38歳-14
ぼくは絵美のイヤリングを外す。この小さな対のものに、ぼくは左右という概念があるのかを考える。外しながら利き腕というものを癖としても考える。能力ではなく単なる癖。だとしたら、ぼくらの身体には決して対称というものはあり得ない。
片側を多く使えば、どこかでゆがむ。ぼくの右手の中指には、ペンで培われたタコがあった。爪の付け根あたりに。ものを書き、無節操過ぎる頭のなかを整理するということはペンと白いノートが必要だった。しばらく時間を置けば、客観さも勝手に生まれる。ぼくは、十本の指とキーボードと、それを映すディスプレーでいまは代用している。左側にある指はエンターのキーを押せない。最後の仕上げのキーを。ここでも不公平があるようだった。
ぼくは前のふたりの女性を句読点として考える。「、」にしては、つづきや展開ではなく、完結をぼくのなかで求められた十六才の少女。「。」にしようとしたが、終止符とならなかった透き通る肌をもつ女性。彼女らは長々とした文になり、ぼくはエンターを押す。もし紙で残そうとしていたら、きっとどこかで火事にまき込まれ消失してしまっただろう。だが、ぼくの記憶のなかにある。そして、消失は今後もない。
白い画面は深い口を開け、つづきを生け贄として要求している。安息や安楽はなく、腹をすかせた少年のように口に入るものを渇望している。ぼくは求めに応じる。そのなかにいる化け物はぼく自身であることを知っているからだ。
ぼくの過去はぼくのものではないと考える。ある画家は少しずつ色を重ね、付け足し、修正をして、ひとりの女性を描きつづける。ずっと手元に置き、はかどらない作業を口実として、いつまでも完成は未来にある。彼が手を加えつづけることによって、終結はやってこない。そして、手放すことをまぬがれる。許可も言い訳もほんとうは必要ない。ぼくの過去は、もうぼくの力によって、変えることはできないのだ。一切の変更を拒む頑なさだけがある。ぼくは追体験しているに過ぎないのだ。それもぼくだけの追体験で、客観性の実証もできない。ぼくは美化し、甘美にし、砂糖をまぶして、蝋でコーティングする。変更に挑み、当然のことはねつけられる。なぜ、それを知り尽くしているのに、過去に舞い戻ろうとしているのか。過去だけが、自分の財産と知っているからなのか。ぼくは重みでゆがんだ、土台のしっかりしていない棚のように自分を設定した。しかし、すべてのたゆみの原因の荷物を処分することも、放棄する訳もなかった。
ぼくは女性が身を飾ったものを取り除いたり、逆に、背中のジッパーを上げたりもする。その些細な行動が記憶になる。達成もないわずかな、希少でもない事柄なので、相手は誰であったか段々と薄れていく。しかし、薄れさせようとしているのも自分自身であって、ぼくは自分の年齢を思い出せば、同時に相手は判明した。詳細な追跡ではなく、簡単な推理だ。ぼくの過去のアリバイは、その自分の年齢ごとで分類されている映像たちだった。
「生涯、こんな小さなもの、何度も何度も落としそうだね」と、ぼくはアクセサリーを手のひらに乗せて言った。絵美も同意した。しかし、意外にも、ぼくには自分のセリフにも反論があった。「でも、落ちてるのはたくさんでもない。拾うこともないし」
「興味がないからだよ」
興味があっても、落ちていないものは落ちていなかった。財布を落とすひとがいても、ぼくが拾う機会は訪れず、たくさんの自動車事故があっても、ぼくが遭遇することはなかった。バンジー・ジャンプの経験者もぼくの周囲にはいなく、何かの記録保持者と会うこともない。ぼくはすべてに対して関心がないのだろうか? それとも、過去のぼくを知っている誰かであることのみが興味の大前提にあるのだろうか。過剰なまでに、ぼくは自分にしか魅力を感じていないのか。相手の素晴らしさを讃えながら、ぼくは自分に還っていった。ついに、この明らかになった理由によって深い穴に犠牲を投げ込めそうだった。自分に自分を投与する光景にも限りなく近い。
その大きな口の喉元に絵美の小さなイヤリングが刺さる。大きな口は喉を詰まらせ、苦しそうに飲み込んだものをすべて吐き出してしまう。赤い革の時計が空中を舞う。少女のあどけないデザインの手袋がそのあとを追う。ぼくは忘れていたものを思い出した。彼女はあの手袋をはずしてぼくと手をつないだのだ。思い出したからといって相変わらず過去は変更を加えない。ぼくの視力はもどらず、ぼくの放った冷たいひとことは(限りない無数のひとことの集団でもある)そのままの形で残存している。ぼくは発掘を喜ばない。過去への愛着は、レース越しではありながら、過去の暴挙の再上映でもあるのだ。ぼくは目をつぶり、口をふさぐ努力をする。
朝になる。絵美は違う形の耳飾りをしている。馴れた手つきで無意識にはめた。ぼくらは無意識に、あるいは無頓着にさまざまなことをしている。歯を磨くという行為は決して勇敢な思想にはなり得ず、日常の一連の動作の一環のままだった。だから、定期的に飲まなければならない大事な薬でも飲み忘れたりすることが起こる。気にも留めずにしているたくさんの行為。シャンプー、ネクタイを結ぶ、靴下をはく。ぼくらは無数に行いながら、ほとんど記憶にも留めない行動の連続のうえで生きている。だが、それでも自分なりの規定がある。必ず、足は片方から入れられ、歯磨きのチューブから絞り出す量の誤差も少ない。ぼくは絵美だけを見ようとしている。しかし、ここにも順番が紛れ込み、ふたりの女性を組み込ませた。優劣ではなく、歴史の年号を振り返る際にどうしても基準の年代を目指し、その前か、後かを計ろうとした。だから、仕方がないことでもあった。
ぼくは絵美のイヤリングを外す。この小さな対のものに、ぼくは左右という概念があるのかを考える。外しながら利き腕というものを癖としても考える。能力ではなく単なる癖。だとしたら、ぼくらの身体には決して対称というものはあり得ない。
片側を多く使えば、どこかでゆがむ。ぼくの右手の中指には、ペンで培われたタコがあった。爪の付け根あたりに。ものを書き、無節操過ぎる頭のなかを整理するということはペンと白いノートが必要だった。しばらく時間を置けば、客観さも勝手に生まれる。ぼくは、十本の指とキーボードと、それを映すディスプレーでいまは代用している。左側にある指はエンターのキーを押せない。最後の仕上げのキーを。ここでも不公平があるようだった。
ぼくは前のふたりの女性を句読点として考える。「、」にしては、つづきや展開ではなく、完結をぼくのなかで求められた十六才の少女。「。」にしようとしたが、終止符とならなかった透き通る肌をもつ女性。彼女らは長々とした文になり、ぼくはエンターを押す。もし紙で残そうとしていたら、きっとどこかで火事にまき込まれ消失してしまっただろう。だが、ぼくの記憶のなかにある。そして、消失は今後もない。
白い画面は深い口を開け、つづきを生け贄として要求している。安息や安楽はなく、腹をすかせた少年のように口に入るものを渇望している。ぼくは求めに応じる。そのなかにいる化け物はぼく自身であることを知っているからだ。
ぼくの過去はぼくのものではないと考える。ある画家は少しずつ色を重ね、付け足し、修正をして、ひとりの女性を描きつづける。ずっと手元に置き、はかどらない作業を口実として、いつまでも完成は未来にある。彼が手を加えつづけることによって、終結はやってこない。そして、手放すことをまぬがれる。許可も言い訳もほんとうは必要ない。ぼくの過去は、もうぼくの力によって、変えることはできないのだ。一切の変更を拒む頑なさだけがある。ぼくは追体験しているに過ぎないのだ。それもぼくだけの追体験で、客観性の実証もできない。ぼくは美化し、甘美にし、砂糖をまぶして、蝋でコーティングする。変更に挑み、当然のことはねつけられる。なぜ、それを知り尽くしているのに、過去に舞い戻ろうとしているのか。過去だけが、自分の財産と知っているからなのか。ぼくは重みでゆがんだ、土台のしっかりしていない棚のように自分を設定した。しかし、すべてのたゆみの原因の荷物を処分することも、放棄する訳もなかった。
ぼくは女性が身を飾ったものを取り除いたり、逆に、背中のジッパーを上げたりもする。その些細な行動が記憶になる。達成もないわずかな、希少でもない事柄なので、相手は誰であったか段々と薄れていく。しかし、薄れさせようとしているのも自分自身であって、ぼくは自分の年齢を思い出せば、同時に相手は判明した。詳細な追跡ではなく、簡単な推理だ。ぼくの過去のアリバイは、その自分の年齢ごとで分類されている映像たちだった。
「生涯、こんな小さなもの、何度も何度も落としそうだね」と、ぼくはアクセサリーを手のひらに乗せて言った。絵美も同意した。しかし、意外にも、ぼくには自分のセリフにも反論があった。「でも、落ちてるのはたくさんでもない。拾うこともないし」
「興味がないからだよ」
興味があっても、落ちていないものは落ちていなかった。財布を落とすひとがいても、ぼくが拾う機会は訪れず、たくさんの自動車事故があっても、ぼくが遭遇することはなかった。バンジー・ジャンプの経験者もぼくの周囲にはいなく、何かの記録保持者と会うこともない。ぼくはすべてに対して関心がないのだろうか? それとも、過去のぼくを知っている誰かであることのみが興味の大前提にあるのだろうか。過剰なまでに、ぼくは自分にしか魅力を感じていないのか。相手の素晴らしさを讃えながら、ぼくは自分に還っていった。ついに、この明らかになった理由によって深い穴に犠牲を投げ込めそうだった。自分に自分を投与する光景にも限りなく近い。
その大きな口の喉元に絵美の小さなイヤリングが刺さる。大きな口は喉を詰まらせ、苦しそうに飲み込んだものをすべて吐き出してしまう。赤い革の時計が空中を舞う。少女のあどけないデザインの手袋がそのあとを追う。ぼくは忘れていたものを思い出した。彼女はあの手袋をはずしてぼくと手をつないだのだ。思い出したからといって相変わらず過去は変更を加えない。ぼくの視力はもどらず、ぼくの放った冷たいひとことは(限りない無数のひとことの集団でもある)そのままの形で残存している。ぼくは発掘を喜ばない。過去への愛着は、レース越しではありながら、過去の暴挙の再上映でもあるのだ。ぼくは目をつぶり、口をふさぐ努力をする。
朝になる。絵美は違う形の耳飾りをしている。馴れた手つきで無意識にはめた。ぼくらは無意識に、あるいは無頓着にさまざまなことをしている。歯を磨くという行為は決して勇敢な思想にはなり得ず、日常の一連の動作の一環のままだった。だから、定期的に飲まなければならない大事な薬でも飲み忘れたりすることが起こる。気にも留めずにしているたくさんの行為。シャンプー、ネクタイを結ぶ、靴下をはく。ぼくらは無数に行いながら、ほとんど記憶にも留めない行動の連続のうえで生きている。だが、それでも自分なりの規定がある。必ず、足は片方から入れられ、歯磨きのチューブから絞り出す量の誤差も少ない。ぼくは絵美だけを見ようとしている。しかし、ここにも順番が紛れ込み、ふたりの女性を組み込ませた。優劣ではなく、歴史の年号を振り返る際にどうしても基準の年代を目指し、その前か、後かを計ろうとした。だから、仕方がないことでもあった。