも現実の世界にはあらわれてはくれなかった。
「あなた、ご機嫌だったわよ、やっと、見つけたって、呪文のように何度も繰り返して、昨夜。楽しいものでも見つかったの?」
妻はすでに外出の準備をしている。翌朝。日曜の朝。
「そうだったのか、憶えていないけど」ぼくは佐久間さんと加藤さんと本談義で盛り上がっていただけなのだ。その後の彼らとの話題も道中も分からない。「どっか行くの?」
「由美の秋物の服を買ってくる。色褪せた夏休み用のシャツやブラウスやスカートばかりになってしまったから。去年のものは小さくなったから着られないし」
「そんなに大きくなったんだ。それで、ご両親も?」
「お財布を頼りにしてるからね」悪意もなく素直な表情で妻が言った。夫の稼ぎは新しい洋服もむずかしいのか。「ジョンの散歩も終わっているから、朝寝坊をつづけてもよし、机に向かうのもよし」
「起きるよ。送るよ」
玄関の前で、「行ってきます」と、由美は軍人のように敬礼した。昨日、向こうのおじいちゃんになにか言われたのだろう。洗脳される幼児。それに応対するようにジョンは一声、吠えた。
「今日も思いがけなくひとりになった」ぼくは、映画の主人公のように独り言をわざわざ口に出してみた。すると、電話が鳴った。妻が駅に向かう途中で言い忘れたことを思い出したらしい。電話が終わっても無意識に操作をつづけた。すると、昨夜、ぼくは加藤さんの電話番号を登録していたらしいことを発見する。行われたのは、どの瞬間だったのだ。別人ではない。過去に登場する加藤さんという知人でもない。その証拠に「加藤姉本好き」ときちんと間違わないような名前になっていた。ぼくには一抹の後ろめたさがあった。
マーガレットの母のナンシーは洋服を縫っている。そして、編んでいる。その作業をしながら考え事もしている。自分が結婚したときに着た純白のドレスのこと。いつか、似たものを娘のマーガレットも着ることになる。それは近い未来だろうか。横にいるのは誰なのだろうか。おそらくエドワードなのだろう。だが、それは相変わらず母の願望にとどまっているに過ぎなかった。もう数回しかレナードは娘のもとに来ないと先日、告げた。ああいう男性の妻になるひとはいったいどういうタイプなのだろう、と想像の羽をさらに拡げた。風来坊の芸術家に、一生をともにする妻などそもそも必要なのだろうか。急に思い立って絵の対象を探しに行ってしまうようなひとをじっと待つひとなど稀有な存在ではないのだろうか。いや、現代の女性たちは、いっしょに同行して楽しむような娘たちばかりだろうか。ひとりのひとに、ひとつの場所で添え遂げた自分を過去の遺物のように感じていた。縫う手も止めず、ナンシーは考えつづけていた。
ぼくの頭は空っぽでありながら、いろいろなものが無駄に詰まっているようにも感じられた。まだ暑かったが外に散歩することにした。母と、その両親と洋服を買いに行く由美。どのようなものを着せられるのだろう。それは滑り台を汚れも気にせずに履いて滑れる類いのものであろうか。他所の家のベランダに由美と同じようなサイズの洋服が風にあおられひるがえっていた。自分が着た子ども時代の服はいったいどこに消え去ってしまったのだろう。どこかに貰ってくれるひとがいたのか。自分にはなにも分からなかった。
マーガレットが野菜をかごに入れて戻って来た。母は縫う手をとめた。もう身体的に大幅な成長をしない女性になった。この子をひざにのせて愛おしんだ夫の姿。あれはもう何年も前になる。わたしが最後の瞬間に思い浮かべる映像は、もしかしたら、あれかもしれない、とナンシーは考えていた。
「どうかしたの? ぼんやりとして」
「あなたのこの夏の肖像画も終わってしまうのね。毎年、ああした画家さんがいて、あなたのここでの成長を年毎に残してくれたら良かったのになと思って」
「感傷的過ぎるわよ」
「感傷ぐらいしか残されていないのよ、もうこの年にもなれば」
「まだまだじゃない。来年も、再来年もここに来るんだし」
「あなたは別の家族をもっているかもしれない」
マーガレットは返答もしなかった。この夏の間、口に出されることは少なかったがその圧迫は絶えずあった。最初のうちは圧迫としか感じられなかったが、いまでは受容と挑む勇気がでてきた。それはレナードの前向きな思いの影響かもしれなかった。考えていることで満足して立ち止まっていると、絵は形となって表れない。生きることは行動するということと同義語なのだ。行動とは判断の結果であり、判断とはイエスとノーの繰り返しのことなのだ。その連続の過程が生きるということで、若いうちはその判断が多くあった。その渦中にマーガレットもいるのだ。
ぼくは、汗を大量にかいている。自動販売機の前でどの飲み物にしようか長い間、迷っていた。うしろに由美ぐらいの女の子が並んだ。ぼくは彼女に席の順番をゆずる。
「どうぞ」
「届かないから、その黄色いの押して」彼女はある品物を指差す。ぼくは、押す手前で指をとめ、「これ?」という風に確認の視線を彼女に向けた。その少女はこっくりと頷く。すると、下から飲み物がでてきた。「これ、開けて」
ぼくはいったん受け取り、カンのふたを開けた。そして、小さな手にまた戻した。
「ありがとう」
「どういたしまして」
そこに彼女の母親らしきひとがやってきた。ハンカチで額の汗を拭いている。
「おじちゃんに開けてもらった」
「すいません」
「優しいお兄さんはカンを開けることを求められていた」
「え?」
「いいえ、こっちのことです」ぼくも同じものを購入することにした。夏の午前。由美も妻の両親にきちんとお礼を言えるだろうか。その子の父は彼らに感謝をすることをためらっていた。彼らが理想とする義理の息子はどういうものなのだろう? 孫を養う頼れる父はどういうタイプなのだろうか?
ナンシーは小さなマーガレットと夫の映像を忘れ去ることができなかった。茹でた豆を剥きながらも、ポテトをつぶしながらも、なにをしてもその映像が目の前にあった。レナードは頼んだらそういう絵も描いてくれるのだろうか。しかし、もう時間がなかった。思い付いた日が遅いということを何度も経験してきた。これもひとつだ。頼むこともなく、もし、自分にそうした才能が与えられているならば、最初の絵はその情景にするだろうと決めた。しかし、決めたとしてもどこにも現実の世界にはあらわれてはくれなかった。