遺す言葉

つぶやき日記

遺す言葉(507) 小説 希望(31) 他 生きるのだ

2024-07-21 12:17:59 | 小説
             生きるのだ(2024.7.14日作)



 
 生きるのだ
 生きなければならない
 今日一日 今 という時を生きる
 精一杯生きる
 明日という日は 無い
 明日は明日 今日は今日
 今 この時
 今 この時 今 出来る事は 何か ?
 より良く生きる 今日一日
 今日一日 今という時を生きる
 精一杯生きる 今 何が必要なのか ?
 総ては今という時
 命ある今日一日 明日は無い
 明日は明日 明日また 考える
 今を生きる 明日に続く
 今この時 今日一日を
 精一杯生きる
 人が出来る事 それだけ
 明日は明日 明日という日の
 保証は無い




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                       希望(31)



 

 銭湯から帰ると一時間近くが過ぎていた。
 Ⅰ時になったら出掛けよう。 
 時計を見ながら考えた。
 東境川小学校まではタクシーで二十分位掛かると北川は言っていた。
 タクシーが拾えない時の事を考えて少し早目に出た方がいい。
 街へ出る時に何時も穿いているジーパンを穿き薄手のジャンパーに着替えた。
 下はTシャツ一枚だった。
 ナイフは上着の内ポケットに入れた。
 ズシリとした重量感が胸元を圧迫してナイフの圧倒的な存在感を伝えて来た。
 <ブラックキャッツ>の頭(あたま)を遣る時の様な緊張感は無かった。
 殺傷が今回の目的ではない。
 ナイフをチラつかせて脅すだけでいいのだ。
 相手は年寄りの夫婦だと北川は言った。
 緊張を強いられる場面も無さそうに思えた。
 北川は目出し帽も用意して来ると言った。
 顔を見られる心配も無いだろう。
 店を出てから二百メートル程歩いてタクシーを拾った。
「東境川小学校の前まで」
 と言うと、運転手は「はい」とだけ答えた。
 少し白いものの交った髪の運転手は鏡の中では六十歳近くに見えた。
 運転手は車が動き出してからも無口だった。まだ子供じみた面影を残す少年がこんな真夜中に出歩いている訳を尋ねようともしなかった。
 修二はそんな運転手の様子を見るとかえって気になった。
 何か、怪しんでいるのではないか ?
 微かな不安に捉われた。と同時にふと、北川は重大な間違いを犯したのではないか、という思いに捉われた。
 三人の男達がこんな真夜中にそれぞれ、小学校を目差してタクシーを走らせている。
 この事実は時計宝飾店強盗がニュースになった時、警察に取っては重大な手掛かりになるのではないか ?
 宝石店は小学校の近くだという。
 三人の男達がその時刻、小学校へ向けてタクシーを走らせている。
   それぞれの運転手の証言によってタクシーを拾った場所が特定されれば、一気に捜査の範囲は狭められてしまう。しかも、境川のこちら側でそれぞれがタクシーを拾っている。
 急に不安になった。
 その不安と共に改めて鏡の中で運転手の表情を探った。
 運転手は夜の闇に視線を向けたままで、依然として表情に変化は見られなかった。 
 何故とはなしにホットするのと共に、運転手に声を掛けていた。
「境川からこっちへ来た事がないので、家へ帰るのに勝手が分からなくて困っちゃったですよ」
 運転手は前を見詰め、ハンドルを操作したまま、
「遊びに行ったの ?」
 と聞いた。
「はい」
 修二は素直な少年を装って答えた。
 運転手はそれ以上、何も言わなかった。
 運転手の穏やかな口調が安心感を誘った。
 やがて車はクロちゃんが死んだという橋に差し掛かり、渡った。
 修二が小学校の前でタクシーを降りた時、北川と鳥越の姿は無かった。
 まだ来てないのか、と思った。
 タクシーは修二を後に残したまま走り去った。
 タクシーの姿が見えなくなり、修二が校門の大きな石柱の方へ行こうとした時、その陰から北川と鳥越が姿を現わした。
「おうッ !」
 北川は右手を小さく挙げて言った。
 二人が揃っていた事で時間に遅れたのかと気になって腕時計に眼をやった。
 まだ、二時にはなっていなかった。
 辺りは深夜の気配に包まれていた。
 家々はことごとく灯りを消していた。
 通りには人影も無かった。
 校庭は夜の闇の中で静まり返っていた。
 無数の窓を持った校舎が黒い影を作って巨大な獣の様に横たわっていた。
 北川は早速、上着のポケットから目出し帽を取り出した。
「手袋は持って来たんだろう ?」
 鳥越に聞いた。
「うん」
 鳥越は頷いてすぐにポケットから取り出した。
「指紋を残しちゃまずいからな」
 北川は言った。
「俺は持って来ないよ」
 修二は言った。
「お前はいいよ。店の者にナイフを衝きつけて置けばいいんだから」
 北川は目出し帽を修二に差し出しながら言った。
 修二はなんとなく、自分が除け者にされた様で不満だった。
「ナイフは持って来たんだろう ?」
 北川は言った。
「うん」
 修二は頷いた。
「帽子は入(へえ)る直前に被るんだ。今から被って歩いていると、誰かに見られでもしたら怪しまれるかんな」
 北川は言って鳥越にも渡した。
「この二枚は爺さんと婆さんに後ろ向きに被せて見えねえ様にすんだ」
 手の中に残った二枚を小さく畳みながら北川は言った。
 鳥越はジャンパーの内ポケットから中太の白いローブを取り出した。
 店の者を縛る為の物だった。
 三人でそのまま人影のない通りを歩いて行った。




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               桂蓮様


              有難う御座います
             グランビーの夏 素晴らしい住環境ですね
             拝見していて羨ましくなります とにかくアメリカは広い
             それぞれ郡によって 州によって異なるのでしょうが        
             ニューヨークのような大都会もあれば広々とただ畑一面が広がる
             大農場もある かと思えば西部劇でよく眼にするディスヴァレーのような
             砂漠地帯もある とにかく島国日本から見るとその広さだけは憧れの的です
              バレーに限らず 何事も自身の感覚で覚える事
             感覚を身に付ける事ですね
             世間には口では立派な事を喋りまくっていても いざ その実践となると
             何も出来ない人間が大いものです
             理論より感覚 文章の中にも書いた事がありますが
             感覚の伴わない知識は本当の知識では無いという事です
             芸術に限らず 農業 漁業 林業 あらゆる分野に於いて          
             その仕事にたずさわる人達は総て日常から得た感覚で
             その作業を進めているのだと思います
             何事も頭で考えているうちは本物とは言えません
             小説を書く人がよく言います
             場面と出来事を設定してまず冒頭の文章を書く すると その文章に従って 
             あとは人物が勝手に動きだす
             また あの大天才ピカソが 一本の線を書くのに二十年もかかっのだ と言ったという事です
             総て本物は頭で覚えた知識では無く 肉体的感覚として身に付けているか という事ですね
             最新記事 面白く拝見しました
              日本でも中年の方々のバレー熱が盛んな様です
             どうぞ 頑張って下さい




                takeziisan様


                 今回も楽しませて戴きました
                思い出の写真 良いですね お子さん達の寝ている姿 机に向かっている姿
                良い写真です 過ぎ行く人生の中の貴重な一頁
                宝物だと思います 思わず目頭が熱くなりました  
                それにしても数々の思い出 豊かな人生だったのではないでしょうか
                 診察結果まずまず おめでとう御座います
                と 言うところでしょうか 一病息災 まだまだ大丈夫
                畑に出る力 歩く力 意欲がある限り心配御無用
                意欲が無くなった時が怖いですよね ブログへの意欲と共に
                頑張って下さい
                 数々の映画音楽 総て青春の一コマに刻み込まれています
                「旅情」のヘップバーンも良かったですね
                「真昼の決闘」 映画に流れる時間と実時間が一緒という事で
                当時 話題になりましたね                
                「シェーン、カムバック」あの少年の叫び声
                改めて懐かしく思い出します
                「五木の子守唄」東京へ出て間もなくの頃にはやった歌で
                映画にもなり 見ました
                何時聴いても哀しい歌です 貧しかった頃のこの国の姿が
                偲ばれます            
                あの藁屋根の風景 日本の原風景の様です
                しみじみとした思いに誘われます
                 イノシシ 相変わらず奮闘 イノシシ迷惑にも拘わらず
                自然の豊かさが羨ましく思われます
                 我が家の屋上菜園 キュウリ ピーマン
                豊作です                  
                 楽しい時間でした 有難う御座いました  







































































 


1 コメント

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Unknown (桂蓮)
2024-07-25 12:37:28
的確なコメント、いつも嬉しく頂いています。
文頭の詩はさらに強いメッセージが伝わってきますね。
これといったポイントが掴めないのですが、
言い方が簡潔になっていく感じがしますね。


今日は水曜で普通なら3つのレッスン続きですが、
足首怪我して、休んでいます。
3つを休むと後で戻るのが倍以上キツイので、それを考えると本当に辛いです。
足首が痛いのは初めてで、先週も2回のレッスン休んで
昨日少し良くなって、治ったと思って
無理をして悪化させましたね。

足首が痛くなって、初めて足がどんなに
重要か、知りました。
今までは足は当然に働くものだったのに、
足首が痛いとレッスンを受けることもできないのですね。
とにかく、怪我をしたのは
体が準備できていないのに
無理をしたからに違いないので
休みながら反省しています。

この怪我でプラン(計画)に支障が出て
今週中に普段の状態に戻れないと
12月公演(発表会)までまた間に合わないかもと心配しています。

私如きでこれなのに、本当のバレリーナが怪我すると絶望するでしょうね。

意思が強ければ、怪我しても
他の部位の強化など運動を続けるだろうけど
私は気持ち的に沈んで
ゲームばかりしてました。
やらなければならない練習量があるのに
できないのは憂鬱ですね。

ここで鬱憤晴らししてますが、
明日は奇跡のように
足首動かせるといいですけどね。

たまささまはお元気のようで
それが何よりです。


ところで『希望』何か切実感が伝わる物語ですね。
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