16歳-15
ぼくは部屋にいる。二階の自分の部屋の絨毯のうえに寝そべり本を読んでいた。電話を告げる母の声。ぼくは本の間にしおりを挟み、部屋のドアを開ける。奥の兄の部屋には女性がいる。弟は女性というものがどういう生き物か知らない。ぼくも大差がない。でも、夜のひとときに電話がかかってくる喜びは知っていた。ぼくは本を柔らかい布団の上に放り投げる。ここまで読んだ。ここまで読んだ。
ぼくの喜悦の感情はぼくの体内だけにとどまり、家族もその重さを知らない。ぼくは本が与えてくれる知識より当然この時間を選んでいる。先にすすむということでは同じであり、途中までを確認することも両方ともできた。本は数ページ戻ることができる。未来は読み終えるまで分からない。残りがわずかになってしまったことを本の厚みは教えてくれ、実際の女性との関係は、まったくのこと分からなかった。
このまま数時間も話すことはできない。夜が終わる前に電話を切る。ぼくらは絶対に伝えなければならない必死な言葉はもたず、それでも、お互い切実な感情はあったように思う。だが、切実という観点だけを浮かび上がらせれば、ぼくは交際を求めたときがピークかもしれない。あとは、その関係を維持し、継続することが重要だった。いや、ぼくはもっと別な関係になることもあるのだということを知っていた。お互い、求めた究極の結果を知らない。いつか、来るかもしれず、それは十年も二十年も先の話ではない。
ぼくは彼女のどこが好きなのか困惑してくる。この電話が楽しいひとときであれば充分なのか。それとも、彼女の胸の隆起はぼくにもっと悦びをもたらすのだろうか。ぼくは、その欲と自分を切り離してみたかった。
ぼくは電話を切る。本のつづきを読もうとするが気が乗らなくなってしまった。いかがわしい青年向けの雑誌を開く。そこに同年代の女性がいる。ぼくの電話の相手と彼女たちの差は、どれほどあり、どれほどないのだろう。不特定多数に向けられた笑顔と裸は、どれぐらい貴いのだろうか? ぼくはこの紙面の女性たちが年を取るという単純なことと結びつけるのを難しく思う。雑誌を閉じれば、きっと、直ぐに忘れてしまうのだろう。汚れたゴミ箱のなかのものといっしょに。ぼくは風呂に入る。いつの間にか兄の車は家の前から消え、女性もいなくなったようだった。
ぼくは眠くならず、本をまた開く。ぼくはまだ二十冊も本を読んでいない。学校をやめ、意図したことではないが自分を構築する必要性を逆に感じた。頭でっかちになることではなく、賢さや真実性を見抜ける目が欲しかった。誰も与えてくれないのだ。ぼくは手っ取り早い方法として本のページを開く。また、女性が教えてくれる真実も少なからずあった。それは実際に生身の人間として尊厳をもってぶつかり、その跳ね返りとして与えてくれるものたちだった。ページを開くぐらいの簡単なことではない。ときには、いやな目にも会い、気分を害すこともあるかもしれない。そのやりとりを愛と呼ぶなら、愛というものも高貴なことだけでは終わらなかった。
兄の車は深夜に戻る。彼は働き、ぼくに小遣いをくれた。ぼくもバイト代で弟にゲームのソフトを与えた。弟はいつか稼いだ金で誰に何を与えるのだろう。
ぼくは目をつぶる。夜をこわがる子どもではない。ひとりで寝むれないほど臆病でもない。友人の存在も無数にあるわけではない。数人の親しい友人がいればそれで済んだ。そして、愛らしい女性がひとりいた。これも、ひとりで充分だった。兄はそのひとりを選ぶのを手間取っているようだが、これは彼の物語ではない。ぼく自身の暴かれない、決して開かれない物語なのだ。
そこにあらわれるひとりの女性。ぼくに電話をかける勇気がある女性。いまごろ、同じように寝ているのだろう。明日のお弁当にはなにを入れるのだろうか?
ぼくは自分がいつか、そんなにも遠くない数年後だが、車の免許を取り、彼女を横に乗せて運転している姿を想像することが、なぜだか、むずかしかった。彼女を家まで送り、深夜にもどってくる。そこにはより親密な関係が生まれる。ぼくは男性とは違う柔らかみを帯びた身体を横に感じる。その車種も具体化されず、流れている音楽も不鮮明で、彼女との会話もどれほど大人びたものに移るのか分からなかった。彼女は髪を伸ばしているかもしれず、タバコを吸っているようになっているかもしれない。だが、どれも彼女に似つかわしくなかった。ぼくは、なにか漠然としたものをためらっていた。未熟な状態に甘んじようとしていた。だが、彼女はどうなのだろう? 男性の力強い抱擁を欲しているかもしれず、もたれる肩の頑健さを望んでいるのかもしれない。
すると、朝だった。弟は学校へ行き、兄は職場に向かった。母は男の子たちが食べ終わった皿を洗っている。何度も何度も洗っている。ぼくは何度も好きだと彼女に言おうと思う。しかし、口にしなくても彼女は分かっているのだと躊躇する。口にしなかった言葉の責任を宇宙は求めず、発しなかった言葉は記録としてのこされない。ためらいと後悔は執拗に追いかけてくる。ぼくらは逃げることができないのだ。背中にその無言の愛を背負って行き抜くことが可能かどうか試しているのだ。
ぼくは部屋にいる。二階の自分の部屋の絨毯のうえに寝そべり本を読んでいた。電話を告げる母の声。ぼくは本の間にしおりを挟み、部屋のドアを開ける。奥の兄の部屋には女性がいる。弟は女性というものがどういう生き物か知らない。ぼくも大差がない。でも、夜のひとときに電話がかかってくる喜びは知っていた。ぼくは本を柔らかい布団の上に放り投げる。ここまで読んだ。ここまで読んだ。
ぼくの喜悦の感情はぼくの体内だけにとどまり、家族もその重さを知らない。ぼくは本が与えてくれる知識より当然この時間を選んでいる。先にすすむということでは同じであり、途中までを確認することも両方ともできた。本は数ページ戻ることができる。未来は読み終えるまで分からない。残りがわずかになってしまったことを本の厚みは教えてくれ、実際の女性との関係は、まったくのこと分からなかった。
このまま数時間も話すことはできない。夜が終わる前に電話を切る。ぼくらは絶対に伝えなければならない必死な言葉はもたず、それでも、お互い切実な感情はあったように思う。だが、切実という観点だけを浮かび上がらせれば、ぼくは交際を求めたときがピークかもしれない。あとは、その関係を維持し、継続することが重要だった。いや、ぼくはもっと別な関係になることもあるのだということを知っていた。お互い、求めた究極の結果を知らない。いつか、来るかもしれず、それは十年も二十年も先の話ではない。
ぼくは彼女のどこが好きなのか困惑してくる。この電話が楽しいひとときであれば充分なのか。それとも、彼女の胸の隆起はぼくにもっと悦びをもたらすのだろうか。ぼくは、その欲と自分を切り離してみたかった。
ぼくは電話を切る。本のつづきを読もうとするが気が乗らなくなってしまった。いかがわしい青年向けの雑誌を開く。そこに同年代の女性がいる。ぼくの電話の相手と彼女たちの差は、どれほどあり、どれほどないのだろう。不特定多数に向けられた笑顔と裸は、どれぐらい貴いのだろうか? ぼくはこの紙面の女性たちが年を取るという単純なことと結びつけるのを難しく思う。雑誌を閉じれば、きっと、直ぐに忘れてしまうのだろう。汚れたゴミ箱のなかのものといっしょに。ぼくは風呂に入る。いつの間にか兄の車は家の前から消え、女性もいなくなったようだった。
ぼくは眠くならず、本をまた開く。ぼくはまだ二十冊も本を読んでいない。学校をやめ、意図したことではないが自分を構築する必要性を逆に感じた。頭でっかちになることではなく、賢さや真実性を見抜ける目が欲しかった。誰も与えてくれないのだ。ぼくは手っ取り早い方法として本のページを開く。また、女性が教えてくれる真実も少なからずあった。それは実際に生身の人間として尊厳をもってぶつかり、その跳ね返りとして与えてくれるものたちだった。ページを開くぐらいの簡単なことではない。ときには、いやな目にも会い、気分を害すこともあるかもしれない。そのやりとりを愛と呼ぶなら、愛というものも高貴なことだけでは終わらなかった。
兄の車は深夜に戻る。彼は働き、ぼくに小遣いをくれた。ぼくもバイト代で弟にゲームのソフトを与えた。弟はいつか稼いだ金で誰に何を与えるのだろう。
ぼくは目をつぶる。夜をこわがる子どもではない。ひとりで寝むれないほど臆病でもない。友人の存在も無数にあるわけではない。数人の親しい友人がいればそれで済んだ。そして、愛らしい女性がひとりいた。これも、ひとりで充分だった。兄はそのひとりを選ぶのを手間取っているようだが、これは彼の物語ではない。ぼく自身の暴かれない、決して開かれない物語なのだ。
そこにあらわれるひとりの女性。ぼくに電話をかける勇気がある女性。いまごろ、同じように寝ているのだろう。明日のお弁当にはなにを入れるのだろうか?
ぼくは自分がいつか、そんなにも遠くない数年後だが、車の免許を取り、彼女を横に乗せて運転している姿を想像することが、なぜだか、むずかしかった。彼女を家まで送り、深夜にもどってくる。そこにはより親密な関係が生まれる。ぼくは男性とは違う柔らかみを帯びた身体を横に感じる。その車種も具体化されず、流れている音楽も不鮮明で、彼女との会話もどれほど大人びたものに移るのか分からなかった。彼女は髪を伸ばしているかもしれず、タバコを吸っているようになっているかもしれない。だが、どれも彼女に似つかわしくなかった。ぼくは、なにか漠然としたものをためらっていた。未熟な状態に甘んじようとしていた。だが、彼女はどうなのだろう? 男性の力強い抱擁を欲しているかもしれず、もたれる肩の頑健さを望んでいるのかもしれない。
すると、朝だった。弟は学校へ行き、兄は職場に向かった。母は男の子たちが食べ終わった皿を洗っている。何度も何度も洗っている。ぼくは何度も好きだと彼女に言おうと思う。しかし、口にしなくても彼女は分かっているのだと躊躇する。口にしなかった言葉の責任を宇宙は求めず、発しなかった言葉は記録としてのこされない。ためらいと後悔は執拗に追いかけてくる。ぼくらは逃げることができないのだ。背中にその無言の愛を背負って行き抜くことが可能かどうか試しているのだ。