爪の先まで神経細やか

物語の連鎖
日常は「系列作品」から
http://snobsnob.exblog.jp/
へ変更

11年目の縦軸 27歳-15

2014年02月13日 | 11年目の縦軸
27歳-15

 ぼくは何度も女を抱いてしまった。数えるのも億劫だという表現にはとても足りないが、実際に数えはしない。天文学的な数字にも決してならない。ひとは、特に自分は、なんの為にこのような行いをしているのだろう。快楽の追求のため? そうならば、ぼくはそれほど快楽を追いかけている訳ではなかった。一体感のため? ぼくは、それが成し遂げられたことを発見してはいなかった。せがまれるから? ぼくは、自分の欲求を無意味だと思いながらも理由づけることを止められずにいた。

 もちろん、うれしくない訳ではない。告白し、関係性を深め、ゴールに向かう。順番も違うこともあると友人たちは言うが、ぼくはそういうものだと思っていた。だが、ぼくは、十数年まえに、あえてかどうかは分からないが、未遂という適当ではない表現を用いながらも、歴史のふるいにもれて正当化できないからこそ、あの関係を貴く感じていた。ぼくは自分の真下に横たわる彼女を知らない。やはり、そのことは快楽を抜きにしても逆説的に貴重なことだったと思う。

 未遂でもない。寸前にもいかなかった。ぼくらはそうなる関係性を築く前に終わってしまっていた。いつか、もっと時系列ごとに順を追って先に書くべきなのだろう。だが、十一年後から振り返れば、答えは、はっきりと出ているのだ。右往左往することもできない。後悔はとても遠く、絶版された品物のように入手したり、さらには過去の思い出に加筆、修正することもままならなかった。

 だが、後悔なのだろうか、そもそも、その関係自体は。コンテストに出品するために何度もケーキをつくるひとがいたとする。完全なものとするために、分量を変え、焼き方や火の入れ具合もさまざまな方法で試す。ひとつ前に作ったものが納得のいくものだったと、あの方法を再現しようとするが、温度や湿度によっても味や舌の感覚は変わってしまう。だが、一度、完成に近いものができたのだ。あれをコピーすれば、コンテストの表彰台は自分のものなのだと、自分自身の未来の姿に羨望する。

 その経過が愛だった。後悔でもなく、宝という基準の近似値だった。納得のいくものだった。ぼくは、希美を横にしてそう考えているのだ。やはり、時間を置いて愛したものに対して自分は卑劣だった。ぼくは最初の真摯というものを脱ぎ捨て、分量を経験というテクニックによってコントロールした。何度かケーキは作ったことがあり、いびつにもならない。しかし、失敗に終わった最初の無骨なかたちの味が最良だったのかもしれないという淡い疑念を拭えずにもいた。口に入れてもいないのに。

 現実には、ぼくの横には希美がいる。彼女が与えてくれる安らぎや喜びはある種のぼくにとっての到達だった。ぼくはこの関係を最大限に発展させようと思っていた。若いときの恋など、タンスの奥にしまっておけばよいのだ。みな、そうしたもののひとつやふたつぐらい抱えて生きているのだろう。ぼくは過去にこだわり過ぎて、未来を失うわけにはいかない。現実の横にいる身体と、この女性の体内の奥の気持ちはぼくに幸福をもたらすはずだと実際に知っていた。

 完璧なケーキは作れなくても、市販できるぐらいのクオリティーはぼくらの間にできていた。その質を保つためにぼくらは数度における時間をかけてきたのだ。手に入らなかったものに憧れ、そのケーキを入れた箱ごと、つぶす訳にはいかない。箱は揺すぶられることもなく丁寧に運ばれるべきだ。空の箱は過去という名札を貼り封印して置いてくるべきだ。ぼくは彼女の背骨がある中心のへこみをそっと撫でる。皮膚のうすさ。淡い背中の毛の色。

 彼女はもう服を着ている。ぼくは彼女の裸の姿を思い出すのを困難に感じる。穢れをまったくしらないような表情。絵画でしかあらわせないような横顔。必死の頼みもせず、切に懇願する必要もなく、ぼくは彼女との関係を愉しむことができる。これは、公平なことなのか? ぼくはあの過去の少女とそういう関係になることを望んでいる訳でもない。しかし、交際がつづけば絶対にあらわれてくるのだ。鉄は錆び、ペンキは剥げる。経年というものが劣化だけではなく、上昇ということもあった。可能性としても。

 だが、当然のこと、ぼくはむかしのことをほとんど忘れている。時間としても仕事があり、多少の趣味があり、希美と過ごす週末や夜の時間があった。ほかのものが頭を多く占有し、余った時間も別の事柄が占めている。友と話し、たまには酒を飲んだ。それでも、あるひととき、譜面の休止の合図のように、すき間に過去の少女があらわれる。小さな砂が靴下のなかを不快感にし、小さな種の粒が何ヘクタールもの地平線を埋め尽くす。目を凝らして見ても、その砂粒は確認できず、さらには取り除けない。だが、あることはずっと知っている。ぼくの皮膚がそれを訴えかけている。

「また、来週だね」と、希美は甘えた声で言う。だが、そのついでに彼女は女性の身体の周期のことをもらす。ぼくは、おあずけになるのだ。彼女の外側だけを愛しているのではない。ふたりで、することもそれこそ限りなくある。そのひとつひとつを見つけ、楽しめばいいのだ。だが、ぼくは少ししょんぼりする。ぼくは利己的であろうとする。利己的こそが生きた証だと正当化しようとする。ぼくは、なんのために女性を求めているのだろう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする