爪の先まで神経細やか

物語の連鎖
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11年目の縦軸 38歳-13

2014年02月04日 | 11年目の縦軸
38歳-13

 ぼくは嫉妬と共存している。雨が降れば傘をさし、寒くなれば衣類を多めに着た。それぐらいの順応性が嫉妬にも例外なく適用された。自分なりの様々な法則を生き残るたびに追加した。抗体をつくり防御するように。

 ぼくが愛しているひとのことを、誰かが惚れたからといって、とやかく言うことではなかった。責めるいわれもない。ぼくに権限もない。財布に一定額のお金が入っていたとして、紙の表面に印字されている番号や、硬貨の摩耗度合い、すり減り具合をきちんと確認しなくても、それは別の札であり別の小銭だった。常に流動して入れ替わる類いのもの。ぼくは昨日のお札に嫉妬しない。なくなれば残念に思うだけだ。残念は、決して嫉妬ではない。確かに軽やかな喪失でもあるが、打ちのめす力を有した専制的な喪失とはならない。

「結婚したいと思ったひと、いないの?」絵美は皿を洗いながら、鼻歌を急に質問にかえても同じ口調で、そう訊いた。
「いないこともないけど」
「でも、しなかった?」
「タイミングもあるし、相手の気持ちがあることだからね。こればっかりは」
「そのひとには、嫉妬した?」
「狂おしいほどに……。嘘だよ」
「ほんとうでもいいよ」

 嫉妬を下等な感情だと認定するグループがあるが、絵美のいまの気持ちは反対らしい。それはぼくに原因があるのだろう。彼女の前の男性は、どれほどの勢いで彼女を求めたのだろう。その熱意は暑苦しさにもなり、また微妙なバランスの上で成り立つのだろうが、愛情の正式なルールでもあった。
「ぼくが誰かとデートすれば、不愉快だろう?」
「問題の論点が違う。誰かを介在させるのではなく、わたしとあなたの話」
「好き同士な相手との会話で介在という言葉もないと思うけど・・・」
「はい、お利口さん。正しいのはあなた」絵美はちょっとむくれたような表情をした。
「なに、怒ってんの?」
「怒ってないよ」

 ぼくは理屈の山を作ることをやめた。理屈が整然と並んでもなにも解決しないのだ。さらに、怒っているひとはいくら様子が証明しても怒ってないと言い、酔っているひとも身体が傾きながらも、酔っていないといってそのコントロール下にない状態を認めることに抵抗した。まったく同じだ。

 ぼくは絵美を奪われたくない。本音をいえば。若いころならば簡単に回復が望めた。ぼくは次を考える。次というのは朝日を浴びるためにカーテンを快適に開けることではなかった。どちらかといえば、夕日も落ちそうで暗くなったからカーテンを閉めるという意味合いに近かった。ぼくは、外気を遮断した暖かな部屋で最後の女性と寛ぐのだ。その状態を誰にも奪われたくない。だが、絵美はぼくの本気さを疑っている。

「たぶん、もう、このあと、誰かを本気に好きになることなどないよ」ぼくは十一年前にも同じたわ言を口にしたようにも思う。だが、当然、置かれた環境は違う。もちろん、相手のあることだ。つかまえようとしたドジョウは逃げるようにできている。おとりの穴に知らず知らずのうちにもぐりこんでしまう生き物もいる。生存の本能や帰巣の仕組みがぼくらを小さな入口に運ぶ。
「前にはいた?」
「過去は否定できないよ」ぼくは絵美の部屋のなかを見回す。ここについ先日まで別の男性が通っていた。ある日から、ぼくに変わった。その記憶は炭酸が抜けるようにいずれ薄れていくのだろう。接ぎ木。仮のものが本来の役目を担うようになる。接ぎ木も嫉妬しない。共存している。以前のものは栄養の供給源でもある。ぼくはふたりの女性から受けた影響を、この絵美の部屋で実感していた。
「そのひとたちと、同じぐらいわたしのことが好き?」

「同じどころか、以上だよ」ぼくは返事に時間をかけた。だから、わずかながら間があった。
「そういうことは即答しないと、うれしいけど」絵美はぼくの横にすわる。ひざを折り曲げて、抱えるような仕草をした。「答える間に、いろいろ思い出したでしょう?」
「だって、遠い記憶だからね」
「遠い記憶。そして、大事に銀行の貸金庫のような奥に保管されている」
「ぼく以外にとって、誰も見たがらないものだからね。公開する必要もない」
「だから、話さないの?」

 ぼくは、「話さない」か、「離さない」か音だけでは判別できなかった。
「話さない?」
「教えてくれないってこと」

 結婚したかったひとは、もう十一年前の記憶のなかに存在するだけだ。ぼくは頭にあることを包み隠さず絵美に説明した。「だから、必要以上に美化されている。大正時代の美人画みたいに生命力のない淡さのなかだけで生きているよ」ぼくは本音かどうかも分からなくなっている。ぼくは、つい先日まで架空の彼女と対話したようにも思う。彼女が理想とする男性に近づきたいという気持ちも依然として残っていそうな気もした。ある日、どこかでばったりと会い、その成長の事実が証明される。彼女はぼくと別れたことを悔やむ。その邂逅はぼくの優越とはならず、逆に失意となる。ぼくも、後悔しているのかもしれない。嫉妬の炎は、消えたように見える炭のように、まだ芯では熱しているのかもしれない。

「いつか、教えるよ」
「今でもいいじゃん。こうして、ゆっくりしているんだから」おとぎ話をせがむ少女のように絵美は顔をこちらに向けた。つづきというのは、複数の回答の迷路を生み、解決ではなく混乱と矛盾だけを糸口にしていた。
コメント
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