16歳-14
彼女はとくにアクセサリーらしきものをつけていなかったように思う。その為に彼女の価値が減ることはない。若さというものは無責任に与えられた資産なのだ。段々と目減りすることも知らないぼくらが、今日もあそこにいた。資産は凍結されなくても、いつか、遠い柵の向こうにあることを知る。高価で貴重な美術品のように透明なガラスで四方を覆われている。ぼくらは美しい額縁も同時に見てしまう。
無責任に与えられたものだが、管理は自分に委ねられていた。その事実も理解せずに、今日もぼくらはあそこにいた。若さを失う前にすることも多く、その若さを無謀に使いつくすことも特権であった。犯罪を誘導しているのでもなければ、無知につけこむことともまったく違う。しわひとつない指に輝く指輪は必要ではなく、首もネックレスで飾らなくても美しかった。耳の形そのままが美でもあった。
ぼくは好きなだけの食べ物を摂り入れても翌日には消化している。いや、翌日までも保てない。数時間で次の食料が必要になる。あのままのペースを維持していれば、多くの牛や豚が失われたことになった。その代わりに数本のアスパラガスが地上から抜き取られたことになる。
ぼくは彼女と過ごした時間の累計を知ろうとしている。また、同じ意味でいっしょにいなかった時間も計ろうとしていた。いないことの方が圧倒的に多い。ある区切りが設けられなければ、いつまでも加算されていく。だが、その時間にも彼女はぼくを占有していないとは限らない。手探りで彼女が喜びそうなことを探し、現実と空想のはざまで無知な王座に君臨していた。
男性は床屋に行けば、直ぐに分かった。ぼくは彼女が髪を切った直後のことも覚えていない。すべてを見抜こうとしている自分の目は節穴でもあった。もしかしたら、ネックレスぐらいはあったのかもしれない。そのあやふやななかに自分がいた。
ぼくは若者の生まじめさで過度な装飾をきらった。シンプルさから遠退くのは野暮ったさと虚飾につながり、演出がなくてもそれ自体で時間も空間も保てた。普通のジーンズとTシャツで、筋肉は若さの衣装のすべてだった。息切れもなく走れること、水たまりを飛び越すこと。だから、ぼくには勇気というものも本質的にはなかった。挑むかどうか、葛藤やためらいがあってはじめて勇気というものが芽生えた。ぼくには葛藤することも、おそれる寸時もなかった。ぼくがおそれる唯一のことは彼女を失うことで、その予兆もまったくなかったので、ぼくは心配ひとつしていなかった。
何度か風邪をひけば、恩恵として予防をすることも覚える。あの苦い体験を味わうことを避けるのだ。ぼくには予防もない。この無知こそが果てしのない宝でもあった。するとぼくは努力もなしに簡単に宝を手に入れていたことになる。ジーンズのウエストがある日、窮屈になるということも分からず、胃腸薬というものが薬箱に保管され、常備されている意味も分からなかった。ただ頂上に向かって登山をしている。歩行とともに転げ落ちる小石にも無頓着で前ばかりを見ていた。振り返る背にした後方もごくわずかで、短い時間を歩いてきたに過ぎないのだ。ぼくは十六才だ。何も成し遂げていないし、誰からも認められるという経験がなくても、これほどまでに完全であり、満ち足りていた。
ぼくは家に帰る。弟がいる。ぼくは昨年まで、夏休みには勉強を教えていた。自分がしてもらわなかったことを相手にきちんと伝えることはむずかしいものだった。ぼくができたものを、彼はできないということにも当惑する。ぼくはそろばんを習い、彼はスイミング・スクールに通った。その親の選択にぼくらは操られるのだ。ぼくは泳ぐことに堪能ではなく、彼は算数に渋い顔をつくる。ぼくは家の外にも大切なものができ、彼はゲームに熱中している。ぼくはほかに熱中するものがあり、ついさっきまで同じ時間のなかにいた。
ぼくは伝えることがあり、その方法も知っている気でいた。だが、この同じ部屋にいる弟にさえ勉強の楽しみを伝えられなかったのであれば、ぼくのこころにある愛情を完全なまでに伝えているかということに疑問を抱くのも正しかったのではないかと後悔する。しかし、後悔という言葉が入る隙間もないほどに若かったというのも正直な感想だ。身の丈にあった毎日しか生きられない。老獪や老練などという言葉はぼくの世界にまだなく、帳尻を合わせるということにも無縁でいた。ある日、それが重要で、ぼくは実際につかうとも思っていない。彼女がいつか、見事なまでにメーキャップした自分を作り上げるのと同じようにぼくも虚飾の世界で暮らすようになる。
ぼくは目覚める。現実の世界に彼女がいる。彼女はぼくのことを起きてからどれほどの時間が経過してから考えるのだろう。数分後か、数時間後。一日、まったく考えないということはあり得ない。ぼくは彼女の世界にいる。パスポートもなく入場券もいらない。いま学校のカバンをもっている手も、そう遠くない未来にぼくの手を握っている。ぼくは顔を洗う。この顔を恋の対象として認知しているひとがいる。奇跡を信じないひとはぼくのこの瞬間もきっと信じないだろう。あまりにも簡単に起こってしまうこともあり、その幸福も努力がない分、美しくまた抜け落ちやすかった。獲得は執念があればあるほど、貴重なのだろう。その恐ろしい執念をぼくはもっていない。
彼女はとくにアクセサリーらしきものをつけていなかったように思う。その為に彼女の価値が減ることはない。若さというものは無責任に与えられた資産なのだ。段々と目減りすることも知らないぼくらが、今日もあそこにいた。資産は凍結されなくても、いつか、遠い柵の向こうにあることを知る。高価で貴重な美術品のように透明なガラスで四方を覆われている。ぼくらは美しい額縁も同時に見てしまう。
無責任に与えられたものだが、管理は自分に委ねられていた。その事実も理解せずに、今日もぼくらはあそこにいた。若さを失う前にすることも多く、その若さを無謀に使いつくすことも特権であった。犯罪を誘導しているのでもなければ、無知につけこむことともまったく違う。しわひとつない指に輝く指輪は必要ではなく、首もネックレスで飾らなくても美しかった。耳の形そのままが美でもあった。
ぼくは好きなだけの食べ物を摂り入れても翌日には消化している。いや、翌日までも保てない。数時間で次の食料が必要になる。あのままのペースを維持していれば、多くの牛や豚が失われたことになった。その代わりに数本のアスパラガスが地上から抜き取られたことになる。
ぼくは彼女と過ごした時間の累計を知ろうとしている。また、同じ意味でいっしょにいなかった時間も計ろうとしていた。いないことの方が圧倒的に多い。ある区切りが設けられなければ、いつまでも加算されていく。だが、その時間にも彼女はぼくを占有していないとは限らない。手探りで彼女が喜びそうなことを探し、現実と空想のはざまで無知な王座に君臨していた。
男性は床屋に行けば、直ぐに分かった。ぼくは彼女が髪を切った直後のことも覚えていない。すべてを見抜こうとしている自分の目は節穴でもあった。もしかしたら、ネックレスぐらいはあったのかもしれない。そのあやふやななかに自分がいた。
ぼくは若者の生まじめさで過度な装飾をきらった。シンプルさから遠退くのは野暮ったさと虚飾につながり、演出がなくてもそれ自体で時間も空間も保てた。普通のジーンズとTシャツで、筋肉は若さの衣装のすべてだった。息切れもなく走れること、水たまりを飛び越すこと。だから、ぼくには勇気というものも本質的にはなかった。挑むかどうか、葛藤やためらいがあってはじめて勇気というものが芽生えた。ぼくには葛藤することも、おそれる寸時もなかった。ぼくがおそれる唯一のことは彼女を失うことで、その予兆もまったくなかったので、ぼくは心配ひとつしていなかった。
何度か風邪をひけば、恩恵として予防をすることも覚える。あの苦い体験を味わうことを避けるのだ。ぼくには予防もない。この無知こそが果てしのない宝でもあった。するとぼくは努力もなしに簡単に宝を手に入れていたことになる。ジーンズのウエストがある日、窮屈になるということも分からず、胃腸薬というものが薬箱に保管され、常備されている意味も分からなかった。ただ頂上に向かって登山をしている。歩行とともに転げ落ちる小石にも無頓着で前ばかりを見ていた。振り返る背にした後方もごくわずかで、短い時間を歩いてきたに過ぎないのだ。ぼくは十六才だ。何も成し遂げていないし、誰からも認められるという経験がなくても、これほどまでに完全であり、満ち足りていた。
ぼくは家に帰る。弟がいる。ぼくは昨年まで、夏休みには勉強を教えていた。自分がしてもらわなかったことを相手にきちんと伝えることはむずかしいものだった。ぼくができたものを、彼はできないということにも当惑する。ぼくはそろばんを習い、彼はスイミング・スクールに通った。その親の選択にぼくらは操られるのだ。ぼくは泳ぐことに堪能ではなく、彼は算数に渋い顔をつくる。ぼくは家の外にも大切なものができ、彼はゲームに熱中している。ぼくはほかに熱中するものがあり、ついさっきまで同じ時間のなかにいた。
ぼくは伝えることがあり、その方法も知っている気でいた。だが、この同じ部屋にいる弟にさえ勉強の楽しみを伝えられなかったのであれば、ぼくのこころにある愛情を完全なまでに伝えているかということに疑問を抱くのも正しかったのではないかと後悔する。しかし、後悔という言葉が入る隙間もないほどに若かったというのも正直な感想だ。身の丈にあった毎日しか生きられない。老獪や老練などという言葉はぼくの世界にまだなく、帳尻を合わせるということにも無縁でいた。ある日、それが重要で、ぼくは実際につかうとも思っていない。彼女がいつか、見事なまでにメーキャップした自分を作り上げるのと同じようにぼくも虚飾の世界で暮らすようになる。
ぼくは目覚める。現実の世界に彼女がいる。彼女はぼくのことを起きてからどれほどの時間が経過してから考えるのだろう。数分後か、数時間後。一日、まったく考えないということはあり得ない。ぼくは彼女の世界にいる。パスポートもなく入場券もいらない。いま学校のカバンをもっている手も、そう遠くない未来にぼくの手を握っている。ぼくは顔を洗う。この顔を恋の対象として認知しているひとがいる。奇跡を信じないひとはぼくのこの瞬間もきっと信じないだろう。あまりにも簡単に起こってしまうこともあり、その幸福も努力がない分、美しくまた抜け落ちやすかった。獲得は執念があればあるほど、貴重なのだろう。その恐ろしい執念をぼくはもっていない。